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キラキラボシ  作者: ぷろふぃあ
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エピソード2

   エピソード2



 放課後、自宅に帰り自分の部屋に入った美空。カバンを机の上に置き、机の一番上の引き出しの中にいつでも見られるよう大切に置かれた一通の手紙を手に取り、ベッドに腰掛けます。


 中央に『美空ちゃんへ』と書かれた鮮やかな水色の封筒をそっと開き、中から取り出した四つ折の手紙を開き、文面に目を通す美空の表情に自然とこぼれる笑顔…。


「へへへっ。ほらっ、私、笑えるよ? 大丈夫、ちゃんと約束守れてる」


 別に、誰かに聞いてほしかったワケじゃない、自分に言い聞かせるようにわざと声に出してそう言った美空は、手紙をそっと隣に置きます。


「覚えてる? 前はさ、この手紙を見るだけで泣いちゃってた時もあったよね? でもね、今はワリと平気になったんだ。思い出すと少し辛かったりするけど、今は、あの頃と違って大好きな友達がたくさんいて毎日が楽しいから、あんまり思い出すこともなくなったし、それにね、いつの間にか、またいつか会えるかもしれない人から、もう会えないかもしれない人になっちゃったの。ううん、違うよ? 嫌いになったとかじゃないっ。あの時の気持ちは変わらないよ。きっと一生変わらない。でも時間の流れって残酷なんだ。段々存在が薄れていくのが分かる…記憶からは消えたりしないの。だけど、なんて言ったらいいんだろ…言い方は悪いかもしれないけれど、まるで死んじゃった人みたいに記憶だけの人になってきてる…私の生活の一部からは消えかけているみたいなの…だから…それにね、私、好きな人ができたみたいなんだ。勘違いかもなんてナエちゃんに言われたから、まだ少し自分の気持ちに自信なかったりするけど…けど、とっても惹かれるんだ。なんかね、どことなく似てるんだ、雰囲気っていうのかな…まるで同じ人を見てるみたいに…でもね、クマさんのほうが全然カワイイからね~、へへへっ」


 手紙を見つめ、まるで隣に誰かがいるみたいにそう語った美空。


「でもね、嬉しいけど、でも、やっぱり怖いんだ…だって、あの時みたいに………」












「僕が、今日からこのクラスの担任になった静岡 由比っていいます。よろしくお願いします」


 春、新年度の始まり、春休み明け、久しぶりに顔を合わせた生徒たちが休み中の話題で盛り上がる中、始まりの予鈴が鳴り止むと同時に教室へと入ってきた、スラっと背の高い優しそうな若い男性教師が、そう言って黒板に自分の名前を書きます。


 おろしたてのスーツが、まだしっくりこない、大学を出たばかりの新任教師。


「それじゃ出席を取ります。はい、みんな静かに! そこ、ちゃんと席に座ってくれるかな?」


 騒ぎ立てる生徒たちが静まる気配は無く、平然と歩き回り、先生には目もくれようとしません。


「こらっ! 静かに!! 静かにしなさい!!」


 表情に優しさを残しながらも、少し強い口調でそう生徒たちを叱りつけた由比でしたが、それでも生徒たちは言うことを聞いてくれる様子は一切無く、その後も何度か呼びかけてみましたが、まったく変わらずで、しかたなく、そのまま出席を取り始めます。


 いわゆる学級崩壊というもので、名前を呼んでも由比に目を向けることもなく、適当に返事をしたり、ふざけてみたり…中には数名、真面目な子もいるようですが、大半はそんな感じで…。


「好野っ…好野ーっ! 好野 美空っ! いないのか? 欠席…だな」


 出席取りも終わりの方に近づき、由比のイライラもピークに達し、なんとか表情に優しさは残しつつも、呼びかけは少々投げやりになりかけていたそんな中、何度呼んでも声の聞こえない生徒がいた為、出席簿の欠席欄にマルを書き込もうとしていた時でした。


「先生っ! 美空なら、さっきから返事してますけど」


 ショートカットで少し気の強そうな女の子が、怒り気味の口調で声を張りあげます。


 その女の子の横の席で、気付いてもらえずにしょんぼりしていた小柄で影の薄そうな女の子に目をやる由比。


「ああ、ごめんな。声が小さくて聞こえなかったんだ」


 由比のそんな声を聞いた途端「一生懸命お返事したのに…」と小声で呟き、シクシクと泣き出してしまうその女の子。そして生徒たちから起こる大ブーイング。


 いつも笑顔を絶やさず、まるで太陽みたいに眩しくて暖かいその笑顔は、見る人みんなを幸せな気持ちにしてくれる…元は、そんなだったハズの女の子を変えてしまったのは、あまりにも酷い、そのクラス環境なのでしょう。


