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間章2 ~恵の章~



自分で言うのも何だけど、私は大学入学に至るまで、挫折だとか拒絶だとか人生の高い壁だとかに阻まれた事がなかった。そりゃあ受験勉強は頑張ったけど、それに伴う結果は毎回ちゃんと出たし。

中学までは私立の共学に通い、高校は地元で有名なお嬢様学校に通い。落ちこぼれもせず友達にも恵まれ、おまけに実家はそこそこに裕福と来たもんだ。

“恵”と言う名に恥じぬ、これまでの私の人生。


そんな訳で一人っ子だった私は、両親の愛情を存分に受けて育った。欲しい物は大概買って貰えたし、必要ならば学校の送り迎えもコール一つで送迎車へと化けた。

周囲の同級生達も、概ね似たような境遇で。生まれた時から恵まれていて、それが当然だと信じて疑わない日常を有する気侭な者達。ある意味怠惰だが、それにも気付かない暗黙の了解的な愚昧さ。

自慢じゃないけど、私もその内の一人に含まれていた。


その安寧の空気に疑問を抱いたのは、いわゆる高校3年生の進路決定の時期だった。ぬるま湯の生活に嫌気が差したとか、恰好の良い言葉なら幾らでも並べられるけど。

実際は、自分は他者とは違うのだと言う、とことん根拠の無い自信だったのかも知れない。それから誰も自分を知らない場所で、一からやり直してみたい的な子供染みた願望。

それがごちゃ混ぜになって、何故か焦燥へと変化した感じ。


思い立ったら行動派の私は、色んな先生にせっついて、これ! と言う大学を紹介して貰って回っていた。断っておくが、別に担任や進路指導の先生を信用していなかった訳ではない。

私の信念なのだ、判らない事はどんどん人に訊けと言う。


「君の成績なら……高望みし過ぎなければ、大抵の大学に入れるんじゃないのかな?」

「私にぴったりな、長所をズンと伸ばせるような大学を教えて欲しい」

「長所をズンと伸ばすねぇ……本当に伸ばしたいのは、身長じゃないのかな、篠田? わっはっは……いや、スマン」


特に睨んだ訳ではないが、私が表情を一寸も変えなかったのを、その老先生は批難と捉えたらしい。自分の返しに大笑いした後、途端に神妙な顔付きになってしまった。

それはそれで良い、身長の低さは私の数少ないコンプレックスの一つだ。別に可愛いと言われるのは嫌いでは無いが、大抵の者は「小さくて可愛い」のニュアンスで私を評すのだ。

それが同級生とか、ましてや下級生からの大多数の評価なのだから嫌になる。


その次に多いのが、恐らく「お人形さんみたいに可愛い」の声だろうか。私は感情を表に出すのが苦手なので、友達からもよく無表情だと揶揄される。

それも相まって、お人形を連想させるのだろうけれど。扱われ方もそれに殉じて、友達からはとことん玩具扱いされる始末。進級しようと進学しようと、それは一向に変わる気配がない。

まぁ、そこからの脱出も進路志望の視野に入っているのかも。


そんな事を考えている内に、自分のプランが段々と良いモノに思えて来た。最初は割とお気楽な思い付きに過ぎなかったのだが、自分の道が急に開けたような高揚感に見舞われて。

特に自分が、今まで不遇の扱いを受けていたと主張するつもりも無い。ただ、現状の打開が圧倒的に良い考えに思えたと言うだけだ。絵に描いた餅、取らぬ狸の何とやら。

お気楽者にとって、いつだって未来は今より断然輝いて見えるモノ。


老先生は、感情を害してしまった生徒を取り繕おうと、それなりの動きを見せてくれた。とは言っても、机の上を簡単にさらって、1冊のパンフを示しただけだが。

私はそれを受け取って、見知らぬその大学名を声に出して読んでみた。隣の県らしいのだが、私にその土地の詳しい情報は皆無だった。何となく耳にした覚えはあるのだが、土地も大学もそんなに有名ではないみたいだ。

ところが老先生によると、近隣ではかなり有名らしい。


「そりゃあ、名前だけ有名な大学ならいっぱいあるさ。有名でそれなりに偏差値も高く、卒業生はそれに見合ったレッテルを入手出来る訳だ。そのせいで、入学希望者はそのレッテルを妄信するような輩ばかりだがね」

「先生はそれを愚考と蔑んでいる感じだけど、社会がそのレッテルを重んじるのなら、その選択もアリなのでは?」

「そのレッテルを貼った瓶の、中身が例えスカスカでもかい? 入った者勝ちと言う風潮を、私は批難しているだけだよ。それ以外の大学にも、指南すべき教授はたくさんいるさ」


なるほど、大学本体ではなく教授で選ぶという概念は私には無かった。老先生によると、大学のゼミでは教授と生徒の距離はぐっと縮まるのだそうで。それは、中学や高校では得られないホーム感覚、もっと言えば師弟関係らしい。

老先生は、この学校ではいわゆる名物先生には違いなかった。名門女子高の数少ない男子教師であり、授業はとことん面白い。教えてるのは数学で、私が理系に傾倒して行った理由の張本人でもあったりする。

残念ながら、容姿はヨレた壮年男性以外の何物でもないが。


お孫さんも既に2人いるらしく、文化祭でその姿を目撃した事もあったっけ。2人とも女の子で、奥さん側の家系に似ていて良かったねと、友達とこっそり耳打ちし合った覚えがある。

その娘さんは、二人とも小学校の低学年くらいの年齢だった筈。目に入れても痛くない程度には子煩悩で、それが逆に生徒間にウケると言う事態になっていて。

そんな訳で、人気もそこそこにある先生ではある。


「それじゃあ、この大学には講義の面白い先生がたくさんいると?」

「そこはちょっと特殊でね、モデル都市でもあり学園都市でもある街にある私立大学なんだ。まぁ、物は試しだよ……パンフに視聴用のURLが載ってるから、見てみるといい」

「ふむん……」


自然と小首を傾げる私に、老先生は勇気付けるように自信に満ちた笑みを返して来た。私は受け取ったパンフを胸に抱いて、会釈しつつ職員室を立ち去って行く。

老先生の言葉を、私は全面的に信頼した訳ではなかった。家族や友達の紹介、例えば「美味しいから騙されたと思って食べてみ?」的なパスは、大抵は半分の確率で本当に騙しである。

苦い経験に裏打ちされた、それは真実のパーセンテージ。


今思い返してみると、これが私と大井蒼空町、もっと言えばファンスカとの出会いの瞬間だった訳だ。正確に言えば違うけど、大まかに言えば確かに私が新しい選択肢を得た瞬間だ。

全く知らない扉が、パッと目の前に出現したような不思議な高揚感。お気に入りの歌手の新譜を入手したとか、漫画雑誌の新月号を読む前だとかのワクワク感に似た感情。

私の魂は、きっとこの後の波乱に満ちた展開を感じ取っていたのかも。


――これは私、篠田恵(しのだめぐみ)の選択の物語。





「職員室での用事は終わったの、恵? それじゃ、図書室行こうか?」

「あれっ、葉子はどこ? アレが言い出しっぺの勉強会なのに、何故本人がいない?」

「部活の後輩が何とかって、さっき体育館に出向いて行ったよ。すぐ戻って来るって言ってたけど、まぁ当てにはならないよね」

「ふむん」


職員室の外れの渡り廊下には、鞄を手にした尾野橋司(おのばしつかさ)が待っていてくれた。その代わりに、放課後に勉強会をしようと提案した矢島葉子(やじまようこ)の姿が無い。

二人とも同じクラスで私の友達で、私的な会話で盛り上がる程度には親しい間柄だ。当然3年生の重大なイベントである、進路についてもお互いに報告はし合っている。

とは言え軽薄女子にありがちな、一緒の学校受けようね♪ 的な話には今の所至ってはいない。その点はまぁ、当然といえば当然だ。人生の大切な岐路、他人に委ねるのは如何なものか。

つまりはそんな暗黙の了解が、自然と通じ合っている仲でもある。


司は高校の3年間、見事に全部私と同じクラスになっただけあって、一番の友達と言ってよい仲である。お互い言葉を飾らない性格なので、たまに険悪になったりもするけれど。

彼女の容姿は私より背が高くて、私より髪も長く、ほっそりしていかにも文系少女と言う感じ。ところが外見のたおやかさに似ずに皮肉屋で、恐い言葉がポンポン出て来る。

そういう性格も含めて、私は彼女を気に入っているけど。


司が眼鏡の位置を直しながら、2人で先に行っていようと提案をした。提案と言うより決定事項の様子で、既に司の足は図書室に向けて歩みを始めている。

私も彼女に続いて、薄暗い廊下を歩き出した。司が私の手の中のパンフを、興味深そうな顔で覗き込む。隣の県の総合大学だと説明しようとした時、間が良いのか悪いのか、大きな声が後ろから追い掛けて来た。

この呑気な大声は、振り返らなくても葉子だと分かる。


葉子は私達2人より遥かに長身で、外見はもろにスポーツ少女然としている。髪の毛は短くて、脱色した訳ではないけど明るい茶色だ。それが彼女が走るのに合わせて、ピョンピョンと踊るように跳ねている。

