泣き寝入り
のらりくらりと進んでもいつかは目的地へたどり着く。
ほぼ予定通りの時刻に砦へと馬車が到着すると、荷降ろしを手伝いに男たちが近寄ってきた。
サイラスが「降りるぞ」と手を差し出す。彼はフィオネンティーナを砦の住人に見せたくないようで、周囲に気を配っていた。
フィオネンティーナは素直にサイラスと手を重ねて馬車を降りた。その際に「マルムはわたしのだからね」と伝えたら、驚いた顔をされた。
こんな状況で果実のことを気にしているとは思わなかったのだろう。驚いたようで瞳を瞬かせている。
「それとこれ、どうもありがとう」
貸りていた制服を差し出すと「あぁ……」とぎこちなく受け取る。肌蹴た胸元はしっかりボタンを止めた。あんな状況で一つもちぎれなかったのは、セイが器用なのもあるだろうが、何よりも実力がある証明だ。いやな証明だなと忌々しく思う。
フィオネンティーナはサイラスから、痛いものをる視線をずっと向けられていた。腹が立って八つ当たりしそうだったので黙っていたが、砦に戻ってきてまでそんな対応をされたくないので、彼をしっかりと見て伝えた。
「心配してくれるのはありがたいんだけど、その痛そうな者を見る目、いいかげんに止めてくれないかな。同情されるようなことにはなってないから」
はっきり言ってしまうと迷惑だ。心配してくれているのは分かっているし、良好な関係を築きたいから言わないけれど。
「許しはしないけどあのくらいならぜんぜん平気なの。落ち込んでるのはそれじゃなくてこの有様よ!」
髪はぐしゃぐしゃで衣服は泥だらけ。肌を弄られたせいで服の中も埃っぽい。しかも暴れたので汗でべたついている。極め付けには顔が赤いインクに染まっているのだ。
「泣きたいくらいにわたしを傷つけているのはこの状況なのに勘違いされたくない。せっかく綺麗になったのに、さすがにこれはないよねって思うでしょ!?」
「あ……ああ、うん」
鼻を突き合わせるほどに詰め寄ると、サイラスは後退りして逃げていく。そこへカイルがやってきた。
「おっ、どうしたリシェット。風呂に行ったくせに随分と汚くなって帰って来たな」
何が楽しいのか笑っている。人の不幸を笑うなんて憎らしいと思ったが、それでも司令官らしくサイラスに鋭い目が向けられた。お前がついているのにどうしてこうなったのかと問う視線だった。
「サイラスは関係ありません。セイ・ラキスにやられたんです。綺麗さっぱり超ご機嫌でいたのに。突然、力ずくでやられてこうなりました。なんなんですかあの人はっ!」
「あー、そうか。で、未遂か?」
「じゃなきゃ殺してます」
本当なのかと問うカイルの視線はサイラスに向かっていた。彼は身を正し無言で頷く。
「そうか。なら口頭注意が関の山だ。あいつらは実戦を想定した訓練中。その領域に侵入したお前が悪い」
「はあっ、なんでわたしが!?」
「言ったろ、実戦を想定していると。訓練でも死なないためになんでもやる。お前が顔につけているインクは戦闘不能の印だ。」
セイが無理やりフィオネンティーナを押し倒したのが事実で目撃者がいるのだとしても、訓練中の出来事だ。セイはそこに偶然いたフィオネンティーナを生き延びるために利用したにすぎにい。
「襲われていたのに傍観した奴らのことも、実害がないなら泣き寝入りしろと?」
「そういうことだ。傍観したのは敵を殺るためだろ?」
「セイの生まれに気を遣って処分できないわけじゃないのね」
予想はしたいたけれど、この状況にに腹が立って仕方がない。
「メリヒアンヌ皇女といい、権力の上に胡坐をかいてるやつは本当にムカつくっ!!」
「セイは胡坐をかいてるだけってわけじゃない……あ~、いや、うん。そうだな。リシェットの言う通りで間違いないかもな」
フィオネンティーナに睨みつけられたカイルは茶色の目を泳がせ、「荷下ろしを急げ」と命令して話を逸らした。フィオネンティーナの周囲では、感情が昂って自分でも止めることができない小さな光がパチパチと弾けている。
荷降ろしが始まると、サイラスは慌ててマルムの籠を抱え込んだ。これを紛失したらフィオネンティーナの周囲にある光が四方八方に伸びて被害を受ける、そんな恐怖に陥ったからだ。
食べるには早い白いマルムに目を留めたカイルは器用に片方の眉を上げる。
「まさか酒でも造る気じゃないだろうな」
「そうですけど、何か問題が?」
カイルに問われて、フィオネンティーナの周囲で弾けていた光が一瞬で鎮まった。
まさか酒造り禁止とかいう馬鹿げた決まりはないよなと不安になったて意識が逸れたからだ。
「うーん、まぁ、許可しないわけじゃないが……マルム酒だろ?」
マルム酒だからなんだと言いたいのか。市販されている高価なマルム酒。素人では容易に造れないのは承知している。だから完璧なマルム酒の再現を願ってはいない。発酵して琥珀色の酒になり、飲酒を楽しめるならそれだけで幸福なのだ。
「沢山自生していましたよ。他にも造ってる人はいるでしょう?」
「あれは演習中の食料として栽培されてるようなもんだ。だからそれを知ってる町の人間も手を出さない」
「もしかして採取禁止でした!?」
演習で利用する森は国有地だ。たかが果実でも民間人が勝手に手を出せばそれなりの罰を受ける。
フィオネンティーナは砦に在籍しているので許されるだろう……との意味を込めてカイルに縋るような視線を向けた。
