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タキヲンの精霊

作者: 阿波座泡介

魔法まじりのSF作品です。


 西暦1945年 降誕祭の日、太陽系が二連太陽系であることが判明した。

 人類にとって残念であったのは、その事実を他者から教えられた事である。

 地球を含むソル太陽系と対をなす太陽系からの使者が来訪して、教えてくれたのだ。

 そう、異星人――エイリアン――が来訪したのである。

 対をなす太陽系の名を『シェオール』という。

 シェオール星系から訪れた来訪者は、米・英・仏・露・中の各国代表の前で告げた。

 先の星間大戦における停戦条約に基づいて施術された3200年の『オールレンジ・カウンター・マジック(全領域魔法封印)』を解く、と。

 その日から、世界に魔法が戻った。

 そして……


    

■西暦2031年 日本 畿内州 琵琶湖畔 国立時間魔法研究所実証施設管制所

 

「すばらしいぞ!」

 実証施設管制室の中央に立つ糸杉のような男は、湖上に浮かぶ巨大な金属のカタツムリ――テライシス級ヘシオドス型魔法炉――を眺め、感極まり吼えていた。

 彼は、その巨大な建造物に感動しているのではない。

 彼は、ゆっくりと赤い色に輝きながら遠ざかる巨大建造物を見て、感情を高ぶらせているのだ。

 湖上の巨大建造物を八方から観測する全てのカメラは、それが赤く輝きながら遠ざかるっている映像を送っている。

 赤く輝く巨大建造物は、全ての方向から遠ざかっていた。ありえない現象。だがフェイク(虚偽)ではない。なれば真実か? 真実であれば、いかなる理由でか?

「空間と時間が曲がってゆく……」

 彼は吼えていた。

「我が理論は、完璧だ!」

 彼は慟哭していた。

「これで……」


■西暦2031年 日本 畿内州 琵琶湖畔 国立時間魔法研究所実証施設


 柏木ユウイチロウは、走っていた。

 呪文子加速装置の調整を終えた柏木ユウイチロウは、そこへ向かって全力で走っていた。

 他のウィザードやウィッチが飛んでいる中で、柏木ユウイチロウだけが走っていた。



 ここで、物語は時間をさかのぼる。



■西暦2011年 日本 畿内州 長津市 飛行魔法管制所


『琵琶湖上セクター2E3にて魔法震です!』

「周辺を飛行中の魔女どもに警報だ」

『魔法震度5 総呪文エネルギーは推定でもテライシス級です』

「自然神の暴走とでもいうのか?」

『呪文パターンでました。転送します』

「これは、人工呪文だ。しかも……ヘシオドス型魔法炉のパターンじゃないか」

『どこかの魔法炉が暴走したんでしょうか?』

「バカ野郎! テライシス級の魔法炉なんかあるものか」


 その時点においては、テライシス級の出力を持つヘ魔法炉は地球には存在しない。

 それが完成するのは、今から30年後の未来。



■同年同日 日本 畿内州 長津市 危機管理省魔法局(CCCM)即応調査隊


「なんて……こと」

 危機管理省魔法局に就任したばかりのウィッチ(魔法技官)である十河ユイの唇から、思わず言葉がこぼれる。

 琵琶湖上空で発生したテライシス級魔法震に対する災害復旧――幸い、当該空域の飛行制限だけですみそうだった。人的物的な被害はない――と現地調査のために、彼女らは現地に派遣されたのだ。

 だが。

 だが、そこで発見されたモノは、彼女らの想像を超えたモノであった。

「これを、どう見るね?」

 ユイの上司である初老のドルイド(魔法査察官)がユイに問う。その声は冷静というより冷徹な響きがあり、災害現場であからさまに感情を表したユイを咎めるようにも聞こえる。

「ウィザード(魔法分析官)の意見を聞かないと断定はできませんが……これは、史上初めて観測される魔法……いえ、精霊ですわ」

 観測された『これ』が人間であるはずかなかった。いや、いかなる既知の生命・精霊とも異なった。そのはずだった。

「そうだな。こんなのは見た事がない」

 思慮深かげな査察官の暗い瞳が、その現象を見つめていた。

 それは、突然に現れた。

 だが本当は、魔法震と共に突然に消えた、と言ったほうがよいのかもしれない。もちろん、その事実は現時点で知る者は無い。

「反転した時間軸を生きる精霊なんて……しかも」

 ユイは、自分が見ているもの姿を、信じることができなかった。


 のちに、これは『タキヲンの精霊』と呼ばれ、時間魔法研究の最重要の鍵となった。


 ********************


#人称:一人称 #視点:十河アイ

■西暦2024年 畿内州 長津市 上空

 

 飛行箒の柄に、粘りつくような抵抗が生まれた。

 長距離飛行用の3000フィート帯から降りると実感できる。この国で一番大きな湖を渡る夏の風は、今日も重い。

 近距離飛行用の1000フィート帯にアプローチしてスローフライトに移るとサブ(精霊通信)で航路レーンが指定された。すぐに、魔法飛行管制所に着陸アプローチを申請して許可をもらう。

