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2章♯19 浴衣とラケットと対人戦最終日



 本当ならのんびりとした、寛いだ雰囲気で始まる筈の日曜日の朝なのだが。僕は朝の7時半に起床して、やや慌ただしく朝の身繕いに追われていた。

 父さんはまだ、自分のベットから起き出しては来ない。変に音を立てて、眠りの邪魔をしないように気を付けて。ただこの朝の準備、外出のためと言う訳でも無く。

 ゲームにインする約束なのが……何というか。


 その呼び出された相手と言うのも、まぁ僕とは因縁浅からぬ自称ライバル。いや、こちらに反論の意思は無いのだけれど、何もこんな朝早い時間を指定しなくても。

 ライバルの果たし状が届いたのは、昨日の夜遅くの事。朝の8時インの理由は、余程のモノ好きでない限りは、そんな早くから活動していないとの予測らしく。

 確かにそうだ、現にブリスランドの街並みは連日の賑いの勢いの半分もない。


 彼の挑戦状は、例の如く丁寧な文面だった。対人戦に出場するために、キャラの調整をしていたらしい。そのせいで僕への挑戦が遅れた事を、メールでまず詫びて来て。

 僕としては、対戦相手は知らないキャラの方がやり易いんだけど。だからと言って、朝早いからとか、知り合いはやり難いとか断りを入れる訳にもいかず。

 朝っぱらから、お互いの生き残りを賭けた大一番のカードの始まりだ。


『おはよう池津君、朝から呼び出して済まなかった。キャラが少ない時間の方が、組まれる確率が上がると思ってね』

『おはよう、柴崎君。ええっと……10時から予定が入ってるから、多分2戦しかエントリー出来ないと思うけど。出会えなかったり、どちらかがチケット喪失しても恨みっこ無しと言う事で』


 了解したと、いつもの通りの礼儀正しい返答の柴崎君。予定があるのに済まないと、重ねて謝って来る丁寧さである。最近は椎名先輩やら恵さんやら、強引な扱いに振り回されていた僕。

 素直にその生真面目さに癒される思い。


 彼は既に、昨日発表された突然のルールの変更を理解しているそうだ。つまりチケットの取り直しは、どうやっても不可能と言う縛りも含めて。

 エリアの中で、望みの相手と出会う確率はそんなに高くはない。柴崎君にとって、この褒賞付きバトルロイヤルは、あまり意味が無いのかも知れない。

 そう……僕と直接、雌雄を決する事が可能なイベントだと言う事実以外は。


 最初に中央に向かうとだけ告げて、僕はチケットを使用する。向こうも使ったと、間髪入れずにログ表示がなされ。果たしてほとんど間をおかずにエリアインの表示。

 運が良いのか悪いのか、人数が集まらない時は最大10分の待ち時間で、集まった人数での開催と聞いていたのだが。モニターを見てみると、入場者数は12人との事。

 最大数を割ってはいるが、遭遇率にどう影響するだろうか。


 僕にとっては3日目の慣れたエリア、強化を掛けての散策も同じく慣れたもの。最初に出会うのも、やっぱり雑魚モンスター。周囲の人影の有無を確認して、軽く平らげる。

 まぁ、SPを貯める儀式みたいなものだ。放っておいてもSPは貯まるけど、急な敵との遭遇もあり得る訳だし。案の定、次の敵はそのすぐ後、草むらをかき分けての登場。

 慣れていないのだろうか、その草むらは移動力が落ちる仕様なのに。


 その代わり、草丈のせいで敵に発見されにくくなってはいるけど。僕が名乗りを上げると、そいつは明らかにたじろいだ様子。簡素に名乗り返して、魔法の詠唱を開始する。

 僕もそれに対応、相手の見た目は雷キャラの二刀流使い風だけど。いきなり待ち伏せ魔法のスパークを張って、さらに強化を重ねていく作戦らしい。

 僕は嫌らしい闇魔法や毒魔法を撃ち込んで、それに対応してやる。


 相手も焦れて来たのか、攻撃魔法を飛ばして来る。変幻キャラなら、少しは手持ちの魔法はあるだろうけど。威力は大した事もなく、いたずらにMPを消費するだけ。

 逆に僕の方は、オートMP回復もあるし威力の大きなタッチ系の魔法が敵のHPを面白いほど吸い取って行く。さらにスパークの威力が切れそうな頃を見計らって、凶悪な中距離スキル技コンボを披露してやると。

 焦った相手は、つられるように懐に飛び込んで来た。


 スタン技からの連撃は、多少痛かったものの。こちらもお返しにと、連撃からのスキル技を敢行する。ポーションがぶ飲みで頑張っていた相手も、2度目の《ヘキサストライク》でとうとう雷精招来をもたらす破目に。

 こちらの麻痺が収まった時には、敵はまんまと逃げおおせていた。


 僕は多少呆気にとられ、目の前で起こった事態の真意を計り兼ねつつも。確かに死なない限り、チャレンジは何回も出来る。ただ、1対1の美学を感じないバトルも如何なものかと思う。

 う~ん、椎名先輩の掟だと、追い掛けて倒すのも不味いのだろうか。


 いつかの恵さんの恨み節も良く分かる。煮え切らない結果と言うのは、本当に身体に悪いみたいだ。まぁ、こちらも大した被害を受けた訳でもない。

 仕切り直しに、次には強そうな相手と願いたいところ。


 僕の願いが叶ったのは、それから15分後だった。それまでにリンは、キャラと1戦+NPC雑魚と2戦。おまけにさっき逃げ出した雷キャラに再び出会い、今度はきっちり倒し切る事に成功。

 フィールドの癖も、ここに来て何となく分かって来た。プレーヤーが進む道は、分岐が多いように見えて実際は少ないのだ。入り込めない障害物が、思いの外多いためだ。

 その分、それが視界を遮る隠れ蓑になっていて。たまにばったりと、敵と鉢合わせになる事もあるのが怖い。草原のような広い場所も、石の柱が等間隔に並んで身を隠す場所を提供している。

 僕達が巡り合ったのも、そんな感じの草原だった。


 残り時間は充分とは言えないが、次の対戦で出会えるとも限らない。ポーションも減っていないし、気力も充分。向こうの名乗りに応じて、僕は既に臨戦態勢。

 名乗り返すと、ジュンジュはこう提案して来た。


『どうだろう池津君、試合開始はモニター上の計測秒数が60になってからで。それまでは強化魔法や休憩に時間を自由に使うってのは?』

『了解、それで構わないよ』


 簡潔に答えつつも、僕は今までの対戦では味わえなかった緊張感に包まれていた。テニスの個人戦の試合前みたいな、自然と鼓動の速くなる感覚。

 手が汗ばんで来たのは、夏の気温の上昇のせいだけではない。リンに強化を掛け直して、減ったMPはオート回復に任せる事に。そんなに回復時間は無いし、この緊張感を切らしたく無かったせいもある。

 相手は僕を認めている、僕も彼を認めている。


 キャラの練り直しに時間を取られていたと、彼はこぼしていたが。それがどの部分なのかは、僕には全く分からない。ジュンジュの外見は、短槍に盾持ちと言う珍しいスタイル。

 氷の♀キャラは、以前沙耶ちゃんが文句を言っていた気が。


 短槍は、片手武器では片手斧と並んでトップクラスの破壊力を持っている。貫通技もあるしリーチも長いし、そういう意味では優れた武器には違いない。

 ただし、広まらないのにはそれなりの理由もある。扱い難い武器で、装備するのに高ステータスを要求されるのだ。例えば、器用度と腕力100以上とかそんな感じで。

 さらには武器自体、そんなに数が出回っていない。合成のレシピでも、短槍と言うのは滅多にお目に掛かれなかった気がする。もちろん、それを所有するキャラも少ない訳で。

 それを装備している彼は、恐らくその熟練者だろう。


 チャージ技ももちろんあり得る、僕は《ソニックウォール》を張ってそれに備えるのを忘れない。しかし、開始時間と同時に来たのは、何と弓スキルの《乱れ撃ち》だった。

 リンの唱えた《サイレンス》は詠唱中断、逆に相手は氷魔法を唱え始めている。


 氷種族の魔法威力は、沙耶ちゃんと行動しているだけあって身に染みて分かっている。しかもこの呪文の詠唱の長さ、喰らえばヤバい事になりそう。

 僕は何とか、近くの石柱の影に逃げ込む事に成功。ターゲットを失った呪文は喪失、それを確認した僕は《獣化》を掛けて相手との距離を縮めに掛かる。

 柴崎君に遠距離攻撃手段があるのなら、離れたままなのはマズイ。


 くっつくまでに、詠唱の短い魔法がリンのHPを削って行った。それに構わず、僕は潜り込んでのブルファイター。初弾の手応えは、しかし超硬質なモノ。

 なるほど、氷系の防御魔法を身に纏っているらしい。おまけに盾の防御も堂に入ったもの、盾装備ははったりだと思っていたのに見当違いだったよう。

 相部先輩との戦闘を思い出す、これは倒すのに苦労しそうだ。


 そう考えていたのは、僕の思い上がりだったよう。向こうの短槍スキル技の《貫通撃》や《みだれ突き》は、容赦ない威力を叩き出す。しまった、ここは《ビースト☆ステップ》で行くべきだった、削りを優先してしまったのが裏目に出たようだ。

 そうは言っても、盾役の体力を奪うには攻撃力ブーストは必須である。お返しに撃ち込むリンの複合スキル技も、相手に確実にダメージを与えている。

 それを込みにしても、攻撃力はこちらに分がありそう。


 相手にスタン技が無さそうなのも、こちらの有利に一役買っている感じ。回復魔法はどうだろう、何もかも一人のキャラが備えるのは、口で言うほど楽ではないのだが。

 弓か盾か、ひょっとしたら片手槍が付け焼刃かとも思っていたのだが。魔法と言う事も無いだろう、事実、防御系や攻撃系の魔法はかなり厄介である。

 敵の侮れない攻撃力に、僕は何度目かの《風の癒し》を自身に掛け直す。油断していた訳ではないが、その隙を完全に突かれて。通ってしまった魔法詠唱は、沙耶ちゃんも持っている《アイスウォール》の壁防御魔法。

 しまったと悔やむ暇も無く、続いて《コールドウェーブ》の氷の麻痺呪文が。思いっ切り浴びてしまって、ポケット減での万能薬不在が恨めしい。

 ここは離れるべきか、それとも居座り続けるべきか。


 ジュンジュは僕の逡巡など、待ってはくれなかった。畳み掛けるように先程中断された、大呪文の詠唱に。壁のせいで、殴っての詠唱中断も不可能な状況。《サイレンス》の呪文は、何と麻痺で詠唱中断の憂き目に。

 喰らったダメージは、リンを瀕死に追い込むのに充分な程。


 お陰さまの《風神》で、吹き飛ばされる柴崎君。幸いな事に、氷の壁も綺麗に壊されてしまっているけど。壁のお蔭で、ジュンジュは全くのノーダメージ。

 暴風のガードを利用して、今の内にと《九死一生》込みの中距離コンボを撃ち込んでやる。それから《ダークタッチ》で、HPとMPの拝借。この程度のピンチは、僕にとっては慣れっこだ。


 次の動作に《桜華春来》の回復&遠隔ガードよりも《夢幻乱舞》を選んだのは、これも慣れと言うかある種の感だろうか。柴崎君の装備の中で、彼が一番信頼しているモノ。彼も今や、僕のスキル技と魔法を一気に浴びて、HP半減以下の危機に陥っている。

 風のガードが消え去った今、ジュンジュが攻撃に転じるなら短槍のスキル技に頼るはず。距離を取っての弓矢と魔法攻撃も考えられるが、両方とも射線が通っていないと必中すら儘ならなくなってしまう。

 そしてリンのすぐ側には、大きな石柱が存在している。


 いざと言う時の保険にと、戦闘中この場所からテコでも動かなかったのだが。それも戦術の内、案の定やって来たのは《倍化チャージ》の特攻スキル技。

 柴崎君の性格からしても、最後は近距離での殴り合いを仕掛けてくるとの予測通り。チャージ技のダメージは、僕の作戦通りに倍になって本人に跳ね返って行く。

 雀の涙ほど残った体力を殴って奪うと、遺跡跡地の戦場に人影はリンのみとなった。ポイントを奪えた喜びよりも、生き残れた安堵に息を吐き出し。

 こうして早朝の決闘は、リンの勝ち残りで幕を閉じたのだった。





 予定の時間ぎりぎりかなと、僕は自転車を飛ばしながら少し焦っていた。この時間の峠道は、行き交う車の数はそんなに多くはないとは言え。

 図に乗って飛ばし過ぎて、事故ったら元も子もない。しかも背中に背負っている荷物の中の、ラケットの座りの悪い事。それでもその存在に、出掛ける前からウキウキ気分。

 久し振りにコイツを握れる、今日は嬉しい日には違いない。


 稲沢先生も、今日のテニス教室を楽しみにしてくれているだろう。神田さんも誘ってみたが、生憎休日はお店が忙しくて離れられないとの事で。何とも残念そうなのは、先生も同伴する事実を知ったからだろう。

 沙耶ちゃんと優実ちゃんは、今日も朝から短期バイトに出掛けている。報告メールがあったから、まず間違いない。こちらのスケジュールを知って、一緒に遊べないのが残念そうだったけど。

 夏休みはまだ長い、折り返しもまだ来ていないのだ。


 そんな事を考えている内に、峠道はなだらかな大きな岐路に合流して行く。朝の空気は、連日の日差しに少し乾燥気味だろうか。公園の緑も、この猛暑続きには参っているよう。

 ペダルを踏む足に力を込めながら、僕は自転車を公園の敷地内へと走らせる。テニスコートは公園内のもう少し奥、駐車場に隣接した場所にある。

 その駐車場に見慣れた姿を見つけて、僕は大きく手を振った。隼人さんはこの街在住の筈だが、午後のお出掛けを見越して愛車で来たらしい。

 隣には小柄な女性が2人、恵さんと稲沢先生は既に到着していたみたいだ。文句を言われる前に、僕は自転車を横付けして遅れて済みませんと挨拶する。

 全くだと、聞こえる程度の小声で恵さん。


「いやいや、時間ぴったりだよ凜君。お昼までコート借りてるから、使用時間は今から2時間くらいかな? とにかく今日はよろしく頼むよ」

「えっと……こちらは中学の時のテニスの恩師で、稲沢先生です。挨拶は済んでましたか、今はギルド仲間でもあるんですけど」


 ほう、と興味深そうな視線を送る恵さん。隼人さんは爽やかに挨拶を交わしていて、そこら辺は抜かりはない好青年振り。先生も前準備に手落ちは無く、こっちはみんな着替えも終わって、今から準備体操をする所だとの事で。

 凜君もさっさと着替えてらっしゃいと、更衣室のある体育館を指で示す。中学時代を思い出しながら、大人しく指示に従う僕。それから胸中で、ちょっと嫌な予感が。

 先生は普段は優しいが、練習は結構スパルタだったような……。


 僕が着替えてコートに舞い戻る頃には、先生はすっかり今日の計画を立て終わっていた。つまり、最初の1時間は初心者組がラケットに馴染む練習をして。後半の1時間で、2組に分かれてダブルスの試合をすると。

