男性遍歴の追加
目の前に差し出された薄桃色のマルムを条件反射のごとく受け取ってしまう。ごつごつした剣を持つ騎士特有の男らしい指に一瞬見惚れてしまい、そんな自分が嫌でフィオネンティーナは眉間に皺を刻んだ。
マルムの実を渡してきたのはタース・シャウローゼ。淡い金髪がフィオネンティーナを追って砦にやって来てた、無意識で周囲に迷惑をばらまいている幼馴染と重なって更に苦い顔になってしまう。
フィオネンティーナから軽蔑されていると分かっているタースは、その表情が自分に向けての感情だと受け取り、後ろめたさから一瞬だけ目を反らしたものの、直ぐに緑色の瞳でフィオネンティーナを見下ろした。
「あの魔術師は一緒じゃないんだな」
朝食まではフィオネンティーナに絡みつくようにくっ付いていたクインザはいない。クインザがいたからなのか、今朝はガレットとは一緒ではなかった。
食後クインザを部屋に閉じ込めたフィオネンティーナは、鍛練場へ向かいつつ、寄り道がてら遠回りして一人歩きしていたのだ。そこで前から現れたタースにマルムを渡されたのである。
「あなたこそ一人なんですね。クインザに用なら呼びましょうか?」
「いや、お前にそれを渡したかっただけだから……」
フィオネンティーナは、一度手にしたマルムに視線を落としてからタースを見上げた。
瑞々しいもぎたてのマルムだ。砦の宿舎周辺にマルムの木を見た記憶はない。
「わざわざ採ってきたの?」
朝から、それもたったひとつの実を取りに森へ入ったのかと呆れてしまう。
「ちょっと森を走っていたら目についたんだ。もうすぐマルムの季節も終わるからと思って」
そう言われてフィオネンティーナはマルムに視線を落とした。
確かにマルムは好物だ。ただし熟成させ、琥珀色の酒になった状態のマルムなのだが。
あの事件の時にフィオネンティーナが籠一杯のマルムを抱えていたので勘違いをしているのだろう。訂正してやる義理もないが、贖罪のためにわざわざ持ってこられて顔を合わせるのも鬱陶しい。
「せっかくだから頂くけどこれで最後にして。わたしが好きなのは熟した実じゃなくてお酒なの」
タースははっとしたように目を開くと、「あぁそうか」と掌で口を押さえた。
「確かラキス隊長に要求してたいたな。樽で」
なんともいえない表情をしたタースに、フィオネンティーナは敢えて厭味にみえるであろう笑みを浮かべて返した。
「お酒なら喜んで受け取るわ」
たとえ嫌な相手からの贈り物でも酒なら喜んで貰う。それが金銀宝石なら後が怖いので丁重にお断りするが、酒は別だ。
「酒で隊長がやられるところを初めて見たよ」
「逃げたのよ。あれじゃ勝ちとは言えない」
確かにフィオネンティーナもあんなに飲める相手は初めてだった。まるで女をあやすかにあしらって逃げたセイの後ろ姿には悔しさが込み上げ、さらには事実に反した噂話を思い出して顔をしかめてしまう。
「あなた達の隊長はいつ戻ってくるの」
「まさか再戦する気なのか?」
「もちろん。今度こそ床に沈めて二度と立ち上がれないようにしてやるわ」
意気込むフィオネンティーナからタースは顔を背ける。思い出したのか青くなった。
剣を持っても、素手で対峙しても向かうところ敵なし。そんなセイをタースは尊敬している。それが酒とはいえ、立つのもやっとの状況に追い込まれたのには驚きだった。
さらにそのセイに腕を伸ばし、何がなんでも追い縋ろうとするフィオネンティーナの執念には驚かされたものだ。
しかもその後、床に寝ていたガレットに躓いて顔を強打し、大量の鼻血を流しながらもセイを追おうとする。その根性にタースばかりか、その場に居合わせた者たちは恐怖すら感じたものだ。
フィオネンティーナの何がそうさせるのか、とても理解できなかった。
艶やかな黒髪に魅力的な漆黒の瞳の可愛らしい娘。黙っていたら高貴な出のお嬢様にしか見えない。
そんな彼女が鼻血を流しながら罵声とも言える言葉を上げて執拗に追いすがる。その様は若い娘の所業ではない。
「それでいつ戻ってくるの?」
あの日の出来事を思い出して思考停止していたタースをフィオネンティーナが見上げていた。タースは「あぁ……」と、日程を思い出す。
「あと三日もすれば戻るはずだ」
そうと知ったフィオネンティーナは「三日かぁ」と、腕を組んで思考を巡らせた。
セイは己の限界を知っているらしい。対してフィオネンティーナは潰れるまで飲むだことなんて一度もなかった。
飲酒はあくまでも味やその場の雰囲気を楽しむものであって、泥酔して己を失うものではないのだ。だからセイと飲み比べをした夜も、無暗やたらに飲みつくしていたのではなく、ちゃんと味も楽しんでいた。
しかし今後それだけでは思わぬ失態を招く事態に陥るやもしれない。
自分の限界を知るためにも予行演習しておくべきだろうと、最短三日の予定を頭の中で組んでいく。
「……か?」
「え、何?」
考えながら歩きだしていたようだ。
声をかけられて後ろを振り返れば、タースの真剣な眼差しがフィオネンティーナを見下ろしていた。
「あの魔術師とガレット隊長、どっちが本命なのかと聞いたんだ」
馬鹿ではない、何を聞かれているのか直ぐ様気付いた。
フィオネンティーナが砦に配属されてから献身的に甲斐甲斐しく世話を焼き、付き纏いを続けるガレットが周りにどう映るのか。
相手がガレット一人ならそうまでなかっただろうが、つい昨日クインザが現れた。砦でただ一人の女を武器に上手く立ち回っているのだと勘違いされてもおかしくない。何しろクインザはフィオネンティーナの部屋で寝泊まりしたのだから、世間的にはそういう関係とみなされることくらい知っている。
「どっちも違うわよ」
それにしてもどうしてタースがそんなことを聞くのか。関係ないだろうと苛つきながらもきっちり訂正はしておく。するとタースは視線を彷徨わせながら言い難そうに頭を掻いた。
「君はガレット隊長に、キスしていただろう?」
「えっ?」
いつだ、いったい自分はいつそんな失態を犯したのだ!? フィオネンティーナはうろたえ、必死になって記憶を探った。
眉間に深い皺を刻み、腕を組んで悩むフィオネンティーナに、タースは「ほら、あの時だ」と言うが、あの時っていつだろう?