性格はと言えば、かなり呑気な楽天家だろう。今も私達に置いて行かれたのにもへこたれず、能天気に走り寄って来ている。いつもの事なので、慣れもあるかもだけど。

とにかくこの3人は、マイペース集団には違いない。


そうは言いつつ、かなり仲が良いのは周囲から認知済みな関係だろうか。進路の話題なども、だから何度か上がった事はある。葉子は確か、地元の推薦狙いだった筈。

要領が良いとも成績が良いとも言えないが、バレー部のエースとか生徒会とか、真面目にこなして来た軌跡は皆も認めている。ざっくらばんに言えば、とても性格の良い娘なのは確かだ。

多少の能天気さは、まぁスパイス的なものと捉えてあげないと。


「ごめんね2人共っ、野暮用はもう終わったから、勉強会お願いしますっ!」

「葉子のための勉強会なんだからね、あんたがフラフラしてたら始まるものも始まらないよっ?」


司の厳しい言及に、大柄な葉子はごもっともですと身体を縮こまらせる。ここらへんの遣り取りはいつもの事で、私は無表情に経緯を眺めるのみ。

放課後の廊下はどこまで行っても静かで、私達の喧騒はその分悪目立ちしている気分。それでも誰にも迷惑を掛けている訳でもないし、注意して来る先生の影も無い。

気侭な集団は、騒がしさを撒き散らしながら図書室へと向かう。


目的地に到着しても、私達はすぐさま行動には至らなかった。姦しくお喋り情報交換、図書室の隅に陣取って小声でヒソヒソ雑談に突入である。私語厳禁のスペースなのにね、困ったもんだ。

肝心の教科書や問題集は机に一通り出ているものの、誰もそれを拡げようともしない有り様。まぁ、最初の話題は私の持っていたパンフだったので、強く窘める事も出来ないけど。

葉子はとにかく、その立地場所が気掛かりで仕方が無い様子。


「とっ、隣の県かぁ……通いにするの? 1時間半くらいなら、何とかいけるでしょ?」

「何でそんなに必死なの、葉子? 片道で1時間半も、通学時間に掛ける訳無いじゃん」

「だっ、だって……司が東京に出ちゃうって言ってるから。2人とも地元からいなくなっちゃうと、寂しいじゃんっ!」

「それは仕方が無いわよ、進路決定ってそう言うものでしょ? 自分の進むべき道を、しっかりと見極めて決めないと」


司の窘めるような言葉に、葉子はしゅんとしてしまう。地元に残る事をいち早く決めているだけに、県外へと旅立とうと言う親友には置いていかれた感を持ってしまうのかも知れない。

その気持ちは分かるけど、だからと言って毎日往復に3時間も使いたくはない。ただその事については、実は自分の家族を説得する自信は、私には希薄だったりする。

一人っ子だけに、両親は私を溺愛しているのだ。


司も別に、ミーハー気分で東京の大学を選んだ訳でも無いようだ。親戚が東京にいるそうだし、何より都会は選択の幅がとても広いのがメリットなのだそうで。

だからと言って、地元に残る道を選んだ葉子の、未来が閉ざされているかと問われればそれも違う。個人が選ぶ選択肢など、結局は限られた数しか存在しない訳で。

自分で選んだ道を、自信をもって歩いて行けば良いだけの話。


その選択肢の中の一つに、私は老先生から頂いた大学を加えてみた訳だ。その事を思いやると、何となくウキウキ感が心の中に溢れて来る。司にも指摘されてしまい、思わず気持ちを引き締めるのだけど。

お気に入りのアーチストの、新譜を買った時の様な昂揚感。多分その心理状態は、大きくは間違っていないのだと思う。新しい扉を開く瞬間、誰だって多少はドキドキする筈だ。

ましてや大学、この後4年はお世話になる場所である。


結局私の上の空な気持ちが原因で、放課後の勉強会はぐだぐだに終わってしまった。葉子には申し訳なかったけれど、彼女は彼女でしっかりと私達のノートを写していた。

そういう所は逞しいなと、私は素直に感心してしまう。もっとも司に言わせれば、普段からノートを取っていれば済む話なのだそうだけど。

うん、確かにそうだ……感心して損したよ。



その日は週末では無かったので、夕食に両親が同席していた。ちょっと大仰な言葉だが、うちに限ってはそんな雰囲気なのだから仕方が無い。

本当にお偉い人との会食みたいな感じで、夕食を食べながら、お互いにその日の出来事を筋道立てて会話するのだ。きっちりとしたキッチンスペースで、給仕こそいないが適度な緊張感は漂っている。

そして会話の主導権は、常に母親が握っている。


我が家では会話どころか、全ての実権を母親が掌握している。私は長い間、どこの家庭もこの序列が当然なのだと思って生きて来た。つまりは母>娘(私)>父親の順番を。

ところが友達から何となく入手した情報では、母親の超独裁政権の家庭は殆ど無い事が判明して。って言うか、確かに父親はどの家庭でもある程度は肩身が狭い生き物らしいのだが。

ただ、うち程極端にないがしろにされている家庭は少ないと言うか。


別にウチの父親は入り婿でも何でもない、立場の弱さは結婚した当時からだったらしいけど。母親が独自にジュエリーショップを経営していて、収入面で大きく父親を上回っているのは事実だが。

それが発言力とか実権に至って、何故か娘の私までそのご相伴に与っている感じだろうか。私自身は、特に父親を毛嫌いしている訳では無いが、現段階の順位差を譲る気持ちは全く無い。

生存競争は、かくにも厳しいモノなのだ。


「県外の大学を受けたいですって……? どのくらい家から離れてるの、恵? もしかして一人暮らしをしたいって訳じゃないわよね?」

「ダメなの? 通学に毎日1時間半も掛けるのは、非効率的だと思うけど……」

「それは確かにそうだけど……恵が家を出たら、この家には私とコレの2人きりになっちゃうじゃないのっ!」

「コレって……あぁ、私の事ですか」


何となく悟り切った表情で、少しだけ寂しげな父親の相槌は取り敢えず無視をして。精神的に辛いじゃないのと、案の定こちらの提案を渋る母親だったけど。

我が娘の一人暮らしの心配より、まさか自分の精神的安寧を優先されるとは思ってもいなかった。ただ、効率の悪さを嫌うのは母親のいつもの口癖なのは確かなので。

私の作戦としては、そこを徹底的に突くしかないかなって感じである。ねぇ、お願いって感じの甘える娘パターンも考えたのだが、自分のキャラに激しくあっていない気がして却下したのだった。

まぁ、父親はその手で一発で落とせるかもだけど。


「貰ったパンフに、ネット動画のURLが書いてあったから後で一緒に見ようよ。先生が推薦する位だから、悪い印象では無いと思うけど」

「それはそうかもねぇ……まぁ、受験の候補には入れておいてもいいけど。最近はネットで何でも調べられるのね、時代も変わったわねぇ……」

「ははは、このハンバーグ美味しいねぇ」


変な相槌の父親は、毎度の事放っておかれたのは予想の範疇だったりする。食事も滞りなく終わって、場は家族揃って隣のリビングルームへと移動して。

さて、ここからはどう転ぶか分からないライブ駆け引きである。そうは言っても相手は母親、経営界で揉まれた百戦錬磨の猛者なのは確かだ。

下手な策略など、恐らく何の役にも立たない筈。


ちなみに私の家では、ネット環境と言えばこのリビングに置かれているノートパソコンのみである。それで特に不便には感じないし、いざとなれば私は携帯の機能を使えるし。

友達も概ねそんな感じらしく、ネット依存の症状持ちの子は私の近辺には存在しない。自慢じゃないけど、女子学生は忙しい職業なのである。

特に私の学年は受験生だ、そんな事に時間を割いてる暇など無い。


とにかく私は、椅子に腰掛けてパソコンを起動させ、更にネット接続まで一気にこなして行った。その私の隣でパンフを弄りながら、母さんが思案気な表情を浮かべている。

父さんは私達の後ろで、空咳などを繰り返してここにいますよ的なアピールに余念がない。もっと堂々としてればいいのに、本当に変な生物だと思う。

とにかく接続したHP先は、否応なく私達の目を惹いた。


それは大井蒼空町の宣伝ページと言うか、他の街とここが違いますみたいな説明で占められていた。てっきり大学のPRなのかと思っていたが、意表を突かれた感じである。

環境モデル都市である大井蒼空町は、確かに他の街とは一線を画する造りではあるみたいだ。住み易さとか安全性、利便性はさておいて、とにかく子供達の成長過程をいかにサポートして行くかに比重が置かれているらしい。

つまりは学園都市の一面も併せ持っていて、優秀な人材を育てる街づくりのコンセプトが根底にあるようだ。そんな基盤を満たす、最終的な登竜門が大井大学との事なのだが。

なにやら大仰過ぎて、ちょっとピンと来なかったりして。


 何となく伝わって来たのは、環境が人を作ると言う根底の概念だろうか。そしてさらには、人が環境を作ると言う逆説的な真意もまたあるのだろう。

 良き人に囲まれ、よりよい環境の中で勉学に励んでみませんかと、その映像は訴えている気がして。隣を窺うと、難しい顔をした母親が目に入って来て。

 あまり気に入っていない様子、さてどの部分だろうか?


