間章 ~沙耶の章~
更新に長く掛かってしまって、本当に申し訳ありません。間章を凝ったものにしようと、色々と試行錯誤し過ぎてしまった模様です(笑)。
間章の構想は最初からあったんですが、沙耶のお話は2章か3章の終わりごろ……と、本当は考えてました。それが前倒しになった理由は、他に出てくれるキャラが思い浮かばなかったためです(笑)。
いやいや、自分の生んだキャラなのに、こんなに侭ならないなんて……。
2章のストーリーは、結構書き溜めてあるので、以降の更新はそんなに間を置かない手はずになってます、ご安心を♪ ただし、2章の後の間章は、またまた悩みの種だったりして……(笑)。
予定では、瑠璃に出張って貰うか、はたまたブンブン丸全員のお話にするか。瑠璃は本当に優秀です、自分の生みだしたキャラの中ではぴか一です(笑)。
沙耶はその点では……(泣)?
唐突だけれど、大井蒼空町は住むには良い街だ。どこに行くにも近くて便利だし、街並みは整っていて綺麗だし。車もほとんど走ってないし、周囲ににスモッグを出す工場も無い。
とても空気が澄んでるし、治安も物凄く良いのは保証付き。
私はこの街で生まれて、ずっとこの街で暮らして来た。だから本当のところ、この街しか知らないのが実情だ。偉そうな事とか比較とか、つまりは口に出来ないんだけれど。
学校の授業で習った限りでは、この街はモデル都市に加えて学園都市なのだそうで。地元の学校は小中高と一貫校なので、授業の進行も無駄な部分が全くないそうだ。
この街も同じく、計画的で無駄の無い設計で成り立っているらしい。
難しい事は私には分からないけど、確かに住みやすいんだろうなとは思う。小学校の卒業記念に、友達と一緒に隣町のアミューズメント施設に遊びに行った事があったけど。
駅を降りてからの人々の煩雑さや景観の酷さ、街並みの無秩序振りや狭い道路にいっぱいの自動車、それを助長する無断路駐の車やトラックの多さに、みんなして眉をひそめたものだ。
空気の悪さと騒音の酷さに、気分の悪くなる子も出た程で。
恵まれた環境で生きて来たんだなと、その点は強く意識した出来事だった。だからと言って、自分の住む町に満点をつけるほど、私は世間ずれしている訳でも無い。
何しろ、私自身の学校の成績があんまりよろしくないのが悩みの種で。小学校までは、そんな事はさほど意識しなかったのに。近所の仲間と、楽しく川辺や塾の教室ではしゃいで過ごした、懐かしき子供時代。
中学に進学して、私の周囲の景色はがらりと変化して行った。
この学校は、成績の良くない者には辛いシステムだと気付いたのも、中学校に在籍中だった。成績の張り出しや早くからの進路調査、学生たちのランク付けは徹底して行われ。
成績が下位の者になると、ランクの落ちる他学区の高校を勧められたりするそうだ。落ちこぼれには、凄くシビアな現実が待っている。自然と、皆が他者を労われなくなって来る。
自分以外はライバルで、ライバルは蹴落とすモノだから。
進学校には、少なからずそんな風潮があるのだとは思うけど。幼稚園の時から一緒の面子の私達は、そんなライバル意識の拡散も最小で済んでいる気もする。
だからと言って、学校内での生活の息苦しさには変わりはない。私達は、先生に叱咤されるまま勉強を頑張って、そしてある程度の成果を出さなければならない。
そんな中学時代の葛藤の中、私は導かれる様に2つの“変わったモノ”に遭遇した。
――私の名前は神凪沙耶香、これは私の出会いの物語。
私の住んでいるのは、大井蒼空町の中では新住宅街と呼ばれている場所だ。街の丁度南側に位置していて、学校や運動公園までは割と近いけど、駅まではちょっと遠い。
これが旧市街地となると、どこに行くにも程良い距離となっていて超便利だ。そこは街の西側に位置していて、小高い山の斜面に沿って洒落た外観の住宅が並んで建っていて。
お父さんの話だと、この街の出来た当時からの住民がほとんどだそうだ。
新住宅地は、川向こうの新しい住宅地として最初は認識されていたらしい。つまり街の住民が増えて来るニーズに応えて、田舎の土地を開拓して出来た事になる。
実際、この街はちょっと歩くと周囲は途端に田舎の景色になる。私達が子供の頃は、舗装されていない田舎の土地は、お気に入りの遊び場となっていた。
その頃は物事も単純で、とても良い時代だったのにな。
とにかく、当時この街に勤めていたお父さんが、ここを安住の地と決めたのが始まりで。つまりはこの街でお母さんと出会って、燃えるような恋愛の果てに結婚して。
子供(つまりは私だ)が生まれたのを機に、新住宅に建つ今の家を購入したと言う訳だ。
今では2歳ほど年下の妹を加えて、4人家族で健やかに毎日を過ごしている。成績は実は、妹の方が良いんだけどね。そんな事を意識し始めたのも、中学に入ってから。
歳を重ねるごとに、コンプレックスって増えるみたい。
とにかくその妹、名前は環奈と言うんだけど。フルネームは神凪環奈と言う、物凄く洒落の利いたモノに。本人は気に入っているから、別に良いんだろうけど。
出会いの一つは、私が中学1年生の時に訪れた。当時小学5年生だった環奈が、急に同級生や塾の友達と何かを作ると言い出して。余りに興奮して張り切っているモノだから、私もちょっと興味を持って。
幼馴染の優実と一緒に、その一部始終を見守っていたのだが。
作ると言っても、工作とかそんなんじゃないらしい。ギルドとか言う、聞き慣れない言葉を妹は使ってたけど。要するに、一緒にゲームをする仲良しグループらしい。
そのオンラインゲームの存在は、実は割と前から知ってはいたんだけど。クラスでも良く噂は耳にするし、アーケード通りには華やかな彩りのポスターも目にするし。
この街でしかプレー出来ないゲームだと、誰かが言っていたような。
詳しい事は知らないけど、みんなが言うからそうなんだろう。とにかくそのゲームは、ネット内の架空の世界が舞台だと言う。そこに自分の分身キャラを作って、冒険して廻るらしいのだ。
ネットゲームと言うのは、他のキャラも他のプレーヤーが操作をしていて、つまりは街の住人との架空世界でのコンタクトだ。そんなのに意味はあるのか不思議だが、妹たちは乗り気だった。
まぁ、自宅にいても他の友達と遊べる機能は凄いかも知れない。
私的には、外で直接みんなと遊び回ってた頃の方が楽しかったと言い切れる。近所の子供達と、遊ぶ集団は大抵は決まっていたけど。優実もその中の一人で、私と玲のご近所さんで幼馴染の同級生である。フルネームは岸谷優実と言って、同姓の私から見てもホンワカした性格の可愛い女の子だ。
玲は私より1歳ほど年上で、フルネームは椎名玲子、子供達のグループの中ではガキ大将的な存在だった。ただし、性格は激甘な上に私に対しては何故か色々とちょっかいを掛けて来るので。
しばしば私は造反して、私と玲の間ではしょっちゅう諍いが起こっていたっけ。
最初にも述べたけど玲の性格は激甘な上、彼女は一人っ子だったせいもあって。たまに取っ組み合いの喧嘩になっても、ほとんどが私の圧勝で終わってしまう結果に。私の場合、普段から姉妹喧嘩で場慣れしていたせいもあったし。
そんな私達の抗争を、何故だかみんなで楽しんでいた節もある。つまりは、私と玲との小さな諍いを、缶蹴りや鬼ごっこやドッジボールで発散して、上手にコントロールされていた感があって。
その提案は、しばしば私の2つ歳上の灰谷君がしていた気がする。
彼は集団の中では全然目立たないタイプで、自己主張とか声を荒げての反抗など全くしない男の子だった。ただし、知的で物知りで、困ったり迷ったりした時には皆が彼にお伺いを立てるのが常で。
私も玲も、彼には一目置いていたし、実は面倒見も良くて頼れる存在だった。灰谷君が一足先に中学に進学すると、そんな付き合いも自然に廃れてしまったけど。
私と玲の喧嘩も、この頃から自然に少なくなって行ったっけ。
私のご近所の話を、もう少しだけしておこうか。その『ファンタシースカイ』と言うゲームを始めるきっかけが、どこにあったのか正直自分でも分からないのだ。
いや、きっかけはさっきも言った通り、環奈が始めるのを隣で見ていたせいなのだけど。それ以前にも、様々な環境だとか人間関係だとかが作用している様に、私には思えるのだ。
例えば部活動だけど、それを始めるきっかけは様々でしょ? 友達がやってみたいと言ったからだとか、先輩に誘われたからだとか前から興味があったからとか。
ただ、それが発動する基盤は、その人の内に前々から蓄積されていた筈だ。
私の中で“ゲーム”と言うカテゴリーは、みんなで外で駆け回る事象に他ならなかった。だからと言って、家庭内でテレビ画面で遊ぶゲームに、拒絶反応があった訳では無い。
ただ、進んでソフトにお小遣いを使うほど、のめり込む遊戯でも無かったのも確かで。お父さんが買って来た家庭用ゲーム機が、我が家にも1台存在はしていたのだが。
ソフトに至っては、麻雀とか将棋とかゴルフとか、そんなモノばかり。女子率の物凄く高い我が家では、お父さん以外は誰も触らないと言う現象は当然の摂理かも。
ほらね、こんな家庭環境ではネットゲーム熱なんて育たない筈でしょ?
