勝負
隣室のガレットの問題は片付いた。残るは向かい部屋の司令官カイルだ。
ガレットの問題発言があったので、同じ失敗をしないためにそれとなく探りを入れることにしたフィオネンティーナネンティーナは司令官室を訪問した。
扉を叩くと「何だっ!」と殺気を孕んだ声が返ってきた。
なにか重要なことでもしているのだろうか?
入っていいのか分からず思わず躊躇する。とりあえず「リシェットです」と扉に向かって告げると、「なんだお前か、入れ」といった感じで声が和らいだ。
何かに殺気立っていたようだが、八つ当たりされるような感じではない。
それでも「失礼しまぁす」と恐る恐る扉を開いた。そっと中の様子を窺うと、机の上には書類が山積みになっている。その書類に埋もれるようにしてカイルがペンを握っていた。
茶色の目の下にはクマが色濃く刻まれ、どことなくやつれているようだ。
そう言えばこの何日かカイルと顔を合わせなかったなと思い至る。彼をやつれさせた原因が机に積まれた書類であると察したフィオネンティーナは、一気に嫌な予感に包まれる。
フィオネンティーナの配属書をろくに確認もせず捨ててしまうような男だ。普段から仕事をさぼっているに違いない。そしてこの積もり積もった書類の山はその結果だろう。カイルがペンを握ったのを今初めて見たほどだから絶対にそうだ。
「忙しそうなので改めて伺わせていただきます」
ここは早々に去るべきと判断して、半開きの扉を閉めようとしたのだが……。
「待て。せっかく来たんだ、そう言わずに入ってこい」
「司令官殿の貴重なお時間を頂戴するわけにはいきません」
「つべこべ言わずに扉を閉めろ」
「――はぁ……了解しました」
溜息を吐きつつ、嫌々ながらも後ろ手に扉を閉める。
「別にとって食いやしねぇよ」
カイルがペンを放り投げて伸びをすると、骨がぽきぽきと音を立てる。
「随分とお疲れのようですね。補佐官はいらっしゃらないのですか?」
そう言えば初めて司令官室を訪れた時もカイル一人だった。砦のトップならそれを補佐する者がいて当然なのに。
「あいつは帰省中だ」
「それでこんな状態に?」
「賭けで負けたからしょうがない」
どうやら補佐官と賭けをして休暇をもぎ取られたらしい。
食事もここで済ませているのか、片付けられていない食器が応接台に置かれたままになっている。
「今夜中に終わらせなければなないものばかりだ」
「こんなに……大変ですね」
「他人事だな」
「そりゃ他人事ですもの」
山となった書類はフィオネンティーナのせいではない、カイルがやるべき仕事を怠った結果だ。今の会話からフィオネンティーナが知りたかった情報は得られた。となるとここに用はない。
早々に立ち去ろうとしたら書類の束が投げつけられる。フィオネンティーナは条件反射でそれを受け取ってしまってからはっとした。
「冗談じゃありませんよっ!」
「冗談じゃないって。俺とお前の仲じゃないか」
「どんな仲ですか、知りませんよっ!」
絶対に嫌だと書類の束を付き返そうとした。するとカイルはフィオネンティーナの持つ書類に更なる束を重ねる。
「司令官殿っ!!」
フィオネンティーナは怒りの形相で詰め寄る。
なんで関係のない自分が手伝わなくてはいけないのか。そもそも平の自分に司令官の仕事が手伝えるわけがない。重要書類だって混じっているだろう。機密事項がばれたらとんでもないことになるし、何かに巻き込まれたくないフィオネンティーナはいらぬことまで知りたいとは思わない。
するとカイルは思惑ありげに口角を上げた。
「明後日、臨時で荷馬車をだす。それに同乗する許可を出してやってもいいぞ?」
「喜んでお手伝いさせていただきます」