 管制官がナビゲート精霊使用の有無を聞いてきたが。そんなものは必要も無い。

 いくつか新しいビルもあるが、湖に突き出た特徴的な岬を見誤るはずはなかった。

 その岬の中ほどにある目的地は、すぐに見えてくる。

 私の実家、十河家が。


 関東州から標準飛行魔法で1時間余り。ちょっとした遠出と思えば、いつでも帰れる実家。なのに、私はこの6年、一度も実家に帰ってはいなかった。友人と北海道や長野には、何度も飛んだのに。


 ゆったりとしたスパイラルを描いての緩降下で裏庭にタッチダウン。

 そこは、廃園そのものだった。

 なんとか着地できそうなところは、半ば朽ち果てようとしているウッドデッキだけ。

「……ひどいわね」

 分かってはいたが。うっそうと茂る夏草が、庭の全てを飲み込んでいる風景は気が滅入るものだった。

 乗ってきた飛行箒をウッドデッキの中央に立てて『待て』を命じ、庭に下りてみた。


 ちなみに私たちが、その形状から箒と呼んでいるが、飛行箒は掃除に使う箒とは違う。

 正式名称は『飛行魔法補助具』と呼ばれるもの。では、何を補助しているのか、と言うと『飛行中の安定』なのだ。飛行魔法は『浮上』と『移動』『術者の保護』から成り立つパッケージ(いくつかの魔法をセットにした術式)だ。このうち『術者の保護』は空力抵抗からの保護なのだが、普通に術を使うと球形の結界となる。上級飛行術者なら結界の形を変化させて空力的な安定をなしとげるだけでなく、衝撃波に乗っての超々音速飛行も可能らしい。しかし、普通の術者では、そこまではできない。単に球形の結界は、実は空力的に不安定。そのままでは空中でクルクルと回転してしまう。そこで、術の中心と重心の中心をずらす必要がでてくる。簡単にいうと、空力飛行機械(昔は飛行機と呼ばれていた)の尾翼に相当するモノが必要なのだ。それが『飛行魔法補助具』の役目。

 もちろん、箒型に限らない。マント型やらボード型なんてものも存在する。


 私はゆっくりと周囲を見渡した。

 長く留守にしていた我が家の庭に生い茂った夏草は私の腰を越える高さがあって、容易には前に進めそうもない。

 除草の魔法でも使おうかとも思ったのだが、管理局(魔法管理局:MCC)への申請が面倒くさい。それに、この地区では『生命に関わる魔法に対する制限』がかかっているのを思い出して止めておいた。

 水を掻き分けるように、夏草を押し倒して進む。歩きにくいったらありはしない。

 玄関にむかう途中に、崩れたレンガの山があった。

 それがなんであったのか、最初は分からなかったのだけれども。しばらくして、パン焼き用に父がこしらえた石釜であることを思い出す。

 母が小麦をこね、それを父が石釜でパンに焼いてくれた。私のために。

 たしかに、そんな日々があった、これが証拠。

 そうだ。確かに、そんな日々があったのだ。

 でも。

「こんなものを見ないと、思い出さないなんて……」

 こんなのは、記憶の発掘作業にすぎない。

 そこから得られる思い出は、過去の遺物だ。現実とは、あまりに違う異世界の物語のよう。

「私は……こんなところで何をしているのかしら?」

 こんな、誰もいない廃屋で。

 それは確かに、私の家なのだけれど。

 今は、だれも居はしないのだ。

 私は、ゆっくりと視線を上げて湖上の一点を見た。

 琵琶湖に突き出た半島にあるこの家からは、それは良く見る。

 国立時間魔法研究所実証施設。

 私の父と母は、そこにいる。



■琵琶湖上 国立時間魔法研究所実証施設


 その建造物は建物というよりも、湖上に浮かんだ絡み合う巨大な七本のパイプだった。

 その姿は、なんとなくカタツムリを思い起こさせる。

 魔法飛行でフライトデッキに乗りつけると、いきなり軍属のウォーロック(戦闘魔法士)――ワルキューレと通称される女性戦闘魔法士だったけれども――に身体検査されたのには閉口したが。そんなのは序の口だった。

 そこから4重のゲートをくぐり、身分証を6回も提示――それでも少ない方らしい――して、2種類の護符を貰い、3種類の魔法封印を受ける。

 辿り着いた場所は、巨大な円筒に接する扇形の部屋。

 白く清潔な壁と床と天井。彩りはステンレス配管と電気・通信配線用ダクトだけ。

 なんとも心安らぐインテリアだった。

 こんなに時間と手間をかけて進んで、やっと『セイズの檻』と呼ばれる結界の外辺にいたる。

 巨大な円筒が、結界の中心。

 結界の中心は、私が立つ場所から厚さ300mmの特殊ガラスの向こうにある。

 そこは『タキヲンの精霊』と精霊との意志の疎通を役割とする生体端末である『シャーマン(巫女)』が生活する場所。そして、時間魔法研究の最重要な中心の一つ。

 この場所からでも精霊の姿は見えない。いや、精霊の姿を見れるのは一部の研究者だけで、その姿は部外秘とされているらしい。

 私は、精霊に仕える巫女の姿を見ていた。

 巫女は40代の中年女性なのだが、まるで10代後半か20代前半の生娘ように見える。精霊に仕える巫女とは、そうしたものらしく。彼女が特別というわけではない。

 巫女と私の目が、厚い特殊ガラスを通して交差した。

 確かに、巫女は私の姿を見たはずだ。

 けれども。

 けれども、巫女は何も感じないように他所を向いてしまう。

 いつものこと。

 いつものことなのだけれども。

 どこかで、鈍い音が響く。

「止めろよ、アイ」

 突然に、誰かが私の手首を握った。

 見知った男の顔がかぶさってくる。

「ガラスを叩いても、向こうには何も聞こえないぞ」

 ガラスを叩く?