 もちろん組み合わせは、経験者+初心者での2ペアで。僕は恵さんと、先生は隼人さんと組んで、ちゃんとスコアを付けて勝敗を決するらしい。

 それを聞いた恵さん、絶対に勝つぞと器用に小声で息巻く。


「それじゃ、負けたチームがお昼奢るで決定ね?」

「うっ、経済的にこっちのチームが不利な気もしますけど……受けて立ちましょう!」


 コクコクと激しく頷く恵さんに後押しされ、社会人チームと学生チームの闘いの火蓋は切って落とされた。って、それ程に入れ込むモノでもないのだけれど。

 僕は普段からバイトを掛け持ちしているので、懐具合はそんなに苦しくはない。さらに外食が常なので、父さんから毎週お金は多目に貰っているし。

 社会人の誰かと食べる時は、たいてい奢って貰えるのでお金に困りはしない。その分、メルやサミィ(最近は優実ちゃん)に美味しいものを差し入れするようにしてるけど。

 試合に賭けて奢るくらいは何でもないが、果たして恵さんはどうなのか。


「バイトはしてないけど、私はお嬢様だから全然平気。実家はお金持ちで、仕送りをたくさん貰っているのだ」

「……そんな人が学校の寮生活で、しかも毎日学食に頼ってるんですか?」


 だって、遠くから通うのも遠くに食事に出掛けるのも面倒臭いじゃんと、悟り切った口調で恵さん。何だかからかわれている気もしないではないが、深く詮索するのは怖いのでやめる。

 負けるつもりは無いので、お金の事は気にするなと恵さんは豪語しているけど。稲沢先生の張り切りようは、それに輪を掛けて凄いような恐いような。

 その証拠に、練習開始から15分後に悲鳴を上げる隼人さん(笑)。


 何を甘い事言ってるのと、全く相手にしない先生に対して。相手は初心者で、しかも終日デスクワーク漬けですと諭す僕。その後ろで、見下げ果てた根性無しねと、冷たい視線で罵る恵さん。

 その彼女も、言うほど運動神経は達者ではないけれど。あれも多分、ギルマスへの愛情表現の一種なのだろうと思いたい。やられる側は、相当堪えるだろうけど。

 それより最近、かなり恵さんの表情の変化を読み取れるようになって来た。


 くぎを刺したのが効いたのか、取り敢えず先生も猛特訓モードを自重した様子。スポーツで汗を掻くのは久し振りな面々、少しずつ動きも良くなってきて。

 晴れやかな夏の日差しの中、ボールの弾む音がコートに響く。僕は恵さんにコーチしながら、久し振りのラケットの感触を存分に楽しんでいた。

 隣の隼人さんにもようやく笑顔が、ホッと胸を撫で下ろす僕。


 たかだか1時間で、飛び抜けた上達など望むべくも無いけれど。緩~~ぅい球なら、意外とラケットの面で捉えられるモノ。上級者が両コートに入れば、ラリーも続くし試合にもなる。

 後は稲沢先生の暴走が無ければ、初心者の二人も楽しめる筈。


 1セットマッチの1ゲームなら、本当は1時間も掛かりはしない筈だけれど。審判無しで、その上スピードボール不使用となると話は別になる。 

 先生に限っては、たまに僕に向かってスピンボールを打ち込んで来ていたけど。お互い腕は錆びついてはいない様子、侮れない上に気の抜けないラリーは続く。

 恵さんも、彼女独特のノリで楽しんでいる様で何より。背が低いので、頭上を抜かれる度に腹を立てるのは別にして。ネットに張り付いて、飛んで来る球を打ち落とす姿は愛嬌があって良い。

 とうっ、とかやあっとか、掛け声をかけてのプレイは意外に上達して来ている。

 

 それ以上に意外だったのは、実は隼人さんのプレイ振り。試合が進んで行く内に、段々と慣れて来たのだろう。ミスも無くボールを打ち返す姿は、なかなか様になっている。

 学生時代には、部活でバレーボールをしていたと聞いていたけど。何かしら球技をしていた人は、他の種目でもある程度対応能力が利くのだろう。

 思いもかけず続くラリーに、皆のテンションも上がって行く。


 結局長いようで短かった、1時間のペアでの試合。決着はつかずにドローと言う事で、お互い納得して。お昼は自分が出しますよと、一番の年長のハヤトさん。

 その顔は血色もよく、本当に楽しそう。


 スポーツでのリフレッシュ効果は、ともあれ上々だったようだ。それでも動き続けの2時間は、デスクワーカーの隼人さんにはいきなり過ぎたようで。

 これ以上動き回るのは、ちょっと辛いかもと弱音が顔を覗かせる。これだからヘタレはと、超小声で毒づく恵さん。こちらは大した疲労も無さそうで、来週もコート借りて遊ぼうと催促して来たりして。

 ところがコートの予約表、来週はお盆休みで借りれない大きなバッテン仕様。


「あらら、せっかくテニス仲間が増えそうだってのに。凜君、来週は私もお盆休みが取れるのよ。コートが取れないなら、何か別の予定立てちゃおうか?」

「ふぅむ、いいかも……せっかく夏なんだし、隼人が車の免許持ってるし。山にキャンプとか、海に泳ぎに行くとか。凜君、キャンプ道具か水着か、どっちか持ってる?」


 来週の遊びの話が着々と進んでいるが、僕と隼人さんの都合は一向に聞いてくれない女性陣。女って身勝手だなぁと内心思いつつ、沙耶ちゃん達にも話は通しておかないと。

 勝手に遊び回っているのがバレたら、後で何を言われるか。女って身勝手で怖い生き物だ、それをいなす男の甲斐性など、僕に期待しないで欲しい。

 それでなくても、色々と悩みの多い年頃なんだし。


 ボールの片付けやら着替えやらに、15分くらい掛かっただろうか。再び合流した僕らは、隼人さんの奢りで昼食をとる事に。お金を出すのに躊躇いは無い隼人さんだが、疲労した身体で長距離ドライブは勘弁してとの事。

 近くの繁華通りのレストランでいいやと、ここは先生が場所決めに口を出す。駐車場付きの条件となると、大井蒼空町は途端に厳しくなるけれど。

 何とか思い出したのは、僕も知っている穴場的なお店。


 隼人さんの運転する車は、超スムーズに街中を走って行く。ところが逆に店内は、今がピークの混雑振り。穴場とは言っても、今は丁度お昼時の時間帯だ。

 仕方ないから、テーブルが空くまで待つ4人。


 僕も恵さんも、本来は積極的にお喋りに熱中する性格ではない。隼人さんも含めて、逆に初対面の稲沢先生の方が会話の主導権を握っている感じがする。

 メンバーの中では、先生が一番パワフルな印象を受ける。今も話題を提供しているのは、その稲沢先生だったりするのだが。やがて席が空き、オーダーを通し終え。

 やっぱり最新の話題は、ファンスカ内の新カテゴリー。


「それにしても、凜君があの有名ギルドの主力と知り合いだったなんてねぇ。大人の知り合いが本当に多いよね、何でだろうね?」

「隼人さんは、父さんに紹介されたんですけどね。同じ部署で、僕と同じゲームやってる人がいるって。恵さんとは……誰の紹介なんでしょうね?」


 知らないよと、素っ気無い恵さんの返事。あの時の衝撃は、人生で滅多に味わえない部類に属するだろう。大学の食堂で、初対面の女性にいきなり恨み節をぶつけられようとは。

 隼人さんは自分のギルドは変わり者が多いと、弁解なのか愚痴なのか。恵さんにひと睨みされて、語尾は濁しまくりだけれども。先生相手に今後ともお付き合いよろしくと、ギルド広報もしっかりこなす隼人さん。

 そこだけ聞いていたら、ただのナンパ師にしか見えないけど。


 話は次なるレジャーの計画とか、仕事や学校での出来事とか、それこそ多岐に渡っていた。コートでボールを追うよりも、余程熱の入った言葉のラリーの応酬かも。

 特に共通の話題と言えば、それはもうファンスカしかありえない訳で。今が盛りの対人戦の話も、もちろん真っ先に繰り広げられて行く。僕が興味を持ったのは、その参加状況。

 統計的な見地から、その割合を分析してみたかったのだ。


 このグループからの算段だと、積極的参加が1、消極的参加が2、不参加が1となる。僕のギルドで言えば、参加と不参加はかなりの偏りが。隼人さんのギルドでは3対7程度らしく。

 ライトユーザーの立場から言えば、参加しても勝ち残れないのでは意味が無い。確かにその通り、彼らの意見は全く正しい。運営サイドも、この状況をある程度読んでいた節がある。

 恐らく盛り上がるのはごく一部で、後は静観者ばかりだろうと。


 その読みが甘かったせいで、急な本選の撤廃などの規定変更がなされたのだろう。参加者にしてみたら、とんだ迷惑を被ったものだ。例えば、本選の切符を早々に手に入れて、安心し切っていたアリーゼさんとか。

 この誤算はどこから来たんですかねと、僕は年長者に質問してみた。確かに一部老舗ギルドなどでは、名を上げるぞ的な盛り上がりは凄かったみたいだけど。

 その問いに真っ先に答えたのは、意外にも恵さんだった。


「私は対人戦、楽しいと思ったけどな。自分のキャラが他人より強いと感じる瞬間、凄く充実した気持ちを味わえるもん。人に褒めて貰えるし、ギルドの名前も売れるし。同じ思いの参加者が、結構多かったんじゃないかな?」

「ネット内のキャラって、自己愛の象徴だからね。そのキャラが活躍出来る場が増えるのは、単純にみんな嬉しいんじゃないかな? ただ、女性や子供とかは特に、プレーヤー同士の争いに拒絶反応を示す人もいるだろうね。二極化が起こり得るのは、確かだと思うよ」


 隼人さんの冷静な分析に、同意の頷きを見せる稲沢先生。そのキャラへの愛は、多分長く続けているプレーヤーほど大きいのだろう。さらに今回のイベントの大騒ぎは、月末の定期開催が関係しているのではと隼人さんの推測。

 動画配信で、しきりにその対戦模様が持ち上げられて久しいのは皆が承知の通りだ。その煽りで、出場特定キャラに対する信仰やら崇拝が生まれて。

 自分もそうなりたいとの想いが、今回の出場数に結びついたのだろうと。


 確かに前もって、あんなに白熱した試合を見せられたら。自分もやってやるぜと、頂点への挑戦に踏み切るプレーヤーも増えて来るのかも知れない。

 他人より強くあれ、そして皆から二つ名で呼ばれて崇拝されてみたい。そんな強さへの欲求が、知らぬ内にネット内に蔓延していたのかも。

 動画での作為的なキャラの持ち上げも、それに一役買っていたとの隼人さんの分析。


 今は他のネットゲームでも、対人戦は主流になっているみたいだと隼人さん。ただしそれに伴って、トラブルや問題点もよく耳にするらしい。それはシステム上の疑問点、例えば職業間の完全な優劣だったり、プレーヤー狩りと言う嫌な流行だったり。

 ゲームによっては、殺されたキャラは装備を全て奪われたり、もっと酷いのになると全ロストしてしまうものもあるらしい。せっかく育てたキャラなのに、酷い仕様だ。

 もっともそれは、外国のコアなゲームに限られるらしいけど。


 安心安定を望む国民性の、日本人に果たして受け入れられているかは疑問だけど。対人戦と言っても、それぞれに特色とか独自ルールが色々と存在するみたいで。

 どちらかと言えば、今は不特定多数の2極での団体戦が流行なのかも。ファンスカみたいな勝ち残り戦は、珍しい部類に入るかもと隼人さんの言葉。

 何にせよ、運営側もプレーヤー側も、手応えを感じているのは確かだろう。


「考えてみれば、筐体ゲームマシンでも対戦ゲームって盛り上がるもんね。変な相手に掴まらない限り、対人戦は面白いカテゴリーだと思うけどな。私は不利になるほど、凄く燃える……」

「恵さんは、そう言う所ありますよね。僕も戦略がバッチリ嵌まった時とか、覚えたばかりの魔法やスキル技が役立った時とか、やったって思いますもん。テニスやってた頃の、作戦や駆け引きを思い出しますよ、先生」

「なるほど……確かに凜君は、パワー押しより謀略型のプレーヤーだったもんねぇ。だから全国大会に出られたとも言えるけど」


 ほうっと、感心したような雰囲気の年長者達。僕に言わせれば、球技を含めたあらゆる対人戦は、作戦や駆け引きを楽しまなければ意味が無いと思うのだけど。

 確かにパワーも体力も有り余るほどのキャラで、敵を倒して行く方が楽ではある。ただし、そんなゴリ押し戦法で勝ち上がっても、勝利の喜びは案外少ない気が。

 月末のランキング戦など、癖のあるキャラが上位に目白押しである。キャラ作成の段階で、既にユニークなスキルを組み込んで、戦略を見据えている証拠だ。

 誰しもありふれた技は対処可能だ。けれども、見慣れない技は?


 そう言う意味では、ファンスカは個性的かつ独創的なスキル技の組み立てが可能なゲーム。何しろスキルや魔法の全てが、ランダム取得と言う徹底振りなのだ。

 5種族クエの追加で、さらに見慣れない魔法が追加されてもいる事だし。まだ見ぬレアスキルやレア魔法、宝具装備やユニークアイテム……。そんな組み合わせで、運営サイドすら予想外のキャラや戦法が生まれる可能性もある訳だ。

 そう、僕がかつて持っていた《封印》と言うスキル技の様な……。


 口にこそ出さないが、僕は今でも過去のリンの残像を追いかけている。今は全くパッとしない、ただの前衛スタン要員に成り下がっているけれど。

 以前は文字通りの、NM退治のキー要員として持て囃されていたのだ。言っておきたいのは、別にちやほやされたくて強さを求めている訳ではない。

 ただ、信頼してくれる仲間のために、役に立ちたいだけなのだ。


 そんな事を思いながら、僕は年長者の話に耳を傾けていた。今の話題は、どうやら僕と先生の中学時代の馴れ初めらしい。恥ずかしい昔話を、先生は嬉々として語っている。

 それも良いと、僕は何となく悟った境地で考える。少なくとも稲沢先生は、僕との出会いを良縁だと感じてくれているのだから。実際世の中には、出会わなければ良かったと感じる縁の、何と多い事か。

 それともそんな縁も、いずれは良き関係へと昇華して行くのだろうか。


 最近は、以前ほどひねくれた感情も持たなくなって来た僕だけれど。それもやっぱり、沙耶ちゃんや優実ちゃん、さらにはギルメンを始めとする、ゲームで知り合った仲間のお陰だと思う。

 その出会いの数々に感謝しながら、僕はお店の雰囲気を楽しむのだった。

 

 



 午後からまた、一緒に対人戦しようよとの恵さんの誘いをやんわり断って。携帯のメールで呼び出された僕は、皆との昼食後、碧空町の駅前まで足を延ばしていた。

 裏切り者だとか腑抜けだとか、恵さんには散々罵られたのは予想通り。さっきの話の結論で、やりたい人がやれば良いと綺麗にまとまったハズだったのに。

 面白い人だねと、稲沢先生は気楽なフォロー振り。型に嵌まらない彼女の言動は、傍から見るだけなら確かに楽しめるかも知れないけれど。

 巻き込まれる、こっちの身にもなって欲しい。


 何とか新テニス仲間からの離脱を果たして、僕は単身駅前の待ち合い広場へ。自転車通学の身なので、僕は普段は全く電車の類を利用しない。

 ここら辺りも、アーケード通りに遊びに行くのに通り過ぎる程度だ。間の悪い事に、今日に限って大荷物。確か貸しロッカーがあったハズと、僕は拙い記憶を頼りに駅内を探索する。