部活と言えば、私と優実は中学時代、結局何のクラブにも属さなかった。私に関して言えば、スポーツは割と得意だったので(勉強よりは断然に)運動部には興味があったんだけど。
第一候補だったテニス部に、玲が既に所属していたのが不味かった。あいつに先輩風を吹かされると思うと、どうしても入部する気になれなかったのだ。
人生の分岐路なんて、多分毎回そんなモノ。
結局は一番仲の良かった優実が、何の疑問も持たずに帰宅部を選択したせいで。私も惰性で中学の3年間、クラブ無所属の汚名を被る事になってしまった。他の友達も、何やかやらと習い事を抱えていて、断然にクラブ活動への参加率は低かったし。
お蔭で罪悪感は少なくて済んだけど、放課後はかなりの暇を持て余す事になってしまって。目的と言う名の大義名分は大事だと、私はその頃から痛感していた。例えば“友達と一緒に汗を流す”とか“青春の1ページ”とか、“全国制覇”とか色々。
目標を持って行動している友達に、私はここでもコンプレックスを抱いてしまった。
もっとも、進学校だけあって部活動は週に3日しか行われない風習があって。そのせいか、我が校の運動部はどこもかなり弱かった。部活に熱心な先生もいないらしく、玲もその事はしばしば嘆いていたっけ。
玲は、一旦始めると何でも凝り性だ。ただし、ここでも他人に甘い性格が顔を覗かせる。自分の事だけに打ち込めば良いのに、人にまでお節介を焼いてしまうのだ。
そんな性格だから、やたらと委員会とかに参加させられてたっけ。
ここだけの話だが、私達は別に本気で憎み合う程に仲が悪い訳では無い。中学時代にも、優実と一緒にネコを愛でに、良くご近所の玲の家を訪れたモノだった。
その頃には、確か玲も噂のネットゲームをプレイし始めていた筈である。同級生を中心に、玲がリーダーの役割を担って。玲自身は、実は灰谷君の影響で始めたらしい。
あの2人、実は裏では結構馬が合うのかも。
私と優実も、何度か彼の家でそのゲーム画面の説明を受けた記憶がある。その時にはもちろん玲もいて、異世界のゲーム事情について質問を投げ掛けていたっけ。
異世界ファンタジーって、いかにも子供達の喜びそうな物語性である。妖精やドラゴンを始めとする異界の住人たち、怖いモンスターに剣と魔法で立ち向かう主人公。そう言えば環奈も、昔からそんな小説が好きだったっけ。
灰谷君の家でも、私は面白そうかなって程度の感想しか持たなかった。
何とも煮え切らない性格で、本当に自分でも嫌になる。玲の家の綺麗な庭で、ネコを相手に遊ぶ程度の興味。時間と暇を持て余していても、何にも手を掛けない優柔不断さ。
本当に嫌になる、自分は一体何になりたいんだろう?
自分の心中の葛藤とは裏腹に、中学生活は窮屈だが無難で平穏そのものだった。唯一の波乱は、中学1年の頃だろうか。私の家庭で、白くてフワフワしたネコを飼う事になったのだが。
雪の様な白さと役者の様な端正な顔立ちで、私のお母さんはそのネコに“雪之丈”と言う名前を付けた。実際は私の飼おうよ攻撃に、両親が折れた結果なのだけど。
例え命名権が私に無くても、それでも私は大満足だった。
多分、ネコの何にも捉われず誰にも媚ない性格に、私は憧れていたのだろう。雪之丈はとても可愛かったし、私も妹もお母さんもとても可愛がった。だけど、いつの間にか彼は神凪家から姿を消してしまった。どこかに遠征に出掛けて、迷子にでもなったのかも知れない。
しばらく私たち家族は、その空白に否応なく向き合わされる事となった。
私の受けたショックは、恐らくは家族の誰とも違った形だった。自分の優柔不断な性格を、何も始めない根性の無さを、その事実に間接的に責められた気がしたのだ。例え仔ネコだって、気侭な保護欲の恩恵だけでは、内心の情熱は押さえ切れやしないのだと。
私の思い違いだと思うけど、それでも内なるショックは大きかった。
無性に何かを始めたかったのは、多分雪之丈のいなくなった寂しさを紛らわしたかった為かも。私の基盤は、恐らくそこにある。寂しさとコンプレックス、負の感情から抜け出すための手段。
それをネットゲームに求めたのだ。そんな事を告白しても、多分誰も信じないだろうけど。自慢では無いけど、これでも私は同級生からは一目置かれているし、割と人気もある。
そんな私は、多分誰より自分に自信が無い。
不純な動機から始めたゲームだが、やってみたら割と面白かった。妹からはミーハーだとかシステムを無視しているとか、散々に文句を言われ続けていたけど。インして優実と喋っているだけで、別世界にいる感で虚無感は満たされるのだ。
そう言う環奈だって、始めたきっかけは乙女チックな動機だと言う事を私は知っている。環奈の持っている小説を、私も黙って借りて読んでいたから。妹は異界の冒険の果てに、素敵な勇者に会えると信じている節があるのだ。
つまりは強くて格好良くて、逆境にも負けない話の合うプレーヤーに。
笑ってしまうけど、私には笑う資格など無いのも確かだ。そんな夢みたいだが明確な目的がある妹は、自分よりは余程立派だと思う。ゲームをほぼ同じ時期に始めた私達だが、レベル差はあっという間についてしまった。
環奈の方は1つ学年が上の、近藤真砂美ちゃんって娘と『アスパラセブン』と言う名前のギルドを立ち上げていた。環奈はサブリーダを務めて、定期的にギルドで活動を行なっている様子だった。
何だか無性に羨ましくて、負けた気分になったのは言うまでも無い。
それでも私は、妹の入れてあげようか攻撃も玲の皮肉めいた勧誘も、意地で断り続けた。優実などは、特に所属に関するこだわりは無い風だったけど。私を見捨てず、一緒にいてくれた事には密かに感謝してる。
誘いを断り続けた理由は、恐らく生まれ持った対抗心と、それから上に挙げたコンプレックスのせいだと思う。私はすぐに、カッとなる悪い癖があるのだ。その事は、近しい者なら誰もが知っていて、事あるごとに良くからかわれる。
そうして私達は、随分長い間孤立した状態だった。
そんな私に転機が訪れたのは、確か中学2年生に上がりたての頃だった。私の最初のキャラは、実は炎種族で強そうな容姿の♀だったのだけど。その頃から既にクラスで一番背の高かった私は、それもコンプレックスに感じていて。
本当は、小柄で可愛いキャラを選びたかったのだ。そんな内心を見透かされるのが嫌で、一番大柄なこのキャラにしてしまった。凛々しい容姿は、しかしそんなに嫌いではなく。
ほとんど街から出ない生活では、その強さも全くの机上のモノだったけど。
ところが一片の偶然のきっかけが、私の優柔不断な背中を後押ししてくれた。何かの短期イベントで、無料で変な形の武器を手に入れたのだ。ある日私は、それを振るう自分のキャラの姿が急に見たくなって。恐る恐る、たった一人で街の外に飛び出してみたのだ。
その時の私の炎キャラのレベルは1しか無くて、つまりは戦闘経験は全くのゼロだった。どうやって敵を倒すのか、敵と戦う術すら、私にとっては未知の世界だった訳で。
しばらくばほやっと佇むのみ、敵にも恐くて近付けない有り様。
その時だった、丁度戦闘中のキャラが目に入って来たのは。短剣の様な物を振り回して、ウサギ型の敵と闘っている。その♂の風キャラは、さほど苦労もせずに戦闘に勝利した。
私は何となく近付いて、その戦闘風景を盗み見ていた。勝利したそのキャラは、その場にしゃがみ込んで休憩中らしい。そのキャラのすぐ近くに同じウサギがいるのに気付いた私は、思わずアタックボタンを押していた。
その時の、私の心拍数の上昇振りったらもう!