「隊長と飲んだ時、ガレット隊長が止めに入ったじゃないか。君は口移しでガレット隊長に酒を飲ませていた」
「はぁっ!? あれは違うでしょ、脅かさないでよ!」
知らない間にやらかしたのかと焦った。無駄に慌てた怒りをタースにぶつける。
「違うのか?」
「口移しくらい、あなただって必要ならやるでしょ」
「………やらないだろ?」
「え? やらないの?」
「君はいつもそうやっているのか?」
「う〜ん……そういえばやらないかも、しれないなぁ」
勢いでクインザにキスしたことはある。あれにも、そしてガレットにした口移しにも特別な意味はない。
けれど誤解を生む行為だったと気付かされた。
あの時はセイを前にして怒りのあまり何もかもがどうでもよくなっていた気がする。いらぬ誤解を生んだのはセイのせいだと、人のせいにするフィオネンティーナは密かにセイを呪った。
「クインザとだって兄妹みたいなものよ。一緒に育ったの。だから変な誤解しないでほしいわ」
誤解を与える行動をしているのは棚にあげ、全ての責任は誤解する側にあるのだと押し付ける。
「それならばやはり本命はラキス隊長――」
二人の関係は噂が噂を呼んでまことしやかに囁かれている。それに追い打ちをかけたのはやはり深酒を煽ったフィオネンティーナが流血しながら取った行動のせいだ。
だからタースがそう呟いたのは仕方のないことだ。けれどもフィオネンティーナはかっとなった。
そう呟いたタースに向かって、まるで親の仇でも見るような恐ろしい形相で跳びかかった。
咄嗟の事態に対応が遅れたタースは胸倉を掴まれて後ろに倒れ込んでしまう。相手は女性ながら勢いと体重をかけられて背中から転がった。もちろん鍛えているので大した衝撃ではない。
ないのだが……。
「リっ、リシェット!?」
馬乗りで胸倉を掴まれただけならまだしも、フィオネンティーナの黒く長い髪がタースの頬を掠めていた。互いの鼻がぶつかりそうな距離にまで顔が寄せられている。タースは戸惑い声が上擦った。
怒りを露わにしているので甘さなんてほんのちょっともない。けれど相手が相手なだけに鍛え上げた砦の騎士とはいえ慌てふためく。
タースは慌てて両手を上げ降参の意思を示し、直接体に触れないよう気を遣う。しかし残念ながらタースの努力むなしく、馬乗りになったフィオネンティーナは自分が何をしているのか気づいていない。
「あの男と噂になるなんて身の毛がよだつの。冗談でも二度と口にしないで」
フィオネンティーナの手が彼の胸倉から心臓に移動する。
「次に口にしたらここにぶっぱなつわよ?」
フィオネンティーナの背後で黄色い光が音をパチパチと立てて弾けていた。タースは冷や汗をかきながらゆっくりと頷いて「分かった、悪かった」と謝罪した。
謝罪う受けれてたフィオネンティーナが開放すると、タースは大きく安堵の息を吐く。
「リシェット。君は大胆というか、過激というか。魔術師というものは得てしてそうなのか?」
言われてようやく自分が何をしたのか気づいてハッとするも、「ちょっと何を言っているのか分からない」とそ知らぬふりを装った。アゼルキナ行きになった背景に、メリヒアンヌ皇女の目の前でクインザとのキスを披露したことを思い出してしまったが、この程度ならしっぺ返しはないよね? と心内で自問自答する。
しかしながらこの光景を遠目に目撃していた者がいたため、フィオネンティーナがタースを襲っていたと新たな男性遍歴の噂が立てられることとなった。