 碧空駅は、ここらの路線の中では大きな駅に相当する。駅ビルだってあるし、洒落た赤レンガの建物で有名だ。大き目のロッカーも、程無く見つかってホッとする僕。

 何しろ今日の使命は、買い物の付き添いなのだ。


 昼のスケジュールをがっちりと押さえられたのに、僕には特に不満は感じない。メルやサミィとは、兄妹みたいな間柄だし、今日に限っては母親の小百合さんも同行するらしいし。

 お盆祭りに備えて、浴衣を新調したいそうなのだけれど。地元のお店は小さいし、既に仕立ての予約は満杯らしい。出来合いのものも、数は少ないそうで。

 それならばと、隣町まで電車でお出掛けの計画となった訳だ。

 

 そんなに待たずに、僕らはすんなりと合流を果たした。父親のハンスさんは、今日は残念ながら所用を抱えているらしい。賑やかな駅前で、リンリンと僕の愛称が響き渡る。

 娘2人は、お出掛け衣装に帽子を装着と完全外出スタイル。良く似合っていて人目を惹く可憐さ、大人になったらさぞかしモテて大変だろう。

 今は無邪気さが先に立つ、母親とのお出掛けが余程楽しいのだろう。


 目的と目的地は既に聞いているが、子供達のハイテンション振りは想定外。それでも僕よりは断然、母親人気が高いのは当然の事。纏わり付かれているのは、小百合さんの方で。

 今日の僕の仕事は、本当に荷物持ちだけで良い様子。


 電車での移動は、夏休み中だけあって歳若い連中もチラホラ。空いている席に小百合さんとサミィに座って貰い、僕とメルは窓からの景色を立ったまま眺める。

 機嫌が良さそうなメルは、夏祭りの小学生行事について喋りまくっている所。小中高と一貫のウチの学校は、夏祭りのイベント参加もそれぞれ役割が違って来る。

 まず小学生は、盆踊りの分担を任される。全員参加なので、これがまた大変な行事になるらしいのだけど。もちろん父兄の皆さんも、子供達の晴れ舞台を見に来るので。

 ほとんど街ぐるみの行事となる、夏の一大地域イベントだ。


 中学生になると、完全に運営に回される。広告を作ったり舞台の飾り付けをしたり、当日の案内放送をしたり終わった後の片付け清掃をしたり。

 生徒会がこの指揮を取るのだが、高校の生徒会もこれをサポートする。小学校とも打ち合わせを重ねるし、なかなかに重要な役割分担を任される訳だ。

 夏休み中だからって、うかうかなんてしていられない。


 高校生になると、もっとハードになる。部活動単位で屋台の出店をするらしいし、グランド使用の全般を担う事になるらしい。生徒会は全ての舵を取るし、大変な重役だ。

 太鼓やぐらを組んだり、屋台のテントを設置したり、事前にやる力仕事も多くなる。ここら辺は生徒会が、暇な生徒に手伝いを申し込むらしいのだが。

 何だか僕も、椎名先輩にしっかりロックオンされてるっぽい。


「リンリンも絶対見に来てね、ボクが浴衣着て踊るの。週に2回、今練習してるんだよっ!」

「へえっ、熱心だね……夏休み入っても練習あるんだ、凄いな」

「人数多いから、本番は1回踊るだけだけどね。3年生は、初日の終わりくらいだよっ」


 毎年の行事なので、進行具合などすっかり覚えている様子のメル。学年によって、踊る時間帯は違うみたいだし、夏休み中の練習も無駄ではないみたい。

 こんな行事が心から楽しめるのも、せいぜいが小学生くらいまでかも。まぁ、母親に新しい浴衣を買って貰えるのだし、ウキウキ気分なのも分かる気はするけど。

 嬉しそうなのは、母親の隣のサミィも一緒。


 目的地の駅に着いて、僕はアレッとある事実に思い至った。確か沙耶ちゃんと優実ちゃんの短期バイト先が、この駅近辺のデパートだったような?

 デパートの正確な名前が思い出せぬまま、僕はハンス家の後に続く。小百合さんの目的のデパートは、この辺りで一番の大きさの老舗である。

 入っている呉服屋も大きいみたいで、まずはそこに直行するとの事。


 はしゃぐ子供二人の面倒を見るのに、小百合さんはいかにも苦労している感じ。数ヶ月前まで入院していた女性なのだ、夏の日差しの辛さも考えておかないと。

 色々と気遣いつつ、涼しい建物の中に入ってホッと一息。


 目的の階までは、エスカレーターで移動する事に。小百合さんはサミィの手をしっかり握って、迷子と言うより勝手な移動防止。僕もメルと他愛ない話をしつつ、その後に続く。

 目的の場所には、迷わず辿り着けた。


 そこは大型店の独特の空間と言うか雰囲気で、さすがの少女達もやや怖気付いている様子。まぁ、下手にはしゃいで売り物に粗相があっても洒落にならないので。

 その点では安心かも、それにしても本当に和服って独特の雰囲気がある。豪華と言うより流麗で、お堅い感じがあるのにしなやかな涼感が存在する。

 やや気圧されている感のメルを引き連れ、僕は浴衣のコーナーに。


「この柄可愛いね、メルは何色が似合うかな? ほら、もっと前においでよ」

「う、うん……うわぁ、なんか緊張する。どんなのがいいのかなぁ、リンリン選んでよ」


 選んでよと言われても、メルの好みを完璧に把握している訳でもないし。ただ言えるのは、彼女は割と派手な柄とか奇抜な絵柄に反応するって事。

 ファンスカでの、メルの衣装もまさにそんな感じ。展示されている奴から、そんな柄をピックアップしていると、サミィがするっと僕の足元に滑り込んで来た。

 どうやら小百合さんは、店員と話し込んでいるらしい。


「サミィはどんなのがいい? 何色が好きかな、鳥の入った柄は……残念ながら無いなぁ」

「サミィはね、お姉ちゃんと一緒のがいい。あれっ……リン、あの服見て! お庭のお花と一緒!」


 まるで、凄い奇跡が目の前で起こったような少女の驚きよう。サミィの言葉に、僕とメルは一斉にそっちを見てみるのだが。青い布地に散りばめられた、黄色の花粉と白い花弁の花の柄。

 サミィはもはや、それしか目に入らない様子。庭の花とは、母親が入院中に何とか姉妹を元気付けようと、僕が植えてあげたカモミールの事だ。

 薫さんからの入れ知恵だが、この花は女性特有の病気に効果のある薬草らしい。ハーブの一種で、素人にも割と簡単に栽培出来る。春先に植えた種は、7月頃から見事に花盛り。

 サミィの喜びようは、天にも昇るが如し。


 一時期アブラムシが盛大について、どうしたものかと心配していたのだが。薫さんには、一緒にナニやらを植えた方が良いと忠告を貰っていたのだけれど。

 時既に遅しで、これは手で取るしかないなと思っていたら。いつの間にやら天道虫が、綺麗に掃除してくれていた。サミィと小百合さんも、この生命のシステムにはビックリ。

 以来、天道虫を見つける度、親子で拝んでいるとか。


 とにかくサミィの中では、この白い花のハーブはブーム到来真っ只中らしい。そんな少女の贔屓目を抜きにしても、この浴衣の柄は悪くは無い気がする。

 メルも妹に倣って、これは悪くないねと、自分の趣味の範疇なのをさり気無くアピール。ようやく小百合さんが、店員を連れて僕らに合流して来たけれど。

 その時にはもう、半分以上買う物が決定していたような。



 それから購入に至るまでの、長いような短いような大人と子供と店員の遣り取りの後。寸法直しに2時間程度、時間が掛かりますとの店員さんの丁寧な言葉に。

 どこで時間を潰そうかと、お店を離れながら呑気な打ち合わせ。メルに限っては、そのやんちゃな瞳がキラキラ。何を母親にねだろうかと、子供特有の打算を練っているらしく。

 荷物持ちでついてきた僕は、内心びくびく状態だったり。


 小百合さんは、子供達に文房具とか普段着の類いを買ってあげたい様子。僕は階段近くの案内板を見て、フロアチェックで廻る順番を提案する。

 こうしてのんびり買い物を楽しんでいると、本当に彼女達と兄妹になった気分。僕にもお揃いのシャーペンやシャツを買って貰えて、そんな思いに拍車も掛かる。

 幸いメルの暴走も、望みの洋服をゲットして満足を得た様子で何より。


 そんな感じて、荷物も段々と増えて来ると。他の建物に足を延ばす気力も失せて、ちょっと屋上を覗いてみようかと言う話に。このデパートは確か、屋上に休憩スペースもあった筈。

 おぼろげな記憶の理由は、この辺りに来たのは小学生の引っ越し間際以来だったせい。野球チームの友達と、遊びついでにスポーツ用品店やゲーセンをチェックした思い出が。

 当てにならない古い記憶だが、半分は当たっていた。


「あっ、ペットショップがあるねぇ……サミィ、鳥もいっぱいいるよ!」

「どこ、お姉ちゃん? ……あっ、オーちゃんと同じ子がいるっ! リン、抱っこして!」


 母親の嗜める声も何のその、一気にテンションがピークに達した様子の姉妹。サミィのそれは分かり難いのだが、抱っこしてやればすぐにそれと知れる。

 ギュッとこちらを掴む指先に、全く容赦が無くなるのだ。僕の腕や首筋や、時には髪の毛を力任せに掴んで来て、こっちとしてはいい迷惑だったりするのだが。

 こんな事は滅多にないのも確か、兄貴分としては、じっと耐えてあげる位の器量が無いとね。今は荷物も持っているせいで、そんなに余裕が無いのが辛いけど。

 高い場所に吊るされている鳥籠の中には、鮮やかな羽色のオウムが。


 メルは無邪気に、返事を期待して挨拶を飛ばしているのだが。当のオウムは知らんぷり、それよりサミィの真摯な目つきと来たら。服を選ぶより、余程真剣な眼差しだ。

 小百合さんも鑑賞会に加わって、鳥の種類を読み上げ始める。どこの国から来ましたとの説明に、メルは持っている知識を総動員して、脳内地図の組み立てに忙しそう。

 サミィの方は、まるで心を通じさせる作業中のように微動だにしない。


 メルと小百合さんは、色んな鳥の観察を続けながら店の奥へと移動して行った。その内に、屋外がペットの触れ合い広場になっているのに気付いて、興味津々でそっちに赴く構え。

 僕らにも声が掛けられたが、サミィがそれを許さない。


「動いたらダメ、リン。今、この子の模様覚えているの。家に帰ったら、オーちゃんに知り合いかどうか聞くの!」

「そっか、それは済みませんでした……オーちゃんに見せるのに、携帯で写真撮るのはダメ?」


 駄目と言われて、僕は怖い顔で睨まれてしまった。子供の良し悪しの水準は、本当に良く分からない。叱られた僕は粛々とした気分で、サミィを抱えて佇んでいると。

 向こうもようやくこっちに興味を持って来たのか、鳥類独特のしきりに首を傾げる仕草を始める。それから差し渡しのバーを伝って、僕らの側に近付いて来た。

 サミィがそっと訊ねる。オウム君、あなたはオーちゃんの知り合い?


 奇跡って本当にあるんだなと、僕はその時に確信した。子供のピュアな心と言うのは、意外と簡単にその手の現象を手繰り寄せてしまうのかも知れない。

 そいつは、甲高い声で一度だけ言葉を発したのだ。


 ――オーちゃん元気? と。

 




 バトルロイヤル最終日の、日曜日の夜のイン作業。昼間にあちこち移動したりと、遊び疲れた事もあって。全く気乗りしないのは、まぁ他にも色々と事情があったりする。

 僕の中の本心は、誤魔化しようが無いのも事実。あまりにかけ離れたキャラの戦闘能力の差を、昨日のインで見せつけられて。臆しているのが、実は正直なところ。

 格好悪いったらないが、今まで育てたリンの存在を否定されたような惨めな気分。


 もし仮に《封印》が、僕の手元に『ロックスター』が残っていたらどうだったろう。相手のどんな強力なスキル技も、完璧に封印してしまうかつてのリンの代名詞だったスキル技。

 あいつが壊れてなかったら、まだ作戦の立てようもあった筈なのだけれど。過ぎた事を悔いても仕方ないが、ここまで無力感を感じずにいれただろうに。

 今の僕には、“封印の疾風”の二つ名は重過ぎる。


 そんな事をうじうじ考えていると、もう少しポイント稼ぎに行こうと恵さんから催促のテル。尽藻エリアはカンスト強者ばかり、正直乗り気は全くしなかったけど。

 ギルドの会合は今夜は予定されてなくて、暇なこの身が恨めしい。沙耶ちゃん達は、昨日と同じくブリスランドに陣取って、お祭り騒ぎを楽しむつもりらしく。

 頑張ってねと、欲しくない後押しを貰ってしまった。


 詳しくは話さないけど、僕と恵さんはそこで2戦ほどエントリー。何故か『アミーゴ☆ゴブリンズ』の一員扱いで、ハヤトさんや恵さんはともかく他のメンバーとも親しくなって。

 そのリーダー格のハヤトさんとザキさんも、しっかりと勝ち進んで行ったのは言うまでもない。もちろんアリーゼさんも、今日は巻き返しを図っていたようで。

 そろそろ老舗ギルドの連中も認め始めている、一般のプレーヤーはもっと早くから思っていた事実。ギルド名が轟いているのは伊達ではない、彼らの強さは別格だと。

 そう、僕をとことん落ちこませる程に。


 そんな雲上の人達、クエ早解きを競っているライバルとの共戦関係に、多少の引け目を感じつつ。まぁ、別に徹底抗戦を掲げている訳でも無いし、特に問題は無いのかも。

 ギルドカラーなのか、とにかくメンバーはみんな気さくで良い人ばかり。皆が100年クエの宿敵と言うより、師匠の弟子だと僕を認識しているせいかもだけど。

 とにかく無事に生き残れたのは、そんな協定関係のお蔭が大きい。何しろハヤトさん達強敵との対戦は回避されるし、多対1などの不利なカードは組まれないで済むし。

 それでも老舗のキャラは強かったし、生き残れたのは僥倖だった。


 これ以上は緊張感の糸がヤバい、と言う時に幸いにも立て続けの召集コールが。一つは優実ちゃんの不思議テルで、もう一つは椎名先輩の帰還命令。

 どちらにしろ、これ以上の参戦は資格喪失に直結しそうで怖い。僕は仲良くなったギルドの人達にお暇を告げ、また遊ぼうねの言葉を貰いつつ街間ワープ。

 本当に居心地が良かった、50人の大所帯になるのも分かる気が。


『何やってたのよ、凜君! 私と戦う約束すっぽかして、上級者とやり合ってるなんてっ。今日こそ羽多の仇は、きっちり取らせて貰うわよっ!』

『昨日はギルドの集会やら何やらで、玲の相手が出来なかったからね。うるさく付き纏われるの嫌だったら、さっさと倒しちゃっていいよ、凜君』

『それより凜君、ちょっと一緒に来て! ペット持ってる人がいるの♪』


 沙耶ちゃんの挑発に、舌戦を始めたいつもの二人を放っておき。しきりに僕を急き立てる、優実ちゃんの後に従う僕。ペットを持つキャラも、対人戦の盛り上がりと共に少しずつ増えてきたけど。

 珍しい種類でも発見したのか、いつもよりテンションが異様に高い優実ちゃん。人波をかき分け、街の中心の憩いの場所でキョロキョロしていたと思ったら。

 どこかで見た、浮遊するテルテル坊主のシルエットが。


 言うまでも無く優実ちゃんは、プーちゃんと妖精を出したまま連れ歩いていて。僕も仕方なく、風霊召喚の魔法からスマイルブリンカーを招いてやる。

 ニコニコと笑う少女の風貌に対して、見知らぬキャラの召喚しているそいつは。太い眉毛のしかめっ面顔、怒っているような親父キャラの顔立ちに見えるけど。

 これもお楽しみ袋の景品なのだろうか、並ぶ類似キャラは確かに笑ってしまう。


『あっ、君もこのシリーズ持ってるの?w ってか、使えないよね、コイツw』

『微妙に顔と表情が違いますね、育てていけば強くなるらしいんですけど』


 幸い向こうから話し掛けてきて、僕らは束の間の談笑モード。優実ちゃんもペットの伝道師振りを発揮、愛情を込めてあげればスクスク育ちます的な。

 まるっきりの嘘では無いが、それには根気が必要なのは確かである。精霊石で育成タイプって、確かに珍しいねと談話相手は同意するけど。

 育てるつもりは無いらしく、良かったら譲ってあげるよとの言葉。


 別に欲しくは無かったのだが、優実ちゃんが値段を聞いてしまったので。何となく買わなければならない流れに、そしてお金を出すのは僕の役目らしい。

 値下げ交渉も適当な優実ちゃん、結局は12万ギルで譲渡に同意する持ち主さん。もう少し可愛い子なら、もっと高く売れたのにと残念そうだったり。

 確かにそうだ、おっさん顔のアングリーベア。


 この子の本名は、実は後から占い師に聞いたのだけど。他にも泣いたり笑ったりしてる奴が、存在しているのだろうか。とにかくトレードは成立、良かったねと優実ちゃん。

 満足そうなのは良いけれど、僕に2体も育てろと?