「大仰な事を言ってるけど、これってエリートを育てる学校ですって宣伝してるだけなんじゃないの? 小中高一貫の学校が地元にあるのも気に入らないわね……そんなのがあったら、他所から入学して来た子は友達を作りにくいんじゃないの?」

「そんな否定的に見ないでも……私には、良い環境で勉強に打ち込めますよってアピールに感じたけど?」

「へぇ、面白い街みたいだねぇ……ここ見てご覧、独自のネット環境でコミュニティを構築して、データ取りから解析まで行なってるって。街全体が、ひとつの実験場みたいだねぇ……こりゃあ、並々ならぬ取り組みだ」


 ひたすら感心する父さんに、それは町民をモルモット扱いしてるって事でしょうと食って掛かる母さん。そう言えば母さんはエリート嫌いだった、自分が苦労して一代で地位を築いた人だから。

 父さんは慌てつつも、人間観察の重要性を柔らかい口調で紐解いてみせる。母さんだってそうでしょ、来店したお客様が何を求めているのか、購買意欲はどの位なのか? それを瞬時に観察する眼を、仕事柄自然と身につけてる筈。

 それを無視して商品を売り込んでも、良い結果は待ってなどいないと。


 母さんは珍しく、それは確かにそうだけどと己の負けを認める宣言。話の続きが気になった私は、父さんに先を促す合図を送ってみる。

 母さんの視線を気にしながら、父さんはそれではと意見を述べる。


「えぇと……つまりは大きな街にありがちな、隣に住んでる人が誰なのか分かりません的な、住民間の意思疎通の希薄感とは無縁じゃないかなって気がするんだ。それから流動的な町民の意見や生活意識を吸い取る、何らかのネット機能も備わってるみたいだね。モデル都市だけに、色々と変わった試みに取り組んでるんだなぁ」

「ふむふむ、それでこの街は何を目指しているんだろう?」

「はっきりとした答えは書いてないけど、恐らくは最良の生活スタイルの提示じゃないかな? ここ数十年で日本人の生活様式は、昔とがらりと変わって西洋式になって来たよね。そのせいで湧き上がっている現代の歪み、例えば核家族化からの幼児虐待やいじめ問題、若者の行儀やマナーの廃頽なんかは、もはや政治家任せじゃ収拾がつかない状態だ。だからと言って、放っておいて良い事柄でもないよね。それをこの街は、解決するための模範探しを……おっと、恵が探していたのはこのページかな?」


 私のたどたどしいページ検索を見兼ねたのか、先ほどから隣に居座ってマウスを操っていた父さん。それは大学の講堂での授業風景で、説明文には津嶋特別教授による講義風景と書かれていた。

 再生されたのは、まさに特別授業だった。内容はどんな環境がどういう影響を人に及ぼすかとの検証や統計で、それに伴ってより良き生活スタイルをどのように構築するかとの話らしい。

 それを物凄い早口で捲くし立てる津嶋教授、はっきり言って頭の回転が並ではない感じ。それを感じ取って、硬い態度をとっていた母さんもしきりに感心する様子。

 母さんはエリートは嫌いだが、才女と言う言葉は好きなのだ。


「へえっ、この先生は物凄く頭の回転が速いのねぇ……学生さんに自分の知識を分け与えようって気概が、こっちにまで伝わって来るわ」

「確かに凄い早口だね、でも言ってる内容は分かり易いかな?」

「筋道立てて話を進めてるからかな? どうやら、街の設計と開発に関わってる、プロジェクトのリーダーをやってる女性らしいね」


 なるほどそれは凄そうだと、家族の意見は概ね一致。だけどその動画はほんの10分程度で終わりを告げ、父さんは他の動画も色々と試し始める。

 私は仕舞いには父さんに操作を丸投げ、ついでにこの街と大学の評価も一任する事に。これでも一応、人生の大先輩である。気難しい母さんとお付き合いして、見事ゲットした手腕は伊達ではない筈である。

 そう水を向けると、父さんは照れた表情で言葉を発した。


「そもそも、上等な教育ってどんなのだろう? その人が必要とする知識を身につけるとか、立派な社会人になるためとか、ゆとり教育問題の弊害とか、大学は入った者勝ちとか色々と意見は存在するけど。僕はその時代に合った人格形成と、充分なコミュニケーション能力さえあれば、知識はオマケみたいな物だと思うけど」

「それを判で押したみたいに、大量に生産する学校教育ってのも気持ち悪いと思うわ。温室栽培の野菜じゃないんだし、規格外はポイ捨てってのも私はゾッとする」

「個性や学習能力に準じて教育を受ける方法……それも理想だと思うけど、実際やろうと思ったら教務員の数が確実に足りないと思うよ、母さん? それより父さん、私の人格形成は今の所成功しているんだろうか?」


 私の質問に、父さんばかりか母さんまで微妙な顔付きに。小首を傾げて返答を促すと、ややトーンを崩した調子でモチロンだともとのお墨付きが返って来た。

 温室育ちには違いないけどねと、母さんの皮肉は甘んじて受けて。だってそれは、両親にも半分程度は責任がある訳だから。世間の荒波に揉まれるのは、これから経験すれば良い事柄である。

 そんな訳で、再び県外受験の許可などをねだってみたり。


 世間知らずの温室育ちが世間の荒波に抗うのは大変だわよと、母さんの反論はやや勢いを減じて来た様子。さっきまでと違うのは、何故か父さんがこちらを擁護する気配を見せている事だろうか。

 恵が温室育ちなのは、自分達にも非はある訳だし。そもそも温室育ちと揶揄するけれども、それじゃあ母さんは一体どんな育て方が最良だと思ってるの?

 子供を大事に育てるのは、親の使命なのは別として。


「そりゃあ……やっぱり、自然のままが一番なんじゃないの? 色んな刺激を受けて、それに対応する術を身につける事が出来る訳だから」

「それって、対応出来なかったらそこでお終いじゃん。私は有機栽培だと思うな」


 私の突っ込みに、それもそうねぇと呑気な返事の母さんだったけど。野生種の野菜って、実は現代人の味覚に合わないから美味しくないみたいだよと父さんの注釈。

 なるほどそうなのかと、女性陣は妙に納得の表情。今の野菜の味って、人間が色々と試行錯誤して、自分達の好みに合うように品種改良して行った成果な訳だ。

 温室育ち=温室栽培的な脳内変換で、私はいつの間にか野菜扱いになってしまったけれど。私の導き出した答えも、父さんには不十分だった様子。

 確かにそれは皆が有り難がる言葉だけれど、現代では既に不可能な試みらしい。


「そりゃあ、誰だって無添加で無農薬の方がいいに決まってるよね。野菜でならある程度それは可能だけど、人間が口にするものを自然良品だけに限定するのは、現代ではほぼ不可能だよ。有機栽培だって、本当に農家の苦労に見合った値段がつくのかって問題はあるしね。高過ぎる品を買い続けるのは、経済力のある家庭に限られてくるしね」

「そりゃあまぁ、その通りだわねぇ……確かに現実的なのは、農薬栽培とか温室栽培かなって話になるわよねぇ。つまりは、現代の理に叶ってる栽培方法が、一番確実だって言いたい訳?」


 極論するとそうかなぁと、討論を吹っかけてきた割には締まらない返事の父さん。要するに、親元から旅立ちたがっている愛娘の自由を、無理に奪うのはよろしくないと。

 今は、交通手段も通信手段も整っている世の中だ。温室育ちの可愛い子に旅をさせても、それ程に心配する事態にはならない筈である。

 そこ等辺は、子供を信頼するのも大事な親の務め。


 最終的には母さんも折れて、好きにしなさい的な言質を貰えて。これで私の小さな目標は、ようやく形になる事を許された訳だ。普段は存在感の薄い父さんに感謝しなければ、さすが家庭で唯一の男手である。

 こうしてその夜、私は夢と目標の挑戦権を得たのだった。




「……と、こんな感じの議論が家族会議で交わされました。そんな訳で、先生の推薦してくれた学校を私の第一志望に決定します」

「ほおっ、家族会議をしたのかい、篠田? いいねぇ、議論は大事だよ……普段は気にしないけど、言葉にして初めて気付く事柄ってのもあるんだよ」

「確かに……父さんがあんなに頼りになったのかとか、私は実は温室育ちだったとか色々。先生の推薦してくれた大学……と言うか街は、生活環境から他の街とは異なるらしいですね?」

「そうだね、モデル都市として異質な環境には違いないかな。大学時代、身をおくのには楽しいと思うよ。篠田は街の魅力って何だと思うかな?」


 改めて老先生にそう質問され、私は少し戸惑ってしまった。場所は放課後の職員室、教員の数は室内に半分程度で、まったりとした雰囲気だ。

 老先生に大学紹介のパンフを貰った翌日、私は家族会議の結果を報告に来たのだけれど。どうやらここでも、報告を聞いて終わりとのパターンにはならないらしい。

 私は不在の隣の先生の椅子を借りて、老先生の隣に腰掛けている所。


「街の魅力って、住みやすさとか利便性とか? 街並みが綺麗で色んなお店が揃ってて、街の人がみんな優しくて親切だとかそんな感じ?」

「それはなかなか贅沢な好みだね、篠田。でも、お店が揃っていると言うなら、田舎の街は除外されるのかな? 東京なんて、それこそ何でも揃っているよね。魅力と言うのは、結局は全てではないんだ。その人の望むものを備えている、他にも物価が安いとか空気が美味しいとか色々あるよね」

