徒然掌編集 零 ~あつまれ短編作品のMemento mori~
ねこみみはーと
「……ここはどこ? ぼくは——」
2016年。春。薄暗い部屋で、僕は目をパチパチとさせていた。
目の前にはツインテールの少女。そして怖い顔したお兄さん。
「おう、顔上げェや嬢ちゃん」
そう呼ばれ「いや上げてますけど……」と言いかけ、気づく。
——嬢ちゃん? 僕は男だったはずじゃ——。
慌てて自分の身体を触る。
フリルやリボンで飾られたガーリーなワンピース。それ越しに触れる、小さくも薄く膨らんだ胸。女性らしいくびれが出来始めている腰。そして、下腹にあったはずの膨らみは——「ない」
「当然でしょ。あたしが頼み込んで、女の子にしてもらったんだから!」
「……ふぇ?」
胸の上くらいに伸びた白い毛先に触れながら目を丸くする僕。彼女は僕にぐいっと近寄って、ニコッと微笑みかけた。
「あたしは『mimi』! ——あなたのファンよ、『ココノハ』さん」
なんで僕のハンドルネームを知っているんだ。
それに、ファンって——この僕に、そんなのがいるのか。
というかそもそも、この身体はなんなんだ。
頭の上でナニカが動くような感じがした。
思わず頭頂を触れた。三角のちょっとコリッとしたものが生えていた。
「……もしかして」
「猫耳が生えちゃったのは、なんかもうそういう事故ね。どんまい!」
どんまいじゃないが。
信じられないことだらけの現状にオーバーフローしかけている。
「……どうしてこうなった……?」
つぶやきながら、思い出せる前日の記憶を思い出す。
*
「……っと、投稿完了」
六畳一間のボロアパート。僕はちゃぶ台のノートパソコンを前に、大きめのため息をついた。
ニコニコ動画。再生数一桁の弾き語り動画。そこにはくたびれた青年——投稿主である自分、「ココノハ」の姿が写っている。
去年撮った、自作曲の弾き語り。マイページには似たような地味なサムネの動画が並んでいる。
ボカロやDTMは性に合わなかった。そもそも無料のソフトじゃ使い勝手が悪かった。きっと有料のソフトでも同じような文句をたれていたのだろうが。
だから僕はアコギ一本で弾き語っていた。尾崎豊を真似して歌ってみては、その彼の享年すらもう目の前に見えてる事実にうなだれていた。
「……やっぱバンプとか歌ったほうがいいかなぁ。あと……ボカロとか」
再生数順で一番上に来るのはボカロのカバーだった。wowakaのローリンガールだった。ちっぽけなプライドに負けて歌ったらはじめて再生数が三桁に乗った。でも下手とか聞くに耐えないとかのコメントだけが僅かに流れていて、それから有名な曲を歌うのはやめた。
彼らが求めているのは僕の歌声ではなくてあの曲のトレースなのだ。そう納得して。
どうせ再生数の伸びないオリジナル曲の投稿を終え、僕はただ天井を見上げた。
そうやって脳内で言い訳をして過ごすばかりのどうしようもない日々だ。はぁ、と大きく息をついて、それから幽霊のようにニコニコのランキングページに流れ着く。
ぼうっと見つめるそのページ。その中くらいのところで、不意に手が止まった。
——新人歌い手、mimi。
歌って踊る系の若い、というか幼い、歌い手。有名で伸びているボカロの曲やアニソンをカバーして閲覧数を稼いでる奴。
アイドルみたいな立ち居振る舞いで、流れるコメントもその見てくれにチヤホヤしている。
「……くだらねぇ」
こういう女は大抵アバズレだ。可愛いと言ってもらっている自分に酔って、努力を怠る。
それなのに——気がつけば、ヘッドホンから彼女の歌が流れていた。
ありふれたアニソンに乗った透き通った歌声は、粗を探そうにも見つからなくて。
汚い部屋でタンクトップ一枚でギター担いでいる自分を見返して——。
「みじめだなぁ……」
——努力をしていないのは、どっちなのだろうか。
