浮つく砦
砦の様子がなんだか違う。
なんとなく浮ついているようだとフィオネンティーナは感じていた。
歓迎会と称した飲み会から数日が過ぎた。杯を交わし撃沈していった男たちは翌日からフィオネンティーナに対して気易くなった。赴任当初は様子を窺って近寄らなかった隊員も、酒を飲み交わした翌日には二日酔いで辛そうにしながらも片手をあげて「おはよう」と挨拶してくれたのだ。
そんな彼らの様子がおかしい。
訓練はただこなすのではなく楽しそうに励んでいる。けれどフィオネンティーナと目があった途端に視線を反らして挙動不審に陥るのだ。
彼らよりもかなりはやく離脱して、一人寂しく魔術集中訓練に明け暮れていたフィオネンティーナがは、走り込みを終えて大量の汗を滴らせるサイラスに忍び寄った。
「わたし何かしたかしら?」
「急になんだよ?」
忍び足で近づいたのに少しも驚かれることなく聞き返される。気配を消せる彼らにちっとも追い付けていないことにこっそり沈んだ。
「皆じゃないけど、ほとんどの人がわたしを避けてるみたい」
サイラスが汗を拭いながら辺りを見回す。すると二人を見ていた隊員がそれとなく視線を逸らした。避けられる心当たりがないだけに不満が顔に出そうになる。サイラスは「ああ……」となにやらごまかすかに頭をかいた。
「別にリシェットのせいじゃない。向こうが勝手に後ろめたがってるだけだよ」
「何に後ろめたく思ってるの?」
彼らが後ろめたく思うようなことをされただろうか?
眉間を寄せて考えるフィオネンティーナに、「ったく……なんで俺が」と毒づきながらサイラスが歩き出したので、フィオネンティーナは慌てて後を追った。
「え、何? 言えないようなこと?」
「今日は町から娼婦が来るんだよ」
「えっ!?」
サイラスがぶっきらぼうに答え、息を呑んだフィオネンティーナは後ろを振り返った。そんなフィオネンティーナを置き去りにしてサイラスは水浴びに向かって行った。
「はぁ、なるほど」
これからのことにウキウキしながらも、フィオネンティーナを見て後ろめたさを感じてしまうのか。
理解したフィオネンティーナは「なるほどね」と一人で納得して頷く。彼らはお金で女性を買う行為を、同じ女性であるフィオネンティーナに軽蔑されたくないのだろう。
「だって仲間だものね」
仲間と思ってくれているから後ろめたいと思っているのだろうと、フィオネンティーナは彼らの後ろめたさを友好的に捉えていた。
そもそも娼婦は職業として認められている。軍が利用するくらいだから国の許可を得て運営されている組織からの派遣だろう。何しろここは男ばかりの集団だ。個人差はあるにしろ、それが彼らに必要であることをフィオネンティーナは知っている。
「がたいがよくて化け物みたいに動けるのに、六隊は意外に繊細な人が多いのかな? となると、わたしは部屋に篭ってた方がいいのかな?」
娼婦が到着したら気を遣うべきだろう。
しかし部屋に篭るとなると寝るか飲むかしかない。他に行ける場所はないだろうかと考えるが、特に思い当たる場所もなかった。
それよりも娼婦が来るならそのようなことを致すのだろう。そうなると部屋に篭るのが一番いけないのではないだろうか。
特に隣の部屋のガレットや、向かい部屋であるカイルは穏やかではないだろう。フィオネンティーナの頭の中では二人が娼婦を部屋へ引き込むと確定していた。
知識はあれどそういった経験のないフィオネンティーナは恥ずかしがるどころか、彼らのためになるようにするにはどうしたらいいだろうと考えあぐねる。けれども何も浮かばない。
ずっと考えていたが浮かばないまま一日が終わってしまった。
いつものようにガレットの隣で夕食を口に運んでいたフィオネンティーナは、どうしたものかと溜息を零した。
そんなフィオネンティーナを心配してガレットが声をかける。
「昼前から元気がなくなったな。何か困りごとでもあるのか?」
砦の連中が何かしでかしたかと心配そうに眉を顰めるガレットに、フィオネンティーナはどう返事をしていいのか分からず苦笑いを浮かべた。
「困りごとといいますか……この後、自室以外で一人になれる場所ってあるのかなぁと思いまして」