 その言葉に、自分の手を見ると赤くなって血がにじんでいる。しばらくすると、鈍い痛みが襲ってくる。

「痛いわ。ユウイチロウ」

「そうだろうな」

 私の手を握っているのは、背の高い男。鼻毛が見えるほど大きく開いた鼻に、熱帯産の観葉植物のように奔放に伸びた髪は首の後で纏められている。どれも、私の目に馴染んだ姿。

「私……ガラスを叩いていた?」

「そうだ」

 私の手を握っていた男――柏木ユウイチロウ――がポケットから何やらテープのようなものを出して傷ついた私の拳に貼り付けた。

「なに?」

「魔法が使えないからね、ここでは」

 キズテープと呼ばれる奇妙なテープは、私の手に貼り付いて血を止めてくれた。魔法がほとんど使えないユウイチロウは、常にキズテープなる代物を携帯しているのだろうか?

「いつ着いたの?」

「ついさっきだ」

「どうやって来たの?」

「特急でね。米原からはバスと渡し舟だ。8時間もかかった……笑うなよ!」

 どうやら、私は笑っていたらしい。

「だって、やっぱり可笑しいよ」

 国立の魔法研究機関に勤務するウィザード(魔法研究者)が、魔法を使わない公共交通手段を使うなんて。

「理論と実践は違うんだ」

 この話になると、ユウイチロウは頬を膨らまして怒る。その様子が、まるで子供のようなので、私はますます可笑しくなってしまった。

 頬を膨らまして怒っていた雄一郎が、真顔になって呟いた。

「彼女が、アイのお母さんなんだね」

 ユウイチロウは、私の事を名前で――アイと呼ぶようになったのは、いつからだろうか?

 以前は、十河さんと呼ばれていたはずだった。

「そうよ。アレが……私の母」

 私は、タキヲンの精霊に仕える巫女の姿を見て答えた。

「おい、母親をアレなんて」

 その巫女こそが、私の母なのだ。

「アレと話をした?」

「一応な」

「会話がなりたった。いえ、あなたを認識できた?」

「……いや」

 ユウイチロウは、肩をすくめて視線をそらす。

 そうだろう。

 アレは、もはや人間ではないのだ。

 文字通りに巫女――精霊との意志の疎通を役割とする生体端末――なのだ。

 しかも、相手は逆時間軸を生きる精霊。アレの時間認識も、私たちとは大きく違っている。巫女の言葉を翻訳するプリースト(神官)を通さなくては、簡単な会話も出来ない。

「プリースト殿によると、キミの母上は許可してくださった。そうなんだろう?」

「そうね」

 私は、ある魔法実験の被験者として志願した。たまたま、その魔法実験のチーフ・ウィザードであったユウイチロウは、私の両親に許可を貰うと言って聞かないのだ。私は子供ではない。ウィッチの資格を持つ魔法技官だ。両親の許可なぞ必要ない。

 必要ないのに。

「けじめだよ」

 そうだろうか?

 私には、責任逃れの儀式にも思える。


 私が11歳の時に、琵琶湖上空で魔法震がおこった。直後に、特異な精霊が観測される。

 当時、CCCM(危機管理省魔法局)のウィッチだった私の母は即応調査隊として現場に駆けつけた。

 そこで観測されたのは、史上初の逆時間軸を生きる精霊。のちに『タキヲン』の通り名で呼ばれる精霊だった。

 国立物理魔法研究所は、私の父を中心とした専門研究班を結成――のちの国立時間魔法研究所となる――し、精霊を確保した琵琶湖上に封印施設を建て研究をすすめた。

 その途上で、母がタキヲン精霊の巫女に志願した。すでに家庭を持つ女性が巫女になるのは不可能ではないが、異例なことではあった。

 私は驚いて反対をしたが、意外にも父は賛成だった。

 私が12歳の時、母は巫女となった。

 そして、父は私の顔を見なくなり、研究に没頭をしてゆく。

 私が13歳の時には、父は家に帰らなくなった。

 私は、捨てられたも同然だった。

 誰も居ない家で、私は暮らしていった。

 家政婦は雇われたし、家事精霊も優秀なのがいてくれる。

 だけれども、それだけだった。

 寂しいという感覚が麻痺する事を知ったのは、14歳の時だった。


 パイプの神殿があったなら、きっとこんな場所に違いないだろう。

「お父さん」

 私たちは、時間魔法研究の、もう一つ中心にいる。

 私たちの前に吊るされた銀色に輝く巨大な渦巻きパイプは、ミスリル銀コーティングされた呪文子加速装置。6年後には世界最大のヘシオドス型魔法加速炉となる一部。私に分かるものはそれくらいで、他の雑多なパイプやら魔法陣やらはサッパリだった。

 その中心に立つ私の父は、さしずめ、パイプ帝国の皇帝。

「お父さん」

 私は、もう一度叫んだ。

 それが虚しい努力だとは知ってはいても、声を上げずにはいられなかった。

 だが、私が声を浴びせた初老の男は振り向きもせず、現場の指揮を続けている。

 いつものこととはいえ、今日は恥ずかしかった。

 ユウイチロウが来ているのに。

「もういいよ」

 ユウイチロウが私の肩を抱いて呟く。

「……でも、ユウイチロウ」

 なにを躊躇っているのだろうか?