 こんなクラスは嫌だ、なんとかしなきゃ、そう思ってみたところで、一人ではどうすることもできない…みんなに避けられるかもしれない、嫌われるかもしれない、いじめられるかもしれない…何もできないまま、どんどん学校が、自分自身が嫌いになっていき、精神的に追い詰められ、情緒不安定になり、とにかく傷つくのが怖くて、できるだけ誰とも関わらず、少しでも何かがあるとスグに泣いてしまう…一度泣き出すとなかなか泣き止まない為、同じクラスの生徒たちからは腫れ物を触るような扱いを受けていたのが当時四年生の美空でした。


 その時も、由比が何度謝っても美空が泣き止むことは無く…その後、体育館で行われた始業式中も美空は泣き続け、一方、同クラスの生徒たちは、校長先生の話など一切聞かず、しゃべるわ、動き回るわ、仕舞いには勝手に体育館を出て行ってしまう生徒もいて…。


赴任初日から校長室に呼ばれ、しょうがないだろうと言ってくれる優しい校長先生を尻目に、目の仇のように説教を続ける教頭先生にたっぷり絞られ、職員室に戻った由比は、自分の机の椅子を引き、崩れ落ちるようにドカッと座ると、肩を落とし、うなだれ、大きな溜息をつきます。


 そんな由比を遠目に、小声で陰口をたたく二人の女教師。


「可愛そうに、初日から教頭に呼び出されるなんて」


「あれでストレス解消してるってウワサよ?」


「マジ? 信じらんな~い。それにしても、新任であのクラスじゃね~…」


「前の先生って、ストレスで胃潰瘍だっけ? 確か二ヶ月くらいしかいなかったよね? 入院して、そのままこなくなっちゃって…名前なんていったっけ?」


「わかんない。どうせあの先生も、名前覚える前にやめちゃうんじゃない?」


「そっかもね。まあ、私たちには関係ないってね。触らぬ神にたたり無しってことで」


 そんな自分の置かれている状況を知ってか知らずか、密かに闘志を燃やす由比。


『まだ初日じゃないか! まだ僕は、何もしてない。これからじゃないか! あの子達のために…そのために僕は教師になったんだから』


 ふと手に取った学級名簿を持つ両手にギュッと力がこもります。


 名簿を開き、一番から順に名前を目で追いながら、短い時間で一生懸命覚えた生徒一人一人の顔を思い浮かべ、照らし合わせ、顔をほころばせる由比。


 そんな由比の表情が難しい表情に変わり、名簿を追っていた目がピタリと止まります。


「好野 美空…か。まいったな…あの子…」


 そう呟いて頭を抱える由比…この時、美空は、由比にとって、もっとも扱いに困る問題児の一人だったんです。




 それから一ヶ月、とにかく生徒の為にと、学級崩壊や生徒への接し方に関する書記を読みあさり、少しでも勉強が楽しくなればと、誰にでも簡単に覚えられるような教材作りは、山のように積み上げられた資料や参考書と睨めっこしながら連日、深夜まで続けられ、授業についてこれない生徒や、受けようとしない生徒には、その学力に合わせ個別に宿題を作成したりと、ほとんど不眠不休の努力が続いていました。


授業の方はというと、初めのうちは新任で、まだ慣れないこともあり、一人で空回りすることも多かったけれど、数日でなんとか様になり、先生として、ただ怒るのではなく、生徒の目線に立ってみよう、生徒とまずは友達になろうと、授業中、注意しても聞かずにおしゃべりを続ける生徒たちの会話に参加してみたり、休み時間、一緒に遊んでみたり、普通は見ているだけの体育の授業も、疲れた体に鞭打って生徒たちと走り回ったり。


そんな努力の甲斐も無く、生徒たちの態度は相変わらずでしたが、それでも、元々真面目だった数人の生徒は慕ってくれるようになり、初めは完全に無視されていた生徒も、少しは関心を示してくれるようになったりで、目に見える大きな変化はありませんでしたが、そのほんの少しの前進が嬉しくてたまらなかった由比。


