幼馴染襲来
「私のフィオネンティーナ、会いたかったよ!」
「二度とその手に乗るかっ!」
後ろから襲いくる敵に向かって、フィオネンティーナは俊敏な動きで振り返り様に右足を高く繰り出した。
ジャフロに教えてもらった回し蹴り。躱されるのを想定して次なる攻撃を準備していたのだが……予想に反してフィオネンティーナの回し蹴りは見事相手の脇腹にのめり込んだ。
「ぐえっ」と蛙が潰れたような声を出して蹲った相手に、「あれ?」とフィオネンティーナは首を傾げた。
蹲る彼の髪は、三日前に砦を出て行ったセイの濃いめの金髪とは異なる淡い金髪。脇腹を押さえるその人が纏うのは、自分と同じ宮廷魔術師の証である黒い制服ではないか。……今は土色の隊服だが、同じ制服を持っている。
「私のフィオネンティーナが……ちょっと目を離した隙にこんな乱暴者になってしまうなんて……」
涙を浮かべ上目使いで訴えるその人に、フィオネンティーナは驚きのあまり漆黒の目を見開いた。
「えっ、ええっ!? ななななんっ、うぇえぇぇ!?」
「ああ、なんてことだ。辺境の地に送られて言葉まで失ってしまったなんて。やはり私の選択は間違いだったのだ」
声の主はフィオネンティーナの手を取って立たせると、ごく自然に両腕を伸ばして懐にしまい込む。
……ぎゅっと抱きしめてよしよしと頭をなでなで。
唖然としてされるがままのフィオネンティーナは、彼の胸の中で懐かしい匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「ごめんねフィオ。逃げてばかりではなく、やはりきちんとメリヒアンヌ皇女に掛け合うよ」
「ここまで来てなにボケてんのよっ!」
「痛っ!」
フィオネンティーナは拳を振り上げると、突然現れた幼馴染の頭をゴンと殴りつけた。
「びっくりして言葉が出なかっただけよ。ってか、なんでクインザがここにいるの。まさかあなたまでアゼルキナに左遷されたんじゃないでしょうね!?」
あの皇女に限ってそれはないと思われるが、幼馴染が突然こんな場所に現れた意味が全く分からない。
「できればそうなりたいけど残念ながら違う。今回は魔術師団長のお使いでここまで来たんだ」
「師団長のお使い?」
「うん、そう」
クインザは頷くと誇らしげに懐から一通の手紙を取り出した。
「これ、師団長から。フィオネンティーナは元気にやってるだろうかってお手紙。こちらの司令官殿に」
「その手紙……まさかクインザが師団長に書かせたんじゃないでしょうね!? いいえ、絶対そうだわ。クインザあなた皇女の攻撃を躱せなくて、尻尾を巻いて逃げてきたなんてことないわよね!?」
元気にやっているかなんて呑気な手紙を、アゼルキナ砦の司令官に魔術師団長が書くはずがない。
けれどそれが現実に今こうしてここにあるということは、クインザが自分勝手な都合で忙しい師団長に書かせたに違いないのだ。
フィオネンティーナが、全魔術師団員が憧れ敬愛する師団長はたいへんな御高齢だ。移動も車椅子。フィオネンティーナたち魔術師を大切に愛してくれる慈愛の塊のようなあの方に、この幼馴染はいったい何をさせているのか。
フィオネンティーナはクインザの胸倉を掴んで怒りをむき出しにした。
「待った待った。ごめんフィオ、落ち着いて!」
「わたしが落ち着いてられる要素がある?」
「確かにそうだね。けれどもどうか聞いてくれ! メリヒアンヌ皇女が深夜に宿舎にまで忍び込んできて、私は貞操の危機に晒されたんだ。仕方がないだろう!」
「綺麗な成りしてても男でしょ。皇女に夜這いかけられたからって逃げてくるなんて情けないっ!」
長年兄妹のように誰よりも近くで育ったのだ。突然現れたクインザの思惑が手に取るように分かってしまい、フィオネンティーナは怒りに震えた。
