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1章♯02 ギルドを作ろう!



「ギルドを作りたいのよっ! 私と優実と、あとあなたでっ……そうね、小さくて慎ましいのがいいわね。リン君、あなたはギルドには所属してないんでしょ?」


 唐突に、我が侭な話題を口にしたのはクラスメイトの神薙沙耶華かんなぎさやかさんで、時間は昼食の休憩に入って間もなくの事。彼女達は持参のお弁当を開いており、僕は購買で買ったパンを頬張っていた。

 場所は屋上の一角で、ここからは大学のキャンパスが見渡せてとても眺めが良い。普段は人気のスポットらしいが、今日は風が強くて人影はまばらだ。

 僕は彼女達の風除けになりつつ、きょとんとした顔を作っていたようだ。うん、こんな時には大きな身体も役に立つ。たまには役に立ってくれないとね。

 思考はただし、しばらく止まっていたようだけど。


「え、えぇと……うん、親しくしているギルドは幾つかあるけど、確かにどのギルドにも所属してないよ。でも何で?」

「私達は、2年位前から本格的に始めたのよ、冒険者って奴? それまではチャットとか、お気楽イベントとかばっかりだったけど。でも、いい加減あちこちから勧誘がうるさくて、それなら二人で作っちゃえって」

「勧誘って言うか、体のいいナンパだね、あれは。本当にしつっこくってさ、こっちは真面目にプレイするつもりでいるのに、関係無い話とか遊びの誘いとか。だから沙耶ちゃんが、ちゃんとしたプレイするにはギルドが必要だって」


 自分のお弁当を膝元に、手には可愛いピンク色の箸を手に、岸谷優実きしやゆうみさんも熱弁を振るう。憤慨した様子だが喋り口調は可愛らしく、外見と同様に可憐である。

 僕は自分の身体の大きさに、常日頃からコンプレックスに近い感情を持っていた。だからなのか、小柄で可愛い感じのものに惹かれる事が多い。

 岸谷さんはまさにそんなタイプで、神薙さんとは正反対の容姿である。どのパーツも小柄で丹精込めて作られた感じで、大きな瞳とピンク色に染まった頬など絶品。

 クラスの男子からの人気も高いようで、2人並んで罪作りな存在だ。


「いや、それでどうして、僕をそのギルドに誘おうと思ったの? ひょっとして、100年クエストに挑むつもりかなって思ったんだけど」

「なにそれ、新しいクエスト? リン君も確か、始めて2年位でしょ? プレイ歴が同じ位で詳しい人、一人は欲しかったのよねぇ。本当は女の子が良かったけど、まぁ仕方ないわよね」

「沙耶ちゃんの妹の紹介なのよ。昨日も池津君が、街中で戦闘してる所見てたって。何か、最近有名なキャラらしいねぇ? レベル低いのに、ランキング入ってるのは凄いって言ってた」


 岸谷さんの言うランキングとは、恐らくハンターキングを決める月間ランキングの事だろう。特定のNMを倒すと、20~100ポイントのハンターポイントが手に入るようになっていて、キングを目指す者達は必死にそれを集めるのだ。

 ところがそれは、倒した人数で分配されるので、少人数で倒す方が有利になって来る。要するに人数が少ないとポイントがたくさん貰えて、キングに近付けると言う理屈だ。

 虎の子のロックスターのお陰で、僕は最近ハンターポイントを荒稼ぎしていた。例えば昨日のNMなど、80ポイントも貰える超大物である。それを15人で倒しても、貰えるのは一人精々5ポイント程度に過ぎない。

 ところが《封印》スキルのお陰で、昨日はたった6人で退治出来た訳だ。もちろんその分、貰えるポイントも一人13ポイントと倍以上になる。ドロップの分け前も、当然多くなる。

 誰もが羨むサイクルに、妬んだり取り込んだりしようと画策する者も増えて来る。


 つまり、僕は多少なりともそう言う目に合って来ていて、そのために被害妄想気味になっていたんだ。名が売れるのもいい事ばかりでは無い訳で、彼女達の勧誘もそうなのではと、ついさっきまで半分疑っていたのも確か。

 けれども、彼女達の会話を聞いていると、まるっきりのミーハーな理由かららしい。その根底には、立派な冒険者になるんだと言う意気込みが感じられて、それが僕には微笑ましかった。

 僕よりよっぽど純粋で、プレイを楽しもうと言う気概が溢れているのが分かる。


「バージョンアップが早過ぎるよね、優実。まだまだいっぱい、やらなきゃ駄目な事が残ってるのに。新しいエリアとか敵とか、構ってられないっての!」

「そうだねぇ、ベテランさんとは全く話が噛み合わないし。環奈かんなちゃんがいなかったら、もっと最初の方で手間取っていたよねぇ」

「か、環奈ちゃん?」

「うん、沙耶ちゃんの妹さん。同じ位に始めたんだけど、つまりは私達が中学生で環奈ちゃんは小学生の時にね。環奈ちゃんは同級生とギルド作っちゃって、私はそこに入れて貰おうって提案したんだけど、沙耶ちゃんが反対して」

「だって、小学生しかいないギルドに入れて貰うって屈辱じゃない! 姉としての威厳を捨てろって言うの、優実っ!」


 仲良くすればいいのにぃ、と岸谷さんは呆れた調子。ヒートアップした神薙さんは、ただでさえ向こうの方が学校の成績が良いのだと、泣きそうな口調で演説している。

 美人で無敵っぽい神薙さんにも、コンプレックスはあるらしい。それは僕の心を少しだけ動かした。純粋に、困っているなら助けてあげようと。

 ただ、ギルドに入るとなると、そんな簡単には決心がつかない。


「え、ええと……大体の経緯は分かったよ。少し準備期間とか貰ってもいいかな? ちょっと……その、考えたいかも」

「オッケー、じゃあ取り敢えず方針だけ考えよう。ギルドって、色々と決まり事とかあるんでしょ?」

「えっ、そうなの? おやつは300円までとか? 宿題は夕ご飯までには終わらせるとか?」

「えぇと……何をするための集まりかを決めるのが、分かりやすいかな? 例えば僕は、合成を極める為のギルドと、今は行動を共にしていて。師匠が合成データ取るのを、手伝ったりしてるんだけど。他にも理由はいっぱいあるよ、ハンターキングを目指したり、ミッションを進めたり」


 神薙さんがスッと手を挙げて、質問の素振り。まったりと楽しむ為の集いじゃ駄目なのかと、不審そうに僕に訊ねて来る。それでもいいけど、それで縛るには結束は曖昧過ぎる。

 入る者に何らかのメリットが無いと、ギルドなどあってないようなものだ。例えば、発展性が欠如しているので、いつまで経っても人員不足に悩まされる破目になる。

 人数がいないと、ミッションやNM退治などのイベントの大半に取り組めず、ギルドのメンバーはそれを不満に思うようになる。その末に、野良での参加や、他の大きなギルドへの移籍を考えるようになっても、それは仕方ないだろう。

 反対の理由も考えられる。規制の無いギルドでは、入りたい者を断る理由も存在しない。故に、彼女達のリアル人気で、水太りのギルドになる事態も大いに考えられる。

 手綱の取れない烏合の衆集団など、考えるだけでおぞましい。


「そ、それもそうね……なる程、ギルドの存在理由って大事なのね」

「池津君って、やっぱり頭いいのねぇ。話し方が分かり易かったし、確かに目標は必要だねっ!」

「そ、そうだね。何をするにも、僕的には6人程度は必要かなって思う。人数の少ないギルド同士で、イベント時だけ合同でプレイって手もあるけど、それはそれで大変だよ」

「ふむふむ、人数揃えるのと、ギルド方針を決めるって事ね……忙しくなりそうね、優実!」

「えへへ、その割には楽しそうじゃん、沙耶ちゃんってば」


 確かに神薙さんの瞳は、生き生きと輝き始めているよう。素晴らしい美貌の持ち主だけに、その湧き上がる生気は迫力と神秘性に包まれていた。

 隣の岸谷さんも嬉しそうで、今3人だから半分揃ってるねと早くもメンバー計算に忙しそう。僕もナチュラルに人数に入っていて、それは未定だと冷や汗混じりに訂正をするのだが。