 そんな会話をしている内に、ギャラリーと言うか野次馬が周囲に集まってきて。封印の疾風がいるぞとか、その細剣どこで入手したの? とか、関係ない質問が飛び交う破目に。

 周囲の目に容赦なくさらされる中、ようやく椎名先輩の参戦表明が舞い込んで来た。同時に環奈ちゃんの、熱烈なご一緒しましょうコールも。

 まだ資格を持っているとは、なかなかの熟練度振りかも。


 僕は今から参戦しますのでと、野次馬の群れに断りを入れて。優実ちゃんと一緒に、申込みNPCの元へ移動する。それに釣られて何故かギャラリーも移動、変な雰囲気だ。

 生徒会長に指定されたのは、上から2番目のエリアだった。一番上は参加予定人数は多くてすぐ開始されそうだが、僕らの誰かがあふれてしまう可能性も。

 そう思っての、先輩のエリア選択だったのだろうけれど。幸いそれ程待つことも無く、リンは転移されて暗黒の間へ。いつものポケット品指定から、参戦エリアへ再度の転移。

 さて、戦う予定の椎名先輩の強さは如何に?


 これも結果だけ言うと、決着はつかなかった次第である。って言うより、巡り合う事も儘ならず。ゲームの神様の悪戯は、僕と環奈ちゃんを巻き込んで、とんだカオスを披露してくれた。

 環奈ちゃんに巡り合うまでに、僕は何とか1勝をあげていた。彼女の方は、モンスターを殴って遊んでいたらしい。リンと出会うと嬉しそうに、次の相手を探しましょうと先立って歩き始める。

 毎度のパターンに、大人しく従う僕。そして小高い丘の上に、異様な物体を発見する二人。キャラより大きいそれは、雪だるまか瓢箪のような容姿をしていた。

 モンスターでは有り得ないが、人型に見えなくもない。赤い旗を持っており、一応タゲれる仕様らしい。そうなると環奈ちゃん、押さえ切れない好奇心がウズウズ。

 殴ってみましょうかと、僕に相談して来るのだが。


 コレが何だかも判らないので、正しい対処法も導き出せない僕。恐らく何もせず放っておくのが、一番無難で正しい処置だったのだろうけれども。

 それも後の祭り、環奈ちゃんの斬撃と共に訪れる暗闇。


 バグったのだと気付いたのは、リンが急に消えてしまって暫く後の事。コントローラの操作は無意味、リンどころか環奈ちゃんも風景すら消え去ってしまっている。

 携帯が急に鳴り響いて、僕は内心慌てふためいてしまった。相手は環奈ちゃんで、その内容はリン様バグったので再ログインしたら、エリアじゃなく街中でしたとの供述。

 GMコールした方がいいでしょうかと、珍しく彼女も慌てている感じ。お姉ちゃんも玲ちゃんに電話して、リン様の消失とエリアのバグを知らせている最中だとか。

 確かに暗い画面を眺めていても仕方ない、僕はお願いと返事して再ログイン作業。


 僕も同じく、エリアじゃなく街中に放出されてしまった。時間はまだ、半分以上残ってたのに。不幸中の幸いと言うか、チケットは戻っては来ていたけど。

 さっき稼いだポイントは、果たして加算されただろうか。

 

 それにしても、妙な目に遭ってしまったものだ。そう言えば、限定イベントもバグで延長との理由だった気が。安定していないエリアを開放して、文句を言われても仕方あるまいに。

 エリアを勝ち残った椎名先輩に、何故か僕も文句を言われたけど。原因は自分にはないのに、不本意な叱責だと思う。環奈ちゃんも、どうやらGMへの説明は終わった様子。

 次いで僕も、同じく事情を話し終えて。


 こんな予期しない事態、緊迫した対戦熱がどこかに吹き飛んでしまった。椎名先輩も、これ以上の参戦企画を立てるべきか悩んでいる様子で。

 妹分の環奈ちゃん達中学生を集めて、別の事して遊ぼうかと話し合っている最中らしい。


 前にも一緒に遊んだ獣人集落攻めが、今の所一番人気の様子。あれはごちゃごちゃしていて大変だけど、楽しいし何よりミッションPが入手出来るし。

 先生や沙耶ちゃん達も、行くなら用意するねと乗り気な様子。この間集ったギルド連中も、準備にそわそわし始める。それに待ったを掛けたのが、環奈ちゃんの何気ない提案。

 まだ資格のある人募って、封印されてる魔人を倒してみたいと。


 その魔人の存在を知らなかったのは、実は椎名先輩を含めて大半だったみたい。まぁ、鎖付きのゴーレムを見ても、普通は無視する人がほとんどだろう。

 ひょっとしたらポイントの他にも、凄いアイテム落とすかもと環奈ちゃん。殴ってみた印象だと相当強かったですよねと、僕にまで話を振って来て。

 じゃあ30分だけ付き合いましょうと、意外に乗り気な椎名先輩。


 街中シャウトで、何と対戦無しのエリア参戦を募ったのも彼女の仕事で。つまりは、封印魔人を倒す目的のキャラのみ、そんな条件で参戦を募ったのである。

 そんな無茶振りを通すカリスマと言うか、恐れ入る指揮振りだ。


 もっとも、大半以上はさっさと身内で固めていたので、そんなに混乱は無かったみたい。僕も否応無しに巻き込まれ、ゴーレムの場所を皆に教える役目を担った。

 盾役は自分がするよと、まだ資格を持っていた相部先輩。こういう参加なら楽しめるかもと、沙耶ちゃん達もインしてみようかと相談していたみたいだったが。

 生徒会長の人気が上回ったのか、あっという間に制限人数に達した様子。



 エリアインしてからの30分は、文字通りにお祭り騒ぎだった。魔人戦は滞りなく開始され、せっかく盾役がいると言うのに、大技の連発でタゲを取るアタッカー陣。

 その割には回復役がいないので、戦線はあっという間に総崩れ一歩手前のカオス状態。烏合の衆の恐ろしさを、はっきりと思い知らされた一幕だった。

 苦労して戦況を立て直せたのは、まさに生徒会の面目躍如だったのかも。

 

 リーダーシップと言う言葉は、普段の学生生活でも耳にするけれど。学級行事やクラブ活動、友達と少人数での遊びですら指針役がいないと締まらない。

 ところがこのリーダーと言う役目、当然ながら自ら苦労を背負い込む立場でありながら。資質を問われたり反発する奴も出て来たりとか、率いる集団がダメダメ過ぎてやってられなかったりとか、本当に引き受けるに値する役どころなのか分からなかったりするのだ。

 僕は断然、サポート役の方が居心地がいい。今のギルドなんか、そういう意味では最高のポジションかも。他のメンバーも、多分現状に満足しているハズ。

 ちょっとだけ頼りないリーダーだが、その分仲間意識は強固だからね。


 今回は、その仲間意識が無い分、初っ端から危ない場面が訪れてしまったけれど。生徒会のメンバーが、タゲを取り返しつつ皆に指示を飛ばす。

 パーティが組めないので、指示と言っても完璧に行き渡らないのが辛いけれど。何とか相部先輩ともう一人の盾役さんが、敵の注意を掻っ攫って行くのに成功する。

 その間に、椎名生徒会長がアタッカーに回復を指示。


 僕は戦況が定まるまで、離れて見学を決め込んでいたのだけれど。ようやく統制の取れて来た即席魔人狩人集団に、希望を感じ取って発言をする。

 その僕の隣には、いつの間にか環奈ちゃんも。


『そろそろ安定して来たみたいですね。ソロで連携スキル撃ち込むので、弱体持ってる方はリズム合わせて撃ち込みお願いします。これでもっと、有利になる筈』

『お願いね、リン君。あとは……スタン技持ってる人、協力してどの技潰すか話し合って決めて頂戴。アタッカー陣は、今回に限っては回復飛ばないので注意してね。飽くまで個人戦仕様なのを、忘れないように。』

『そうですねっ、みんな死なないように気を付けて、あの大きい敵ぶっ倒しましょう!』


 環奈ちゃんの檄飛ばしに、バラバラながら全方向から返事が。ひょっとしてズルをして、弱った味方を狙う不届き者が出現するかもと、僕は心配していたのだけれど。

 この調子なら、そんな事態など起きそうに無い感じ。不思議とこのカンスト前のレベル帯のプレーヤー達は、大人しいと言うか行儀の良い性格の人が多い気がする。

 集団に対する犠牲精神が強いと言うか、個を徒に強調し過ぎないキャラが目立つ。ひょっとして、師匠が心配していたマニュアルによる没個性化なのかも知れないが。

 ユニークな発想のキャラや思考が少ないのは、ちょっと残念だと思う。


 とにかく戦況は、生徒会長の舵取りも手伝って安定を取り戻す。《連携》を放ち終えた僕は、スタンを頑張ったり盾役さんや環奈ちゃんに回復を飛ばしたり。

 敵の巨大魔人は、さすがにその外見通りに強くてタフだった。10人以上の集団攻撃に怯みもせず、重そうな黒色大剣の一撃で反撃をして来る。

 範囲技も数多く揃っているようで、僕らスタン要員は全く楽をさせて貰えない。正直、盾役も2人いて助かったと言うべきか。HP半減からの反撃で、とうとうこちらにも被害が出始める始末。

 さらに手下の召喚に、大慌てのアタッカー陣。


 見初められた両手持ちアタッカーの一人が、強烈な連撃で倒されてしまった。ずんぐりした容姿の黒い肌の化け物、魔人の召使いと呼ばれる厄介な種族だ。

 僕はどうするべきかと暫し逡巡、盾役キャラの2人は動こうにも動けない状況だ。その上椎名先輩は、指揮役にぜひともボス討伐側に必要な存在である。

 それならば、僕はせめて縁の下の力持ちを貫こう。


 迎撃に飛び出して驚いたのは、もう一人同じ考えのキャラがいた事。そいつは光種族の前衛戦士で、名前の欄にはミッキーと書かれていた。

 さらに驚いた事に、そのキャラは何と両手にナックルを装備していた。ファンスカでは珍しい格闘家だ、希少度では短槍使いや召喚士に勝るとも劣らない。


 今のファンタジーゲームでは珍しくない、この格闘家と言う職業。実を言えば、ファンスカの初期には見当たらなかったのだ。ユーザーの熱い要望なのかは知らないが、ひょっこり出て来たのは例のジョブシステムの追加の際らしく。

 『変幻ジョブ』を伸ばして行けば、短剣スキルを格闘スキルに変換してくれるレアスキルを取得可能みたいだ。僕は見た事は無いので、眉唾だと思っていたのだが。

 使ってるキャラを見た時には、素直に感動してしまった。


 話によると、その《武道家魂》と言うレアスキル。獲得率も低い上、さらに短剣スキルを伸ばし続けるキャラの少なさが、格闘家を希少足らしめているとか。

 短剣は攻撃速度の速さと、武器に付加される毒とかスタンとか、そう言ったユニーク武器の多さが長所なのだけれど。逆に、ダメージの低さや間合いの融通の利かなさ、さらにはスキル技にすら大ダメージを望めない攻撃力の低さなどが短所に挙げられる。

 僕も使っていた時には、多少イライラさせられたものだ。間違っても、短剣の二刀流など装備したくはない。パーティ戦のスタン要員ならアリだが、ソロだと茨の道には違いないだろう。

 敵を倒し切るのに、とにかく時間が掛かり過ぎるのだ。


 スタン技なら、変幻ジョブからの取得も可能になっているし、最近は根強い人気に陰りが見えて来ているという話だ。僕の始めた頃には、パーティで役に立つ上位武器だったと言うのに。

 そんな訳で、短剣⇒格闘家へのシフト資格所有者自体が、段々と少なくなって来ているのかも知れない。実際、この格闘スキルの使い心地はと言えば。

 直に見てみるに、その回転速度の速い事速い事。


 さすが短剣の上位スキル(?)だけはある、敵に触れる位ぴったり近付いて、嵐のような連撃を加えている。SPの貯まりも速いのか、聞き慣れないスキル技がポンポン出て来る。

 ちょっと楽しそうなその戦闘風景、仕舞いには蹴りまで放つその格闘キャラ。見てるだけで楽しくなってくる、もっと流行れば良いのにと心から思ってしまうけど。

 僕もうかうかしていられない、強化を掛け直して同じく削り参戦。


 役割分担も曖昧なまま、位置取りだけは互いに主張し合って。格闘家のミッキーは、ブルファイターなのにステップ防御は苦手の様子。ただし、相手の攻撃にかぶせるように、何度もカウンターのパンチがオートで炸裂している。

 傍目で見ていても、削る能力は大したモノ。僕はサポートに徹する事にして、スタン技や時折の回復支援に心を配る。相手の能力も侮れない、時折やって来る呪い散布は、是が非でも阻止しなければ。

 そんな感じで戦局は進んで行き、魔人の従者の体力は順調に半減。ハイパー化と突然の範囲攻撃には、2人掛かりでも押さえ込むのは梃子摺りそう。

 泣き言は言ってられない、向こうの本陣もかなり苦しい戦局みたいだし。


 いつの間にか魔人の召使いは、黒い光球を2つ召喚していた。召喚主の周囲を飛び回り、ガードに廻ったり色々と小細工をして来る。厄介なのは、喰い付かれてSPやMPを吸われる事。

