2章♯21 お盆の出来事
とにかく多忙に過ぎたお盆休み、もっとも僕ら学生組は夏休み中なんだけどね。それでも稲沢先生や神田さんと、外で会う時間もちぐはぐて取れないくらい。本当だったら、20年ダンジョン突破記念のオフ会を企画したかったんだけど。
この章はひょっとして、リアルでの出来事ばかりの記述になっちゃうかも知れない。だって行事がてんこ盛り、全く予期しない、思わぬ出会いも待ち受けていたし。
とにかく忙しかったのは、夏祭りの手伝いに駆り出されたせいもあるけど。
それはまぁ、仕方のない事だったと今は思えたりする。椎名生徒会長の権力行使振りはアレとして、彼女と沙耶ちゃん達とは幼馴染同士の縁もある事だし。
巻き込まれるのは、半ば覚悟はしていた僕。夏の暑い盛りに、力仕事に従事する破目になるとは思わなかったけど。それでも、年上の先輩たちと接する機会も得られたし。
ゲームの話とかも出来たし、面白い経験だったように思う。
だいたいの詳細は、前の章で書いちゃったんだけどね。とにかくその前準備と行事への参加、それから月曜日には後片付けにも駆り出されたのだった。
それがお盆休みに忙しかった、1つ目の理由。
2つ目はかなり以前から準備をしていた、古書市への参加の際のごたごただったりする。準備に時間をかけていた割には、その直前の印刷業務はまさに過酷の一言だった訳で。
印刷業に携わっていると、こんな事態は良くある事として片付けられるのが悲しい。とにかくこれも、直前までの製本業務に加え、本番の出店までの流れがきつかった。
いや、苦労して作った本が売れて行くのを見るのは、かなり楽しかったけど。
編集部の人達は、お盆休みに入ってしまって売り子は僕がやる破目に。まずは軽く、そこら辺の話からして行こうか。衝撃の来訪劇は、もうちょっと後に取っておこう。
未だにドキドキしている、僕の心情も汲み取って欲しい。
夏の盛りでの印刷作業は、この上なく過酷で忍耐が必要だと思っていたけれど。与えられたブースに陣取っての、売り子に徹する作業もかなりの努力を必要とした。
去年も師匠と一緒に参加させて貰っていたので、室内の熱気の酷さには多少の覚えがあったけど。今年は輪を掛けて酷いと感じるのは、僕の気のせいだろうか?
それとも来客数が、去年より多いせいかも。
訪れる人波は、確かに年々増えている傾向にあるようだ。本の売れ行きもそれに従って増えるので、別に文句は無いけれど。この所の重労働のせいで、何かもうバテそう。
今は2日目の日曜の古書市、売り手も訪れる人達も、かなり気合が入っている。
昨日は幸い、沙耶ちゃんと優実ちゃんが手伝いを申し出てくれて大助かりだった。ブースは会議室に置いてあるような机を丸々1つ、僕と師匠だけでお客を捌くのは結構キツイ。
それはもちろん、お客さんを相手取る人員的にもそうだし、おちおち休憩に出向けない不利もそうだ。薫さんも子供達の世話で、こっちが手伝って欲しい位と愚痴っていた。
従って、師匠に頼るより僕の知り合いに声を掛けてみた訳だ。
今日は環奈ちゃんも来てくれるそうで、人数的にはかなり余裕が出来そうな気配。そうしたら1時間くらい、僕も他のブースを見て回る時間が取れるかも。
本好きにとっては、まさに蛇の生殺し。こんな宝の山を目にしても、それを吟味する時間が昨日はほとんど取れなかったのだ。意地で30分程度、昨日は何とか時間を貰った程度で。
それでも頑張って、昨日は5冊古本を買った。今日は20冊くらい是非買い貯めしたい。
昨日は街の住人の顔見知りも、何人か姿を見せてくれた。例えば『ダンディズヘブン』のミスケさんとジョーさん。2人は会社が一緒らしく、昨日は休みを取れたっぽい。
僕と師匠を労って、もちろん本も購入してくれたけど。長居したら売り子を頼まれると、経験で悟っているのだろう。他も見て回るからと、そそくさと退散して行くその素振り。
これだから大人は、始末が悪い。
逆にお子様過ぎると、今度は放っておけなくて持ち場を離れられない事態に。メルとサミィは、両親に連れられて開始直後のまだ早い時間にやって来た。
手伝ってあげるよとのメルの元気な声に、サミィも釣られてブースに入って来て。子供達をよろしくと、ハンスさんは身軽になった喜びと共に去って行った。
売り子の役割を良く分かっているメルは、愛想良くお客に声を掛けているけれど。人見知りで恥ずかしがり屋のサミィは、ひたすら僕の影に隠れる素振り。
サミィは本を袋に詰めてと頼んで、役目を貰ってからは楽しそうだったけど。
午後からは、稲沢先生も顔を出した。何故か小学生連れで、どうやら塾の生徒たちと一緒に来たらしい。女の子達に腕を組まれて、物凄いモテっ振りだったけれど。
思えばテニスのコーチの時も、やたらと同性に好かれていたような気が。男前と言えば機嫌を損ねるかもだが、まさにそれが稲沢先生の特徴なのかも知れない。
性格はそんなでも無いのに、変な特性である。
知り合いではないが、他にも何人か。学生の集団をはじめ『最新版ファンスカ攻略本』を目当てに、たくさんの人が師匠のブースを訪れた。中にはサインを欲する子もいて、師匠のネット合成師のカリスマ振りは伊達ではない。
まぁ、中には僕に握手を求めて来る変わった子も数人いたけれど。“封印の疾風”のリンの名前は、対人戦を機にそこそこ知れ渡ってしまっているのかも。
面映ゆく思いつつ、悪い気はしなかったり。
『天空の城』の柴崎君ももちろん来たし、攻略本も買って行ってくれた。しばらく会話を続けて、彼の視線がチラチラとブース内の優実ちゃんに漂うのを確認して。
僕はさり気無く、ちょっとの間でいいから、売り子を代わってくれないかと持ち掛けると。鷹揚に頷いてくれて、しめたとこちらは思惑通りの流れを引き寄せ。
これが僕の、昨日の唯一の自由行動時間だった訳だ。
2日に渡って開かれる古書市、出店者の顔ぶれも微妙に変化する。このイベントの出品物の定義としては、健全な書物又はレコードやCDに限るとある。
つまりは健全な本であるならば、古本だろうと新しく制作した同人誌だろうと、何でも良い訳だ。実際見て回ると、同人誌っぽい手製の本も割と見受けられる。
まぁ、圧倒的に多いのは読み古した小説や漫画本だけど。
それでも買い手側のメリットとして、その本が面白かったかどうかを、売り手から直接聞く事が出来る。これは有り難い利点で、そんな問答があちこちで繰り広げられていて。
騒がしい事この上ない市なのは自明で、古参者などは前もって説明書きを用意していたりもする。またはお奨め優秀本のリストを売る者もいるし、創作小説や創作漫画、自作の楽譜を売りに出す者さえ出現する。
毎回の出店者には、ファンが付いてたりもする程だ。
もちろん師匠のブースもそうで、ブース名は自社名がバリバリ入っていたりする訳だ。今回の出品は、さっきも話したがファンスカの最新データ本を始め、お堅い地元の風土史など多岐に渡るレパートリー振りだ。
前回売れ残った本も合わせると、結構な量になる。
生活が懸かっている……とまでは行かないが、もちろん出版社が本業な訳だから。ボーナス的な意味合いが、ここでの売り上げに生じて来るのも確かである。
その割には、会社ぐるみで取り掛からないのは、製本に趣味が多分に混じっている為か。何にしろ、僕は本気で売り上げを伸ばす気満々ではある。
そしてそれは、臨時バイトと化した沙耶ちゃん達も同じ事。
「凜君、この本の在庫って、もう無かったっけ? そっちの箱の中にある?」
「待って、探してみる……多分まだあった筈、他に出しておく本あったら言って」
「この表紙の黄色い本も、あと5冊しか無いよっ……いらっしゃいませ♪」
お年頃の美人2人組による売り子さんの存在は、昨日の時点で既に超有名になっていた。そのせいでも無いだろうが、今日も朝から盛況に次ぐ盛況振りで。
お蔭で昨日みたいに、ちょっと他を見て回る時間が取れそうもないと言う。まぁ、今朝も重いダンボールを、何箱も何箱も師匠と苦労して運び入れたのだ。
帰りは完売で、楽をしたいのは本音だったりするけれど。
環奈ちゃんは午後からの予定で、神凪家差し入れのお弁当を携えて来るとの事。昼休憩と言う概念すら無いバザーでは、昼の助っ人参加は素直に有り難い。
椎名生徒会長を筆頭に、高校の生徒会関係の面々は、夕方からの盆祭りの用意に忙殺されているのだろう。全く姿を見掛けないが、それも道理だと思われる。
今年は日程が重なってしまったと言う、不運を呪うしか無い。
波乱が起きたのは、午後になってすぐの時間。環奈ちゃんの到着から、僕らは交代で昼食を取り始め。束の間の休息に、僕も差し入れのサンドイッチを頬張っていたら。
お客の流れの中に、大物人物を発見して。危うく僕は、パン屑で喉を詰まらせそうに。一緒に食事をしていた優実ちゃんが、慌てた様子でペットボトルを差し出してくれる。
それから凜君どうしたのと、僕を気遣う素振り。
「いやその……父さんが、会社の同僚と来てるみたい。今、向こうの通り歩いてた」
「あれっ、そうなんだ。私のお父さんも、午後から顔出すって言ってたよ♪ って、どこにいるの、凜君のお父さん?」
僕は渋々、あそこにいる人だと自分の父親を指し示す。いや、別に父親だけなら特に問題は無いのだ。一緒にいるのが、いつぞやのメンツで無ければ。
隼人さんの同行も、全然問題は無い。しかし、愛理さんと恵さんまで一緒とはっ。
僕は優実ちゃんに、何て説明すれば良いかと頭を悩ませる。会社の同僚なのは間違いない、そこまでは良いのだが。ライバルギルドと言う事実は、果たして話してしまうべきか。
考えあぐねていると、その一行はあっという間に師匠のブース前に到達した。師匠と隼人さんは、もちろん顔見知りの仲である。僕の父親も、師匠の事は良く知っている。
そんな訳で、僕の心とは裏腹に和やかな会合がスタート。
環奈ちゃんが、凜様のお父様ですかと自分を売り込んでいるのが聞こえて来る。その隣では、お姉さんの沙耶ちゃんが緊張した素振りで自己紹介。
私も行くべきだよねと、優実ちゃんが僕に伺って来るけれど。食事をとるために少し離れた壁際にいた僕らは、確かに何らかの行動を起こすべきかも。
そんな事を考えていると、沙耶ちゃんの案内で隼人さんと恵さんがこちらに歩いて来た。
「やぁ凜君、食事時にごめん。室長とお昼差し入れしようと、この時間選んじゃったけど、裏目に出ちゃったね。後でアイスでも差し入れするよ、少しなら売り子もするし」
「あっ、有り難うございます……えぇと、紹介すべきですかね?」
当然だとの小声は、もちろん恵さんから。隣に立っていた沙耶ちゃんは、びくっと身体を竦めて変わった生き物を見るような目付きに。確かに珍種だが、そんな説明をしたら後が怖い。
同級生で、ウチのギルマスと同じくギルドメンバーの回復役ですと、名前と一緒に紹介したら。隼人さんは、君も隅に置けないねと案の定な返答振り。
本当にねと、冷えた表情の恵さんの追従。
「え~っ……こちらが父さんの同僚の里山隼人さんと、その友達の篠田恵さん。2人ともアミーゴゴブリンズってギルドのメンバーで、隼人さんはギルマスやってます」
「……って事は、敵じゃんっ!」
沙耶ちゃんの遠慮の無い驚きようは、まぁ予想通り。恵さんの、その通りとの茶々入れ混じりの呟きも、想像の範囲内。優実ちゃんの、この子可愛いねとのコメントは……もう好きにしてくれ。
お褒めの言葉を貰った恵さんは、私は大学生だと食って掛かる。その頬がほんのり染まっているのは、ひょっとして照れているのか。自分より年下だと思っていたらしい優実ちゃんは、ほえぇっと驚いた表情。
あんまり彼女を刺激しないで欲しい、そうで無くても複雑な人なんだから。
ブースの状況は平気かなと目をやると、父さんと愛里さんが売り子を手伝ってくれていた。こっちに気を遣ってくれてるみたい、今日来る事は朝に聞いていたけど。
この集団で来るとは、思いもよらなかった。とにかく、早く売り子を交代しないと。
隼人さんは性格通りのスマートさを発揮、この場の仕切りを買って出てくれていた。ギルマスの沙耶ちゃんに改めて挨拶して、今度ギルド同士で何か企画しましょうかと提案する。
ライバル意識の強い沙耶ちゃんは、かなり警戒していたのだが。恵さんがボソッと、先週も一緒にテニスして遊んだしねと、言わずもがなの言葉を漏らす。
誰と誰がよと、沙耶ちゃんはそこでヒートアップ。
隼人さんの介入と、僕のしどろもどろの説明で、沙耶ちゃんの怒りは何とか収まったけれど。先生も来てたと言う事実と、沙耶ちゃん達がバイトだったので誘えなかったと言う言い分けが、功を奏したようだ。
みんな夏休みなら、そりゃあ遊びに行きたいよねと同情する隼人さん。僕が車出すから、海に行く計画でも立ててみたらと、僕を見て何かしら合図を送って来る。