 彼女達はあっけらかんとしたもので、細かい事にはこだわるなと言いたげ。


「あとは……そうだ、ちょっと私達のキャラを見てくれない? 環奈はバランスが変だとか、リン君を見習えとかって散々言って来るんだけど。どのスキルがいいかって、イマイチ分かんないのよ」

「あぁ、そうだねぇ。強い敵に当たると、私達すぐ死んじゃうから。ちっとも育たないのよ!」

「う、うん。それ位なら全然平気だよ」


 僕の言葉に、神薙さんはにっこり笑う。お弁当は完全に食べ終わっていて、僕の食事も同様に終わっていた。岸谷さんだけ、話に熱中していて箸が進んでいなかったよう。

 昼休みの休憩時間には、まだまだ余裕があったので。僕らは岸谷さんが食べ終わるのを待ちながら、ゲームの中の色んな事を話し合った。

 本来なら、こんな美人達相手のトークなど舞い上がってしまいそうなのだけれど。内容がゲームに絞られていたので、変に緊張せずに済んだようだ。

 ところが、休憩が終わる間際の彼女の一言。


「それじゃ、放課後空けといてね? 私の家で、合同インしましょ!」




 午後の気だるい時間は、飛ぶように過ぎて行った。僕にしては珍しく、授業の内容がほとんど頭の中に入って来ず、それでも機械的に黒板の文字をノートに綴って行く。

 どこまで本気なのか分からないが、とにかく彼女達のネット内のキャラへの愛着は確かなようだ。それは僕にも良く分かる、ある意味僕などより遥かに自由な、僕のネット内の分身的な存在。

 リンの存在が無ければ、中学時代はもっと暗くなっていただろう。


 そう言う意味では、ネットゲームと言うのは不思議だ。僕の大井蒼空町の知り合いの半分以上は、ゲームで知り合って行動を共にした冒険仲間。

 師匠など特にそう、ゲームの中で師弟関係を結んだつもりが、現実世界でもいつの間にかそうなってしまっていた。今では週に何度も顔を合わせて、編集作業などを手伝っているのだ。

 ハンスさんとメルの親子にしてもそうで、ただこれは父さんの引き合わせの方が大きいかも。父さんとハンスさんが仕事関係で面識があったらしく、たまたま街中で引き合わされたのだ。

 その後にゲームの話や家庭の話で盛り上がり、師匠の知り合いと言う事もあって、半ば成り行きでネットでも遊ぶようになったのだ。それから親しくなって、今では娘達の子守りまで頼まれるようになってしまった。

 ハンスさんの所も母親が療養中で、今ちょっと大変なんだ。


 そんな事を考えている内に、時間は刻々と過ぎて行く。僕の心構えが何も出来ない内に、最後の授業は終わりを迎えてしまった。先生の退出と共に、思いっきり騒がしくなる教室内。

 いつもの僕なら、夕方まで何らかして時間を潰し、それから師匠に会いに行くところだ。ハンスさんに頼まれて子守りをする時もあるし、父さんと外で夕食を食べる時もある。

 高校に進学してクラブ活動に所属しなくなり、僕は暇を持て余すようになった。まだ高校生活が始まって一月しか経っていないので、今からどこかに入ろうと思えば可能なんだけど。

 そこまで情熱を傾ける気も起こらず、師匠の手伝いが面白かったせいもあって、今の所保留にしてある。多分そのまま、入らないつもりではあるんだけど。

 入るとしても、恐らく文系で幽霊部員になる程度だと思う。


 神薙さんが早くも帰り支度を整えて、僕の前を通り過ぎて行く。一瞬だけ机の前に止まって、パンパンと僕の机を2度叩いたのは、帰るよと言う合図だろう。

 朝に不要な注目を浴びたのに懲りての、彼女なりの配慮らしいのだが。見る人は見ていて、僕たちに向かって不審そうな顔を向けて来る。

 僕もそれなりに取り繕った顔を作って、何気ない感じで教室を去る用意。何だか悪い事をしているようで、それを悟られないようにする行為が新鮮で面白い。

 教室を出た僕を確認して、彼女達が階段を降りて行く。


 あらかじめ話し合っていた訳ではないが、この追跡ごっこは割と楽しめた。何気ない帰宅風景を作り出しつつ、神薙さんと岸谷さんが僕のかなり前を歩いて行く。

 楽しそうにお喋りしながら、二人は外履きに履き替えてグランドへ。それから帰宅生徒の波の中では比較的ゆったりとした足取りで、運動公園の方向に歩を進める。

 こちらの方向だと、新住宅かなとの僕の想像は当たったようだ。それより前に、公園の素晴らしく雰囲気の良い歩道で、二人は立ち止まって僕に手招きして来る。

 どうやら追跡ごっこは終わりらしく、そう言えば周囲に人影は無くなっていた。


「私と優実は、新住宅から通ってるの……しっかし、リン君は遠くにいても目立つねぇ!」

「目立つよねぇ! これじゃあストーカーは無理だね、諦めないと。何かおやつ買って行く? その先のコンビニ逃すと、もうお店は無いよ!」

「あ、じゃあ僕お金出すよ。春休みにバイトしてたから、懐は温かいんだ」


 そう聞いた途端、岸谷さんの顔に満面の笑みが広がる。率先して案内しながら、買うものリスト案を並べ立てる姿には、ちょっと鬼気迫るものがあった。

 神薙さんが手綱を絞らなければ、一体どの程度買い込まされていたか分からないのが怖い。僕にすれば、仲良くなるための投資のつもりだったのだけど。

 可愛い花にも刺があるみたいだ、以後気をつけないと。


 それでもおやつの入った袋を持って、岸谷さんはこの上なく嬉しそう。浪費した甲斐もあったと、僕の心もほんわかしている。やっぱり可愛いと、岸谷さんを見て思ってみたり。

 神薙さんは、そんな幼馴染に慣れているのか何も言わない。幼稚園から一緒だったらしく、彼女の調子の良さには免疫がある様子だ。

 大きな河に掛かる橋を、三人でとぼとぼと渡って行く。このずっと先には確か、大きなアウトレットモールが建っていて、県外からも客が舞い込む盛況振りだそうだ。

 強い風が彼女達のスカートに悪戯をしていて、僕は見て見ぬ振りに忙しい。


「もうっ、やな風だなぁっ! 今日は朝から風が強いよねぇ」

「そうだねぇ、橋の上だから特になのかな? この先の大きなモール、リン君は行った事ある?」

「1回くらいかなぁ、僕の家には車が無いから。でも、大きくて活気があって、変わった場所だったのは覚えてる」

「モールは面白くて品物も豊富だけど、普段の生活には組み込めないよねぇ。地元の人も、映画を見に行ったり、休日くらいだね、遊びに行くのは」

「私達、春休みにあそこでバイトしたんだよ。試供品の配布とか、そんな事。でも、お金もう全部使っちゃった」


 ペロリと舌を出して、岸谷さんがそう告白する。計画性が無いと、神薙さんからは厳しい一言。彼女の方は春用にと服を一着買って、残りは預金してあるそうだ。

 僕のバイト内容なんかを聞かれて、話は変な方向に弾んで行く。僕の春休みは、ハンス家の娘さんたちのお守りとか、師匠の出版社の事務や印刷手伝いとか。

 知り合いの大人達に、バンバン仕事を回して貰ったのは確かだ。


 そんな感じで、進学祝いを兼ねて結構な額のバイト代を貰ったのは、つい一ヶ月前の事。そのバイトは今も継続中で、だから部活動どころではないとも言える。

 彼女達は僕のバイトの内容を聞いて、そのギャップに少々驚いているようだ。確かに傍目から見たらそうだろう。僕は子供を宥めるよりは泣かす顔だと、散々知り合いの大人達にもからかわれたものだ。

 もう慣れたから、別にいいけどね。


「見えて来た、次の角を左ね。優実の家もすぐ近くだよ、ホラあの青いポストの家。私の家は、そこの突き当たり」

「あぁ、本当に近いね。お向かいさん、3軒隣……くらい?」

「そそっ♪ 沙耶ちゃんはね、この近所のガキ大将だったの」


 余計な事は言わないでよろしいと、神薙さんは少し照れた様子。住宅街の道はレンガの壁で終わっていたが、蔦が生い茂ったその壁は何とも言えぬ風情があった。

 ゆったりしたレンガ製の上り階段が設えてあって、上はどうやら公園のよう。豊かな緑が窺えて、それの作り出す日陰はとても涼しげに見える。

 神薙さんの先導で、僕たちは彼女の家にお邪魔した。家の人は誰もいないよう、と思ったら話に聞いた妹さんが出迎えてくれた。名前は確か、環奈ちゃん。

 お姉さんに似て美人だが、こちらは大人しそうな雰囲気。中学生くらいだろうか?


