表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/32

3章#30 前夜祭


週始めの月曜日、今朝は珍しく目覚ましが鳴るより幾分早く父さんに起こされた。こんな日はたまにあって、要するに天気の悪い日の約束事みたいなものだ。

普段は自転車で通う僕だが、雨が降ったりするとそう言う訳にもいかないので。父さんと同じバスでの通学となるので、少しだけ早起きが必要なのだ。

そもそもバスも自転車通学も、所要時間は15分とほとんど変わらない。ただし、バスだと1本逃すと次まで10分程度の待ち時間が必要となって来る訳で。

この数分の狂いが、朝のドタバタを引き起こすのだ。


何度か僕も経験があるけど、次の便のバスの混み具合は半端ではない。辰南町から大井蒼空町までの通勤者は、ここ数年かなり多くなって来ている様子で。

と にかく朝の通勤時間帯は、すし詰め状態を容易に引き起こすのだ。父さんがいつも利用する時間帯は、それよりは幾分マシなのが分かっているので。

僕も少しだけ早起きして、その便を利用している次第。


そんな訳で、少し早起きしての僕の一声は、お天気情報の確認から。父さんによると、まだ雨は降っていないけど、午後は酷い振りになるそうで。今も風が強いみたいで、ひょっとして台風直撃コースかもとの事。

そう言えば、朝からやけに涼しいと思っていたけど。いよいよ夏も終わりに近付いているみたいだ。僕は身支度をしながら、校舎の屋外に出しっ放しの文化祭用の屋台の資材に思いを馳せる。

夏から出しっ放しなのだが、変に吹き飛んで傷付かなければ良いけど。


父さんも僕の学校行事には興味津々の様子で、どうやら遅い夏季休暇をようやく取れるらしく。夏の間は休みなく働いたご褒美に、好きな感じに連休を申請出来るそうで。

文化祭は見に行くかなと、何故か僕の公演は父さんの耳にも入っているみたい。ハンスさん経由かも、小百合さん宛てに園児達の演目依頼をそれとなくお願いしていたし。

まぁ別に、隠すほどの事でも無いんだけどね。


若い人たちの頑張りを見るのは楽しみだねと、何だか老けた様なコメントの父さんに。文化祭まで、委員をやっているから忙しくなりそうと僕の軽い愚痴。今後帰宅が遅くなるかもと、あらかじめ断わっておいて。

それでこの話はお終い、その後はやや慌ただしく、家を出る支度を各自でしつつ。揃って家を出ると、確かに上空の雲の流れの早い事。暗くて分厚い感じの雲は、いかにも湿気を含んで重そうだ。

雨は嫌だな、台風はもっと嫌だけど。


 バスでの通学も、僕はあまり好きではない。それでも目的の停留所に着いてバスを降りても、ホッとする気分とまでは行かない感じ。相変わらず湿った風が、学校のグランド全体に居座っている。

 屋台の資材の多くは、既にブルーシートで保護されていた。それを目にして、ようやく心にゆとりが戻って来る。おかしな話だが、やっぱり他人の仕事と言えど、不意の災害に蹂躙される姿は見たくない。

 多少の安堵感と共に、僕は自分の教室に向かう。


 クラスの雰囲気も、明らかにいつもとは違っていた。文化祭の準備を通して、クラスにまとまりが出て来ているのも理由の一つ。それに加えて、午後の台風接近のニュースである。

 酷い場合は、もちろん臨時休校だってあり得る訳で。


 いつもは手放しで喜ぶ事態だが、文化祭の準備が丸1日遅れるのは痛いよねと。そんな空気がアリアリで、なるほどそれは確かにそうだ。勉強は二の次、皆の力の入れ込みようと来たら。

 それはまぁいいか、僕は自分の席について取り敢えずは一息つく。それからレポート用紙を取り出して、文芸部出版用の原稿を少しでも進める努力に打ち込み始め。

 日曜日の夜にゲームで遊んでしまったので、実はやや遅れ気味なのだ。


 放課後にまた文芸部の会合があるらしいので、それまでにはある程度目処をつけておきたい。最終的な締め切りは来週の頭なのだが、色々と考えている事もあるし。

 ホームルームが始まっても、僕はどことなく上の空で。部活のある放課後なんて、考えてみれば1年振りだ。その事実が、少しだけ心をざわめかせる。

 ――教室の窓の向こうでは、それに呼応するように分厚い雲が広がっていた。




 放課後の文芸部の部室は、言ってみればカオス状態だった。それは主に部員の精神状態で、締め切りと言うプレッシャーに部員の皆が押し潰されているみたいな。

 この時点で、原稿が上がっている生徒はもちろん皆無。その焦りとか切迫感は、しかし僕に言わせれば当然のモノで。物書きの端くれならば、彼女たちも味わって損は無いと思う。

 それも一つの経験だ、感情の良い悪いは別にして。


 先週からの話の流れで、原稿のチェックは同学年同士でとの取り決めになっていた。最終チェックについては、現部長と旧部長と僕が行う手筈になっているけど。

 何故に外部の僕が優遇されているのかは謎だが、部長さん達に言わせると僕は編集のスペシャリストに見えるらしい。とんでもない偏見と言うか美化である、ただのバイトの身なのに。

 それでも製本作業に、手を抜くつもりは全く無いけど。


「う~ん、絵と文章……ストーリーが噛み合ってない気がするんだけど。絵本だからと言って、無理に子供向けの物語や易しい語りに拘らないでもいいんじゃないかな?」

「僕も池津君と同じ意見かな、パッと読んでもちぐはぐ感が浮き出てるし。絵か文章か、どっちかに合わせる作業をした方がいい気がするなぁ」


 1年同士の打ち合わせは、こんな感じのダメ出しから始まった。僕ら男子部員の感想は、概ね上記の通りで。ぶっちゃけて言えば、破天荒なイラストに文章が負けている印象が強い訳だ。

 イラスト要員の細野さんは、私の絵じゃ駄目ですかと可哀想なくらいに萎縮している。文章を受け持つ近森さんと言う名前の女子部員は、変えるなら私の方だよと慰めモード。

 確かに、細野さんのイラストは個性的で賑やかでとても面白い。その上カラフルで、とにかく人目を惹くキャラを描くのが上手なのだ。その個性を減じさせるよりは、文章をそちらに合わせた方が良いかも。

 そんな刷り合わせも、本作りのセンスではある。


 僕らの方も、取り敢えずは出来あがりのイメージの提示などしつつ。章ごとに何を書くか、大体はもう決めてあるし。それから部員全員に、お勧め本を3冊程度ずつ紹介して貰う予定なので。

 その依頼を含めて、今日の放課後の会合は収穫があったかも。それより外の天候がヤバい、先輩の話だと台風は直撃コースをそれてくれそうだとは言え。

 雨は降り始めていたし、風もかなり強そうだ。


 3年の元部長さんも、打ち合わせが終わったら今日は早めに帰りましょうと撤退を促す構え。他の部活やクラスでの準備要員も、今日に限ってはぼちぼち帰り始めているみたい。

 指導の先生達も、生徒に対して今日は早く帰りなさい的な言葉を発している模様。僕ら文芸部は家に戻っても筆は進められるし、ここは積極的に従うべし。

 帰り支度をこなしつつ、女子生徒へのフォローも忘れずに。


 何と言うか、自分の作品への批評や酷評と言うのは、実は結構堪えるモノなのだ。特に細野さんは、あの性格からしてあまり打たれ強そうにも見えないし。

 お互い良いものをつくろうねと、励ましも言葉に含みつつ。部室を出ると、校舎の窓の外は本当に酷い有り様で。1年生全員で玄関口まで移動して、これは濡れずに帰るのは骨だねと空模様を窺いながら愚痴をこぼしあう。

 こんな学園生活もあるんだなぁと、しみじみ思ってしまうのもどうかと思うけど。まるで普通の学生のように、それじゃあねと放課後の帰宅の一幕に。

 一日の疲れも、何となく癒されてしまう感じ。


 皆と別れた暴風吹き荒れる校門先で、僕はバス停に向かいながらメールのチェック。こんな日に歩き回る気になれないのは当然、バスの時間が合えば乗ってしまうつもりだったけど。

 夕食をどうするかって問題があるのを忘れてた、家に戻っても食べる物が全く無いのだ。メールの中に父さんからの用件を見つけて、真っ先にそれを開いて読んでみると。

 まさに夕食のお誘いで、僕は慌てて行く先を変更する。


 雨足はともかく、風が強い中を歩くのは大変だ。幸いいつも利用するビル街は、ここから歩いて5分と掛からないから助かる。他にもメルと優実ちゃんからもメールが。

 2人とも似たような案件で、台風の接近にかなり興奮しているみたいだ。風が強いよーとか、今日は小学校は午前中でお終いだったよとか。多分だが、幼稚園もそうだったのだろう。

 園児達が酷く濡れていないといいけど、ついそんな事を思ってしまう。


 僕の方は、足元をびしょ濡れにしながらも、何とか目的のビルに辿り着けた。エントランスが物凄く広くて、そこに入ってしまえば雨風の心配は無くなる構造に感謝。

 ここは色んな会社がテナントに入っていて、上の方はパスか予約が無いと進入不可である。だけど3階くらいまでは、普通にレストランやコンビニが軒を連ねているのだ。

 便利なビル街のオアシス的な拠点だけに、実は利用者も多くて普段は混み混みである。だから僕も、普段はあんまり訪れない場所なのだけど。父さんの指定がここの喫茶店なのだから仕方が無い。

 とは言え、さすがに今日は客の数は極端に少なくて。


 安心して店内の雰囲気を味わいつつ、適当に飲み物をオーダーして寛ぎモード。それからハッと思い立って、レポート用紙を取り出して執筆作業に取り掛かる。

 父さんとの待ち合わせ時間まで、まだかなり余裕があるのを思い出したので。少しでも原稿を進めておきたくて、必殺の集中モードへと突入する僕。

 こうなると、外界の喧噪は全く気にならない。


 結局は、不意に父さんに肩を叩かれるまで、僕の執筆活動は止まらなかった。顔を上げると隼人さんもいて、そう言えばメールにもそんな内容の話が書かれてあったっけ。

 このビルの地下は駐車場になっていて、隼人さんはその駐車場に車をおいてあるらしい。今日のこの天候を憂慮して、室長である父さんを送迎してくれるそうで。

 そのご相伴に、僕も与れるらしい。


「凄い集中力だね、凜君……学校の宿題でもしてたのかな?」

「こんばんは、隼人さん。これは文化祭で出品用の冊子の原稿です。締め切りまで間が無い上に、実行委員まで担ってるから……時間は有効利用しないと」

「へえっ、本を出すのか……それは面白そうだね。2学期は色々と学校行事があって、凜も忙しそうだね」


 席に座りながらも、他愛ない会話を繰り広げつつ。久し振りに周囲を見回す僕だが、相変わらず空席ばかりが目立つ店内に。このお店はビルの内側に位置するので、生憎外の景色は見れないとは言え。

 客の少なさから察するに、台風の猛威は衰えてはいない様子だ。父さんと隼人さんは、幸いにも酷く濡れていないみたいだけど。それは多分、勤め先がこのすぐ側のビルだからだろう。

 帰りはこのビルの地下から車に乗るので、濡れる心配は無いと言う有り難さ。


 各自オーダーを通しながら、僕は自身の空腹具合にちょっと驚いてみたり。結構時間が経っていたようだ、そう言えば原稿も半端なく進んでいる気もする。

 3人での話題は、そんな僕の苦労話から文化祭の日程や大学での出し物まで様々に飛んで行き。隼人さんの大学時代にも、やっぱりそこそこ名の売れた芸能人が招かれていたらしい。

 今年のラインナップも、恵さんか真理香さん辺りから入手してるっぽい隼人さん。


 実行委員の僕としては、大学の催し物に負けてなるものかと奮起しないと駄目なのだろうけど。特にそんなライバル意識も芽生えては来ず、どちらかと言えば楽しみだったりして。

 隼人さんに言わせれば、僕発案の『津嶋博士の午後の語らい』が楽しみで仕方が無いそうだ。何しろこの街でも、トップクラスの才女で経歴も申し分ない逸材なのだ。

 地元の企業も、何度も勧誘の打診をしているとの噂が。


 つまりは、街全体の注目度も半端では無いそうな。たった1週間足らずで、そんな事態になっているとは全く知らなかった僕。隼人さんの言葉を聞いて、少し恐くなってしまった。

 それはそうだろう、だってこちらは舞台の穴埋めにと気軽に知り合いに頼んだ体なのだから。まさかこんな大事になるなどと、全く想像すらしていなかった。

 今度また、時間を作って様子を見に行った方が良いだろうか?