「ふむん、その人がお金を気にするか健康を気にするかによって、感じる魅力の度合いは違って来ると言う意味ですね。じゃあ、私は何に魅力を感じるんだろう?」


 それはまだ何とも言えないねと、煙に巻く問答の老先生。それよりも、過ぎたる魅力は人を堕落させるからねと、しっかりと一人暮らしのアドバイスも忘れていない感じ。

 実際に、大学に入ってしまえばこっちのものと、酒やパチンコや賭け事、はたまた大都会の誘惑に身を崩す若者は結構な数いるそうで。

 だからと言って、大学時代は完全に勉強付けでしたと言うのも悲しい。要するに人生経験は、酸いも甘いも噛み分けるものであるらしく。

 教科書以外からも、学ぶ事はたくさんあるからねとごもっともな意見。


「先生もやっぱり、可愛い子には旅をさせろ派なんですね。親にも言われたけど、私は愛されて幸せだなぁ……信頼もされてるみたいだし」

「それを知るのは、本当に幸せな事だね。ただし、篠田みたいな周りからチヤホヤされるタイプと言うのは、何をしても許されるみたいな甘えが性格に出ないよう注意しないといけないね」

「別に、好きでチヤホヤされている訳ではない……言っている意味は分かるけど。この学校はお嬢様ばかり通ってるから、自分が可愛いオーラを放ってる生徒は確かに多いかも」


 つまりは、我が侭な女子生徒が多く存在するという意味だ。老先生の杞憂も分かる気がする、そんな生徒には毎回手を焼いているのだろうから。

 振り返って私はどうかと内心問えば、否定出来ない案件もちらほらとあるかなぁと、自己反省を促す答えが。だけど人間誰しも、自分が一番可愛いと思っている動物だし。

 そう返答すると、老先生も笑って頷いてくれた。


「それはもちろんそうだ、自己犠牲とはとても尊いものだよ。つまりは誰もが簡単に身につけれない程度には、希少価値が高いという意味でもね。篠田の年齢なら、今は可愛いの呪縛に囚われて鼻持ちならない性格にならないだけで充分だよ」

「ふむん……おっと、話が脱線してしまったみたい。要するに、甘えを無くすためにも一人暮らしは大切だと」

「まぁ、若いうちは何でも挑戦してみるべきだと思うけどね。ただ、僕も過去に何人かこの大学を受け持ちの生徒に推薦して、ひとつ気になった事があってね……無事に入学して卒業してくれたは良いけど、全員が全員、地元に戻って来ずにこの街に住み着いちゃったのさ。この現象、何なんだろうね?」




煮詰まった、それはもう完璧に。原因は勉強のやり過ぎに他ならず、受験生の宿命ではあるモノの。何故にこんなに詰め込む必要があるのかと、赤本や参考書の山に殺意めいたものを感じてみたり。

とにかく偏頭痛に悩まされるし、肌は荒れるしもう大変。体調の悪化に伴って、周囲のクラスメイトが全て敵に見えたりと、精神的にも参って来る始末。

無理が利く体質が、逆に自分を追い込んでしまったみたい。


司も葉子も心配してくれて、気分転換にと放課後にどこか遊びに行く提案をしてくれたけど。体調の悪化に伴って、全てが億劫に思えてくる始末。

 ついでに、既に推薦で進路の決まった葉子の能天気さが、無性に神経の苛立ちに拍車を掛けて。もちろん葉子が悪い訳じゃない、この娘はいつもこんな感じなのだし。

 受け取り方の問題だ、それが分かっていてもどうにもならないもどかしさ。


「絶対に気分転換か休息取った方がいいって、恵。本番前にこんなに体調崩してたんじゃ、意味無いじゃん!」

「放課後にでも一緒に遊びに行こうよ、メグ。私なら何時間でも、何日でも付き合うからさ?」


 何日も気分転換などしていたら、貴重な追い込みの時間が無くなってしまうだろうに。本当に能天気な葉子の発言に、何となく軽い殺意などを覚えつつ。

 それは司も同様だったらしく、アンタは少し黙ってなさいと頼もしい注意喚起の言葉。それからこちらには、戦士だって休息は必要だよと、やっぱり心配を含んだ優しい忠告。

 ありきたりな言葉だけれど、乾ききった心に染み渡る水のよう。


 自分だって大変だろうに、本当に良く出来た友達を持ったものだ。いや、だからと言って葉子の方が駄目ダメなのかと言われれば、アレはアレで良い所も一杯ある。

 それでも今は、そんな能天気娘を視界の端に入れるのも億劫な状況。遠くに行きたいと、弱音だか本音だかが私の口からポロリと落ちて来て。

 それを耳にした司が、それも良いねと乗っかってきた。


「どうせなら受験校の下見とかして来たら、恵? ちょっとした遠出だし、知らない街を探索するのも面白いかも……テンションも持ち直すかもよ?」

「あぁ、それいいかもねぇ……私も暇だから付き合うよ。でも、学校見てガッカリしたらどうするの、司ちゃん?」


 今度は脛蹴りで葉子を黙らせて、司は今度の週末にでもどうよとこちらを窺う構え。その言葉を受けて、私の霞がかった脳細胞がゆっくりと活動を開始し始める。

 単語をようやく租借して辿り着いたのは、悪くないかなという肯定の答え。


「それ良いかもね、気分転換と受験場の前見を兼ねて行ってみようかな? ……一人で行くけど、別にアンタがウザいとかじゃないからね、葉子?」

「う、うん……大丈夫、気にしないから」

「少しは気にした方が良いわよ、葉子。周り中みんな、受験を前にピリピリしてるの分かるでしょ? 葉子はただでさえ普段から天然の能天気なんだから、もう少し周囲に気を使いなさい」


 司に説教されて、大きな身体を縮こまらせる葉子の図式は、今までに何度も見ているのでもう慣れたけど。ついでに同情とか憐れみも、全く感じなくなってしまった。

 それでも突然に差し出された下見のプランは、時がたつにつれてとても良いものに思えて来て。帰宅して自分の部屋で落ち着いた頃には、既に週末の予定にウキウキしている始末だったり。

 名目は息抜きだけど、この高揚感は久しく味わっていなかったモノ。


 両親のオッケーも呆気なく貰え、これで予定を遮る物は無くなってしまった。多少は何か言われるかなと思ったけど、向こうもこちらの煮詰まり具合を把握していたっぽい。

 お小遣いまで渡されて、息抜きしておいでとまで言われる始末。普段は無表情だと言われる私だが、それ故に近しい者は私のちょっとした変化を見抜けるみたいな。

 変な慣習だが、これも愛されている証拠だろうか。


 そんな感じで決まった週末のお出掛け。それだけでほんの少し、心に通風孔が出来た気がする。気のせいかもしれないが、心の荷が軽くなったような気分。

 私はカレンダーにマークを入れつつ、一人笑みを浮かべていた――




 週末の日曜日、私はいつものように早起きして、いそいそと出掛ける準備に追われていた。お気に入りのコートを身にまとい、電車の乗り継ぎを書いたメモもばっちり持参して。

 外は思った程には寒くは無かったが、気を抜いて風邪などひくのも馬鹿げている。とは言うものの、気分転換が主な目的のお出掛けなので。

 気を張り過ぎるのも、まぁ本末転倒だったりして。


 最寄の駅は、もちろん通学にも利用するので我が庭も同然である。ただし、乗る方向が逆なだけで、完全なアウェー気分にさせられるのは何故なのだろう。

 心細い気分のまま、電車は私を乗せてひた走る。数駅も過ぎれば、もう知らない街並みばかりになって来て。そんな景色を見ても不安ばかり増すので、私は気を紛らわすために携帯を弄り始めた。