「ただいま、環奈っ。ゲームしてたらゴメン、3回線使ったら駄目かな? 友達連れて来た!」

「環奈ちゃん、お邪魔~っ♪ この人は誰でしょう? 見事当てたら、お土産1個あげるよっ♪」

「こんにちは……お姉ちゃんの、か、彼氏さん?」


 違うと、顔を真っ赤にして否定する神薙さん。勇気ある解答に敬意を表してと、袋の中からプリンを取り出す岸谷さん。環奈ちゃんは、おっかなびっくり僕を注視している。

 玄関はいきなりの、とんだカオス状態。神薙さんが皆を、ようやくの事リビングまで追い立てるのに成功したのは数分後だった。お茶が出て来たのは、さらにもう10分経ってから。

 ブツブツ言いながら、神薙さんがネット接続を始める。お茶とおやつに夢中な岸谷さんの分も、どうやらついでに行っているようだ。

 パスワードも完全に覚えているらしく、スムーズに2人のキャラに接続する。


 神薙さんが、僕にもコントローラーを手渡して来た。ちゃんと予備モニターも2つ用意されていて、どうやらこれがこの家の日常らしい。

 妹さんと岸谷さん、それから神薙さんの三人で、恐らく賑やかなゲーム風景なのだろう。ちょっと羨ましくなって、僕は隣の環奈ちゃんを見遣った。

 どうぞ遠慮なくという感じで、会釈してくれる環奈ちゃん。


 そんな訳で、僕も見慣れぬ場所でのインに踏み切る事に。慣れない事態に、ちょっと緊張気味に自分のキャラを起こしに掛かる。ログイン前のキャラは、別に寝ている訳ではないけど。

 何となくそう考えてしまうけど、特に問題ないよね?


「……えっ、このキャラってまさか……!」


 隣でニコニコしていた妹さんが、急に驚いた顔をする。どうやら彼女には、僕の存在自体に問題があったようだ。画面の中のリンは、所在無さげに隠れ家で寛いでいる。

 コイツだけずるいなと、その時の僕は変に緊張感に包まれていたり。


「えへへ、そうっ! 環奈ちゃんがファンの……何て言ったっけ、封印の壺?」

「封印の疾風のリン様ですっ! 変な風に間違えないで、優実ちゃんっ! こう見えても、ハンターランキング3位なのよっ、しかもギルド所属無しでっ!」

「3位かぁ、凄いねぇ! でもリン君は学年模試で1位とか取ってるから、そうでも無い?」

「お姉ちゃんは何も分かってない! ランク内10位まで、皆カンスト199レベルの中で、唯一レベルが120程度しかないのっ! 凄いのっ!」


 床を踏み鳴らしながら物凄くヒートアップしている環奈ちゃんを見て、僕は少しだけ気の毒になっていた。それと同時に、妹さんはさっきまで猫を被っていたんだと言う事も判明。

 さすが姉妹だと、何となく納得しつつも。環奈ちゃんが言う通り、ギルド所属無しで、しかもカンストしていないレベルで3位に食い込むのは並大抵の事ではない。

 NM討伐ギルドに所属していれば、どこにNMが湧くかとか、トリガーの入手方法などが自然に耳に入って来る。それだけでも有利なのに、簡単に討伐隊が組める上、メンバーも大抵は経験豊富な猛者が揃っている筈だ。

 つまりは討伐機会とメンバーに恵まれつつ、ポイントを稼ぐ事が可能なのだ。


 ただし、これだけでは討伐ギルド内でのポイントが並んでしまう。もう一頑張りしてキングを取ろうと思ったら、危険を承知で少人数でNMを狩りに行くか、塔に手を出すかしかない。

 『塔』持ちのNMに出会うには、かなりの強運が必要になって来る。塔持ちNMとは、その名の通りに倒すと塔を出現させる一風変わったNMで、強さも様々だ。

 そいつを倒したパーティリーダーは、その出現した塔の所持者となって、名前を付ける権利まで発生する。何より嬉しいのは、塔に入りたい冒険者から入場料を取れる権利が発生する事。

 それは入場者にとってはギルに過ぎないが、所有者にはポイントとして支払われる。さらには、独自に色々な塔を制覇する事で、やっぱりポイントが貰える。

 場所によってはソロでも可能なので、キングを取りたい者は結構使う手段らしい。


 もちろんキングを取れれば、物凄い報酬が待っているらしく、毎週熾烈な順位争いが巻き起こっているとの噂である。週の1位も確かに凄いが、月の1位となると物凄い偉業だ。

 僕のキャラのリンは、そんなハンターギルドの猛者を相手取って、先月のランキングの3位に入った。もちろんそれは、ロックスターの性能無しでは有り得ない事態だ。

 届けられた報酬も良かったし、何よりポイントでのキャラ強化は有り難い。


 今や環奈ちゃんは、瞳をウルウルさせて僕を尊敬の目で見つめていた。まさか姉が自分の皮肉を真に受けて、本当に“封印の疾風”本人を自宅に連れて来るとは、思ってもいなかったのだろう。

 僕も同じく、何でこんな事態になっているのか、はっきり言って分からない。自由に見ていいよと、僕は環奈ちゃんにリンのコントローラーを渡した。

 ひったくるようにして、それを奪う環奈ちゃん。こんな機会は滅多にないと思ったのだろう。お行儀が悪いわねと、神薙さんが小言を口にする。

 僕は最初の予定通りに、二人のキャラチェックをする事に。まずは神薙さんから。


「リン様っ……いきなりですが、質問良いですか? 何故に武器装備が短剣と片手棍なんでしょうか? ってか、この武器は何??」

「それはロックスター、合成で偶然出来た《封印》ってスキル技を使える唯一の武器かな? 僕はジョブスキルは、変幻タイプを育ててたんだけど、そしたら《同調》って言うスキルを覚えて。右手の片手武器のスキルと、左手の片手武器のスキルが同じになる、かなり強力なスキルなんだ。それで、リンはロックスターを使う事前提で育て直したんだ」

「へえっ、その鍵私も持ってたけどなぁ。イベントで配ってた奴でしょ? 結構面白かったよね、あのイベント」


 一緒にしないでと、環奈ちゃんが騒ぎ立てる。僕は元の合成素材は、そのイベントの鍵だと皆に教えると。環奈ちゃんは感銘を受けたようで、再びリンを調べに戻る。

 神薙さんのキャラはナギサヤという名前らしく、一言で言うと酷かった。僕は絶句して、そんな感情はメルの妹のサミィが、悪戯で通信ケーブルをプレイ中に引っこ抜いて以来、とんと味わった事がなかった。

 その時は慌てて接続し直したが、僕のキャラは既に敵にやられていて、完全に後の祭り。それ以降、子守中には決してネットゲームはしないと決めたのだが、今は関係の無い話。

 とにかくショックの原因は、まずはスキルの振り方にあった。何故か片手剣や両手鎌、さらには弓術に6~10のスキルが振り分けられていて、それで装備している武器は両手槍と銃。

 意味が分からない、彼女は何がしたいんだろう?