会いたかったと浮かれて背後から駆け寄ったのも、フィオネンティーナが短い時間に様変わりしたと心配しているのも彼の本当の気持ちだ。
けれどクインザがアゼルキナに来るに至った根幹は、押しの強いメリヒアンヌ皇女から自分を守るため。自分ではなんの解決策も見つけられずに、魔術師団長に泣きついて逃げてきたに違いなかった。
アゼルキナ行きになったフィオネンティーナは男社会で嫌な目に遭いながらも、頑張って居場所を見つけようと戦っている。対するクインザは、フィオネンティーナのいなくなった王宮でどれだけの努力をしたのか。
今の状況からして逃げ回るだけだったに違いない。結局はそれさえも放棄して、魔法師団長になきついてアゼルキナに来る理由を作り、フィオネンティーナの懐へと飛び込んできたのだ。
恐らくこの先はアゼルキナの司令官を説得して、フィオネンティーナと一緒にアゼルキナの住人になろうと考えているだろう。手紙を届ける任務を後回しにしてフィオネンティーナの前に現れたのも、一緒に司令官を説得してもらおうと目論んでいるに決まっている。
「クインザの考えなんてお見通しよ!」
「ごっ、ごめんフィオっ。それでも私には君が必要なんだっ!」
感動の再会もあったものではない。
フィオネンティーナは怒りのあまり顔を真っ赤にして目を吊り上げ、クインザの頭をボカボカと殴りつける。クインザは深く澄んだ美しい紫の瞳からぽろぽろと涙を流して「ごめん」と謝り続けた。
そしてそんな二人の様子を唖然と見守る周囲の面々が。
昼食前の鍛練場にはフィオネンティーナが席を置く第六隊と、隊長不在の第一隊が合同訓練に励んでいて。突然始まった騒ぎに何事かと彼らが視線を向ければ、フィオネンティーナが男に抱きつかれていた。
その様を目撃したガレットが真っ先に飛び出したが、フィオネンティーナに抱き付く男の姿を目にした途端、ピシリと固まり動きを止める。
しかもそれはガレットだけではない。
この場にいる全員がその光景に……フィオネンティーナを抱きしめる男に釘付けになって動きを止めて息を呑んだ。
淡い金の髪に、遠目にも引き付けられる紫の瞳。白い肌に漆黒の衣を纏う男からは、宝石を細かく砕いて散りばめたかに神々しい光が溢れていた。
フィオネンティーナの声に意識を向けた者たちも、その光景を一目見た瞬間からフィオネンティーナの姿なんて目に入らない。
美し過ぎる男の周りは光に霞んでいて、中心に在る神々しいまでの存在から目が離せなくなり言葉までもが失われた。
そこへ通りかかった男が一人。
砦の責任者たるカイル・オーランドだ。
その光景に気付いた彼は、まばゆい光に包まれた鍛錬場を目を眇めて観察する。
驚くことに彼は天使の如き男に惑わされず、この状況に冷静な判断を下していた。
また厄介なのが現れやがった……と。
巻き込まれるなんてまっぴら御免だ。
カイルは踵を返しすと「飯食うか」と言いながら、何も見なかったとばかりにその場を後にしたのだった。
※
「司令官殿、大変申し訳ありません」
フィオネンティーナはクインザからぶん取った魔術師団長からの手紙を、ふんぞり返って椅子に座っているカイルに渡し、取り合えず様々な迷惑をかけるであろう幼馴染について詫びを入れる。手紙を受け取ったカイルはその場で封を切って中身を改めると、フィオネンティーナが読めるように向きを変えて机に置いた。
読めとの意味を受け取り、一歩前に出て目を通す。
手紙には突然アゼルキナに派遣されたフィオネンティーナを案じる内容が短くしたためられ、最後に手紙の使者となった者が迷惑をかけるだろうが「よしなに」と書かれていた。短い内容だ。すぐに読み終えて顔を上げると、頬杖をついたカイルが黙ってフィオネンティーナを見上げていた。
「出来るだけ早く帰らせますので――」