 もう、こんな所から逃げ出そう。

 無視され存在しないように扱われるのは、苦痛以上の苦しさがある。ここから逃げてユウイチロウと愛し合おう。

 全ての苦しさを忘れる為に。

 でも。でも、このまま抱かれるのはイヤだった。

 これではまるで、慰められるために体を求めてるバカな女でないだろうか。事実は、その通りなのかもしれないけれど。

「……ユウイチロウ、だと?」

 それが8年ぶりに聞いた父の声だった。

 振り返った男の姿に、思い出を重ねて父親を認識するのはひどく困難な作業だった。かつての父は、姿勢が良くてふっくらとした体の持ち主だった。今、眼前に立つ男は猫背で、斧で木を削ってつくったような体躯をひきずっている。

 そしてなにより、瞳が違った。

 この男も目は、本当に人間の瞳だろうか?

 暗い洞窟の底に潜む飢えた魔獣のような瞳。

 こんなのが、私の父親なのだろうか?

「初めましてウィズ 十河ゲンタロウ。私は国立物理魔法研究所に勤務します柏木ユウイチロウ、ウィザードをやっております」

 ユウイチロウは、作法にのっとた挨拶をした。ウィズとはウィザードの敬称。

「青二才のへっぽこウィザードが、ここに何の用だ?」

 腐った魚の内臓のように臭い息を吐きながら、父は首を伸ばしてユウイチロウの顔を舐めるように覗いた。

「お父さん! 止めて!」

 私の声は甲高くなり、悲鳴に近かった。

 これでは、本当に泣き叫ぶしか能が無いバカ女だわ。

「実は、娘さんのアイさんに研究を手伝ってもらっているんです。今度、ある魔法実験に参加してもらうことになったので、そのご挨拶に……」

「挨拶? ただの魔法実験なんだろう。なんで、挨拶が必要なんだ。それは危険な魔法なのか?」

「新しい魔法術式の実証試験です。予備実験は繰り返しましたが、完全に安全ですと言い切れるほどに私は厚顔では……」

 ユウイチロウが、そこまで言ったとき。

 肉と肉がぶつかり、骨と骨が砕ける音が響いた。

 そして、ゆっくりとユウイチロウが後ろに倒れていった。

 何が、起こったの?

「きいたふうな軽口を叩くなぁ。青二才!」

 父の声だった。

 父が、ユウイチロウを殴り倒し怒鳴っている。

「思い上がった若造があ!」

 父は、傍らのオフィスチェアーを頭上に持ち上げた。

 あれを、ユウイチロウに投げつけるつもりだ。

「止めて!」

 思わず、私は倒れたユウイチロウの前に立っている。

 椅子を頭上に持ち上げた男の顔は、駄々をこねて泣く子供のようだった。

 事に気がついた周囲の研究員が、父を止めてくれたのだが。その視線には、ユウイチロウと私を咎めるような色が濃くあった。

「ここは治癒魔法も使えませんよ。早く出て行った方がいい」

 父を後ろから羽交い絞めにしていた研究員が、鼻の骨が曲がって血を流しているユウイチロウを指差して告げた。

 謝罪の言葉は、一言も無い。

 私は、ユウイチロウに肩を貸して、追われて逃げるように施設から出て行った。



■駿河湾沖 魔法実験施設艦『生駒』


 生駒は旧帝国海軍『雲龍』型空母の6番艦としてWW2終戦間際に完成したらしい。

 敗戦後、解体の運命にあったが『来訪』のどさくさにまぎれて生き残る。そして、新生海軍の補助空母、練習艦、魔法実験施設と姿をかえて、なんと次の世紀を迎えても海に浮かんでいた。

 なんとも、しぶとい船なのだ。

 今『生駒』は国立物理魔法研究所に所属し、洋上に浮かぶ魔法実験施設として巨大な魔方陣が描かれている。

 ここがユウイチロウの夢の形。

 そして、私のテスト・ウィッチとしての存在を証明するステージだった。

『ただいまより、超長距離空間跳躍実験を行います。スタッフは所定の配置についてください。それ以外の者はマギュテル護法陣に退避してください。』

 アナウンスが流れ人があわただしく走り出した。すぐに、空間跳躍――テレポート――用の魔方陣の中には亜空間装束の私とユウイチロウしかいなくなる。

「大丈夫だ。大丈夫! チェックは2手順で3回やった。間違いは無い。間違いは無い」

 まるで呪文を唱えるように、鼻にテイエイア(治療護符)を貼ったユウイチロウが呟いている。

 それは私をリラックスさせる為の言葉のはずなのに。私にはユウイチロウが自分自身を誤魔化して責任の所在を曖昧にするための、言い訳のようにも聞こえるのだった。

 心を鎮めなくてはいけないのに、嵐にもてあそばれる小枝のように心が乱れた。

 こんなことではテスト・ウィッチ失格だわ。


 ファンタジー小説や童話を愛読している人には、現実のウィッチとウィザードの関係を誤解する事が多い。

 たぶん文学や伝承の世界では、高度で強力な魔法を使えるのがウィザード(魔法使い)で、せいぜいが人を呪ったり箒で空を飛んだりできる程度の者をウィッチ(魔女)と呼ぶ、と区別していると思う。