ただ一つだけ、どうしても由比を悩ませていたのは、美空でした。


とにかく繊細で、どう接していいか分からず、まったく無視というワケにもいかずに授業中、質問をしてみたら答えられずに泣いてしまい、一日中泣き止まなかったり、体育で跳び箱が飛べなかっただけで、次の日学校を休んでしまったり…。




 紫陽花の花もチラチラと咲き始め、もうすぐ梅雨の時季を迎えようという頃のこと。生徒の前では笑顔を絶やさず、気丈に振舞っていた由比でしたが、精神的にも、肉体的にも、相当参っているようで、放課後、職員室に戻り、自分の席に崩れ落ちるように腰を落とすと、まるで別人のようにやつれ、机に持たれます。


「あの先生、そろそろ辞めるんじゃない?」


「そうっぽいよね。そういえば、あの先生の名前って覚えた?」


「確か、静岡…沼津だっけ? 浜松じゃないし、磐田? いや掛川かな? なんだっけ、ホラ、しらすと桜海老が獲れるとこ」


「ああっ! 由比でしょ?」


「そう、そう。静岡 由比(静岡県限定ネタでゴメンナサイっ)あの先生、ワリと好みだったんだけど、もう長くなさそうだね」


 女教師たちが、そんな陰口をたたく中、勢いよく職員室へと入ってきた教頭先生が、入ってすぐの所で足を止め、おもいっきり不機嫌そうな顔でキョロキョロと職員室内を見回します。


 シーンと静まり返る職員室。とばっちりを恐れて、さり気無くそっぽを向く教師たち…恰好の標的を見つけ、ズカズカと歩き出した教頭先生は、由比の机の前でその足をピタッと止めます。


「貴様、なんだそのだらけた態度は! お前のような奴が担任だから、あの酷いクラスは良くならないんだ! 大体、近頃の教師からは貴様も含め、生徒への愛情が感じられん。私が若い頃の生徒たちは、皆、従順でいい子ばかりで…お前のような奴が教師などやっているから、あんな生意気でクズなガキどもが育つんだ!!」


 疲れ果てて動けず、睡眠不足で意識が朦朧としていた由比を、頭ごなしに怒鳴りつける教頭先生。


 そんな教頭先生の声は、ほとんど耳に入っていない由比でしたが、最後の言葉にピクッと反応した由比は、勢いよく立ち上がり、教頭先生を睨みつけます。


「クズなんかじゃない! 僕のことはいくら貶してくれたって構わない。でも、僕の生徒たちのことを悪く言うのは許さないっ!!」


「若造が、生意気なことをいいやがって!! クズはクズだろう。そして、そのクズ共を何とかできないお前は、最低のクズだな」


 教頭先生の言葉に、ワナワナと両拳を握り締め、肩を震わせる由比は、堪えきれず教頭先生の襟首に掴み掛かります。


「アンタに…アンタみたいな奴に何が分かる! アンタみたいな教師がいるから…教師に見捨てられた生徒が、どれだけ辛く、苦しい思いをしているか…頼れるものを失った生徒が、癒されることのない傷を抱えたまま、どれだけの時を過ごしていくか…今も、昔も、生徒は生徒、何も変わりはしない。僕の…アンタを含め、僕たち教師の力が足りないから、あの子たちのような生徒が生まれるんだ。あの子たちは何も悪くない。学校が楽しくないから自分たちの力で楽しい場所にしようとしているだけ、ただ自分の居場所を作りたいだけなんだ」


「弱い奴は、よく吼えるからな。何もできないクズが、口だけは達者だな。どうせお前も今までの奴のように逃げ出すんだろう?」


「僕はクズで、何の力も無い奴で…でも、僕は絶対に逃げ出したりしない! だって、僕にはあの子たちがいるから! 僕は、僕がどうなってしまおうと、あの子たちが一生大切にできるような居場所を作ってみせる!」