どうやら、株を上げさせてくれる心積もりらしいのだが。
真っ先に賛成したのは、ここでもマイペースなホンワカ優実ちゃん。沙耶ちゃんと恵さんは、何故か牽制し合って会話もろくに聞いていない様子。先生も行きたがってたし、計画自体はいいかも知れない。
隼人さんの言う通り、夏休みなんだしね。
来場者の喧騒の中、それじゃあ後で詳しく話し合いましょうとの言葉を交わし。そろそろ昼食休憩を交代するねと、僕は沙耶ちゃんに語り掛けるのだが。
どうにも恵さんの方が気になる様子の沙耶ちゃん。このちみっ子、本当に年上? みたいな胡乱な視線を送っている。当の恵さんは、全く無視して涼しげな顔つき。
……この2人が上手く行かないのは、何となく分かっていたけど。
埒が明かないので、僕は優実ちゃんに仕事に戻ろうかと口に出す。元気に頷いた彼女は、それじゃあとの言葉のついでに、隼人さんにしっかり差し入れの念押し。
頷き返した隼人さんを確認すると、優実ちゃんは次に恵さんに向き直った。不意を突かれた恵さん、こんな彼女を見るのも珍しい。何ですかと、上擦った声は明らかにペースを乱された為か。
空気を読まない優実ちゃん、最後に敵ギルドからコメントを貰うつもりらしい。
「……これはマイクのつもり? そうね、100年クエスト担当リーダーから言わせて貰うと、他にも力を持つライバルギルドが2つあるわ。どちらも老舗で、個人的にはそっちに気を配るべきって思ってる。ギルド員の半分が高校生で、レベルも未カンストって……果たしてライバルって呼べるのかなぁ?」
恵さんの挑発は、飽くまで沙耶ちゃん一人に向けられているっぽい。フッと鼻で息をして、普段は無表情の整った顔に、冷笑を張り付かせている。
まぁ、一目見て長身でスタイルの良い沙耶ちゃんに、ぐりぐりと心の奥の引け目を刺激されたのもあるだろう。その気持ちは痛いほど分かる、何しろその身長差は20センチ以上だし。
胸の豊満さだって……いや、これは言ってはいけないコト。
モロ悔しそうなギルマスは、肩を怒らせて顔付きはまるで喧嘩を仕掛ける前の小学生。実際取っ組み合いをしている所も見ているし、僕は内心慌てるのだが。
幼馴染の優実ちゃんは、逆にとっても楽しそう。今度は手に持つナプキン(マイク代わり?)を沙耶ちゃんの口元に持って行き、言い返してやりなさいと発破をかける。
沙耶ちゃんの瞳は、爛々と輝きを発していて。
「確かに、私達のギルドは弱小かも知れないけどっ。信頼関係は日本一だし、チームワークなら世界一だもんねっ! それにウチには、凜君がいるっ。他のギルドには、絶対に負けないっ!」
さて、ネット活動の事もちょっと書いておこうか。そうでないと、バランスが余りに偏ってしまうからね。お盆休み前後のこの数日間は、実生活が忙し過ぎて大変だったんだけど。
ネットにイン出来なかった訳ではないし、ギルドでもソロ活動でも、少しずつ状況に変化が訪れている。家に戻って、お風呂に入ったり寝る準備を終えてネットに接続して。メールをチェックして、毎回の合成依頼に目を通して。
合成師には、それなりの常時接続時間が必要なのだ。
新規依頼は、1日2つあれば良い方だ。合成中に知り合いが話し掛けて来たら、適当に返信をしつつ。ネットでの日常を繰り返しながら、それでも何かしらの新しい発見に心を震わせ。
競売に出向いて素材を購入したり、バザーをチェックしたり。ギルメンがいれば遊ぶ段取りを取り付けるし、フレに頼まれて手伝いに出向いたりもする。師匠の注文があれば即座に実行するし、任されているキャラバン運営も逐次チェックを怠らない。
それが僕の、だいたいの毎度のルーチンだ。
そんな日常に割り込むように、新しいクエがポコポコ湧いて来る。館の使い具合も、今や初期とは雲泥の差があるし。それから前にも話したが、新しく僕が購入した合成装置。
ちょっと順を追って、整理して行きたいと思う。
まずは進化する館の利便性の向上、これによって僕らギルド員は、かなりの恩恵を受ける事に。100年クエの攻略が、それに一役買っているのは言うまでもない。
最初は庭ばかりが活気に満ちていて、建物内はひどく寂しい印象だった館だったけど。今は部屋の空きも少なくなり、廊下を彩るインテリアも充実して来ている。
僕の合成した装飾品や家具も、賑やかしに置かせて貰っている。
利便性と言ったが、それを説明しないとお話にならない。まずはダンジョンで獲得した『スキル収束装置』だが、これはキャラの持つ必要の無いスキルを、装置に預ける事が可能なのだ。
その見返りに、何ポイントかスキルPが譲渡される。余分なスキル技や魔法を封印して、そのキャラは育成の為のポイントを獲得出来てしまうのだ。
もっとも、使用制限があるので、頻繁には使えないが。
今はギルド員で、相談し合って使っているのが現状。それを言ったら『トレーニング室』も、同じような条件を持っているかも。これは武器の鍛錬部屋で、週に何人までと制限がある。
この部屋も物凄く便利で、僕もスキルPと熟練度上げに通わせて貰っている。ただ、今週は誰の番だったかなぁと、たまに混乱する時もあったりする訳で。
不便に思った神田さん、思い切って『ギルド伝言板』と言う家具を買って設置してくれた。
これの用途は、字面を見て貰えば説明するまでも無いと思う。ギルド員御用達の伝言板で、ちょっとした伝達やスケジュール、イベント告知なんかを書き込めるのだ。
ゲーム的に、元からあって不思議はないんだけど、実は無かったと言う不思議。伝達はみんなメールを使うし、意外と盲点だったのかも。とにかくコレで、スケジュール把握はバッチリ!
館の主とは言え、神田さんに感謝である。
他にも娯楽室を100年クエ攻略中にゲットしたし、コイン交換機も右に同じ。これでゲーム内通貨を、断然コインに変換し易くなった。僕の新しい合成装置も、実はこれに頼っての交換品だ。
だってミッションPは、宝具やら他の物に使いたかったからね。
他にも、館の中にお店の類いが進出。これは20年ダンジョン攻略中に、捕虜となっていた人々を救出したお礼らしい。雑貨屋や薬品店、鍛冶屋や防具屋など便利この上ない。
さらには銀行までが軒を連ねて、これは素直に有り難い。金庫は預けるには良いが、口座の代わりはしてくれない。キャラバンなどの儲けは、銀行の口座に振り込まれるので。
それが館にまで設置となると、手間が省けて助かるのも道理だ。
もう一つ、館の地下の開かずの扉の秘密を解明した事で。館付きの執事が、常駐してくれると言うサプライズが発生して。その管理人振りは、空き倉庫の開放と言う形を取ってくれて。
とにかくアイテムの豊富なゲームのシステム上、品物を預け入れる場所の確保は何物にも換えがたいモノ。ホスタさんも親切に、これを自由に使って良いとの許可を出してくれて。
皆が喜んだのはもちろん、ほとんど入り浸りのキャラも出て来る始末。
こんな現状だが、他にも付け加える事象が幾つか。これはまだ話してなかったっけ、領地クエはあれ以降も、ぽつぽつとギルドクエ欄に入って来るのだが。
とびっきりの大物クエらしき、凄いいちゃもん難題クエが1つ。どうやら隣の領主が、この館の地下の財宝の噂を聞きつけたらしく。物凄い勢いで、横槍を入れて来たのだ。
それがその時の、伝言役の口上なのだが。
――そもそもその館は、我が衰退した親族が売りに出したモノ。建物は売ったが、地下の財宝まで譲り渡した覚えは無い。然るに素直に譲渡すれば善し、断るならば戦も辞さぬ!
凄いでしょ? しかもこのクエ、譲渡するって選択肢が無いと言う(笑)。
蒼くなって、どうしようとメンバーに相談するホスタさんだが。クエ定員が60人って辺りから推察するに、戦争ミッションっぽいのは否めない。そもそも財宝を差し出そうにも、こちらも守護者に阻まれて、お宝を拝めてないのだし(笑)。
あんまり時間をおくと、以前のように収穫に支障をきたすかも知れないし。夏休みの最後辺りに、また知り合いギルドに手伝って貰おうかと提案したら。
環奈と玲にも頼んでみるよと、ギルマスの頼もしい言葉。
このクエの顛末は、後で語る事もあるだろう。それより今、館に密かなブームが到来している。他でもない、ひょんな事から家畜小屋で育成出来る人形を入手した僕ら。
それをきっかけに、ギルメンに育成ブームがやって来た訳だ。
家畜小屋自体は、館とか隠れ家の庭に設置可能な建造物である。合成での製作を頼まれたのだが、実はこれが一苦労。ぶっちゃけて言えば、スキル不足で合成不可だったのだ。
師匠に頼もうかとも考えたのだが、ギルド員分の合成だと数が多い。館の中庭には10個以上の設置が可能だから、予備を含めてそれ位は欲しいかも。
結果、僕の取った作戦は、もう少しスキルの低いレシピを見つける事。
これがまた苦労した、もっとも条件に見合うレシピは結局無かったのだが。知り合いの情報屋から、結構な大金をはたいて買ったレシピでさえ、僕のスキルの遥か上。
これで何とかならないかなと、素材を大量に購入して試してみた所。5回に1個は成功、その上スキルも上昇してくれて。効率は悪いが、仕方が無いだろうと納得して。
幸い素材の木材は安価だし、やっぱり仲間には僕の作ったモノを使って貰いたい。
そんな感じで設置の終わった家畜小屋、そこで飼うのはもちろん家畜の類いなのだけれど。競売やバザーを見てみると、知らない内に意外と出回っていてビックリ。
みんな流行には敏感らしい。まぁ、どれもお高い設定だったけど。
その家畜リストだが、鶏やアヒル、更には豚やら羊やら色々。変わった品目では、バザーに出ていた限りで言えば、妖精とか雪ダルマとか、後はゴーレムとか。
一体何を産んでくれるのか、興味は尽きないけれど。目玉が飛び出るほど高い値段設定だったので、比較的安い鶏や羊で我慢する事に。後は迷宮でゲットした人形、これで様子見をしてみようかとの意見が女性陣から。
これも育成が上手く行ったら、報告しようと思う。
それでも沙耶ちゃん達も、数匹ほど購入して結構散財していたけど。以前の限定イベントでの報酬など、思わぬ金策がなってプチお金持ちの身だから出来たコト。
ここが使い所と、気前の良い購入振り。未来への投資と考えれば、悪くは無い考えかも知れない。見た目が可愛い♪ って理由は、置いておくとして。
まぁアレだ、長く続けるには動機は大切なモノ。
まだ始めたばかりで、どんな物が収穫出来るのかとか、収穫ペースだとかは分かっていないけれど。庭先にのんびりと佇む鶏や羊を見るのも、なかなかおつなモノかも。
それに混ざって、人形が日向ぼっこしている姿はアレだけど。
さて、館の改革のあらましはこの程度で良かった筈。そうそう、館の地下の針千本の里だが、あれ以降追加のクエは見当たらない。恐らく、今請け負っている財宝クエが滞っている為だろう。
それともあれで打ち止めなのかも、新種族クエは本当に良く分からない。
そう言えば、執事に呼び鈴を貰った経緯も、最後に付け加えておこうか。彼には何度か話し掛ける機会があったのだが、その度に感謝の言葉を述べる執事さん。
僕らの方だって倉庫の管理など、その働き振りには充分に感謝していたのだが。ある日感極まった物言いで、館の中だけでなく戦闘にもお供しますと息巻いて。
貰ったアイテムが『執事の呼び鈴』と言うモノ。果たして役に立つのか……。
クエストと言えば、キャラバン隊関連も結構溜まって来ている。少しずつでもこなして行きたいのだが、最近は合同インでもレベル上げに時間を取られる始末。
手伝いを頼みたいけど、なかなか都合ときっかけが掴めないまま。そのまま放置しているが、まぁそれも仕方のない事か。レベル上げが一息ついたら、ギルドの皆に手伝って貰おうと思う。
多分その中に、3つ目の100年クエの手掛かりが紛れている筈。
ギルドの今の方針として、学生組のレベルの上昇を掲げているが。これは本当に大切な事で、何しろ舞台はそろそろ尽藻エリアへと移行しつつあるのだ。
ダンジョン内や100年クエの敵は、補正が効いている為適正に加味されてはいるものの。ヒントを求めて歩き回らねばならないエリアの敵に、いちいちビクついていたら話にならない。
夏休みはあと2週間、とにかく頑張らないと。
さてさて、あと書くべき事は何があったっけ。合成の話とソロでの活動の話だと、思いっ切り個人的な記述になっちゃうけど。まぁいいか、ついでに書いちゃえ。
どうせこれは、個人の勝手気儘な語りだもの。
合成装置が新しく様変わりして浮かれた僕は。とにかく立て続けに、装備を合成しまくったのは言うまでもない。ギルメンへの合成も、もちろん数をこなしてプレゼントして。
特に前衛陣への装備の合成は、力が入った次第である。ベースとなる装備の防御力をキープしつつ、攻撃力+とか耐性UPとかを付加してやるのだ。