 だが、現実のウィザードとウイッチの違いは、職域の違いなのだ。

 ウィザードは、魔法の理論を理解し研究する者だ。既存の魔法を分析分解して原理や原因を究明したり、新しい魔法を組み上げるのが仕事。

 実際に魔法を使うのはウィッチの仕事だ。

 その意味では、魔法を使う全ての人はウィッチとも言える。

 だが、一般的には軍事や特殊医療を除いた各領域で専門的に魔法を行使する者をウィッチと呼ぶ。その中で、トップクラスの実力が必要なのがテスト・ウィッチ――新しく構築された魔法を実際に使ってテストする事を専門とするウィッチ――なのだ。

 大学で応用物理魔法を修めた私は、卒業後も助手として研究室に残りテスト・ウィッチの道をすすんだ。とはいえ、若輩の私に本当の意味でのテストを依頼してくるウィザードはいなかった。大勢のテスト・ウィッチの一人。数多くの実証データが必要な時の頭数にすぎない。

 一目おかれる存在になりたかった。無視されるのは、イヤだったのだ。

 初号試験で指名されるようなウィッチになりたかった。

 それには、画期的な魔法実験で華々しい成果をださなくてはいけない。でも、そんな仕事は私にはまわってくるはずもない。

 ジレンマだった。

 手段なんか選んではいられないと焦っていたのかも知れない。

 私は、若い研究員に近づいてとりいった。

 別に恥じることはない。ウィッチにも営業努力は必要なのだ。

 そして、柏木ユウイチロウに出会った。

 彼は、超長距離テレポートの研究をしている。華やかな分野だった。

「僕の夢はね。『シェオール』まで飛ぶことさ」

 途方も無い夢だった。

 あのダイソン球に覆われた魔族の星域までは666AU――AU(天文単位):1AUは地球と太陽の間の平均距離――もある。光の速度でも約4日かかる距離なのだ。

 そんなこと出来ようはずも無いと、笑いたかった。

 でも、私は微笑んで。

「ステキな夢ですね」

 と、言っていた。

 虫唾が走る。

 でも、彼は私を無視しなかった。


「目的地はオーストラリア エアーズロックだ。危険を感じたら嘉手納かポートモレスビーにエマジェンシー・ダウンしてくれ」

 ユウイチロウは予備の飛翔チャートを私の太股にセットされたファイルに押し込む。

 亜空間跳躍中に、紙メディアのチャートを広げて航路を検討できるとも思えないのだけれど。

「……かい?」

 ユウイチロウが何かを言った。聞き逃してしまったらしい。

「なに?」

「大丈夫かい?」

 大丈夫?……ほんとうに大丈夫だろうか? でも、止めるなんていえるはずもない。

「問題無いわ。オール・グリーンよ」

 ユウイチロウは、私のヘルメットをポンと叩いて。

「じゃあ、いこう」

 と、言った。

 ユウイチロウが、跳躍魔方陣から離れて手を振った。

『跳躍魔法 第一段階 プレキャスト開始』

『跳躍まであと50』

『キャパシター 壱号から参号まで開放します。呪文唱詠 順調なり』

 忙しくアナウンスが重なる。

 私はプレキャストしておいた感覚制限の魔法を開放し、跳躍魔法に同調していった。

『シンクロ 異常なし』

『あと10』

『呪文子加速をパイパスラインへ接続!』

『呪文圧力 定格。最終章唱詠開始』

 ああ、主役なんだわ。

 今、この瞬間。

 多くのウィザードが、ウィッチが、ウォーロックが、ドルイドが、私に注目している。

 今は、誰も私を無視はしない!

『5……4……』

 いける。

 私は、飛べる!

 そう思った時。

 サイレンが鳴った。

『キャパシター弐号 異常加熱 緊急停止!』

『3……』

『呪文圧力 低下!』

『唱詠停止!』

『アラート アラート アラート』

『2……』

『実験は中止だ!』

 それはユウイチロウの声だったかもしれない。

 私は緊急脱出すべきだった。

 でも。

 でも!

「やれるわ。わたしは……」

『1』

『唱詠停止できません!』

『バカや……』

『ゼロ』

 世界は、反転した。



■?


 そこは、見知った場所のようでもあり、異常な場所であった。

 帝都の高層ビル群が見えたような気がする。

 でも、どこから見ているのだろうか?