 そんな僕の重い内心とは関係無しに、料理が運ばれて来ての夕食が始まった。父さんも隼人さんも、今年の文化祭は楽しみにしているみたいだ。何しろ中学高校大学あわせて、1週間も継続の大イベントである。

 そんな期間の長さより、身内とか知り合いがイベントを企画している事実が、父さん達的には盛り上がる要因なのだろう。期待される身としては、大変には違いないけど。

 食事中は、ずっとそんな感じの会話が続き。


 外の天気も忘れてしまうほど、ほんわかと和やかなムードで食事は続く。話題はずっと、文化祭に関する事ばかり。僕としては何かと慌ただしい日々の連続だが、さっさと本番が訪れて終わって欲しいって程でもない。

 大変は大変だが、みんなと力を合わせて作り上げて行く感が何とも言えず楽しいのだ。例えば自分の力だけで、ゲーム内でキャラを練り上げて行くのとは別次元のワクワク感があって。

 贅沢な忙しさに、本音ではもう少し浸っていたい気分だったり。





 文化祭の準備が忙しいからと言って、まだ普通に授業もあるし、放課後は部活動だってある。教室を飾り付けたり改造したりなど、今の段階で出来よう筈も無い訳で。

 前準備として、自然と出来る事は限られて来るのは当然の事。調理班はメニュー決めや試食会やら、今の段階でもそれなりに忙しいみたいだが。それから衣装班も、可愛いメイド服を作るのだと張り切っているらしい。

 そんな情報を、僕は優実ちゃんから仕入れていて。


 僕の方も、当然ながら放課後は色々と雑務に追い回されていた。ただ、実行委員に選ばれた分だけ、クラスの催し物の手伝いは免除されている感じで。

 委員会の会合とかアーチ作りは、部活動の無い月曜と木曜日と決まっていたので。今日は金曜日なので、一応方々に断りを入れて子守りのバイトへと赴く事に。


 しかしまぁ、これも文化祭準備の一環と言えなくも無い。何しろ、本番まであと3週間程度しかないのだ。園児達には、頑張って舞台での出し物の練習をして貰わないと。

 どこでこんな事態に追い込まれたのかは、もうこの際どうでも良い。幸い教え子たちも、快く舞台出演を引き受けてくれて。メルには散々な条件をつけられたが、こちらも何とか出演オッケーとの返事を貰い。

 むしろ批難されたのは、実は園児達の母親達からだったり。


「高校の文化祭って……あともう3週間しかないじゃない! やだっ、衣装どうすればいいの、夏のお泊り会みたいに、パジャマでって訳にはいかないでしょう?」

「あれはあれで可愛かったけど、確かにそうねぇ。お母さん連合で、突貫でお針子しないと駄目かしらねぇ?」


 そこまで全く気の回らなかった僕は、小百合さんとこよりちゃんのお母さんの前で身の竦む思い。と言うか、普段着で全然良い気もするけど、そこは母親の面子の問題なのだろうか。

 そこからはメルを含めて、あーだこーだと作戦会議。まずは披露曲を決めないと話にならないらしい、それに合わせて衣装も変わって来るそうで。

 なるほど、女性の視点は僕みたいな唐変木とは大違いだ。確かに子供達が仲良く歌って、あぁ可愛い癒されるな的な評価を目指してた僕は大甘だったかも。

 まぁ、園児達の現在の持ち歌はほんの3~4曲しかない訳だけど。


 今は子守りと言う名の演奏会が終わって、夕食前の歓談時間である。智章君と双子はもう帰宅済み、智君の父親が車で迎えに来てくれて、ついでに双子を送って行ってくれたのだ。

 こよりちゃんのお母さんは、毎度の事ながら仕事でお迎えが遅れた様子。それでもサミィと遊んで待っている我が子を、かなり気楽にお迎えに来たのだが。

 僕の出演許可には、真っ先に異議を唱えての会議となった次第である。


「じゃあさ、最初にフードみたいなの被って静かな曲を歌ってさ、その後はフード取って踊り付きの曲にするとかはどう?」

「メルちゃん偉いっ、その案頂き! 凜君、舞台は30分って言ったっけ?」

「ええ、まぁ……園児達の体力からして、それ位が限界かと」

「そうねぇ、複雑になると覚えるのも大変だし、曲数も3~4曲が限界よねぇ?」


 小百合さんはちょっと心配そう、特に反対と言う訳でも無さそうだが。幼稚園のお遊戯会とも違う、高校の文化祭の舞台と言う畑違いな出演依頼に、戸惑いもあるのだろう。

 メルは僕の隣に座って、持って来たノートに自分たちの持ち歌を並べて書いている所。とにかく猛烈な反対に出くわさず良かったと、僕は事の成り行きを女性陣に丸投げ気味だったり。

 なおも白熱する話し合いに、プレイルームで遊んでいたサミィとこよりちゃんも合流して来た。実際はそろそろお腹空いたし、帰る時間だろうとの行動みたいだけど。

 夕食を一緒に食べていけばとの小百合さんの言葉から、僕も騒ぎに巻き込まれ。


 ここから話は変な方向へ、何故か僕が、夕食の支度要員へ回される事に。どうやら女性陣は、この機に舞台のプログラムの骨組みを決めてしまうつもりらしい。ピーラーでジャガイモの皮を剥きながら、園児が加わってさらに騒がしさの増した会議の声をBGMにしつつ。

 雑に扱われるのに、すっかり慣れてしまった僕の心境は多少複雑だけど。これってつまり、家族の一員扱いなのだと納得すれば、不思議と心の芯が温かくなって来てしまう。

 今夜はカレーだ、圧力釜を使えばほんの20分の手軽さとの事。


「旦那さんの夕食はどうするの、タッパーに入れて持って帰る?」

「うちの人はレトルトカレーでいいわよ、普段は外食で贅沢してるんだから」

「わっ、旦那さん可愛そう……」


 メルの呟きはごもっとも、僕も外食が多い身なので、こよりちゃんのお母さんの言葉は身に染みるけど。同じ男として、旦那さんには少なからず同情してしまう。

 そんなぶっちゃけた家庭事情はともかく、この家庭のキッチンでの夕食は和気藹々としていて何より。相変わらず女性パワーは強いけど、僕も既に慣れてしまっているし。

 僕の半分手掛けたカレーも、子供達に高評価を貰って一安心。


 家では相変わらず食事を作る機会は無いけど、それはまぁ仕方の無い事だと僕は思っている。自分で作って自分で食べるなんて、張り合いが無さ過ぎるというか。

 一人で食べる食事と同じで、栄養を獲ると言う味気ない作業に成り下がってしまうのだ。それならまだ外食の方が、一緒に食べてくれる人がいる分マシと言うモノ。

 偏った理論かも知れないけど、僕にはそう思えてしまうのだから仕方が無い。


 食事中にも、女性陣の舞台案の検討は熱のこもった議論に発展していた。仲良し園児のサミィとこよりちゃんの方は、僕を交えてほのぼの会話に余念がない。

 幼稚園での最近の流行の歌とか、友達のカズ君が空を飛ぼうとして怒られたとか。ブロック塀から飛び降りを実証している所を、先生に見付かって大目玉を喰らったらしい。

 羽が無いから飛べないのにねと、冷静なサミィの意見に笑いそうになりながら。こよりちゃんは、男の子ってお調子者が多いよねと、こちらも変に冷静な分析を見せており。

 ここでも男の子の地位は低いらしい、同性としては何とも悲しい事だ。僕は追従はやめにして、鳥の『羽』と昆虫の『翅』の違いの講釈などを垂れ始める。

 生き物の細部の違いって、子供には受けるだろうとの思いからなのだけど。


 完全にキョトンとされてしまって、このネタはどうやら園児には的外れだったみたい。母親側からも、食事中にする会話じゃないでしょうとクレームを頂いて。

 昆虫の件が良くなかったみたい、知識としては面白いと思ったのにな。


 そんな他愛のない会話を挟みながら、つつがなく夕食は終了した。母親達とメルの話し合いも何とか骨組みの完成に至ったようで、満足そうな表情が窺える。

 最後に振る舞われたお茶を飲み干して、こよりちゃん親子と一緒に帰宅の準備。時間は8時ちょっと過ぎ、今夜もハンスさんは遅くなりそうな雰囲気。でもまぁ、パパさんの食べるカレーは本物の手作りだ。

 その点で、ちょっと救われた気もする僕だった。





週末の放課後は、何かと文化祭の実行委員の雑務で時間を取られはしたものの。夜は平和で、辛うじてのほほんとした自由を満喫出来る。これも帰宅までの忙しさによる、相乗効果から生まれる余裕と言うか。

とにかくネットにインして暫しの歓談、ギルドメンバーとの雑談やらフレンドからのNM退治の同行依頼やら、お店への合成依頼やら競売のチェック等々。

のほほんとの雰囲気は前言撤回な勢い、何故かリンの周辺も忙しさの大波に晒されている感じ。そんな中でやっと動き出したのは、やっぱり鶴の一声のギルマスの沙耶ちゃんの言葉。

どうやら今夜は、妖精の里のクエを片付ける予定らしい。


社会人チームを含め、ギルメンは全員揃ってイン済みである。杉下さんも既にギルド所有の館に詰めて、出動準備はオッケーとの事で。館の転移魔方陣からの直通ルートは、こんな感じで超便利。

妖精の里の連続クエだが、前回は本当に散財させられた。宴会するからお酒を持って来いと言われ、炎の神酒だとか闇の密酒だとかを妖精たちに貢がされ。

それじゃあ足りない、気を利かせてつまみも持参しろと、横暴なチビ達の我が儘に振り回された挙げ句。里の真ん中の大樹の近くの切り株に、半分自棄な投げやりトレード。

その結果、今回はようやく宴会の風景に巡り合えたみたいだ。


『……ここまで長かったなって思うのは私だけ?w』

『ダンジョン1個は軽くクリア出来るほど、薬品と食糧貢ぎましたもんねぇw』

『確かにねぇ……あっと、この宴会の目的がようやく判明したっぽいかな? 妖精の女王の降臨を祝う、三日三晩続く大宴会なんだってw』


酔っ払い妖精の呂律の廻らない説明セリフに、おおっとどよめくパーティメンバー。苦労して貢いだ甲斐もあった、ようやく新しい展開が巡ってきた様子だ。

切り株の舞台で、大盛り上がりの宴会に興じる妖精達。パーティ総出で、各々にチビ共の話を訊いて回ってみると。何やら不穏な独り言を漏らす、やはり酔っ払いの護衛妖精が一人。

ソイツはこの近辺をうろついていた商人から、夜中にこっそりと積荷を拝借していたそうで。その中に確かナニカの呼び鈴があったけど、ソレどこにしまったっケなとの酒臭いセリフに。

そんなに心配なら、酒盛り切り上げて確認に行きなさいとバク先生の弁。でもこれって、何かのイベント事件の前振りなんじゃと杉下さんの控えめな意見。

そして案の定に起きる、呼び鈴が暴走したとの強制動画でのイベントが。


明らかに保管不備でしょと、変なテンションのバク先生の怒りはともかくとして。ようやく連続クエに進展があったと、僕としてはホッと胸のつかえの取れる思い。

さて戦闘だと、張り切っている沙耶ちゃんと優実ちゃんのコンビ。ようやく終わった強制動画はともかく、出現した筈の敵が視界内に見当たらないと言う事態に。

僕とホスタさんは、率先して偵察に赴く事に。


綺麗に姿を消した妖精たちに、手掛かりを聞く手段も見当たらないまま。そんなに広いエリアでも無いので、キャラをひたすら移動させての手当たり次第な探索に。

BGMもいつの間にか消え失せて、それが酷く心細い演出になっている。敵の第一発見者は杉下さんで、何となく例の北の滝壺へと足を延ばしてみた結果らしいのだが。

イソギンチャクに似た、変てこ植物タイプとの報告が飛び込んで来る。


すかさず全員で合流して、その場の状況を確認をしてみると。どうやら数匹の戦闘妖精たちが、必死に滝の通路を通せんぼして闘っている最中っぽい。

植物NMは全く意に介さず、種子巻き特殊スキルからチビ分身を呼んでいる様子。それが滝の裏手に入り込もうとしているのを見て、沙耶ちゃんの銃が火を噴いた。

それを合図に、一斉に振り向く敵NM本体とその眷属達。


先生が真っ先に挑発スキルを本体に撃ち込み、いざ戦闘の始まりだ。チビ分身は今の所たった2匹で、発見が遅れていたらどうなっていた事やら。杉下さんに感謝しつつ、チビ分身の相手はプーちゃんと雪之丈にして貰う事に。

前衛陣も変てこNM植物に取り付いて、早速削りに参戦するのだが。たまに来る特殊技の種子砲塔と言う技が、妙に痛くて性質が悪いとパーティ意見は一致して。

何しろこの技、後衛を狙い撃ちして来るのだ。


しかも当たった種子がその場で、チビ分身へと変化する性質の悪さ。もちろん狙うのは、砲弾の当たった後衛である。優実ちゃんが悲鳴を上げるのも当然、咄嗟に沙耶ちゃんが氷漬けにしたのはさすがだが。

本体の方は、幸い範囲技も存在しないみたいで前衛にしてみれば削りやすい仕様である。だからと言って、これが呼び鈴モンスターのレベルかと訊かれれば、決して納得出来ないけれど。