今になっても、その時の自分の不意な行動が信じられない。多分、休憩中のその風キャラが、そのウサギモンスターに襲われてしまうと勘違いしたせいだろう。
今では私にも、アクティブな敵とそうでない敵の区別はちゃんとつくのだが。その時は焦りまくった感情が、勝手に私の心と身体を操作していた様子で。
攻撃は盛大な空振りで、もちろんウサギは私をガン無視の有り様。
私は物凄く恥ずかしくて、その場から消えてしまいたくなった。隣の風キャラが、今のを気付いていない事を必死に願いつつ。しかし実際は、もちろんバレバレで。
しかも私は、どうやら武器を装備していなかったらしい!
『あの……今の攻撃、素手でしたよ? 武器の装備、メニュー欄からのやり方分かりますか?』
『えっ、装備……? メニュー欄……あっ、着替えと一緒でいいのかな?』
『ポーションもポケットに入れておいた方が、いざと言う時に安心なんだけど……持ってないなら、3つだけ融通しましょうか?』
『えっと、戦闘では絶対に必要? 炎キャラは凄く強いって、妹に聞いたんだけど……』
育てていけば、前衛の素質はトップクラスらしいけど。最初のレベル1なんて、どの属性キャラも似たようなモノらしい。私はがっかりしながらも、大人しく彼の好意に甘える事に。
初めての戦闘作業に、かなりドキドキしていた為だ。普段だったら、あれこれと煩い指図に爆発していたかも知れない。とにかく私は武器を装備して、その自分のキャラの姿に感動していた。
知らない事を知るのって、何て面白いんだろう!
私は言われるままに彼とパーティを組んで、戦闘指南を素直に受けた。彼は教えるのが上手かったし、こちらを決して莫迦にしなかった。辛抱強く、出来るまで待ってくれた。
レベルが上がる音楽を聴いた時には、それこそ天上から鳴り響く天使のコーラスかと思った程で。思わず舞い上がってしまって、手にしていたコントローラを叩き落してしまった程だ。幸いソファで跳ね返ったそれは、壊れずに済んだけれど。
私の炎キャラは、瞬間的に変なステップを踏んでしまっていた。
『おめでとう、今のでポイントが入ったでしょ? それを今使っている武器に割り振ると、攻撃力が上がったり必殺技を覚えたり出来るよ。属性の方に振ると、魔法が覚えられるし』
『なっ、なるほど~……あっ、ありがとう!』
初めておめでとうと言って貰って、そこでも震えるほどの喜びを味わって。これってこんなゲームだったんだと、今更ながらの認識に。だって私、ギルドが無いと冒険出来ないと思っていて。
こんな少人数でも充分楽しいし、見知らぬ知識と世界を見るのはとっても面白い!
今までは正直、自分の炎♀キャラをポリゴン着せ替え人形扱いしていた。そんな自分が恥ずかしいが、このゲームはそんなニーズの者にも、しっかり対応しているみたいだ。
実際最初の街のネット住民の中には、そんなミーハー冒険者も数多く存在する。武器での攻撃の仕方すら知らず、ただし服の着替え方はちゃっかり知ってると言う。
今も私の炎キャラは、イベントで貰った派手な服を着込んでいる。隣の彼は、いかにも駆け出し冒険者のような、きっちりした地味な服装だ。レベルは5しかないので、恐らく彼もゲームを始めたばかりの初心者なのだろう。
頼り甲斐と仲間意識を感じて、思わず私達は話し込んでしまった。
生来のおっちょこちょいな性格が災いして、貰ったアドバイスの大半は記憶に残らなかったけど。彼のキャラ名は覚えていたし、同級生だと言う事実も聞き出せた。
はっきりとは言及出来なかったが、彼はどうやら中学からの編入生らしい。そう言えば、クラスは全然違うけど、私の学年に1人だけそんな子が存在したような。
目立つ容貌だし珍しいと言う事で、私も名前を聞いた覚えがある。
束の間だが一緒に遊んだ彼のキャラ名は、リンと読めた――
翌日から、私はその子の事をさり気なく同級生に訊いて回った。有名人と言う噂は違わず、誰に訊いてもすぐに返事が返って来た。ただし、酷い風評が9割を占めていたのには唖然とした。
例えば、勉強は出来るけど鬼面のような顔付きだとか、あの目付きは殺人鬼だとか。1年生なのに部活のテニスで県大会に出場したけど、アレは絶対同級生を見下してるとか。
身体が大きいので、それだけで大魔神ってあだ名が付いてたりとか。
それら風評の大半に関しては、どうやらやっかみが根底に起因しているのがすぐに分かった。勉強もスポーツも出来るスーパーマンなのに、あだ名が“大魔神”はいかにも酷い。
こちらの地元に割り込んで来られたと言う、変な縄張り意識がこちら側にあったのも否めない。ひょっとして、彼がもう少しハンサムだったら、物凄くモテるキャラクターになったのかも知れないとも思うけど。
私が離れた場所から直接見た時も、その当人はむっつりと不機嫌そうな雰囲気を発していて。幼稚園からのエスカレーター式の我が校に、当然ながら中途編入の彼に友達はいない。
私は1週間ほど、声を掛けようかどうか真剣に悩んだ。
そして結局は、周囲からの重圧に負けてそれを断念してしまった。その意気地の無さに、少なからず私自身がショックを受けたけど。子供の頃は男女の差なんて気にしなかったのに、中学に入って明確な壁を皆が意識し始めて。
私も追従せざるを得なくなって、それがこの変な重圧の要因だったのかも知れない。何かに負けた気がして、私はしばらく落ち込んでしまった。それこそ、優実や友達が気に掛けるほど。
“意気地なし少女”沙耶、ここに極まれりである。
私は家でも塞ぎ込む事が多くなって、心配した母親が色々と気を遣ってくれた。何かした方が良いと、勧められたのが母親も通っていた裁縫教室である。
細かな作業は、正直苦手なのだけど。裁縫や編み物で手が塞がっている時は、確かに余計な事を考えずに済んだ。手元の細かな作業とか、綺麗な柄の布切れを眺めたりとか。
気分転換には、意外と良い趣味なのかも知れない。
お母さんと2人の時間を取れたのも、後から思えば良かったのだと思う。私の母親は、どちらかと言えば躾に厳しくて口うるさい方である。その分、父親は子供に甘くて陽気だけど。
友達に聞いても、家族間の役割ってそう言うものらしい。大抵はどちらかが厳しくて、どちらかが甘いのだ。でも私の悩みには、お母さんは真摯に対応してくれた。
その時は、いつもの厳しさは影を潜めていた気がする。
「沙耶は中学に入って、身長も凄く伸びたでしょう? 身体がそんな風に成長するのと同じで、心だって成長するのよ。外から色んな刺激を受けて、周囲の人との相違点を感じ取って」
「それって良い事なの? 人の顔色を窺ったり、優柔不断だったり……私がこんな意気地の無い娘に育ってるのは、どこか変なんじゃないのかな、お母さん?」
「そうねぇ、普段はあんなに威勢が良いのは、その内心の裏返しなのかも知れないわねぇ? でもお母さんは、それが変だとは思わないわよ。沙耶がそれを嫌だと思ってるなら、絶対に乗り越えられると信じてる。だって私の娘だものね?」
優しく微笑みかけられて、私は戸惑ってしまった。昔からあまり褒められた記憶も無いし、私は母親にとって、出来の悪い子供だと感じながら生きて来た気がして。
血の信頼関係って曖昧だと、私はその時感じた。お母さんが出来たからって、娘の私も必ず出来るとは限らないではないか。私はその信用を裏切るのが、ちょっと怖くなった。
けれども、お母さんはそんな事は関係ないと笑い飛ばして言った。
親が子供の可能性を信じるのは、一つの仕事みたいなモノらしい。逆に言えば、一体他の誰が信じてくれると言うのだ? 自分自身すら、期待を持っていない自分に。
気負わずに進みなさいと、お母さんは優しい言葉を紡いでくれる。コンプレックスにしたって、乗り越え方は人それぞれらしい。それをバネに頑張る者、それを自分の1つとして受け入れる者、逆にそれを長所にしてしまう者。
時間と思考を掛けて、自分の答えに辿り着ければ良いらしい。
「例えば沙耶の身長の悩みだって、スポーツ選手には有利に働く事だってあるじゃない? モデルの仕事だって、長身で無いと雇って貰えないらしいし……沙耶は元が良いんだから、空想で終わる話じゃ無いかもねぇ」
「モデルなんか、全然なりたくないけど……そっか、そうやって探して行けばいいんだ。物事の良い点を探して、ポジティブに物事を乗り切らなきゃね」
