告白
どうしてこうなってしまったのか。
いくら考えてもキッカケが思い出せない。
「南朋、頼むよ。」
身体を屈めてあたしを覗き込む顔は、断られるなんて考えてない。
別に幼なじみって言うほど仲がいいわけじゃない。
腐れ縁っていうか…なんて言うか。
嫌だって言えたら良いのに…。
「…何であたしがそんな事…。」
武井静流。
小学四年生のクラブ活動でなんとなく仲良くなって、中学で疎遠になり、高校で同じクラスになったのをキッカケにまた一緒に遊ぶようになった男のコ。
静流なんて名前の癖に、武井はいつも賑やかで。
賑やか過ぎて騒がしい。
うるさいのが苦手なあたしは、そんなヤツはダメなハズなのに、いつの間にか一緒に帰ることが多くなっていた。
クラスの皆からは《付き合ってる》って思われてる。
いわゆる公認の仲。
『違うってっ! んなわけねぇだろっ!』
『はぁっ? あたしの方がお断りなんですけど?』
そんなやり取りをしていても、あたしは武井が好きで、武井もあたしが好きだと思っていた。
だから、いつもの昼休み、改まった様子で
『帰り、ちょっと話ある。』
って言われた時は、遂にその時がきたんだと思ってた。
いつもはついふざけて憎まれ口をきいてしまうけど、今日はちゃんと素直になろう。
そんな事まで考えてた。
でも。
あたしはもの凄く鈍いみたい。
武井の話はあたしの予想とは全く別のもの。
真逆っていってもいいのかも。
「ノアちゃんって彼氏いんの?」
人が少なくなった帰り道、ドキドキする胸を隠し、こっそり深呼吸するあたしは、耳から聞こえた言葉が信じられなかった。
驚きで立ち止まったあたしを武井は笑顔で振り返る。
今、何て言ったの?
聞き返さなくても、目があった途端に照れくさそうに前を向いた武井の耳の赤さを見れば聞き間違いじゃないってわかる。
「…知らない。」
答えた声があまりにもいつも通りで、あたしは自分が信じられなくなった。
「冷えなぁ。即答かよ。」
笑って空を仰ぐ武井は、照れくさいのかいつもよりはしゃいで見えた。
遠藤ノア。
クラスでも地味なタイプの女の子。
恥ずかしがり屋で男子とはあまり話さない。
色白の彼女は清楚でか弱く見える。
実際はどうだかわからないけど。
唇を噛むあたしには全然気づかないくせに、
「最近ノアちゃん元気ないよな。なんか気になってさ。あの子もてそうじゃん。彼氏いそうだから諦めてたんだけどさ。もしかしたら今がチャンスかなってさ。」
バカみたいにまくし立ててアホみたいに照れる根性なしのバカ男。
あたしとは真逆の彼女を好きだって言う武井にあたしは「素直になろう」なんて思ってた自分がバカらしくなった。
失恋。
完全に不意討ちの出来事で頭の中は真っ白だっていうのに、あたし以上に鈍感な武井はどうしたって現実を受け入れられないでいるあたしに笑顔で現実を突きつけた。
「それとなく探ってくれない?」
どうしたらそんなひどい事が言えるんだろう。
耳から聞こえてくる言葉を脳が受け取らないっていってるのに、武井は笑顔で追い詰める。
泣きたいハズなのに、ドラマみたいにBGMもない現実では、あたしはただ普通の顔で笑顔の武井を見ていた。
「南朋、頼むよ。」
「…何であたしがそんな事…。」
クラスの女子の中で呼び捨てにされるのはあたしだけなのに。
武井はそんな事は全然気にしてなくて。
「お前しか頼めるヤツいないんだよ。なっ。頼むよ。この通りっ。」
勢いよく掌を顔の前で合わせて、真剣なんだかふざけてるのかわからない調子で頭を下げるから、あたしはむっつりと黙り込んだまま黒々とした髪の隙間に見えるつむじを人差し指で押してみる。
「っ、バカっ。下痢になったらどうすんだよっ。」
「…それ便秘。」
「バカっ、どっちでも似たようなもんだろっ。」
大袈裟に騒いで口を尖らせる。
でも、そんな顔する権利は無いと思う。
ふて腐れたいのはあたしの方だ。
拗ねたいような泣きたいような気分になって、あたしは唇を噛んだ。
分かれ道まであと少し。
いつもなら出来るだけゆっくり歩くのに、あたしは早足でその角を目指した。
「なぁ、頼むよ。」
ひとしきりノアの話をして満足そうな武井を引っ叩いてやりたい。
「絶対やだ。」
精一杯の強がりで意地悪そうに装うあたしを武井はやっぱり能天気に笑い飛ばした。
「なんだよ、ヤキモチかよ。やっぱアレか? お前って俺のこと好きなんじゃね?」
分かれ道の角まで後少しのところにきたのに。
もう少し早く歩けばこんな言葉聞かなくて済んだのに。
どこまでも非情な現実は、そんなささやかな願いさえ受け入れてはくれない。
「…ありえないから。」
「はっ! 言うと思った。」
楽しそうにバカ笑いする背中をあたしは無表情に見つめるしかなかった。
分かれ道を前にして、ようやく実感し始めた現実がゆっくり感情に結びついてくる。
「じゃぁなっ! 頼むぞ、南朋。」
勝手なことを言って、軽く手を上げた武井に曖昧に首を振った。
縦とも横ともとれる首の動きを武井はちゃんと見たのだろうか?