合成師の腕の見せ所だ、仲間が喜べば苦労の甲斐もあると言うモノ。
もちろん自分用の装備にも、色々と試行錯誤はしていたりする。この前の20年ダンジョンのラスボス、あいつが落とした黒角ホルンと言うアイテム。
てっきりそのまま使えるのかと思ったら、ただの素材だったと言う落ちで。この真黒な大角、あの時の戦闘では自身の硬質化と相手の動き封じを、同時に行っていた筈だ。
リンの奥の手にならないかなと、報酬分けの際に貰ったのまでは良かったけれど。いわく付きの素材と言うだけで、このままでは何の役にも立たないと言う事態に。
合成装置に放り込んで、足りない素材を検索する他なく。
今までは無かったこの検索機能、便利この上ないのだが問題も多々あり。バシッと一発でアイテム名を出してくれるパターンなど、ほとんど無かったりして。
精々が、一緒に放り込んだこの素材とは相性が良いよとか、足りないのはこんな系統の素材だよとかのヒントを提示してくれるだけ。完璧にレシピを割り出してくれる合成装置など、それこそこのゲーム内で数人しか持ってないだろう。
師匠の所属する『小人の木槌』でも、ギルド所有で1個あるだけとか。
師匠の所有する物だったら、気軽に借りる事も可能なんだけどな。世の中そんなに甘くない、足りない機能は自分の脳を絞って補充するのみだ。
与えられたヒントでは、音を拡大する為の被膜素材と、時間を操作するための特殊素材が必要らしいのだが。そう考えてみると、確かに自分の喰らった特殊技の効果に、そのまま当て嵌まる気がする。
とにかく残念ながら、しばらくは他の素材を探すしか手は無い。
手掛かり素材は、合成師をやっている立場上、色々と脳裏に浮かんではいるのだが。これもそんなには、時間を割けない事象の一つだったりする。
ソロでの活動は、それはそれで多忙なのだ。あんまり時間を取れないと言う、大きな要因もあるのだが。この前ひょっこり判明した、ペットの性能に起因していて。
つまりは、Sブリンカーの育成がちょっと面白くなって来たのだ。
試してみると、コイツはソロで経験値を稼いでやった方が断然成長が早いみたい。それが判明すると、ギルドでのレベル上げ以外に、何とか時間を取ってやろうと思い立って。
一番フリーな時間帯は、やっぱり朝の早い時間だったりする。例えばギルド会合の終わった後の夜の遅い時間だと、まだまだ知り合いも多くイン状態にあって。
自分で言うのもアレだが、僕は結構お人好しみたいで。頼まれ事や誘いの類いを、上手に断れないのだ。今は夏休みと言う事も手伝って、遅い時間でも皆の活動は活発で。
そんな事態を避けるには、早起きも致し方ない。
幸い、僕の生活習慣は夏休み中もさほど乱れていなかった。学校に通ってた時と同じ生活リズムで、朝起きて父さんと一緒に朝食を食べてから。
用事があって出掛けるまで、平均2~3時間は自由時間に使える寸法だ。
もちろん他の事をする時もあるし、父さんのテキストだってやっつけてしまわないと。半分は既に片付けたが、中にとびっきり面白い内容の本があったので。
自分でもネットで調べて、関連本を探してみたりもしていたし。自分で忙しくしている気もするが、性分なのだから仕方が無い。他にはシンセで遊んだり、普通にパソコンで動画を観たり。
午前中の涼しい時間に、色々と片付けるのが夏のコツ。
そんな感じで、僕がSブリンカーの成長に取り組み始めてからは、独りの午前中はソロで活動に割り当てていた。もちろん完成系は、頭の中にボヤッとだが存在する。
動画ではいつでも、前回の対人戦の上位者の映像を閲覧出来るし、そういった点では有り難い。僕の目指す理想の形を、ある程度固める事が出来るから。
たまに自分の戦闘シーンを見てみるが、そこからも色々と反省点などが浮き出て来る。ちょっと観てみようか、特に変幻タイプの闘いは圧倒的に参考になるし。
僕のペットの経験値貯めは、はっきり言って描写してもつまらないしね。
この数日間である程度、ペットの経験値を貯める手順は固定化されたってのもある。ほとんど機械作業の如く、同じパターンの繰り返しだ。
つまりは、戦闘中にリンのHPとMPとSPを消費しつつ、敵を倒してしまえば良いのだが。効率的にやろうと思ったら、自然とスキル技と魔法に頼る事になる。
リンのスキル技と魔法を見渡せば、HPを減らすには《断罪》を使う手が圧倒的に楽な手段。ただ殴られている状況と言うのは、意外にストレスになるし。
敵によっては、特殊技でいきなりピンチになる場面も出て来るのだ。自身で上手にHP管理しつつ、体力を《断罪》で減らしてから、風神状態で《桜華春来》を唱えてMPを消費。
そのまま敵を近付けさせずに、攻撃魔法で更に魔力を消耗する。
魔力が枯渇したら、持参したエーテルで回復。これが僕の考案した、効率的なSブリンカー育成方法だ。SPを消費したい時は、さらに中距離スキル技を披露する。
時には《ダークローズ》を使って、体力の低下したリンの安全は絶対に確保する。こんなお遊びの最中に、デスペナルティなど喰らいたくはない。
って言うか、実はお遊び気分の際に限って、キャラが死ぬ場面が圧倒的に多いのだが。
まぁ、そんな事は別にいいか。とにかく場所は、いつものネコ獣人の拠点近く。ここは意外にNMも多いので、見つけたら積極的に狩る方向で歩き回る。これもやはり、ペット育成のため。
カバンには溢れるほどエーテルを放り込んであって、その訳はご明察の通り。そもそもSブリンカーには、MP系の特殊技を早く覚えて欲しいのだ。それも2段目の《オートMP回復》を。
これが『砕牙』常時装備、キャラ強化への伏線となる筈だ。
数日に渡る早朝接続によって、僕のSブリンカーは確実に成長を遂げて行った。最初は《ロケットパンチ》しか覚えてなくて、離れた場所からのたまの支援をしてくれるだけだったのに。
今では5項目の特殊技全てが揃って、これもソロでの経験値稼ぎの恩恵だろう。とにかくこれで、相当に騒がしくなった僕のSブリンカーの行動振り。
まずは《天使の微笑み》と言う回復技、まぁ威力は少ないが。リンのHPが半分を切ったら、主人に対して使ってくれるみたい。同じパーティメンバーに対しては、まだ不明。
次に《天使の祈り》と言う強化技、属性魔法の威力を高めてくれるらしい。これもリンのMPが半分以下で作動するらしく、レジ率対策には良いのかも知れない。
《天使の息吹》は、リンのスキル技威力UPのようだ。同じくSPが減って来たら、自動的に掛けてくれるらしい。効果は最初の一撃のみだが。
これだけやってくれると、既に他のペットより優秀に感じてしまう。
それからもう一つ、攻撃手段の《バニシュ》も覚えたSブリンカー。魔法攻撃で、やっぱり後衛からサポートしてくれる。どうでも良いが、撃つ前に必ずクスクス笑いをするのは止めて欲しい。
《ロケットパンチ》を含めて、これで5種類の特殊技を使えるようになった彼だけど。ちゃんと自身のHPやMPも存在するようで、回復中は空中で停止するから面白い。
ここまで成長させる事が出来て、まずは一安心。けれど肝心の第二段階の成長までには、さらに倍の経験値が必要なのだ。リンのMP消費は、かなり気張って神経を遣っているけれど。
まだまだ時間が掛かりそうで、それは仕方のない事か。
さて、僕のもう一匹のペットのホリーナイトだが。コイツの改造も、それなりには進んでいる。椎名先輩の企画した獣人の集落襲撃に、何度かお付き合いしたお蔭で。
ミッションPと同時に、成功報酬に幾らかのハンターPも入って来て。せっかくなので、ペット用のスキル技を何度か交換させて貰った為である。
その事は、その内に紹介出来るだろうと思う。
それよりも、動画の閲覧に話を戻そう。何より話題に上がっているのは、やはり“殺戮屋”ザキと“青い稲妻”グリンの一戦だろうか。累積アクセス数も多いし、熱戦には違いなかった。
カンストキャラの練度に関して言えば、恐らくザキさんの方が高いのだろう。ただし、対人戦の仕様に慣れているのは、圧倒的にグリンさんの方だと思われる。
それ以外の能力の差は、果たしてどちらが上なのだろうか。
グリンの戦法は、僕は以前に動画で見て知っていた。短剣と片手斧の二刀流使いで、主にスタン技で敵の動きを封じ込めて、自分の有利に戦闘を進めて行く。
雷系の魔法にも、敵の動きを封じる物が多い。変幻タイプのお手本のように、ステップも切れるし体力管理も抜かりが無い。そう、対人戦における一種の完成系だ。
相手に何もさせずに、詰みまで持って行くその技法は。
対するザキの方は、言ってみれば異端だ。長剣と見紛う片手剣は、美しくも鋭美な日本刀のフォルムである。反対の手には変な形の盾を持っているが、果たしてスキルを振り込んで育成しているのかは不明である。
間近で見た僕は、この“殺戮屋”が遠距離攻撃手段も持っている事を知っている。サブマシンガンの様な、連射可能な銃持ちキャラ。威力も充分だったし、離れて戦えばザキさんの方に分があるのは確実だろう。
隙のない強者には違いなく、間違いなくゲーム内でもトップクラスだ。
動画では、両者が離れて対峙している場面から再生されていた。この距離はザキさんが有利かなと思って観ていたが、銃弾に対して短い詠唱の雷魔法で応戦するグリン。
スタンが入ると、その隙に距離を縮めて行く周到さはさすがだ。気付けば銃の使えない射程内、弓と同じく銃も、的が近いと使用不能になってしまうのだ。
その間断を突いて、“青い稲妻”の中距離スキル技が炸裂する。
ザキさんも、基本は変幻か支援スキルなのだろうと、僕は推測していたのだが。意外と体力も豊富なのを見るに、戦士スキルも伸ばしているのかも。
最初の大技ヒットに気を取られている内に、グリンさんの手番のまま戦況は形成されて行く。順調に詰みまでの手順が、スタン技の雷光と共に導き出されている様子。
つまりは、両者は既に接近戦での遣り取りにまで発展しており。
為す術も無いように、二刀流の斬撃に晒されているザキさんだったが。何故だか一方的に攻撃している筈のグリンも、派手にHPを減らしているようだ。
この異変の原因は、どうやらザキさんの持つ補正スキル《カウンター》の仕業らしい。ファンスカでは、カウンターは防御系のスキルに該当する。
つまりは、敵の攻撃を躱すか盾で防御するのが第一段階で。それをすり抜けて来た攻撃を、第二手段の《カウンター》が迎撃するのだ。このスキル技の優れている点は、ダメージを相手に倍返ししてしまう特性にある。
焦ったグリンの斬撃を、とうとうザキさんの盾が受け止める。
次の瞬間には、局面は一気にひっくり返っていた。近距離からの《燕返し》と言うスキル技で、派手にHPを持って行かれる“青い稲妻”のグリン。
咄嗟の判断で、何とか短剣のスタン技で防御に徹するグリン。妖精の庇護に加え、ポーションで失った体力を補填して、更に麻痺系の魔法を撃ち込むのだが。
ザキさんはそれをレジ、更に自身に耐性UPの呪文を掛ける。
言うまでも無く、斬撃の回転速度は二刀流持ちのグリンの方が上である。それでも“殺戮屋”には、両手武器アタッカーの醸し出す一撃必殺の雰囲気がある。
気を抜けない圧力を感じているのは、恐らくグリンの方だろう。今もザキさんの攻撃を、必死のステップで躱している。対するザキさんは、その場を動かす盾防御に徹し。
有るか無いかの間隙を突いて、とうとう《シールドバッシュ》からの怒涛の追い込み。
これで決まるかと思われたが、雷種族の十八番《雷神》が寸前でその命を繋ぎ止める。ダメージと共に動きを止められたザキさん、その身体が沈んだと思った瞬間。
磁石のようにキャラ同士の吸引、それからあっという間の反発。居合いで仕留めたのだと、一体この動画を観た何人が理解しただろうか。あの技、キャラの自失状態でもオートで発動するみたいだ。
それを見た瞬間、僕の身体にぞわぞわっと怖気のようなものが走った。
あの時、雷防御の中心で、グリンの身体が吸い込まれるように少しだけ前に歩を進めた。距離を取れば銃弾の餌食だし、中間距離でスキル技を喰らわせる予定だったのかも知れないが。
それが居合の条件を満たし、結果的に残りのHPを一気に持って行かれてしまった訳だ。それにしても隙が無さ過ぎる、“殺戮屋”とはよく言ったものだ。
屍の山を築くために、存在するような怪物キャラ。
こんな上級者の戦闘を見た後でアレだけど、僕のベストバウトもお観せしようか。実際、相手は宝具を3つも所有する、老舗『英知の箱庭』の前衛アタッカーだった。
我ながら、良く勝てたなぁって感心した試合だった。対戦者は炎種族の大斧使いと言う、まさに一撃で全てが終わると言う、無言の重圧付きだったしね。
危ない場面も多かったが、これに勝てて自信が付いたのも確かだ。