 空からではなかった。地上でもなかった。地下だろうか? それも違った。

 多くの人が歩いている。飛行魔法を使って飛んでいる者もいた。

 だが、全てがおかしかった。

 泥の中を進むように、私は移動している。

 でも、歩いているのではない。なら、飛行魔法を使っているのか? それも違った。

 私の体の全ての筋肉が緊張し、全ての感覚器官が研ぎ澄まされ、ニューロンの全てが活動しているようだった。その中の、どれかが私を動かしている。でも、それが何で、どうやっているのかを知ることは出来ない。

 何だろうか?

 これは一体、何であろうか?

 後ろ向きに歩く人影が、私の横を通り過ぎる。

「すいません」

 その人影に呼びかけたつもりだったが。声が出ているのかどうかさえ分からない。

 また、人影らしきものが私の横を通り過ぎる。

「すいません。緊急事態なんです」

 その人影も、何の反応もかえさなかった。

 上から巨大な影が襲ってきた。

 思わず、身構えたが。何もおこらない。

 影は、私を通り過ぎてゆく。

「どうして?」

 無数の黒い粒が下から吹き上がり、渦を巻いて天にのぼってゆく。

「ここは何? 誰かいないの!」

 急に、何かの力が働いた。

 私の体を引っ張る力は、何重にも重なった私の一枚を引き剥がそうとしているようだった。

「止めて、止めてよ」

 叫んでいた。

 だが、本当に叫んでいるんだろうか?

 痛みはなかった。

 でも、私は一枚一枚はがされていった。

「いやだ。いやだよ!」

 分解されてゆく。

 感覚が分岐してゆく。

 記憶が切り分けられる。

 それは、恐怖。

 痛みも無い、苦しみも無い。純粋な恐怖だった。

 気がつくと。

 一枚の私は、紺碧の海にいた。

 一枚の私は、夜の砂漠にいた。

 一枚の私は、吹雪の雪原にいた。

 一枚の私は、雨の森林にいた。

 一枚の私は、美しい花園にいた。

 一枚の私は、渋谷の交差点に立っていた。

 一枚の私は、マントルの中にいた。

 一枚の私は、真空の世界から蒼い惑星を見ていた。

 一枚の私は……一枚の私は……一枚の私は……一枚の私は……一枚の私は……


 私は、どこにでもいた。

 だから、私は何処にもいなかった。

 何処にでもいて何処にもいない私は、世界から無視されてしまった。

「そんなのは、イヤ!」

 全ての場所に響く叫びは、互いに干渉して消え。だれにも聞こえなかった。



 ゆっくり。

 ゆっくり。

 ゆっくりと。

 無数の私が、集まってきた。

 それは、カードがジャグラーの手の中で踊るように、無秩序に見えて秩序を保ち、混沌に見えて整然と、偶然に見えて必然だった。

 重なり合った無数の私は、私に還る。

『どうやら成功みたいね。よかったわ』

 声がした。

 懐かしい……声だった。

『もう、大丈夫よ』

 よく知っている、懐かしい声。

 聞きたくて聞きたくて。でも、けっして聞くことのできない声。

「だれ?」

 何を言っているのだろうか、私は。

 その声の事を、一時も忘れた事は無いのに。

 ずっと、望んでいたのに。

『分からない?』

 分かるわ。

 すぐに、分かったわ。

『ずいぶん、待たせてしまったね。アイ』

 それは。

「お……お母さん?」

 信じられなかった。

『ええ、そうよ』

 柔らかい何かにさわった。

 それは、お母さんの手。

「どうして?」

 心地よい匂いに包まれた。

『あなたを持っていたのよ』

 それは、お母さんの香り。

「お母さん……寂しかった」

 暖かい微笑があった。

『もう、大丈夫よ』

 それは、お母さんの……


***************



■駿河湾沖 魔法実験施設艦『生駒』


 混乱していた。

『亜空間探査精霊を増やせ!』

『国際魔法管理機構へ報告を』

『チャートを洗いなおせ!』

 混乱が混乱をよんだ。誰もが何をしているのかを忘れてしまっている。

 なんとかしなければ。

 呪文記録紙を握り締めながら、柏木ユウイチロウは焦っていた。

 だが、何とかするとは、何をどうするのだ?

 管理機構への報告か?

 研究所への言い訳か?

 スタッフへの説明か?

 助教授へのステップアップの修正か?

