司令官の自画自賛
最近になって砦の様子が変わったと、アゼルキナ砦の責任者たるカイルは感じていた。
男ばかりの砦だ。むさくるしくて当たり前だったのに、近頃はむさくるしい輩が極端に減った。
自主訓練を含めて早朝から夜遅くまで励み、泥と汗だらけになっても、風呂に入らずそのまま寝てしまうやつばかりだったのにどうしたことか。そんな隊員がめっきり少なくなった。最後に見かけたのはいつだったかと思い出せないほどだ。
無精髭を生やして身なりに気を使わない者ばかりだったのに、それがいつの間にか毎晩きちんと風呂に入るようになった。顔を洗って髭を剃り、髪には櫛を通す。騎士としての制服や隊服をだらしなく着崩しているように見えても、衿の折り方や前ボタンの開ける数を気にしている。
それぞれに違いがあるものの、身だしなみを整える者がほぼ全員。
住人同士の馬鹿げた諍いも減って、カイルが揉め事の仲裁に入るのもここ最近は皆無だ。カイルに続いてセイまでもが魔術に殺られたのも大きいのか、寝込みを襲おうとするものはいない。
多くの隊員が彼女を気にして交友を持とうとしているのが分かる。第二隊の隊長などは、かなり遠くからフィオネンティーナをじっと見つめていた。怪しい目つきではないので、面倒事を背負い込むことになっても、珍しい魔術師を自分の隊に欲しいと考えているのかもしれない。
規律ある軍隊として当たり前なのに、できていなかったことが改善された。
その原因は言わずと知れている。フィオネンティーナだ。
女の存在が波乱を呼ぶと心配していたが、思ったのとは別の方向で良好に働いているようで、カイルはたいへん満足である。
さて、カイルが想像しなかった奇跡をおこしているフィオネンティーナはどうしているかな……と、様子を見に行ったところびっくり仰天。
なんとフィオネンティーナを大きな熊親父が組み敷いていたのだ。
熊親父の下で可愛らしい手が空をかいている。
「何やってんだっ!!」
慌てて駆け寄り、彼女を組み敷く熊親父を引き剥がす。外野から煩く声がかかったが、まずは温室育ちのお嬢さんを助けるのが最優先だ。
熊親父の首根っこを掴んだが、身を翻して腕を取られる。すかさず蹴りを入れようとしたところで、思いっきり耳を引っ張られた。
「いたたたたっ、何をする!」
耳を引っ張ったのは熊親父ではない、助けたはずのフィオネンティーナだ。
「司令官殿、やめてください。わたしのお師匠様になんてことをなさるんですか」
「お師匠様、だとう!?」
意味は分かるが理解できない。驚いて声を上げたところにガレットが駆けつけた。
「司令官、リシェットは体術の訓練中です」
「なんでお前が相手をしないんだ!?」
「リシェットにはジャフロが適任と判断致しました」
耳を押さえていたカイルは、顔中髭だらけで筋肉達磨の熊のごとき男を観察した。
真っ先に思ったのは、「こいつは髭を剃っていないな」だった。近頃はすっかり見なくなったが絶滅していなかったのかと、どうでもいいことが頭に浮かんでしまう。
「確かに……まぁ、適任だな。すまんなジャフロ、勘違いして悪かった」
「いやいや、当然です。私が相手なのですから」
厳つい風貌のわりに優しい声色で下手に答える熊親父。カイルは彼に再度詫びを入れる。そうしないと隣からじりじりと熱く突き刺してくる視線が痛くてたまらないのだ。
ジャフロ・ニック。熊親父とあだ名される見た目のまま、こげ茶色の髪で髭はもしゃもしゃ。体毛が濃い。しかも茶色によく日焼けしていた。
カイルより二つ年下の35歳で、砦の隊員としては最高齢だ。
普通は任期三年で砦を出て行くが、ジャフロは残留を希望してずっと居付いている。理由は砦に在任中は特別手当が支給されるからだった。
こう見えてジャフロには妻と八人の子供がいる。その子供たちに望むままの教育を受けさせてやりたいというのが、アゼルキナに居着いている理由だ。
子煩悩なジャフロのことだ。フィオネンティーナに娘を重ねて、変な気を起こすなんて事態にはならないだろう。
しかも体術においてジャフロは優れている。恐らく彼の上をいくのはカイルの他にセイくらいだろう。
ガレットの選択は間違えていない。最善だ。ジャフロを「お師匠様」と呼んでいるフィオネンティーナは、彼の心を良い具合に掴んでいる様子。ジャフロが彼女を見る目はとても優しく、まるで父親のようだ。
「邪魔したな。続けてくれ」
しばらく様子を見てみようと、カイルは離れた場所まで移動した。
念の為にと注意深く見学していたが、体を密着させてもいやらしさはない。ジャフロは手取り足とり何事か呟きながら熱心に教えているようで、フィオネンティーナは組み敷かれた状態でも落ち着いていて、頷き、真剣に取り組んでいた。
どのような状況を想定しての体術なのか容易く想像できる。セイに組み敷かれていいようにされたのがよほど悔しかったのだろう。自分の弱点に向き合い、改善していくのは良いことだ。
それでもフィオネンティーナはこんなところに居ていいお嬢さんではない。少なくともカイルはそう思っている。
好戦的でアルファーン帝国に戦を仕掛けたがっているキグナスに侵攻の決断をさせないために、有能な騎士を選りすぐって集めて守りを固めているが、いつ何が起きるか分からないのが国境というところだ。
魔術で身を守る自信があっても、セイに組み敷かれた現実は見過ごせない。フィオネンティーナは分かって努力しているのか、単に悔しかったからの結果なのか。
どちらにしても有事の際にフィオネンティーナが無事でいられる保証がないのだ。可能なら今すぐにでも都に帰したい。
「王命を覆すには魔術師団長の力が必要だろうな」
魔術師団長が魔術師の配属を許した真意は分からない。静観しているのは、連れ戻す気持ちがないのだろう。だとしたら追い出すにはフィオネンティーナが根を上げるしかないだろうが、様子を窺う限りそのつもりはなさそうだ。
ならばカイルにできることは、フィオネンティーナが無事にいられるよう、特別扱いにならない程度に気を遣ってやるくらいだ。
カイルは溜息を吐きながら訓練を注視する。
相手がジャフロだからか、特に問題になる挙動は目撃されない。これが他の隊員ならこうはいかないだろうと、ガレットの冷静な人選に頷いた。
カイルなら面倒だからと自分が相手をしただろう。そうしないとこがいかにもガレットらしい。
「問題ないな。俺の人選もなかなかだ」
カイルは溜まった仕事を片付けるためにその場を後にした。