「沙耶の意気地のない性格だって、自分と他人が傷付くのを怖がっているせいでしょ? 傷付く辛さを分かってるのは、人として優れてる点だと思うけど。無神経な人になると、他人を苛める事で自分が傷付かない様に行動してしまうもの。最近のいじめの現象って言うのは、みんなこのパターンに当て嵌まるんじゃないかしら?」
なるほど、お母さんは博学だ。相談して良かったなと、私は心から思った。子供の頃は叱られてばかりで、あんなに怖かった母親を今は凄く身近に感じる。
事実、心に出来た大きなマイナスの結び目は、こんな話し合いで少しずつ解れて行った。私はその後も、何度か母親に悩みを打ち明けた。縫物をしながら、交わされる何気ない日常。
少なくとも私には、身内に理解者がいてくれたみたい。
そんな裁縫教室も、私が頑張って通ったのは中学卒業までだった。中学時代の放課後の時間の半分は、私と優実での企み事を進めるのに夢中だったのだ。
つまりは、例のネットゲームでのキャラ育成である。毎度の優実のおねだりに、とうとう屈する形で始めたのだけど。彼との戦闘訓練で、ゲームの面白さも実感出来ていたので。
私もそんなに抵抗無く、優実のお願いを聞き入れる事になった訳だ。そのおねだりと言うのが、ゲーム内でのペット育成である。そのジョブと言うのを取得するのに、私達は散々苦労した。
何しろ私達は、自分のキャラすら育てていなかったのだ。
最終的には、ジョブの取得は妹とそのギルドに頼み込む破目になってしまったのだが。その見返りとして妹に分捕られた洋服は、私のお気に入りだったと言うのに。まだ数回しか袖を通してなくて、お小遣いを溜めて自分で買ったモノだったのに。
それはまぁいい、実は私はその前に一応の努力をしてみた。他にもゲームを始める子はいないかと、昔の馴染みに訊いて回ったのだ。特に近所の篠宮拓也君は、ゲームが大好きだった筈。
ところが、彼の家庭はゲームを許す環境ではなかったみたいで。
玄関先での子供同士の話し合いに、割り込むように母親の小言を貰ってしまい。話を簡略すると、要するにうちの子を変な遊びに連れ込まないでとの事らしい。
勉強について行けないと、拓也の将来は真っ暗らしいのだ。
今は週の5日は塾通いで、そもそも遊ぶ時間も取れないらしく。あなたは遊び回ってて良いわねと、彼の母親に嫌味まで言われてしまった。情けない、自分のしたい事すら出来ないなんて。
散々廻って、近所の大半の子が似たような境遇なのにはビックリしたけど。どうやら気を抜いたら置いて行かれると言う強迫観念は、子供達どころかその両親にも蔓延しているらしい。
小学校の頃は、あんなに大らかだった子供達はどこへ行ったのだろう?
私はこの事も、お母さんに相談してみた。進学校って言うのは、そういう所だと認識しなさいと、逆に怒られてしまったけど。好きで入った訳では無いし、私には向いてない気が。
ところが母親は、今の環境は私には良い筈だと取り合ってくれなかった。そうなのだろうか、確かに友達や境遇には、文句の言いようもない場所だとは思うけれど。
これも私の、甘え根性から出た思いなのかも知れない。
とにかく、私の最初の案は呆気無く頓挫してしまった。近所の友達は勉強に忙しいか、それとも既にギルドに入って活動中だったのだ。灰谷君や玲みたいに、それはもう精力的に。
努力は報われなかったが、私はキャラを育てる事には妥協しない事に決めた。その決意表明として、私はちょっとだけ育った炎キャラを削除して、全く新しいキャラを作る事にした。
本音を打ち明けてしまうと、それは意気地無しの自分と決別するための、私の密かな儀式だった。ネットで束の間遊んだ彼は、そんな私の内心など全く知らないだろう。再びネット内ですれ違っても、名前も属性も変わってしまった私に、恐らく気付きもしない筈だ。
その事実が、ちょっとだけ私には辛かった。
とにかく私達は、ミッション中に簡単に死なない様にと、レベル上げを余儀なくされた。私達のキャラのレベルが30を超えた頃、環奈のギルドにようやく手伝って貰って。ミッションと言われる物語に、初めて挑戦する事と相成って。
色々と紆余曲折を得て、とうとうジョブなるモノの取得に至った訳なのだが。それをセットしての初めての召喚の時には、優実は飛び上がる程の喜びに染まった様子だった。
私の感想は、こんな変な生物が仲間入りするのかと思った程度で。
それでも、優実はコレは役に立つ子だと力説した。私の新しく選択した氷種族はと言えば、どうやら前衛向きでは無いらしい。それでも何かしらの武器で殴っていれば、敵のHPは減っていつかはゼロになる。
そんな訳で、2人と1匹の新パーティは結成に至ったのだった。
案の定と言うか、最初の内はみんなして死にまくった。とにかく、どこに行ってもどのモンスターと闘っても、待ち受けているのはパーティ全滅の悲しいログ画面だった。
大抵のパターンは、前衛を担っている私かプーちゃんのどちらかがピンチに陥る。又は死んでその場からいなくなる。そのあと、後衛に陣取る優実がそれに続く。
それでも優実が回復魔法を覚えてから、状況は一変した。まかりなりにも、少しは粘れるようになって来たのだ。私は魔法の素晴らしさを実感して、自分もどんどん覚えて行った。
直接殴り攻撃の能力は、残念ながらプーちゃんの方が上手だった。私はよく空振りするし、殴られるとすぐに体力がなくなるのだ。そんな訳で、自然とパーティで殴られる役目はプーちゃんに決まって行った。
それがかえって、戦略的には良かったのかも知れない。
私達は、戦って経験値を得て、それから暇を見つけては色んなクエをこなした。分からない事は大抵は環奈に尋ねて、今までの怠惰な時間を塗り替えようと努力をした。
自分の殻に閉じこもっていては、世界は広がらない。閉じた世界からは、ほんの僅かな事柄しか学ぶ事は出来ない。私達は学んで行ったし、少しずつ力も付けて行ったと思う。
プーちゃんも、あれでなかなか頼りになる子なのだ。
環奈は、私達のつたない戦闘風景を、物凄く冷めた目でみてしばしば分析結果を口にした。もっと要領良くやれとか、どこかに所属させて貰えとか、でなければ野良でパーティしろとか。
ところが、当の本人の私達はと言えば、今のペースに特に不満など無かった。特に急いで成長しても、決まった目的も見つかっていないのが現状なのだし。
強いて言えば、その事自体が不満と言えただろうか。
つまりは、無目的の冒険についてである。実は私には密かな目的があり、それは優実にさえ語っていなかったけど。その私の願いとは、強くなる事そのものだった。
強く頼れる冒険者になって、いつかの風キャラの男の子に偶然出会い、また会ったねと声を掛けてねぎらい合う。そんな他愛ない情景を、よく夢想したものだ。
こんな脳内想像、恥ずかし過ぎて他人には話せはしないけど。
ただ、私達の“強くなる”と言う行為は、妹の環奈に言わせれば稚拙そのものだったようだ。私達のキャラが強くなる方法と言うか手順は、大体以下の通りなのだが。
万年金欠状態の私達は、武器装備の新調すら侭ならない。だが、たまに獣人とか蛮族とかと戦うと、その子達は今持っている武器より、強い武器を落としたりする。
武器の種類は良く分からないが、それを使えばダメージも上がるのが分かったし。2人揃っての魔法での追い込みは、物凄く爽快で強力なのも判明したし。
たまにタイミングを間違って、こっちが倒されてしまうけど。
それはまあ良い、些細な事だ。実際その頃は、私達がフィールドをうろつき始めたのを耳にした同級生の勧誘合戦が、日を追うごとに酷くなって行った時期でもあった。無目的に飽きて来ていた私達が、その勧誘に揺らがなかったと言えば、それは嘘になる。
その頃の私はと言えば、多分軽い人間不信に陥っていたのだと思う。
友達関係にさえついて回る、打算とかランク付けとか。優実はそんな環境の中でさえ、よくやっていた方だと思う。それでも時折、あの娘はトロいとかぶりっ子だと言う否定的な噂が、私の人間不信に拍車を掛ける。他愛のない陰口、毎日行われる誰彼とも無いランク付け。
そんな事を言う連中こそ、自分のランクを自ら下げている愚か者だ。
時にはそう口にして、片っ端から友達に絶縁状を突き付けたい思いに駆られる事もあった。玲とのじゃれ合うような喧嘩とは違う、あの頃の無邪気な遣り取りが懐かしい。
2つ年上の幼馴染の灰谷君は、多分そんな内心のコントロールがとても上手だったのだろう。自分の感情も、それから他人のストレスの度合いすら見抜く目を持っていたに違いない。
もう一度、玲と思いっ切り喧嘩をしたら、少しはスッキリするだろうか?
