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アゼルキナ砦の魔術師  作者: momo
幼馴染と彼の不幸
28/79

側にいたい



 高い木々に囲まれてはいるが、身を隠す囲い一つない、湯が湧き出る温泉場。

 岩で作られた湯船だけのそれは、砦の住人が一日の疲れを癒やす場所だ。

 宿舎の周囲にはこのような温泉が幾つかある。

 フィオネンティーナはその中で一番小さな湯船を貸し切りにして貰った。

 湯船の傍らにはフィオネンティーナと幼馴染のクインザの二人だけ。だが気配を感じなくても、生い茂る木々に隠れて砦の住人が息を顰めているであろうことは容易く想像できる。

 どちらを覗きにきているのかは考えないでおこう。フィオネンティーナはクインザの後ろに回って目隠しをきつく締めた。


「私は覗いたりしない。これはちょっと酷くないか?」

「その顔で言われるとムカつくけど、クインザも男だし、周りへの配慮もあるから」


 これでクインザは何も見えていないよ! と、隠れているであろう砦の住人に向けてのアピールだ。

 クインザが覗き見しないのは分かっているが、兄妹同然に育ったからこそ、気軽さから迂闊に振り向いてしまいかねない事故を見越して念入りに。


 クインザには時折、フィオネンティーナの寝台に潜り込んで寝てしまう癖があった。

 フィオネンティーナがいるいないにかかわらず、幼少の頃はほぼ毎晩。子供でなくなるに従って回数は減ったものの、注意されてもその癖が直ることはない。特に落ち込んだり、嫌なことがあった時には必ず忍び込んでくるのだ。

 成人した男女がそれでは流石にどうかと怒鳴り、幾度も諭した。なのに一向に治る気配を見せない。近しい仲で慣れてしまっていることもあって、フィオネンティーナも強い拒絶よりも安眠を優先させて放置してきた。

 

 だからクインザが同室でも平気だ。

 砦の住人用に作られた寝台はとても大きくて、一緒に寝ても多少窮屈な程度だろう。それに同室は許したが一緒に寝るとは言っていない。

 けれども、二人の関係性を正しく理解できる砦の住人はいない。男ばかりのアゼルキナで刺激的な行動は控えるべきだ。だから拒絶したのだが……。

 クインザの魔術師としての能力を思い出したフィオネンティーナは、欲求を我慢できず、一般常識は一瞬にして木っ端となった。


 攻撃を得意とするフィオネンティーナとは異なり、クインザは治癒や幻影、防御の類が大得意だ。

 特に幻影に関しては、アルファーン帝国どころか大陸一の腕前を持っていると、魔術師団長がべた褒めしているほどに。

 現実にはどうなのか知る由もないが、クインザの能力は今のフィオネンティーナにとって何よりも有り難い代物だった。


 クインザは目隠しをしたまま術を行使し、幻影を使って幻の湯船を再現した。

 クインザとフィオネンティーナを取り囲む一定距離が幻覚に覆われると、隠れて様子を伺っていた者たちには二人が突然消えたように映っただろう。今現在彼らに見えているのは湯船だけで、フィオネンティーナとクインザは認識できなくなっているのだ。

 何が起こったのかと目を丸くして姿を見せる砦の男たち。その多さにフィオネンティーナは呆れた。

 全く男という生き物は、どうして想像通りの行動しか起こせないのだろう。


 術の行使を終えたクインザは目隠しをずらした。首を巡らせて出来栄えを確認しているようだ。うろつく男達に軽蔑の視線を向けると、パチンと指を鳴らす。


「結界も敷いたから侵入してこれない」


 幻術だけなら踏み込まれてしまう領域も、結界を敷けば侵入不可能だ。褒めて貰いたいのか得意そうに振り向いたクインザに、フィオネンティーナはずらされた目隠しをしっかりと戻してやった。


