サイラスと魔術師
帰りの荷台は買い出しの食料や日用品でいっぱいだ。力仕事に特化した使役馬は黒い巨体をのらりくらりと、往路と変わらないペースで歩いている。
御者台には手綱を握るサイラスとご機嫌なフィオネンティーナ。
サイラスは周囲を気にしつつ、黙って馬を進めていた。
辺りは夕日に包まれ、もう間もなく日没を迎えるという時分だ。予定より早いのは、同行者が先輩騎士からフィオネンティーナに変わったお陰で、テキパキと用だけを済ませ、いらぬ場所に立ち寄らなかったお陰だろう。
いらぬ場所とは、フィオネンティーナが指摘した潤いの場のことだ。サイラスにその気があろうと無かろうと、先輩が行くと言えば行かざるを得ない。
そういう場所に立ち入るのは男として必要だと分かっていても、愛しい彼女を都に残しているサイラスとしては利用したいと思わない。けれど先輩によっては断れない場合もあるので、フィオネンティーナの同行はありがたいことでもあった。
風呂屋に寄って大量に湧き出る温泉を堪能し、隅々まで汚れを落としたフィオネンティーナは、身も心も軽くなったらしく、たいそうご機嫌だった。
髪の先から毛穴の中、そして爪の垢まで綺麗に落としきったらしく、「ようやく旅の疲れを癒した気分」だと喜んでいた。石鹸を目いっぱい泡だてて湯を存分に使った感動は、今も彼女の心を満たし続けている様子。
半乾きの長い黒髪が美しく輝いて、石鹸のほのかな香りがフィオネンティーナを包み込んでいた。隣に腰を下ろしているサイラスは、フィオネンティーナから漂う色香に惑わされないよう、ひたすら前を見据え、外敵が襲ってこないか注視しつつ我が身を引き締めている。
そんな中、順調に進んでいた荷馬車が、がたんと音を立て大きく揺れた。
なんだろうと馬車を止めたて検めると、大きな石を踏んだだけで車輪に異常はなさそうだ。
こんな場所でトラブルなんて御免だ。良かったと胸を撫で下ろすサイラスを他所に、フィオネンティーナがご機嫌な声を上げた。
「見てサイラス、マルムの実が実ってるわ!」
御者台に立ちあがったフィオネンティーナが森を指さしている。言われるまま視線を向けると、薄桃色の丸い実をつけた木があちらこちらに見えた。
「甘くて美味いからな。欲しいなら捥いできてやるけど?」
マルムは甘く女性が好む果物だ。都では珍しくて貴重でも、この辺りにはわりと自生してる。サイラスの彼女も嬉しそうに食べていたのを思い出して頬が緩んだ。
「馬鹿ね、発酵させてお酒にするに決まってるでしょ!」
フィオネンティーナは当然とばかりにそう告げると、御者台を飛び降りて荷台から大きな籠を取り出した。中に詰まった野菜は荷台の空いたところに詰めていく。籠いっぱいにマルムの実を収穫する気満々なのだと行動だ。
「お前は本当に酒が好きなんだな」
フィオネンティーナには自分を可愛らしくみせようとかいう考えがないのだろうか。
酒好きな女性よりも一口飲んで頬を染めて、「酔っちゃったみたい」と上目遣いをする女性の方が男に好かれるものだ。いける女性が男の前では飲めないふりをしているのを知っている。
サイラスは砦への帰りが遅れるなと思ったが、予定よりも早い。多少の寄り道をしても問題ないだろう。
「大好きよ。サイラスは好きじゃないの?」
「まぁ嫌いじゃないけど……自分で作ろうなんて思わないな」
果実が好きなのではなく、発酵させて酒にしようとは。
マルムの実を発酵させた果実酒は美酒として有名だ。だがかなり強い。一気に煽ろうものなら、いかに酒豪とてのびてしまうほど。
買うとかなり値の張る高価な酒なのであまり市場に出回っていないが、甘くて飲みやすいので、そうと知らずに女性に飲ませようとする悪い男はいくらでもいた。
「お前の部屋、酒で山積みだったろ。ほどほどにしないと体を壊すぞ」
「心配してくれてありがと。でもお酒には強いから大丈夫よ。それよりちょっと行ってきてもいい?」
籠を手ににこにこしている。行く気満々の彼女に寄り道するなともいえない。
「俺は念のために車輪の点検をする。夢中になってあんまり遅くなるなよ」
「了解!」
言うが早いか、フィオネンティーナは道を逸れると背の高い草をかき分けて森へと入って行った。
「なんか……変わった奴だな」
魔術師というだけで近寄り難い雰囲気があるのに、漆黒の瞳は生き生きとして周りを自分のペースに巻き込んでいる。魔術師だからと誇り高く気取っているわけでもない。どちらかといえばとっつきやすい感じだ。男相手にも媚びる様子がなく、さっぱりした性格だとも思う。
深く知るわけではないが、一日一緒にいてサイラスがフィオネンティーナに抱いていた印象は昨日までとすっかり変わっていた。
先輩に誘わて断れなかったとはいえ、深夜に部屋へと忍び込んだことを後悔していた。きっと怖かっただろうなと思う。
綺麗な形をした魔術師に興味があったのも事実だ。ちょっとした好奇心で、本気で悪戯をするつもりはなかったが、男四人でつるんでいた中、雰囲気に負けていたかもしれない。
信じて待ってくれている彼女もいるのに下種な行動だったとサイラスは深く反省していた。フィオネンティーナが自分と同行するのも勇気のいる選択だっただろう。
フィオネンティーナを見送ったサイラスは、ひとつ息を吐きだしてから車輪を点検する。これから暗くなるので途中で壊れでもしたら厄介だ。
それが終わると御者席で寝ころんで茜色に染まる空を見上げながら、フィオネンティーナが戻るのを待つことにした。