中学3年の1年間は、そんなストレスとのせめぎ合いだった。あなたは敏感過ぎるのよと、母親は労わる声を掛けてくれたけど。それから優実の存在には、とても救われたのも事実である。
あの娘のストレスを溜めこまないニブさは、ある意味一級品である。
そんな訳で、私と優実は無所属で2年余りの時間を過ごした。中学の3年の時には、同級生のランク付けに多少の変化が出て来た。高校生になったら、さらに学業成績での学生の振り分けが厳しくなるとの、先生の重い言葉のせいだろう。
つまりは、人格や性格だとか礼儀の良さや真面目さよりも、更に試験の成績に比重が置かれるようになって来たのだ。友達を選ぶにも、それが基準になる程度には。
嫌な雰囲気だ、こんな学校に誰がしたのだろう?
幸い、3年の時のクラス編成で、私は当たりを引いたらしい。試験での優劣よりも、人柄や和みやすさを尊重する友達を数人ほど見付ける事が出来たのだ。その娘達はゲームこそしていなかったが、学校生活には欠かせない存在となった。
私は何とか成績を落とさず、学生生活を過ごして行く事に神経を割いた。優実も私と似たような成績だったが、彼女なりに頑張っていたらしい。そして彼女のクラスに、あの彼がいた。
彼の目立つ容貌は、全く変わっていなかった。
「うん、ちょっとだけ話した事があるよ? 噂と全然違うよね、勉強もスポーツも出来るけど、全然嫌味っぽくないの。ちょっと身体が大きくて顔が怖いだけ、意外に紳士だよ?」
「へえっ……何を話したの、優実?」
「何だっけ、クラスの委員会議の出席とか、そんな感じの事? 成績が1番だから、あの男の子、自動的に学級委員なんだよね。私はその時、風紀委員やらされてた」
彼もゲームやってるらしいねと、優実の情報網はなかなか広いみたい。そっち系の友達も、クラスには数人いたみたいだ。相変わらずギルドに誘われて、優実は困っているらしいけど。
本人も、何で自分達がギルドに入らないのかは疑問に思っていたのかも知れない。それとも、私の心中の複雑な思いを、全て汲み取ってそっとしておいてくれていたのかも。
優実は時々、こっちもビックリするほどの理解力を発揮するのだ。
私達は、学校の校舎の壁面に垂れ下がった名前入りの垂れ幕を目にして、そんな話を続けていた。話の中心の“強面”の池津凜君は、またもやテニス部から県大会に出場するらしい。
部活のある日の放課後時だったので、もちろんテニス部の部員達も練習に励んでいた。私は何気なくそちらへと歩を進めてみた。優実は何の質問も無しに、私の後をくっ付いて来た。
春先なのに良く日に焼けた、問題の彼がいた。
その側には、彼よりも小柄なジャージ姿の若い女性が。化粧っ気は全く無くて、こっちも日に焼けて凛々しい感じの美人である。はきはきした口調は、いかにも運動部のコーチな感じ。
我が校は、残念ながら部活動に熱心な顧問と言うのは存在しない。それと同じく、熱心に青春を掛けてクラブ活動に打ち込む生徒と言うのも、極端に少ないらしい。
希少な存在である事を歯牙にも掛けない、その姿は私には眩しく映った。
隣の優実が、その時にどんな感想を抱いたのか、私には分からない。それでも私達は30分近く、彼の練習風景をじっと眺めていた。周囲には、他に彼に注意を払う人間は全くの皆無だった。
ここにいる人達は虚像に踊らされ、真に価値のある物には反応しない。私には、それが少し悲しかった。威勢の良い、ボールの弾む音だけが周囲の空間を支配していた。
自分はここにいるよと、その光輝く自己を主張するように。
その通りだ、他人に真底から認められる瞬間など、人生に何度も起こりやしない――
全くの余談だが、実は私はそのテニスの県大会を、こっそりと見学に赴いていた。知り合いが全くいなかったので、酷く心細かったし極力目立たない様に配慮したけど。
それは本当は、余計な心配だったのかも知れない。同級生に何と言われようと関係ないと、開き直れる度胸を持てたらの話だが。とにかく私は、その場にいたのだ。
良く晴れた、過ごしやすい日差しの休日だった。
彼は男女混合ペアでも県大会出場を決めていたが、そちらの試合は残念ながらあっという間の1回戦負けで終わってしまった。一緒に組んでた小柄な女子(多分、後輩だろう)は、物凄く落ち込んでいる様子だった。
試合中も、ずっと緊張で萎縮しているのが遠く離れた私から見ても分かったほどで。可哀想に、実力の半分も出せなかったのだろう。現実はいつだって厳しい、何だって実力主義だ。
ところが個人戦では、彼は破竹の勢いで勝ち進んで行った。
そんな訳で、次の日も彼には出番が存在した。あと2試合ほど勝ち進めば、今度は全国大会が待っているらしい。我が校からそんな者が出ようとは、恐らく誰も予想していないだろう。
私はその日も、こっそりと見学に赴いていた。どうせなら最後まで見ようとか、多分そんな軽い気持ちだった気がする。それでも、彼が負ける姿は全く想像していなかった。
良くも悪くも、彼はモンスターなのだから。
ゲームを1つも落とさないのは、全く呆れた強さだった。玲がテニスをやってたので、私もルール程度なら知っている。そして彼は多分、自分と言うモノをよく理解していた。
それはある意味、物凄い能力なのかも知れない。自分のリーチや力強さ、動きの速さとか打った球の跳ねる角度。そんな細部まで、緻密に計算されているように見えて。
そういう強さは、本当に人々を魅了する。
私もあっという間に魅了され、いつの間にか手を拳に握って、必死に声を上げて応援していた。コートとは離れ過ぎていて、決して届かない応援だったけど。
それが私には、何だか寂しく思えて仕方が無かった。
彼の試合は、午後の白熱の決勝戦まで滞りなく進んで行った。同じ学校からの応援は皆無な筈なのに、彼の渾身のプレイスタイルは、いつの間にか人気の的になっていた。自然とギャラリーも増えて来ていたので、私は安心して群衆の後ろの方に身を置いた。
だから午後の決勝で、彼が負けた時には私は言葉を失ってしまった。
決勝の相手は強豪校のエースだったらしく、実力はかなり拮抗していた。彼は初めてセットを落とし、それでも最終セットまで頑張った。そして僅差で、残念ながら負けてしまった。
こんな呆気なく、望みや未来と言うのは絶たれるのだ。私は彼に同情し、同時に自分の人生の中で、本当の意味での頓挫を味わった事が無いのに気付いて愕然とした。
受験の失敗とか、コンクールでの勝敗だとか。こんな感じのゲームでの、はっきりとした勝ち負けを突き付けられる瞬間とか。ずんとお腹が重くなるような感情、一体本人はどれ程の屈辱と落胆に耐えているのだろう。
唯一救いだったのは、彼の隣に例の年上のコーチが付いていた事。
多分、負けと言うのも色々と種類があるのだ。彼の場合、1-1で迎えた最終ゲームも、本当にあと一歩の僅差での負けだった。その分、悔しさも倍増しているとも思うけど。
良く日に焼けた女性のコーチは、本当に悔しそうだった。負けた彼以上に、あと少しで及ばなかった栄光を惜しんでいる。教え子に、最高の形の結果を味わって欲しかったのだろう。
私にも、その気持ちは本当にわかる。
ちょっと前まで、コートを無我夢中で走り回っていた彼の表情は、とてもさっぱりして見えた。あるいは、私が勝手にそう解釈しただけなのかも知れなかったけど。
いつも言われる“強面”は、そこには見当たらなかった。憑き物が落ちたような清々しい表情、悔しさはもちろんあるだろうが、強い相手と充分に渡り合えた実感を得たような。
そう、充実感だ……私がいつも、無意識に求め続けているモノ。
そう思うと、何故だか無性に彼が羨ましくなってしまった。負けても得るものを得て、勝負の世界に身を置くその姿。無論、彼にはその資格があるのだろう。
日頃の辛い練習ももちろんそうだ、才能だって必要なのだろう。技術や心構えを教えてくれるコーチの存在、優劣を確定させるための定期的な大会の運営。
