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お兄さんは心配性

 

「おじ……?」


‘あんた、あの娘のなんなのさ’

 横浜でも横須賀でもなければ辺りに港もない上にヨーコもいないこの場でそれに近しい言葉を吐いた鈴ノ木さんを店から連れ出して、桐吾君の乗ってきた車に押し込んだ後に説明をすると彼は脱力して冒頭の言葉を吐いた。


 とりあえず店内での修羅場は回避出来たと私も肩の力を抜く。……いや、あまり回避出来てなかった気もするけど。

 当分はミスドが食べたければ別店舗に行くのが懸命だと密かに考えながら「だから鈴ノ木さんが心配するような関係ではない」旨を主張する。


「ま、おじと姪のスキンシップにしては過度だもんな。ファーストキスは俺だし」

「桐吾君は余計な事言わないっ」


 バックミラー越しに覗く視線を睨みつけ、桐吾君の見えない角度で鈴ノ木さんの手を握る。


「とにかく鈴ノ木さんは変に勘ぐらないでよ?」


 隣り合わせの後部座席で上目遣いに見やれば鈴ノ木さんは無言で首をカクンと下げて頷いた。


「ヒイ、こんな打たれ弱そうなのが彼氏とか早く捨てちまえよ」

「黙ってってば!」

 

 怒鳴りつけてから鈴ノ木さんを窺えば、さっきのような憤りのような焦りのような色はなく多分納得はしてくれたんだと思っておく。

 いまいち覇気を感じないのが心配だけれど、それ以上を声をかける間もなく自宅マンションに着いてしまった。

 徒歩で通える学校の通学路にある場所がスタート地点だ。車なら尚早い。

 マンション入口前に停車し、ハザードが点灯した車内に解錠音が響く。


「ヒイ達は先に降りてろ。俺は近くの駐車場に車置いてくるから」

「分かった。でも、私の方が帰りは少し遅くなるから母さんに伝えておいて」

「――了解」


 どこか苦い笑みを見せた桐吾君は窓から手を出して軽く振ると、静かに車を走らせた。


「車なら地下に駐車場があるのに」


 テールランプを眺めてボヤく鈴ノ木さんの手を引いて私も答える。


「一台分しか契約してないの。父さんの車が止まってるから桐吾君はいつも近くの有料駐車場使ってるんだよね」


 それが申し訳ないからあまり桐吾君に長居をさせられず、ちょっとずつ会う機会が減ったのは高校に上がってからだ。それに比例して本屋に通う回数が増えたのだけど、改めて考えるとその間に私は鈴ノ木さんに出会ったのだから縁とは不思議なものだと感心してしまう。


「何考えてる?」


 肩を並べてエレベーターを待ちながら鈴ノ木さんが尋ねる。

 声のトーンがいつもより低いのを気付かないふりして「神様の思し召しに思いを馳せていた」と言ったら反応に困ったか変な間が開いた。

 到着したエレベーターに乗り込んで鈴ノ木さんの部屋の階のボタンだけを押す。


「――いいの?」

「少し遅くなるって言伝したでしょ。大体、先約は鈴ノ木さんだったじゃない」

「うん」


 子供みたいに頷く鈴ノ木さんが繋いだ手に力を入れた。少しばかり痛いのは我慢する。嫉妬させたのは私だし、嫉妬の感情は去年私だって彼から教えられたのだ。

 切なくて苦しいというのはあの痛みなのだと実感した。本を読むだけでは伴えない痛みが今、この人の胸にもあるのだと思うと申し訳なくもあり、また嬉しいなんて歪んだ気持ちもあって私は小さく「ごめんなさい」と呟いた。


 * * *



 恋の痛みや喜びと言ったものは鈴ノ木さんから教わった。

 でも、恋そのものの感情を知ったのは彼でじゃない。

 恋というものには実るものとならないものがある。前者の実りが鈴ノ木さんとの現在の恋だ。

 反面、実らなかった……実りにはならない恋という後者の意味では竹若桐吾タケワカトウゴ君で覚えた。

 桐吾君は年齢もそうだけど、立場的に実ってはいけない人だから、数には入れていない恋と失恋だけど、最初の恋そのものは彼が初めてだ。


「あの人、陽幸ちゃんに馴れ馴れしくて好きにはなれないけど、おじさんなら許してあげる」


 部屋に入るなりカップル座りを要求し、背中から人を羽交い締めに腕を回して私を拘束した鈴ノ木さんはやっと機嫌を直したかやや明るめの声で言った。


「どんなに仲が良くても陽幸ちゃんとの付き合いが長かろうが、此処は俺だけのものだ」


 頭を引かれ、真上を向いた私の唇は舌先で舐め取られる。


「砂糖の味が残ってる」

「だってドーナツ食べたから……」

 