 柏木ユウイチロウにも、分からなくなっていた。

 2時間前に消えたしまったウィッチの事など、忘れてしまうほどに。

「不様だな」

 ユウイチロウに声をかける男がいた。

 ゴッホが描く糸杉のような男だった。

「あなたは……ウィズ 十河ゲンタロウ」

 行方不明になった十河アイ、その父親。

「どうして?」

 ゲンタロウは、傍ら飛行箒を指して。

「ワシは、貴様と違って飛べるんだよ」

 言いながら、ゲンタロウはユウイチロウの手から呪文記録紙をもぎ取った。

 抗議の視線を向けるユウイチロウを無視して、ゲンタロウは記録紙を凝視している。

 見るという行為に熱があるなら、それは鉄をも溶かす灼熱だった。

「おい、若造!」

 ゲンタロウは懐から別の呪文記録紙を取り出して差し出した。

 ユウイチロウには理由が分からなかったが、それを見なくてはいけないと感じていた。

 ユウイチロウは見た。

 そして、驚いた。

「これは……なんですか!」

「2時間前の『セイズの檻』の記録だ。タキヲンの精霊が消えた直後のな」

「タキヲンの精霊が……消えた?」

 逆時間軸を生きる精霊が消えた。

 それは、精霊の死だろうか? いや、時間軸を逆に考えるなら……それは誕生だ。

 2時間前、タキヲンの精霊が生まれたのだ。しかも……

 今度は、ユウイチロウがゲンタロウから呪文記録紙を奪い取った。

 そして、見比べる。

「呪文パターンが、同じですよ」

 ユウイチロウは呻くように呟いた。

「同じだな」

 ゲンタロウが、天気の話をするように答えた。

 呪文パターンが同じ魔法が、同時刻に記録されている。

 そして、それはユウイチロウしか知らないはずの新しい呪文式だった。

「まさか……」

 結論は、一つだった。

 一つしかありえなかった。

「そうとも! 貴様の欠陥魔法で、アイの体は『タキヲンの精霊』に変換されてしまったんだあ!」

 ゲンタロウは吼えた。

 吼えてユウイチロウを殴り倒していた。

 倒れたユウイチロウは、しばらく床に寝て阿呆のように天を見ていた。

 だが。

「この腐れ中年があ!」

 突然に大声をあげて立ち上がったユウイチロウが、ゲンタロウを殴る。

 ぐらりとゲンタロウの上半身が揺れ、唇から血が流れた。

「貴様ら、分かっていたな! この実験でアイが事故に遭うと分かっていたな! 分かっていて、何故止めなかった!」

 ユウイチロウの体は震えていた。

「……なぜ止めなかった、と思う?」

 怒りに震えるユウイチロウを、ゲンタロウが睨み返した。

 ユウイチロウは、時間魔法の研究素材確保の為に事故を阻止しなかった可能性を考えた。

 だが、ゲンタロウの瞳が、その可能性を全面的否定している。

 そして、一つの仮説に思い至る。

「まさか……タイムパラドックスの回避」

 タイムパラドックス。未来の行為が過去に影響を及ぼす事態において、その未来自体を否定する矛盾。

 ゲンタロウが首肯した。

 ユウイチロウは息をしようとしたが、出来なかった。

 自分の中の何かが、壊れようとしているのを感じる。

 それは、あまりにも臆病で愚かな選択ではないか。

 一言いえば、回避できる危機。

 ほんの少しの作為で、破綻する運命。

 だが、些細な危険の可能性を恐れて、このウィザードは残酷な運命を受け入れたのだ。

 しかし、それならば、この運命に救済はあるのか?

「アイは生還できる!」

 ゲンタロウの声が響いた。

 この場の、全ての人が止った。

 止って、待った。

 次の言葉を。



■西暦2031年 日本 畿内州 琵琶湖畔 国立時間魔法研究所実証施設管制所

 

「すばらしいぞ!」

 実証施設管制室の中央に立つ糸杉のような男は、湖上に浮かぶテライシス級ヘシオドス型魔法炉を眺め、感極まり吼えていた。

 彼は、ゆっくりと赤い色に輝きながら遠ざかる巨大建造物を見て、感情を高ぶらせている。

 湖上の巨大建造物を八方から観測する全てのカメラは、それが赤く輝きながら遠ざかるっている映像を送っている。

 赤く輝く巨大建造物は、全ての方向から遠ざかっていた。ユークリッド幾何では、ありえない現象。だが非ユークリッド幾何で考えるなら。

「空間と時間が曲がってゆく……」

 彼は吼えていた。

「我が理論は、完璧だ!」

 彼は慟哭していた。

「これで……これで、アイをサルベージできる」

 彼は……ウィズ 十河ゲンタロウは泣いていた。

『時間軸湾曲確認』

『亜空間接続完了!』

『ターゲットをロックしました。リアライズ・フェーズに入ります』



■西暦2031年 日本 畿内州 琵琶湖畔 国立時間魔法研究所実証施設


 彼は……柏木ユウイチロウは、今日も走っていた。

 呪文子加速装置の調整を終えた柏木ユウイチロウは、リアライズ・デッキに向かって走っている。

 他のウィザードやウィッチが飛んでいる中で、彼だけが走っていた。

 複雑で狭い通路や階段の多い生駒では、飛べないことは大変に不利だった。

 いや、これは適切な表現ではない。

 柏木ユウイチロウにとって、今までの人生の全てで『飛べない』ことは不利にしか働かなかった。

 ここは、魔法が使える世界であった。

 だが、全ての人が魔法を使える世界ではない。

 いちおう魔法が使える程度の人間でも、10人に1人。つまり、残りの9人は魔法が使えない。

 上級のウィザードやウィッチとなると、一万人に1人程度。魔法管理機構が認める最上級魔法使い(ハイランダー)は世界で11人しかいない。

 つまり、魔法は個人的な能力であり個人差が大きいのである。

 しかも、この能力は先天的・遺伝的な要素が強い。生後の訓練では、身につけるのが困難な能力のひとつだ。

 飛行魔法を使えば――管理局への申請が必要。サブ(精霊通信)一本でことはたりるが――帝都から北海道でも2時間以内で移動可能だ。魔法を使えない者には、マネができない。