この試合は、恵さん達とのインの最後辺りに組まれた記憶がある。組まれたって言っても、偶然の遭遇には違いないんだけどね。相手は『アミーゴゴブリンズ』の大物を喰おうと、意気揚々とエリアをうろついていたっけ。
僕とのエンカウントに、相手は最初キョトンとしていた。僕が名乗りを上げると、滋養き勇者(多分、上級者の打ちミス?)に向かって来るのは良い事だと褒められて。
それから、彼は“高速ログ”のレミィと名乗った。どうでも良いけど、話すほど打ちミスが目立つ人だ。意に介さないのも凄いが、こっちは忙しく脳内で正しい文章を組み立てるのに必死。
それから彼が興味を示したのは、リンの後ろに浮かんでいるプチ太陽だった。僕が買ったらしれ頂戴と言われた僕は、弁慶ですかと反応してしまい。
その代わり、向こうが負けたら闇と土の術書をくれるらしい。このプチ太陽、元は宝箱からただでせしめたもの。いいですよとの返事が、戦闘開始の合図となって。
変換ミスの嵐から解放された僕は、嬉々として闘いに突入する。
オート防御の《ビースト☆ステップ》は、既に対人戦ではリンの主要戦法のメイン技。種族スキルの《加速》の補正も、幸い加味されている様子で頼りになる。
相手の重い一撃を避けながら、死角に廻り込んでクリティカルを狙う。《幻惑の舞い》も掛かっているし、急に変な事にはならない筈ではあるのだが。
何の作用か、リンの弱体技は全て効果が無いと言う。
恐らくは宝具の特殊効果なのだろう、毒とか防御ダウン効果とか、レジられまくりで凹んでいたのだが。相手も攻撃を避けられまくりで、恐らく頭に来たのだろう。
範囲攻撃で、こちらの体力を減らす手段に。
攻撃力の高い大斧には範囲スキルは少ないのだが、レミィと名乗る人物は持っているみたい。それから《浄焔炭化》と言う、こちらの強化を打ち消す魔法。
なかなか考えている、リンは一気にピンチに。
オートステップを封じられて、僕は多少慌てはしたのだが。相手の豊富なHPも、何とか3割は削れていたので。ペースは崩す訳には行かない、《ディープタッチ》でお返ししつつ。
弱体が効かないのなら、タッチ系でHPを吸い取って応戦すれば良い。素早い《幻惑の舞い》の掛け直しで、レミィの渾身のスキル技も何とか回避して。
牛若丸のように、ひらりひらりと敵の攻撃を躱し続けるリン。
お話の筋書き通りなら、程無くこちらの勝利となるのだが。生憎僕の手持ち技では、そんな簡単には事は運ばなかった。斬撃の応酬は続き、既に熱戦模様の様相を呈し。リンも長期戦の疲れを見抜かれ、とうとう相手の斬撃に捕まり始めて。
HPはあっという間に半減、ポイントを持って行かれる破目に。
ところが僕は、さほど慌ててはいなかった。逆に、相手が焦れている心境にある事を、はっきりと見抜いていたのだ。それはそうだろう、こっちは明らかに格下なのだし。
そんな奴を相手に空振りの嵐、スカッと一発ホームランをかっ飛ばしたくなるのが人情だ。そこまで全て計画の内ではないが、織り込み済みなのも確かである。
リンの半減したHPは餌だ、大物を釣りに《夢幻乱舞》で偽装して。
思惑通り、敵は大技を撃ち込んで来た。そのダメージを、リンのカウンター技が倍にして撥ね返す。レミィのHPもこれで半減、混乱を助長するために《シャドータッチ》で視界も奪ってやって。
さて、ようやくこちらのペースになって来たじゃないか。
それでも油断はしない、相手の一撃は簡単に逆転するパワーを秘めているのだし。ただ、ゆっくりしていたら、相手も気持ちに余裕を取り戻す可能性が。
《獣化》を使って、こちらの攻撃を底上げしてやる。そこからの複合スキル技は、なかなかの追い込み具合を見せて。向こうの反撃は、カウンターを警戒してか切れが無い感じ。
弱みは見せると付け込まれる、これはそういう闘いなのだ。動きに戸惑いのある相手に、《ソニックウォール》で更に追従。幸い瞬間的な音の壁は、レジの対象にならずに済んで。
狙い澄ましての、クリティカル込みの《ヘキサストライク》を敢行。
ここから終焉まで、リンは何とか間違えずに辿り着けた。こちらも被弾したが、1度はカウンターで返して、更に《断罪》からの《風神》で相手を弾き飛ばしてやって。
勿体振らずに、得意技の大盤振る舞い。そこから中距離コンボで、相手の体力を削り切る事に成功。弁慶と牛若丸の物語は、記載通りの結末となった訳だ。
もっともリンはボロボロで、牛若丸の器では無い気もしたけれど。
余談だが、エリア解放後にちゃんと約束を果たしてくれた弁慶……いや、“誤変換”のレミィさん。どうやら老舗ギルドも、高飛車な人ばっかりでは無いみたい。
時間があったので少しだけ話したが、やっぱりログの脳内整理に疲れてしまった。こんな人がまかり通るのも、ネット内ならではの珍事なのかも知れない。
まぁ、ぎすぎすした誹謗中傷よりはよっぽどいいんだけどね。
とにかく、動画を観終わって思うのは。リンの瞬発力の無さに他ならない。相手の防御が高いと言う理由も、もちろん根底にはあるのだけれど。削りの弱さが勝負の長期化につながり、後半の危うさに直結している気がする。
こちらの防御のパターンは、相手が焦れる程の高いレベルだとは思うのだけど。攻撃は工夫に工夫を重ねないと、体力の豊富な相手と対すると如何ともし難い状況に。
今は遠隔攻撃に、多少の目処が立った所。次の目標は、攻撃力の底上げか。
武器スキルもまだまだカンストには程遠いし、不足気味なのは仕方の無い事とは言え。どんどん強敵が姿を現す昨今、悩みは多分尽きる事が無い気がする。
――それもまた楽しいのかなと、妙に達観するモニター前の僕だった。
その日は朝から、とにかく大忙しだった。この街のお盆祭りは、昨日の日曜で一通りの区切りがついて。世間一般はまだ盆休みなのだが、片付けは終わらせないといけない。
そんな有志を募っての、朝からの会場の片付け仕事に。お盆祭り中は思いっきり楽しんでしまった、心の中の後ろめたさも手伝って。こうして朝から、馳せ参じている次第である。
ついでに多忙だった古書市も、昨日で終わりを告げている。
町内会の集まり振りも、まずまずと言った具合。中学生と高校生のお手伝い人数の方が、準備の時に較べて少ない程だ。沙耶ちゃんと優実ちゃんも、家に親戚が訪れていて抜け出せないとの謝罪で不在の有り様。
世間はお盆休みなのだから、そう言う事態も致し方が無い。それを押して参加している、椎名先輩達の方が変わり者と言うか責任感があると言うか。
僕の家も特殊なのかも、父さんは何も言わなかったけど。
小さい頃から何度も引っ越しをしているせいで、僕の家には実家だとか墓参りと言う概念が希薄だったりする。父方の実家には、2度くらい訪れた記憶があるが、母方の実家の場所は良く知らない。
父さんに色々と葛藤があるらしく、僕も詳しく聞かず終いで今に至るのだ。
既にこの世に無い人を悼むのも、ご先祖様を敬うのも、僕にしてみれは良く分からない風習に違いなく。僕だけでなく、僕の世代ではそれは一般的な価値観だと思う。
そんな目に見えない者に対する位置付けは、物質至上主義の中で生まれ育った僕らにはピンと来ない事象の一つに過ぎない。余程、親の躾が徹底して、稀にそんな価値観を持つ子供が存在する程度じゃないだろうか。
僕らの世代の子供にしてみれば、それは数学の方程式のようなもの。お正月や受験前に神様に挨拶しに行く程度の、やらないよりはやった方が良いイベントに組み込まれる話なのかも。
もしくは、本気で信じてはいないけど、皆がやってるから参加みたいな。
そんな他愛ない思いに耽りながら、僕は黙々とオジサン連中の櫓の解体作業を手伝っていた。そもそもそんな考えに陥ったのも、オジサンに墓参りの是非を尋ねられたから。
曖昧に返事をしながら、妙に気に入られた僕はあちこちで年長者の手伝いに奔走する。軽トラに丸太の類いを積み込んだり、屋台のテントを解体したり。
提灯の配線関係が、一番難儀と言えばそうだった気が。もう何年も使い続けているそれは、想像通りの汚れ具合。でもこれが無いと、祭りの盛り上がりに欠ける大事なアイテム。
提灯が撤去されると、途端にグランドも寂しくなって。
高校のグランドも、もうすぐ終わりそうだとボランティアの学生が告げに来た。中学生だろうか、良く日に焼けたスポーツ部に所属してそうな男の子だ。
僕も作業開始当初は、高校のグランドの片付けを手伝っていたのだけど。小学生グランドの櫓の方が、大きくて提灯の配線も多かったために。
椎名生徒会長の采配で、こっちに売ら……配属された次第である。
まぁ、大人達と話す方が、僕にとっては気が楽だけどね。2日に渡る夜の行事だったけれど、幸い行楽客に関して言えば怪我人や事故の類いは出なかったそうだ。
実行委員の方で、打ち上げ花火の係員に軽い火傷をした人がいたらしいけど。大きな事故やトラブルが出ずに済んで、運営団もホッとしている様子である。
片付けも粗方終わりが見えて、気が付けばもうすぐ正午近い。
「学生さん、昼飯どうするね? 町内会じゃ、お茶とおにぎりしか配給されんし。良かったら、ワシらとどっか食いに行くかね?」
「あ、知り合いにご飯呼ばれてるんで平気です、済みません。お疲れ様でした、また何かあったらよろしくお願いします」
「ほいよ、火事があった時にゃ、ワシらに任せときぃ」
その言い草に、思わず僕は笑ってしまった。職業が消防士さんと言うがっちりした体形のオジサンは、手を振りながら仲間の元に歩み去って行く。
僕もそろそろ、椎名先輩の元に合流した方が良いだろう。こっちのグランドは、ほぼ綺麗さっぱり片付けは終わっている。向こうも同様らしく、後は終わりの労いを貰うだけか。
そう考えながら校門を出ると、ばったりメルとサミィに出会った。
「わっ、どうしたのさ2人共? そう言えばさっきメールあったけど、仕事中だったから返信出来なくてゴメン。って、何でここにいるって分かったの?」
「沙耶姉ちゃんに、メールで聞いたから。私の家、親戚の集まりで占領されちゃってさ。昼間っから大人が飲み会してて、仕方ないから抜け出して来ちゃった。僕は友達の家に遊びに行くから、リンリンちょっとサミィを預かってよ」
「そりゃあ良いけど……サミィ、それじゃあ今日は一緒に遊ぼうか?」
いいよとの返事は、いつも通りの少女の口調。これまでのパターンだと、お姉ちゃんに無理やりくっ付いて家を出て来て、メルに煙たがられているのだと思うけど。
メルの苛立ちも分かるけれど、こんな事でサミィに傷付いて欲しくない僕は。眼力で程々にしなさいと、お姉ちゃんに忠告を発して。サミィの手を引いて、高校のグランドを目指す事に。
夕方には迎えに行くねと、メルの声が遠くから響く。
サミィは律儀に、バイバイと手を振り返していて。本当に性格の良い子だなと、僕は救われる思い。子供連れで現場に戻ったお陰で、椎名先輩には思いっ切り呆れられたけど。
仕事ももう無いみたいで、その点は安心だ。サミィは素直に、全部無くなったねぇと感心している様子。片付けみんなで頑張ったからねと、僕が正直に答えると。
その通り、皆さんお疲れ様でしたと椎名先輩がその場を締めて。
三々五々の解散となったのだが、頑張った人にはご褒美をくれるとの話なので。お茶とおむすびかなぁと、あまり期待せずに相部さんの元に歩いて行ったら。
どうやら昨日の屋台の、余り物を配布して貰えるらしく。瀬戸物系の小物とか手作りの人形とか、風船セットとか竹とんぼとか。物凄くいい加減な組み合わせだが、サミィは大喜び。
仕舞いには菊永さんが、持って行きなさいよと少女にツンデレ振りを発揮。お姉ちゃん有り難うと言葉を貰った彼女、照れた顔で視線を反らす一面も。
性格はキツイが、悪い人ではないんだよね。
それにしても、サミィのパワーは凄いなと感心しつつ。校門を出ながら、お昼は食べたのとの僕の問いに。ちょっと食べてきたから、お腹は空いてないのと少女の答え。
これからちょっと、知り合いの家に寄るねとの僕の言葉に。どんな知り合いと返されて、返事が咄嗟に出てこない始末。そう、今から向かうのは『蒼空ブンブン丸』のギルマスの自宅。
ひょんな事から、招待されてしまったのだ。
もちろん僕だけでなくて、師匠一家や他の知り合いも大勢来るらしい。庭でバーベキューをやるから、気軽に参加しろと言われたのは一昨日の晩の事。
盆祭りの、校門での一幕がきっかけである。
ゲームの知り合いかなぁと、僕は弱々しい返答振り。旧住宅街の坂の手前で、僕らは日陰を探してそんな問答を交わしていたけど。待つほども無く、師匠と薫さんの姿を発見。
これで迷わずに、目的地に辿り着ける。
「あらっ、今日はサミィちゃんも一緒なんだ。もうお昼食べた? おにぎりとかポテトサラダとか、色々作ってきたの。おっきいお犬さん、恐くない?」