 味見される恥ずかしさに身を捩るけれど、いつもより容赦ない抱擁に抵抗は遅れる。そこをすかさず抑えてあてがわれたキスは僅かな隙間を埋めるように舌を差し込んで来た。


「んんーっ」


 背中を後ろに反らされたきつい態勢にもがけば、それを緩めるように身体を倒す鈴ノ木さんだけれど気付けば床に寝そべっている現状に焦りを覚える。

 胸を叩いてサインを出す。それでもすぐに冷めない熱に拒絶の水を差す思いで手の甲に爪を立てれば、漸く唇が離れて解放された。


「ごめん、熱が入ったみたい」

「みたいじゃ、ない、ですよ……」


 酷使され、呂律の回りにくい舌に苦戦しながら切れ切れに怒る。

 身体を起こせば知らぬ間にシャツが第二ボタンまで外されているのに気付いた。


「鈴ノ木さん……」

「だからごめんって言ったでしょ」


 最初から謝罪は暴走したキスを指していなかったのか。


「未遂だから、いいです」


 背中を向けてボタンを留め直す。

 実は私と鈴ノ木さんは付き合い始めてそこそこの月日を重ねてはいるけど、最後の階段に足を踏み込んではいない。

 心の準備というものは勿論、未成年と成人男性という垣根が引っ掛かる所為もある。未成年でそこまで貞操を縛るつもりもないのだけど、なんとなくまだ私が高校生の内はけじめとして越えたくなかった。鈴ノ木さん、一応文化人で一部では有名人だし。

 鈴ノ木さんもそれを理解して無理はしない。たまにタガが外れそうにはなるけど、いつも思い留まってくれている。

 親友のサトはその件に関して鈴ノ木さんに同情してくれているみたいだけど、個人差というものはあるし周りにどうこう言われて進めるものじゃないと思う。

 これが如何に十代らしくない、理性的で固い貞操観念かと自覚はしてますよ。でも本ばかり読んで耳年増の頭でっかちに育ってしまったのだからしょうがないじゃない。

 ――そりゃあ、鈴ノ木さんが強引に迫れば牙城が崩れなくもないだろうけど、とことん私に甘い彼がそう容易く牙を剥く事はないともう知ってしまっているから先程程度の拒絶で収まりが効くのだ。

 そんな私は彼女として良い彼女だろうか。たまにふと悩んでしまったり。


「陽幸ちゃん、何もしないからギュッてしていい?」

「ギュッて……」

 

 私より九歳も年上なのに小さな子供みたいな甘え方。それでもそんな形も堂に入ってしまうから美しさって罪だ。

 ぽすんと首元に頭を預ければふわりと鼻をくすぐるのはシャンプーの効果も薄れた鈴ノ木さんの匂いだ。香水の類はあまり使わないようだが、それでも心地の良く感じるのは何故だろう。

 考えなくともすぐ分かる。恋だからだ。

 私が鈴ノ木さんに恋しているから。

 あまり大きく口には出さないけど、こんなに好きなのに鈴ノ木さんが桐吾君の登場で狼狽えてしまうのは私が表に出さないからなのかも知れない。

 なんて酷い彼女だろうか。

 そんな反省をしてると鈴ノ木さんは手を繋ぐ指を絡めてクスクス笑い出す。


「なんですか?」


 ご機嫌に謝罪で水を差す野暮は控えて見上げれば、握った手を目線にまで持ち上げて鈴ノ木さんはまだ肩を震わせながら私の掌を揉みしだいて妙にいやらしい手付き。


「陽幸ちゃんの手は小さくて可愛いよね。爪も丸まって小さくて普段大人っぽいのにそこが子供らしくてずっと触っていたくなる」


 割と気にしてる部分をべた褒めされるのは嬉しいような困惑するようなこしょばい感覚。実際に指でなぞるように触れられているからくすぐったいのとはまた別で、なんだか胸が震える。


「此処は俺のものだ。‘おじさん’じゃ絶対手に入らないよね」


 なぞる先が左手の薬指だったから耳が赤くなるのが自分で分かった。


「気の早い話ですよ。それに根に持ちすぎ」

「だってあの人、陽幸ちゃんの初恋の相手でしょ?」


 見てれば分かると唇を尖らせた鈴ノ木さんの手にまた力が加わる。


「俺だって陽幸ちゃんが生まれた瞬間に会いたかった。誰よりも一番最初に会いたかったけどさ、最後が俺の一人勝ちなら我慢するよ。どうせ法律破ってまで姪に本気で手を出せる訳ないし……」

「そもそもそんな関係じゃないからね」


 恋愛に発展なんて今更有り得ないのにその言いように呆れてしまう。何となく気付いてはいたけど結構根深く嫉妬深いな、鈴ノ木さん。

 

 私がもっと好意を口にしたら安心するのだろうか。態度では随分示しているつもりだけど、言葉が欲しくなるもの、だよね。この場合、求めるものが男女逆のように思えるけど私だって女だから言葉を貰う喜びは分かってる。

 貰ってばかりだからお返しをしたいけど、今口にしても言葉が上滑りしそうで嘘臭く聞こえそうだから嫌だな。なんて出し惜しみだけど。


「……好きだよ、鈴ノ木さん」


 たったこれだけで鈴ノ木さんの不安が和らぐなら私の羞恥くらい安いもの。啄むように唇を優しく食んだ私からのキス。


「良い子だから信用してね」


 頭を撫でて言い含めれば、目を白黒させて顔を沸騰させた鈴ノ木さんが声にもならない状態で何度も頷く。

 自分の方が凄い事をするくせに茫然自失してしまう破壊力があっただろうか。

 愛されてるなぁとしみじみ。

 しかし、鈴ノ木さんは何度も自分に言い聞かせるように口にしていた点だけど、桐吾君は立場的には‘おじ’で説明をしたけど、これがもし等親から外れていたらまた不安になるのだろうか。

 とりあえず今日の所はものは試しで明かす気にはなれないな。


 ――などと考えながら私は鈴ノ木さんの頭を一撫でした。


 

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