あたしは苦しさがこみ上げてきて返事も出来ないでいるのに、笑顔で背中を向けた武井が振り返る事はなかった。
武井の姿が分かれ道の角を曲がり、見えなくなる。
苦しくなった胸が喉を締め上げ、いつもの帰り道の空気を熱く濁した。
それから…、
家について自分の部屋に入るまで一雫の涙もこぼせない自分を、生まれて初めて不幸だと思った。
その翌日から、武井はあたしにその日のノア情報を話すようになった。
いつもと変わらない昼休み。
武井が椅子を寄せるとそれまで一緒にお弁当を食べてた由布ちゃんと遥が心得顏で椅子を離す。
たった数十センチのことなのに、それだけであたし達は二人きりになってしまう。
少し前まではそれも嬉しかったのに。
「なぁなぁ。」
不自然なまでに声をひそめた武井はチラリと窓際に座る細い背中を見た。
「なに?」
対照的に普通の声で話すあたしは、武井が睨む意味を知っている。
「お前なぁ。」
眉間にシワを寄せてあたしを睨む姿は、昨日泣きすぎて腫れた目には痛い。
家に帰り、自分の部屋に入るとこぼれてくる涙は、あの日から止まることがない。
誰の前でも泣けないのに、一人の空間に入るたびに決壊する涙腺は、いつまでたっても涙を供給し続ける。
自分を好きじゃない男なんて嫌いになればいい。
そう言い聞かせても後から後から流れてくる涙は、いつまでたっても枯れることなく、あたしを苦しめた。
そのくせ自分の部屋を出た途端、ピタリと涙は落ちるのをやめる。
まるでタンクに補給でもしてるみたいに節水よろしく出てこなくなる。
「少しは協力しろよ。ったく、冷え女。」
ふて腐れた武井言葉が本気じゃないのはわかっているのに。
「…そう思うんなら話しかけないで。かなりウザいんですけど。」
たんたんと弁当の包みをしまうあたしは、苦しさで息が止まりそうなきがした。
「…なんだよ。ムカつくなぁ。最近のお前って感じ悪すぎ。マジでひくわ。」
椅子を蹴り上げるように立ち上がり、教室を出て行く武井を唇を噛んで見送った。
ざわつく教室の中、すぐ近くにいた由布ちゃんや遥でさえあたし達のやり取りに気づいた様子もなくて、いつもと変わらない昼休みの風景に現実味が消えていく。
あたしはどうしたらいいんだろう。
ずっと泣き続ければいいの?
どうせ、武井はあたしのものにはならないのに。
あふれてきた想いはグチャグチャにあたしをかきまぜて苦しめる。
「ねぇねぇ、ノアちゃんて彼氏いるの?」
気づいたら、目の前の遥にそう話しかけていた。
「さぁ? いないと思うけど? ね?」
「うん。いないと思うよ?」
突然話しかけられて驚く二人はビックリして顔を見合わせた。
そりゃあそうだと思う。
いきなり話しかけられたと思ったら、仲が良いわけでもない友達の彼氏事情なんて、どうでもいい上に唐突すぎて意味がわからないはずだ。
「そっか。ありがと。」
不思議そうな二人が何も聞いてこないうちにお礼を言って立ち上がった。
そのまま、教室を出て、武井がいそうな中庭を目指すあたしは、自分の行動の意味さえわからない。
見つけてどうするつもりなのか?
どうして遠藤ノアの彼氏事情なんて聞いちゃったのか?