 黒い大剣の魔人も、体力の半減に伴って徐々にその本性を露わにして来る。2人の盾役は何度もピンチに、モーション無しの範囲技でアタッカー陣にも侮れない被害が。

 ポケット制限のお陰で、薬品不足の慣れない戦いは続く。


 リンの《ヘキサストライク》は、闇系統の敵にはすこぶる良く効く複合スキルだ。うっかりタゲを取ってしまっても、幻影防御とステップで何とでもなるし。

 闇の光球もようやくの事消滅に追い込んで、こちらも追い込みに拍車が掛かる。ミッキーにもスタン技が揃ってるみたいで、敵の特殊技は程よい阻止具合。

 そんな感じで、大きな事故も無く召使いは没。


 ポイントが20も入ったのに、軽い恍惚感を感じつつ。これは魔人にも期待が出来そう、そう思って張り付いたものの、前衛の数はいつの間にか半分程に減っていた。

 戦況を確認するに、魔人もオートの反撃手段を発動させたらしい。蜥蜴のように長い尻尾の先が3つに分かれ、攻撃を行う者にカウンターで反撃を放っている。

 これに苦しめられて、防御を持たないアタッカーから抹殺されていったようだ。


 相手のHPも残り少ない、既に2度目のハイパー化も過ぎたようだ。味方の数の少なさも、それに起因しているのだろうか。時間を見れば、不味い事に残り5分だ。

 この残された人数で、5分でこの強敵を仕留めなければならない。魔人も弱っているとは言え、かなり際どい気がする。僕も攻撃モードにシフト、反撃の尻尾は幻影で誤魔化して。

 《獣化》を掛けての、必死の追い込み作業。


 気が付いたら、隣に環奈ちゃんと椎名先輩の姿が。先輩は何か叫んでいたが、流れるログに紛れて聞き取る事が出来ない。みんな必死の追い込みの中、とうとう盾役の相部先輩が、巨大な黒い大剣に貫かれてご臨終の破目に。

 魔人の咆哮に、味方全員が即時スタン。もう片方の盾役も、更なる斬撃に晒されて超ピンチ。遅過ぎた回復を飛ばしたいが、タゲの確保に手間取ってしまう。

 何しろ繰り返すが、ここにいる皆はパーティを組めていないのだ。


 焦りまくるリンのすぐ側で、しかし大きな物体の倒れる気配が。あれっと思って確認すると、いつの間にやら魔人の体力が0に減じていたっぽい。

 盾役の死で、物凄く気が動転していたようだ。その場はハイになった生き残りキャラが、やんやの大騒ぎに興じていて。まぁ勝てて良かったと、僕は安堵の方が大きかったけれど。

 終始指揮を取っていた椎名先輩も、さぞ安心しただろう。


 ここにいるメンバーは、二桁に達しない程度までに減っていたとは言え。ご褒美に貰えたポイントは、何と50ポイント! さらに召使いの呼び鈴とか特効ポーション、闇系の素材などが報酬スロットに入って来て。

 勝利の余韻に浸る間もなく、30分制限の時間切れが迫って来たようだ。先輩のお疲れ様のログに押されるように、画面は暗転。エリアチェンジから熱闘の終結を知らせて来る。

 僕は暫し、コントローラーを手放して寛いでみる。


 街中の喧騒は、あの熱戦の後から考えると別次元に感じてしまう。まったりしていると、沙耶ちゃんにすかさずパーティに誘われた。いつものメンバーに、心の中に安堵感が広がる。

 簡単に今あった事を報告しながら、のんびり会話を楽しんでいると。昨日のメンバーが再集合して来て、残り時間を何に使おうかと相談を始める。

 さっきは人数制限があったので、今回は全員参加出来るモノを選ぶとして。先輩のギルドと環奈ちゃんのギルドのメンバー達が、続々と集合して来ている。

 僕としては、もう少し寛いでいたかったのだが。


 結局昨日と同じ、獣人集落でミッションP稼ぎをする事に決定した様子だ。その準備とかパーティ結成が、あちこちで混乱しながら行なわれて行く。

 みんな元気だなぁと感心しつつも、その輪に入っていられる事を素直に喜びながら。対人戦の最終日なのに、この拘りの無さに改めて感心してしまう。

 個人戦よりも、皆で参加出来る方がやっぱり楽しいのには違いないのだろう。それは僕も同じ事、もっとポイントを稼ぎたいとは、間違っても思ったりしない。

 ――この夜最後の騒ぎに、加わる気満々の僕だった。





 昨日までの3日間は、実質ギルドでの活動は行われていなかったのだが。突発的な先生のひらめきで、館の開かずの扉奥の迷宮をクリアした以外は。

 散々苦しめられた、石化能力持ちのバジリクスとの戦闘。その退治報酬はと言うと、土属性関連のドロップ品各種に、素材やらクエスト関連の品物やら色々。

 領主の館にメンバー全員集合して、まずはこれらの分配など。


 のんびりメンバー水入らずな集合は、何だか久々な気も。今夜はやっぱり財宝に挑戦かなと、皆の意欲は高かったりする。冒険者の心の金銭に……もとい、琴線に触れる言葉“財宝”。

 そのルートも、里の族長によって示されている。


 『財宝の地図の欠片』は、全部で2つあるらしい。もう片方は針千本の里が所有していて、力を示せば譲ってくれるとの事。ネコ族の集落でもあった、お決まりのパターンだけど。

 話が早いし、戦闘無しもつまらない。いや、前みたいな謎解きに持ち込まれる方が厄介だし。それぞれが準備に追われる中、僕は確定した前回の冒険の報酬と薬品を皆に配って行く。

 まぁ、この分配が決まるまで紛糾したけれど。


 まずは依頼主と言う事で、一番の資格を持っている神田さん。ひたすら遠慮していたけど、何とか土の宝珠の譲渡で話はついた。次に削りで身を挺しての活躍をした沙耶ちゃん。金銭的には宝珠より価値がある『複合技の書・弓矢』を貰う事に決定。

 次はプーちゃんの機転が光った、優実ちゃんの番。彼女は剣術指南書の一点狙い、と言うか他は良いからコレ頂戴とのおねだりモードを発動。

 そんな訳で、余り物の素材系は僕と先生の活躍出来なかった組で分配の運びに。


 ようやくカバンに余裕が出来た、薬品類を使い易い場所に整頓しつつ。見慣れない大ボトルが目に入って、暫し脳内検索で思い出しに掛かる。

 そうだった、これは例の50万レシピの秘薬だった。てっきり1本で一人分だと思ってたのだが、モグラ獣人の言う通りに合成したら、大ボトルが出来上がってしまったのだ。

 これで12回分、パーティで回し飲みしろとの事らしい。


 そんなに通う予定は無いのだが、少なくとも2回分には不自由しない量はある。それともこの量に、何らかの意味があるのだろうか? 例えばそう…………あれ、レシピを売ったモグラ獣人、アイツは何て言っていたっけ?

 この洞窟に住む種族連中は、相手の存在を目ではなく音と匂いで感知する。その音と匂いを、この秘薬は眩ませる事が出来るらしいのだが。

 つまり……薬の効果は他の種族にも及ぶ!?


『……ああっ、だから最初から1ダースだったのかも!』

『ナニナニ、どうしたのリン君?』

『地下ダンジョンの大リンクの罠、あれの突破方法が分かったかも!』


 おおっとどよめく一同、それならそっちも行こうかと盛り上がるメンバー達。時間的に両方トライは微妙だが、僕の推論が正しいかどうか試してみたい所。

 議論の結果、まずは針千本族の里の力較べ⇒地下20年ダンジョン⇒財宝の迷宮の順番で取り組む事に。時間が不味くなったら、途中で取り止めは仕方ない。

 社会人組は明日も仕事だし、優実ちゃんは寝落ちの達人だし。


 そんな訳で、まずは里でのクエ進行。おっと、言い忘れていたけれど、バジリクス退治で領主の館にも思わぬ報酬が。長年の石化から開放された執事さん、彼が館就きになってくれたのだ。

 執事の就任と共に、領主の館のアイテム保管庫が使えるようになったのは大きい。どのネットゲームもそうだが、たいていアイテム品は膨大な数にのぼる。

 キャラの所有上限数は限られていて、それ故に慢性的なスペース不足に悩まされる。僕ら合成師なんか、特にそう。栽培師も同じく、狩りをしていてもドロップ品はカバンを圧迫するし。

 その解消は大いに助かる、段々と館も便利になって嬉しい限り。


 膨大なミッションPを支払っただけの価値はある、もっとも払ったのはホスタさんだけど。保管庫の数はたくさんあったので、僕らは割と好きに使わせて貰っている。

 館の地下にある里やらダンジョンやらで、さらに館専用の品物が出てくれると良いけど。そんな期待もしながらの、レッドニードルと対面を果たす。

 クエストは順調に進んで行き、里の族長は準備が出来たら再度話し掛けるようにとの指示。これは本人と戦うパターンかなと、多少怯えの声も混じりつつ。

 それでも倒せば、お宝ゲットだぜと変なテンションで戦いの場へ。


 フィールドへの転送は予想していたが、そこは迷宮の奥の広場に酷似していた。違うのは広さと、その色合いだろうか。地面は赤い土が敷かれており、壁には緑の蔦がびっしり。

 壁の岩肌は、黒味がかった光沢のある色合いで。天井には光り苔がびっしり、割と派手なフィールドだ。そして目の前には、当然の如くレッドニードルが居座って。

 数合わせなのか、小柄な針千本族が2名、憎っきモグラ獣人も2名いる。


 幸い戦場の広さが充分なため、敵の軍団はまだ反応していない。シメタとばかりに強化に走るメンバーの面々、族長の強さは確かだろうし、余計な敵も多過ぎる。

 前もっての準備くらい、あって当然だろう。


『作戦はどうしようか、今回は敵が多過ぎるよね……今回は一応広いエリアだし、マラソンキープも可能かなぁ?』

『雑魚から倒したいですよね、でもボス族長のマラソンは辛いですかね?』

『モグラ族には、何回も地下で通行税を取られてて腹が立つよね! アイツからやっつけよう!』

 

 個人的な感情はさておき、問題は誰がマラソン役を行うかだ。雑魚から倒すとして、キープ役は先生とプーちゃんで2匹がベスト。つまりは3匹相手に、数分以上の引き離しが必須条件だ。

 殴られたら即終了の後衛組は、マラソン役には不向きである。先生がキープ役に回る方が、アタッカー陣は安心して削りに貢献出来る。

 つまりは、適任は僕かホスタさんに絞られる訳だ。


 体力はホスタさんが上だが、リンには幻影技や足止め魔法がある。マラソン役など余りやった事は無いが、それは神田さんにしても同じだろう。

 僕は3匹ならと立候補して、雑魚の退治はなるべく早くねとお願いする。優実ちゃんはプーちゃんで1匹キープを了承し、余裕があったらリン君にも回復挙げるねとのコメント。

 タゲがぶれる可能性があるので、その提案は丁寧にお断りする僕。


『ふわぁっ、回復もダメなのかぁ……孤独なマラソンランナー、24時間?』

『そんなに走らせたら、凜君が凄く可愛そうだよw せめて2時間くらい?w』

『5分で終わらせて下さい……緊張するなぁ、失敗したらゴメン』


 僕のこの緊張は、任務失敗がパーティ壊滅に高確率で結びつくからだろう。それが分かっているから、尚更ミスは許されない。お互いに動きを打ち合わせ、いざ族長との果たし合い開始。

 まずは《幻惑の舞い》を掛けたリンが、単独敵に突っ込んで行ってのタゲ取り。反応した所に、範囲攻撃の《爆千本》を放ってタゲ固定を強固にしてやる。

 ダッシュしたリンを、怒れる敵の群れが追尾する。


 慣れた感じで、先生がその内から1匹引っこ抜く。誤算だったのはプーちゃんの方で、走り回る敵のタゲをなかなか取れないでいる有様。

 あれぇ、と言う感じの優実ちゃん。しまった、いきなりスキル技なんか撃ち込むんじゃなかった。プーちゃんには挑発系のスキル技は無いし、殴って敵対心を上げるしかないのだ。

 今は先頭を走る僕を追う敵の面々、その後にプーちゃんが続く変な構図。


 焦れた沙耶ちゃんが、助っ人にと雪之丈を向かわせてくれたのは良いのだが。やっぱり追跡者が増えただけ、賑やかな共演者のマラソン行進は続く。

 僕は既に割と必死な精神状況、追い付かれたらフルボッコなのだから当然だ。逆の精神状態の沙耶ちゃんは、思い通りにならない展開にとうとうブチ切れた様子。

 《アイスコフィン》が炸裂して、氷漬けになるモグラ獣人。


 片割れのモグラ獣人は、いい感じに弱っている様子。役目を果たせなかったペット達、今度は小柄な針千本を追いかけ始める。どうでも良いが、邪魔だけはしないで欲しい。

 そう思った途端、不測の事態が起こるのはどういう運命の悪戯か。立ち止まって魔法詠唱を開始する、族長レッドニードル。恐らく土系統だろう、潰すべきかと一瞬迷うも。

 雑魚の針千本2体に、意外に距離を縮められている。止まると不味いと思った瞬間、族長の魔法は完成していた。地面から生える岩の槍に、串刺しになるリン。

 大ダメージと共に、何と移動スピード制限のバットステータスが。


 追い付かれた敵達に、あっという間に剥ぎ取られるリンの幻影術。慌てずに僕は《ソニックウォール》の魔法で応戦、音波の壁で方向を見失うチビ千本達。

 片方から《ディープタッチ》でHPを回復、ついでにSPを奪って再度《幻惑の舞い》を張り直す。族長の乱入に備えつつ、ダメ元で《ダークローズ》を飛ばしてみる。

 魔法は案の定のレジ、殴り掛かって来るボス族長。


 ステップの切れはすこぶる悪いが、回復までは仕方が無い。不幸中の幸い、ペット達がようやく雑魚の1匹のタゲを取ってくれた。スタン技を上手に使って、ペットにステップを邪魔されないようにその場を離れつつ。

 リン君平気と、声が掛かったのは丁度その時。ポーションを使って、リンの体力は7割まで回復している。向こうも雑魚モグラを片付けて、2匹目を引っこ抜く算段のよう。

 氷漬けの奴は、この際無視し続ける事にしたらしい。纏わりつく雑魚の針千本族を、先生は次のタゲに指定して。いつの間にか、僕は族長と1対1の状況に。

 有り難い、これなら余裕でキープ出来る。


 そこから流れはパーティに傾いたようで、変な危機的状況はやって来ず。氷の棺も、相手の弱点属性のせいか超長持ち。こんな事なら、全員氷漬けにしてやるんだったと沙耶ちゃんの発言。

 そう上手くは行かなかっただろうが、もし可能だったら僕の面目丸潰れだ。


 とにかく順調に雑魚は数を減らして行き、気付けば族長を残すのみに。タゲの交代も何とかスムーズに、財宝の地図奪取に力を合わせるメンバー達。

 モロ土属性の族長は、防御も固くて体力も有り余るほど。おまけに体力半減からのハイパー化で、棘防御がツンツン来る羽目に。こちらが殴る度、反撃効果のダメージは痛過ぎる。