 属性魔法は、それよりはマシだった。氷種族の神薙さんは、氷と雷スキルを中心に魔法を覚えているらしい。しかし、魔法もやっぱり土や闇に変な注ぎ込み方をしていて、何で10の単位に合わせないのだろうと不思議で堪らなくなる。

 ジョブレベルは72となっている。2年で上げたにしては物足りないが、まぁこんな物だろう。レベル上げも、ある程度人数が揃っていないと非合理的なのだ。


 後付けの『ジョブ』については、全く触ってもいない様子。これは各キャラにもっと幅を持たせようと、バージョンアップで追加された戦闘体系派生システムの事だ。

 みんなはジョブとしか呼ばず、今ではそれで固定と言うか通じてしまう。今更ジョブという概念を持って来るのかと、当時のプレーヤーは憤慨したとか呆れたとか。

 そう言う話もよく聞くが、ファンスカはそもそも自由度が高過ぎるのだ。それが原因で、神薙さんみたいに変に混乱する人が増えるのかも知れない。

 その辺りの事をちょっと話しておこうか、僕もちょっと混乱して来た。


 ゲームを始める人は、まずは自分のキャラを作るんだけど。その際には『光、闇、風、雷、水、炎、氷、土』の属性のキャラから選ぶ事になる。あと、性別も。

 その後は、前衛か後衛か、アタッカーか回復役かなどと、キャラの性格から役割を考えつつ。レベルを上げて貰えるスキルポイントを、伸ばしたい武器スキルか属性魔法スキルに振り込む。

 スキルポイントは、レベルが1つ上がる度に2ポイント貰える。ステータスの振込みポイントも同様で、これで前衛向けとか後衛向けの育成方法が分かれるのだが。

 武器や魔法スキルが10を超える度に、スキル技とか補正スキル、又は属性魔法を覚える事が可能になる。いわゆる必殺技で、これを覚えると戦闘が楽しくなって来る。

 いきなり出来る事が増えるし、強くなった気がするからね。

 

 昔はこの振り込みポイント、10の次からは+20貯めないと取得出来なかったらしいけど。いっぱい取得出来た方が楽しいと言う理由で、今は+10毎の取得に変更になった。

 この振り込みポイントを魔法取得に使えば、立派な魔法使いの出来上がり。ただし、後衛の魔法使いはMPを使い切ると何も出来なくなるので大変だ。

 魔法にもやっぱり、種族と同じ8つの属性がある。つまりは光、闇、風、雷、水、炎、氷、土の8つの種類で、属性により個性があるのでどれをあげるか悩みどころ。

 回復魔法とか攻撃魔法が、属性によって出たり出なかったりするからだ。 


 武器を使ってのアタッカーを目指すなら、断然両手武器のどれかを選択すべきだろう。攻撃力の高い武器が揃っているし、覚える武器スキルも強力なダメージを出せるものが揃っている。

 片手武器は、その点ちょっと微妙だ。ダメージは低いが、反対の手に盾を装備して頑強な盾役を目指す事も出来る。僕のように二刀流を習得して、魔法剣士になるのもいいかも。

 スキル技も、幻惑系やスタン系など、ユニークな物が多い。


 遠隔武器を使用する者も、最近は多いみたい。通常ダメージがとても高い上、矢弾によって様々な追加効果も期待出来るからだ。矢束は結構、お金が掛かるけどね。

 そんな感じでキャラの性格を攻撃パターンから作っていくのが、このゲームの醍醐味である。もちろん最初に選んだ種族属性にも、アタッカー向きとか魔法が得意とか性格がある。

 神薙さんの氷種族は、本来は魔法が得意なタイプ。後衛に従事すれば、その性能を生かす事が出来るだろうけど。少人数ではどうしても前衛で盾をこなす存在が必要で、そうも言ってられない。

 そして普通は、伸ばす武器スキルは大抵1つに絞るものだ。伸ばしたスキルポイントは、ダメージにも結びつくから。魔法スキルは、多様性を求めて幾つか伸ばすのが主流だが。

 そこのところを、僕は神薙さんに質問してみた。


「あの……何で武器スキルの振り込み先と、武器の種類が一致してないの?」

「えっ、それは……攻撃力を追求して行ったら、何でかそうなっちゃって。私も凄い技覚えたいけど、覚える前に新しく攻撃力の高い武器を入手しちゃうんだもん。今はもう、武器は諦めた」

「お姉ちゃんは、ちょっとおバカだから。私のアドバイスなんか聞きやしないし」

「うるさいわね、これでも殴れば結構ダメージ出るのよ!」


 スキル0で殴っている訳だ、まぁ不可能じゃない。装備画面を確認すると、熟練度はそれなりの数値を示していた。うん、一応アリかも知れないが、これは茨の道には違いない。

 スピードが出る上、安全な水着があるのに、わざわざ服を着たままプールに入るようなモノだ。下手したら溺れてしまうのに、その事に気付いていないと言う。

 取り敢えず、神薙さんには好きな武器を1つ選んで貰おう。

 

「神薙さんは、武器で好きなの1つ選んだ方がいいかな? 武器での攻撃が好きみたいだし。ジョブが決めれないのも、方針が定まってないからだよね?」

「はいは~いっ、私は決まってるよ! えっとね……召喚タイプなの。もっと強くしたいけど、方法が良く分からなくて」

「私が教えたじゃん、ハンターポイント貯めなさいって……あぁ、貯め方が分かんないのか」


 環奈ちゃんは納得した感じで、再びリンの観察に戻って行った。姉とその友達のヘボ振りには、もう馴れっこになっている感じがする所が凄い。

 さて、ハンターポイントは一定のNMを倒したり、塔を攻略すれば獲得できる事は話したと思うけど。その使い道は、今環奈ちゃんがたった今話した通りだ。

 そう、後付けジョブを強化するのに役立つのだ。


 ジョブ、つまりは戦闘体系派生システムには、6つの種類がある。戦士タイプ、魔法タイプ、支援タイプ、変幻タイプ、召喚タイプ、遠隔タイプで、なる程名前を聞けはジョブである。

 これを自分のキャラに好きに付けて、戦闘体系に含みを持たす訳だ。これがハマると、キャラが途端に別物になって面白い。もちろん、強みを強化する感じにも出来る。

 例えば僕は変幻タイプを選んで、ラッキーにも《同調》と《連携》という強力なスキル技を覚える事が出来た。両方とも前に説明した通り、今やリンには欠かせないスキルだ。

 特に《同調》はレアな存在で、左右の武器の違う二刀流使いは、滅多にお目にかかれない。この補正スキルの良い点は、スキル上昇に伴って、ちゃんと武器スキルも自動習得出来る事。

 僕はこのお陰で、10個以上の片手棍スキルを獲得出来た。


 岸谷さんの召喚タイプは、一時ブームになったペット召喚をメインにしたスキルが取得出来る。ペットと言っても戦闘用で、これは未だに役に立つと唱える派と否定派の論争が絶えない。

 要するに、可愛いだけだろうと視野にも入れないプレーヤーも多い訳だ。僕の知り合いにも、残念ながら召喚タイプを付けている人はほとんどいない。

 師匠に後で、聞いておいた方がいいかも知れない。


「紹介しま~す、プーちゃんで~す♪」

「……また始まった、ペットなんか役に立たないってば、優実ちゃん」


 白けた感じの環奈ちゃんとは裏腹に、とっても嬉しそうな声で岸谷さん。街の端っこに移動して、自分のペットを召喚する。岸谷さんのキャラはユミタンと言うらしく、ペットはプーちゃんとの事。

 ユミタンは光属性の♀キャラ、プーちゃんはトドに角を付けたような外観で、意外と小さい。何故かピンク色で、神薙さんの話では、我がパーティの盾役だそうだ。

 ペットが盾役……どこまで破天荒なパーティなんだ。


 改めて岸谷さんのキャラを見せて貰ったが、これまた強烈なインパクトが僕を迎え撃った。一応レベルは70あるが、彼女もペット召喚以外は、眼中に無かったのだろう。

 武器スキルなど全くの手付かずで、装備すらしてない。魔法は回復が欲しかったのか、水とか光属性を伸ばしているようではあるが。ミッションを1つクリアしないとジョブの附加は獲得出来ないのだが、それまではどうやって戦闘をこなしていたのだろう?