いつもの威勢はどこへやら。すっかり意気消沈しているフィオネンティーナはがっくりと肩を落としている。そんな彼女にカイルは頬杖をついたままで静かに頷いた。
「リシェット、お前の判断は正しい。俺に会わせる必要はないぞ」
本来なら使者であるクインザが持参し、カイルに直接渡すべき魔術師団長からの手紙。だがここにクインザはいない。
面会した瞬間から面倒臭い問題に巻き込まれると予感していたであろうカイルは、「そいつが何を言おうとも俺に会わせる必要はない」と二重に釘を刺す。
俺を面倒に巻き込むな、勝手にやってくれと態度でも語るカイルに、フィオネンティーナは「承知しています」と項垂れる。クインザを連れてこなかったのはやはり正しかったようだ。
「で、とんでもない形をした奴は今どこで何をしているんだ? あんな奴が砦を自由に歩き回っているのかと思うと恐ろしいんだが」
「取り合えずわたしの部屋に閉じ込めています」
「お前は異質過ぎたのが幸いして心配も取り越し苦労だったが、あの男は駄目だ」
「承知しています」
「あんな形をしているくせに男である時点で、どんなに滅茶苦茶な戦闘能力を持っていようと失格だ。その手の野郎に食われるだけならいいが、そうでない奴らまでが惑わせられる。ある意味破壊兵器だ」
「うまいこと言いますね」
「関わったらとんでもない事態に陥る。危険な予感しかしない」
「……そこまでではないのでは?」
「一人で外に出すのが危険だと認識しているくせに何を言うか」
確かにその通りだ。都で気ままにやっていた頃はそうではなかったのに、久しぶりに会ったクインザはフィオネンティーナに会えた喜びのせいなのか……恐ろしいほど輝いていた。怒りが勝って普通に接することができたが、落ち着いた気持ちで再会していたら生まれた時から見慣れているフィオネンティーナですら見惚れたであろう輝きを放っていた。
「今日中に追い返せないなら宿泊場所はガレットにでも聞いてくれ。あとは任せる、以上だ」
「了解しました」
「それでは失礼します」とフィオネンティーナは司令官室を後にする。
せっかくセイがいなくなって(いつ戻ってくるんだろう?)穏やかに過ごせていたのに。女のフィオネンティーナよりも来るべきではない幼馴染がアゼルキナに来てしまった。どうしてくれようかと考えながらも対処法が浮かばない。フィオネンティーナは悲嘆に暮れた。
実際に会いにきてくれたのは素直に嬉しいのだ。何しろ十八年間、片時も離れず一緒にいたのだから当たり前である。フィオネンティーナにとってクインザは何よりも大切な存在だ。家族同然。兄と妹であり、姉と弟でもある。また十代半ばになる前に別れて暮らすようになった両親よりも絆は深かった。
けれど家族同然だからといって、いつまでも一緒にいられないのも分かっている。
常に側にいて庇い、守ってやるには限界がある。家族だからこそ、いつかは別々の人生を歩む日がくるのだ。二人にとってフィオネンティーナのアゼルキナ異動は転機であり、自立の一歩でもあった。
それなのにクインザはフィオネンティーナの覚悟も何もかもを簡単に反故にしてしまおうとするのだ。
心のまま素直に行動する幼馴染は、怒りはしても拒絶できないフィオネンティーナを誰よりもよく理解していた。
「どんなに飲んでも二日酔いなんてしないのに、こんな時にだけ当たり前のように痛くなるのよね」
つきつきと痛み出した頭に手を当てる。
遠く離れた辺境の地までやってきた早々に追い返そうとしても駄々をこねて煩いだけだ。ガレットに聞いて部屋を用意してやらなくてはいけないだろう。成人しても子供みたいなことばかりする幼馴染にはいつだって頭を悩まされるが、本気で嫌じゃないのはフィオネンティーナも幼馴染離れができていない証拠だった。