 ただし、心の中は全く別の事を考えていたけど。


 私のホームタウン、そこを離れるメリットなど果たしてあるのだろうか? 私は生まれ育った街が好きだし、同世代の友達もそこには大勢いる。

 学校生活で出来た友達もそうだし、習い事教室で仲良くなった子もたくさんいる。小学校の頃に母親の勧めで、私は1つだけ家の近くの躾け教室に通っていたのだ。

 躾け教室といっても、教職を退いたおばあちゃんがやっているユルい感じのものだったけど。私はその先生とそこの教室の雰囲気が、とても好きだった。

 同じ年頃の子供もいっぱいいたし、今でもその子達とは友好は続いている。


 教室の方は、残念ながら先生の老いが原因で畳まれてしまったけど。そんな事は関係なしに、私達は月に一度は顔を見せに訪れる事にしている。

 その時の和んだ空気は、やっぱり私には大切だったりする。それを手放す意味はあるのか、それとも時間と共に手放す仕方のない物のひとつだつたりするのか。

 きっと、簡単には答えの出ない事象なのだろう。


 そんな事を考えていると、あっという間に乗り継ぎの大きい駅に到着してしまった。大勢の乗客の後ろに続いて、私は乗り換えの路線を探しに掛かる。

 これも試験の当日に慌てないためには重要、などと思っていたけど実際はすんなりと乗り継ぎは行われ。乗り物慣れしていないから、手間取ると思ってたのに。

 まぁ、いいけどね。そして、私を乗せて電車は再びひた走る。


 外の景色は段々と田舎交じりになって行き、たまに大きな街らしき駅に、電車は停まったりを繰り返し。気がついたら、今日の目的駅の車内アナウンス。

 長かったような短かったような、何にしろ無事到着っぽい。


 この駅を利用する人は結構多いらしく、改札口では割と長い混雑振りだった。なかなか雰囲気とか使用勝手の良さそうな駅で、活気があるのも好印象。

 ふむふむ成る程とあちこちに視線を飛ばしながら、駅の建物を出て小さな広場へ。バス停への案内図を眺めつつ、大学方面は確か歩いても行ける筈と脳内確認。

 町全体の案内マップは無いものかと、再びきょろきょろと周囲を確認していると。


 少し離れた場所に立っている、私服姿の少女とバッチリ目が合ってしまった。どうやら挙動不審な姿に興味をそそられてしまった様子、別に不審者では無いのだけれど。

 少女は小学生の高学年くらいだろうか、隣には中学生くらいの恐らく姉と思われる女の子が携帯片手に話し込んでいる。姉妹でお出掛けだろうか、私には関係ないけれど。

 そう思っていたら、少女がこちらに近付いて来た。


「何か困ってるの? 道が分からないの、迷子?」

「迷子という歳ではないが、道順が分からないのは確かだな。この街の大学方面には、歩いていっても平気かな?」

「どうしたの、ゆっこ? その子は誰、知り合いの子?」


 どうやら通話の終わったらしき姉まで合流して来て、ハテナ顔の女の子が3人。私の戸惑いは、恐らくいつもの勘違いをされているのだなという思いに他ならない。

 つまりは実年齢より低く見られているために、お節介を焼かれているのだと言う。別にどうでも良いが、この変な膠着状態は打開したい気もする。

 いや、ちゃんと説明すれば呆気なく決着のつく問題ではあるのだが。


 ゆっこと呼ばれた妹が、近寄って来た姉に説明を始めている。お姉ちゃんと呼んでいるので、姉妹なのは確定っぼい。この子が道に迷っているとの解説は、ちょっと待てと言いたいけれど。

 姉妹は実際、外見というか容姿がよく似ていた。体型もそうだが、顔付きや雰囲気もそっくりだ。少しだけ儚げな、砂糖細工のような甘やかな印象。

 将来は、さぞ美人になる素養が透けて見えている。


「えっと、大学方面に行きたいの? 今日は日曜だから、学校はどこも門を閉めてるよ……あっ、文化会館か運動公園に用事があるの?」

「それなら一緒に行こうよ、案内してあげる」


 なんとも情の厚い姉妹だと感心しつつ、それでも自然に手を繋がれたのには多少の違和感が。そもそも行き先が違う、私は大学の下見がしたいのだ。

 そう口を開こうと思った時に、駅前の街の案内図が目に飛び込んで来た。さらには駅を出て左手に、割と大きなアーケード通りが伸びている。周囲の景色を確認する前に声を掛けられたので、今まで全く気がつかなかった。

 そうだった、まずは勘違いを正さなければ。


「ちょっと待って、私の行きたいのは大学のキャンパスだ。来年受験だから、下見に来たんだ……文化会館にも運動公園にも何の用も無い」

「えっ……中学受験?」

「大学受験だっ……私は今、高校3年生だっ!」


 私のその告白に、目を丸くする姉妹。どうやら小学生だと思われていた、私のショックも小さくは無い。それでも優しくしてくれた相手だ、噛み付くほどでも無いけど。

 相手もショックを受けたようで、妹さんが繋いでいた手は自然に離されてしまった。姉の方の反応はもう少しマシで、まるで不思議生物を発見したみたいなリアクション。

 むぅ、まぁ向こうの方が私より背が高いし仕方ないか。


 それでも、このまま分かれるのも気まずいと思ったのは両者とも一緒だったみたい。取り敢えず方向を教えて欲しいと口にする私に対し、丁度そっちに用事があるからと案内を買って出るお姉さん。

 姉は早川由香里(はやかわゆかり)と名乗って、私も名乗り返してこれで遅ればせながら知り合いに。妹さんは裕子(ゆうこ)と言うらしい、小学5年生だとか。

 姉の由香里ちゃんは中学1年生、割としっかりした性格っぽい。


 その性格のなす業なのか、丁寧な説明付きでエスコートの構え。こちらも下見をしに来た身だけに、ジモティの案内は正直有り難い。妹のゆっこちゃんも大人しくついて来て、ようやく大井蒼空町の探索がスタート。

 その頃には和んだ雰囲気が訪れていて、私はあちこちに目をやりながら歩を進めていた。ネット動画で少しだけ目にした街並みだが、実際に自分の足で歩くと新たな発見が。

 それも随所に、他の街とは明らかに違う点が。


 まずは歩道がやたらと広く、とても歩きやすい。車道との区分化は段差付きできっちりと分けられているが、そもそも車の交通量は駅前でも多くない。

 その点について質問すると、どうやら道路がそう言う構造になっているらしい。つまりは駅前の道路は袋小路になっていて、どこにも通り抜けできない仕様らしく。

 バスの始発も終点も、この駅前になっているとの事。


「歩行者の安全面で言えば、他にも色々と工夫がされてるよ? 例えば曲がり角だけど……ほら、そこの角とか植え込みがあるでしょ?」

「町の外の人は、電柱が無い事にもよくびっくりしてるよねぇ?」


 姉妹の言葉に改めて周囲を見回すと、なるほど電柱や電線の類いは全く見受けられない。これは驚きだ、つまりは全てのライフラインは地下に収まっているらしい。

 大都市ではそれ系の工事が数年前から着手されてるらしいが、この街では初めからそう言った設計理念で造られているようだ。街とは所詮、道路と建築物のパズルである。

 複雑な要素の削減は、住民にも優しいのは当然だろう。


 姉の言う植え込みも、歩道の曲がり角に確かに見受けられた。冬の今の時期、立派な葉牡丹が目を楽しませてくれている。だがこの花壇は、単に街の景観に一役買っているだけではないようだ。

 近付いて納得、なるほどこれは死角が少なくて安全だ。道の曲がり角で人同士がぶつかるとか、そう言う事故を防ぐ役割を担っているっぽい。

 貨物トラック専用の駐車スペースも、最初からきちんと設計されているのは凄い。


 そもそも電柱が無いだけでも、こんなに街の景観が違って来るとは。歩きやすいのも勿論だが、建物越しに見る青空のなんと澄んで見える事か。

 街自体が比較的新しくて綺麗だし、建築物が整然としている割に親しみやすい。この感覚は何だろうと、私は頭の中で自分の感情を分析に掛かってみる。

 ああそうだ、京都や尾道の街を散策した時の気分に似ているのだ。


 家族旅行でどちらも訪れた事があるのだが、独特の雰囲気でまるで異郷の地のダンジョン探索気分を味わえたのだが。基本のパーツは日本古来の馴染みの景色で出来ているため、過剰な違和感にはなり得ないのだ。

 そんな事を考えながら歩いて行くと、やがて商店街からビル街へと移行したようだ。その向こうは公共施設や学校、運動公園があるのだと説明を受けつつ。

 ジモティ姉妹の説明を聞きながら、私達は目的地へと進む。


「先生の話だと、この通りも他の町とは違うんだって。ほら、会社の守衛棟が一定間隔で並んでるでしょ? 何かあったら警備の人がすぐに来てくれる、世界一安全な通学路なんだって!」

「車の通りも少ないし、通学中の事故が今までないのが自慢らしいよ、ウチの学校は。他にも色々、他の地区とは違う個性的な記録を持ってるんだよ!」

「ほう……さすがはモデル都市だな。実際に住んでいる者の感想は、とても参考になる。おっと、ここが小学校の裏門になるのかな?」


 なかなかに洒落た門が、右手に待ち構えていた。裏門の癖に広く設えてあり、小学校らしくどことなくファンシーな雰囲気だ。休日なので今は閉まっていて人影も無いが、容易に学生で賑う景色を思い浮かべられる。

 姉妹の説明によると、その奥に中学校と高校、そして大学のキャンパスと続くらしい。緩い坂道になっているが、その奥の山の頂には古い神社があるらしく。

 小さな街だけに、主要施設は集約されている様子。


 正直、その後に案内された大学のキャンパスは、私的にはそれ程の感銘を受けなかった。どこかで見た事のある、似たり寄ったりの雰囲気だなとの感想のみで。

 そのあと学区通りを抜けて、運動公園の方まで姉妹に案内され。この街のスペースの利用理論は、素人目にも素晴らしいと思う。それが私に、色んな事を考えさせられて。

 自分の中のモチベーションが、ぐ~~っとアップして行く。


 最終的には姉妹に駅まで送って貰って、別れ際には受験頑張ってねと応援されて。受験勉強で溜まった私のストレスも、幾分か薄まって気分も楽に。

 帰りの電車の中でも、私は今日の出来事について色々と考えていた。老先生が口にした言葉、街と言う容れ物が中身をつくると言う真意について。モデル都市の特殊性は、今回直に見る事が出来た訳だ。