ただひたすらに胸を締め付ける苦しさから逃れようと足を早めた。
一階の廊下を抜け、日差しをいっぱいに浴びた中庭に出た。
バブル期に増設されたあたし達の教室がある新校舎と、古い鉄筋コンクリート造りの旧校舎をつなぐ渡り廊下の内側。
ハゲかけた芝生と日射しと雨ですっかり色褪せたブルーのベンチが武井のお気に入りの場所だった。
昼前には日陰になるその場所でノンビリ昼寝を楽しむのが最高の贅沢だなんてオヤジみたいなことを言ってた。
「武井…。」
苦しさに急かされて息を切らすあたしを、お気に入りのベンチに寝転んだ武井が細めた目の隙間から見上げる。
「ノアちゃん、彼氏いなそうだって。」
投げつけるようにぶつけた言葉は、あたしの苦しさを伝えることはない。
「…なんだよ。わざわざそれ言いに来たの?」
起き上がった武井は、ビックリしたって言いながらも満面の笑みを浮べる。
「…やっぱ、お前ってイイヤツだよな。サンキュ。」
言いながらベンチのはじに詰めて座り直した武井は、当然のように空いた場所に座れと目で示した。
当たり前のようなその仕草をつい数日前までは嬉しいって思ってたのに。
今は並んで座るその行為を想像しただけで、あたしの胸はキツく締め付けられた。
ん?と首を傾ける姿が無防備すぎて泣きたくなる。
「あたし、由布ちゃん達おいてきたから。」
「何? そんな急いで来たの? お前。」
目をそらしたあたしは、面白くもないハゲた芝生を眺め、すぐ側に感じる武井の笑う気配を退けた。
「お前ってイイヤツだよな。」
「それ、聞いたから。」
苦しすぎてうつむいたあたしの頭に武井の大きな掌がのった。
時々する親密な仕草に友情以上の意味がないと知る今、それは喜びじゃなく切なさを生んだ。
「は、なしてっ。」
限界だったのかも知れない。
不意に涙が零れてきて、あたしの頬を伝った。
「え? 南朋?」
焦って手を離した武井を泣き顔のまま睨みつけた。
「…好きなの。武井が…好きなの。」
あたしを見たまま固まった武井の頭が信じられないという風に小さく揺れた。
「だから、イイヤツなんて無理っ。」
口にしたせいで更にあふれる感情に唇が震えた。
「…ごめん。」
聞いたこともない弱々しい返事は、聞く前から知っていた答えだった。
「いいよ。知ってるし。」
顔を傾けて上目遣いであたしを見る武井の気まずそうな表情に、ズキンと胸が痛む。
強がって言ってみても、止まらない涙が全てを伝えていて。
…武井をうつむかせた。
迷惑だってわかってる。
でも好きなんだもん。
「ちゃんと、友達でいるから。」
泣き顔じゃ全然説得力無いけど、それも本心だった。
だけど、やっぱりそれは強がりで。
下を向いて泣くあたしは、握りしめた手の甲で涙をギュっと拭った。
校舎の間に位置する中庭が人目が多いことはすっかり忘れてた。
武井はあたしよりずっと冷静なはずで、もしかしたらそんな事にはとっくに気がついてたのかも知れない。
それでも、武井は何も言わず、黙ってベンチに座っていた。
あたしが泣き止むまで付き合ってくれた。
あたしの恋はこうして終わった。
コレからは友達で。
苦しくても受けいれるしかない現実はあたしに熱を出させ、健康優良児で通ってきたあたしに学校を一週間休ませた。
一週間後、久しぶりに登校してみると、武井とあたしの周囲は大きく変わってた…。
公認カップルのまさかの別れはクラス中に知れ渡り、あたしは武井と話しにくくなっていた。
気にする必要はないのに、あたし達が近づく度にまとわりつく好奇の視線があたしには苦しかった。
それを察したのか、いつの間にか武井もあたしに話しかけなくなり、そのまま卒業を迎えた。
それから武井には会ってない。
それは突然だった。
大学のゼミの友達とのランチの帰り、家の近くの地下鉄の階段をのぼっている途中だった。
「南朋?」
懐かしい声に呼び止められた。
「…た、けい?」
「あぁ、久しぶり!」
目の前に髪型も変え、大人っぽくなった武井がいた。
一度目の出会いは偶然で、二度目の出会いが必然なら…三度目の出会いは運命。
そんな言葉を思い出し、一人ほくそ笑んだ。
「なに笑ってんだよ? 今、帰り?」
「うん、武井は?」
「オレはバイトの帰り。」
まるであの話さなかった日々が嘘のように。
あたしを見る武井の眼差しは変わらず、会話さえもが当たり前につながっていく。
「ねぇ、どっか寄らない?」
「あぁ、いいよ。にしても久しぶりだなぁ。」
あっさり頷く武井はあたしの頭に大きな手を置いた。
あたしの中で止まっていた時が、今、動きだした。
終わり