「この若造が! 生意気なことばかり言いやがって!!」


 凄い形相で由比を睨みつけた教頭先生は、左手で由比の襟首をつかみ返し、右拳を振り上げます。


 その時、由比と教頭先生、二人の足元にパサリとプリントが散らばります。


 瞳にいっぱいの涙を溜め、手元から落ちたプリントもそのままに、二人の傍らに立ち尽くしていたのは、美空でした。


「…ダメ……ダメだよ…ダメーーーっ!!」


 いつもは聞き取るので精一杯なほど小声な美空が発したその声は、職員室中に響き渡ります。


「ダメだよ。先生、何も悪くないもん! 先生、私たちの為に一生懸命がんばってくれてるんだよ? なのに…なのに…ひっく…ひっく…」


 そう言い終えた美空は、大声で泣き出してしまいます。


「こんなことをして、ただで済むと思うなよ? 若造!」


 泣きじゃくる生徒の手前、何も言えなくなってしまった教頭先生は、由比の手を振り払い、襟首を正すと、そう捨て台詞を残し職員室から出ていきます。


「ありがとう、好野…でも、どうしてこんなとこに?」


 美空の前にしゃがんで目線を合わせ、嬉しそうに微笑んだ由比が、美空の頭を優しく撫で、そう言います。

「ひっく…ひっく…えっと…ね…プリント、私が最後になっちゃったから…持ってきたら、先生が…先生が…うわああああん!!」


 足元に落ちたプリントを一枚拾い上げ、目を通す由比。


『今、一番したいと思うことはなんですか?』


 最後にそう書かれた由比自作のアンケート用紙…美空のプリントには、こう書かれていました。『みんなで笑顔になりたい』と…。


『そっか…この子が泣いていたのは、笑いたかったからなんだ…僕はダメだな…気づいてあげられなかった…でも…それなら…僕が、この子の為にしてあげられる…こと…は…』


 この時、由比をもっとも悩ませていた問題が解決したんです。それも含め、安心感から張り詰め続けていた気持ちの糸がプツリと切れ、スーッと意識を失い、倒れ込んでしまう由比。




「ひっく…先生、大丈夫なんですか?」


 保健室、ベッドに横たわる由比、そのベッドの脇で椅子に腰掛け、くしゃくしゃな泣き顔で同じく横で椅子に腰掛けていた見た目三十代前半ほどの保健の先生に尋ねた美空。


「大丈夫。疲労と睡眠不足…かな? しばらく安静にしていればスグよくなるよ。それにしても、こんなになるまでよく…よほど生徒のことが好きなんだね、この先生」


 やつれた顔、目の下のクマ、よく見ると本当にヒドイ顔をしている由比。保健の先生がヤレヤレといった感じで溜息をつきます。


「あなた、お名前は?」


「好野…美空…です…」


「美空ちゃん…っか。もう大丈夫だから、後は私に任せて帰りなさい」


 そう言った保健の先生に首を大きく横に振って見せた美空は、涙でいっぱいの瞳で由比の顔を見つめ、膝で拳をキュッと握ります。


「そっか…でも、なんで泣いてるの? あなたは何も悪くないでしょ? なのにどうして?」


 尋ねる保健の先生に、もう一度大きく首を横に振って見せる美空。


「私、いつも泣いてばっかりで、いつも困らせて、迷惑かけて、でも先生、いつも笑顔でがんばっていて…こんなになるまでがんばってるの私、知らなくって、たった一人で私たちの為にがんばっていてくれてたこと、私、今日まで気づいてあげられなくて、先生よりもずっと長くあのクラスにいて、ずっとあんなクラス嫌だって思ってたのに、私、一人じゃ怖くて何もできなくって…なのに先生は…私のせいなんだ…先生、こんなに…うえっ…ひっく…ひっく…」


 うつむき、固く閉じられた目から大粒の涙をポロポロと流す美空。そんな美空の頭を、大きな手がそっと包みます。


 開かれた美空の瞳に映った由比の優しい微笑み。上半身を起こした由比は、愛おしそうに美空の頭を撫でます。


「好野…ありがとう。先生、好野のおかげで、もっともっとがんばれる。先生、好野がもう泣かなくて済むよう、みんながいつも笑っていられる場所、好野がいつも笑顔でいられる居場所を絶対に作ってみせる。約束するから。ねっ!」


 何度も何度も優しく頭を撫でられるたび、ほころんでいく美空の顔…「うんっ!!」とうなずいた美空が見せた瞳にいっぱいの嬉し涙を溜めた満面の笑み。


『この子…こんな素敵な笑顔できたんだ…』


 そんな驚きと同時に、その笑顔が、あまりにも眩しすぎて、由比の気持ちを高揚させます。


 この時、由比は気づかなかったんです。


そこで生まれた美空に対する特別な感情が、先生が生徒に対して抱くそれではないってことを…。




 その日の深夜、自宅アパートでソファーに腰掛け、アンケートのプリントに目を通していた由比。


 生徒たちのことをもっとよく知りたくて『好きな食べ物は?』とか『好きな色は?』『好きな芸能人は?』や、『普段よくやっている遊びは?』など、生徒たちへ向けた簡単な質問の書かれたアンケート用紙。