 それは私に、さらに考えるきっかけを与えてくれた。


 私の父さんも家族会議の時に言っていた、こんな大胆な試みも日本を良くするためには必要だと。怠惰で嘘つきな政治家や、前例に無い事は絶対にしない行政よりも、聡明でチャレンジ精神旺盛な教授や企業家に、斬新な革新を委ねる方が上策だと。

 飽くまで父さんの考えなので、そこは了承頂きたいけど。


 私はなおも、小学校や中学校に進学した時の特別な感情を思い起こしてみる。環境の変化に多少の不安はあったが、未知の世界に飛び込む感覚は無かった。

 ところが今回は、結構な人生観の激変を体験させられる予感が、ひしひしと湧き上がって来ていて。それは独り暮らしをスタートさせるとか、地元から離れる不安とも別次元に存在している気がするのだ。

もちろん全ては、まずは受験に受かったらの話だが――





 私にとってその年の3月は、まさに怒涛の勢いで過ぎ去った季節だった。つまりは第一志望に見事合格してからの、一連の流れの渦中に身をおいての事であるが。

 大きなイベントは幾つも存在したが、そのほとんどの記述は端折らせて貰う事にして。合格発表の日のあらましだとか、卒業式や仲間内でのお別れ会だとか。

 私にとって大切な思い出には違いないが、改めて思い出すにも少し照れる。


 とは言っても、別に大泣きしたとか恥ずかしい失敗をしたとか、そんな理由からでは無い。私は元々感動しにくい性質だし、結局一度も涙を流す事は無かった。

 葉子はどの場面でも、大泣きしてたけど。司だって卒業式の日には、やっぱり涙を流していたっけ。私だけ泣かず終いだったけれど、別に情が薄いのとも違う。

 そう言う性格なのだ、もって生まれたモノなのだから仕方ないでしょ。


 地元を旅立つその日も、結局私は泣かなかった。見送りに来てくれた親友たちは、葉子につられて涙を流していたけど。自分的には隣の県だし、そんな大仰な別離の空気は感じていなかったりして。

 別にそれを責める友達もいない、皆が私の性格をちゃんと把握してくれている。司に言わせれば、私は結構感情が豊かなのだそうな。怒りの感情が特に面白いそうで、彼女の分析では私は割と根に持つタイプらしい。

 ふむん、自分ではさばさばした性格だと思うんだけどな。


すったもんだの末に、私は大学の女子寮に住まいを定める事になった。大井蒼空町は学園都市の癖に、肝心の学生が住む宿が極端に少ないのだ。そう言えば老先生も、学生がそのままこの街に居ついてしまうと言ってたっけ。

 その事実を認識した時には、もう近場のコーポは満杯の有り様で。もっとも、街に近いコーポに空きが出来る事は、ほとんど無いそうなのだけれど。

 大抵の大学生は、だから電車やバス通学を余儀なくされるそうで。


 もしくは不便なのを我慢して、私のように寮生活を選択するかだ。断っておくが、不便なのは私生活においてのみである。寮は大学の敷地内にあるので、学校生活を送るのには支障はない。

 ただし、ちょっと買い物に行こうと思ったら大変なのは確かである。坂を下って大公園を横切って、近場で唯一のコンビニに行くか、もしくは15分掛けて駅前のアーケード通りに立ち寄るか。

 旧市街地の麓のスーパーまでは約10分、もっとも寮内の各部屋には台所などついていない。1階の共同の台所を使うか、寮生の大半は学食に頼っているそうだけど。

 私もそうなる予感がひしひし、それはまぁ仕方のない事か。


 入寮の日、私は母親に付き添われて大学の敷地内に足を踏み入れた。まだ春休み中だというのに、キャンパスに人の姿は結構見受けられ。

 ぽかぽかとした日差しの中、私たちは寮長さんに挨拶した。寮長さんと言っても、大学の院生が兼ねているらしい。素朴な雰囲気の女性で、性格も温厚そうだ。

 言うなれば共同生活の仲間、良さそうな人で安心した。


 それから2階の部屋に案内されたけど、こちらは初見から当てが外れたと言うか、がっかり感が先にたった。6畳くらいの狭い畳部屋で、築年数も相当な様子。

 日当たりは良さそうだ、小高い丘の上に建っているので景色もちょっと良い。無理やりに褒められるのはそのくらいで、後はまぁ推して知るべしと言う感じ。

 おっと、講義開始寸前まで寛げる立地条件も素晴らしいかな?


 母親はこの部屋の状況を観察した後、大丈夫かってな視線で私を見た。箱入り娘がこんな境遇に甘んじられるかと、余計な心配をしているみたいだ。

 もちろん大丈夫に決まっている、私は学問のためにこの街に引っ越してきたのだ。贅沢な環境で自分を甘やかすためでは、決して無い。

 むしろちょっと、わくわくして来た程である。


 ベッドやタンスなどの荷物は、今日の午後に届く予定だ。家具が入れば、この殺風景な室内もずっとマシになるだろう。母親は夕方には家に戻って、私の入学式の日に父親と再び訪れる手筈になっている。

 それから学部のガイダンスやクラブ紹介のガイダンス、単位取得のための年間の時間割り決めなど、講座が本格的に始まるまで色々とこなす行事も待ち構えているみたいで。寮長である先輩にも、アドバイスを貰ってみたり。

 忙しくなりそうな気配、寮の歓迎会も催されるそうだし。


 母親には色々と心配されて小言を貰ったけど、私はこれからの一人暮らし生活に内心ワクワクしっ放し状態。今までが籠の鳥だったと言う訳ではないが、やはり初の一人暮らしは開放感が全く違う。

 まぁ、女子寮なのだから半分は共同生活なのだけど。その点は母親も安心らしく、近場の街の雰囲気の良さも安心感を助長しているみたいでもある。

 夜遊び出来るような場所もないし、環境も素晴らしいとのお墨付きを貰えたし。


 そんなこんなで、私の新生活はこの小汚い女子寮の一室から始まった。最初の数日間は、部屋を片付けたり足りないものを買い出しに行ったり。それなりに忙しく日々を過ごしながら、気侭に街を探索するのにも時間を割いたり。

 寮長の話だと、この街のビル街にはIT企業とか複合企業が多く入っているそうだ。モデル都市を企画開発したプロジェクトチームも、同じくこのビル街に入っているらしいし。少し離れた場所につくられた巨大モールも、同じチームの開発らしい。

 色々手広くやってるみたいで、物凄く興味をそそられる。


 その巨大モールにも、実際私は何度か行ってみた。人の流れとか過ごし易さとか、もっと言えば安全性とか芸術性とか、物凄く計算された設計だと感心させられた。

 一般の組織や企業が経済効果優先で敬遠、または敢えてスルーする部分。この巨大アウトレットモールは、そこに敢えて力を入れているのだ。

大抵の企業は儲け主義に偏っていて、安全性や環境性は無視してしまう。お客は施設を利用又は製品を買ってくれれば神様、その後に幸せになろうが不幸になろうがどうでも良い的な感じを受ける。

ニーズに対応するのは、飽くまでその方が儲かるからに過ぎない的な態度。


 少々言い過ぎだろうか、しかし最近のニュースを賑わす報道には、一消費者として本当にうんざりさせられる。産地偽装や異物混入、農薬散布や水質&大気汚染、買う食品全てに香料や防腐剤……思いやりに欠けるどころか、悪意すら感じさせられる。

 儲ける事は大切だ、雇っている社員達に月々の給与を払わないとね。その為に企業は存続し続けなければならないし、会社は成長しないといけないし。

 それが他者を犠牲にする、大義名分となり得るのだろう。


 そんな醜悪な雰囲気が、この巨大ショッピングモールに無いのは僥倖だ。ここはただ歩くだけでも面白いし、お金を使わなくても充分楽しめる。

 日ごとに変わる、何らかのイベントや催し、無料で見物出来るショーや舞台が来客者を楽しませてくれる。モールの周囲は、今の時期だと桜が満開で綺麗だし。

 景観や娯楽性にこだわりつつ、来客全てを大事にしているのが伝わって来る。 


 まぁ要するに、私の興味はそそられまくっている状態な訳だ。このモデル都市であり、そして学園都市の顔も併せ持つ、大井蒼空町と言う街に。

 大学が始まるまで、そして始まってからも私の実地調査は続いた。時には地元の学生を捕まえて、質問攻めにしたりもした。ここの住民は総じて親切で、気さくな人柄の人が多いようだ。

 そこに付け込んでの、私の戦略は我ながら素晴らしい。


 言っておくが、始まった大学の講義を、私は別におざなりにしていた訳ではない。それでは全くの本末転倒だ、ちゃんと単位取得の為に真面目に講義には出席していた。

 これはこれで面白かったし、その前にあった各種ガイダンスも楽しかった。取り敢えずクラブ活動は保留にしておいたが、いっぱいあり過ぎて決められなかったと言うのが本音だろうか。

 とにかく始まった大学生活、毎日が刺激で盛りだくさん。


 新しい友達も案外と、何人かはすんなりと出来てしまっていた。地元から上がって来た子も、その中には数人いたけれど。どうやら母親が心配していた、8割以上が地元の生徒と言う事態は無いっぽい。

 そもそも大井大学は圧倒的な総合学部を誇っていて、幾ら進学校の地元の生徒がこの大学に進学を希望しようと、まだまだ席はたくさん存在するらしい。

 皆の噂によると、地元生徒率は精々が5割程度らしいのだ。


 まぁ、そんな地元出身の友達は、私にとっては良きサンプルだった。私の研究の趣旨を説明すると、その友達は喜んで協力してくれた。

 そして勧められたのが、津嶋名誉教授の特別講座ビデオ。大学や街の図書館で観賞出来るそうで、この街ではかなり有名な人物との事で。

早速私は足を運んで、全ての講義を閲覧した。


 講義の内容をまとめると、だいたいこんな感じだ。現代社会に蔓延する様々な問題に対処するにあたって、我々はどこから手を付けるべきか?