「難点は術者が結界の中にいないと駄目なところね」


 結界だけなら侵入は阻めるが、中の様子はまる見えだ。隠してしまうには幻術も必要で、一定距離をぐるりと取り囲む場合、その中に術者が存在しなければ術を揮えない。


「私がいるのがなぜ難点なのだ。それより周りへの配慮はもう必要ないだろう? 目隠しがなくても覗かない。私は彼らとは違う」

「お互いお年頃なんだからけじめとしてよ」


 不満そうにしているが、クインザはおとなしく言うことを聞いて湯船に背を向けると、その場に腰を下ろした。

 久し振りの湯船だ。

 浮かれるフィオネンティーナはさっさと脱いでしまおうと衣服に手をかける。しかし結界の周囲をうろつきながら不思議そうに様子を伺う砦の男らに気を取られた。

 

 向こうからは見えていないと分かっていても、堂々とうろつかれては裸になりにくい。フィオネンティーナが躊躇していると、うろついていた者たちの姿が突然消えた。


「二重に幻影を張った」


 察したクインザは、外界をうろつく存在だけを視界から見事に消し去ってくれた。


「気が利くのね。どうもありがとう」


 フィオネンティーナは服を脱いで湯の温度を確かめてから湯船に沈む。

 息を止めて頭の先までゆっくりと沈み込んで行くと、熱めの湯が地肌にまで浸透して驚くほど気持ちが良かった。

 かけ流しの温泉だ。湯船に浸かったまま髪と体を洗って、夜の帳が下りようとする天を見上げる。

 まさかこの砦で湯に浸かれるとは。無理だと諦めていたが、幼馴染の思わぬ訪問でそれが可能になった。

 湯船に浸かるのは町に出て以来だ。それも直ぐにセイから泥だらけに変えられてしまったし、その後は訓練にも積極的に参加して汗だくになる日々だったので、今回の入浴はとても有り難く感じる。

 週に一度、町への買い出しについていけば広い湯船で入浴できるものの、同行者が信頼できる相手とは限らないのと、その同行者の個人的なお楽しみを邪魔してはいけない気がして、あの日以来、フィオネンティーナは湯で体を拭く日々を送っていた。

 クインザがいる限り、たとえこの後直ぐに泥だらけにされても、自ら汗だくになったとしても、フィオネンティーナの入浴は安泰だ。冷たい井戸水で髪を洗うこともしなくてよくなる。

 クインザがいると面倒事が多くなるかもしれないが、この開放感も捨てがたい。

 天秤にかけようとして、カイルの顔が脳裏に浮かんだ。私利私欲のために砦の司令官の意向を無視してはいけない。フィオネンティーナは頭を振って邪な考えを追い出した。


「どうかしたのか?」

「なんでもないわ。それよりクインザ、あなた本当に砦に居座るつもりなの?」

「フィオは迷惑なのか?」

「迷惑ってわけでもないけど――」


 美人は三日で慣れるので、その先はクインザとその魅力に取りつかれた者たちの問題だ。多少巻き込まれるのを覚悟しても毎日の入浴確保は捨て難い。

 しかし楽しくやる分にはいいかもしれないが、ここはキグナスと国境を交えるアゼルキナ砦だ。

 フィオネンティーナがいるだけでも普通ではない状況なのに、クインザまでが転がり込むとどうなるのだろう。司令官の意向以外にも気になることだらけである。


「ここでやっていける自信はあるの?」


 宮廷魔術師、はっきりいって実戦経験皆無の使えない集団。

 フィオネンティーナは女だからと特別扱いで置いてもらえている状態だ。本人が特別扱いを望んでいなくても、そうしてもらわないと、今のフィオネンティーナの実力ではついていけないのだと身をもって知っている。任期の三年のうちには同じように、同じでなくても信頼してもらえるくらいにはなりたいと目標を持っていた。

 けれどクインザは彼らと同じ男。砦の住人となったなら、彼らに交じって本格的な軍事訓練に参加させられるのだろう。男女の扱いにはそれだけの差があるのだ。

 司令官であるカイルがクインザから逃げたのは面倒で厄介だからだ。

 フィオネンティーナなら女を理由に特別扱いできる。けれどクインザは男で、特別扱いする理由がない。魔術師だというのを考慮しても、有事には共に行動することになる。足手まといになるような甘い訓練では周囲から不満の声が上がるだろう。