 多分、真面目に答えてはくれないだろうと思っていたそのアンケートを、大多数の生徒がきちんと答えてくれていることに驚きながら、嬉しそうに…時には真剣な表情を見せたり、笑ったり、微笑んだり、複雑な顔をしたり…生徒一人一人の気持ちを酌みながら目を通していく由比。


 出席番号順に並べられたそのプリントを読み進めていく由比の動きが、美空のプリントを見てピタリと止まります。


「好野…」


 心に焼きつき、鮮明によみがえる美空の笑顔。ドキドキと高鳴る胸の鼓動…自分の気持ちに答えが見えず、戸惑う由比…。


 読み終えたプリントをテーブルに置き、飲みかけのコーヒーを一気に飲み終え、立ち上がった由比は、新たな決意とやる気を胸にグッと拳を握りました。




 次の朝、鳴り響く予鈴、騒がしい生徒たちの声が漏れる教室入り口前で頭がクラっとして足元をフラつかせた由比は、何度か頭を左右にブンブンと振り、両頬に思いっきり平手打ちをして気合を入れると教室に入っていきます。


「みんな、おはよう!」


 由比の声に、まばらに返る生徒たちの挨拶。


「よし、出席とるぞ~っ。ほら、せめて席には着こうな?」


 歩き回り、止むことのない私語、相変わらずなクラス…ふと浮かぶあのアンケートのプリント…。


『この子たちなら大丈夫…僕は、少しでもその手助けができれば、それでいい…』


 嬉しそうに微笑み、生徒たちを見渡す由比。そんな由比を見て、美空はうつむき、膝でキュッと両拳を握ります。


『みんな知らない…先生が疲れ果てて倒れちゃうまで、みんなの為にがんばってること…ホントは、まだ寝てなきゃいけないのに、いつもと同じにここにいて、いつもと同じに笑顔で…なのに、知ってるのに私は、なんにもできない…』


 目尻に溜まる涙、怖くてガクガクと震える足…それでも…。


『逃げちゃダメっ!』


何度も何度も自分に言い聞かせた美空は、意を決し、勢いよく立ち上がると、バンッと思いっきり両手を机に叩きつけます。


「ダメーーーっ!!」


 教室中に響き渡る美空の小さな体から発せられた大きな大きな叫び声。静まり返る教室内、生徒たちの視線が、美空に集まります。


「みんなダメだよ…先生、昨日、倒れたんだよ? みんなの為に頑張り過ぎて…ひっく…ひっく…」


 やっぱり怖くて…それでも、精一杯の勇気で搾り出した小さくても強い意志のこもったその声で、みんなに語り掛け、ポロポロと涙を流す美空。


「好野…ありがとう。でも、いいんだ」


 そう言って優しく微笑みかける由比に、美空は大きく首を横に振って見せます。


「よくないっ! みんな、もう分かってるよね? この先生は今までの先生とは違うよ。みんなが楽しいって思える居場所、きっと作ってくれるよ。先生ね、私たちの為に、ずっと一人っきりで頑張ってきたんだ。今度は、みんなで先生と一緒に頑張ってみよう? 私も、もう泣かないから…ねっ?」


 今度は、みんなに聞こえるように、想いが伝わるように、しっかりとした口調でそう言い終えた美空は、目尻に涙を溜めたままニコッと笑って見せました。


 美空が初めて見せた、可愛くて太陽のように眩しい笑顔に釘付けになるクラスメイトたち…その笑顔は、美空の想いを伝えるのに十分で、その想いを酌んだ生徒たちの心を暖かく包んでいきます。


「好野……先生、一人じゃ何もできない半人前の先生なのかもしれない…でも、もっともっとみんなの為に頑張るから。みんなに認められるような一人前の先生になれるよう、頑張るから。だから、こんなダメな先生だけど、これからも先生って呼んでやって下さい。お願いします!」


 そう言って深々と頭を下げた由比。生徒たちからの返事はありませんでしたが、顔を上げた由比の目に映った生徒たちのにこやかな表情が由比にそれぞれの気持ちを教えてくれます。


 つい感極まって涙ぐんでしまった由比が、目尻の涙を拭いながら『ありがとう』と心に思い視線を向けた先の美空は『どういたしましてっ』と心に思い、照れ笑いをして見せます。



                                          つづく


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