 さらに今まで隠していた、爆裂千本と言う超範囲技が。


 思いっ切り喰らってしまった前衛陣、僕の持っている《爆千本》の上位技らしく、防御力無視の凶悪スキルらしい。盾役の先生も、大ダメージを浴びて酷い目に。

 すかさず《範囲回復》を飛ばして、立て直りを図るのは流石だが。


 今回も、メインの削り屋は氷種族の沙耶ちゃんだった。それは大ボスを倒し終えるまで変わらず、文句の無い連続MVP振り。族長の奮闘も、後半は尻すぼみに。

 レッドニードルの戦法である、影縫いからの魔法攻撃をきっちり潰せたのが大きかった。影縫いは範囲スタン技で、前衛は詠唱中断に動けなかったのだが。

 ここでも、後衛の沙耶ちゃんの活躍が。最近覚えた《魔封じ弾》は、威力は低いが詠唱阻止の効果があるのだ。最初の素通しの後大騒ぎして、このスキル技の使い方を理解した彼女。

 一旦飲み込めば、沙耶ちゃんはこんな小技の利かせ方も上手い。


 ネコ族の集落と同様、大ボス族長の体力が2割の時点で戦闘は強制終了の運びに。無理やりな転移で、一同は元の族長の洞窟部屋に通されて。

 良くやったとのお褒めの言葉、力は示されて次は財宝の番人との交渉次第との言葉を貰い。もちろん、その交渉のやり方は……聞かずとも分かる、倒せば良いのだ。

 もっとも、我のようには簡単には行かないだろうと族長さん。


 財宝の番人……確かに手強そうだと、パーティは少し緊張気味。それより報酬にと、ちょっと変わった物を貰えた。針千本族のキャラを象ったオブジェで、館に設置出来るらしい。

 置き物は良いとして、メインの地図の欠片を貰えたのは何より。ようやく揃った財宝への手掛かり、使い方は迷宮の前で地図を広げるだけとの事。

 これで迷わず、財宝の眠る場所に辿り着ける訳だ。



 

 予定なら、この後20年ダンジョンの突破を試みる事になっている。時間もまだ1時間ちょっとあるが、2つもこなす程は残っていない。皆にお伺いを立ててみたが、予定通りで問題ナシらしく。

 薬品をしこたま持って、例の秘薬も忘れずにいざ出陣。


『あっ、透明薬作ってくれたんだっけ? これで通行税払わずに、この砦を素通り出来るんだ』

『うん、トレードで渡すからみんなで回し飲みしてね。取り敢えず、全員で向かい岸の扉前まで行こうか』

『オッケー、何とかみんなで奥まで辿り着こう!』


 稲沢先生のハッパ掛けに、盛り上がりを見せる面々。敵の大集団の間まで、吊り橋を渡って順調に進む。2度も苦渋を飲まされた、何とも嫌な仕掛けの部屋だ。

 ここを力任せに通り抜けようと思ったのが、そもそも過ちの始まり。駄目なら駄目で、はなから無視してしまえば良いのだ。そう、その為のアイテムを僕は今持っている。

 僕は皆に、もう一度秘薬の使用を指示。


 ……の前に、実際はリンで効果を試してみた訳だが。推理はズバリ大当たり、部屋に入っても敵の集団はまるで無反応の結果に。秘薬の持続時間は30秒、これなら余裕で通り抜け可能だ。

 この結果を受けて、メンバー全員感心する事仕切り。


 まぁ、2度も全滅したりと色々あったが、それ以上の被害が出ずに済んで何よりだ。初めて目にする迷宮の奥は、攻略済みの隣よりは大き目の洞窟仕様。

 次の間も、一応部屋のような作りになっていて。当然の如く、散らばって存在するアリ獣人と有角族の戦士たち。薬の効果が切れ始めて、適当な場所を探す一同。

 やばい、変な場所で襲われると大変な目に遭いそう。


 この結果も込みの、実は30秒の効果時間だったのかも。ログがあと10秒で切れますと、僕らを仕切りに急かして来るけれど。敵の巡回の死角は、見つける事が出来ず。

 なし崩し的に始まった、辺鄙な場所での殴り合い。後衛の沙耶ちゃん達も、他の敵に感知されないように、ぎゅうぎゅう詰めの状態での戦闘となって。

 寄って来た敵は3体、これ位なら何とか凌げそう。


 それはそうだ、前の部屋の大リンクよりは全然マシな結果である。沙耶ちゃんの《アイスコフィン》が決まって、アリ獣人の1体は一時的に完全無効化出来た。後の2匹は、先生とプーちゃんがキープしている。

 何せこの状況では、ステップ防御など出来やしない。


 混乱を過ぎると、自然に幾分かの余裕も生まれ。絡んで来た敵の群れも撃破して、難所を突破出来た嬉しさがじわじわと込み上げて来た。こちらの迷宮は、どうやら分岐が存在するようで。この部屋からの通路が、何本か見て取れる。

 どれから先に進もうかと、しばし探索手順に悩む一行だったが。どうせ全部調べる訳だし、敵の群れの少なそうな近場からと言う話で決定。

 バク先生を先頭に、迷宮の攻略がスタート。


 調べて回るうちに、各通路の突き当りは大抵地下牢になっている事が判明した。牢屋の中には人間が囚われていて、看守と言うか見張りが必ず何匹かいる。

 そいつは有角族だったり浮遊インプだったり、果ては魔人だったりと様々なキャスティング振り。まぁでも、倒さないと救出不可能なのは、どこも全く同じ理屈のようだ。

 こうなれば、張り切って武器を振るいに掛かる一同。人助けなのだ、正義は我にあり。さらに助け出された囚人達は、職業が鍛冶屋だったり薬剤師だったり。

 助けると礼を言って、以後館に常駐してくれると言って来る。


 大盛り上がりの一行、領主の館の価値がまた跳ね上がる訳だ。街にワープせずとも、館内で修理やアイテムの買い足しが出来るようになったのだから。

 こうなれば、全員助けるぞと意気の上がる一行。片っ端から分岐を調べ、看守の群れを倒して行く。どんどん調べて行く内に、鍵付きの通路を一つ発見。

 多分これが本命の道、これを開ける鍵はどこに?


『あれっ、広間から行ける通路は、全部調べたんじゃなかったっけ?』

『この通路の、もう一方の分岐がまだなハズかな。それ以外は、多分全部調べてる』

『そっか、じゃあそこで鍵が見付からないと駄目なんだ。よしっ、頑張って行こうっ!』


 いい感じに持続する緊張感、集中力は途切れる事無く探索は続く。恐らく最後の通路の突き当たり、他の場所と違う雰囲気に警戒心が刺激される。

 看守らしき姿は皆無、そして牢の檻は開いたまんま。


 いかにも怪しい、罠を匂わすシチュエーションだが。薄暗い牢屋の中にも、動く生き物の気配は無い。用心しながら、先生を先頭に割と広い室内に入って行く。

 不衛生な印象の牢の中は、幾ばくかの家具が備え付けられていた。逆にその存在が不釣り合いに感じるが、その広さも他の牢屋と違う点だろうか。

 全員で入っても、戦えるだけのスペースがある。


 これって戦闘ありきで考えるべしと、さらに警戒心を強める一行。怪しいのは、目に入る限り2点。端に置いてある宝箱と、粗末なテーブルセットの椅子に腰掛ける人形。

 人形は木彫りで、髪の毛は栗色の毛玉で出来ていた。白いシャツに、深緑色のベストと半ズボン、その表情は俯いていてよく判別がつかない。

 宝箱を開けるには、そいつの側を通り抜ける必要があるのだが。クリック出来ないので、こちらからのアクションは、今は全く受け付けない存在である。

 動くとしたら、宝箱を開けた瞬間だろう。


 それを前提に、短い作戦会議が行われ。まず近付くのは、僕と先生の前衛ペア。ホスタさんは状況を見てから突っ込む、それまでは後衛の護衛役。

 沙耶ちゃん達は、部屋の隅で巻き込まれないよう見守っている。人形系は厄介な敵なので、とにかく後手に回らない事。特に呪いの対処は迅速に!

 優実ちゃんの解呪魔法と、持っている人は聖水をポケットに用意。


 ここまできっちり説明を終えて、僕と先生は宝箱の前にスタン張る。開けるのは僕の役目で、バク先生は最初から人形と対面して準備万端の構え。

 開けるよと掛け声をかけて、僕は宝箱をクリックする。その途端、予想外の出来事が僕に向かって炸裂した。ミミックの噛み付き攻撃に、大きくHPを奪われるリン。

 不意を突かれて、パーティは大慌て。


 しまったと思った時には既に遅い、天井に取り付けてあった鐘が酷い音を立てて鳴り始め。それに呼応するように、牢屋の外からインプの集団が押し寄せて来る。

 牢屋の唯一の出入り口は、何と後衛陣が位置取っていた場所。悲鳴と怒号が交差する中、ペットへの命令とホスタさんの《デスチャージ》が炸裂する。

 短縮移動付きスキル技で、見事出入り口に蓋をするホスタさん。


 出遅れたサブ盾役のプーちゃんはともかく、先生はどっちに廻ろうかと迷っている様子。コッチは大丈夫ですからと、ギルド会話ではったりをかます僕。

 ミミックを始めとするイミテーター種族は、硬くて実は苦手なんだけどね。


 それでもインプの群れの奥に、ゴーストの集団まで発見してしまったからには。こちらに数を割けないのは道理、先生にはみんなの盾役になって貰わないと。

 インプは1匹だけ中ボス級で、後は雑魚ばかりの様子だ。恐らくゴーストもそうなのだろう、僕はミミックの相手が忙しくて後ろまでは窺えないけれど。

 硬い敵には、実は細剣スキル技の《光糸闇鞠》が凄く良く効く。何故かは分からないが、MPを吸い取らなくなる分、ダメージが大きく跳ね上がるのだ。

 ただし、ミミックの大きな口のお蔭で、僕のステップ防御はてんで役に立たず。


 普通なら避けている筈の攻撃も、当たり判定なのが始末が悪い。たまに飛んで来る魔法も、なかなか潰せずイライラは溜まる一方。時たま沙耶ちゃんの魔法が飛んで来て、敵のHPをごっそり削ったり、リンを回復してくれるので助かっているけど。

 どうやら後衛で役割を分担したようで、優実ちゃんは出入り口メンバーの支援につきっきりの様子だ。今は先生が、中級インプをがっちり確保に成功したらしい。

 雑魚ゴーストに限っては、ホスタさんの《炎のブレス》や優実ちゃんの光魔法で焼き尽くす作戦らしく。プーちゃんと雪之丈は、他のインプの相手で手一杯。

 狭い出入り口を巡って、熾烈な攻防が繰り広げられている。


 早くそちらを手伝いたい僕だが、相手はようやくHP半減からのハイパーモードを披露した所。スタンも通らなくなるし、リンの被害は酷くなる一方だ。

 沙耶ちゃんが癇癪を起す前に、何とかこの酷い状況を好転させたいのだが。その前に僕自身が完全に封じられてしまう、ミミックの大技が炸裂する運びに。

 《宝箱還元》と言う技で、何と宝箱に変えられてしまった僕!


『ええええっ、リン君どこ行ったっ!? ひょ、ひょっとして、その宝箱の中身?』

『わあっ、文字通り手も足も出ないっ……マズイっ、沙耶ちゃんにタゲが向いてるっ!』


 宝箱になったリンは、ご覧の通り戦闘能力も無くなってしまって。当然の如くミミックに無視されて、彼が新たに標的に指名したのは、後衛の沙耶ちゃんその人。

 コイツの弱点と言うか盲点は、実は移動が全く出来ない事なのだけれど。魔法はバッチリ使えるし、嫌な特殊能力の《引き寄せ》と言う技もよく使って来る。

 今回ミミックが選択したのは、その嫌な技の方だったみたい。


 急に前線に引っ張られた沙耶ちゃんは、いきなり殴られて大パニック。……と思いきや、どうやら氷防御魔法は、ばっちり前もって掛けてあったらしい。

 さらに重ねて《アイスウォール》を築き上げた彼女。氷の防御壁越しに、爛々とその冷ややかな眼光が敵を射抜く。リン君の仇と勇ましく、怒涛の攻めに討って出る彼女。

 いやあの、僕まだ死んでないんだけど……。


 沙耶ちゃんの得意攻撃魔法のオンパレードに、魔法耐性の低いミミックは堪らない様子。さらに僕を宝箱に変える呪いで、ミミックは自身のHPを結構消費していた様子で。

 矢継ぎ早の魔法ダメージに、ずんずんと体力を減らして行って。反撃もほとんど儘ならないまま、とうとうそのままお亡くなりに。まるで、僕の苦労をあざ笑うかのよう。

 ……ってか、リンは相変わらず宝箱のまま。


『あれっ、リン君は相変わらず宝箱のままだ……タゲが向くね、開けて良い?w』

『やめてっ! 多分呪いの一種だと思うから、優実ちゃん解呪お願いっ!』


 変に触られて、これ以上事態をこじらせたくない僕は、本気で叫んでいたりして。中身の宝物を期待していた仲間からは、何故かケチとの罵声を浴びつつ。

 それでも、程無く掛けて貰えた解呪の魔法は、何の変化もリンにもたらさず仕舞い。効果時間切れを待つか、それとも未だに側に立っている沙耶ちゃんに開けて貰うか。

 二つに一つの究極の選択……もっとも僕に、選ぶ権利は無かったけど。


『何を悩んでるのよ、リン君! 敵はまだいるんだから、さっさと元に戻って戦わなきゃ!』

『開けちゃえ、沙耶ちゃん。何か良いモノ出たら、みんなで分けようねw』


 女性陣のいい加減な後押しで、僕の意見は全くの無視の運びに。そんな訳で、勢い良くパカッと開けられたリン、しばらくフィールドに変化は現れなかったが。

 そのうちに、変なログがパーティメッセージに流れて来た。


 ――この宝箱の中身は、97%ダメ人間、3%ジゴロで出来ています。


 虚を突かれたメンバー達、何の事だろうと暫し戸惑うも。一拍の間をおいて大爆笑……いや、パーティログ通信からはそこまで窺えなかったけれど。

 ようやくの事呪いは解除され、リンはその姿を取り戻す。ヒール状態だったためか、体力も魔力も満タン状態だ。ダメージの類いは、全く見当たらない。

 ……そう、僕の心の傷以外は。


『あははっ、これってずっと前に流行ったナントカ診断だっ……w』

『リ、リン君はダメ人間なんかじゃ無いよっ……ぷくくっw』


 案の定の、訳の分からない晒し者状態が訪れて。先生なんて、ガードを忘れて敵に殴られ状態だ。懸命に敵と戦っているのは、実はペットの2匹のみと言う。

 恐ろしいトラップだ、皆が笑いでキャラ操作を放棄している。


 そんな一幕があったものの、鐘が呼び寄せた敵の集団は、程なく殲滅の運びへ。数だけはやたらと多かったものの、強い敵では無かった様子。

 ミミックは看守長室の鍵と言うアイテムを落として、これで奥へと挑戦する資格を得たみたい。他にゲット出来たのは、ハッタリだと思い込んでいたあの人形。

 説明を読むに、育成用のドールらしいのだが。


 戦闘用などでは無いらしいその人形、用途に心当たりがあるとの発言はホスタさんから。ちょっと前のバージョンアップで、新たに追加された金策システムで。

 家畜小屋を庭に設置して、毎日収穫を得ると言う遊びらしいのだが。僕も何となく耳にした事があるような、その家畜小屋の合成で儲けられるかなぁと考えた気が。

 実際は、スキルが足りなくて断念したのだったけれど。


 今やちょっとしたブームが到来しつつあるようで、飼育出来る鶏や珍獣の類いに、凄い高値が付いているとの事。ホスタさんは、いずれ館の庭にも設置したいとの野望を持っていたらしく。

