体力の差
起床の時刻直前。
手作りのマルム酒を堪能する幸せな夢を見ていたフィオネンティーナは、けたたましさのせいで現へと強制的に目覚めさせられてしまう。
「おはよう、俺の愛しいフィオネンティーナ・リシェット!」
何者かがそう叫びながら、鍵が閉まっているはずの扉をバタンと開けて侵入してきたのだ。
「え、な……なに?」
大声で名前を呼ばれて耳が痛い。眠気眼のまま身を起こそうとしたところで、飛びついてきたそれに阻まれた。
それは狭い部屋に走りこんできたかと思うと、勢いをつけてフィオネンティーナの首に飛びついたのだ。
その行動はフィオネンティーナの見目秀麗な幼馴染を彷彿とさせる。けれども再び寝台に沈んだ彼女に抱きつくそれは彼ではない。
「あのぅ……えっと……扉に注意書きがありませんでしたか?」
いまいち状況が掴めないまま、抱きついたそれに尋ねると、顔を上げたそれが真っ青な瞳を細めた。
「起こしてしまえば問題ないのに、あんな脅しに俺が乗ると思う?」
「そうですね。わたしが起きてしまえば罠は解除されますが……」
バチッ――っと、フィオネンティーナが魔術を使えば、それがフィオネンティーナに抱きついたままで意識を失った。同時に隣人が部屋へと飛び込んでくる。
「リシェットっ!」
隣の部屋の主、ガレットだ。彼はストーカーかと突っ込みたくなるくらいにフィオネンティーナを気にして見守ってくれている。
それは有難いことではあるが、ストーカーならしっかり見張っていて欲しいものだ。
「助けてガレット隊長」
「大丈夫か!?」
ガレットがそれ……セイを引き剥がしてくれた。
男に潰されて目覚めとしては最悪だ。ガレットに首根っこを掴まれたセイは白目をむいて意識を失っていた。
フィオネンティーナの首に手を回して抱きついたのがセイの敗因だ。
彼は魔術師を理解しているのにどうしてだろうと思う。うっかりさんなのか。もしくはフィオネンティーナがかいかぶっていたのか。まぁ取り合えず気絶させたし実害がないのでよしとしよう。
ガレットは「朝一番に失礼した」と言いながら、セイの首根っこを掴んで引きずっていく。フィオネンティーナは二人が部屋を出るのを黙って見送った。扉が閉まってしばらくぼんやりした後に、腕を伸ばして大きな欠伸をする。
身支度を整えて扉を開くと、ガレットがこちらへと廊下を進んできた。セイを医務室に運んで戻ってきたようだ。
「おはようございます」
「おはよう。行こうか」
「はい」
セイの急襲なんてなかったかのように二人はいつもの通りだ。フィオネンティーナはガレットの大きな背中について食堂へと向かった。
食堂に行くのに隊長の付き添いなんて必要ない。そう言ってもやめてくれないし、昨日のことと今朝のこともあったので、もういいやと半分あきらめて素直に受け入れることにした。
正直鬱陶しいと感じる時もあるけれど言葉にも態度にも出さない。これがガレットのストーカー的行動に拍車をかけるのだとしても、女が砦で無事にやっていけるかまだまだ不安なフィオネンティーナには完全拒絶する勇気はなかった。
彼の行動はフィオネンティーナを気遣ってくれてのことだ。そしてフィオネンティーナも彼を利用している。
他の隊員の目があると心配したが、この一週間で誰からも文句は言われないし、特別扱いを不満な目で見られることもなかった。
良くも悪くもアゼルキナでは女が異質すぎるのだろう。
取り合えずさっきも助けてくれたし、害もないし、見張られているのは我慢しよう。そもそも彼からの視線や気配を感じたりしないので邪魔にはならない。好意的に考えると助けてくれるヒーローではないか。昨日セイに襲われたときは助けにきてはくれなかったけれど……。
※
フィオネンティーナはサイラスと町に出て、自分の体力のなさに辟易した。だからこれからは訓練を見学するのではなく、一緒に励もうと決断したばかりだ。それとついかで護身術も。
この砦にはセイなる危険人物がいる。身を持って知ったフィオネンティーナは、魔術だけに頼ってはいけないと、我が身を鍛える決断を下したのだ。
だからィオネンティーナは走っている。他人の目にどう映ろうと足を交互に動かして、しっかりと腕を振って走っていた。
だだっ広い鍛練場を一周走り終えるまでに、六隊の面々がフィオネンティーナを追い越すこと三回。次の一周では誰が先頭を走っているのか分からなくなったが、ガレットには五度追い抜かれた。
ガレットはフィオネンティーナを追い越す度に気遣わしげな視線を向け、物言いた気に去っていく。やっと三週目に突入したころには歩いたほうが早いくらいになっていて。フィオネンティーナはそれでも自分に負けることなく、周囲から嘲りをむけられてもいいとの気持で前に進んでいた。
ぜいぜいと苦しく息を吐くフィオネンティーナの隣にサイラスが並ぶ。
「いいかげんにして休めよ。気絶したら運んでやれないだろ?」
サイラスは額に薄っすらと汗をかいた状態で隣に並んで歩いていた。フィオネンティーナは肩で大きく息をしているのに、彼はほんの少しも息が上がっていない。
「はぁはぁ……大丈夫」
「大丈夫じゃないだろ!」
今にも倒れそうだとサイラスは声を上げた。二人を追い抜いて行く隊員たちが何事かと振り返っていく。
そうじゃなくてとフィオネンティーナはサイラスに身を寄せて声を顰めた。
「寝たら発動するんじゃなくて、寝る前に魔術をかけて罠を張ってるの。急に倒れたりしたら魔術をかける暇なんてないから、その辺に捨て置いたりしないでほしい」
暗に「しっかり助けてね」との意味合いを込めると、サイラスは「なるほど」と呟いて頷いた。
騎士団長の姪御さんと付き合いを認められているので悪い男ではないと予想してはいたが、か弱い女性を守るという騎士としての精神は持ち合わせているようだ。サイラスは赴任一年目。これからも間違った方向へ進まなければ、彼女との結婚も障害なくまとまるだろう。
なにはともあれサイラスの言った通りだ。フィオネンティーナは重い足取りで鍛練情の隅まで移動すると、大きな切り株に倒れるようにして座り込んだ。
「まったく化け物集団だわ」
六隊には素行が悪かったり、間違いを犯したり扱いにくかったりして左遷されてきた輩も多いらしいが、皆が揃ってそうではない。志願した者、将来性を見込まれて移動してきた者も多く集まっている。どんな理由であれアゼルキナにきたからには、それに相応しい実力を兼ね備えた騎士たちだ。
ここで異質なのはフィオネンティーナだけだ。
魔術師でしかも女。男どころか騎士ですらないフィオネンティーナは、彼らと異なる訓練をする。
地味な訓練はそうとは理解してもらえないだろう。サボっているように見えているに違いなく、訓練に打ち込む彼らからすると鬱陶しく迷惑な存在だろう。
今はまだ物珍しさと警戒が入り混じった視線を向けられている。けれど彼らは近いうちに、フィオネンティーナが邪魔な存在……無用の長物と思うに違いない。
そう思われてもフィオネンティーナはこの場所で頑張るしかない。三年間、きちんとやり遂げる覚悟はあった。
やっぱり無理だと魔術師団長に泣きつけばすぐに異動させてもらえるだろう。けれどそれではフィオネンティーナの負けだ。メリヒアンヌ皇女の嫌がらせなんてものともせず、ここで上手くやっていくと決めたのは自分自身だ。