「サミィ、お犬さんは平気だよ? おうちがね、お酒飲む人でいっぱいだから、ヒナンしたの」
「あははっ、子供は正直だね。……凜君、良かったら魁南を抱っこしてくれないかい?」
既に汗だくの師匠から魁南を受け取って、僕らはひと塊になって歩き出す。薫さんはベビーカーを押しており、食料と思しき包みが後ろの荷物受けに入っている。
サミィは、その中に納まっている赤ん坊に夢中な様子。僕が手を取って、ちゃんと前を向いて歩きましょうと諭すのだが。魁南は魁南で、髪の色の違う女の子が気になって仕方ないらしく。
僕の周囲はカオス状態、何とかならないものだろうか。
カオス度で言えば、到着した場所の方が高かったかも知れない。立花と津嶋と、2軒の表札にはあるのだが。何故かその間の垣根は完全に壊されていて。
明らかに工事中の風体で、敷地の奥には建物の骨組みが見えている。とにかく2軒分の庭がくっ付いてしまっていて、広い空間が出来ているのは確かだが。
今はそこに、バーベキューのセットと大勢の若い人達が。
和やかなムードなのは、多分全員が顔見知りだからなのだろう。若いと言っても、20代の人が大半で、僕よりは年上っぽい。薫さんは来たよ~、と挨拶も適当に庭に入り込む。
いらっしゃいとソツ無く挨拶を返して、薫さんを奥へと招いたのは、髪を短く刈り揃えたハンサムな若者。一瞬、この家の主かと勘違いしてしまうが、この人が噂の進さんらしい。
『蒼空ブンブン丸』の、サブマス“気配り屋”シンがこの人。
噂は本当で、この場を完全に仕切っている様子の進さん。バーベキューの台の周囲には、既に人はほとんどいない。みんなお昼まだでしょと、ホスト役の進さんの言葉。
僕はサミィに、ちょっとくらい食べる? と訊ねてみたけど。少女の好奇心は、骨組みだけの建物と、その側に置かれている小さなプールに持って行かれてしまっていた。
冒険ごっこを始めたサミィに、楽しそうに魁南が追従する。
「あ~あ、魁南はお昼まだなのにぃ。仕方ないなぁ、しばらく放っておくか」
「怪我しないように、僕が見ておきますよ。あの金髪の子は、誰の子ですか、薫さん?」
「あ、ごめんなさい、僕の知り合いなんですけど。勝手に連れて来ちゃって……」
「あぁ、全然構わないよ。えぇと、凜君だったっけ? 後でいいから、うちのギルマスと話してやってくれないかな。ゲームの会話に飢えてるんだ、対人戦とか僕は詳しくないから」
そう言って指し示したのは、片方の家のリビング。強引にガラス戸が取っ払われていて、簡易の縁側が作られているのだが。そのせいで左の軒のリビングが丸見え、そこには賑やかな集団が屯していた。
その縁側に腰を下ろして、ほやっと放心している女性がいた。赤ん坊を側に置いて、さらに老犬を2匹、足元に侍らせている。若い美人さんで、清楚な雰囲気を漂わせている。
あれが弾美君の奥さんねと、薫さんが説明してくれた。
「名前は瑠璃ちゃん、弾美君の幼馴染ね。ってか、こっちが瑠璃ちゃんの家で、そっちが弾美君の家だから。お隣さん同士でファンスカしてて、限定イベントの時に私は知り合って、ギルドに入れて貰ったの。リビングで寛いでる若い子達も、みんな弾美君の同級生でギルメンかな」
「こっちで食事中なのは、同じく同級生の晃君ね。ブンブン丸のメンバーだけど、今は小人の木槌の方で有名になっちゃったかな? 晃君、この子が封印の疾風のリン君ね」
よろしくねと、師匠に紹介された小太りの晃さん。この人も、今や伝説級の合成師だ。ブンブン丸の活動が休止状態に陥ってから、師匠の誘いで合成師のギルドを立ち上げたみたい。
他のメンバーも、ギルマスの求心力が消失してから、次第にネットから姿を消して行ったようだ。そのギルマスの弾美さんは、大学を海外に定め、それに奥さんもついて行ったらしく。
それが伝説のギルドの衰退と、ひょっとして再興のあらまし。
ここら辺の事情は、薫さんから聞いて既に知っている僕。この2人が、外国で学生結婚して双子の子持ちだと言う事情も、結構前に聞かされていた。
無事に大学院の課程を終えて、戻って来た経緯までは知らないが。多分向こうでも、賑やかに過ごしていたんじゃないだろうか。騒々しいほどの喋り声が、庭まで聞こえて来ている。
それに負けないはしゃいだ声は、水浴びをする子供達の嬌声。
恐らく犬用のプールなのだろう、浅い水溜りに裸足で入って嬉しそう。魁南なんか、服が濡れるのも全く気にしていない。若くて白い大きな犬が、それボクのと抗議に出向いていた。
それとも、楽しそうな声につられて来たのかも。サミィに撫でられ、魁南にじゃれ付かれると、満更でもなさそうな素振り。それにしても大きな身体、魁南どころかサミィも跨れそうな大きさだ。
今やその犬も、一緒にばしゃばしゃ水飛沫をあげていたり。
進さんは、言葉通り見ているだけの有り様だ。まだお腹もそんなに膨れてないのに、早くも子供達の問題行動に。僕は重い腰を上げて、はしゃぎ過ぎと窘めに赴く。
叱られ慣れている魁南は、しれっとした表情。サミィは暑かったんだもんと、生意気まっさかり。僕は魁南を小脇に抱えて、お昼食べようねと母親に合流する。
後ろからサミィが、タオル頂戴と女王様モード。
「薫さん、タオル持って来てます? 魁南、暴れないのっ! 席に座ってご飯食べなさい」
「あぁ、有り難う凜君。ほら魁南、ここに座って……ゴメン、小っちゃいのしか持ってきてないや」
「奥の誰かに聞いてご覧、津嶋……瑠璃さんなら、しまってある場所知ってるよ」
僕は進さんの言葉に礼を返して、サミィにちょっと待っててねと言い置いて。縁側モドキに腰掛けている女性に近付いて、声を掛けようとした途端に。
2匹の老犬が反応、低いうなり声で凄まれてしまった。
びっくりしたのは、その瑠璃さんの方が上だったかも。止めなさいと犬達を窘めて、顔を上げて今度は僕の顔に驚いている感じ。まぁ、初対面の女性に恐がられるのには、慣れている僕。
素直に詫びを入れて、自己紹介など間に挟んで。済みませんが、子供の足を拭くのにタオルを貸して下さいと頼み込むと。びっくりした表情のまま、慌てて奥へと引っ込んでしまった。
残されたのは、僕と老犬と、それから篭に仲良く横になっている双子の赤ん坊。
老犬たちは、相変わらずこちらを警戒している様子。ヌッと立ち上がって、篭の双子を護る様にその巨体を壁にして。毛並みも何もかも、可愛そうなほど老いてる犬なのに。
自分の仕事に誇りを持っているのが、素直に心に響いてくる。
「そいつらの名前はマロンとコロン、凄い長生きしてるウチと瑠璃ん家の飼い犬な。こっちの双子は哉美と杏璃、英国産まれの男の子と女の子」
「あっ……弾美さん、こんにちは。お言葉に甘えて、お邪魔してます」
夏祭りの時に声を掛けられて、僕らは一応の顔見知りとなった訳だけど。ガッツリ食ってけよと、フレンドリーな弾美さんに、僕はちょっと緊張してしまう。
いつの間にか近付いて来て、彼は犬達を撫でながら赤ん坊の様子を覗き込んでいる。かなり若い父親だが、何故か貫禄は充分にあるから怖ろしい。
長年ギルマスを務めた成果だろうか、独特の雰囲気が伺える。求心力と言うか頼り甲斐みたいな、強烈なリーダーシップ。隼人さんが頼りなく感じるような、物凄い個性。
話し掛けられただけで、僕は顔が熱くなってしまっていた。
この感じは、沙耶ちゃんとも全く違う。彼女も個性的だが、頼り甲斐的には疑問符が付く訳で。どちらかと言えば、スクラム組んで一緒に突撃みたいなリーダー振りで。
弾美さんは、勝手に周りがついて来るタイプに感じる。それでもソツなく隊長役をこなせて、周囲も楽しく充実出来るような。簡単に言ってしまえば、ガキ大将気質なのだ。
あぁ、確かにそんな感じだ、弾美さんにぴったりの言葉。
「もう耳も遠くなって、目もあんまり見えないんだよな。でも、家族の絆だけは無くならない。こいつらにとってこの赤ん坊達は、本当に宝物なんだよ」
「可愛いですもんね……護りたいって気持ち、良く分かります。それが家族の一員なら、当然ですよね」
老犬達が、甘え声を出して弾美さんの伸ばした手に顔を擦り付けている。子供を見る以上に優しい目で、それに応える弾美さん。長年の絆が見えた気がして、心の芯がポッと温かくなる。
そうこうしている内に、瑠璃さんが大量にタオルを持って戻って来た。吹き出しそうになるのを堪え、1枚だけ拝借する僕。旦那さんに突っ込まれる奥さんを尻目に、サミィに目を戻すと。
誰かに抱きかかえられて移動したのか、既にバーベキューに参加していたり。
放りっぱなしの2人分の靴を、若い犬に妨害されつつも何とか回収して。名前はメロンと言うらしい、ご主人に呼ばれて元気に駆けて行った。僕もようやく食事に戻れる、本気でお腹空いてるし。
サミィに靴を履かせてあげて、僕も遅まきながら昼ご飯に。
薫さんの持参したおにぎりやから揚げが、いい感じにテーブルに並べられていた。それ目当てなのか、ホスト役をこなすためか、弾美さんもテーブルに参加。
進さんの隣に腰掛けて、師匠と薫さんに挨拶を飛ばしつつ。晃さんには食い過ぎるなよと、さり気なく注意など。晃さんは全く気にせず、コレ美味しいよと薫さんの肉団子を掲げる。
弾美さんは、それを一口で平らげて満面の笑顔。
それが子供達に受けて、かん高い笑い声が巻き起こった。弾美さんの真後ろにはメロンちゃんが、おこぼれ欲しいの的な顔付きでお座りしている。
こっちも途端に賑やかになってしまった、賑やかな食卓は嫌いでは無いが。サミィのお皿を装いながら、自身も胃袋を満たしつつ。弾美さん達の、威勢の良い会話に耳を傾ける。
「母ちゃんが気を利かせて、凄いたくさん肉買ってくれたから。どんどん食ってくれていいからな、家の中の連中はもう食い終わってるし」
「みんなで集まるの、本当に久し振りよねぇ! 子供が出来たの、私達はともかく弾美君と瑠璃ちゃんが最初なんて。順当過ぎてつまんないわっ」
「その瑠璃ちゃんだけど……さっきからぽうっとしてるけど、大丈夫なの? ウチの奥さんも子育てと夏バテで、最近元気が無かったんだけど」
アレは幸せ疲れだから、全然大丈夫と弾美さん。そんな言葉は聴いた事が無いが、余程結婚と出産が性に合ったのだろう。稲沢先生とは大違い、まぁいいんだけど。
薫っちは夏バテかと、心配そうな弾美さん。出産がちょっと大変だったのと、愚痴モードが入る薫さんだったけど。本当は次は女の子が良かったと、サミィを見ながら本音がポロリ。
双子って良いわよねと、羨ましそうな視線を家の方に送っている。
今は瑠璃さんの周囲に、女性が3人集まっていて。赤ん坊を覗き込んで、何やら話し合っている。赤ん坊達は、ぐっすり眠っていて静かなもの。樹生も静かで、その点は有り難い。
久し振りの同窓会らしいが、帰国騒動に巻き込まれた連中に不満は無さそう。むしろどの集まりも楽しそうで、長い別離での変な溝は無さそうな感じ。
仲の良いギルド……って言うか、幼馴染の集まりなのだろう。
大人達の話は、工事中のこの庭の話になっていた。一部どころか車庫の場所まで半分取り壊されていて、そのせいで車庫の屋根の作る影がいい感じに夏の日差しを遮断している。
昼食のテーブルは、そこに綺麗に納まる様に設置されている。この真夏日にバーベキューなど、卓に着く方は大変だけど。子供達は、野外の食事を楽しんでいるみたい。
大人は大人で、ビールの喉越しがとても爽快そう。
どうやら増設するのは、個人塾の為の建物スペースらしい。戻ってから何をするか決め兼ねていたが、子供相手の英語教室でも開こうかと言う話になって。
両方の両親の承諾を得て、大幅な庭の改築を手掛けているらしい。お隣さん同士の結婚だから、可能な荒業である。それにしても弾美さんが先生とは、ちょっと面白いかも。
英語ならサミィも話せますよと、僕の告白に。
途端に2人の間で、流暢な英会話が始まってしまい、隣の師匠夫婦はド肝を抜かれた表情。進さんはそれを見て笑い出すし、変な空気は依然そのまま。
英語は達者でない僕も、弾美さんのこちらを見ながらのトークは微妙に気になる所。何故なら会話の節々に、ボーイフレンド? とかステディ? とか不穏な単語が紛れていたから。
サミィはくすぐったそうな身振りだが、満更でもない様子。何話してるのとの薫さんの質問には、ナイショと可愛いリアクション。ってか、本当に可愛い仕草なんですけど。
そもそも内気なサミィなのに、大人とこんなに会話が出来るとは。
微笑ましく思って見ていると、賑やかな雰囲気に釣られてか、屋内にいた女性達が近付いて来た。その中には見事な金髪の美人さんが、他の2人も相当な美女だが。
金髪の女性は恐らくハーフなのだろう、日本人離れした顔付きとプロポーション振りである。サミィも大きくなったら、ひょっとしてこんな美女に化けるのだろうか?