 もし万一にもクインザが砦に異動となれば、カイルは訓練という名のしごきでクインザを潰し、自ら砦を出るよう仕向けるに違いない。そうしなければ実践で仲間が犠牲になるからだ。

 本格的なしごきなんてクインザに耐えられるはずがないとフィオネンティーナには分かっている。魔術を除いた身体能力では、どこにでもいる男性ていどの能力しかない。


「自信も何も、私はフィオの側がいい」


 向けられた背中が不安そうに項垂れた。フィオネンティーナに拒絶されるか、怒られるかだと思ったのだろう。

 いつも一緒にいた少々頼りない幼馴染は、彼なりにフィオネンティーナを守って役に立ちたいと思ってくれていた。けれどそれは空回りで終わることが多かった。

 妊婦やお年寄り、そして見知らぬ人にも優しくできる。困っている人に気づいて真っ先に手を差し伸べられる性格はクインザの長所だ。その分、隙が多くて狡い輩に利用されることもある。

 だからフィオネンティーナはクインザから目が離せなかった。いつだって側にいて守ってあげなければいけないのだと思っていた。

 きっとそれがよくなかったのだろうと、彼の背中を見て反省する。


「ねぇクインザ」


 フィオネンティーナは声色を敢えて優しくした。


「ここは魔術師団と違うよ。一緒がよくても、わたしが先に砦を離れる日がくるかもしれない。今は平和でも、この先いつどうなるかも分からない。その時は砦がどこよりも真っ先に危険に曝される。命を落とすかもしれないの。わたしがいなくなったから、怖いから。そんな理由で勝手はできないの。アゼルキナは国や人を守るために全力で挑んで、時に命をかける場所なのよ。そういうことをちゃんと考えて行動してる?」


 メリヒアンヌ皇女から逃げるのはいい。でもアゼルキナ砦はそんな理由で利用するような場所ではない。

 ましてやただ一緒にいたいからとの理由で我儘を通すべきでもないのだ。

 ここが落ちるようなことがあれば、砦の向こうにいる町の人々が真っ先に標的になることも知っていなければ駄目なのだ。

 フィオネンティーナが諭すようにゆっくり語りかけると、クインザはしばらく悩んでから目隠しを取って、座ったままくるりと振り返った。


「それでも私はフィオの側がいい。私はフィオネンティーナが側にいないとやっていけないんだ」

「クインザ……」   

 

 クインザは紫の目にうっすらと涙を溜めて、小さな子供のように純粋な瞳をフィオネンティーナへと向けていた。

 クインザは心を開いた相手に対する執着が人一倍強い。

 母親は宮廷魔術師としての仕事をしていたので一緒に過ごす時間はほとんどなく、父親も物心つく前に亡くしている。

 寂しさもあるし、もともとの性格もあるのだろう。フィオネンティーナの最初の記憶から、クインザはフィオネンティーナに引っ付いて離れなかった。

 小さなフィオネンティーナの手をいつも握り締めて、どこにでも連れて行ってくれた。フィオネンティーナが離れようとすると泣きそうになって手を握ってくるのだ。

 傍目からみると年下の女の子を甲斐甲斐しく世話をする少年だったが、クインザ自身がフィオネンティーナに執着することで心の寂しさを埋めていたようなものだ。一人きりになるのが怖かったに違いない。魔術師は少ないので同年代も二人きり。フィオネンティーナの母親も魔術師団に所属していたので、二人は魔術師団長に子守りされて成長したのだ。


「いい大人が何いってるのよ」


 過去を思い出して感傷的になる。けれど甘えさせるのはよくない。


「すまない」


 それなのに俯いてしまったクインザをつい抱きしめてやりたくなってしまう。しかし残念ながらフィオネンティーナは裸だった。

 試しに「一緒に入る?」と招いたが、「混浴はよくない」と言われてしまう。それならどうして同室を望むのかと突っ込んでやりたくなったが、ここで涙を零されても厄介なので止めておいた。