 ストレス社会と言われる現代において、何がその要因に大きく関わっているのか。核家族化や雇用体勢の変化、過剰な西洋文化の流入や人間関係の希薄化。

 政府の対応は常に後手で、ろくな政策も打ち出せていないと来ている。


 古き良き昔の生活に、どうやっても我々は戻る事は叶わない。今の便利な世の中のシステムを、捨て去れと言われても誰も従わないだろうし。

 だからと言って、幼児虐待やいじめ問題、少子化などの社会のひずみを放っておく訳にはいかない。特効薬とまでは行かないまでも、何らかの解決策を模索するべき。

 ならばどうするか、我々は街の概念の変容から取り掛かった。


 人の生活空間としての安全性や好環境を備えた街づくりは、良い環境が穏やかで秀逸な人材を育成すると言う理念に基づいての事らしい。その考えは分かるし、私から見てもその試みは成功していると思う。

 それだけではなく、津嶋名誉教授は時代の主役は飽くまで人とそのコミュニティにあるのだと主張して。新しい人間関係の自然な構築を、新たな課題としているらしい。

 それがこの街のネット環境で、現在進行形で研究されているテーマらしい。


 さて、本題は実はこれからだ。随分と長い前振りだったけど、これは私の出会いと選択の物語なのだ。私はこの後、この街で様々な人との出会いを経験する。

 ――そしてこの街特有のコミュニティを、身を以て体験する事となったのだ。



「あっ、いた……恵ちゃんっ!」

「ほあっ……?」


 突然に名前を呼ばれて、私は変な声を上げてしまった。時は大学が始まって1か月が過ぎた頃、時刻は夕方で、私は夕食のために学食をうろついていた。

 突進して来たのは、紛れもなく去年の下見でお世話になった早川姉妹だった。そのままの勢いで抱き付かれ、私は懐かしさと驚きで胸の熱くなる思い。

 何て素敵な偶然、これもこの街の不思議なパワーだろうか。


 ところがそうではなかった、どうやらこの姉妹、4月に入って私の姿を探していたらしい。受験に合格したらこの街にいる筈だと、その可能性に期待して。

 何ていじましい娘達だろう、感動のレベルはお互いに同じ程度だっただろうか。その後は猛烈なお喋り会へと突入、あっという間に馴染む私達。

 まるで、十年来の友達同士のように。


 由香里と裕子姉妹には、その後も何度もあってどんどん親しくなって行った。ある意味、この大井蒼空町で一番最初に出来た友達……いや、妹的な存在である。

 そんな妹達からあるゲームの噂を聞いたのは、再開して割とすぐの事だった。この街のみのケーブル配信で提供される、この街の住民には知らぬ者もほとんどいない人気カテゴリーらしいのだが。

 姉妹もしっかりプレーしていて、しかも結構ハマっているらしい。運良く有名ギルドに所属させて貰って、心地良い居場所を得た様な気分らしく。

 その事を楽しく話す2人に、私も興味を惹かれてしまって。


 他の友達にも話を聞き込んだところ、どうやらこの『ファンスカ』と言うネットゲームは、この街特有の試みらしい。町民のみ参加可能なネトゲ、独特でユニークなコミュニティーツールである。

 姉妹は『アミーゴゴブリンズ』と言う名前の、老舗強豪ギルドのメンバーだと得意気に語ってくれた。誘ってくれたのは以前家庭教師をしていた女性で、今も大井大学のゼミ生らしい。

 私にも紹介してくれて、それが愛理との出会いだった。


 最初の印象は、何とまぁアクの強い女性だろうって感想だった。もろに女王様タイプの性格で、とても年下の面倒を甲斐甲斐しくこなす風には見えない。

 ところが意外にも、私と愛理は割と馬が合った。その後、彼女の所属するゼミにお邪魔したり、姉妹との縁も相まって仲良くなって行き。

 最終的には、私も彼女達のギルドに誘われる経緯に至って。


 私の心情的には、どうもこのネトゲと言う遊戯もファンタジーと言うカテゴリーも、異質な文化には違いなかった。それでも姉妹の熱心な勧誘に、いつしか心が動かされ。

 冒険や絆や助け合いと言う言葉、何よりギルドは家族だと熱弁をふるう姉妹に。そんなモノかと軽い調子で、取り敢えずやってみるよと2人に決意を語ると。

 部屋まで押し寄せて来て、接続から入会手続きまで全てやってくれる周到振り。


 まぁ、助かったけどね。前の入居者のお古の筐体も見つかって、ほぼお金も掛からなかったし。月額使用料も本当に安いし、これで向こうの採算は取れるんだろうか。

 そう考えて、ある結論に辿り着いた。これがひょっとして、津嶋名誉教授の提唱していた新しいコミュニティツールではなかろうか? 実際、愛理達のギルドはオン会やオフ会の頻度も多く、メンバーは超仲良しらしい。

 実際、私もこのギルドで多くの仲間を得る事が出来た。


 その中でも隼人や真理香とは、特に親しくなって行った。隼人はこの街の有名企業に勤めていて、ギルドのマスターを担っている重鎮だ。

 そうは言っても、実際は雑多な役回りをあれこれこなす苦労人にしか見えないのだが。人当たりが良くて、私もキャラ育成の際には色々とアドバイスを貰ったものだ。

 私の『グレイス』も、前衛アタッカーの大鎌使いだったからね。


 光種族も武器や職業も、私は余り悩まずに決めてしまった。こう言うのは感性だ、あれこれと考え込む必要は無い。姉妹は後衛職だったので、バランスも良かったし。

 真理香とも、ギルド入会してすぐに仲良くなった。何の事は無い、彼女は私と同年齢で、しかも学部も同じだったのだ。ただし、この街出身の『マリカ』とは、キャラレベルに大きな差があったけど。

 それでもリアルとネットと、同じ程度の比率で良く遊ぶ仲になった。


 もっとも一番良く遊んだのは、実は由香里と裕子姉妹だったけれど。私のグレイスの育成に、本当の初期から携わったのは彼女達だけだ。

 愛理とも良く遊んだが、彼女の教えの大半は意味不明だった。合コンの何たるかとか、男を手玉に取る方法とか。か弱き女のスキルを磨けとか、大半がそんな話で。

 自分は思い切り年上趣味で、何故か尽くすタイプなのに変な女だ。


 そんなこんなで、私はネトゲ住民としてのデビューも華々しく飾る事と相成った。ネトゲ住民の多くは文系だが、狩り場に到着すると体育会系に豹変する変な人種だ。

 私は1年ほどはレベル上げに精を出した。その時間の殆どを、姉妹に手伝って貰ったのは言うまでもない。私達はイン時間のほとんどを一緒に過ごしたし、一緒の部屋での合同インもたびたび行なった。

 一人っ子で育った私に、初めて出来た妹だ!


 ここまで書くと、私が大学の生活をおざなりにしている感があるが、別にそうでは無い。クラブ活動こそしなかったものの、単位は一つも落とさなかった。

 普通に学生生活を送る友達も出来たし、興味のある講座はほとんど出席した。それと同時に、姉妹とキャラ強化に励んでいただけである。

 そうして、瞬く間に日常は過ぎて行き。



 季節はあっという間に1年が過ぎ、私も大井蒼空町での生活に馴染んで行った。友達とも上手くやれてるし、大学生活も順調だ。何よりモデル都市の環境に、実際に身を置ける事が出来たのは良い経験になった。

 私は友達の力を借りて、そんな風変わりな街のレポートを作成していた。つまりは、他の町で育った者から見た、この街の特徴を綴った体験記的なモノだ。

 これをいつか、津嶋名誉教授に読んで貰えたら嬉しいのだが。


 それからファンスカ内の事も、少し書いておこうか。私のグレイスは立派に成長を遂げ、1年余りでカンストに至った。今では姉妹共々、ギルドでの狩りや手伝いでは主要キャラとなっている。

 これもギルドの人達の協力のお蔭だ、オフ会の度に言い寄って来る男共は多少ウザいけど。まぁコイツらも家族だと思えば、そんなに腹も立たなかったけどね。

 とにかく私は、このゲームにすっかり嵌まってしまっていた。


 私の中にも、しっかりと夢見心地の冒険少女がいたらしい。ファンスカと言うゲームはとても良く出来ていて、年に何度かある限定イベントも面白くて取り組まずにはいられないのだ。

 私の同学年にも、結構な数のプレーヤーが存在したし、小中高生の中にも積極的にギルド活動を行っている生徒は多いらしい。限定イベントの時期は、その話で持ちきりになる程度には。