「それならそうと最初におっしゃってください」と、フィオネンティーナは満面の笑みで書類を胸に抱えた。
相応の対価が支払われるのならなんの文句もない。鼻歌でも飛び出しそうなフィオネンティーナの様子に、目の下に深いクマを刻んだカイルは、もういくつか束を追加しても大丈夫そうだなと、疲れた右腕を回しながら考えていた。
*
夜も深まり、いつもなら夢に沈む時間。フィオネンティーナは司令官室の扉を閉めると腕を挙げて大きく伸びをし、肺に新鮮な空気を送り込んだ。
カイルに押し付けられた仕事は書類に記された誤字脱字の訂正。その後に追加されたのは計算の間違いがないかの簡単な作業ばかりで、大きな機密にかかわるようなことはなく、ご機嫌でやり終えることができた。
カイルはまだまだ仕事を抱えていたが、それも夜明けまでにはなんとかなりそうな程度にまで片付いている。
事務作業に憔悴したカイルから「助かった」と礼を言われたので、フィオネンティーナは放置されたままになっていた食器を食堂に下げてやることにする。
明後日には町にいける。お風呂に入って全身を綺麗さっぱり洗い流せるのだ。そう思うだけで心が軽い。きっと明朝寝不足でも明日はすっきり目覚められるだろう。
ウキウキで食堂に入ると薄暗い中に二つの影があった。
黒髪と淡い金髪の二人組。誰なのか分かった途端に気分が沈んだ。
黒髪はハイド・ギア。フィオネンティーナの幼馴染を思い出させる淡い金髪はタース・シャウローゼ。
両者ともセイの悪行を目の当たりにしながらフィオネンティーナを見捨てた男だ。最後まで待つことなく赤インクを投げつけたハイドは庇ってくれたと言えなくもないが、だったらもっと早くそうして欲しかったものだ。
二人とも個人的な訓練に励んでいたのか、剣をテーブルに立てかけて汚れたまま軽食を口に運んでいた。意外に熱心なようだ。明日もあるのにこんな時間まで訓練しているなんて、ある意味尊敬する。
フィオネンティーナに気付いた二人は手を止めた。黒髪のハイドは小さく頭を下げたが、淡い金髪のタースは後ろめたさからか視線を反らした。
彼らと仲良くやって行こうと思っていないフィオネンティーナは二人を無視して食器を下げ台に置く。そうして踵を返したところで何かにぶつかり、思いっきり顔をぶつけてしまった。
「ごめんなさい!」
そこにあったのは壁ではなく人だ。ここの住人は気配を消して歩くことが多いので気をつけていたのにぶつかってしまった。後ろに立たないで欲しいと心の中で文句を言いつつも、実力のない自分が悪いのも事実。フィオネンティーナは素直に謝罪すると、鼻を押さえてぶつかった相手を見上げた。
「こんな時間まで飲み明かしていたのか?」
呆れたような嘲笑うような、どっちつかずの声色が落とされる。真っ青な瞳は後者だと物語っているようだったが。
「あなたこそこんな時間までお楽しみで?」
部下は訓練に励んでいたのにーーとの嫌味を込めてハイドとタースを視線で示す。すると視線を遮るようにしてセイは体を屈めてフィオネンティーナを覗き込んだ。
「もしかしてやきもち?」
「頭が沸いているようですね、お可哀そうに」
「面白いこと言うね!」
セイは楽しそうに喉の奥でくくっと笑う。
余裕のなさからして負けていると実感した。口がへの字に曲がるのを押しとどめ、むっとしたが顔に出さないように必死で堪える。ゆっくりと息を吐き出して落ち着けと自身の心をなだめた。
「そんなことより一杯付き合え」
セイは両手に酒瓶を持っていた。それをフィオネンティーナの目の前に掲げて見せる。
なるほど。それを持っていたからぶつかっても触れられずにすんだのか。納得するも、こんな奴と一緒に飲めるかと首を横に振った。