 小屋の合成を、僕に依頼して来る。


 ヒーリングしながら、ハテナ印の付いている仲間に、栽培みたいな遊びだよと説明する僕。小屋が無いと育成出来ないので、初期費用が割とかさんでしまうけど。

 さらに小屋で飼う家畜も、お金を出して買えばそれなりの高値になってしまう。レア種の家畜になると、ブームに乗ってかなりの高価での売買が行なわれているらしく。金策ハンター達も、最近はこの新カテゴリーに目を付けているみたいだ。

 狩り場を巡って、熱い情報戦が繰り広げられている様子。


 人形を育成して、何を産んでくれるの? と、かなり不思議そうな優実ちゃん。そこはファンタジー系のゲーム内の事、言い方は悪いが何だってアリの世界。

 ギルドの館の中庭のスペースも、寂しいくらいに空きがあると言う。それならみんなで何かを育てようと、ギルマスの沙耶ちゃんもこれを推奨して。

 楽しそうなムードは良いけれど、僕に限ってはコイツを見る度トラウマが疼きそう。


 休憩が終わって、パーティは勇んで移動に掛かる。鍵が手に入った上に、次がボスの間だとの大方の予想がついてしまっている訳で。

 この右端の通路の、恐らくは最終エリアだろう。皆が緊張とヤル気に、満たされて行くのが分かる。鍵を開けて幾らも進まない内に、そいつらは待ち構えていた。

 看守長の制服を着た、魔人っぽいボスとその仲間達。


 仲間はインプが2匹で、弓矢を装備している。看守長は大鎌使いで、大柄な体躯だ。あんまり強そうには見えないが、こればかりは戦ってみないと分からない。

 強化を掛けながら、一行は簡単な作戦会議。2匹のインプを、プーちゃんと誰が受け持つのか。バク先生は、ボスのキープ役でもう決まっている。

 楽に片付くのなら、インプから殲滅でも良いねとその先生の提示に。


『あっ、そっか……長々とキープしてるより、雑魚なら先に倒しちゃう手もあるのか』

『弓矢持ってるし、変にタゲが動いて後衛が狙われるのも嫌だもんね。そうしちゃう?』

『じゃあ、プーちゃんに1匹預かって貰って、もう1匹を残り全員で瞬殺する?』


 それで行こうと、作戦は決定する。タゲはなるべく、僕とホスタさんでスイッチ気味に。そこまではスムーズに決まったのだが、実際の戦局は安定するまで大変だった。

 インプがテコでも、初期配置場所から動こうとしなかったためだ。仕方なしに、看守長を先生が端っこに引き連れていくが、それも結構大仕事となって。

 予定外に殴られて、さらに後衛陣の配置場所もなかなか定まらず。


 看守長も、遠距離手段を持っていたのが最初の誤算。重くて威力のありそうな拳銃を、タゲを取った先生にバキュンバキュンと撃って来る。

 それでもじりじりと、何とか距離の切り離しに成功するバク先生。インプに取り付いた僕らも、弓矢でグサグサと接近するまで苦労させられたけれど。

 近付いてやると、短剣の攻撃に切り替えるインプ達。


 ようやくお互いの配置が決まり、次にするのは手下インプの素早い殲滅だ。ボスを受け持つ先生のヘルプに、一刻も早く駆けつけなければ作戦の意味がない。

 ところがこの手下インプ、フワフワと浮いているお陰かやたらと回避力が高い。必死に殴り掛かる前衛の武器を、何と上方向に避けると言う荒業を敢行する。

 さらに雑魚と思って侮っていたこの敵、意外とHPが高くて嫌な仕様。しかも後衛の沙耶ちゃん達の銃撃に対して、一定確率で弓矢で応戦して来るのだ。

 これが2つ目の誤算、しかも伏線まで含んでいたと言う。


 それが分かったのは、ようやく最初のインプの体力を半減まで追い込んだ時。そろそろ何か仕掛けて来るかなと、一応の用心はしていたのだけれど。

 《覇王制空権》と言う特殊技が発動し、看守長まで羽ばたいて宙に舞う。そこからの銃弾と矢弾の乱射は、一行のド肝を抜いた。被害甚大なのは、主に後衛陣。

 目の前の相手と刃を交えながら、オートで遠隔攻撃まで始める3匹。敵を2箇所に分けたのが大誤算、くっつこうにも死角が無くなっている。

 特に防御魔法の無い優実ちゃんは、大変な事に。


『ひゃ~っ、痛いイタイッ! 死んじゃうよっ、何とかしてっ!』

『この変なハイパー化、止まりそうに無いよっ! 取り敢えずこっち来て、優実ちゃんっ!』


 3方向から飛び道具で攻撃されるより、まずはその数を減らすのが得策。インプ2匹にくっ付けば、攻撃は看守長の銃弾だけで済む勘定だ。

 向こうにくっ付くと、看守長の範囲攻撃に巻き込まれる恐れがあるし。こっちだと、プーちゃんと雪之丈を含め、ターゲットがかなり拡散される筈。

 僕の支持を受けて、優実ちゃんはトテトテとこちらに走り寄って来る。甲斐甲斐しく回復を飛ばすピーちゃんを引き連れて、優実ちゃんにしてはかなり必死に。

 危機感を募らせているのはこちらも同じ、とにかく1匹でも墜とさないと。


 沙耶ちゃんが、魔法で焼き切っちゃおうかとこちらに提案して来る。まだ半分も体力を有している敵に、ラストスパートは早い気はするけれど。

 属性的に有利な光系の攻撃手段が、こちらには2つ揃っている。何とかいけるかもと、思わず出してしまうゴーサイン。流れは多少、強引に引き込むべし。

 反撃の《ホーリー》の一撃から、一斉果敢の攻めが始まる。


 実はコイツ、攻撃の方は大した事は無かったりして。遠隔と、たまに放つ呪いがウザいだけ。僕もスキル技は《ヘキサストライク》に決め撃ち、とにかく苦手属性で攻め立てる。

 その甲斐あってか、インプのHPは見る見る減って行く。沙耶ちゃんの魔法攻撃も、容赦の無い追い込み具合いで。何とかなりそうな雰囲気の中、再度の敵の特殊技の炸裂。

 舞い散る弾の嵐に、パーティ内にまたも被害が。


 遠距離は必中な上、スキル技でなくても威力が高いのが厄介極まりない。インプの攻撃は、単身看守長を相手取ってるバク先生に集中。看守長の銃弾は、こちらのネックである、防御の薄い後衛に被弾。

 狙われているみたいで、すこぶる嫌な感じなのだけど。庇う手段も見当たらず、こちらは目の前の敵をさっさと始末するしか手段が無い。

 気合を入れての追い込みに、ようやくインプの1匹目が墜落。


『やっと1匹、次はどうするっ? 予定通りに、もう1匹の方倒す?』

『んうぅ~~っ、後衛の位置取り場所が全然分かんないよっ! どこにいても、バーンって撃たれちゃうっ』

『バク先生っ、もう一回ボスをこっちに連れて来れる? 向こうの遠隔を潰しつつ、ボスから倒す方が良いかもしれないっ』


 先生もソロでのキープに苦労していたようだし、何より後衛を守るのが最優先だ。了解と皆の返事と共に、再度の位置取りの騒ぎが巻き起こる。

 沙耶ちゃんが、今の内に休憩するねとヒーリング宣言。優実ちゃんと一緒に、ちょっと離れた場所にしゃがみ込む。僕は弱体魔法や中距離スキル技で、看守長の気を惹く作業。

 程なく位置取りは整って、ホスタさんと僕も大ボス前に張り付きに掛かる。


 大ボスの看守長の大鎌は、威力もありそうだし回転も割と速そう。先生もさすがに強いよと、警告の言葉を発している。それでも全員揃っての(いや、プーちゃんはキープ要員だった)アタックは、どんどん敵の体力を削って行く。

 攻撃力に対して、防御力は大した事は無いラスボス看守長。浮遊効果での、変なステップ防御はともかくとして。気勢を発して、ガンガン攻め込むパーティ。反撃の範囲スキル技は、僕と先生で潰して行く。

 そして程なくやって来る、HP半減からの特殊技。


 さっきと同じ、遠隔攻撃開始の技名だ。みんなくっ付いてているので、今回は関係無いぜと、一行に余裕があったのは確か。ところがそれを上回る、敵のパフォーマンスが炸裂。

 ワープを使って、知らぬ間に距離を取られていたり。


 これが最後の誤算、まさか敵にそんな能力があったなんて。慌てて距離を詰める前衛と、慌てふためく後衛陣。僕はしかし、何とか自分が囮になれないかと思考を巡らせていた。

 遠隔武器には、もちろん適正な距離が存在する。近過ぎると攻撃自体出来ないし、遠過ぎても威力は落ちてしまう。沙耶ちゃん達と研磨して来たお陰で、その距離は僕の身体に叩き込まれていたのだ。

 ひょっとしたらと言う思いで、その距離にふらっと飛び出るリン。看守長とインプを結ぶ真ん中の線を、ちょこまかと移動してやると。ほぼ同時の、弓矢と銃弾の飛来に。

 してやったりと、僕は素早く《桜華春来》を唱えに掛かる。


 遠隔のダメージをシャットアウトしながら、仲間に立て直しの要請を飛ばす僕。驚いた感じの皆の発言の中、飛び散る桜吹雪がキレイと優実ちゃんのフンワリした一言。

 そう、この魔法の特性を、今度しっかり調べ直すつもりだったのだけれど。時間が無かったので、取り敢えず今は防げばいいや的なシチュエーション。

 チャージ技に加えて、案の定遠隔攻撃も綺麗に防いでくれている。場所を少し移動しても、桜のガードはちゃんと付いて来てくれるし。後は効果時間だけど、まだまだ余裕がありそう。

 それともこれは、一定総ダメージ量なのかも?


 バク先生が、今の内に看守長をやっつけようと号令を掛けてくれる。僕はそのまま囮でいて頂戴と言われ、了解と言いつつ離れて出来る事を探すけど。

 やっぱり何か、強力な遠隔攻撃の手段が1つは欲しいかも。束の間“殺戮屋”の戦闘風景を思い起こしながら、追い込みに貢献出来ない現状に落ち込みつつ。

 慣れない攻撃魔法を、1つ2つ飛ばしてみたり。




『やった、やっと倒せたよ~! さすが大ボス、手強かったっ!』

『リン君、お疲れ様っ! 後半は、何だか凄い事になってたねっ?w』

『遠隔防御魔法が追いつかなくて、かなり痛かったね。まぁ、後衛が的になるよりはマシだから、大丈夫って事にしておくよ』

『まだインプがいたっ、プーちゃんを助けてあげてっ!』


 最後の大ボスを倒した事に浮かれていたが、戦闘自体はもう少し続く。インプは残り1匹になったせいか、後半やたらとワープを使用して来て。

 先生はキープにてこずりつつも、アタッカー陣は何とか最後の敵を撃破。ホスタさんの《デスチャージ》も使い勝手が良さそうだったし、リンにも何か遠隔手段が欲しいと本気で思う。

 クリア報酬に、少量のミッションPが入って来たのに驚きつつ。それ以上に気になるのは、用意されていたご褒美アイテム。色々あったが、大物はたった一つだけ。

 ボス達のドロップ品は、実はあんまりパッとしなかった。インプの落とした矢束とか矢筒とか、当たりは闇の術書位のもの。看守長はまずまずの性能の大鎌に、あとは看守制服。ユニーク装備かと思いきや、防御力も高いし性能も良さげなのには驚き。

 後はお決まりの薬品類とか消費アイテム、本音を言えばちょっとがっかり。


 フィールドの奥に魔方陣と、新たに宝箱が2つほど湧いて、こっちが本命かと推測するのだが。中身は館に専用設置の、遊具一式が入っていた。

 当たりかどうかは微妙だが、これでまたホスタさんとの契約が達成出来た感じ。このダンジョン自体、クリアする毎に館の価値が上昇する仕組みみたいだけど。

 それはそれで、館が便利になって言う事なしだ。


 もう一つの箱には、黒蟻の呼び水と言うトリガーが入っていた。この入口で散々苛められた敵の呼び出しトリガー、何だか皮肉と言うか嫌味と言うか。

 とにかく2つ目のエリアは、ようやくの事クリア達成である。一行は喜びつつ、退出用の魔方陣に飛び込む。出た先は例の、吊り橋を渡った先の扉前。

 近くにもう一つ、恐らくエリア脱出用の魔方陣が。時間は11時ちょっと、ラストの1つに挑むべきかの議論が簡単になされ。再突入には、また薬を作るかお金を払う必要が。

 それを嫌った一同は、今夜中にやっつけるぞと最後の扉に集合。


 前回の賭博場からの10年ダンジョンには、5種族の守護神的な大ボスが、最後に控えていたっけ。それを思い出しながら、みんなに予想を口にする僕。

 熾烈な争いになるのは必然、皆が頑張るよと気を引き締め直す言葉を発し。果敢に挑むダンジョン内の、風景は今までに無い異様な感じで。

 神秘的と言うか、圧迫感があると言うべきか。


 やや暗い雰囲気なのは、明かりが少ないからだけではない。つるりとした壁は輝きを放つ黒色で、紋様のように赤い呪文が書き込まれている。

 床も整地されていて、灰色と白のタイルが整然と並んでいる。時折広い場所に出るのだが、宙に浮いた巨大な石が、まるでオブジェのように据え置かれている。

 その石にも、赤い紋様のような文字が帯のように描かれていて。


 何か神殿のような、そんな重苦しい空気が張りつめている。出て来る敵も、神官服を着た有角族や、ガーディアン型のゴーレムがほとんど。

 その中で一番強いと感じたのは、上半身だけの浮遊ゴーレム。これも壁と同じような岩素材で出来ていて、帯のようなルーン文字が身体中に巻き付いている。

 そいつの防御力の高さと来たら、まさに嫌味なほどだった。ルーン文字のせいか魔法も効き難いし、属性弱点も見当たらないし。倒すのには本当に苦労した。

 そんなのが要所要所の通路の基点に配置されているので、厄介極まりない。一度などは、雑魚の神官戦士とリンクして、無駄に被害を広げてしまったり。

 通路が狭くなってる場所は、本当に気を付けないと。


 戦闘ばかりでなく、ダンジョンらしい謎解きも奥には待ち受けていた。それは赤いルーン文字を使った仕掛けで、通路の突き当りに存在して。

 完全に行き止まりの小部屋の手前の床には、人の乗れる大きさの四角いプレートが1枚。黒く光る石板に、赤いルーン文字が鈍く輝いている。

 そのプレートが何かの仕掛けだとは、すぐに理解した一行だったが。どうすれば道は拓けるのか、それがどうにも分からない。試しに乗っていいかと、呑気な優実ちゃん。

 彼女が乗ると、仕掛けが作動。前方に5枚の新しいプレートが。


 そこからは喧々諤々、今度はどうするべきかと議論は白熱する。プレートに書かれた文字は、明らかに全部違うのは分かるのだが。その違いがどう作用するのか、それが良く分からない。

 ヒントは意外な事に、優実ちゃんの再度の行動から。皆が話し合っている最中に、再びプレートに乗った彼女。多分集中力が切れ掛かっているのだろうけど。

 その途端に、5枚のプレートは全て一新された。


 そこからは先生の独壇場、法則を割り出すねと文字を書き写しての検証タイム。その結果、毎回必ず出現するプレート文字は、何とか3つに絞り込めた。その他の文字は、恐らく引っ掛けか罠の可能性が大。

 3つ全部試してみようかと、ここからは答え合わせの時間。


 まずは最初の選択を、バク先生が試す事に。変な仕掛けが作動した場合、後衛キャラだと危ないと言う気遣いだ。案の定の罠がいきなり作動、他の4つのプレートに異変が。

 ポンッと軽い音を立てて、出現するチビモンスター群。その数4体が、ちまちまとした動きでこちらに襲い掛かって来る。慌てるパーティだが、何とかこれを殲滅。

 もう一度プレートを呼び起こして、すかさず次の選択を行う先生。どうやら2番目にして当たりが出た様子。プレートの上から、フッと姿を消す先生。

 通信から、違う場所に出たと結果報告が聞こえて来る。


 戻って来れますかとの僕の問いには、ノーと言う返事が返って来た。これで3番目の赤い文字を試す手は無くなった。何かあったら、盾役の先生抜きでは危な過ぎる。

 後はワープ抜けする順番だが、なるべく後衛陣は一人にしたくない。そう思っていたら、優実ちゃんがさっさと装置を使って移動して行った。

 その後の悲鳴に、ナニがあったのとたじろぐ一同。


 もしや仕掛けの謎を解き誤って、全く別の場所に飛ばされたとか? 敵がわんさか待ち構えている、危険な部屋に直通だったとか……?