 驚くべきは、スキルポイントとステータスの補正ポイント。何と両方、30以上を貯め込んでいて使っていないと来ている。どうして良いか分からない感が満ちていて、思わずホロリとしてしまう。

 岸谷さんの悩みは、ペットの強化に尽きるみたいだ。


「岸谷さんは、ペットを強化したいんだよね? ゴメン、僕そっち方面はあまり詳しくないから、一度師匠に相談していいかな? 師匠は、どの方面も詳しいから」

「まぁ、リン様の師匠って……相当有名な方なんじゃ?」

「うん、合成の師匠なんだけど……チルチルってキャラ名で、出版関係の仕事してる人。自費で結構、ファンスカの攻略本とか出してるから、大井蒼空町でも有名かも?」

「へえっ、リン君はそんな人とも知り合いなんだ」


 環奈ちゃんが突然席を立って、ばたばたと家の奥に引っ込んで行った。僕は驚いて、何か失礼な事をしたかと首を傾げてみるのだけれど。

 二人の女性は知らん顔。大きな音をたてて戻って来た妹さんは、手に大判の攻略本を持っていた。確認するまでも無く、師匠の編集した出版物である。

 何しろ、他にこんな酔狂な本を出す所はありはしない。


 それからは、しきりに感動する環奈ちゃんと、神薙さん&岸谷さんペアの質問タイム。環奈ちゃんの質問は高レベルで、僕の戦闘スタイルとかスキルのセットの相性とか。

 お姉さんペアには難し過ぎて、言ってる事が何の事やら。反対に、お姉さんペアの質問は基本的過ぎて、環奈ちゃんには眠た過ぎる時間。

 あんたは黙ってなさいとか、そんな質問は攻略本で調べれば済むでしょとか、余ったプリンを食べていいかとか、とにかく騒がしい事この上ない。

 春休みの子守りの時ですら、これ程の騒動は無かった気がする。


 その騒ぎが少しだけ静まったのは、環奈ちゃんが昨日の夜の戦闘を見ましたと口にした時から。偶然サンローズの街にいたらしく、昨日は興奮してなかなか寝付けなかったとか。

 僕は無理やり転移先を歪められて、その後クエが発生したのだと弁明した。100年クエストの関連かもと、ちょっとした推測で口にする。

 新エリアだったし、何よりバージョンアップ後すぐだったしね。


「そうだと思いますよ、リン様のカバンの中に黄枠のアイテム入ってましたし。えっと、『手長族の通行手形』と『町外れの貸家の鍵』だそうです」

「黄枠って事は、クエ用のアイテムだね。昨日はすぐ落ちちゃって見てなかったけど、あの戦闘のドロップ品かな。どうやらサンローズ周辺が、100年クエストの舞台のひとつみたいだ」

「あぁ、お昼にも言ってたけど、100年クエストって何? 新しいクエだってのは分かるけど」

「あっきれたっ! ちゃんとバージョンアップ情報読んでよね、お姉ちゃんっ。100年クエストって言うのは、ハンターキングとか領主とか、そういう頂点を極めた冒険者のみ、挑戦する事が許される超難問クエストなのよっ!」


 お姉ちゃんには全く関係無いけどねと、何故か鼻高々な環奈ちゃん。それでも僕がそれを受けたと聞いた神薙さんは、手伝ってあげるよと呑気な言い草。

 足を引っ張るだけだと、環奈ちゃんは再びヒートアップ。足をダンダンと踏み鳴らしながら、これ以上恥をかかせないでと顔を真っ赤にしている。

 酷い言い様だが、何となく言いたい事は伝わって来るのが悲しい。


「だって、今度から同じギルド仲間だもん。助け合うのは当然じゃない? リン君、私の武器で一番攻撃力の高いの、銃なのよ。これからは私、銃使いになろうかな?」

「あ~っ、それは凄い格好いいかもっ! ファンスカの銃は、形が面白いよねぇ? そう言えば、あさってから連休だ。池津君、レベル上げ手伝って♪」

「うん、いいけど……お昼は何かしら家を空けてるかも知れない」

「リン様と……同じギルド……」


 僕達がゴールデンウィークの予定を話し合っている間、環奈ちゃんは魂を抜かれたように独り言を呟いていた。どうやら姉に出し抜かれたのが、よっぽどショックだった様子。

 僕達がフレンド登録と携帯のアドレス交換を始めると、突然スイッチが入ったみたい。自分もしたいとアピールを始め、慌てて携帯を取りにダッシュ。

 仕方ないわねと、神薙さんが自分のキャラの回線を落として、妹のインの準備をしてやる。仲が悪いように見えて、やっぱり姉妹の絆は深いよう。

 新たに画面に出現したのは、『カンナ』と言う名前の雷娘。手には両手槍を持っていて、なかなかに勇ましい姿だ。僕の記憶には無いが、これでもサブマスを努めるやり手だと神薙さん。

 レベルも110を越えていて、バランスも良さそうだ。


 ファンスカ内と現実で、一気に3人の女性達とフレンド登録をしてしまった。僕はちょっと舞い上がりながら、携帯にミスケさんからのメールの着信を見つけてちょっと慌てる。

 チラッと見ると、どうやら夕食の誘いのよう。家に帰ってもろくな調理機材すら無くて、僕と父さんはほとんど外食なのは、知り合いには周知の事実だったりする。

 時計を見たら、もうすぐ6時になる所。いつの間にか、2時間近く滞在していたようだ。その内の半分位は、何だか姉妹喧嘩を聞いていたような気もするけど。

 僕はそろそろおいとますると言うと、残念そうな環奈ちゃんの声。


「また、ネットの中ででも。合成とかの依頼なんかでも、気軽に声掛けてくれていいよ。今日はとっても楽しかったよ、ありがとう」

「そうね、楽しかった。また今夜か、それとも明日学校で」

「ばいばい~っ、池津君……私も、リン君て呼んでもいい?」


 僕は笑顔で頷いて、その提案を承諾する。それから別れを口にしつつ、神薙さんの家を後に。環奈ちゃんが、絶対ゲームにインしてたら声を掛けて下さいと意気込んで口にする。

 僕はのんびり歩きながら、再び学校の校舎の方向を目指しつつ、ミスケさんにメールの返信。大学の学食か近くのカフェテリアかを指示されていたので、カフェテリアを選択。

 学食はこの時間騒がし過ぎて、のんびり話も出来ないのだ。




 街の明かりが灯り始めていて、風が冷たく感じられる。さっきまでの部屋の暖かさのせいだろうと、僕は何となく夢見心地の気分だった。

 友達の家で遊んで、その帰り道に感じるこんな気分。小学生以来のこの不思議な高揚に、僕はもう少し浸っていたかったのだと思う。

 ゆったりした足取りで、校舎を左手に見ながら坂を登る。大学のキャンパス内に、僕は無断で自転車を置かせて貰っていた。それを回収しつつ、目的地に向かう。

 その喫茶店もすぐ近くなんだけど、夜のキャンパスは暗くて寂しいからね。


 自転車に乗ると、目的地にはあっという間に辿り着く事となった。キャンパスを縦断してオフィス街に出ると、暖かなネオンの通りが続いている。

 その1つのビルの二階のテナントが、オフィス街に勤めるサラリーマン御用達の喫茶店となっているのだ。夜はしかし、それほど混んではいない。

 少し足を伸ばせば、洒落たレストランなど幾らでもあるから。


 階段を上って狭い木製の扉を開けると、ミスケさんは既に到着していたようだ。僕を見付けると軽く手を振って来て、珍しく機嫌が良さそうに見える。

 ミスケさんの本名は、三村宗助みむらそうすけと言うそうで、見た目は細身のナイスミドルである。僕に負けない程の長身で、顔を中心に鋭利な雰囲気を醸し出している。

 普段もたまに夕方過ぎに合うが、その時はぐったりしていて文字通り生気が無い。俗に言う管理職のミスケさんは、心労その他でいつも胃の調子を崩しているのだ。

 背広姿の似合う人で、ちょっと見渋い役者さんにも見える。


「よう、疾風の坊、もうすぐ大型連休じゃないか! 俺には練りに練った家族旅行が待っているっ、そっちは予定あるのか?」

「こんばんは、だから機嫌が良さそうだったんですか? 僕はハンスさんに予定のキープ頼まれてますね、どっち道旅行なんか計画してないけど」

「そうかそうか……ハンスの方は仕事休めずに、譲ちゃん達も可愛そうだな。まぁ、坊がしっかり遊んでやれ。そのついでと言っちゃ何だが、俺の家も5日も留守にして色々心配なんだ」


 オーダーを訊ねに、給仕さんが近寄って来た。案の定、店内は程よい空き加減で、こちらとしてはゆったり寛げる。僕とミスケさんは注文を通して、再び会話に突入。

 今日は奢りだと、ミスケさんは相変わらず機嫌が良いよう。


「5日も旅行に出掛けるんですか、凄いなぁ。あれっ、でもミスケさんとこ、ペットいたんじゃ?」

「そう、あと観葉植物とかも心配なんだ。坊に時間取れたら、毎日の餌と水遣り頼まれてくれないか? 隣近所に頼むのも、5日は長過ぎるしなぁ」

「はぁ、別に構わないですよ、ミスケさんの家ってこっちでしたっけ?」


 最近は、僕の地元の辰南町から通う人も急増しており、故に大井蒼空町に住まいがあるとは一概には決め付けられない。ただし、ゲームのベテラン勢はこの街出身が多いのも、純然たる事実ではあるが。