「それなら――」
言いかけたガレットだったが口を噤んだ。
森に囲まれた砦は辺鄙なところだが、一人になりたいのならいくらでもその場所は存在した。だが同時に、そこはいつ誰が来るやもしれない危険な場所にもなり得る。そんな場所にフィオネンティーナが一人でいたとして。男と鉢合わせでもしたらどうなるか。
恐ろしい考えが過ったガレットは左右に頭を振り、そんな彼の様子にフィオネンティーナは首を傾げた。
「リシェットは一人で行動しない方がいい」
真剣な眼差しを向けられて、いったいどこの子供に諭しているんだとフィオネンティーナは頬を引き攣らせる。
「いま言いかけましたよね。意地悪しないで教えてください」
「意地悪ではない。特に今日は浮ついている者が多いから気をつけた方がいいんだ」
静かに諭しながらも拳を握り締めるガレットの様子に、フィオネンティーナは苦笑いを浮かべるばかりだ。気を遣ってもらっているのは嫌なほど分かる。分かるのだが――。
「ガレット隊長はその……ご所望されないのですか?」
「何をだ?」
鋭かった灰色の眼差しが緩んで僅かに首が傾けられた。
「娼婦を」
ガタンっ――と、ガレットは椅子を引っ繰り返して立ち上がり、フィオネンティーナに怒りの表情を向けた。流石のフィオネンティーナも何事かと驚き、同時に周囲の視線が二人に集まる。
「お前がいるのに俺が女を買うわけがないだろう!」
両の拳を握り締めたガレットに怒鳴りつけられたフィオネンティーナは、一瞬何事かと唖然として。それから今の言葉を一つ一つ頭の中で冷静に、ゆっくりと繰り返すと「ん?」と首を傾げた。
「お前が隣の部屋にいるせいで女を買えない……の間違いでは?」
そう問いかけたフィオネンティーナを見下ろすガレットの眉が盛大に歪むが、返事はない。
「たった今ガレット隊長が叫ばれたお言葉だと、まるで隊長がわたしに好意を寄せているように聞こえてしまいます。聞きようによっては、隊長とわたしができているようにも取れますよ?」
冷静に告げるフィオネンティーナに、ガレットは「俺はなんと口走った?」と、たった今自分が叫んだ言葉がなんであったのか問う。
「”お前がいるのに俺が女を買うわけがないだろう”と仰いました」
教えてやれば「お前がいるのにお前がいるのに……」と、ガレットは幾度となく同じ言葉を繰り返す。
「なるほど。確かにそうだな、失礼した。たがそんなことを気にして一人になりたいとか言っていたのか?」
「そうですが?」
「ならばいらぬ心配だ。俺は娼婦は買わない」
「え、そうなんですか?」
フィオネンティーナは瞳を瞬かせて驚いた。
なにしろ隊長職以上は買い出しで町にも行かない。とするといつ用を済ませているのだろう? いらぬ世話だがちょっと気になってしまう。
まぁガレットは独身だし、サイラスのように離れたところに恋人でもいるのかもしれない。
「いらぬ心配でしたね。ご迷惑をおかけ致しますが、大変申しわけありません」
深々と頭を下げると、「ご迷惑?」とガレットはまたもや首を傾げた。
「はい。先ほど隊長が叫んだ言葉でいらぬ誤解が生まれているようですので」
周囲の者たちがひそひそと何やら囁き合っていることにガレットはようやく気付いたようだ。
「ガレット隊長とリシェットってそういう仲なのか?」
「いやに面倒見がいいと思っていたら、やっぱりそうだったんだな」
「けどリシェットには男がいないって聞いたぜ?」
「じゃあガレット隊長の一方的な――」
「最近そういう関係に――」
そう囁やかれる声の中で共通する言葉が「ずるいよな」である。
「いや、俺はっ。お前に対してそんな気持ちはっ」
「だからごめんなさい」
焦るガレットにフィオネンティーナはにっこり笑って対応した。
ガレットにそんな気持ちがなくても、彼の日頃の行動はあまりにも甲斐甲斐しすぎた。そのせいで周囲は納得してしまったのだ。そして最後には、アゼルキナ砦にたった一人だけの女であるフィオネンティーナを独り占めするなんてと、妬みの視線を向けられていた。
フィオネンティーナに対して特別な感情を持っていないと弁解しても、まともに取り合ってくれないだろう。