 そんな怖い想像が、脳内に湧きあがったりしたのだが。プーちゃんとピーちゃんが迷子になったと、悲鳴の理由はそんなトホホな内容だつたり。

 確かにその2匹、こっちで飼い主の消失に戸惑うように動き回っている。


 召喚し直しなさいよと、沙耶ちゃんの冷静な突っ込みが入る中。ホスタさんが次に跳んで、お次は沙耶ちゃんか僕の番。お先にどうぞと、ギルマスの気遣いに。

 心配しながらも、つい従ってしまった僕。だってここまで、ワープ移動は全くの順調だったし。しかし残された沙耶ちゃんの、アレッと言う声が僕らを再び不安に追い込む。

 説明によると、湧かせたプレートの中に見た事のない種類が入っていたらしく。一目見ただけで違いの分かる、青いルーン文字仕様のプレートが甘い誘惑を放っているらしい。

 ギルド内の議論は紛糾。罠だと警戒する者と、試してみてよと誘う者が。


 結局は、自身の好奇心に勝てなかった沙耶ちゃん。危険を顧みず、何かあるかも知れないとそのプレートに乗っかったみたい。固唾をのんで報告を待つ一行、今度はオオッと言う感嘆のログが届いて来る。

 宝物庫に出ちゃったみたいと、興奮気味のギルマスの台詞。その意外な結果には、僕らも大喜び。それでも、罠の可能性は全く無くなった訳ではないのだし。

 慎重にねとの言葉に、まっかせてと明るい返答振り。


 結局宝箱の中身には、ミミックや罠などの仕掛けは存在しなかった模様。6つ置いてあった中身の、3つまでは安い素材や消耗品だったみたいだけど。

 残り3つは当たりと言える、武器指南書とハンターP引換券、それから高性能のベルトが1つ。ベルト装備は、ここ最近はポケット数の増える便利系が主流である。

 ポケットとは、ポーションなどの薬品を即席で使用出来る戦闘用の便利ツールである。装備などで増やす事は可能だが、増やさないと3つとかそんな不便な使い勝手のままなのだ。前衛に限らず、戦闘中に素早く薬品を使うのは、もはや戦略の定番と化している。

 装備の中で、ベルト装備は一番ポケットの数を増やし易い部位なのだ。


 ところが、ポケットの数が増える利点に加え、戦闘性能の良いベルトと言うのは、案外探しても見当たらないものだ。今回沙耶ちゃんがゲットした奴は、その点ではかなり優秀な性能だろう。

 みんなが騒いでいる間に、沙耶ちゃんはワープを駆使して無事に合流を果たした。こんな場所での思わぬ追加報酬に、してやったりの一同だったり。


 ルンルン気分で、奥に進む新たな通路を探索するパーティ。ワープ先の小部屋からは、枝道も多くて何度か引き返す破目に。苦労しながら、正しいルートを模索する一行。

 進む部屋の雰囲気は以前と変わらず、それでもそろそろ終焉が見えて来て。最後の大部屋に、待ち構えるラスボス一行。その威圧感は、まさに一級品に値する。


 黒く堅そうな肌に、やっぱり黒くて立派に聳える大角。有角族の神獣だろうか、大部屋に入った途端に流れる強制動画で、その敵は悠然とこちらを見下ろして来た。

 全体のフォルムは、どことなく有角族の戦士達に似ている気はする。大きさはしかし、較べ様も無い程の桁違い。控えめに見ても、強そうだし体力もありそうだ。

 動画は終わり、強化を優実ちゃんが唱え始める。


 今回のラストを飾る戦闘には、有角族の戦士と神官が1体ずつ付き従っていた。それを僕とホスタさんで受け持ちつつ、バク先生はしっかりボスキープ。

 殴った感触で、この有角族の神官は雑魚と判明。いや、ちょっとだけ補正は入っているかもだが、長引く理由も無い感じだ。武器を振るいながら、お互いに報告が飛び交う。

 スタン要員はボス戦には必須、さっさと倒して駆けつけないと。


 戦闘はまだまだ序盤とは言え、敵にも怪しい動きが。ホスタさんが、敵戦士の特殊技で血まみれに。僕の受け持つ神官も、やたらと呪文を唱える素振り。

 ブーストの入ったリンの連撃に、その行動も止まってばかりだが。油断していたら、いつの間にやら魔法が1つ完成に至って。防御上昇呪文が、敵の一団をパワーアップしてしまい。

 こちらの仲間からは、盛大なブーイングが。


『リン君、何やってるのよっ! そんな奴さっさと倒して、バクちゃん手伝ってよ!』

『ごめんっ、油断してた。おかしいなぁ……ここまで倒して来た敵と、そんなに変わらない強さだと思ってたのに』

『いや、リン君それは違うよ。強さは変わらないけど、微妙な補正がこっちの勘を狂わせてるんだ。私の前の敵は、攻撃当てる度にこっちのHP吸い取って来てるよ』


 なるほど、やたら粘る嫌な奴だなと思っていたが。こっちの敵も、よく見ればオート回復が侮れない数値のようだ。リンのSPの溜まりも、今回やたらと遅いなと思っていたけど。

 それもコイツの仕業かも、よく見たら持っている武器がヘン。部族の神獣を補佐する、そんな地位にいるのなら当然の補正かも知れないけれど。

 了解ですと答えた僕は、面倒がらずにステップとスタン技も織り交ぜる事に。


 その甲斐あってか、数分後には有角族の戦士と神官は没。途中のハイパー化で、無詠唱の範囲攻撃呪文が飛んで来た時にはかなりビビったが。

 回復や防御呪文が飛び始めるに至って、沙耶ちゃんも追い込みに参戦してくれて。体力自体は補正の掛かっていなかったコイツ、何とか削り切りに成功した感じ。

 ホスタさんの方は、プーちゃんと雪之丈が手伝っていたようだ。


 これで心置きなく、大ボスと対峙出来る。そろそろ12時が近いし、スパッとやっつけたい所。潰してほしい特殊技を先生に尋ねながら、リンの戦闘位置を確保。

 範囲攻撃もしっかりと複数有していた大角神獣、そのパワーも侮れない様子だ。しかも防御力も高い設定らしく、なかなかHPが減ってくれない。

 さっき神官が掛けていた防御呪文は、優実ちゃんがキャンセルしてくれていると言うのに。魔法の効きはまずまずらしく、今回も後衛陣が活躍しそうな気配。

 優実ちゃんの光魔法が、容赦なく敵の体力を減じて行く。


『もうすぐ半分かな……あの子が暴れる前に休憩して良い、沙耶ちゃん?』

『オッケー、交代で魔力回復しようか。削るのちょっとだけ、手加減お願い!』


 了解と、前衛の僕らは返事を返す。確かに大ボスの体力は、そろそろ半分を切りそうな勢い。後衛のMPが枯渇している状態で、間違ってもハイパー化など受けたくない。

 優実ちゃんも、まだ気力を保っている感じで一安心だ。多分、夏休みのせいで夜型にシフトしているのだろう。社会人2人には、ちょっと気の毒だけど。

 勝てばオイシイ報酬が、カバンに溢れる筈っ!


 後衛陣の休憩も終わったみたいで、さてと用心しつつの削りの再開。やって来たハイパー化は、意外と静かでその分不気味だったり。目に見えるのは、敵の表皮に浮かび始める赤いルーン文字。

 そのうちに《身震い》と言う特殊技を使い始めた大ボス。硬質な鱗が何枚か剥がれたと思ったら、それがチビモンスターに変化。纏わり付かれた僕らは大慌て。

 ひょっとして、さっきのプレートはコイツの鱗?


 後衛のペットが、何とかそいつらの気を惹いてくれているけど。厄介な事に、その特殊技はスタンで止まってくれない仕様らしい。徐々に増えていく、角の生えたチビモンスター。

 召喚と違い、敵のHPは減らないのが腹が立つ。業を煮やした沙耶ちゃんが、範囲魔法の使用を宣言。それに呼応するように、私も持ってるモンと優実ちゃん。

 光と氷の乱舞が、チビ敵を一掃。


 大ボスにも少なからぬダメージを与えつつ、戦闘は続いて行く。後ろからの頼りになる支援を受けて、僕ら前衛も急かされる様に勢い付く。

 孤軍奮闘に追い込まれた黒角神獣、身震いをぱったり止めてしまったと思ったら。次なる特殊技が発動、今度は体の代わりに黒い角がビリビリと振動を始めて。

 奇妙な旋律が周囲に響き渡り、こちらの警戒を煽って来る。


 気がつけば、敵の体力は3割を切っていた。踏ん張り所だと、僕と先生はスタン技を続けて咬ますのだけれど。まるで効果は上がらずに、奏でられる音色はこちらを徐々に縛りつける。

 味わった事の無い特殊技だが、今の所の被害は皆無だ。それがかえって不気味だが、さっさと倒してしまえば問題ナシ。しかし、異変はやはり訪れていたようで。

 最初に気付いたのは、両手武器使いのホスタさん。


『あれっ、このボス硬くなってないですか? こっちの殴るスピードも、何だか遅くなって来ているような気が……』

『ああっ、やっぱり何か変だと思った! 何も無い筈ないのよね、ハイパー化があって然るべきなんだからっ』

『最初は気付かなかったけど……ひょっとしてこれ、段々と酷くなって行く仕様なんじゃ?』


 だったら不味いじゃんと、僕の推測に沙耶ちゃんが慌てた様子。その通り、どこまで進行するのか分からないが、このままだと手も足も出なくなる恐れが。

 魔法での追い込みに切り替えた後衛陣だが、その詠唱時間もいつもより遅くなっているらしい。しかも、ここに来て大ボスは魔法防御も上昇しているみたいで。

 とんでもない隠し玉だ、何とかしないと詰んでしまう可能性が。


 バク先生の盾防御も、タイミングのずれで失敗が多くなって来た。リンの打撃リズムも、明らかに普段より遅くなっている。既にそれは、誰の目にも判別可能な程。

 相手の硬貨でダメージも半減、現状はかなり酷い有様だ。辛うじてダメージを叩き出せるのは、光属性の《ヘキサストライク》と《光糸闇鞠》くらいのモノ。

 沙耶ちゃんも、魔スキルの《マジックブラスト》なら普段と同じ効果が見込めると報告して来た。優実ちゃんの光属性の魔法も、何とか追い込みに貢献出来そう。

 僕はポケットに闇の秘酒を放り込んで、2人に声を掛ける。


『魔法の詠唱も遅くなってるけど、連携するから何とか合わせてみて、2人とも!』

『りょ、了解っ! 優実っ、いつもより速めに撃つけど、焦っちゃダメよっ!』

『難しい注文……何とかやってみるよ、ゴーゴーリン君っ♪』


 相手の醸し出す妖しい旋律の中、リンの放つ《連携》から、こちらのリズムを必死に導き出す後衛陣。耐性ダウンのエフェクトがはじける中、先に当たったのは沙耶ちゃんのブラスト魔法。

 それに続いて、何とか効果内に優実ちゃんの《ホーリー》が炸裂する。


 今の時点での、僕らの精一杯の踏ん張りに。大ボスの大角神獣も、さすがによろける素振り。体力の減りもあともう一押し、こっちも覚悟を決めて危険領域に踏み込むべきか。

 《断罪》を使用して、リンは《九死一生》込みのハイパー化。さらに《獣化》で攻撃力の底上げを決め込み、多段スキルの《ヘキサストライク》を敢行する。

 クリティカルが幾つか入ったのか、会心のダメージ。


 闇の秘酒でのSP回復で、何度でも撃ち込むつもりだったのだが。後衛の魔法攻撃も手伝って、危ない橋はたった数歩で済んだみたい。

 ようやく倒れてくれた、20年ダンジョンの大ボス。パーティは大喜びで、ようやく訪れたこの勝利を祝っている。思えば長かった、途中何度も全滅を喰らった意地悪な仕掛けを含めて。

 感慨に耽る暇も無く、用意された報酬に歓喜する一同。


 大ボスのドロップもそうだが、プレートで出来た奥の壁が音も無く壊れ、宝箱の並ぶ部屋が出現して。段差になっている宝物庫の一番上には、強いオーラを放つ角の生えた兜が。

 前回は武器で細剣だったが、今回は装備品らしい。恐らく凄い性能なのは、間違いは無いだろうけれど。とにかく敵のドロップは、戦士と神官からは闇の術書と性能の良い片手棍。

 大ボスからは、ハンターPとミッションPに加え、土の宝珠や黒角のホルンなどを入手。素材系も色々と落としてくれたが、特にめぼしいモノは無し。

 まぁ、奥には宝箱の山が控えているし、文句を並べる事も無い。


 宝箱は全部で8つ、前のダンジョンより多いくらいだ。当たりの大物は、やっぱり魔の宝珠だろう。中当たりは命のロウソクとレア素材が数個。他には器用の果実とか、後は王冠のオブジェと言う換金性の高いアイテム。

 今日は遅いから、分配はまた今度ねとのギルマスの言葉に。お休みお疲れ様、またねとメンバーの遣り取り。12時近い時間帯なので、落ちる作業の皆速い事。

 相変わらずドロップ品や報酬の確保は、僕の役目で定着しているみたいだ。荷物が多いので大変だが、信頼されて悪い気はしない。

 僕の場合は合成もするので、アイテム管理は慣れたものだし。


 壇上の兜を回収する頃には、メンバーは既に全員退出を終えていた。僕もそろそろ眠くなっていて、それに追従したい所。それでも暫し、用意された退出用の魔方陣の前で佇んで。

 お馴染みの気配がやって来るまでに、それ程時間は掛からなかった。調停監査役のシャザールは、今回もこちらを褒めながら有角族の戦士達と登場を果たす。

 鼻につく余裕振りだが、このイベントの踏襲も大事なクエの進行だ。


 そう思って耳を澄ますイベント会話の内容だが、大抵は予想の範疇で前と同じ感じだ。属性種族との物語は、まだ折り返し地点にも至っていない様子。

 シャザールはしかし、物憂げな顔付きでこちらを見遣る。





 ――力を欲して闘いがあるのか、戦う為に力を求めるのか。人とはしかし、難儀な生き物だね。

 

 



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