先は楽しみだが、ちょっと怖い気もする。
もう2人は、片方がサラッと髪の長い日本風の美人さん。ぽ~っとした天然の空気を纏っていて、聞けば若夫婦の同級生らしいのだが。ピアノの先生をしていると聞いて、サミィが私も弾けるよと挙手してみたり。
リンが先生してくれてるのと、何故か幼児からの紹介に与かる僕。
へえっと言う視線が僕に集まるが、揃って挨拶されるとこちらも舞い上がってしまいそう。最後の女性はウェーブの掛かった茶髪の、優しそうな顔立ちの美人さん。一番くっきりした目鼻立ちで、体系のふくよかさでも多分一番っぽい。
弾美さんが、金髪の生意気そうなのが美井奈、髪の長いのと短いのが静香と茜だと紹介してくれた。杜撰なその面通しに、女性陣からは揃って批難が上がったけど。
とにかく宜しくお願いしますと、緊張しながら頭を下げる僕。
ところが女性陣の興味は、金髪少女のサミィ以下、薫さんの子供達に集中。薫さん夫婦とは顔見知りらしく、お久し振りと弾んだ口調の挨拶と共に。
魁南にちょっかいを掛けてみたり赤ん坊を抱っこしたり、果ては再びサミィと英語の会話を始めてみたり。美井奈と紹介された金髪女性も、英語は達者らしい。
やっぱり、半分外人の血のなせる業だろうか。
「なんちゃって外国人が、達者に英語喋れるようになったな、美井奈」
「必死で勉強したし、4年も外国暮らしすれば、そりゃあ日常会話くらいは喋れますよっ! お兄さん、英会話教室開くなら私も雇って下さいよっ!」
変な会話が始まってしまったが、隣から薫さんの状況説明が届いた。弾美さんと瑠璃さんの英国留学を聞いて、何と美井奈さんもそれを追いかけて行ったそうで。
物凄い根性だが、それなりの効果はあった模様。少なくとも英語はペラペラだし、そうでなくてもモデルか何かで食べていけそうな顔とスタイルではある。
何だかんだと賑やかになったこの場に、赤ん坊の泣き声が参加して。
弄ってた静香さんはびっくり顔、その子も食事の時間だと、母親の薫さんは慌てた様子も無いけれど。何故かそれに賛同するように、双子の赤ん坊もデュエットで泣き始めて。
途端に別の意味で騒がしくなった会場、母親役の薫さんと瑠璃さんは、子供を連れて奥の部屋に引っ込む素振り。それを女性陣がついて行って、騒がしかった庭は静けさを取り戻す。
ってか、サミィまで授乳を見学に行ったみたいだ。
取り残された老犬達は、ちょっと心配そうな素振りで家の中を窺っているけど。逆に男性陣は所在無さ気で、家の中にいたグループもこっちに合流して来た。
淳と弘一なと、相変わらずの手抜き紹介に励む弾美さん。それをフォローするように、同級生で『ブンブン丸』の初期メンバーだよと、進さんの追加紹介。
今は自分を含めて、インの頻度は減っているとの事なのだが。
「晃は合成依頼を受ける都合上、この中では一番イン率は高いかな? 他は弾美が留学しちゃって、段々と遊ぶ機会が減って行った連中ばかりだね。後を任された関係で、俺もしばらくは頑張ってたんだけど……やっぱり張り合いがなくなっちゃって」
「俺がいないと、やっぱり駄目だな! さて、次のイベントは俺達が獲るぞっ! 進の説明聞いた後、チーム分けしようか……確か、3人1組だったよな?」
“気配り屋”シンさんの説明は、対人戦に参加してみての感想メインだった。意外とランダム性の強い対戦相手との遭遇から始まって、対キャラ戦術や回復方法などなど。
自分や弾美みたいなファイター型が、有利ではあるみたいと進さんは締めくくって。それじゃあ他の職業はどうなのよと、弾美さんの気難しそうな表情からの質問に。
遠隔使いや魔術師系は、やっぱりかなり不利みたいとの返事。弘一さんと紹介された癖っ毛の小柄な男性が、懐に潜られたらそりゃあ不利だよねと追従の言葉。
淳さんと紹介された背の高い男性が、盾役はどんなと弘一さんを見ながら質問する。
「俺も長年盾役やってるけど、削る力は全然無いからなぁ……でも今回のは、チーム戦なんだろ? さっきネットの掲示見たけど、拠点を守る役目なら盾役はアリなんじゃねーの?」
「それより、変幻タイプはどーなのよ? 体力と攻撃力は無いけど、その分ステップとスタン技持ってるでしょ? 闘いようによっては、一番死ににくいんじゃないかな?」
「それなら凜君に聞くといいよ、4月から闘技場の経験者で、しかも二刀流使いだからね」
師匠の言葉に、この場の男性陣の視線が一斉に僕に向いた。何故かメロンちゃんと遊んでいた魁南まで、テーブル越しに楽しそうに僕を見遣って。
そもそも、こう言う話に飢えている弾美さんの相手をするように、僕はここに連れて来られたんだっけ。それなら遠慮する事もないし、出し惜しみなど以ての外だ。
僕は自分の経験を、観衆に語り出す。
「僕の対戦した感じだと、戦士タイプの体力と攻撃力は単純に厄介ですね。ただし、ある程度の工夫や所持スキルによっては、レベルの低い僕でも倒す事は可能です。例え宝具持ちでも、それは同じ事だと言えるでしょう。盾役の体力と回復力も、確かに侮れません。倒し切るのには相当の火力が無いと、回復サイクルに呑まれて泥仕合いに突入しちゃいます」
「ふむふむ……それじゃあ工夫持ちの二刀流が、一番有利と?」
「いえ、戦士タイプの一撃を喰らって、そのまま倒されちゃうパターンも多々ありますし。変幻ジョブのスキルに、ユニークなのが多いって話です。もちろん、古参のカンストキャラの中には、ジョブに関係なく強力なスキル持っている人がたくさんいますし」
僕は例え話で、この前直に見た『アミーゴ』のハヤトさんとザキさんの戦い振りを説明した。それから変幻ジョブから“業火”のアリーゼの特殊スキルの戦法を。
何より対戦する上で強みなのは、相手の知らない特殊スキルや魔法を持っている事。それは対峙していて大きなストレスになるし、防ごうにもかなり困難には違いない。
レアスキルやレア魔法と言うのは、そういう意味でも有利なのだ。
この間の対人戦でランクインしたキャラ達は、文句無く強いですよと僕の言葉に。俺のハズミンも強いぞと、マジで強者の貫禄と余裕を見せる弾美さん。
“黒龍王”のあだ名は伊達じゃねーぞと、何故か弘一さんに凄まれてしまったけど。その二つ名は、余りに有名で既に陳腐になってしまった気もするほど。
ファンスカの黒き龍王と白き皇帝、対決の時は近付いているようだ。
そんな有名人を目の前にして、気楽にその会話を耳にするのは変な気分。隼人さんの時はそんな事を思わなかったけど、この人をライバル視するのは自殺行為な気がする。
当人に関して言えば、仲間の元に戻って来て居心地の良さを感じているみたいだけれど。長年ゲーム世界を離れていたツケは、僕には大きい気もするのだが。
果たしていきなり復帰後に、大活躍などあり得るのだろうか。
他人の心配などしている余裕は無いが、近くでその動向を静観出来る位置を得られるのは嬉しいかも。食事の手はもうみんな止まっていて、ここは暑いねと師匠の一言で。
家に入ろうかと晃さんの提案に、激しく同意の面々。テーブルの上は片付けた方が良いのかなと、僕の下働き根性が顔をもたげる。年上の人達の集団の中にいると、自然とこんな思考が根付いてしまうのだ。
あとは、子供達の世話をしていると世話好きになるのは必然だ。
女衆はどうしたと弾美さんの質問に、赤ん坊の授乳に家に入ったよと師匠の返事。取り敢えず食べ物を片付け始めた僕の膝元に、テーブルの下をくぐって魁南の登場。
超ご機嫌な幼児に続いて、メロンちゃんまで追従して来た。どうやら完全に友達になったようだ、僕の膝上に上りながら、おいでおいでと追いかけっこに興じている。
遠慮のないメロンちゃん、魁南に続いて僕を蹂躙。
庭にいた半数は、既に縁側から家のリビングに入り込んでいた。僕は魁南を片手で抱え上げ、片付けどうしましょうかと誰にとも無く聞いてみるのだが。
手付かずの食材だけ回収しようかと師匠の言葉に。僕は頷いて手を動かすのだが、魁南の邪魔が入って上手く行かない。これをワンワンにあげていいかと、残り物のお肉に手を伸ばすのだ。
弾美さんが笑っているので、僕はあげてご覧と許可を出す。
そこからは子供の嬌声とか大型犬の無邪気な愛情表現とかが相まって。僕はほとほと疲れ果てながら、ようやく皆に続いてリビングに逃げ込む事に成功。
リビングも、負けない位に混雑していたけど。
女性陣も、赤ん坊と共に戻って来ていてリビングの一角を占領していたのだ。冷たいもの用意しようかとか、赤ん坊がおネムじゃないのとか、騒々しい室内に。
僕もどこに腰を落ち着けようかと、魁南を抱えたままにリビングを見回す。魁南の脱いだ靴が、メロンちゃんに持ち去られてしまった気もするが、それは気にしない事に。
室内は次第に、幾つかの集団に分かれつつある様子。
大きなテレビ前に陣取る弾美さんのグループと、その奥のソファセットに腰を下ろす赤ん坊のお世話集団。開け放たれたキッチンの大テーブルに、お喋りに興じる女性陣が。
魁南を薫さんに預けようかとも思ったが、向こうはパソコン操作で手が塞がっている様子。眠らせてしまえば手が掛からないかなと、僕はこの子の動きを封じ込める。
あれだけ騒いだのだ、そろそろ電池が切れる頃だろう。
案の定、お腹をポンポンとリズム良く叩いてやっていると、魁南の目蓋がトロンとして来た。弾美さんのグループが物凄く気になる僕は、そっちをチラチラと眺めながら。
ようやく寝静まった魁南を、薫さんの元へと送り届ける。赤ん坊の集団も、たっぷり栄養を補給したのだろう。今は3人揃って、ベビーベッドでぐっすり眠っている最中の様子。
魁南をソファの端に横たえて、これで僕の任務も終了。
サミィは大人しく、ソファの薫さんの集団に混ざってノートパソコンを眺めていた。弾美夫妻の海外生活がフォトデータにあるらしく、それを仲良く見学中らしい。
説明をしているのは瑠璃さんで、静かな話し方には独特の雰囲気がある。年に似合わず落ち着きがあると言うか、園児のサミィにも分かり易いように話してくれていて。
夫婦で塾の先生をするなら、ピッタリじゃないかって思ってしまう。
瑠璃さんは聡明で頭脳明晰で、地元の学校に通っていた時から物凄く期待されていた生徒だったらしい。瑠璃さんの母親も、博士号を持っていて地元で超有名人との事で。
そういう話を、たまに薫さんから耳にしていた僕なのだが。さすがに留学生時代の話までは、詳しく聞き及んでいる訳ではない。弾美さんが留学を決断して、幼馴染の瑠璃さんがくっ付いて行ったって噂は耳にしているけど。
薫さんの話は、たまに突飛過ぎて当てにならない時があるのだ。
結婚の経緯にしてもそうで、プロポーズしたのは瑠璃さんの方からだとか。見た限り大人しくて大胆な行動は似合わない女性だし、多分薫さんのデマなのだろう。
美井奈さんって女性が、2人の後を追って留学したと言う話も、かなり嘘クサい。
「薫っち、次の限定イベントどうする? 旦那に子守り任せて、俺のチームに入るか?」
「はいる入るっ、もう一人は誰の予定?」
「お姉ちゃまっ、参加しないんですか? じゃあ、私が入りますっ!」
弾美さんの呼び掛けに、何故か薫さんと美井奈さんで呆気無くチーム編成が決まってしまった。僕は多少戸惑いつつ、これって大丈夫なのかな的な視線を室内に彷徨わせる。
そろりとモニター前の男性陣に近付いて、師匠の後ろに腰掛けて。師匠に向かって、これって平気なんですかと伺いを立てる。師匠はちょっと、困った顔をこちらに向けて。
それでも奥さんの、ストレス解消には貢献しなくちゃと悟った返答。
「チーム編成の話なら、そんなに適当って訳でもないよ? ブンブン丸の組み分けは、昔の限定イベント時代からこんな感じだから。瑠璃さんも含めて、女性陣の指揮を弾美が取るって感じで、毎回入賞してた訳だし」
「お姉ちゃまは参加しないけど、今回も絶対に入賞しますよっ! ってか、今回はどんなイベントなんですか、お兄さんっ?」
「あ~っ……美井奈はハンデ要員で、丁度いいかもなっ。俺らのチームだけ強過ぎたりしたら、対戦相手がしらけちゃって大変だしな」
何でですかと、エキサイトする美井奈さん。進さんの説明は、しかし本当なのだろうか? 確かに恵さんとか薫さんとか、外見からは想像出来ないほど操作の上手な女性も存在するけど。
それ以上に、僕はメルや優実ちゃんのヘッポコ操作を見慣れている。沙耶ちゃんにしてもそうで、まぁ彼女独特のゲーム感を持っているっぽいのは知っているが。
今回のチーム分けは、適当以外の何物でもない気が。
まぁ、僕にしても残りのメンバーは女性2人と決まっているし。薫さんがメンバーにいるとなると、これは破壊力のあるチームになるだろう。何しろ、薫さんのキャラは僕の目標でもあるのだ。
それはそうと、肝心の弾美さんのキャラの情報が目の前に。僕は思わず、目の前の師匠を押しのけてしまいそうに。キャラ紹介のウィンドウには、見た事の無いスキルがずらりと並んでいて。
その殆どが、複合スキル技で占められている。
重そうなスキルばかり、つまりはSPをバカ喰いするようなスキルが並んでいると言う意味だが。普通はこんな並びは問題外だ、ダメージは低くても軽いスキル技も入れないと。
ところがハズミンのSP総量を見て納得……って言うか、リンの軽く3倍はあるんですけど。闇種族ってだけじゃない、底の知れないキャラには違いない。
HPにしてもそう、戦士ジョブがメインだけはある。
ところが良く見てみると、スキルスロットに見慣れたペット召喚のスキルが突っ込まれている。弾美さんも、ペットを従えて闘うスタイルみたい。そう言えば、あだ名が“黒龍王”だったっけ。
フィールドに出た弾美さんは、出し惜しみする事無く黒龍のペット召喚を披露してくれた。かなりデカいけど、ペットってこんなに大きくなるのか……。
尽藻エリアの強敵モンスターが、サクサク狩られて行く。
強いな~、いいな~黒龍……僕のホリーナイトとは大違い、ブレスまで吐いちゃって。通常攻撃のダメージなんて、僕らのレベルのキャラ並みかそれ以上出てるし。
ハズミンの操る両手槍も、いかにも業物っぽいオーラを発している。これを入手するのに、凄いみんなに協力して貰ったっけと、懐かしそうな弾美さんの言葉。
あの時は本当に苦労したねと、胃の辺りを押さえながら進さん。
進さんが中心になって方々のギルドに声を掛け、大規模戦闘を繰り広げてのミッション攻略だったらしく。そんな事もあったねと、冷や汗をかきながら師匠まで話に加わって。
参加キャラの半分が、おっ死んだんだぞと弾美さんの邂逅に。そのさらに半分が、操られて裏切ったよねと師匠の暗い呟き。どんな苦境なんだ、ってかどんな敵なんだ!?