とにかくリンが砲撃技を潰し始めて、何とかこちらのペースに。


『終わった、やっつけたっ! 呼び鈴仕様のモンスターの癖に、何かやたらと強かった気がするのは私だけ?w』

『いや、実際に強かったですよ、バク先生。範囲技は無かったけど、攻撃手段が幾つもありましたからねw』

『勝ったのはいいけど……BGMも変わらないし、この後どうすればいいのかな?』

『本当だねぇ……あれっ、さっきまで飛び回ってた妖精もいないや。ひょっとして、滝の裏に行ける様になったのかな?』


何気ない優実ちゃんの発言に、導かれるように動き始めるメンバー達。未だに戦闘音楽に変化が無いのも気掛かりだし、ひょっとしたら討ち洩らしがいるのかもとの不安も広がって。

変なところで鋭い優実ちゃん、推測通りに滝の裏に真っ直ぐ伸びる小道を発見。以前は無かったその道の奥の小部屋で、妖精と種子モンスターの戦闘もついでに発見して。

慌てて雪崩れ込む前衛陣と、それをせっつく後衛陣の構図。


結果として、僕らの応援は間に合ったようだ。僕らの目を盗んで入り込んでいた敵の数は2体、対する護衛妖精の数も同じく2体。その奥に、一際立派な衣装の光り輝く小さな姿が。

目ざとくそれを発見した優実ちゃんは、今日一番のテンションの盛り上がり様。チビ分身を相手取りながら、僕ら前衛も早く話し掛けたくて気が急いてしまう有り様。

だってそうでしょ、ようやく巡り会えた里の主だもの。


幸い護衛妖精の被害もなく、戦闘もほんの数分で勝利を勝ち取り。さてお待ちかねの、妖精の女王との面会と相成って。何故かいそいそと、一番先に進み出たのは優実ちゃんその人。

見守る僕らも、強く反対する者は皆無である。どうせ強制イベントが挟まれて、そう言う話の進行だろうと予測しているのもあるけど。何しろ本人が、目の前の存在に強い憧れを抱いているのだ。

それを止めると言うのも、いかにも無粋だろう。


案の定始まった強制動画は、しかしある意味型破りだった。ビビリまくっている、高貴な筈の妖精の女王。結界が里の安全を確保したから、こうやって降臨したのにとおカンムリ。

叱られている護衛妖精も、可哀想なくらいしょげ返っていて。2匹揃ってゴメんナサイと、女王の怒りの嵐が去るのを待つばかり。これには結界を張る作業を手伝った僕らも、一言申したい思いだけど。

そこでようやく、僕らの存在に気付くチビ女王様。


――ちょっと、今の見たミタ? 安全だって言うハナシだから、わざわざ精霊界から降りてキタってのに! 全く、同属の警備のアマさには嫌になっちゃうワ!

そうダ……アナタ達、この世界で出回ってル“精霊石”っての見たコト無いかしら? それを見つけて、ワタシの元に持ってキテ頂戴ナ。そしたラ交換にいいモノあげル♪

なるべく早くネ、ワタシの身の安全が掛かってルんだかラ!


『……女王様も、あんまり他の妖精と性格変わらないんだねw』

『本当だねぇ、さてどうしよう? 精霊石の予備は無いし、妖精の里の売店の奴はン十万と高いのばっかりだし……』

『そもそもアレって、呼び出せるの妖精じゃんw 女王様は、それじゃあ納得しないと思うけどなw』

『僕の予備の“アングリーベア”渡そうか? ちょっと勿体無いけど、せっかく里のクエに動きがあった訳だし。どうせなら、今日中に終わらせたいでしょ、みんな?』


パーティでの話し合いは、そこから珍しく紛糾してしまう破目に。勿体無いよとの意見が多いせいで、確かに予備とは言え、今後この子に巡り会える確率は極端に低い。

呼び鈴の奉納くらいならともかく、まさか精霊石まで差し出す事になろうとは。僕の持っていた微笑石も、酷使の末にとっくに割れてしまっていて。消耗品は、これだから始末に負えない。

幸い“Sブリンカー”の方は、レベルダウンだけで済むみたい。割れないのは有り難い事だ。優実ちゃんの白ネコも、先日の撃沈に何とか1度は持ち堪えた様子で。

 とは言え、こちらはあと数度で割れてしまう運命らしく。


議論はそのまま、迷宮入りしてしまうかと思われた矢先。耳を疑う発言をしたのは、何と優実ちゃんだった。しかもそれが、自分の白ネコ手放してもいいよとの内容で。

夕食に悪い物でも食べたのと、幼馴染の沙耶ちゃんの心配はごもっとも。何しろ優実ちゃんの、自分のペット達への溺愛振りは半端では無いからだ。

僕も知っている事実を述べてみようか。例えば、毎日フィールドを散歩させているとか、ネコ獣人の砦に売られているペットフードを毎週食べさせているとか。

あのアイテム、買うのを躊躇う程度にはお高い設定だと言うのに。


『うん、手放すのは凄く悲しいけど……女王様なら可愛がってくれると思うし、いいモノ食べさせて貰えると思うし。この子手放して、私はやっぱり本物のピーちゃんを買う事にしたっ!』

『本物……? ああっ、白ネコもピーちゃんって呼んでたっけ。つまり白ネコ手放して、妖精のお店で精霊石を買うって事ね? 仕方ない、少しだけどカンパしてあげるわ!』


さすがに幼馴染だけあって、沙耶ちゃんの理解は早い。僕や他のメンバーは、優実ちゃんの話の突飛さに面喰うばかりで。それでもカンパ協力するよと、仲間たちからの支援の声は温かい。

それに後押しされたのか、別離の勇気を得た優実ちゃんは、妖精の女王様にトレードを行ったみたい。すぐに次の動画が出て来て、ご満悦の表情のチビ女王。

詳しい言葉の内容は省くけど、要するに感謝している様子なのは動画から窺えた。そして貰ったお礼の報酬に、今度こそメンバー揃って驚きの声を上げる事に。

聖の宝珠だ、こんな事ってアリだろうか。


『すっ、凄いモノお礼に貰っちゃった! こっ、これどうする?』

『さすが女王、太っ腹だわね……貴重な子を手放した甲斐があったじゃん、優実!』

『なるほど……この妖精の裏種族は、戦闘系よりお金の掛かるアイテムのクエが多い仕様なのかもですね。呼び鈴に精霊石、それからエーテルや薬品類』


確かに、ホスタさんの意見はもっともだ。今まで色々と、クエ消化に散財して……と思ったけど、実際はギルド所有のアイテムばかりで、そんなにお金は掛けてないのが実情なのだけど。

まぁクエ発生の度に、買い足す手間が省けたのは有り難い事だ。その上に、こんな豪華な報酬まで貰ってしまって。パーティで相談した結果、聖の宝珠は優実ちゃんの元へ。

功労賞みたいな感じだ、本人も喜んでいて何より。


その優実ちゃんの意気込みは、新魔法よりピーちゃん買うぞ! の予定に大きく傾いてたけど。優実ちゃんを先頭に、ぞろぞろと妖精の里の露店通りへと赴く一行。

続いて僕らが受けた衝撃は、さっきの妖精の女王の降臨と、果たしてどちらが大きかったか。何とこの里の中で、初めて別のキャラとばったり遭遇してしまったのだ。

僕らギルドの貸し切り状態は、この時点で終了と言う訳だ。


僕はその事実を知って、内心でかなり残念がっていたのだが。他のメンバーの心境も、僕と似たり寄ったりなのかも。ただし唯一無二の優実ちゃんは、そのキャラの容姿を見ていきなりテンションUpした模様。

雷属性の♀キャラで、恐らく後衛術者仕様なのだろう。今は街着に着替えて寛いだ感じを出してるが、彼女の側には何と毛むくじゃらのペットが控えていたのだ。

その後ろには妖精も飛んでいて、今はこちらを見付けて驚いている風。


それはまぁそうだろう、向こうも貸し切りエリアとの認識で、勝手気儘に寛いでいた筈だ。それなのに突然の団体様の襲来である。驚くなと言うのも無理な相談。

しかも優実ちゃん、ペットとシオちゃんを引き連れて、ここぞとばかり変な踊りを始めてしまい。白猫と黒猫のシンクロした踊りは、ここ最近の暇な時間に、2人で熱心に練習していたっぽいけど。

傍から見てると、プーちゃんの変な動きと合わさって割と楽しいかも。


まぁ、巻き込まれた杉下さんには同情するけど。さらに一通りお披露目を受けた雷♀キャラの中の人、辛うじて拍手を返してくれて。完全ノーリアクションで立ち去るパターンでなくて良かった、ネット空間でもそれは後味が悪かったりするので。

ところがその雷♀キャラ、それ以上のリアクションを示してくれて。


『こんばんは、賑やかなギルドですね……それより、何でここにヨツバが? そちらの“封印の疾風”は有名人ですね、100年クエも進行は順調なご様子で』

『はぁ、こんばんは……僕はともかく、ヨツバの事を知ってるんですか? えぇと、ネリーさん』

『正確には、そのキャラを育てた張本人を知ってるんですけど……今、ギルド会話で呼びましたので、すぐにこちらに来ると思います』

『えっ、(かなめ)お兄ちゃんですか?』


ええっ、て事は……この雷♀キャラは、杉下さんの従兄の所属する『珈琲無礼区』のメンバー? 沙耶ちゃん達は要領を得ていない様子だが、つまりはバリバリのライバルギルド員である。

まぁ、このエリアに滞在している事実からも、それは察する事は出来るけど。しかし妙なタイミングで、競合者と角をかち合わせる事になっちゃったな。

別段にいがみ合う存在では無いけど、やっぱり意識してしまいそう。


そんな事には無関係なメンバー達、そのペットも可愛いですねとか、いきなり意気投合しそうな勢いでお喋りが始まっている。恐らくだが、向こうの中身も女性っぽいと推測する僕。

そんな中、異変に気付いたバク先生がパーティに話し掛ける。暇なのでお店チェックをしていたら、何と軒並み品物の値段が下がっていると言う嬉しいハプニングが。

それを聞いた優実ちゃん、慌てて駆け寄り精霊石の値段チェック。それから速攻で購入に至ったようだ、ピヨッと現れる3代目の妖精ピーちゃん。どの種類だろうか、前より少し装備が変わっているような気が。

ギルメンからの祝福の声の中、再びペット総出で踊り始める優実ちゃん。


余程嬉しかったのだろう、その気持ちは分からないでもないけど。会話の途中で放り出されたネリーさん、面喰った感じで事の成り行きを見守っている。

全て説明する義理も無いけど、取り敢えず流れだけはと思ったのだろう。バク先生が、今夜こなしたクエとか優実ちゃんのペット事情を簡単に説明すると。

ああ、それで自分のいたエリアにシフトしたんですねとネリーさんの弁。


『シフト……ああっ、今まで出会わなかったのは、別のエリア扱いだったからですか』

『多分そうじゃないかと……アミーゴのメンバーとは、割と以前からすれ違ってましたけど。ホラ、あの“白き死神”とか?』

『恵さんとも知り合いなんですか、闘技場で知り合ったんですかね?』


僕の事も知ってたみたいだし、最近はネット上での対人戦の動画も流行ってるみたいだけど。ネリーさんは言葉を濁していたが、直接の知り合いと言う訳でも無いだろうに。

トリップしていた優実ちゃんも戻って来て、場は一気に賑やかな会話の応酬に。それに輪を掛けるように、どこかからか雪崩れ込んで来たキャラが会話に加わって来た。

杉下さんの説明では、1人は彼女の従兄に間違いはない様子。キャラ名はカナメと言って、水♂種族の術者ベースのようだ。いきなり従妹に纏わりついて、その溺愛振りは少し異常かも。

もう1人は、僕も動画で何度か見掛けた事のある有名人。つまりは夏の対人イベント3位チームの“不沈艦”のシャンその人である。炎♀種族の盾役仕様だが、動画で見た限りでは削り力も充分に持っていたような。

最近の流行の、削って護れる前衛の代表キャラだ。


『シオリン、何で最近は遊びに来てくれないのっ? 兄ちゃん寂しくて、勉強もゲームも手につかないよっ!』

『暑苦しい奴だな、相変わらず……いい加減に従妹離れしろ、向こうも迷惑してるだろ』


ヨツバに言い寄る従兄に対して、辛辣な言葉で批難している炎♀種族のシャン。言葉使いは男っぽいが、果たして中身はどちらだろうか。僕にはどちらでも良い話だが、向こうのギルドの力関係は把握しておきたいところ。

例えば、ギルマスは誰なのかとか、参謀役は誰なのかとか。杉下さんの従兄さんは、恐らくその筋では有力だと思うけど。そう言えば、僕らのペアのテニスの試合を熱心に応援してくれていた人がいたような。

顔は思い出せないが、騒々しかったのは記憶の隅っこにある。


杉下さんは、いつもの引っ込み思案な態度では話が進展しないと気付いたのだろう。邪魔な従兄を押し黙らせて、僕らギルメンを紹介し始める。それから簡素に、自分の従兄を僕らに紹介。