色んな物の上に成り立つ充足感、しかし手を伸ばせばきっと誰もが得られる気持ち。
最後のポイントを取られた時、相手の選手は大声を上げて喜んだ。負けた池津君は、軽く一度俯いてから、握手をするために静かにネットに近付いて行った。
気丈に振舞っていても、やはりその姿はどこか寂し気で、思わず私まで落ち込みそうになった程だった。テニスは孤独なスポーツだと、以前に玲が言っていたのを思い出す。
試合中の選手は、休憩の間でも誰とも話し合ってはならないルールらしい。例え近くにコーチや同じ学校の友達がいても、助言や励ましは掛けてはならないのだ。
彼はその孤独に、酷く慣れている感じを受けた。
負けた事より、私にはその事実がとても悲しかった――
中学生最後の夏休み、私は夏祭りの進行役員で雑用に駆り出されていた。或いはそれは、玲の奴の策略だったのかも知れない。中学と高校での合同の時点で、それを疑うべきだった。
それでも私の心の中には、貴重な休みを拘束されて、なんて言う不平は特に無かった。そもそも私達3年生は、ほとんど毎日のように夏期講習の為に学校に通っていたのだし。その夏私は、真面目に夏季講習も受けていたし、もちろん役員の仕事にも欠かさす出席した。
私のヤル気に火を付けたのは、多分あの時の彼の躍動する姿だったのだろう。
充実感が、私も欲しかったのだと思う。それは気持ち次第で容易く手に入るような気もするし、逆に自己満足で事足りる話なのかも知れないし。ただ、今までの怠惰な学園生活に、嫌気がさしていたのは確かで。
ただ誤算だったのは、高校生の役員に玲がいた事だった。
「ちゃんと綺麗に飾り付けなさいよ、沙耶。男の子は、もっときつい力仕事をして貰ってるんだからね! ほらっ、そんなに弛ませたら駄目じゃないのっ!」
「もう、玲は横からガミガミうるさいわねっ! 提灯を全部くっ付けてから、それから弛みを直せば済む問題じゃないのっ!」
始終がこんな感じで、ただでさえ暑い日差しの中、私の血圧も上がりっ放しな状況である。玲は一人っ子なので、とにかく私や優実の事を妹分に扱いたがるのだ。
だからと言って、わざわざ私にへばり付いて一緒に飾り付けの作業をしないでも良いのに。とは言え、こんな作業を孤独に黙々とこなすのもアレである。
周囲は自然と、幾つかの集団での作業となっていて。
今更、パートナーが喧しいからこのグループに入れて頂戴とアピールするのも莫迦らしい。そんな訳で、私は渋々と玲の小言に耐えて作業していた。いや、耐えているというのも間違いか。
放たれた苦言には、私とはしっかりと言い返していたのだから。
夏祭りはお盆の行事で、つまりはもう数日すれば世間はお盆休みへと突入する訳だ。私の家も、毎年里帰りの行事はしっかりと存在する。ただし、母方の実家も父方の実家も、私の親戚は全部が県内に存在するので。
大抵は親戚一同が集まって、飲み食いしての日帰りイベントになる。
まぁ、うちの家族は揃って車に酔う体質なので、実家が電車の通っていない田舎で無いのは有り難い事だ。私はそれ程でもないのだが、母と環奈はとにかく車に弱いのだ。
それでも学校行事の夏祭りには、私も環奈もしっかりと参加する予定である。母方の従姉妹も遊びに来る予定で、今から楽しみだったりもするけれど。
そこはまぁ、夏休みなのだしお楽しみもあって良い筈。
私はそんな報告も、話の種にと玲とのお喋りに加えていた。玲の過剰なお節介を反らす為でもあるが、それは言わぬが華である。玲は呆気無く話に乗っかって来て、しばらくは他愛ないお喋りが続いた。
それから私は精一杯さり気なく、中学最後の夏の大会で、全国大会に出場したテニス部の男の子の事を話題に挙げた。その報告を受けたのはついこの間で、その為に彼は数日間夏期講習を欠席していたらしい。
夏期講習もクラス別なので、そこらへんの情報は優実伝いだったけど。
その当人の優実は、担任の授業前に簡単な報告があったと話していた。全国大会って凄い事なのに、担任は講習の欠席の方を嘆いていた口調だったそうで。
恐らく、同級生の多くも担任の意見に同意していたのだろう。中学でテニス部に所属していた玲ならば、違った反応を示すかもと私は期待していたのだが。
その彼が隣町出身の編入生だと聞いた途端、玲が明らかに落胆したのに私は気付いた。
縄張り主義と言うのは、どうにも強固な感情らしい。同じ学校の生徒の活躍を、素直に喜べない程度には。私は落胆の感情を、なるべく表に出さないように苦労した。
他人に気付かれたくない思いの一つや二つ、誰だって持っているのだし。
そんな調子で、夏祭りの準備は滞りなく終了した。夏祭りも夏期講習も、夏のイベントはあっという間に過ぎ去っていった。暑さの残像だけが、新学期が始まった後も居座り続けていた。
そんな気候の中、波乱の学園祭や怒涛の体育祭も何とか無事に終了し。2学期も終盤を迎えると、途端に同級生の間にソワソワとした雰囲気が漂い始めて。
進路についての、学校ぐるみの行事がやって来たのだった。
小中高一貫だとは言え、進学校にそぐわぬ学力の者は容赦無くはじかれる。入学試験が無いというだけで、一発で決まらない分逆にきついかも知れないと言う。
とにかくウチの学校は、そこら辺は独特だ。何と4者面談と言うシステムが存在して、つまりは中学の担任とその生徒、それから生徒の親と高校の先生で話し合いがもたれるのだ。面談と言うよりは面接がメインかも、生徒とその親の緊張はピークに達する行事でもある。
それも当然だ、自分達の進路が決する訳だから。
ところが私は、別の事で気もそぞろだった。面接だとは言え、そこではじかれる生徒はここ数年ほとんどいないと言う話も耳にしていたし。そんな事で心配するより、私はこの目で見ておきたいモノがあったのだ。
つまりは隣のクラスの、例の男の子のご両親の姿である。こんな行事でもなければ、滅多にお目に掛かれない代物であるのは確かなのだし。モノに例えるのも不謹慎だが、とにかく好奇心が抑え切れなかったのだ。
結果はまぁ、普通のお父様でがっかりしたと言うか安心したと言うか。背丈も普通だし、顔付きも優しそうなインテリ風だったし。優実の話では、彼の母親は既に亡くなっているそうで。
ずっと父子2人暮らしらしく、彼も大変みたいだ。
そんな情報を面談前に仕入れてしまったせいで、自分の番が来たと言うのに集中出来なかったのは内緒である。ただ一つ、4者だと思っていた面談に、5人目の謎の人物がいたのが不思議と言うか??? と言うか。
その人は、驚いた事に例の街のケーブル会社から足を運んで来たらしい。どうやらこの街では、ネトゲも部活並みの扱いを受けるらしく。その事実にも驚いたが、その査定人物が私達の活動振りを非常に良く知っている事にも驚かされた。
それに沿った質問は、高校の先生との面接よりも、ある意味ディープな追求振りで。
例えば、環奈にも散々突っ込まれた、私達の回り道的なレベル上げの方法とか、チャット機能のみ使用の長い無活動期間とか。それを厭らしい口調で、学者風の面談者がネチネチと突っ込んで訊いて来るのだ。
挙句の果てには、君といつも一緒にプレイしている仲間は、君の足を引っ張ってるねとの指摘を受け。友達の優実をバカにされては、私も黙ってはいられない。
カッと頭に血が上った瞬間、私は椅子から立ち上がってそいつを睨みつけていた。
私の瞳は、爛々と輝いていたと思う。友達からもよく、アンタは怒ると眼力だけで相手をひれ伏す事が出来るよとからかわれるのだけど。最悪の一言を発する前に、その痛みはやって来た。
お尻の肉を、思い切り抓られたのだと気付いた時には、私は半ば正気に戻っていた。そしてそれが母親の仕業である事と、今が面談中であると言う事実も脳裏に舞い降りて来て。
痛みに悲鳴を上げなかった自分には、かすかな賞賛を感じつつ。それと同時に、やっちゃったかなとの後悔が湧かなかったかと言えば、多分嘘になるだろう。
だけど見知らぬ人に、友達の悪口を言われっ放しで良い訳は無いっ!