涙が出てきた。
そんなときだった。
ぴんぽん、と呼び鈴がなった。
荷物を頼んだ覚えはない。みかんをくれるような親戚の覚えもない。
「……」
返事をしないままのそりと立ち上がって、玄関ドアののぞき窓を見て——シュー、となにかが吹かれる音がした。
スプレー。郵便受けの穴から、ガスが入る。
「げほっ、げほ」
息が、苦し——。
*
「つまり、そういうことか。お前らが、僕を」
ふーっ、と僕は牙を向く。薄暗い事務所。
「なにが目的だッ! いきなり拉致して、こんな身体にして——」
「お、怒らないでよぉ、ここはちゃん!」
ツインテールを結んだ茶髪の少女——歌い手のmimiは、慌てて僕をなだめようとするが。
「……なんで僕の名前を」
「この名前で合ってたんだ……いや、新しい戸籍この名前で作っちゃったからさー……」
何を言っているのか、脳が理解を拒んだ。
mimiは助けを求めるように傍らの怖い顔をした男に目線をやる。
男は軽くため息をついて。
「はァ……ひとまず茶ァでも飲みィや。話はそれからな」
と、目の前の長机の上に置かれたマグカップに目をやる。
「……変な成分とか」
「入ってへんわ! さっさと飲んで落ち着きィ!」
お前が落ち着け。
言いたい一言をぐっとこらえ、ひとまず額にシワを寄せながらもそのマグカップに口をつけた。
ふつうに美味しい紅茶だった。少し落ち着く香りがした。
「まずな? あんさんは女の子になった」
「……まず、というには大きすぎないか?」
「女体化薬使ゥたんや。それであんさんは数日間寝込んで、身体を変化させ、嬢ちゃんになった」
「そんなものがあるなんて、はじめて聞いたのだけど」
「闇市場で出回っとったンよ。高かったで?」
「えと、この猫耳は」
「知らん。知らん、けどォ……あー、そーいやここに近所の野良猫が入ってきたことあったな」
「カシマさんめっちゃ戸惑ってたもんねー」
「うっさい黙りィやミミ。んで、変化中のあんさんの身体に毛ェでも混じったんやろ」
「んなてきとーな……」
「身体ァ作り変えられてっし、まァそういうこともあるやろ」
睨み合いの会話。僕は警戒を解かぬままに問う。
「じゃあなんで、こうしたんですか」
ミミと呼ばれていた歌い手は、そっと目をそらし。
「あーだこーだ言ゥてもしゃーねェから、単刀直入に言うわ」
カシマと呼ばれた男は、大きめなため息を吐いた。
「——ウチの『mimi』と組んで歌ってほしい」
「……うちの?」
「せや。この子はこの事務所の所属アーティストなんよ。ゆーてもインディーズやけど」
「いつから……」
「三ヶ月前や」
「最近じゃないか」
「ああ。けどな、このために事業起こしてスカウトしたんや。今更後には引けん。——でな、そのミミがな」
呼ばれた少女は、目を向けられて少し俯いて——それから、僕をじっと見て。
「あたしは、あなたと一緒に歌いたかったの」
告げた。
「それって、どういう——」
問いかけを遮るように、カシマが大きいため息をついた。
「あー……ンなとこで話すのも野暮っちゅーもんか。カラオケボックスにでも行こや。奢るで」
「やったぁ!」
はしゃぐミミに、カシマは後頭部を掻いていた。
*
「さて」
「さて、じゃないけど。カシマさん」
赤面しながら睨む僕に、彼は「そーカッカすんなや」とデンモクのタブレット端末を渡してくる。
「駅前ですごい見られて……その、恥ずかしかったんだけど」
「そらあんさんが可愛くなったからや。しゃーないやろ」
「かわっ……」
「可愛い可愛い未成年の女児を二人連れた人相悪いオッサンがいたら、そら人目引くやろなァ」
「…………」
それはそうだった。この一見してヤクザにしか見えない男が子供を連れてたら、真っ先に疑われるのは誘拐である。
……いやいや、実際僕は誘拐されてるんだが?