この状況でマルムを没収されたら鬱になりそうだ。
「実戦を想定した訓練ですよね? 果実が都合よく残っているとは限りませんよ?」
「まぁ、確かにそうではあるが……」
「演習中……そういえば第一隊の演習期間は?」
フィオネンティーナはマルムを取り上げられたくないので話を変えながら、カイルと二人して宿舎に向かって歩き出した。その後をマルムを抱えたサイラスが追う。
「演習は十日って決まっているが、第一隊はセイの気分で長くなりがちだ。だがまぁお前に気付いたなら明朝には戻ってくるだろうな。何しろお前はあいつ好みだからなぁ」
笑いながら楽しそうに視線を向けてくるカイルに、冗談じゃないとフィオネンティーナは顔を顰めた。
「演習を気分次第で終わらせていいんですか? まぁあの人だから許されるんでしょうね」
「それよりもリシェット、お前に話がある」
「えっ、なんでっ!?」
カイルから後頭部を掴まれて進行方向を変えられてしまう。抵抗しても逃げ出せずされるがままだ。
「サイラス、それはリシェットの部屋の前にでも置いておけ」
強引に連れ込まれたのは司令官室だ。バタンと後ろ手に扉を閉めたカイルは少しばかり乱暴にフィオネンティーナを解放した。
「なんで知ってる?」
「なんでって……何がですか?」
急になんなのだと、フィオネンティーナはカイルを仰ぎ見た。
「とぼけんじゃねぇよ」
「……? ああ、もしかしてアレクセイ殿下?」
「他に誰がいる」と、カイルは腕組して眉間の皺を深くした。
「どこまで理解している」
フィオネンティーナは騎士団長に貰った資料を思い出して読み上げる。
「セイ・ラキス。三十一歳。独身。女に手が早くて扱い難い。以下極秘事項、皇弟アレクセイ殿下……とまで」
「その情報は誰からだ」
「秘密です」
「お前は男絡みでメリヒアンヌ皇女の不興を買って飛ばされたんだったよな」
初めにそう話したのにどうしたのか。「はぁ、そうですが」と怪訝に思いながら返事をする。カイルはフィオネンティーナを暫く黙って見下ろしていたが、やがて心底嫌そうに大きな溜息を吐いた。
「どこのどいつがお前に情報を漏らしたかは知らないが、極秘の意味を分かっているんだろうな」
「分かってますよ。だから頂いた資料は頭に入れて焼却処分にしました」
「サイラスの前だってのに随分と口を滑らせていたように思えたが?」
「それは……失礼しました。なにせこんな風にされてしまったのでとても腹が立っているんです。どうして極秘にする必要があるのか存じませんが、次があればきっとまた滑ります」
極秘なのにカイルは知っているじゃないか。まぁ彼はアゼルキナの司令官だから当然なのかもしれないが。
そもそも騎士団長が極秘情報を追加したのは、セイ・ラキスの悪癖を知っているからこその予防線……そんなところだろう。フィオネンティーナだって口が軽いわけではないし、書き記してくれた騎士団長の信頼を裏切るつもりもない。
そもそも偽名とはいえ、アゼルキナに常駐している皇族がいても何らおかしくはない。ここはそれほど重要な砦なのだし、その皇族が軍事に長けているなら尚のこと。ただ、司令官の地位にないのは不思議だと思う。
「司令官殿にお伺いするのも何ですが、あの人はどうして隊長職なのですか?」
カイルよりも遥かに身分が上であるセイが、管理職でいうなら一番下の隊長なのはおかしい。
あんなのが司令官だと困るからだろうけれど、身分を秘密にする理由はなんなのか。情報は身を守ってくれるのでぜひとも知りたい。
「そんなことは本人に聞け」
暗に俺を巻き込むなと告げられた。
「できるだけ関わりたくはないのですけどね」
「女ってだけで無理だろうな」
女なら誰でもいいらしい。
とにかくセイの正体はばらすなと念を押され「努力はします」と、なんとも曖昧な返事をして司令官室を後にした。
急いで宿舎に戻ろうとしたとこで、大事そうに桶を抱えたガレットに遭遇した。
「お前が泥だらけで戻ったと聞いた」
怒りをはらんだ灰色の瞳は誰へ向けられているのか。少なくともそれに写る自分ではないなと、フィオネンティーナは悟られないよう小さくため息を落とした。
情報が早すぎる。流石ストーカー(?)だ。サイラスを問い詰めでもしたのだろうか?
湯気が立つ桶は、フィオネンティーナのためにガレットが用意してくれたのだ。またまた上司の手を煩わせてしまった。それにしてもあまりの速さに、戻ってくる前から情報を得て準備していたのではないかと疑ってしまう。
「どうもありがとうございます。それといつも言っていますが、自分でやれますので大丈夫です」
「何かの拍子に桶を落としてやわ肌に火傷でもしたらどうするつもりだ。そんなことになったら俺は絶対に許さない」
なんに対して許さないと言っているのだろうか。
フィオネンティーナは過保護すぎる上司に、ここがどこなのか教える必要があるなと思いながも、部屋の前に置き去りにされているであろうマルムへと思考が向かった。
何にしても今はとても疲れている。もうマルム以外はどうでもいいやと、ガレットの肩を並べて宿舎に戻ることにした。
ちなみにだが。泥だらけになった髪はガレットが井戸で綺麗に洗ってくれただけでなく、水分をしっかりと拭き取って乾かしてくれた。ちょっと寒かったが文句は言えない。