「神薙さんは友達思いだし、良くみんなの中心になってクラス行事などを仕切ってくれますよ。成績の方はいまひとつ芳しくありませんが、将来大物になりそうな雰囲気は持ってますねぇ」
「この娘は短気でおっちょこちょいですけど、友達を見捨てたり裏切ったり出来る娘でもありません。外見からは気が強そうに感じるかも知れませんが、実際は繊細で臆病で、女の子らしい性格なんですよ」
ところが、私の左右に座っていた、担任の先生とお母さんの有無を言わせぬ援護射撃のせいで。私は言いたい事も口に出来ず、已む無くそのままの勢いで着席してしまっていた。
対面して座っていた面接官役の高校教師は、かなり戸惑った顔付きをしていたけれど。学者風の面談者は顔色一つ変えず、持っていたシャーペンで額をポリポリ掻きながらの思案顔。
それどころか、意外な事にその当人からも助け舟が。
「今までの会話からも察したとも思うが、私は一般には決して公開されないゲーム内データを、見る事の出来る立場にあってね。……どうやら君達は、最近急にヤル気に目覚めたようだが。それには何か理由があるのかね?」
「はぁ、まぁ……頑張ってる同級生に、ちょっと刺激を受けまして……」
はぁ、まぁじゃ無いでしょと、横から鋭い突っ込みを入れる母親の指摘はともかくとして。面談者はなおも、それはゲーム内での出来事かねと質問を口にする。
ゲーム内でも会った事はありますと、私は言葉を濁しながらの返答に従事して。だってこの場には、母親や担任だって同席しているのだ。私のプライベートを、ペラペラと軽々しく明かす訳には行かない。
隣の母親は、誰よそれと早くも野次馬状態に突入していたりもするけれど。学者風の面談者はむしろ、娘さんのヤル気を削がないようにお願いしますと、母親に懇願していたりして。
要約すると、人間関係はゲーム内にもしっかりと存在すると言う話だったような。
つまりは学生時代のこういう体験は、学校生活や部活動などに限らず、貴重な出会いや成長の糧になってくれる筈であるとの事で。この街限定での配信ゲームとなると、住民同士の貴重なコミュニケーションツールにもなり得る訳である。
ところが所詮はゲームだと、ご家族の皆さんには理解が行き届かない場合も多く。勉強の方が大事だと、せっかくの出会いや交流の機会を、親が奪ってしまっている事態が増えているらしいのだ。
私は瞬間、近所の篠宮拓也君の顔を思い浮かべた。自分のやりたい事も出来ずに、親の定めた小さな世界に留められて。そんな押し付けの勉強が、本当に彼の血肉になるのだろうか?
私には分からないし、恐らく彼にしてもそうだろう。
ゲームに時間を取られれば、もちろん勉学方面にも影響は出るだろう。街のネットユーザーとの交流だって、良い事ばかりとは限らない。けれども、大半の者が充実感や大切な仲間に巡り会えたと、ユーザー間のアンケート結果では出ていると面談者の男性の弁。
だからどうか、親御さんも大らかに見守ってあげて欲しいと、変な援護を貰ってしまった。母親は、良く分かってますみたいな顔付きを返していたけど、本当はどうだか怪しい感じ。
それでも、結局はそれ以上の追求の言葉は発されずに面談は終了となり。
どちらかと言えば、私の印象に残ったのはその後の出来事だった。担任の教師と母親の二人掛かりで、痛烈にこってりと油を絞られたのだ。要するに、面談中に相手を睨み付けるとは何事ですかだとか、アレはこちらの性格を探る為の挑発でしょうにとか等々。
なるほど、性格テストも兼ねていたのかとの後悔も、時既に遅し。
2学期の残りと冬休みは、あっという間に過ぎ去っていったように思う。その頃には既に、私達の進級の結果は各家庭に通達され終わっていた。結果は例年通り、ほぼ落伍者無しで、私と優実もその中にちゃんと含まれていて。
有り難味は薄いけれど、とにかく安心して年を越す気分になれた訳である。だからと言って、残りの3学期をのんびりまったりと過ごせたと言う意味でもなかったけど。
そう、何故か学校行事は、最終学期もてんこ盛りの多忙さを極めて。
気が抜けた私達がオイタをしないようにとの、学校側の配慮なのかも知れないけれど。とにかく寒さが厳さを増す中、私達は隣の校舎への行き来を余儀なくされた。
つまりは高校の校舎へと、行事へ赴いていた訳である。
主な行事内容は、先輩達との交流会や高校の生徒会役員の選挙などだった。その投票資格が、私達新生新一年生にもあった訳だ。その他の目的として、高校の雰囲気に早く慣れる様にとの配慮もあったかもだが。
思えば、小学校から中学校への変化の戸惑いは、何の準備もなしに過酷な競争社会に放り込まれた所が大きかった気がする。高校生活はもっと大変そうだ、何しろ次へのステップへの保障は何も無いのだから。
地元大学への推薦などは、かなりの狭き門らしい。
そんな訳で、上級生の3年生の姿は、1月の時点ではポツポツと見掛ける程度だったのだけど。2年生の活動はむしろ活発で、何故かそれが私にも飛び火して。
つまりは玲の、生徒会会長への立候補のお手伝い。ほとんど無理矢理な依頼だが、本人達が超真剣なので私がそれに水を差すわけにも行かずな顛末で。
そんな感じで、結構本気で手伝った結果。
こんな時には、小中高一貫の縦横の絆の強さと言うのが浮き立つのが面白い。前任の現役生徒会長、灰谷君の推薦も手伝って、見事玲は会長就任と相成った訳だ。
その後の玲の『あんたも役員に放り込んであげる』攻撃は、何とか切り抜けることに成功して。だって玲の手下を1年もやるなんて、私的には冗談では済まされない問題だったので。
そんなイベントも含みつつ、私達の新高校生活の秒読みは始まって。
私の冬休みは、まぁあれやこれやとイベント尽くしだった。進級祝いの家族旅行とか、親戚への挨拶回りとか。友達と初詣にも出掛けたし、貰ったお年玉で早速の買い物にも出掛けたし。
どちらかと言うと私は、優実の散財に歯止めを掛ける役目の方が忙しかったけど。それはそのまま、春休みのイベントにも通じるものがあったりもして。
進級祝いのお小遣いで、連日のモール通いを敢行したりして。
春休みと言えば、大きな転機となる出来事に私は遭遇した。私と優実は相変わらず、熱心に合同インでのキャラ育成に励んでいたのだが。これが思ったほどは上手く行かず、キャラ達の行動範囲もほとんど拡がらずにいて。
かすかな焦りと苛立ちに見舞われつつも、その現状を打破する方法も見つけ出せず。まぁ、他にも私をイラつかせる出来事が、現実で無かった訳でもないのだが。
卒業間際を狙っての、何と言うか告白合戦みたいな。
別に私から告白した訳ではないが、とにかく私も結構な標的にされた訳だ。エスカレーター式の進学ではあるが、後腐れの少ないこの時期に集中する気持ちは分からなくも無いけれど。
何度も呼び出されて告白を受ける、私の心情も察して欲しい。この上ないストレスで、春先だと言うのに数キロ痩せてしまった程だ。友達には茶化されるし妹には呆れられるし、あんなイベントはもう金輪際懲り懲りである。
異性と付き合うより、私には頑張るべきモノがある!