「あなたと飲んだら悪酔いするに決まっているので遠慮します」
「つれないなぁ」
「部屋に戻ってさきほどの女性と楽しく飲まれてはいかがですか」
何も自分を嫌っている相手を誘わなくてもいいだろうに。
フィオネンティーナは相手にするのを止めてセイの横を通り過ぎようとしたが、「この前はあの樽半分開けたそうじゃないか」と言いながら進路を妨害される。
セイが食堂の隅に置かれた樽を視線で示し、フィオネンティーナは釣られてついそれを見てしまった。
フィオネンティーナが皆にと持参した土産の酒樽は、この前の飲み会で半分にまで減ってしまったらしい。随分飲んだなと、先日の出来事を思い出した。
「どうぞ遠慮なく、お好きなだけ飲んでください」
「俺と飲み比べないか?」
フィオネンティーナは無言で冷たい視線を向けた。セイを避けて歩き出そうとすると、セイは余裕の笑みを浮かべて「俺に勝ったらなんでも言うことを聞いてやる」と宣う。
その言葉にフィオネンティーナは歩みを止めてセイを見上げた。
「あなたに求めるのは心からの謝罪と反省です」
上辺だけの謝罪なんていらない。どうせなんとも思っていないのだろうから謝罪や反省を求めても無駄だろう。
「流石の酒豪も俺が相手だと自信がない?」
「わたしが勝ったらなんでも聞いてくださるのですね。本当に反省できるの?」
挑発だと分かっていた。容易く乗ってしまうのは悪い癖だ。そうだとしても止まらなかった。セイは「心から謝罪して反省するよ」と不敵な笑みを浮かべたまま頷く。そんな態度に絶対に無理だなと悟った。
「ではあなたが勝ったら?」
「俺の隊に異動ってのはどう?」
冗談じゃない。やっとガレット率いる六隊に馴染んできたのに、誰よりも嫌いな男が隊長を務める一隊に異動なんてまっぴらごめんだ。フィオネンティーナは心底嫌で顔を顰める。
「自信がないなら止めてもいいが?」
「負ける気はしませんので乗らせていただきます」
堂々と胸を張って答えると「リシェット!」と慌てたような声がかかる。成り行きを見守っていたタースがわざわざ走り寄って来て「止めておけ」と忠告してきた。
「お前は知らないだろうが隊長は底なしだ」
「タース、いらんこと言うな」
「しかしっ。隊長も明日は早朝から砦を出られる予定では?」
なんとしても止めたいらしいタースをセイは咎めるでもなく、笑いながら「俺は問題ない」と言って席に着く。手にした酒瓶を音を立ててテーブルに置いた。
「乗るか?」
弱小の北国カレリアをキグナスの侵攻から守った英雄。剣も体術も砦では一番だというからには、なんでもそつなくこなしてしまう嫌味な奴なのだろう。
皇弟とかいう厄介な身分を持ち合わせているうえに、女に不自由しない生活を送っている。それに加えて酒豪だと? ふざけるな! なにか一つくらいこいつに勝って鼻っ柱をへし折ってやる! ……と、フィオネンティーナは燃えた。
酒には自信がある。何があっても絶対に負けるもんかと、フィオネンティーナはセイから一席空けた椅子を引いて勢い良く座り込んだ。
「タース、杯を持ってこい」
「しかし隊長――」
「持ってこい」
命令されたタースは不本意といった感じで杯を取りに行く。その間フィオネンティーナはセイを睨み付けていた。そしてセイは余裕の笑みを浮かべてフィオネンティーナを観察している。
「で、おまえの望みは?」
やはり心からの謝罪は望めないらしい。そもそも人に言われての謝罪に心がこもっているなんて思えない。どっちにしても言わせて終わるだけだ。
フィオネンティーナはセイから視線を放さずに、タースが持ってきた杯を受け取った。杯を渡しながら「止めた方がいい」と再度タースに耳打ちされたが今更引けるわけがないので無視した。