その宝具級の槍から繰り出すスキル技の凄い事!
対戦していて一番厄介なのは、さっきも触れたがこちらの知らない奥の手を持っている奴だ。分かっていれば、例えそれが“業火の”アリーゼの《スピンムーブ》でも、何かしらの対応を前もって考える事が可能なのだ。
ところが、それ以上に手に負えないパターンも存在する。それが、分かっていても防げない技である。対策の立てようも無い、天災のような蹂躙スキルに個人の立場で何が出来る?
ハズミンの《掃天轟咆槍》がまさにそんな感じで。
地面から天を衝くように、槍の群れが出現して敵に突き刺さる技である。しかも遠隔スキル技、こんなのどう防げばいいのだろうか。そこからさらに、チャージ技で詰め寄るのが弾美さんの得意パターンらしい。
尽藻エリアの強敵が、大抵このコンボ技で狩られて行く。
予備モニターでは、いつの間にか進さんが自分のキャラのイン作業を始めていた。この残りの席のイン権利だが、実は他のギルド員が喧嘩になりかけたりして。
俗に言う、俺がオレが状態がしばらく続いて、しかも全員が昔馴染みの容赦の無い物言いだったので。ハラハラしながら見ていたのだが、結局鶴の一言でサブマスの進さんが勝ったみたい。
“気遣い屋”らしからぬ、一本気のある主張が通ったみたいだ。
進さんのキャラは、氷種族の前衛と言う変り種だった。噂は聞いていた僕だが、その姿を見るのは初めて。大鎌使いだが、その小さい風貌はどこかコミカル。
何でだろうと思っていたが、装備のせいだと思い至ったのはしばらく経ってから。常識外れの軽装で、二刀流使いの良く見る装備よりもさらに薄い。
こんなんで、前衛張れるのかなと他人事ながら心配になる僕。
師匠が僕の心を見透かしたように、あれは私の合成の中でも傑作の部類だよと解説してくれた。進さんは両手武器使いの癖に、変幻タイプのように魔法を織り交ぜて闘うスタイルらしく。
それを可能にしているのが、バランスの良い氷魔法の品揃えと、速い詠唱を優先する装備にあるようだ。その分防御力は犠牲になるが、幸い氷属性は防御呪文も豊富に存在する。
目から鱗の、これぞ魔法剣士と言う絶妙なキャラ振りである。
戦い振りを見ても、相手が次にどう動くのか全て分かっているような反応を見せている。瞬間スタン魔法や麻痺呪文、高位の防御呪文はもとより武器に付与する呪文に至るまで。
まるで秘蔵のレシピを使って、調理を行なうシェフのような動きだ。
いつの間にやら、画面の中の2人は合流を果たして移動していた。ちょっくら一戦、トリガーNMで景気づけをするらしい。ちょっと待って、そこは尽藻エリアですよ?
NMの強さは、エリアに大きく作用される。初期エリアのNMの強さは、レベル100以内のキャラのパーティに合わせてある。新エリアは150、尽藻エリアはカンスト猛者のパーティである。
尽藻エリアの性質上、たった2人で狩れる甘いNMなどいない筈。
それでも画面を眺める2人は、どこか呑気な佇まい。進さんが先導しながら、フォーメーションの確認など話し合っている。リラックスしながらも、俺に華を持たせろよと弾美さんの復帰祝いの側面も漂わせつつ。
大丈夫かなと心配してるのは、この集団の中では僕だけみたい。後の面々は、心配と言うより加勢したくて仕方が無いような雰囲気で、とにかく茶々入れに忙しそう。
無事にポイントに辿り着いた2人は、戦う準備を始めたみたい。驚いた事に、進さんもペットを召喚している。大きな桃色のクラゲで、4枚の羽で空中に浮いている。
次いで弾美さんも、何と2匹目の黒龍召喚。
実際は《闇霊王召喚》と言う、昔の流行のペット召喚の上位魔法みたいだけれど。つまりは宝石献上で出現した龍と言う訳だ。ってか龍まで召喚出来たなんて、全然知らなかった。
唖然としている僕を見て、弘一さんが説明を買って出てくれた。
「ウチのギルドは、全員召喚ペット持ちだからな。昔の限定イベントの報酬で、貰った奴をギルドで大事に育てた成果だ。合宿までしてるから、皆強いペット飼ってっぞ」
「可愛いよなぁ、俺のマロン号とコロン号……ついでに、進のムーンちゃんも可愛いぞ」
「勝手に、人のペットに名前を付けるな。んじゃ、前衛頼んだぞ弾美!」
言うが早いか、トリガーのトレードからのNM出現。いつの間にやら、前に出張っている弾美さんの装備が変更されている。その黒い甲冑には顔のような、目と口の不気味な切れ込み。
あれが弾美君の、本気モードねと師匠の注釈。
一般にはあまり知られて無いが、宝具級装備の上に神具級と言うものが存在するそうで。今の弾美さんの胴装備が、まさにそれらしい。威力が凄過ぎて、使用は制限付きだそうなのだが。
つまりは僕は、幸運な事に弾美さんの最強装備を見せて貰っている事になる。現れたキメラは、猿面と蛙面の双面持ち。胴は牛で皮膚は龍の鱗、尻尾は3本の蛇頭で構成されていた。
単純な攻撃回数だけでも、頭部と蹄と尻尾×3で、合計6回のローテーション。盾役が少なくとも3人は欲しい強敵なのに、弾美さんは涼しそうな笑顔を見せている。
それもその筈、防御スキルの《ダメージ吸収》が半分以上ダメージを吸い取っている。
その吸い取ったダメージは、どうやら反撃の槍に転嫁されているみたいだ。笑ってしまう程のスピードで、一振り毎の攻撃威力が敵のHPを削って行く。いや、それは後衛に陣取る進さんの魔法支援のせいもあるのだろうけど。
元々、強敵NMには効き難い弱体魔法や耐性ダウン系の魔法が、《魔女の謀略》と言う魔法威力アップの前掛け支援魔法で面白い程効力を発揮している。
本当に今回は、後方支援のみに徹する構えの進さん。それでもこちらのド肝を抜く魔法が、派手に画面を彩って行く。《アイスエイジ》と言う魔法が、まさにそれだった。
一瞬にして、周囲が氷河期に突入したような錯覚に襲われる。
おおっ、派手じゃんという歓声が見物人から湧き起こる。魔法の効きはむしろ地味で、相手の動きは緩慢になる一方。さらにかなり強力な継続ダメージが、敵の体力を削って行く。
戦局を有利にする一手を、次々と打って来る策士振り。それにしても、氷種族の魔力の優位性を上手に活用しているキャラだと思う。前衛能力も、さっきの雑魚掃討を見ていた限りでは、充分に持っていると言えるし。
今は黒子に徹して、後ろから戦局を支えているが。
弾美さんの削りも、次第にその猛威を示し始めている。良く見たら相手は、3部位持ちだったみたいなのだが。範囲スキル技と黒龍たちの攻撃で、平均的に体力は減っている感じ。
それにしても、スキル技を撃つ間隔が並では無く短い気がするのだけれど。大技を撃つには、当然だがSPも大量に消費する。僕の場合だと、比較的消費の少ないスタン技や幻影技で、7秒~10秒程度の殴り時間が必要だろうか。
範囲技の《爆千本》や中距離技の《ヘキサストライク》だと、優にその倍以上の時間は掛かる。もっとも、ちゃんと攻撃を当ててSPが加算される事が前提での話ではあるが。
魔法の《SPヒール》などを有効活用すれば、もう少し早いかな。
巨体を誇るNMに対して、一歩も引かない削り合いはいつしか佳境へ。開始5分も経たず、敵の部位はそれぞれ半減に突入。相手も範囲技を使い始めて、ペットにも少なからず被害が出始めている。
進さんのスタン魔法が、それに釣られるように増えて来た。堂に入っているタイミングの取り方、どうやら元からその位置を得意としている感じだ。
《ブリザード》の魔法で全部位にダメージを与え、いよいよ前に出て来る進さん。
「進っ……何で前に出て来るんだよっ、後ろで休憩してて構わないぞっ!」
「いやだって、ペットが死にそうだから……前に出てスキル技でスタン要員しようかと」
「弾美、気を付けろよっ……進は油断させといて、いつの間にか手柄を掠め取って行く策士だからなっ!」
そんな言い掛かりあるかと、結構本気な進さんの抗議。弾美さんはそれに対して、かなり大人げない対応を示す。先を越されてなるものかと、いよいよ本気モードの《神槍裂帛衝》が炸裂。
吹っ飛ぶ巨体NMに、追い討ちの《掃天轟咆槍》が着弾する。
慌てたのは進さんで、いきなり敵が吹き飛ばされての攻撃空振り。ってか、その時には敵は既に、3部位の内の半分以上が体力枯渇の瀕死状態。
嬉々とした表情で、ペットの集団と共に残りの部位に殺到する弾美さん。それを追い越すように、進さんの大鎌から飛ぶ斬撃がNMに突き刺さり。息の根を止めたのは、《アイススラッシュ》と言う華麗な技名。
観衆共々、思わず硬直する進さん。
「「「……あっ」」」
「あっ……ごっ、ゴメン!」
本気で慌てた感じの、進さんの謝罪の言葉。それを責める、あ~あと言う、やっちゃった子への批難の大声が見物集団から。かなり大人げない対応だが、ちょっとだけ気持ちは分かる。
弾美さんは肩を落として、本気でしょぼくれている感じ。それを慰めているのは、実は進さん本人のみ。残りの幼馴染はそれを完全無視、進さんの第二陣のチーム編成で口論に。
つまりは師匠は別にして、残りの3人の内の誰が外れるかの決定だ。
再度の俺がオレが攻勢から、お前は妹と組めとか、お前は合成ばっかで腕が鈍ってるとか言いたい放題。何故かほっこりと、言い合える仲間っていいなあって癒される僕。
ぶっちゃけて言えば、完全に他人事だもんね。
それにしても、物凄い戦闘シーンを見せて貰った。弾美さんのキャラはともかく、進さんの戦法は物凄く参考になった気が。そんな事を思っていると、サミィがちょこちょこと近付いて来た。
手には氷入りのグラスを持っていて、僕に給仕しに来てくれたっぽい。視線を家の奥に移せば、台所の女性陣がお茶とかお茶請けの用意をしてくれているみたい。
なるほど、サミィはその先鋒と言う訳か。
面白い話が聞けたかなと、僕は少女に尋ねてみるのだが。いっぱい写真を見たよと、満足そうなサミィの返事。外国には飛行機で行くんだよと、早速得た知識を披露して来る。
僕がグラスを受け取ったのを見て、サミィは自分のも貰いに引き返して行った。それとすれ違いに、薫さんと美井奈さんがお盆を持ってモニター前にやって来た。
そして、今からチームミーティングするから邪魔者は退去しろとの厳命。
師匠まで追い払われて、夫婦間の力関係は浮き彫りな状況。他の男衆なんて、もっと酷い扱いだ。僕も退散しようと背を向けたが、その時聞こえて来た薫さんの話題に耳ダンボ状態。
若夫婦の結婚までの詳しい経緯を、瑠璃さんがどうしても話してくれなかったと不満そうな薫さん。私も実は良く知りませんと、美井奈さんの小声での追従。
なるほど、奥さんに聞かれたら気まずいと、ミーティングに偽装しての内緒話か。
「瑠璃ちゃんは、2人で話し合って決めたの一点張りなんだけどさ。本当は、ロマンティックなセリフとかあったんじゃないの、弾美君?」
「ねぇよ、そんなもん……瑠璃が大学院の研究で、凄い発見からパテント料で資産持ちになった話は知ってるよな? 月々入る膨大な代金で、一生食うに困らない身分だよ。ところがあいつ、そんなお金の管理なんて自信ないから、大学に権利を譲渡するって言いだしてさ」
「ああっ、何かそんな事言ってましたねぇ……結局は、うやむやになりましたけど」