焦るガレットを他所に、フィオネンティーナは「まぁどうでもいいけどね」と他人事である。
きっかけは自分だったとしても、大声で叫んだのはガレットだ。フィオネンティーナは特になんとも思わずに残った食事を堪能することにした。
ガレットの真意はともかく、彼がお楽しみにならないのなら気遣いする必要はない。
そうなると問題は向かい部屋の司令官だな……と、ぼんやり考えながら食堂を出ようとしたところで。視界に見慣れない影が入り込んで思わず立ち止まって目を見開いた。
見慣れないと言うか……存在が異様なのだ。
濃紺一色に染まる騎士の集団。上着を着てなかったり、隊服のままでいる者も多いが、その集団に異様なモノが紛れ込んでいる。
それは小さくてふわふわとした黒い巻き髪で、唇には赤い紅をさしていた。そして足首まで隠す長いスカート姿の……女性だ。
いるはずのないその性別に見とれていたフィオネンティーナは、「なるほど」と感嘆して両手をぽんと叩く。
「ガレット隊長がわたしを女装癖の男と思い込むわけだわ」
目に映るのはどこからどう見ても女性なのに、食堂の入口に立ったその人が女性だとすぐに気づけなかった。今日は来る日だとサイラスに教えてもらったのに、見慣れた光景に馴染みのない存在が入り込むと錯覚を起こしてしまうのか。
一人で納得していると、黒い巻き髪の女性は食堂を見回し、フィオネンティーナに目を止めてまっすぐに向かって来た。そうしてフィオネンティーナの目の前で立ち止まると腕を組んで、足の先から頭までを値踏みするかのように観察する。
嫌な態度だなと、フィオネンティーナは僅かに眉を顰めた。
「あんた黒髪のくせに、セイに色目なんて使ってないでしょうね」
女性の言葉に、今度は盛大に顔を顰める。
「黒髪だとなんなんですか? あなたの髪も黒いみたいですけど、黒だといけないのですか。そもそもわたしはあのような男に使う色など持ち合わせておりません」
棘のある物言いで返せば、女は「ふんっ」と意地の悪い顔をする。
「セイのよさが分からないなんて可哀想な女ね。まぁこっちにとっては好都合だけど」
「そうですか。わたしには一生理解できませんから、どうぞあなたが十分理解してさしあげてください」
意味が分からないが、目の前の女性はセイに想いを寄せているのだろう。男ばかりの砦に女がいると知って牽制にきたのだろうか。好きにやってくれと笑顔で対応すると、対する女は顔を真っ赤にして手を振り上げた。
「馬鹿にしてるのっ!?」
ああ殴られるのか、どうしよう避けようかなぁ? と悠長に考えていたら、女が振り上た手を誰かが掴んで止めた。
止めたのは二人。ガレットと、いつの間にやら姿を現したセイだ。二人して女の手を掴んでいたが、ガレットは手を離してフィオネンティーナを守るように前に立ちはだかる。
「セイ、あたし!」
「いつも言ってる通りで俺は黒髪の女は抱けないの。別にこいつのせいじゃないからさ、八つ当たりしないでくれる?」
「じゃあこの女があんたのお姫様じゃないんだね!?」
半泣きで声を上げる女にセイは喉を鳴らしてくくっと笑った。
「これが?」
まさかとでも言うように、セイはフィオネンティーナを一瞥して女に視線を戻した。
「前にも言ったけど、俺のお姫様は悪魔の城に幽閉されたままだよ」
「よかった!」
女は心底ほっとしたように安堵の表情を見せる。そこからはもう二人だけの世界だった。
女はセイの腕に絡みついてしな垂れかかり、二人仲良く食堂から出て行った。その間女は蕩けるような瞳ででセイを見上げていて、「今夜もお姫様の代わりに慰めてあげるから」とか何とか言っている。
黒髪は抱けないとか、お姫様だとか……いったいなんだったのだろう。
突っ込みどころ満載だったが、フィオネンティーナは悪寒に襲われぞぞぞと身を震わせた。
「なにがお姫さまよ何が悪魔の城よっ。物語の読み過ぎじゃないのっ!?」
こういっちゃ悪いが、このアゼルキナに男女のあれやこれやは似合わない。兎にも角にもセイには関わらないのが一番だ。
フィオネンティーナは鳥肌を治めようと自分を抱きしめて二の腕を擦った。