 召喚魔法は、自分の仕事を助けてくれる精霊を呼び出せる。

 治癒魔法は、自分で簡単な怪我を治せる。体調の管理なんて簡単なのだ。

 精神同調魔法を使えば、他人との完璧なコミニケーションが可能だ。精神侵食の危険もあるが。

 どれもスバラシイ能力だった。魔法を使えない者には、マネができない。

 その力を自在に使える者と使えない者の能力差は歴然としている。

 能力差は社会での格差を生み、貧富の差を決定付ける。

 現代の社会問題の一つである。

 柏木ユウイチロウは、生まれる前から魔法が使えない運命にある、と言ってもよい境遇であった。両親や祖父母、親戚にもウィザードやウィッチが1人もいない。そんな血族の1人。当然、社会での地位は低い。

 声高く平等を叫ぼうとも、この世界は不公平不平等を容認している。残酷な事実だ。

 それでも、柏木ユウイチロウは挑戦を続けた。

 そして得た結論が、ウィザードになることであった。

 意外かもしれないが、ウィザードには魔力が必要ではない。ウィザードが組み上げた魔法を試すのはウィッチの仕事なのだから。

 つまり、魔法が使えない者が魔法に関係した職業につく唯一の道がウィザードなのだ。

 現在の社会で、富める者側にいるためには魔法に関わる職業が必要である。

 彼の結論は『柏木ユウイチロウはウィザードになる』であった。

 とはいえ、可能であると言うだけであり。その道が、茨の茂る急斜面であるのは言うまでも無い。

 それでも、柏木ユウイチロウは国立物理魔法研究所に所属するウィザードになった。現在は時間魔法研究所に出向の身なのだが。

 だから、彼は走っていた。

 飛べないのなら、飛べる者に一歩でも近づくために走るしかないのだ。

『タッチダウンに入ります』

『各部署 対物理・対魔法防御用意』

 柏木ユウイチロウは、リアライズ・デッキに飛び出した。

 その時、無数の光粒が曲線の軌道を描いて集まりだす。

『ショックウェーブきます!』

 光粒が一点に集まった瞬間。

 その一瞬だけ、時空が裏返った。

 それは、巨人のビンタをくらったような衝撃だった。

 転落防止用のフェンスが無かったら、転倒していたかもしれない。

 しばらくは、感覚が麻痺していた。

 最初に回復したのは、鼻だった。

 焦げ臭いイオン臭がただよっていた。

 次が耳であった。

 急激に収縮する無数のパイプが奏でる澄んだ高音が響いている。

 最後が目だった。

 まだ霞む視界にぼんやりとした影が見えた。

 ぼんやりとした影は、動いているようにも見えた。

 拳で拭くように目蓋を何度も押さえて、再び見た。

 彼女が、立っていた。

 あの日に旅立ったままの、亜空間装束だった。

 柏木ユウイチロウは、声を出そうとした。

 だが、喉に何かが詰まったようで声が出なかった。

 柏木ユウイチロウは、彼女の姿を良く見ようとした。

 だが、視界がぼやけて、何も見えなくなっていった。

 だが。

 だが、見る必要も、話す必要も無かった。

 柏木ユウイチロウが知っている小さく軽い体が懐に飛び込んできた。

「お……おかえり……」

「ただいま」

「ゴメン。ひどい旅をさせて」

「……いいの。お守りが、あったし」

 彼女は、亜空間装束の太股部にセットされたファイルに触れた。

 そこには、飛翔チャートと一通の手紙が入っている。

「ねえ?」

「なんだ?」

「このお守りは、まだ有効?」

 柏木ユウイチロウは、あの日から初めて笑うことができた。

「キミさえ良ければ。アイ」

 


■西暦2031年 日本 畿内州 琵琶湖畔 国立時間魔法研究所実証施設管制所


「……なにをやっとるんだ!」

 十河ゲンタロウは、モニターに写された愛娘と若者の映像を見て激怒していた。

 あろうことか、若者は愛娘を抱きしめただけでなく接吻までしていたのだ。

「いいじゃありませんか。アナタ」

 激高して管制所を飛び出しかねないゲンタロウを妻のユイが止めた。

 十河ユイは『タキヲンの精霊』が消えた日にシャーマンを辞し、2年のリハビリをへてゲンタロウの助手として働いている。

「だがなあ。あんなハレンチな」

「プロポーズが、ですか?」

「……な……なにい!」

 ユイが操作盤をいじってカメラをズーム操作した。

 モニターに写るアイの手に握られた手紙をアップにしたのである。

 その文面は……

「許さん! 結婚なんて、許さんぞ!」



■西暦2044年


 人類は火星への惑星間テレポート(亜空間跳躍)魔法に成功した。

 跳躍に成功したウィッチの名は……柏木アイ。

以前、他サイトに投稿した作品です。

こちらでの評価も知りたく投稿いたしました。

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[良い点] アイディアは素晴らしいと思います。 また、科学理論に裏打ちされた世界観が見事です。 [気になる点] 様々な部分で少々、説明を端折っている気がします。 まず「魔法震」によってどの様な被害が出…
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