以前聞いていた『珈琲無礼区』の、主力メンバーなのには間違いないようだ。つまりは今ここに集合したメンバー達に加え、不在っぽい“閻魔”のクルスを含めて。

100年クエのライバルギルドだ、向こうはどう思っているか知らないが。


杉下さんを通じて、これで互いに知り合いになった2つのギルド。向こうもそれに応じて、簡単に自己紹介を返してくれる。主力の一角の“閻魔”のクルスは、社会人でインはまばらだとの事。

知りたい情報は山ほどあるが、それを素直に聞いても良いモノか。逆に言えば、こちらの質問にバカ正直に答えてくれるだろうかとの、疑問も湧き上がって来る。

まぁ100年クエの進行具合など、正直に答えても差し障りがあるとも思えないけど。秘密にしておきたいと考える者もいるだろうし、無頓着な場合もあり得るし。

僕の場合は、腹の探り合いを含めて楽しむタイプだろうか。


そんな事を考えてると、従兄のカナメさんが単身僕の前へと近づいて来た。ヨツバとのじゃれ合いはもう良いのだろうか、ってか僕はギルマスですらないし。

そうは言っても、このギルドで名前が売れてるのは、やっぱり“封印の疾風”のリンなのだろう。恐らくだが、向こうのギルドの参謀役もこの人に違いない。

束の間、キャラの間に圧縮された緊張感が爆ぜた気がした。


『なるほど、君が“封印の疾風”だね……? シオリンとテニスでペアを組んでたのを別としても、僕は昔から君に一目置いてたんだよ……どうだい、今度少し情報の遣り取りの時間をとってくれないかい?』





言ってしまえば、街中が何かの喧噪だか焦燥だかに覆われていた。そんな切迫感は確かにあったし、その中心がこの学園エリアだったのは間違いのない事実であろう。

学園都市の一面も持つこの大井蒼空町ならではの、それはある意味風物詩なのかも知れない。日本的にお祭りが有名な街の、お祭りの前の週の空気とか。世界的に景観が有名な観光地の、日常のごった返す雰囲気みたいな。

そんな雰囲気の中心にいると、時間の流れの何と早い事か。愚痴ってなどいられないけど、もう少しコレに時間を掛けたかったとか、アレは再考の必要があったかなとか。

とにかく多忙を極めた、文化祭までの準備期間。


後半の2週間に関しては、ダイジェストでお送りしたいと思う。説明する暇も無いと言う訳では無いが、とにかく忙し過ぎて振り返っても記憶が曖昧なのだ。

歳は取りたくないな、いや冗談だけど。


まずはクラスの出し物は、甘味屋さんの模擬店に決定していた。これはクラスの第一希望が通った形で、級友達のヤル気は軒並み上昇を見せているっぽい。

これには色々、表に出せない思惑も絡んでいるとかいないとか。クラスの男子連中は、密かに色っぽいメイド服の制作を期待しており。何しろうちのクラス、美人が多いともっぱらの噂。

僕の耳にも、衣装案は絶対に通すと、方向違いのヤル気の声が届いている始末。


そんな衣装を、沙耶ちゃんや優実ちゃんが着るとなると、僕としては微妙な所。いや、別に見たくない訳ではないのだけど。大勢の目に晒されるとなると、話は変わって来る訳で。

分かるでしょ、そんな微妙な男性心理。


とにかく、そっち系の衣装の話は別にして。模擬店の準備は、今の所至って順調らしい。衣装関係も食材の調達や調理の支度も、主に女生徒が仕切る事になっていて。

僕ら男性陣は、直前の模擬店の飾りつけまでは、ほとんどする事が無いという。


それはそれで平和と言うか、僕に関しては他で幾らでも忙しい場面を満喫出来る訳だし。例えば、文芸部の出版物の編集作業の手伝い。はっきり言って、これは地獄だった。

何冊かに分けて出しましょうと、発案した張本人は僕だけど。それを後悔するのに、さほど時間は掛からなかったと言うか。さらに執筆まで手掛ける約束、これがまさに火に油状態を引き起こし。

妥協を許さなかったのも悪いが、追い込みは過酷を極めた。


締め切りに辛うじて間に合った部員の数は、何と半数を少し超える程度に留まって。まぁ、文学とか芸術とか言うモノは、時間を掛ければ形になるとは限らないのは分かっていたけど。

芸術作品と呼ばれるものの多くが、まさにそうである。時間さえあれば誰もが芸術的センスを発揮出来るかと問われれば、決してそうではない訳で。つまりは、書きたくても筆が進まない状況は、必ず誰もが経験する修羅場なのだ。

庇う訳ではないが、作品ってそんな苦悩から産まれるのも事実。


新旧の部長さん2人は、この原稿提出を受けて顔面蒼白状態。それはそうだろう、外部への手助けまで募って、まさか原稿が揃いませんでしたでは話にならない。

僕ら1年生グループ中心の2作品は、何とか締め切りには間に合っていた。後は細かい出来上がりの調整を打ち合わせるだけ、つまりは校正までは持っていける状態である。

結果から言ってしまうと、締め切りを破った連中は全て上級生だったりして。


実は僕は、こうなってしまった場合の事もある程度は考えていた。しかし、高校最後の作品を残すべき3年生の原稿が間に合わない事態は、全く考えていなかった。

そこからは、まさに地獄の編集作業に。


一人で筆が進まないなら、外部の人間の脳みそを借りれば良い。余り褒められた手段ではないが、原稿を落とすよりは遥かにマシである。僕らは一丸となって、パソコンの側に陣取って、とにかく意見を出し合った。

結果、下校時間を遥かに過ぎた頃になって、居残りを許可してくれた先生がもう無理と根を上げる時刻になって、ようやく全ての原稿が完成を見せて。

猛烈な疲労感が漂う中、束の間何とかやり遂げた達成感が。


それはまさに、集大成と呼べるモノだった。時間が足りなかったとか、人の意見がわんさか入ってるとか、そんな些細な事はこの際どうでも良いのだ。ただ、投げ出さずに成し遂げる事が出来た。

それが僕らの、延いては部の今後の糧になるのだ。


泣き出しそうな声音で、手伝って貰った先輩達からの感謝の言葉が紡がれる。とにかく一区切りついた安堵感から、何となく拍手や万歳など巻き起こってみたり。

その後は部員が一斉に、居残りの先生に追い立てられての下校となって。この時期は大目に見られる居残り作業だが、父兄の目もあるし限度はやっぱり存在する。

何にしろ、間に合ってよかった。後は製本して、完売を目指すのみ。



次の日は休日で、僕と文芸部の新旧部長さんコンビは、朝から師匠の印刷所に訪れていた。目的はもちろん、出版する冊子の打ち合わせ。どの冊子を何部作るかは決めてあるが、表紙の紙の質とか色をどうするかとか、細部を打ち合わせしないといけない。

師匠の印刷所は、自慢じゃないけどそれほど大きくは無い。だから印刷用の紙のストックも、決定してからの取り寄せになってしまう。仮に入稿が遅れても、印刷作業で遅れを取り戻すのは不可能に近いのだ。

その反面、近くにご近所の家屋の類いが存在しないので、少しくらい夜に機械を動かしても迷惑にはならないと言う利点が。それでもやっぱり限度があるし、校了の時間も必要だしね。

だからスケジュールの厳守は、とにかく必要なのだ。


「うん、それじゃあ……次の打ち合わせの時には見本が出来てる筈だから、それでオッケーなら指定された冊数を刷り始めます。受け渡しは、この日には確実に」

「はっ、はい……お世話掛けますが、よろしくお願いします!」

「お願いします、あのっ……それまで手伝える事って、何かないですか?」


スケジュールの書かれたカレンダーでの打ち合わせに、新部長の遠藤さんは少し不安顔。何しろ師匠の業務用カレンダー、作業日程がびっしりと書き込まれて溢れ返らんばかりなのだ。

この期間の忙しさは、はっきり言って並ではない。僕は去年の手伝いで、それを嫌と言うほど思い知らされていた。今年は僕自身が忙し過ぎて、余りバイトに入れないけど。

それでも今日は、実は夕方まで印刷所を手伝う予定である。とかくこの時期に自主制作本を作ろうかなってグループが、学区内に多数存在するのが多忙の理由で。

大学のサークルとか、学校の文化祭用の案内パンフとか、とにかく色々。


「はははっ、君たちはお客様なんだから、そんな事は気にしなくていいんだよ。実際、印刷の仕事は力のいる作業が多くてね……素人さんだと、腰を痛める可能性が」

「そうなんですか……池津君が、この後仕事を手伝って行くって言ってたんで。私にも何か出来る事無いかなって……」


僕はちゃんとバイト料貰ってますからと、素人では無い事をさり気なくアピール。人手が欲しくない訳ではないが、師匠も言っている通り女子にはキツい仕事場なのは確か。

夏の残暑の中、機械の前にいるだけで既に大変な重労働である。その作業を思って、今から気力が萎れているのは致し方が無いと言うモノ。まぁ、夕方までは頑張るけどね。

最近バイトに入れなかったから、その分取り戻さないと。


釈然としない表情の新旧部長は、そのままの顔付きでお暇を告げる。既に作業着に着替えている僕は、さてやりますかと師匠と目配せを交わす。

今日もハードになりそうだ、外の夏のざわめきがそんな予告を僕の耳に運んで来る。分かってますよと、心の中で応答するけど。編集部の階段を下りて、原紙の山と対峙するとやっぱり盛り下がる闘志だったり。

いや、頑張るけどね……霧散する気力を掻き集めながら、僕はそう呪文のように繰り返すのだった。



唐突だが、9月には休日が2日ある。その内の敬老の日の朝方に、僕は学校の校門前に呼び出されていた。文化祭実行委員の、務めを果たすために。

つまり、呼び出したのは椎名生徒会長その人で。何故か一緒に、灰谷前生徒会長も居合わせていたけど。僕の方も、これまた何故か魁南を抱えての集合で。

顔を見合わせて互いに戸惑い、暫しの無言。


この日は生徒会長から、講演依頼を受けて下さった津嶋(いや、今は立花性か)博士へ挨拶に伺いたいとの相談を受けて。礼儀を通すのと、そろそろ講演の内容を知りたいのと両方の意味だと思うけど。

僕も丸投げは気になっていたし、薫さんにそれとなくもう一度一緒に連れて行ってくれ的な事は頼んでたのだが。何故か魁南のみのご同伴、いや子守りを仰せつかっただけなんだけど。

どうやら薫さん、今日は朝から赤ん坊の定期検診に出掛けるらしい。


出版仕事も忙しいし、師匠もそっちから手が離せないらしく。仕方なしに、魁南を抱えて山道を通り抜けて学校方面へ。大きな犬に会えると知って、魁南のテンションは朝から急上昇。

基本的に生き物が好きな性格みたい、怖がるよりは随分マシだと思う。


「……子供連れとは、随分大胆ねぇ池津君? 今日は挨拶に伺うって、はっきり伝えておいた筈だけど?」

「灰谷先輩も一緒ですか、お早う御座います……ホラ、魁南も挨拶して」


お早う御座いマスと、チビッ子ギャングの元気な挨拶。完全に毒気を抜かれた表情の椎名先輩と、それが可笑しくて仕方が無い雰囲気の灰谷先輩。

僕は簡単に、伝手を頼っての講演依頼の、その伝手元に子守りを頼まれたのだと説明する。つまりはこの子も、立花夫婦と知らぬ仲では無い、連れて行っても平気だ的な。

眉を顰める椎名先輩だが、辛うじて納得はしてくれた様子。


そこからは僕の先導で、旧住宅地へと向かう一行。椎名先輩も灰谷先輩も、新住宅地の出身である。こちら方面には疎いらしく、物珍しげに視線が彷徨っている。

僕もメル姉妹の子守り以外に、出向く事はほとんどないけど。幸い迷う事無く、いつかの立花家へと辿り着く事が出来た。出迎えのメロンちゃんも、尻尾を振って元気に挨拶してくれる。

魁南が早速、ナデナデ攻撃を開始。


「へえっ、ここが教授のお家なんだ……中庭が破壊されているのは何故かしら?」

「お隣同士、幼馴染同士の結婚らしくって、中庭を改造して子供塾を作るらしいですよ? 英語を教えるとか、そんな事言ってましたけど」

「英語だけ? 勿体無いな、その気になれば引く手数多だろうに。夫婦とも、色んな分野で有名人なんだから……」


灰谷先輩の呟きに、この人が今日ついて来た理由が何となく透けて見える気がした僕。こんな冷静沈着を絵に描いたような先輩でも、ミーハー気分って存在するんだな。

僕より遥かに付き合いの長い椎名先輩も、そんな彼には批判的な視線を送っている様子。今日の予定をないがしろにしないでよと、態度がそう物語っている。

そんな事に関係ない魁南とメロンちゃん、ナデナデとペロペロ合戦が凄い事に。


それじゃあ呼び鈴押そうかなって、行動を起こす前にその人物は現れた。弾美さんだ、今は頭にタオル巻きにジャージ姿、どうやら離れの内装の着工中だったようで。

老犬の遠吠えで、誰かが来たのを察したのだろう。その後ろから、休憩すんのかとゾロゾロと男衆の群れが湧き出て来て。大半は、以前の来訪の際に見掛けた人達だ。

幼馴染兼ギルメン、今は工事手伝い人と言った所か。


「おうっ、久し振りだな。チビだけか、薫っちはどうした?」

「赤ん坊の定期検診で、今日は朝から病院の方へ。お久し振りです、弾美さん。今回は、講演を引き受けてくれたお礼をしたいそうなので、生徒会の会長さんを連れて来ました……今、お時間大丈夫ですか?」