「最高級のマルム酒。樽でお願いします」
フィオネンティーナの要求にセイの目が一瞬見開かれる。
「マルム酒ときたか。しかも樽ごととは入手困難だぞ」
金額の問題はどうでもいいらしい。さすがは「殿下」だと腹立たしく思う。
「もう一つのお名前をお使いになればなんとかなるんじゃありません? ねぇ――」
アレクセイ殿下……と、声に出さず口だけ動かすと、セイは真顔になり青い瞳をすっと細めた。
「いいだろう。勝てばなんの問題もない」
口元は弧を描いたが目は全く笑っていない。よほど知られたくないのか、単に嫌なだけなのか。この秘密はフィオネンティーナにとってかなり有利に働いてくれるようだ。明かしてくれた騎士団長には心の中で盛大に感謝を述べる。
セイが瓶を開けて互いの杯になみなみと酒を注ぎ、まずは自分から一気に飲み干した。後を追って飲み干すと、喉が焼けるように熱くなる。
「随分と辛口がお好みなようですね」
しかも相当強い酒だ。顔を顰めたフィオネンティーナにセイは「止めておくか?」と挑発する。
「それはこちらの台詞です。ちょっとあなた、あの樽こっちに持ってきておいてよ」
フィオネンティーナは次の酒をセイに催促しながら、傍らに立ちつくしていたタースを顎で使った。そう言えばもう一人はどうしたんだろうと、新たに注がれた杯に口付けながらきょろきょろ見渡すと、入口に新たな人影が現れた。
「二人とも止めないか。リシェット、セイの挑発に乗るな!」
ガレットのお出ましだ。
タースとお揃いだったもう一人……ハイドは、ご丁寧にガレットを呼びに行っていたらしい。
まぁそうだろう。セイを止めるとなると隊長以上の役職でないと務まらないのだからそれは正しい判断だ。だがフィオネンティーナはガレットに言われても勝負を捨てるつもりは全くなかった。
「司令官の手伝いをしていると思っていたら……こんな所で何をやっている。セイもいいかげんにしてくれ」
「リシェットは引き揚げさせてもらうぞ」と、ガレットはフィオネンティーナの腕を一方的に引いた。
「俺は別にいいけどさぁ」
「これにかこつけて逃げる気ですか?」
フィオネンティーナはガレットに腕を掴まれたまま、「最高級マルム酒はわたしのものです!」と宣言して杯片手に椅子の上に立ちあがった。
「ガレット隊長、邪魔しないでください」
フィオネンティーナは杯を煽ると、ガレットの後頭部を掴んで素早く引き寄せる。そうして唇を重ねると、間髪入れずに口の中の酒を一気にガレットの口内に流し込んだ。
びっくり仰天し、目を見開いて動けないガレットの喉がごくりと鳴った。
「なっ……何をするっ!」
驚いたのはガレットだ。
真っ赤になってフィオネンティーナを突き飛ばし、大きな手のひらで口を押さえた。
突き飛ばされたフィオネンティーナはテーブルの上に尻餅を付いて勢いよく一回転……しそうになったところをタースが腕を引いてくれたのでなんとか持ちこたえ、行儀悪くテーブルに座る形で落ち着いた。
「痛たた……って、ガレット隊長っ!」
ふっと意識を失ったガレットがフィオネンティーナ目掛けて倒れこんでくる。そんな巨体で乗り掛かられてはたまらないとフィオネンティーナは慌てるが、寸でのところでタースとハイドがガレットを引き止め床に寝かせた。
「完全に眠っていますね」
ハイドがガレットの頬を叩くが全く反応がない。
「やるじゃないか」
成り行きを見守っていたセイは面白そうに頬杖を突いて、テーブルに座るフィオネンティーナを見上げた。
「これで邪魔者はいなくなりました」
さぁ続きをしましょうと、フィオネンティーナは杯に残っていた酒を煽った。