 本当に興味の尽きない街だ、ゲームひとつで縦にも横にも強い繋がりが芽生えている。


 ネトゲと言うのは中毒性を持っているが、この街のゲームはそんな事も無いようだ。プレーヤー参加型なので、一人で遊んでいてもつまらないし、逆にメンバーの目が通常生活の見張りになっている。

 ゲーム世界で実生活のバイトを探したり、試験の山や料理のレシピを尋ねたり、そんなツールとしての役割にも使えるのだ。実際に冒険に出ないライトユーザも、我がギルドにも何人も存在するし。

 そう言う人達は、ファンスカをコミュニケーション手段として使用しているのだ。


 私の大井蒼空町に関するレポートも、かなりのデータを集めるに至って。ネット世界のコミュニティの構築については、別のレポートにまとめようかなと考えている所。

 そんな中、私はある事実に気付いた。いつも一緒に遊んでいる早川姉妹が、この頃元気が無いのだ。直接聞いてみても、2人とも何でもないとはぐらかすばかりで。

 愛理にも訊いてみたが、理由は知らないらしい。


 特に、妹のゆっこの落ち込み具合が激しい。この子はいつも私の部屋に遊びに来ると、ひっつき草みたいに私にくっ付いて離れないのに。高校時には、葉子がそんな感じだったのを思い出す。司の家が和菓子屋さんなので、大抵はそこにお邪魔して彼女の漫画本なんかを勝手に読み耽って時間を過ごすのだけど。

 そう言う時、何故か葉子は私に引っ付きたがるのだ。暑苦しいので、私にとっては良い迷惑なのだけど。ゆっこの場合は、お姉ちゃんとして悪い気は全くしないのだが。

 そんなスキンシップも、最近は影を潜めていたりする。


 明らかに何かが起こっていて、姉妹はそれを隠そうとしているのだ。以前に冗談交じりに訊かれた「私達がいなくなったら、恵ちゃん悲しい?」と言う質問が、私の脳裏を駆け巡る。

 まさか、そうなのか? だけど、そんな家庭の都合レベルの話に、私なんかが干渉など出来やしない。その思いが、私の心を激しくかき乱した。

 だとしたら、それはいつやって来るのだ?


 ファンスカの合同インも私が勝手に開いてる勉強会も、姉妹は今まで通りに参加していた。それは新学期が始まってからも変わりなく、私は自分の想像が杞憂であるのを秘かに願っていた。

 この時期に引っ越しなどしないだろうと、5月になって私の気は完全に緩んでいた。姉妹は相変わらず元気の無い様子だったけど、一緒にいる時は楽しんでる表情を見せてくれていた。

 それが空元気だったと知ったのは、5月の大型連休明けの事だった。


 その日私は用事があって、ほぼ丸一日外出していた。夕食も外で済ませて、飲み会の誘いだけは断って、部屋に戻ってする事リストを頭の中で思い描きながら。

 途中コンビニに寄って、そのせいで運動公園を縦断する破目になったけど。思わぬ知った姿に足を止め、他に人気のない公園のベンチへと歩み寄る。

 暗く沈んだ表情の、由香里と裕子の姉妹がそこにいた。


「どうしたんだ、こんな時間にこんな場所に……家の人が心配するぞ?」

「恵ちゃん……部屋まで行ったけどいなかったから、ここで待ってたの。家に帰りたくなかったから、別にどこでも良かったんだけど」

「何があったのか、由香? 家の人と喧嘩でもしたの?」


 泣いていた、由香里は静かに涙を流していた。いつも明るくて妹思いな少女は、完全に感情を制御出来ずに泣いていた。私が少女の肩に触れると、弾かれた様に抱き付いて激しく泣きじゃくり始めた。

 戸惑うだけしか出来ない私に、暫くして由香里は涙声で語り始めた。両親が離婚して、母親の実家に引っ越しが決まった経緯を。引越しと言う単語に、一度だけ裕子の肩がビクッと反応したのを、私は見逃さなかった。

 もちろんそうだ、裕子の瞳にも溢れださんばかりの涙の粒が。


 ずっと我慢していたのだ、その小さな胸が押し潰されそうになる程に。別れの寂しさより、私は彼女達の辛い気持ちを和らげてやろうと、必死に頭を回転させた。

 普段から才女だと自分で言ってはばからなかった私だが、この時ばかりは全く良い解決策が浮かばなかった。それどころか、泣き顔の裕子と目が合った途端、私も堪え切れずに泣き出してしまった。

 そこからは、3人抱き合っての大泣き大会に。


 こんなに泣いたのは、いつ以来だっただろうか? 自分の卒業式にも泣かなかったのに、何と言う有り様だと己に呆れてしまう。それでも素直に感情を爆発させると、時間の経過と共に自然と落ち着きを取り戻して来て。

 姉妹も同様だったらしく、暫くすると泣き疲れて静かになって。そこから私は頭をフル回転、理系のプライドを掛けて彼女達を慰める言葉を見付け出しに掛かる。

 自分の寂寥感などどうでも良い、問題なのは姉妹の辛さを和らげる事だ。


 少々大袈裟な姉としての責任感に追われつつ、私は彼女達に慰めの言葉を発した。いや、由香達に必要なのは、理路整然とした説得の言葉では無い。

 希望だ、未来は決して絶望に彩られていないと言う。


 私は時間を掛けて、自分達は離れていても同じギルドの家族なのだと諭した。この絆は絶対に切れる事は無い、私達がお互いを忘れない限りは。

 そして近い将来、またこの街に戻ってくれば良い。大学受験なら、親も文句は言わないだろうし。その時にこそ、一緒に勉強した成果が生きると言うモノだ。

 この未来は必ず実現する。何故なら、この街は必要とする者が集まる力を備えてるから。


 姉妹は私の話を、大人しく聞いてくれた。時折頷いたり鼻をすすったり、それでも彼女達なりに真剣な表情で。やがて2人の脳内にも、しっかり未来のビジョンが出来上がったのか。

 その日に向かって頑張ると、姉妹揃って約束してくれたのだった。




 私の物語も、そろそろ終わりに近付いて来た。去る方よりも去られる方が辛いと言う人がいるかも知れないが、由香とゆっこは内心凄く苦しんでいたに違いない。

 それを表に出さず、粛々と引越しまで日々を過ごし。旧友とのお別れ会や、ギルド『アミーゴゴブリンズ』が催したお別れ会でも、二度と涙は流さなかった。

 私もそう、私が立案した再開までの計画は、既に始まっているのだから。


 引越し当日も、私達は簡潔にさよならと再会の約束の確認を交わしただけだった。未来への道は続いている、行動を起こせばそれだけ願ったビジョンに近付ける。

 私達はそれを、ファンスカと言うゲームで教わった気がする。いわゆる成功体験と言う奴だ、姉妹と共に過ごしたあの冒険と成長の日々で。

 本当に楽しい時間と言うモノは、心の芯に残るのだ。


 ここからは蛇足だ、私達は離れ離れになっても頻繁にメールやパソ通で連絡を取り合った。彼女達の育てたキャラには、主人不在の現状では会う事も儘ならないけれど。

 こういう時は、街限定の通信手段の固定化は裏目にしかならない。普通のオンラインゲームだったら、ネット手段さえあれば離れていても一緒に遊べたのに。

 今更言っても詮無いだけか、この街で再会した時の楽しみにとっておこう。


 この先も私は、様々な出会いと別れを繰り返すのだろう。色々な選択肢に迫られ、その度にきっと思い悩んだり躊躇ったりを繰り返すのだろう。

 それが人生だ……それを楽しみ、それを苦しむのが人生だ。私はこの街に来て良かったと、心底思っている。このほろ苦い経験でさえ、私の糧となって行くのだ。

 私は温室育ちから抜け出した……この足で、自分の意志で。


 私の生活だが、ちょっとした副作用と言うか誤算もあった。姉妹の去った寂しさからか、私はさらにファンスカにのめり込んで行ったのだ。

 良く遊ぶようになった友達が、ネトゲ住民だった事も要員のひとつだったけど。“白い死神”と言う不本意なあだ名を頂くにあたって、もはや私もこの街の立派なネットファイターだ。

 ――そしてそれが、新たな出会いを連れて来るのだ。





 私達のギルドの新たなライバルは、地元の高校1年生で物凄く体格の良い男子らしい。大学の学食どころか、駐輪場も利用しているから、見掛けた事あるかもねと隼人の注釈を得て。

 あの闘技場での事件以来、どいつだろうと観察を欠かさなかった結果。ある日の夕刻、偶然にそれらしき敵影を学食内で発見。観察を続けながら、さり気無く近付いて行き。

 食事を乗せたお盆を手に、私は近くの席へと腰掛けた。


 と思ったら、何故か敵の真正面に着席してしまっていた。しまった、どうやら少々緊張しているようだ。知らぬ振りをして食事を始めるが、敵は思いっ切り訝りの表情。

 しばらく放置していたら、どうやらこちらへの興味も失せてしまったらしく。再び読み耽っていた本へと、視線が戻って行く。秀才面して、不敵な奴だな。

 我慢しきれず、私は思わずその男子生徒に話し掛けていた。


「……何で逃げた」

「は、はいっ……?」

「封印の疾風のリンでしょ? 面はハヤトから割れてる、何で逃げたの」

「えっ、え~と……」





 ――こうして私のファンスカ生活は、新たなライバルを得て激動の変化を迎えたのだった。







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