「おうっ、じゃあ上がれよ……メロン、それ以上はメッ!」


構ってくれる小さいお友達の来訪に、かなりハイ状態になっていたメロンちゃん。玄関前の門が開くと、それでも忙しなく尻尾を振って歓迎の挨拶をしてくれる。

弾美さんが魁南をひょいっと抱っこすると、それボクの友達とメロンちゃんの抗議。仕方なくそれを背中に乗せてやると、両者のテンションは今日一番のヒート模様。

様になってる、犬ライダーの出来上がりだ。


実際は、すぐに回収されて母屋へと歩き出した弾美さん。不満なのは魁南もメロンちゃんも同様な様子。抱っこされているのに大暴れの魁南、チビッ子ギャングの二つ名は伊達では無い。

即席縁側からリビングに上り込んだ弾美さん、騒がしい子供は僕に預ける事にしたようだ。僕の存在に気付いた男衆が、それぞれ挨拶を投げ掛けてくれる。

僕は魁南をあやすのを諦めて、大人の対応を取り戻す。


「およっ、この前の学生さんか……今日はまた、別嬪さん連れて来たな! 弾美に何の用? ひょっとして、弾美のファンか何かかよっ??」

「いえ、学校の先輩と言うか生徒会長と言うか。今度の文化祭の講演の事で……だからどっちかって言うと、今日は奥さんの方の要件ですね」


何となく嫉妬混じりの弘一さんの質問に、僕は苦笑交じりの返答を返す。汗だくで仕事をこなしていたらしい男衆、お陰で離れの小部屋の内装は、割と綺麗になって来たような?

そんな、ごちゃごちゃした場所が大好きな魁南。よそ様の家にも構わずに、突進を掛けようと画策していたようなのだけど。進さんの制止の声に、何故かメロンちゃんの方が反応して。

チビッ子ギャングを、大きな体で押し戻す仕草。


な、何て賢い子なのだろう……多分工具類とかいっぱい放置してあって、危ないから入ったら駄目と、飼い主に散々注意されていた為だと思うけど。

それに抗議しようとする魁南だが、ガタイの大きさでは完全に相手に分があった模様。シャツを口に引っ掛けて、ズルズルとこちらに引き戻してくれる姿にはちょっと感動してしまった。

躾って、犬も子供も大事なんだなぁ。


僕が変な事で感心している間にも、生徒会会長コンビはリビングに招かれていたようだ。そこには瑠璃さんどころか、その友達らしき女性陣も多数いるっぽい。

今日は何かの集まりですかと、リビングからあぶれてしまった弘一さんに問いかけるけど。最近は大工仕事を理由に、ちょくちょく皆が集まってるよと呑気な返事。

つまりは、集まる理由は特に何でも良いらしい。


不思議なカリスマ性を持ってる人だ、弾美さんは。人気者って、学年に大抵1人は存在するとは思うけど。そう言うのは卒業と共に、そうでなくなるパターンが実は多いと思うのだが。

この人の側にいれば、不思議と元気が湧いて来る。全然退屈しないで済むし、いつも何かしらハプニングが巻き起こる。それに揃って取り組むのが、とっても楽しい経験と一体感を生む。

ごく稀なのだが、そう言う人は本当に存在するのだ。


幼馴染同士の絆が、こうやって休みの日ごとに仲間を引き寄せるのか。それとも単に、同じネットゲームと言う趣味を持っているせいなのか。新婚の幸せに、ただ人が集まって来ているだけなのか。

理由は判然としないけど、この場所に温かで幸せそうな雰囲気が存在するのは僕にも分かる。そこに浸っていたいと思うのは、多分誰もが持ち合わせている性なのだろう。

僕にとっては、沙耶ちゃんの家のリビングの情景みたいな。


中庭で休憩に入る男集と、他愛ない世間話を繰り広げながら。僕は何となく、沙耶ちゃんの事を考えていた。彼女もギルマスを務めていて、同じく求心力みたいなものを持っている。

それは僕も認めているし、クラスでも頼り甲斐のある人気者的な存在でもある。それからストレート過ぎる、強烈にお節介な性格。アレはある種の母性なのだろうか?

懐の深さ的なものは、多分弾美さんの方が大きいとは思うけど。


リビングでの瑠璃さんと生徒会長の挨拶は、今はどうなっているんだろう? ついさっき、瑠璃さんが中庭のメンバーに、お茶の差し入れを持って来てくれていたけど。

僕の顔を見て、思いっ切り怯んだ表情を見せたと感じたのは僕の思い過ごしだろうか。どちらかと言えば苦手なモノに出会ったような、また無理難題を吹っ掛けられるのを恐れるような。

女性にびびられるのには慣れているとは言え、やっぱりちょっと悲しいかも。


魁南の遊ぶ様子もちゃんと窺いながら、相変わらず簡易縁側の側に横たわる老犬達にも、僕は警戒されてる様子だ。今日はただの付き添いなので、別に構わないけど。

ところが家の主の弾美さん、昼飯食わせてやるから買い物付き合えと僕を誘ってくる始末。年上にこき使われ、年下に振り回されるのには慣れている僕に否は無いけど。

魁南をここに残して行くのは、ちょっと怖いかな。


「荷物持ちは全然嫌じゃないですけど、魁南がちょっと心配ですね。この前も、預けてた知り合いの前で泣き出して、泣き止まずに大変だったんですよ」

「そっか、確かに直接の知り合いはお前だけだもんな。ん~……じゃあ、メロンと一緒に連れて行こう」


えっと思う間に、チビ助メロンを散歩に連れて行くぞと行動を起こす弾美さん。どこからかリードを取り出し、散歩の言葉に反応してハイテンションのメロンちゃんに取り付ける。

同じくハイ状態の魁南、どうするのと僕らの前でピョンピョン飛び跳ねて質問攻め。弾美さんはリードの中間を魁南に持たせて、お外にレッツゴーと突撃の合図。

どうでも良いけど、ホスト役が本丸を留守にして大丈夫なのかな?


「別に構わないよ、いつもの事だから。俺も身体を動かす方が好きだしな」

「はあ……それなら別に構いませんけど」


家の主だからこそ、お客を遣いに出すのに躊躇いを感じたのかも。その割には、軽い調子で僕に荷物持ちを頼んで来たけど。深い意味は無くて、本当に外出を楽しんでいるのかも。

それとも僕に、こみいった話でもあるのかも知れない。共通の話題としては、ファンスカの近況とかそんな所か。それは僕も望むところだ、弾美さんの今後の動向など訊いてみたいし。

とにかく破天荒なギルドだから、ナニをやらかすか気になってしまう。


それにしても、メロンちゃんは本当に賢い子だな。頼りない足取りでリードを操る子供を気遣って、物凄くスピードを落として歩いてくれている。これじゃあ逆に、魁南が散歩させられているみたいだ。

実際そうなのかも。何度も振り返って、歩調を子供に合わせる気遣いに感動しつつ。僕らもそれに合わせて、自然と足取りはスローペースに。リードの本元は弾美さんが持ってくれているので、万一大型犬が走り出しても魁南に危害は無いだろう。

愉快な行進は、坂道を下って続いて行く。


会話は案の定、自然とファンスカの話題で占められる事となって。最近のエリア事情とかギルドでの取り組みとか、その他キャラの設定とか矢継ぎ早な会話の応酬。

僕も弾美さんのペット(ネット内の方)事情とかギルドの今後の動向とか、質問のストックは一向に減りそうもない。歩幅はゆったりなのに、口調だけはやたらとせっかちに言葉を紡ぐ。

結局その会話は、坂下のスーパーに到着するまで続いて。


物凄い達成感を、その小さな身体で表現する魁南。良く頑張ったと、弾美さんのお褒めの言葉と、とメロンちゃんのご褒美のペロペロ攻撃に晒されて。

それじゃ買い物してくるから、外で待っててくれとの弾美さんの指示に。リードを受け取った僕は、魁南と一緒に待機モードへ。いっぱい歩いたねと僕の言葉に、弟分は疲れてないよと頼もしいコメント。

子供って日に日に成長するんだな、やんちゃ振りはこれ以上成長されると困るけど。


そんな事を思いながら、さっきの弾美さんとの会話を脳内回想。弾美さんの元にも、どうやら今月のランキング戦の招待状が届いているようで。参加するのかとの質問に、一度は出てみるかなぁと呑気な返答だったけど。

そうなると、対人戦の勢力図は大きく変動する恐れが。


辛うじて参加権利の端っこにしがみ付いている身としては、これ以上大物キャラの参加は歓迎すべき現象ではない。とは言え、出て来ないでと拒否る権利も僕には無いし。

お腹空いたよと僕に報告して来る弟分に、さっきのお家でお呼ばれしようねと返答して。簡単な質問には、簡単に答えが出るのは分かり切っている。

だけど、今後のリンの境遇に安易な答えなど用意されてはいない。予測不能なのは、他のプレーヤーの動向などを読めない、ネットゲームならではの曖昧な部分だ。

だから面白いのだ――僕の中の皮肉めいた性格が、確かにそう呟いた。




さて、唐突だが9月には休日が2日ある。その内の秋分の日の朝方に、僕らは学校の体育館前に集合していた。僕の後ろには、メルと園児達が行儀良く畏まっている。

少し離れた場所には、その父兄の方々も固まって立っていた。それから仁科さん所属の、地元参加型の音楽サークルのメンバーも。皆で歓談しながら、体育館が開くのを待っている。

今日は何と言うか、簡単なリハーサルを行う予定の日なのだ。


文化委員に選ばれたクラス選出の生徒たちも、ぼちぼち集まって来ている最中だ。僕らは少し早く来すぎたみたい。荷物と園児達の移動に、車を使ったせいもあるけど。

今日のリハーサルは、そんなに大仰な話ではないと聞いている。通しで行うとか、機材のチェックから照明の具合まできっちり見るとか、そんな話では全く無く。

ただ単に、舞台の大きさとか立ち位置のチェックの確認程度が行われるらしい。


それでも僕らは、一応そのチェックに参加する事にした。本番の時に狼狽える事の無いようにしたいと、主に母親達からの要望があったためである。

どうやら一番熱の入ってるのは、やっぱり父兄連合みたいだ。


「やっほー、メル! みんなもお早う……リン君も!」

「お早う、沙耶姉ちゃん。沙耶姉ちゃんも、何か公演するんだって? 何するの?」

「私達1年で、合唱みたいなことする予定なんだけどさ。やっぱり少しでも盛り上げたいし、色々と考えてるところ……」

「そうなんだ、ボクらのリハーサル見て演出盗んじゃダメだよっ、沙耶姉ちゃん」


そんな事はしませんと、姉の貫禄を示しつつ沙耶ちゃんの返事。後ろが騒がしいと思ったら、いつの間にか優実ちゃんも来ていた様だ。夏のお泊り会以来の再会に、楽しそうなお喋りが始まっていた様子。

仁科さんのグループとは、先ほど既に挨拶は交わし終わっている。沙耶ちゃんもその存在に気付いて、優実ちゃんを引き連れて挨拶に向かって行った。

そんな事をしている間に、体育館は開放されたっぽい。


館内をはしゃぎ回る園児たちと優実ちゃん、それを窘める椎名生徒会長。僕は一瞬迷ったが、仁科さんグループの資材搬入を手伝う事に。園児達の統制は、付いて来た父兄に任せておけば良い。

ところが僕のその所業を見て、園児達もお手伝いを始める始末。実利的に戦力にはならない集団だが、じい様ばあ様達の心にはクリティカルヒットしたみたい。

一転して、和やかなムードが繰り拡げられてみたり。


何となくバツの悪そうな優実ちゃんが、園児の後に追従してお手伝いに参加。ちょっと笑ってしまった、園児達の方がしっかりしているこの構図。程なくして、体育館に全員が収納されて。

割といい加減な今回の予行演習、誰から先にとか1チームの練習時間とか、全く決められていないと言う。僕らは仁科さん達に順番を譲ろうとしたが、支度に時間が掛かるからと逆に気遣われてしまった。