さて、その行き詰っていたゲームだけれど、私の知らない所でゲーム内で新しいコンテンツが始まっていたらしい。何やらプレーヤー同士で闘う対人戦と言うものが、新たに始まっていたようなのだ。
それを知ったのは、他でもない妹の環奈が騒ぎ立てて知らせて来たためだ。そのランキング戦と言う新コンテンツで、とんでもない新人が現れたらしいのだ。
その名前が私にとって懐かしい響きだったのは、私だけが知る事実である。リンと言う名の風キャラは、そのランキング戦ではかなり有名になりつつあるらしい。
少なくとも、妹の説明ではそうだった。
私のその時の心情は、何と形容して良いのかは自分でも判然としなかったけれど。ずっと探し続けていた宝物に、ふとした寄り道で巡り合えたような。予期せぬ場所で、古い知り合いに偶然ばったりと再会してしまったような。
そんな混乱した感情と共に、私の頬は一瞬にして赤くなって行った。何故そうなったのかは、自分でも良く分からない。強いて推測すると、差をつけられたなぁという悔しさなのか、彼がゲームを続けてくれていた安堵から来る感情なのか。
妹にも不審がられたが、私にだって自分を上手く制御出来なくて困っているのだ。
なおも興奮する妹から聞いた情報を整理すると、カンスト猛者の中で唯一の低レベルなのが凄いとか、こんなレベルなのに既に有名な二つ名を持っているのが格好良いとか。
つまりはネット内では、かなりの名声を得ている存在になりつつあるらしい。良く分からないながらも素直に感心しつつ、彼のキャラの二つ名を聞いた私は微妙な違和感を覚えた。
“封印の疾風”――彼こそ封印された存在ではないだろうか?
小中高一貫の進学校で、途中編入の彼はまさに異質の存在だ。だが彼は、異質ゆえにこの街の住人には持っていない輝きを放っていたように思う。それに刺激を受けずに、ただはじき出してしまう方こそ不自然ではないだろうか。
テニスの試合をこっそり観戦しながら、私はそんな事を考えていたような気がする。自分もあんな風に輝きを放ってみたい、唯一無二の存在であってみたいと。
そんな私も、彼を封じた同級生の一人なのだ。
心では偉そうな事を思っていても、行動しなければ一緒である。そんな痛烈な思考の渦に、私は一瞬にして落ち込んでしまった。一喜一憂する私の事を、妹は変な目で見ていたけど。
環奈自身も、そのリンと言うキャラの正体を良くは知らないらしかった。どんな人なんだろうと、夢見る乙女モードの妹には笑ったけれど。本人の夢を壊さないためにも、本当の事を告げ口するのは、もう少しだけ先にしてあげようと変な気配りなど。
だって彼のリアルの二つ名は“鉄面皮”とか“大魔神”なんだもん。
そんな事より、確かに妹の言う事にも一理あると、私の思考はようやく少しだけ前向きに。つまりは、私も優実も変に自分達のスタイルに固執せず、柔軟に周囲の良いものを見習うべきなのだ。
環奈の物言いは、恐らくは単なる皮肉に過ぎなかったのだろう。お姉ちゃんも、少しは“封印の疾風”様を見習ったら? とか、いい加減にどこかのギルドに所属したら? とか。
それも一考かも知れない、私も少しずつ変わって行かないと。
もし高校に入学して、彼と同じクラスになれたなら……一緒にゲームやらないかと、声を掛けてみるのも良いかも知れない。その時までにはきっと、私にもその位の度胸はついているだろう。
急ににやけ顔になった私に、妹の環奈は不審そうな目付きになっていたけど。新しいギルドが出来たら、例え妹だってライバルである。精々今の内に浮かれていなさいと、内心で勝利の雄叫びなどあげてみたり。
ちょっと気が早かったかな、まだまだ計画は白紙の部分が大きいままだし。
取り敢えず私は、そのような内容の事を優実に前もって相談してみた。肝心な部分は可能な限りぼかして、つまりはそろそろ良さそうな人を集めてギルド作ろっか? 的な感じで。
優実の反応は相変わらずで、うんいいよ、いい人って誰? みたいな返答だったような覚えがある。私は動揺を顔に出さないように努力しつつ、プレイ歴が私達と同じ程度で、それでいてゲームに詳しい人だと切り返した。
優実はそれ以上追求して来ず、後は私に全部任せたと言う意味合いの言葉で、その会話を締めくくった。拘りが無いのは、彼女の良いところなのだろう。
私なんかは色々と考え過ぎて、逆に行動に移せないタイプだったりするし。
さて、高校の入学式では、私はゲームの神様の粋な計らいに二の句も継げれない状態に陥ってしまった。優実どころか、本当に例の池津君まで同じクラスになっていたのだ。
クラスの構成は、その他はほとんどを知り合いが占めていた。エスカレーター式なので当然だが、つまりは大抵が同じクラスになった事があると言う意味合いだ。
それだけに、その“大魔神”池津君の存在は浮き上がっていたりもしたが。アレだけ胸に期していた“声を掛けるぞ”計画は、情けなくも3週間に渡って頓挫してしまう状態に。
意気地なしの性格は、そう簡単には改善されなかったのだ。
せっかくの春うららの週間を、私はまたしても悶々として過ごしていた訳だ。それは仕方が無いとも思う、身から出た錆と言うか、自分の決心を無碍にした罰と言うか。
そんな私の心のこう着状態を破ったのは、またしても妹の環奈の興奮混じりの報告だった。夜のインで、街中で戦うリン様の戦闘シーンを観戦出来たと、意味不明な内容で。
学校に出掛ける前の朝食の場で、昨日は興奮してなかなか寝付けなかったと環奈の言葉。最近は街中でも戦闘って出来るの? との私の質問には、何かのイベントみたいだったと、そこだけは醒めた瞳での返答。
そんな妹の興奮よりも、私は急に異様な切迫感に見舞われた。これはひょっとして、ゲームの神様からの最終通達なのでは無いだろうか? 今日を逃せば、池津君は他のギルドに加入してしまい、私との接点は永遠に無くなってしまうのではないだろうか?
それもこれも、全部私の意気地の無さのせいだ!
そう思うと、急に強気の虫が心中に芽生えて来た。そのままの気分で学校に向かい、教室に入って大物の標的をじっと観察する。優実は何となく察知したのだろう、私に向けかって、何ナニとの説明を求める言葉。
ギルドに誘いたい人がいるからお昼休みは空けといてと、私は簡素な返答振り。心が戦闘モードに入っているのが自分でも良く分かる。無敵とは言いがたいが、度胸だけは発揮できそう。
ところがクラスメートに先を越され、二の足を踏む事態に。
今日に限って何故と言うのが、私の素直な感想で。池津君に話し掛けているのは、勉強の良く出来る柴崎君と言う男子生徒だった。クラスが一瞬静まったので、何とかその内容も聞き取る事が出来た。
どうやら芝崎君も、環奈と同じく昨日彼が起こしたイベントに関心を示した様子だった。やっぱりそうかと、私の心が激しく警鐘を鳴らす。今日を逃せば、彼は遠い所へ行ってしまう。
芝崎君の話は、意外と早く終わりを見せた。問題の池津君は、クラスの反応にかなり戸惑った様子で。周囲を見渡す彼と私の視線が、束の間絡み合った。
ホームルームが始まるまでは、まだ少し時間がある。
私が池津君の前まで来ると、教室はさっきの静寂を上回る静謐さに包まれた。私は不審に思いつつも、さっきの柴崎君を真似て、なるべく簡潔に話がある事を伝えた。
今までの弱虫が嘘のように、私の舌は廻ってくれて。
「ちょっと昼休みに時間取ってくれない、池津君……いや、リン君かな? うん、リン君って呼んでもいい?」
「えっ、あの……何の用?」
――こうして私の波乱の高校生活は、2つの大きな出会いを軸に始まった。