「うやむやってか、それなら俺が管理してやるから、結婚するかって切り出したらさ。素直にオッケー出されて、結局あいつは望むものを全て手に入れたって寸法だよ。女って、いざと言う時にはかなり計算高いよな……多分、俺の考えは全部あいつの思惑通りだった筈だよ」
あれからの妖精の里の進行具合も、ちょっとだけ書いておこうか。ネット内で進行中なのは、ギルド的には2つの事象のみ。つまりは、この妖精の里クエとレベル上げだけ。
だから力を注いでいるかと聞かれれば、実はそうでも無かったりして。レベル上げの息抜き程度に、和気藹々と連続クエをこなす感じに過ぎなかったり。
他の集落と同じく、ギルドクエなので全員集まらないでも進められるし。その点は有り難い設定で、僕もお遣いクエは積極的に進めていたりする。
まぁ、あれからそんなに過ぎてもいないし、さほど進んでもいないけど。
クエをこなすに従って、妖精のいい加減さが際立って行く。蓮っ葉と言うか自由奔放と言うか、重要な話なのかなと熱心に聞いていたら、好きな食べ物の話だったり。
そんな事が何度か続くと、妖精の相手がバカらしくなって来るのだけど。その間隙を縫うように、ひょっこりと大事なクエが紛れ込んで来たりもして。
こちらを翻弄する気満々の、嫌な仕様が見え隠れ。
『げっ、妖精の好物を4つ、大樹の集会所にお供えしろってクエが出ちゃった! ログチェック……うわっ、余計な話が多過ぎてどこだったか探すの大変だっ!』
『えっと……ブルーベリーパイと杏のタルトと、ブラソー草原の牛乳プリンと……生ハムメロンじゃなかったっけ?』
『あ、あってる気がする……優実って、食べる事に関しては凄いわね!』
えへへと照れ笑いの優実ちゃん、しかし何故生ハムメロン……? とにかく買い物行って来るねと、僕はワープを駆使して競売のある街に出向く。
競売の在庫をチェックしている際にも、女性陣から追加の注文が入って来る。しかもスイーツで、妖精達の甘いモノ好きは際限がないみたい。幸い在庫はあったので、素直に購入して。
生ハムメロンも、何故か30近く在庫があったのには驚いたけど。
クエをこなして行く内に、アンタたち気前がいいねと評判も上昇して行く新参者の僕ら。今は学生組3人のみで、就寝前に軽くクエやろうかとの話になって。
戦闘関係のクエをまとめて出しておいて、ギルメンが揃った時に一気に片付ける作戦だ。とは言え、その肝心の難易度の高いクエが、なかなか出て来ない珍現象に。
スイーツを買い込んで、食費ばかりがかさむ有り様。
『ううっ、この子達ばかりズルいっ! 私も何か食べようかな……』
『よしなさい、優実っ! こんな時間に食べたら、アンタ確実に太るわよっ!』
確かに、恐ろしいトラップかも。僕も何だか、お腹が空いて来た気がする。そうこうしている内に、沙耶ちゃんが集落に対して、変な言い掛かりを口にし始めた。
つまりは、この集落にも族長的な感じの人物がいる筈だと。またどこかに隠れているのかねぇと、呑気な優実ちゃんの口調。望む所よと、それを挑戦と受け取った沙耶ちゃん。
寝る前までに探し出してやると、鼻息も荒く。
そうして闇雲に探し回る事、10分ちょっと。そろそろ眠くなったかもと、優実ちゃんのギブアップ宣言に。沙耶ちゃんははたと立ち止まり、それからある場所目指して猛ダッシュ。
どこに向かうのかと、僕らは不審に思いつつ後をついて行くのだけれど。到着したのは、例の美しい眺めの滝の前。沙耶ちゃんの頭脳の冴えに、僕は自らの迂闊を恥じる思い。
なるほど、滝の後ろに通路は定番じゃないか。
ところが滝の後ろは、意趣返しの岩の壁。とことんこちらを嘲笑う仕掛けに、ギルマスの怒りは天をも衝く勢い。でも道はあるよねと、優実ちゃんの見解は違うみたい。
確かに草の生えてない砂利道が、滝の後ろまで伸びている。
これはどういう事かなと、皆で知恵を出し合うのだが。これと言って打開案も出ず、仕方ないので一時保留に。他のクエをこなすしかないねと、上がったテンションは下降の一途を辿る破目に。
目の付け所は悪くない気はしたが、果たして妖精の女王は何処に隠れているのか。絶対いる筈なのにと、未だに納得のいかない様子の沙耶ちゃんだったけど。
その点は僕も同じ、どうも腑に落ちない妖精の里の秘密。
結局粘った挙句に、浮上した厄介なクエの数はたったの一つ。里の護衛役らしき武装した妖精の悩みは、そもそも妖精族には戦闘力を期待出来ないと言う事実。
それはそうだ、何せ小っちゃいもんねと優実ちゃん。メインの魔法も回復や支援系しか存在しないようで、これで敵と戦うとなると大変と言う以前に無茶である。
そこで相談、余っているナニカの呼び鈴、分けて貰えない?
『えっと……うちのギルド、呼び鈴って確かいっぱい余ってるよね?』
『優実ちゃんに、いつでも使っていいよって保管して貰ってるんだけど。ギルド所有って言ってあるけど、そう言えばピンチでも滅多に使った事ないねw』
『だって、使ったら無くなるじゃん! それに、私の一存で使うの怖いもんっ!』
今更の言い訳に、確かにそれは盲点だったかも。呼び鈴は様々な助っ人を召喚するアイテムで、使い切りの消耗アイテムである。ピンチの時には頼りになるが、確かに使い処も難しい。
前衛は切った張ったの殴り合いに忙しいので、後衛が状況に応じて使うのが順当なのだが。その状況を見極めると言うのが、案外と難しかったりするのだ。余裕の場面で使うのは、いかにも勿体無いと誰だって思う。
ただピンチに陥っている時は、テン張って呼び鈴の存在自体を忘れていると言う。
ペット系を扱う感じのお助けアイテムだから、優実ちゃん本人も楽しかろうと思って渡していたのだが。もはや、使用にそんなに重圧を感じていたとは。
いや、忘れていた時の方が多いとは思うけど。
とにかく護衛妖精の説明を聞くと、呼び鈴は幾つでも受け付けてくれるそうだ。その代わりに護衛妖精が代々お世話になる、訓練ルームを使わせてくれるとの事で。
これはひょっとして、館のトレーニング室みたいなものかもと、僕らの期待はいやが上にも急上昇。早速入ってみようと、はしゃいだ声も上がるものの。
数に限りのある呼び鈴だ、パーティが揃うまでは我慢ガマン。
とにかく頑張った甲斐はあった、ようやく面白そうなクエに遭遇が叶ったし。女王と言うか族長は探し出せなかったが、まだその条件を満たせていないだけなのかも知れない。
今はギルドのキャラ達の底上げ中だし、のんびりクエを楽しむのが良策だろう。その上で、新しい技術を取り込むのも良いし、元の能力を伸ばすのもアリだろう。
5種族クエは、報酬もかなりの期待が出来るからね。
次のギルド集会では、ぜひとも今出たクエを進めようと。賑やかに相談しながら、僕らは落ちる準備に追われ始める。呼び鈴の安いのあったら、買い足しておこうかなと沙耶ちゃんの言葉。
そんなのどかな雰囲気で、何度目かの妖精の里クエは終了に至った。
唐突だが、踊りブームが園児達に到来していた。主に双子がノリノリで、僕がシンセを奏で始めると決まって踊り始める。面白いのだが、僕が教えたいのは鍵盤の方なのにな。
それでも振り付けのある歌謡曲を、僕はピックアップしていたりして。盆踊りをみんなで練習したのが、余程楽しかったらしい。その“楽しい”を後押しするのが、僕の役目。
みんなで集えば“何だって出来る”を知らせるのが、僕の役割。
今日の子守りも、大半はそんな感じで過ぎて行った。つまりはメルと僕がシンセを弾いて、他の子達がそれに合わせて踊る。智章君も、片手だけなら弾けるようになって来て。
そんな成長を見れるのも、この集いの楽しみだ。
今は園児たちは、ぐっすりお昼寝の時間。僕らは席をリビングに移して、コーヒーブレイクで寛いでいる最中。メルは一応形だけ、テキストを開いて座っているけれど。
彼女も夏休みの宿題の類いは、もう全て終わらせている。あんまり身が入ってないのも道理、僕も母親の小百合さんも、そこら辺は多目に見ている。
リビングには、智章君と双子の母親も顔を出していた。お盆のイベントを乗り切って、お互いお疲れさまでしたと労っていて。帰郷した家庭は皆無らしく、愚痴がちらほらと飛び交っている。家族でのプチ旅行の企画が無かったのは、確かに残念なのだが。
その疲労を回避出来たのは、案外ラッキーだったかも?
「でもねぇ……せっかくの夏休みなのに、全く旅行の計画が無いのはねぇ?」
「ウチだけじゃ無くて安心したけど、やっぱり寂しいわよねぇ。せめて、子供達にお泊りの経験させてあげたいわよねぇ」
「そういうモノなんですか? メルはどう、どっか旅行に行きたい?」
「え~っ、家族旅行は行きたいけど、パパが忙しいから無理言えないしなぁ……リンリンが連れてってくれるなら、それで我慢するよ?」
にぱっと笑いながら、生意気な口調の少女。うちの旦那も忙しくてねぇと、揃って奥様方の愚痴が続く。近場でどこか無いかしらと、角突き合わせて相談を始める母親陣。
メルが、みんなでゲームすれば異世界旅行だよと、こちらを笑わせる頓珍漢な物言い。それは確かにそうなのだが、泊まり込みでネトゲは如何なモノだろうか。
それより僕の方に、ちょっとだけ心当たりが。
薫さんの出産騒動からのお祝いで、お世話になったあの田舎の大きな一軒家。確か仁科さんだっただろうか、師匠の繋がりで僕も顔を覚えて貰っていて。
仁科さんが、師匠の家によく野菜やら何やらを差し入れに訪れてくれるのだ。その際に顔を合わせる機会もあったりで、遊びにおいでとよく催促されていたのだ。
その言葉を鵜呑みには出来ないが、向こうは町内の集会や行事には慣れている風だったし。子供の田舎体験と言う事で、承諾しては貰えないだろうか?
うっ、図々し過ぎるかな……代わりに若い労働力を提供出来るけど(笑)。
師匠を通じて、ちょっと訊いてみても良いかも知れない。確かに子供達に、夏休みにお泊り体験をさせてあげたい。みんな良い子で、こちらの言う事も素直に聞いてくれるし。
ご褒美って訳では無いけど、何かお返ししてあげたい気もするし。
そんな訳で、僕は確率は低いけど当てがあるので、後でちょっと聞いてみますと口にした途端に。奥さん連中は大興奮、メルもやったとヤル気になって。
知り合いの知り合いだから、本当に分からないんですと念を押すのだが。みんなの都合はいつが良いかしらとか、お泊りセット用意しなくちゃとか話は転進の兆しも無く。
小百合さんまで、計画は手伝ってあげるからと、やたらと嬉しそう。
向こうの都合が全く分からないので、幼児達にはまだ内緒にしていて下さいと。その約束を取り付けるのが精一杯、向こうに確認してから言えば良かったかも。
とにかく言い出しっぺは自分である、皆さんの期待に添えるように頑張らなければ。夏の大きなイベント“盆祭り”は既に終わったが、惰性で残りを過ごすのも忍びないし。
僕にしても同じ事、たまには受け身より実行する側に回ってみたい。
あの日見た一面の田んぼの風景、風に揺れる緑の稲葉、夏の木漏れ日、縁側の乾いた空気。みんなで宴会に興じた、古いけれど温かな日本家屋での出来事。
――そのどこか懐かしい景色が、僕の背中を押した原動力だった。