そんな訳で、最初に通しで練習するねと園児達に通達して。


ママさんチームの援助と指導を受けつつ、ここはこの立ち位置が良いとか、曲順はこれで良いかしらとか。園児達もこの特別練習には、張り切って力を入れているみたい。

そんな感じで30分程度、歌は半分省略しての立ち回りメインの練習など。


その後は館内で休憩しつつ、他の演者のリハーサル見学など。仁科さんの素人楽団は、広い場所で聴く方が音が身に染みて素晴らしい気がする。

沙耶ちゃん達の演目だけど、どうやら歌の出し物に決まったようだ。伴奏付きのとかアカペラとか簡単な振り付け有りのとか、とにかく30分の持ち時間を飽きられない様にと工夫が見られる。

それをチェックする上級生は、ひたすら声が小さいと指導を並べ立てる。頑張れと園児達の応援まで貰って、1年生の簡易楽団はリハーサル時間をフルに使って。

まぁ、何とか本番までには形になりそうとの目処は立った様子。


とにかく、僕的には仁科さん達が公演を引き受けてくれて助かった。色々と総合的に考えて、やっぱり園児達に1時間の長丁場はキツ過ぎるに違いないし。

 曲数にしたって、今の園児達には4曲程度が覚えるのに精一杯である。体力的にも記憶力的にもそれは同様、ヤル気は大人以上にあっても容量はまだまだ子供なのだ。

 もちろん、公演するからには納得の行く内容に仕上げないとね。


 その日は僕らは午後にははけて、皆で昼食をとって解散の方向に。園児とその保護者、それに僕や沙耶ちゃん達を含めると大人数の集団になってしまったため。

 場所は自然と、大学の食堂に決まってしまったのは致し方の無い事ではあるけれど。大学の雰囲気もどこか、異空間へ突入した感が漂っている気も。

 造りかけの看板や飾りが、そこかしこに見受けられる。


 祝日なのに、賑やかに作業中の学生も数グループいるみたいで。否応なしに、お祭り前の浮かれ騒ぎがこちらにまで漂って来ている。

 そんな雰囲気を、僕らも肌で感じつつ。


 ――お祭りの本番は、もうそこまで迫っている。




園児達の舞台練習の日に、こんな事もあった。つまりはいつもの子守りのバイトの曜日、僕は学校終わりの放課後にハンス宅へと赴いたのだけど。

文化祭本番を間近に控えていた僕は、痛恨のミスをおかしてしまっていた。キーボード演奏者の立場を忘れていた訳ではないが、ゲート作成につい夢中になる余りに。

ついついトンカチで、自分の左指を殴打してしまったのだ。


まぁ、工具を使って作業していれば、良く起こる事故ではあるんだけど。保健室での手当てで、結構ガッツリ包帯で指を巻かれてしまったのだ。

 お陰で細かい作業が、やり難い事この上ない始末。


 それでも園児達には、まるで我が事のように心配して貰って。先生大丈夫と、本当に自分が怪我をしてしまったかのような感情移入振り。

 教え子たちの優しさに、思わずほっこりしてしまった僕だったけれど。もちろん舞台練習の日数は限られている、その日もしっかり歌と踊りを練習して。

 子供達も、集中して稽古に励んでくれた次第。


 最近僕は、この地区の子供達の知能の高さの謂れについて、何となく見当がついて来た。もっともこれは、僕の勝手な解釈でしかないのだけれど。

 そもそも子供と言うのは、誰しもが学習意欲と言うモノを持っている。その証拠に、自然に周囲の会話から言葉を覚えるし、行動や慣習なんかも同様だ。

 それは生まれ持った本能なのだ、ある意味好奇心よりもっと強力な。


 それを向けるのは、もちろん周囲の大人に対してである。その純粋でひたむきな瞳は、ある意味無慈悲な審判であるのかも知れない。善と悪の振り分けの天秤、或いは将来進む道の指針としての人格者。

 子供達が大人に対して尊敬の念で接するのは、それは自分に無い知識や経験を持っているからに他ならない。それを吸収させて貰おうと、彼らは無意識に努力するのだ。

 その意欲を妨げてしまうのは、恐らく大人達の間違った言動なのだろう。


 その間違った言動によって、子供の大半は義務教育の中盤に差し掛かる頃には、勉強嫌いになっている。何とも残念な話だ、だけどこの街ではきっちりと子供達の学習意欲を促進する受け皿が機能している。

 文化会館では大人向けのセミナーが、結構盛んに行なわれているし。つまりは、子供の育成方針について的な指導とか模索のアレコレなどが。

 それに伴い、街の至る所に指導教室や塾の類いが開かれているのも確かだ。


 物事と言うのは、何事も強制されずに楽しんでやるのが伸びるコツだ。僕も出来るだけ、園児達には楽しんで時間を過ごして貰っている。口幅ったいが、僕も彼らの可能性を出来るだけ伸ばしてあげたいと思っている。

 それがこの街の理念にも叶っている筈、その事を少しだけ誇らしく思いつつ――





さて、この章ではファンスカ関連の記述が極端に少ないのは、ここまで読んでいてくれたら自然と分かるだろう。何せ多忙を極めた学園生活、平均帰宅時間は9時過ぎと言う有り様だ。

それに比例して、イン時間が短くなるのも当然の結果。だけど毎月末の大イベント、闘技場でのランキング戦だけは話が別である。今月は30日の土曜日、深夜10時からのスタート。

乗り気でない僕も、とにかく予選突破だけは目指すために出場を決めている。ちなみに8月の闘技場は、夏の対人イベントと被ると言うので取り止めとなっていて。

 そんな訳で、このフィールドは皆が久し振りと言う事態に。


何しろ今回は、夏の限定イベントの上位者が、軒並み参加権利を得たとの噂が広まって。それに加えて、ランキング戦の賞品がパワーアップしたとの情報も吹き出て。

つまりは参加しないと損みたいな、名声と報酬の餌のついた釣り糸がタラリ。これに飛びつくのは、まぁ冒険者の性とでも言おうか。案の定、いつもの闘技場ルームは満員御礼状態に。

視線を彷徨わせるだけで、有名人がわんさかと言う有り様。


多少ゲンナリしながら、すし詰め状態のプレイルームを眺めるリン。ざっと数えて50人以上いるような、そうなると予選の数も6つ以上になるって事だろうか?

同時進行にしないと、時間が幾らあっても足りないのは確実だ。


それよりも、この強者キャラの多さは何とかして欲しい所。これじゃあ、こちらの予選突破も儘ならないじゃないか。そう思ってたら、いきなりその強者の代表格が話し掛けて来た。

フレンドリーなその態度、傍若無人の代表でもあると思う。


『よっ、リン! 初めて入ったけど、何かお洒落な部屋だな……早速だけどルールを教えてくれ、全員倒せばいいのか?w』

『こんばんは、ハズミンさん……そっか、夏の限定イベントの対人戦とは、また微妙にルールが違いますもんね。こっちに来て下さい、試合場のミニチュアが見れます』


大雑把な性格なのは、この前話して何となく把握済みだけど。どうやら随分とお気楽に、今夜の試合参加を決めたっぽい。僕は簡単な説明をと、部屋の中央に弾美さんをエスコート。

……しようと思ったら、思い切り愛理さんと恵さんペアに鉢合わせ。道を譲るつもりが無いのは、その剥き出しの対抗心のオーラから分かってしまったけど。

こんな場所で揉めたくない僕は、華麗にスルーを選択。


『これが今回のフィールドです、ハズミンさん。参加人数は8人、中央の尖塔で時間の経過がある程度分かりますね。時間とかポイント取得方法は、夏のイベントとほぼ同じです。今からやる予選は、ポイント上位3人が勝ち抜けの仕様になってます』

『フムフム……夏のイベント戦より、フィールドは狭い感じか。市街戦かぁ、ちょっと面白そうだな』

『お待ちなさい、封印の疾風……より大きな宿り木を見つけたからって、野に咲く可憐な花は無視とは悲しいわね。イベントで散々に世話されておいて、恩義とか忠誠心とか湧いて来ないのかしら?』

『同感だな、尽くすなら私に尽くせ。そして今度こそ私に倒されろ』


好き勝手に言葉を紡ぐ女性陣など放っておきたいが、誹謗中傷が参加者達のログを汚すのはいただけない。信じてしまう人もいるかも知れないし、変な噂が広まるのも困る。

仕方なく挨拶を口にするが、何となく腑に落ちないのはナニゆえか。弾美さんも、この2人が『アミーゴ』のメンバーなのは知っている。以前の戦争クエの手伝いで、顔合わせは済んでるし。

今回はライバル同士、当然挨拶も簡素に。


僕らの会話は、もちろん周囲のキャラ達にも伝わっている。そのくだけた雰囲気を感知して、自称ライバル連中も何だかソワソワしている気が。憧れの“黒龍王”だ、ドサマギに話し掛けちゃおうかなって感じ。

僕の装備替えたんですかとの問い掛けには、周囲のキャラ達は耳ダンボ状態に。以前はハズミンさん、通常装備用と制限付きの鎧を使い分けてたのに、今夜はそのどちらでもない。

弾美さんの答えは、対人戦の報酬ポイント交換で貰ったとの事。


『ここのフィールド内も、装備交換ダメなんだろ? ポケットの数も制限されるみたいだし、晃に色々と見繕って貰ったよ。今着てる鎧も、合成で調整して貰ったしな』

『へえっ、ますます隙が無くなった訳ですか……おっと、そろそろ予選が始まりますね』


もうすぐ予選へのエントリーが随時始まりますと、ブザー音と共にログ告知がなされ。静かに聞き耳を立てていた連中も、次第にざわつき始める。さてこの人達、予選の組み合わせはどう動くだろうか?

最悪の場合、魔の時間が訪れるかもとの僕の懸念は大外れ。予選の第一試合の参加要請に、いきなり弾美さんのエントリー。間をおかず“業火”のアリーゼと“黒き凶戦士”のポンチョが続き、場は一気に騒然と化して。

老舗の代表選手である二つ名持ちキャラ達も、負けるものかと活きの良さを示したために。あっという間に8名枠は埋まって、この部屋から転送されて行く勇者群。

おっと、第一試合を外れるのはリンは初めてかも。


続く第二試合は、恵さんと“不沈艦”のシャンが続けての参加表明。それに『アズミノ倶楽部』の常連組が乗っかって、こちらも熾烈な死の組の予感がバリバリ。

この組み合わせも速攻で決まり、続いて第三組の問い合わせ。


僕も夜更かししたくないし、さっさと決めてしまいたい思いもあるのだが。今回は何故か決まるスピードが異様に速い、気が付けば場は第四組目に移っていて。

そろそろ動こうかなと、僕がエントリーボタンの前に陣取った所。同じ拍子で歩いて来たキャラとぶつかりそうに。名前を見たら、何と水種族のエイケンだった。

 一緒のエリア登録になりそうだ、フロアの人数はぐっと減ってるので仕方ないか。


 改めて彼を見てみると、どうやら夏休み中にカンストにまで至ったっぽい。特に祝福する気もないが、これでレベルが上のキャラを手玉に取る優越感も味わえなくなる訳だ。

 良い事なのか悪いニュースなのか、僕には判然としないけれど。キャラは確実に、以前より強化されている筈である。前のスペックは、実はほとんど知らないけど。

 何となく嫌だな、こう言う因縁に限って交差する気が。



このフィールドも久々な気がする、何しろ間に濃い対キャラ戦が何度かあったし。それにしても今回の盛り上がりは、こちらとしては勘弁願いたい事態ではある。

僕のスタンスとしては、特に最強キャラの名声を欲している訳でも無いのだし。ただ、100年クエの手掛かりを探してのエントリーでしかないと言う。

楽しんでいないかと訊かれれば、まぁ面白いとは思うけど。


とにかく今回も、積極的に敵影を探すつもりも無い僕は。適当に雑魚モンスターをやっつけたり、宝箱を探し回ったり。気が付けば10分程度の時間が経過していて。

戦況を確認するため、一度屋上に上がったのが不味かった。


敵に見付かったと言うか、戦闘中のキャラ達に巻き込まれてしまって。どうやら氷の術者と、風の二刀流使いの闘いの最中だったらしい。間を置きたい術者と、懐に入りたい剣士。

その中間に、間抜けにも飛び込んでしまった未カンストのリン。氷の術者は、待ち伏せされたとでも思ったのだろうか。いきなり虎の子の呼び鈴使用で、それを僕にけしかけて来て。

良い迷惑の僕は、爆裂弾で術者ごと屋上から突き飛ばしを敢行。


関係無いよとのメッセージだったけど、果たして上手く伝わっただろうか。ひょっとして、怒らせただけに終わったかもだが。追っ手の二刀流剣士は、対戦キャラの交代に驚いて立ち止まる。

アナタの相手は通路に墜落しましたよと、親切に伝えれば良かったのだが。何だか闘う気満々に見える風の剣士、補助魔法を掛け直してこちらに突っ込んで来ている。

ちょっと待って、闘う気は無いってば!