 現にハンスさんの家は、こっち側の旧住宅街にある。娘達の通学も便利で、時々通っている姿を見掛ける事もある。向こうも簡単にこっちを見付けるけどね。

 ミスケさんはマンション住まいだと打ち明けて、運ばれて来た料理に早速取り掛かった。胃の弱いミスケさんは、脂っこい料理は極力避けていて、今回もバスタとスープセット。

 僕の料理も程なくテーブルに並べられた。お昼がパンだったので、和食御膳だ。


 食事をしながら、話は昨日のNM退治とかこの後どうするかとかの話題に。ミスケさんはもう少し仕事があるらしく、この後も会社に戻らなければならないらしい。

 まぁ、仕事が終わっていたら、ミスケさんも家庭に戻って食事するだろうし。僕の方は、父さんと食べる事もあるし、師匠の家にお呼ばれする事もある。

 学校が終わって、真っ直ぐ家に戻る事はあまり無い。中学の頃は部活に熱中していたし、誰もいない家に戻るのは何より味気ないしね。

 この後は師匠の所に寄ってみると言うと、僕の自由さに羨ましそうなミスケさん。


「いいよな、気楽な学生って身分は。こっちは仕事が押してて、愛しい我が家に戻るのはまだまだ先だ。いやいや、坊のとこも母ちゃんいなくて大変なんだよな。せめてギルドなんかで、和気藹々な雰囲気を味わえればいいんだが」

「ハンスさんやミスケさんには、充分お世話になってますよ。師匠は言うまでも無いけど。それに……今日、同級生からそう言う話が」

「むおっ、マジかっ! とうとう坊も、高校生デビューか……いや、やっぱり同じ世代に友達がいないとな! めでたい事だ、ビールで乾杯するか?」


 未成年なので遠慮しますと、ちょっと照れながらもそう口にする僕。中学時代の僕の悩みなど、ミスケさんはほとんど知っている。この人も高校は他の地のエリート進学校を選んで、その空気に馴染めなかった経歴を持っているらしい。

 何度も相談に乗って貰っていて、気に掛けてくれているのも分かっている。だから一応の報告を、僕の方からした訳だけど。詳しい事は恥ずかしいので、ここは敢えて伏せておく事に。

 何より、まだ本決まりではないと重ねて言う僕。


「二人とも、初心者って言うか……システム理解しないままにプレイしている感じなんです。ギルドの目的もはっきり定まってないし、キャラに対する愛情は感じられるけど」

「フム、女の子によくあるパターンだな……ってか女の子なのか? まぁ、純粋に楽しんでみるのもいいかも知れないな。ただし、貢がせて捨てるような怖い女もいるから注意するように!」

「は、はぁ……」


 ミスケさんの目が本気なので、本当に心配している事が伝わって来る。過去に何かあったのかなと、逆に僕の方が不安になってしまうけど。

 何にせよ、彼女達ならそんな事にはならないだろうと思う。ミスケさんは、なおもアドバイス的なあれこれを口にしつつ、やはりちょっと心配そうな様子。

 けれども、彼女達のキャラの現状を話すと、ミスケさんも大爆笑。


「わははっ、スキル無視して攻撃力だけで武器を選んでたって? それで70まで上げたのも、ある意味凄いなっ!」

「二人で遊ぶ時は、ペットに盾役させてたらしくって。何度死んでも、そのスタイルは貫いてるらしいですね」

「わははっ、それが確立したら、本当に新しいスタイルだなっ! いやいや、なかなか楽しそうな同級生じゃないかっ!」


 僕もそう思うと口にしつつ、この時僕の心の中では、全く新しい感情が芽生え始めていた。それは彼女達を擁護するような、笑われる立場じゃなくて、何かしらで誇れるキャラになれるように手助けしたいという思いだった。

 別に、ミスケさんに笑われるのが不快だった訳では無い。何と言うか、そんな評価の低いキャラでも、やれば出来るんだと言うのを証明したいという願望だ。

 僕は普段から、激昂するとか熱くなるとか言う感情とは無縁なのだけれども。その時は、自分の中に生まれたその思いに、一刻も早く取り掛かりたくて仕方が無かった。

 そう僕が告白すると、ミスケさんは笑いながら頷いてくれた。


「いいじゃないか、若いんだから思った事をどんどんやればいいんだよ! 後悔なんか、後ですればいいんだから……しかし、ちょっと取っ掛かりが欲しいよなぁ。坊の師匠に相談が先かな?」





 ミスケさんが慌てて仕事に戻ったのは、7時ちょっと前。僕も一緒に喫茶店を後にして、自転車に乗って師匠の家を目指す。周囲はすっかり暗くなったが、目的地は割と近場だ。

 とは言っても、車で行こうと思ったらちょっと苦労するのは確か。大学の敷地を横目に見ながら、神社のある小高い山の歩道を越えないと辿り着けない場所なのだ。途中は階段になっていて、車は通り抜け不可。

つまりは、川の方に出て遠回りしないといけなくなってしまう訳だ。


 街路灯も寂しい感じで、夜に通り抜けるには確かに怖い気もするけど。おまけに、抜けた先は思いっきりの田舎で、田んぼと真っ直ぐな田舎道、ぽつんと離れて建っている家々が印象的だ。

 師匠と奥さんは大井大学の卒業生で、そのままここに住み着いたらしく。


 その辺のノロケ話なども、僕はたっぷり聞かされている。奥さんもファンスカのベテラン冒険者、出会った頃もそんな気の合う二人だったとか。

 当時は期間限定イベントが盛んだったらしく、年に何度も賞品付きで開催されたらしい。今はほとんど無いが、それに取り組む過程で徐々にお互い意識し始めたのだとか。

 

 今は奥さんの方が二人目のおめでたで、師匠の家はちょっとゴタゴタしている。奥さんは、以前は地元の有名薬品会社に就職していたが、長男の出産を機に辞めてしまったらしい。今は二人目の出産前で、大事な時期らしいのだが。

 僕とも顔見知りで、とても親しくしてくれる。物凄く気のいい人で、それは師匠もそうなのだけれど。母親としては相当苦労しているようで、やんちゃな我が子に毎日苦労しているよう。

 魁南かいな君はまだ2歳、手の掛かる年頃だ。


 言うのを忘れていたが、師匠の家は出版社も兼ねている。趣味が高じて、とうとう立派な印刷機まで隣の倉庫に買って取り付けてしまったのだ。

 その二階が編集室になっていて、僕も色々と作業を手伝わせて貰っている。師匠の家はそのせいで横長で、傍目に見れば田舎の大きな農家のようにも見えるのだ。

 農機具置き場の変わりに、印刷の機材が置かれている感じだ。


 師匠は大抵、家か編集室のどちらかにいるので、アポ無しで訪れても行き違いになる心配はない。この時間なら、恐らく夕食も終えて寛いでる頃だろう。

 僕は家の前に自転車を置いて、編集室の明かりが灯っているのを庭先から確認する。それから合図の為のベルを鳴らして、鉄製の外階段を上って行く。

 いつもの事なので、師匠も訪問者が僕だと分かっている筈。


「よう、凛君。夕ご飯は食べたのかい? まだなら隣で食べておいで」

「こんばんは、師匠。ご飯はさっき、ミスケさんと食べて来ましたよ。今日はちょっと、相談があって来たんですけど」

「ほうほう、それは珍しいね。コーヒー淹れようか、メールのチェックしながら聞いてもいいかな?」

「構わないですよ、僕も資料整理手伝いましょうか? 春から全然減らないですよね、バイトとかで作業人数増やさないんですか?」

「売れる本なら増やしてもいいけど、あてが無いからねぇ。よしっ、話を聞こうか?」


 コーヒーの入ったカップを2つ持って来て、師匠がいつもの席に着いた。パソコンを操作しながら、いかにも寛いだ呑気な風情を醸し出している。

 師匠の名前は春日野英二かすがのえいじさんと言って、外見は平凡な編集者そのもの。背も高くないし、良きパパにも見えないし、全体的にもさっとして見えるのだけど。

 物凄く良い人で、それはファンスカのプレイにも現れている。家庭でも同様で、重荷の妻に代わって掃除や食事の用意を率先して行っているようだ。

 僕もたまに魁南君の子守りをするが、物凄~く大変。


 僕は午後に起こった顛末を、かいつまんで説明した。なるべく分かり易く、これからの指針を得やすいように。師匠は笑うと言うよりショックを受けているようで、パソコンに向けられた視線は、いつの間にか僕を注視していた。