 *


 就寝時。なんの躊躇もなく寝台に侵入してくるクインザを蹴落として、ガレットから借りた寝袋を押しつけ怖い顔で見下ろす。


「約束が違うではないか!?」

「馬鹿なの?」

「ばっ……馬鹿なのだって!?」


 同じ布団で誰が眠るかと白い目を向けると、クインザはむっとしてそっぽを向いた。


「同室になるのは承知したけど、同じ寝台に転がる約束をした覚えはないわ。まさかクインザが寝台でわたしを床で眠らせるつもりでいたわけじゃないでしょうね?」


 非難がましく睨み付ければ、クインザは開きかけた口を閉じて寝袋を取り、最後に恨みがましく捨て台詞を吐いた。

 

「私に抱きついて眠っていたのはどこの誰だ」

「そんなの十になる前の話でしょ!」


 抗議してもクインザは寝袋を広げ潜り込んでだんまりを決め込む。

 なんなのだ。面倒臭いなと、フィオネンティーナは明かりを消して自分も寝台に潜り込んだ。


「おやすみ」


 拗ねたクインザから返事はないが、久し振りに就寝の挨拶を口にしたなぁと、心の内に僅かなぬくもりを感じながら眠りにつく。

 やがてフィオネンティーナから穏やかな寝息が漏れると、クインザは暗闇の中で紫の目を開いてゆっくりと起き上がった。


 フィオネンティーナの眠る寝台ににじり寄ってそっと様子を伺う。無防備な寝姿に魔術で罠を張った様子はない。

 慎重なフィオネンティーナのことだから、いつもはそうしているだろうに。なのにクインザが側にいることで安心して警戒心を解いているのだ。頼りにしてくれているのだと悟り、久し振りに会った幼馴染のつれない態度に沈んでいた気持ちも一気に浮上した。


 魔術師の仕事は退屈でも、フィオネンティーナと一緒にいられるだけで満たされ、充実した生活だった。

 それが容姿が災いしてメリヒアンヌ皇女の興味を引いてしまい、皇女の取り巻きに引きいれられそうになったのだ。それもフィオネンティーナの助けで無くなって安心したのも束の間。

 皇女を拒絶した罰の矛先がフィオネンティーナへと向けられ、その結末はクインザを苦しめた。

 フィオネンティーナと引き離されるくらいなら、皇女の取り巻きに加えられる方がましだった。だがフィオネンティーナは権力に屈する気はないとそれを許さず、自らアゼルキナ砦へと飛び込んで行ったのだ。

 すべての責任はクインザにあるのに、皇女の不興を買い罰を受けたフィオネンティーナは呆気なくクインザの傍らから姿を消した。

 

 兄妹のように育っても幼馴染でも、いつかは別れの日がくるかもしれない。その日までは何があってもフィオネンティーナの側にいようと心に決めていたのに。

 ついにその日がきたのだと思おうとしても理不尽だという思いは消えず、皇女が夜這いを仕掛けてきたのをいいことに、そのまま王都から逃げ出してフィオネンティーナを追いかけてきたのだ。


「すまないフィオネンティーナ。私がこの世で興味があるのは君だけなんだ」


 クインザは闇よりも深い漆黒の髪を優しく撫でつける。

 

「おやすみ、私のフィオネンティーナ」


 クインザはフィオネンティーナの額に唇を落として切な気にと息を吐く。そうしてしばらくフィオネンティーナの寝顔を堪能してから、部屋の周囲に張りめぐらせた結界と幻影の術を強化した。


 翌朝、その結界と幻影に嵌ってしまい、惑わされて抜け出せなくなった者たちが目撃される。彼らは宿舎の周りを一晩中、ひたすらうろついていたが、誰一人としてフィオネンティーナの部屋に行き着けた者はいなかった。

 




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