相手の鋭い斬撃をかわしながら、これって横取りになるのかなと暫し逡巡。勝てたらの話だけど、負ける可能性も大いにある訳で。さらに時間が経てば、術者も再び上って来る気が。

バトルロイヤルなのだし、誰が誰を攻撃しても良いルールなのは分かるけど。ややこしい事態には、なるべく巻き込まれたくなどない。さり気なく階段から離れつつ、中距離スキル技で迎撃の意思を示しつつ。

神経を張り詰めながら、事の成り行きを慎重に探ってみたり。


氷の術者は案の定戻って来た。物凄く怒っているように見えるのは、多分僕の思い過ごしなのだろうけど。突っ込んで来る呼び鈴召喚の小猿モンスターと、僕らを巻き込む範囲呪文の詠唱。

やっぱりそう来るか、風の剣士はまるで気付いていないみたい。さっきまで遣り合っていた相手だと言うのに、熱くなり過ぎだ。屋上の端っこまでついて来て、リンを追い詰めたつもりなのだろうか。

やって来た氷の大呪文は、敢えて2人で全被りして。


突進して来た小猿モンスターは、僕にとっては邪魔でしかない。再び爆裂弾で突き落とし……おっと、風の剣士も巻き込んでしまった。まぁ、半分はわざとだけどね。

これで標的は、範囲魔法を撃ち込んで来た氷種族の術者のみ。なにやら新たな呪文を紡いでいるが、咄嗟に放った《爪駆鋭迅》の衝撃で敢え無く詠唱は中断した。

続いて《砕牙》を撃ち込みながら、僕は相手との距離を詰めて行く。浅くない傷を負っているが、ここは時間との戦いでもある。敵に詠唱時間を与えたら、一気に主導権を奪われてしまう。

突き落とした敵を含めて、カウントダウンに急かされるリン。


だからと言って、急にSPが増える訳でもない。追い込みに備えて、力は溜めておかないと。僕は試しの《幻突》から、さらに距離を詰めに掛かる。この技は基本MP消費なので、使い勝手が良い事この上ない。

詠唱の時間を取れない術者は、かなり焦っている様子だ。防御系の魔法は、中距離スキル技で綺麗に剥がれてしまっている様子。リンの《幻突》は、極端に詠唱時間が短いのが売りだし。

こうなると、敵はもう逃げるしかない。


何となく推測していた、敵の逃亡劇だけど。さっきもこの人逃げてたしね、何の為の参加なんだか。Sブリンカーがしつこく追って、僕も追撃しようかなと思っていたら。

またもや階段を上って来た風の二刀流剣士と呼び鈴モンスター。このサイクルは絶対に外せないのですかと、脳内で多数の疑問符が派手に湧き上がるけど。

 まきびし弾を撒き散らしながら、僕も氷の術者に追従。


 こうなったら、とことん追い駆けっこに参加してやる。氷の術者は別の屋上に飛び移って、防御呪文を自分に掛け直しているところ。ところが僕のSブリンカー、いつかの纏わり付きで思いっ切りお邪魔キャラの様相を呈していて。

 これは思わぬ副作用、しかもウフフとの笑い声が、相手には物凄く癪に障るに違いないBGM仕様で。後方でまきびし弾に捕まっている連中は無視して、溜まったSPでリンの渾身の中距離コンボ。

 予想外の展開で、撃墜マーク☆を1つ獲得するリン。


 可哀想に、呼び出された呼び鈴小猿は任務を果たせず退場の憂き目に。それよりもっと悲惨なのは、対戦相手を奪われた目の前の二刀流剣士の方かも。

 奪ってしまってこう言うのもアレだが、まぁ運が無かったと声を掛けるしか。僕は逃げないので、存分に斬り掛かってくれれば良い。倒されるつもりは、これっぽっちも無いけれど。

 そんな気持ちが通じたのか、派手に突っ込んで来る風の剣士。


 相手の所属は不明だが、どうやら新参者の一人らしい。細剣の二刀流で、剣にも鎧にも強化魔法を掛けてあるっぽい。二刀流同士の削り合いは、当然のように攻防リズムは噛み合う。

 しかも向こうも《幻惑の舞い》とスタン技を持っているらしく、使われてみるとやっぱりウザい。こちらも遠慮なく遣わせて貰い、防御は幻水ベルトと《ビースト☆ステップ》の分、こちらが上か。

 後は攻撃スキル技だが、それは文句無くこちらに勝機アリ。


 そもそも細剣の通常取得のスキル技、あまり強力なタイプは存在しないのだ。てっきり削り力ではこちらが下回っているかと思ったけど、複合スキルの揃いではリンに分があるみたい。

 魔法防御の切れた相手に与えるダメージ、かなり上々でテンションも上がろうと言うモノ。種族も同じで変幻タイプの二刀流、ベースがほぼ同じなのでこういう時に較べてみないとね。幻影と魔法防御を破れば、ほぼ怖くない敵の攻勢。

 こちらは良い感じに被弾は最小限、連戦での勝利に思わずガッツポーズ。


 最後に《風神》からの逆襲は受けたものの、幸い相手には中距離スキル技の類いは無かった様子。魔法でチマチマ削られただけで、そんなに被害は受けず仕舞い。

 とにかくこれで、今回の目的の勝利数はクリアした筈。余程変な事が無ければ、予選は突破出来るだろう。休憩を挟みつつ、そんな事を考えていたら。

 何となく嫌な予感、誰かが接近している様な?


別に僕に変なセンサーが付いている訳じゃない、リンの種族スキルの《風詠み》に、微妙に引っ掛かる影があったのだ。これは野外の敵オンリーなので、建物の中などの敵は感知出来ない。

そもそも、このバトルエリア内では探知系のスキルはどれも上手く働かないみたいだ。念の為にと《桜華春来》を掛け終えて、花びらガード越しに周囲を見回すと。

待ち構えた様に、強烈な衝撃がやって来た。


ログを確認したら《心臓破りショット》と言う技名が窺えたけど。それよりそれを放ったキャラが、視界内に見当たらない。素早く隠れて移動したのかも、いやSブリンカーが反応してくれた。

ペットって、こういう時には超便利だ。僕もすぐに後を追って、遠距離使いの正体を暴きに掛かる。一方的にやられるのは好きじゃない、せめて一太刀仕返ししてやる。

やはりアイツだ、攻撃ログに名前が出てたから分かってたけど。


Sブリンカーの遠隔攻撃は、魔法防御のせいかゼロ行進の有り様。水種族の変幻使い、エイケンはなおも外階段を下って逃げ続けている。Sブリンカーは氷付け、氷スキルも伸ばしてるのか。

他の持ち技も暴いてやるつもりで、僕は追撃の手を緩めない。同じルートで追い駆けてやると、階段の曲がり角に妙な異物を発見。近付くと爆発したそれは、イボ蛙型のトラップだった。

嫌な仕掛けだな、ってか設置トラップも持っているとは。


『強いギルドに媚を売るのが上手いな、“封印の疾風”……何の根回しをしてるんだ、権力に興味なんか無いって振りをしてた癖に』

『今だって無いよ……自然と親しくして貰ってるキャラが、老舗ギルドに所属しているだけの事だし。変な勘繰りは止めてくれない?』

『はっ、物は言いようだな……夏の対人イベントでは、相当つるんで行動してたそうじゃないか!』


うっ、痛いところを突いて来る、確かにその指摘は真実だけど。だけどゲームを一緒に遊ぶのに、相手の所属や経歴やらを一々詮索するのも興醒めではある。

その場のノリって案外重要だし、一緒に遊ぶのも時にライバル関係で刺激し合うのも、相手を尊重する気持ちがあってこそだ。あげつらったり貶めたり、心の底では小莫迦にして難癖付けて来るような間柄は誰だって願い下げだ。

けどよく知ってるな……『アミーゴ』は有名ギルドだから、注目度は高いかもだけど。


地上に降り立ったリンは、敵影を求めて細い街路に視線を飛ばす。念の為に《夢幻乱舞》を掛けて、不意の攻撃には備えるけど。遠隔にカウンターは効果がないので、この策は微妙かも。

 敵のさっきの技が、魔法なのかスキル技なのか分からないのが痛い。とは言え《桜華春来》の花びらは、キャラの長距離の移動には付いて来てくれないし。《幻惑の舞い》の幻は、魔法には効果が無い。

 使い勝手のよい防御系って、結局どの系統なんだろう?


 僕は何となく《アースウォール》で土の壁を呼び起こしながら、引き続き敵の動向を探る。そしてビックリ、出来立ての土壁が跡形も無く吹き飛んでしまった。

 またも遠隔の強力矢弾だ、徹底しての身を隠しての戦術か。なるほど自分の長所を最大限に生かし、なおかつこの市街戦にマッチした戦術には違いないけど。

 正々堂々とか真っ向からガチとか、完全に無視した闘い方だ。


 文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、ログを打つ時間も惜しい。建物の影に引っ込んだエイケンを追って、僕は猛ダッシュを掛けてやる。足の速い風種族の特性を舐めるな、時間はあと僅かだけどポイントは絶対に渡すもんか。

 2つ目の建物内部で、姿をバッチリ視界に収める事に成功。《ウィンドカッター》の詠唱は、相手が逃げ去る前に完成に至ったけど。敵が纏う魔法防御に、ダメージはきっちり阻まれてしまった。

 そして変な場所で爆発が、また設置トラップらしい。


 リンの《ウィンドカッター》だが、風スキルの上昇と共に範囲呪文へと格上げされていて。詠唱時間は短い割に、使い勝手はまぁまぁな感じ。とは言っても、威力は中の下程度だが。

 トラップ破壊を見越しての選択だったけど、本当に上手く行くとは半信半疑だったりして。エイケンはやっとの事振り返り、反撃の魔法を撃ち返して来た。

 《ウォーターランス》の直撃に、リンの体力は派手に持っていかれる。魔力では敵わないっぽいな、尚更接近戦に持ち込みたいけど。障害物の家具を大回りして、ようやくその範囲内に到達。

 相手の斬撃を幻影でかわして、ようやく張り付く事に成功。


 出回ってる動画ではしっかりチェックしてなかったが、改めて対面するとこだわりの感じられる容姿のキャラかも。装備もそうだし、武器も豪奢な短剣と片手剣の二刀流だ。

 リンと同じく《同調》持ちらしいが、例の遠隔の技と言い底の知れないキャラである。回転の速い攻撃は、リンと同等かそれ以上かも。ただし削り力は、こちらが上なのは確実っぽい。

 ようやく落とし切った敵の魔法防御、これでHPの削り合いに持っていける。


 エイケンの近接戦術は、短剣スタン技で敵を硬直させてからの、大技&魔法詠唱のパターンらしい。幻影防御をかわされ、一度それをモロに喰らってしまったリンだけど。

 辛うじて体力半減には至らず、こっちも《震葬牙》からの《ディープタッチ》で、回復しつつ粘らせて貰う。体力的にはこちらに分があるし、戦闘が長引けば有利なのはリンの方かな。

 隙の無いキャラには違いないが、こっちも負ける気は無い。


 斬撃の応酬はなおも暫く続き、変幻タイプ同士特有のこう着状態に突入してしまった。向こうも回復手段を持っているし、こちらもタッチ系の呪文に加え、戻って来たSブリンカーの支援もあるし。

 お互いそれを潰せる手段も見当たらず、結局は時間切れの引き分けと相成って。まぁエイケンの大まかなスペックは把握出来たし、こちらの不足点も浮き上がって来たし。

 取り敢えず因縁の一戦は、今回は痛み分けの模様。


 これでどちらか予選落ちしていたら洒落にならなかったけど、2人共無事に本選に進出出来たみたい。待合室に戻ってみると、30分前より確実に減ったキャラの群れ。

 ハズミンさんやアリーゼさんも余裕の生き残り、それにしても今回は突破人数が多いな。これってひょっとして、決勝までもう1試合組まれるんじゃないだろうか?

 僕の懸念は、どうやら外れてしまったらしい。7試合目の予選が終わって、残った有資格者に通達が行われる。つまりは5分後に、決勝戦が行われますとのいつもの告知。

 どうやら20人以上の生き残りを、2つのエリアに区分けするっぽい。


 それって優勝者は2人出るって事なのと、待合室で小さくないざわめきが巻き起こる。人口密度は多少高くなる程度か、振り返れば敵がいる状態で無いのは有り難いけど。

 それでも予選をこれ以上行うと、早めに開催した意味が無くなってしまう。確実に12時を過ぎてしまうし、明けて日曜と言えど大変な人もボチボチ出て来る可能性が。

 それを踏まえての決定なのか、変則的な決勝ラウンド。


『良く分からんけど、これも生き残りゃ問題無いのな? さっきの市街戦楽しかったけど、今度も同じ戦場だよな?』

『そうですね、いつもは予選を終えたら一桁程度に人数が納まるんですけど。今回は参加人数が多過ぎて、本選が2エリア用意されてるみたいですね』

『倒す敵が、別エリアに飛ばされるってのも困り者ね……先ほどのエリアじゃあ巡り合えなかったし、今度は一戦交えたいものね“黒龍王”さん?』

『はははっ、俺のペット目立つから、敵は向こうからやって来てくれるんだけどな。今度はちょっと、こっちから動いてみるかな?』


 朗らかな受け答えのハズミンさんと、それに反比例した“業火”のアリーゼの絡むような口調。さっきの予選で当たらなかった悔しさを、率直に本人に述べている様子。

 こちらとしては不必要に気を遣うし、既に来月出場の資格は取れたので、さっさと帰ってしまいたい。悪目立ちする僕には不利でしかない決勝ラウンド、ポイントも上手く貯まったためしが無い。

 作戦はどうしよう、初っ端は逃げ回るしかないかな?