 ミスケさんの忠告や僕のやる気まで話し終えると、師匠は椅子の背にもたれて考え始めた。長く掛かるかなと思ったが、割と早く言葉が飛び出す。

 しかもそれは、賞賛の響きを称えていた。


「う~ん、凄いねその娘達は……情報に頼らずに、自分達の感性で冒険を進めていた訳だ。最近の子供は、些細なクエから狩場に至るまで、まず情報で安全を確認しないと動かない。キャラのメイクも同じさ、どうすれば近道で有利かを真っ先に考える。それは想像力の均一化だよ? まぁ、攻略本を出している僕も、それに一役買っている訳だけど……」


 なる程、そう言う考え方もあるのか。僕は思わず、師匠の解釈の仕方に感心した。確かに彼女達の今までの冒険は、遠回りで無益だったかも知れない。

 しかし、彼女達が楽しんでいなかったかと言えば、誰もそんな事を判定出来やしないんだ。しかも、その中から今後のセオリーとなる、新しいプレイスタイルが生まれないとも限らない。

 さすが師匠、見る角度を変えただけでいい話に聞こえて来た。


「召喚ジョブにしても同じ事さ、昔は確かにペットブームってのもあったけど。所詮は戦闘に勝たないといい目を見れないもんだから、どんどん使用者が減って行って。今は極端に使用者もいなくて、なかなかデータも取れないんだが……」

「確かに僕も、召喚ジョブの事は良く知らないものですから。師匠に色々聞きたいと思って。最新の攻略本にも、一応の代表スキルしか載ってなかった気がして」

「そう、恥ずかしながらデータ不足だね。……よしっ、こうしよう。凛君がその娘達から召喚ジョブのデータを集めてくれないか? 軍資金を取り敢えず、1千万渡そう……現実にも、それだけ潤沢な資金があれば、もっと出版物が出せるんだが」

「それは確かですね……でも、本当にそんなに貰っていいんですか?」


 どうせ使い道もないしと、師匠は達観した表情。確かにゲーム内で億万長者になっても、達成感や満足感だけで終わってしまうモノ。あるいは、虚しさだけかも知れないが。

 僕は了承したと答えて、それから二人のキャラの育成についての相談を改めて持ち掛けた。レベル上げやミッションに挑むにしても、もう少し使えるようになってくれないと困る。

 僕ばっかり活躍しても、こちらの負担が大き過ぎるし、何より彼女達もつまらないだろう。


 師匠は神薙さんについては、『還元の札』でスキルの払い戻しをすべきだろうと提案して来た。還元の札とは、一度取得したスキルを封印して、その分のスキルポイントを取り戻す事の出来るアイテムである。

 例えば振り込んだスキルが不必要だった場合とか、別の武器を育てるので今まで育てた武器のスキルをもう一度新しい方に振り直したい時とか。

 かなり強力でお高いが、どちらかと言えば武器指南書の方が人気が高い。何故なら一度そうやって封印した筈のスキルは、再び戻って来てしまう確率が高いからだ。

 それならそのスキルは使わず、どんどん伸ばして別のスキルを覚えた方が特である。


 銃の弾丸は高いが、それはこちらで買ってあげれば済む問題。逆にパーティの攻撃力の上昇は、戦闘時間の軽減に繋がるので非常に良い。銃の攻撃力は、両手武器の中でもそれ程突き抜けているのだ。

 レベル上げでも、それはきっと有効に作用するだろう。

 

 岸谷さんに関しては、さすがの師匠もアドバイスのし様が無い感じ。召喚ジョブオンリーの育成など、師匠にとっても初めて見るパターンらしかった。

 彼女は召喚が終わったら、後衛でペットの支援しかしないらしい。そう説明する僕に、師匠はう~んと唸って天井を仰ぎ見た。辛うじて、自分の属性の魔法を伸ばせば、属性召喚が可能になって、昔はそれに個性をつける『宝石献上』という行為が流行ったらしいとの事。

 与える宝石の種類によって、属性の光球が色々と変化して、それが当時は珍しかったらしいのだが。今はペットを出していると、経験値がそちらに横流れするのを嫌って、NM戦ですら使用する人がいないと言う寂しい事態に。

 ペットも一応、経験値を取得すれば成長はするらしいんだけど。


 だから岸谷さんがそれを当てにするのも、あながち的外れでは無い訳だ。レベル上げで経験値が減ってしまうのも折り込み済みで、ペット強化のためと考えれば腹も立たない。

 師匠は貯まったスキルポイントは属性魔法に廻して、ステータスは精神力か知力に廻したらと、ちょっと自信なさげに提案して来た。

 後衛仕様に育てて、しばらく様子を見ればと言う事らしい。


 他に良い考えも出て来ずに、そんな感じで話はまとまった。神薙さんのジョブ選択は、取り敢えずは遠隔か何かが良いだろうとの一致の見解。

 僕が前衛で頑張れば、それなりに統制の取れたパーティになるだろう。自信は無いが、ゴールデンウィーク中には、もっとマシな感じになると期待したい。

 そう言えば、レベル上げしようと約束してたっけ。


「そう言えば、師匠の家はゴールデンウイーク、どこかに出掛けるんですか? ミスケさんは家族旅行に出掛けるそうで、ペットの世話を僕に頼んで来ましたよ?」

「う~ん、休みは取れるけど、妻は身重だしねぇ。家でのんびり、本でも読んでるかなぁ? そう言えば、今週の課題はどんなのだい?」

「えっと……この本です、今度は中級のプログラム本らしくって。一週間で読むのは可能だけど、ちゃんと理解まで出来るかなぁ?」


 僕はカバンから取り出した本を、師匠に手渡す。僕と父さんの遣り取りは、師匠にはバッチリ話してある。素晴らしい事だと、師匠も感銘を受けていた。

 魁南が大きくなったら、自分も絶対にやるぞと決めているらしく。本好きな家族らしく、何よりこのデジタル情報時代に逆行する、印刷された物を大切にする心が素晴らしいとの事。

 師匠から言わせると、デジタル時代だからこそ、形に残る物の有り難味が分かるとの事らしく。それは確かだと、僕のルーツの本棚の例にしても賛同出来る。

 そもそも、師匠が出版社を立ち上げたのも、その点に尽きるらしい。収集心をくすぐるようなカバーの工夫とか、購買意欲をそそるような文字の羅列だとか、最近はそう言うのも確かに大切だけれども。

 何より、買い手が本当に必要としてくれる本を作るのが、師匠が心に秘めたる使命だとの事。神薙さんの妹の環奈ちゃんが、ここで生まれた攻略本を大切に持っていたように。

 そういう本を大切にする風潮は、少なくともこの街には根付いているようだ。


 だから師匠も、この街に居付いて会社まで興したのかも知れない。僕もすぐ側で、そのノウハウを見る事が出来て、とても幸せだと思う。

 師匠とゲームで知り合って、それから割とすぐにこの編集室に招待して貰ってもう1年になる。普段は社長である師匠を含めて、3人程度の小さな編集部。しかも、全員印刷業の方にも携わっていて、それが結構大変な力仕事なのだ。

 本になる前の、印刷用の紙の塊の重さを知っているかい? だから僕の存在は、階下の力作業にはとても重宝される。何しろ若いし、力持ちだから。

 印刷の終わった本の詰まったダンボールも、もちろん結構な重さがあるしね。


 師匠は難しそうだと感想を口にして、父さんの課題本を返してくれた。今日のノルマは決めてないが、日課としては寝る前にちょっとは目を通す事になるだろう。

 師匠は興味深そうに、父親の跡を継いでプログラマーになるのかと尋ねて来た。僕は分からないけど、知識が選択の幅を広げるから習得して損は無いとうそぶいてみせる。

 習得の自信なんて、これっぽっちも無いんだけどね。


 部屋の時計は、もう8時を指していた。そろそろ返らないと、ゲームにインする時間も減ってしまう。別に習慣と言う訳ではないけど、せっかくフレンドが増えた大切な日なのだ。