 考えている内に、バトル時間はやって来たようだ。漂う空間の30秒が終わり、本選エリアに放り込まれるリン。今回も尖塔を見上げる屋上だ、そして割と隣の屋上で人の動く気配が。

 警戒しつつ見てみると、いきなりポンと巨大な黒い影が現れた。続けてもう1体……これで正体が分かった、さっきまで会話してた“黒龍王”ハズミンその人みたいだ。

 向こうもこっちを発見してるみたい、呑気に手を振って来る。


 こっちもSブリンカーとホリーナイトを呼び出して、諦めた体で手を振り返す。まぁ予選を突破出来た時点で、僕の来月の参加資格は得られた訳だし。

 みっともなく逃げ出すよりはと、僕は自分から近付いて行く。その向こう側では、やはり不意に戦闘の始まった気配が。今回のキャラの初期配置、人数増加分だけ密度過多なのかも。

 いや、周囲の動向なんて関係ないけどね。


『ようっ、結構あちこちにキャラがいるな……向こうからも1人来てるみたいだ、誰とやるかな♪』

『じゃあ強い人同士で……おっと、あの装備は“赤獅子”ですね。僕もこのバトルロイヤルで2度負けを喫してますし、強いですよ彼』


 “赤獅子”ワグナーは『曖昧中毒』のエースキャラで、炎種族の前衛アタッカーである。とにかく強くて、そのキャラの練り込み具合は師匠に匹敵するかそれ以上のレベルだろう。

 僕もこの決勝エリアで過去2度対戦したが、全く勝機を見出せなかった。前と後ろを龍と獅子に挟まれ、これはどうやったって死亡フラグにしか見えない状況だけど。

 何とかならないかな……2人で闘いたいなら、僕は遠慮なく身を引くんだけど。


『おっと、派手な大きな影があるなって思ったら“黒龍王”か! 常連の“封印の疾風”はともかく、アンタとはやりあってみたい気はするが……今夜はギルドを代表して、そこのリン君か“白い死神”のどちらかと渡りをつけなきゃならないんだ。図々しいとは思うが、ここは一つ彼を譲って貰えないかな?』

『リン、お前ってモテモテだなw 仕方ないな、他にも獲物はいっぱいいるみたいだし。それじゃあ俺は他に行くから、頑張ってくれや!』

『済まない、恩に着る……ところでハズミン殿は、100年クエストには着手しないのかな?』


 ナニそれとの返答は、僕にとっては想定内。復帰したての英雄にとって、新コンテンツなど雲を掴むような話でしかないのだろう。この闘技場も、チケットが送られて来たから参加してみた程度のノリみたいだし。

 それはともかく、譲られた形で取り残された僕の心境と言えば。渡りをつけるって、こんな時間制限のあるエリアでする事ですかとの、当然に思える疑問のみ。

 話だけなら、外に出てから幾らでも出来るだろうに。


 もっとも100年クエの関連ならば、この場で取り決めを行う気分になるのも分かる気がする。ポイント1位を獲れなければ、結果が何位になろうが一緒なのだから。

 さて、このキャラが“赤獅子”と呼ばれる由縁だが、恐らく被っている兜から来たのだろう。顔の半分が隠れる仕様のこの兜、飾りの赤い房がとにかく派手である。

 ちょっと見、なるほど(たてがみ)に見えなくもない。それに加えて緋色のマントが、アタッカー気質を見事に盛り上げている。着ている鎧はごてごての華美な装飾で、見るからに堅そうではある。

 そして手にする得物だが、これまた変わり種なのは確かで。


 何と両手持ちハンマーだ。このゲーム、槌系は両手棍扱いなのだけど。どちらかと言えば棍棒系は、後衛用の武器との意識が強いゲーム内知識において。

 前衛アタッカーで、この武器スキルを伸ばすキャラは本当に稀である。つまりは、僕みたいな変わり者を除いて。まぁ僕の場合は、かつての『ロックスター』ありきだったんだけどね。

 この人もそうなのかも知れない、何しろ彼の所有するハンマーの威力は半端では無かった。身を以て二度も体験したのだ、間違いないと僕の保証付きだ。

 スキル技にしてもそうで、アレはもう二度と喰らうのはご免だ。


 この“赤獅子”の所属する『曖昧中毒』だが、独自の路線なのかギルドの管理が本当に曖昧なのか。とにかく闘技場にも出場したりしなかったりで、極端に歯切れの悪い活動振り。

 だからと言って、適当とかいい加減な集団なのかと思えば、ちゃっかり100年クエの既存クリア者に名を連ねている。掴み処の無いギルドなのは確かで、それ故に老舗ギルドにしては注目度も極端に低い位置付けなのだ。

 “赤獅子”にしたってそう、四天王に引けを取らない豪傑なのに扱いは哀れと言うか。


『何だ、てっきりブンブン丸も100年クエに取り組むモノだと思ってたのに。闘技場に参加したのは、それじゃあただの気紛れなのか?』

『そうみたいですね……ハズミン団長も、まだ帰国したばかりですし。ギルドの再活動で何に取り組むかなんて話も、まだ固まってないんじゃないかと思いますよ?』

『そうなのか、しかし君は色々と情報通だね? 実はウチのギルド、そっち系に気の回る者が全然いなくて困ってるんだ。100年クエに取り組もうって気概はあるけど、次の手掛かりが全く掴めなくってさ』


 それは大変ですねと、僕は一応の相槌を打つ。これは共闘のお誘いかなとの推測は、どうやら大当たりっぽい。つまりはお互い闘技場の1位を、協力して取り合おうって考えみたいだけど。

 色々と情報を揃えた結果、僕もこの闘技場の1位奪取が、一番簡単な100年クエの手掛かり取得なのだと思い至った。ただし、一番簡単を取り違えたら駄目だ、1位になるのは死ぬほど難しいに決まってる。でなきゃ、共闘の申し込みなどされる訳がない。

 飽くまで手掛かりにおいてだ、何しろ他の手掛かりは謎解きだらけで大変なのだから。


 カジノでコインを死ぬほど増やしたり、領主やキャラバン隊の権利を得て、そこからクエで手掛かりを追い掛けたり。そんな継続的な苦労は、闘技場では必要ない。いや、月間のハンターランキングの上位を獲る事から考えたら、やっぱり大変ではあるのかな?

 しかしこの闘技場では、恐らくだが、ただ一度トップを獲れば良いだけなのだ。


 だから情報取得が下手だと自称する“赤獅子”が、次のクエの手掛かりにここを選んだ気持ちも良く分かる。良く分かるけど、トップを獲る難易度はまた別の話な訳で。その共同戦線を張るか、それとも『アミーゴ』に話をつけてトップを1度だけ譲って貰うか、議題はそう言う事らしい。

 僕は“業火”のアリーゼがトップを譲る性格だとは、とても思えないと素直に述べる。そもそもそう言う遣り取りは、上手く行くかも不明だし、更に言えばあまりフェアで無い気もするし。

 そう告げると、相手も何となく納得の様子。


『それもそうだね……それに見合うだけの情報も、こちらは用意出来ないのが辛いね。僕らがクリアした領主のダンジョンは、既に君達も『アミーゴ』もクリアしたって噂だし。交渉決裂か、仲間に怒られるかなぁ?』

『お金を掛ければ、ある程度は情報屋から手掛かりを得る事は可能ですよ? まぁ、このエリアみたいな入るのに特定の条件が必要な場所だと、それも難しいでしょうけど』

『なるほど……このエリアみたいに、手掛かりを得るのに強力な力が必要な場所もあるしね。さて、どうしたものか……』


 その場に漂う手詰まり感に、困り果てた様子の“赤獅子”ワグナー。僕も掛ける言葉も打開策も、全く思い浮かばないのは申し訳ないけど。

 そんな微妙な空気を壊したのは、またもや見えない場所からの遠隔攻撃だった。狙われたのはまたしてもリンで、相手と技も予選と同じと言う。

 つまりはエイケンの《心臓破りショット》だ、本当にしつこい奴め。


今回は防御魔法が無いから痛いのなんの、一気に半分以上のHPを持って行かれてしまった。凄い技なのは身を以て知れたけど、相変わらず隠れたままの卑怯な行動振り。

いい加減腹が立って来た、失礼だけどここは暇を告げて、戦に身を投げ込もうかと考えた矢先。一瞬早く“赤獅子”のハンマー技が炸裂した。

《豪爆》と言う範囲スキル技で、知覚内の敵は一斉にスタン状態に。


 範囲攻撃なので、もちろんリンもペット達もピッキーン状態。それでも反応していたSブリンカーの動きを頼りに、ワグナーは目前の建物にのぼり始める。

 数秒後に金縛り状態は解けたけど、ワグナーが不埒者に詰め寄るには充分だったようだ。アリーゼさんも持っていた《フレイムウィップ》で、お縄についているエイケン。

 僕の到着に、これどうしようかと尋ねて来る“赤獅子”なのだけど。今更こちらに差し出されても困るし、捕まえた方が処理しちゃって下さいと申し立てると。

 律儀にも縄が解けるのを待って、戦闘に移行するワグナーさん。


 エイケンも、ここに至って観念したのだろう。素直に敵と切り結ぶが、四天王クラスの猛者に対するには、まだまだキャラがこなれていない様子。

 冷静に2人の対戦を見ながら、僕は分析に余念がない。さすがにワグナーは、夏のイベントで8位に入ったチームのエースだけはある。スキルの充実振りは素晴らしく、特に両手武器のスキル技の削り力は半端では無い。

 体力に乏しい変幻タイプだと、アレを貰うと辛いんだよなぁ。


 僕との対戦では粘りを見せたエイケンだったが、今回はさすがに観念したようだ。時折、スタン技からの大魔法で逆襲を見せるが、種族の優位も上手く働かず仕舞い。

 両手武器を使用している“赤獅子”なのだが、意外にもスタン技や突き飛ばし技も豊富に揃っている。それを有効に使って、相手に好きにさせない試合巧者振り。

 1分と経たず、エイケンは退場の憂き目に。


 全く持って、スタンダードな両手武器アタッカーの気質を備えているキャラだ。戦闘中は魔法を使わず、とにかく削りに徹する潔さを備えていて。

 パーティ戦ならそれで良いのだが、対人戦だと一捻りする必要が大抵は出て来るものである。例えば防御ステップとか回復とか、自己管理的なアレコレが。

 それを両手棍スキル技で、綺麗にこなしている所が凄い。


 体力やら攻撃力がずば抜けているキャラなので、特別に考慮が必要でも無いと言う理由もあるけど。やっぱり削り力が格段にあると、戦闘も短く済んで間違いも起きにくいって利点が大きい気が。 

 傍で見ていて色々と勉強になった、リンももう少し削り力が欲しいな。今後の育成方針を考えつつ、しかし残り時間は刻々と過ぎて行き。

 気付けば残りは10分余り、それも結局誰とも戦わず終いで。


 そんな今回のランキング戦の結果は、決勝エリアでの獲得ポイントの差で“閻魔”のクルスがトップを獲得したらしい。初参加のハズミンさんは、ポイントが足りずに2位に甘んじたとの事。

 どうやら、同じギルドの“不沈艦”のシャンの援護射撃が効いたみたいだ。早い時間にハズミンさんと斬り交えて、粘りに粘ってポイントを低く抑えるのに成功したっぽい。

 こう言うサポート能力も、強いギルドの特徴なのだろう。


 アリーゼさんもグレイスさんも、生き残れはしたもののポイントは圏外だったみたいで。後で散々、どこで何をしてたんだと文句を言われてしまったけれど。

 確かに今回の結果は、僕的にも消化不良な気もしてみたり。それでも今後のギルド勢力図を巡る闘いの、前哨戦の雰囲気が無きにしも非ず。

 ――『珈琲無礼区』と言うギルド、完全に売り出しに成功したのかも。





さて、途中に9月のランキング戦の模様を挟んだけど、文化祭準備の慌ただしさは分かって貰えたと思う。お蔭で家に帰っても、ゲームにインする暇も気力も起きない日々が続いてしまった。

しかしその分、学園でのイベントを盛り上げるぞって空気は存分に味わえたかも。何しろその渦中の、文化祭実行委員を仰せつかっていた身なのだし。

苦労が大きかった分、実りも期待出来ると言うモノだ。


そしてその日は訪れた。生徒たちの熱気とか期待感とか、青春の醸し出す熱い情熱と共に。10月の最初の水曜日、時間は午後の5時過ぎに。





――大井蒼空高校の文化祭の最初の行事、前夜祭が始まった。













評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