 早く戻って、それを実感したいと言う気持ちが僕を急き立てる。ここから自転車を飛ばせば、15分程度で家に辿り着く事は可能である。

 僕は9時からインすると師匠に告げて、帰る段取りを進める。師匠もその時間にはインすると返事をして、これで今日の会合はお終い。

 僕は別れの挨拶と共に、編集室を後にする。それから再び自転車に乗り込み、今度は自宅を目指して一目散にペダルをこぎ始めた。

 やっぱり夜風は冷たいが、僕はスピードを緩めない。




 家に帰り着くと、いつもの通りに風呂に入って学校の宿題や何やらを片付ける。その頃には父さんも戻って来るが、僕は既に自宅に引っ込んで勉強中。

 勉強が終わったら、メールのチェックをしながらゲームにインするのも毎度の流れ。メールの相手は小学校時代の地元の辰南町の友達が多く、家は近いが進路で距離が離れた仲間達だ。

 週に何度か文面で遣り取りし合っていて、僕のカンフル剤になっているのは確か。連休前の文面は、予定の確認や告知などが多いようだ。

 遊びを誘ってくれる人もいたんだけど、バイトがあって無理だと断ったのは残念だ。


 ファンスカにインしても、しばらくは忙しく過ごす事になる。やっぱり色々な方面からメールが来ていて、それは半分はドライな合成依頼とか狩りの誘いなのだけど。

 今日に限っては、神薙さんや岸谷さんからお試しメールが届いていた。しかも、インして5分も経たない内に、環奈ちゃんから直接テルまで届く始末。

 場所を訊き出した環奈ちゃんは、しばらくして僕のいる競売所まで飛んで来てくれた。それから装備やスキルの座談会みたいになって、彼女のキャラ相談にしばらく時間をかける。

 どうも昼間の姉達のキャラ相談を見ていて、羨ましく思っていたのかも知れない。環奈ちゃんのキャラは、昼に一度見た印象通り、なかなかこなれた重戦士タイプのよう。

 スキルも申し分ないし、頼り甲斐のありそうなアタッカーだ。


 師匠が到着すると、僕は環奈ちゃんを紹介した。攻略本を出した人だと知って、環奈ちゃんは舞い上がっているよう。何より、10年以上のキャリアの差は、少女には眩しく映ったのだろう。

 合成の依頼をこなさねばならず、僕と師匠は忙しく競売での遣り取りを開始せねばならなかった。連休を前に品物を受け取りたいと言う依頼者が、意外に多いためだ。

 それを聞いて環奈ちゃんが、健気にも僕達の手伝いを申し出てくれた。その頃には神薙さんと岸谷さんも合流しており、騒がしさは5倍増し。

 これが噂のプレーヤーかと、師匠だけは興味津々の様子。


 環奈ちゃんにバザー品のチェックを頼んで、僕は時間の短縮を図る事にした。個人でレアな品を売りに出す人は意外に多いのだ。競売所の近くにバザー広場があって、競売に出せない品や手数料が高い物を個人で売買する人が列をなしている。

 一人ずつ何を出品しているのか、バザーの場合にはチェックが必要なのが難点。競売の場合には、ピンポイントに出品物の有無が分かるのだが。

 僕は合成に必要な素材や、神薙さん用に還元の札や武器指南書が出品されていないかを調べてくれるように環奈ちゃんに頼んだ。お高い買い物になるが、先ほど師匠から軍資金は貰っているので問題ない。

 

 その神薙さん達は、師匠と色々話し合っていたようだ。インタビューを受けているようで、師匠の動きは完全に止まっている。その分、弟子の僕が頑張らないといけない。

 ほとんどが師匠経由の依頼なのだが、僕にもそろそろ直接の顧客がチラホラ。値段設定を押さえているせいもあるが、貴重な消耗品などはHQハイクオリティ品など関係無いためもある。

 僕が合成にハマッたのは、そういう遣り取りも含めて楽しそうに思えたからだ。


 環奈ちゃんが頑張ってくれたお陰で、落ちる時間までに結構な収穫があった。バザーをしているキャラ名を聞きながら、僕は片っ端からレア素材などを買い込んで行く。

 安く買えるに越した事は無いが、依頼者の出す金額内に収まればオッケーなのだ。還元の札と武器指南書に至っては、最近値崩れしているのか、かなり安い値段で買う事が出来た。

 これで神薙さんを強化する目処が付き、僕は一安心。岸谷さんに至ってはアレだけど。


 環奈ちゃんが、落ちる時間だと少し後ろめたい様子で進言して来た。僕は労いの言葉を掛けながら、お礼に多めに作っておいた薬品をプレゼントする。

 麻痺やスタンなどの効果への耐性を上げる特殊薬で、NM戦では重宝するアイテムだ。結構お高いので、売って小遣いにして貰っても良いし。そう言うと、環奈ちゃんは感激してくれた様子。

 僕も本当に助かったし、これくらいはお安い御用だ。


 お姉さんコンビも一緒に落ちるらしく、お休みのコールが聞こえて来た。何となく慌しく感じられたのだが、実際は今夜は大した事はしていない気も。

 最近の僕の日常を、環奈ちゃんに手伝って貰っただけだった気がする。それでも雑談しながら、いつもより楽しく過ごせた感じ。成果も上がったし、何よりだ。

 いつの間にやら、師匠が隣にいた。僕が買い付けた素材をトレードすると、師匠も軍資金をこちらに手渡して来る。いい娘達だねと、師匠の感想が耳にこそばゆい。

 僕ははぐらかすように、時間を理由に落ちると告げた。


 お休みの挨拶を交わしながら、僕は隠れ家に引き込んで行った。今日はハンスさん達は、活動していない様子。社会人のギルドは、やっぱりどうしても週末中心の活動になるようだ。

 落ちる前の最後のメールチェックで、僕はふと知らない名前のものを見つけた。しかもそれは、どうやらフレンド登録の通達のメールみたいだ。

 不審に思って、そのジュンジュと言う名前の主を必死に思い出す。合成依頼関係で、どこかで安請け合いしたのかしらんと、ちょっと不安になりながら。

 その時ふと、今日の朝の遣り取りを思い出した。


 そう、僕をライバルと言ってくれた柴崎君だ。思い出してしまうと、僕は画面に向かって笑いが止まらなくて困ってしまった。何て律儀なんだろう、ちょっと一方的だけど。

 100年クエストの事、もう少し詳しく調べてみても良いかも知れない。知らない内にクエアイテムを入手してしまったし、何よりライバルとして頑張った方が良い気もするし。

 僕はフレンド登録を了承する旨のメールを送り返しつつ、再びニヤニヤ笑い出してしまう。この感情は何だろうと、内心不思議に思いながら。

 そう、僕はようやく同級生に対等と認めて貰ったのだ。


 競争にせよ何にせよ、相手に張り合いが無いとつまらない事この上ない。こっちが幾ら頑張っても、相手がそれを認めてくれないのだから。

 確かに順位は勝手に出る、それが大人の定めたシステムの便利で良質な点だ。そう思っている人も多いが、その順位を見ただけで一体何が分かるのだろう?

 その内側で行われる熾烈な戦いを、本人同士の壮絶な駆け引きを。


 中学時代の僕の悩みは、多分こんなシステム相手に翻弄された事に尽きると思う。順位が高ければ相手も認めざるを得ないだろうと言う、今思えば稚拙な考え方だ。

 僕は勉強もスポーツも、そんな感じで相手の顔を見ずに頑張ってしまったんだ。それで達成感や満足感が、空虚だった訳が今になって何となく理解出来た。

 そして、同級生が僕に対して同じ感情を抱いていた事も、何となく分かってしまった。





 そう思うと、有意義な一日だった。だけど、そんな簡単にいかない事も、僕は知っておくべきだったんだ。何しろ僕が知り合ったのは、学年でもすこぶる付きの有名人なのだし。

 ――その彼女が巻き起こす嵐は、日常を軽く吹き飛ばす事も。


 




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