クーラーの効いた狭い部屋。ミミは「カシマさん! 歌っていい?」と無邪気に聞いてくる。
「ええで。……まずは相方の実力を知ってもらわなアカンからな」
意味深に呟くカシマに、僕は怪訝な目を向けた。
「で、僕をこんな姿にした理由ですけど」
「さっきも言ゥたやろ。ミミの相方や」
「でも、なんで僕なんかに」
「せやから、当のミミからのご指名やて」
「ならなんで、この姿にした?」
「……それはな」
曲が流れ出した。少し前に流行ったアイドルソングのイントロだった。
彼女のツインテールが揺れた。
——振りを入れながら、歌い出す。僕に向かって。
シンセサイザーの入ったハイテンポで軽快な王道ラブソング。僕が少し見下していた商業音楽。
打ち込みのドラムに沿って。
「キミが好きだ!」
直球に歌われる恋心。
それを丁寧に、楽しそうに歌う彼女は、やはり眩しくて。
「……キラキラしてる」
ずっと感じている通りだった。
スカートが揺れて、ふわりと花の香りがして——楽しそうな笑みで僕を指さす振り付け。
胸が苦しくなって。
デンモクから、手が離れた。
「ねぇねぇ、ここはちゃん! ……好きになってくれた?」
歌い終わった彼女は、僕のそばにずっと近寄る。服越しに、肌が密着する。
どきりとした。十年近く味わっていない人肌の温かさに。いや、それ以上に。
「……自分が恥ずかしくなるほどにね」
彼女の垣間見える努力を見て見ぬふりをしていたことに、今更になって気づいて。
一気に、この『mimi』という歌い手に、惚れ込んでしまった。——自分など、並び立つのもおこがましいと思えるほどに。
純粋そうに笑う彼女は——僕の右手を取った。
「ここはちゃんの歌も、聞きたいな」
「——っ」
唇を噛む。……あんなのを見た後じゃ、歌おうにも歌えない。どうやっても下手くそな僕の歌なんて——しかし。
二人の視線が、突き刺さった。
カシマ。そして、ミミ。その目は睨むようで——。
「……どうせ、僕をはめようとしているんだろ」
「違うよっ!」
「ならなんで! 僕なんかを呼んだんだ! 他にももっと上手なやつはごまんといるだろッ! ……どうせ、僕を騙そうとしているんだ」
「ちがっ……」
「僕を騙して、量産型の下手な歌と踊りで金づるにでもしようとした! 違うかッ!」
「ちゃうわ、ボケ」
低い声で、カシマが睨みつけた。思わず息を呑む。
「ワイはな、あんさんに期待しとんのや」
「ッ……」
「ミミが見込んだ奴や。『ココノハ』の動画は全部見た。そのうえで、勝負に出た。ミミの相棒として寄り添って歌える逸材に『賭けた』。金も時間も」
「……それって」
思わず自分の手を見た。
小さく、ふにふにとした掌。部屋の鏡に写った姿は、白い長髪の、猫耳の生えた少女そのもので。
「拉致すんのに昔の人脈を使わしてもろた。足抜けしたおやっさんに頭下げたときはすごい緊張したわ。女体化薬もそう。あれはホンマに高かったで? いくらあんさんをミミと一緒の舞台にふさわしい姿にするためとはいえ、もうワイのポッケはほぼカラや。そのうえで戸籍も偽造させた。結構手間なんやで? 架空の人物でっち上げて養子にすんの」
どこか優しげな声色で告げられる、真相。息を詰まらせた僕を、男はまっすぐ見て。
「もう、後がない。……そのくらい、ココノハに賭けてもうた。——そんなことをしてしまうほどには、輝かせたいと思うた。本心で」
頭を、下げた。
「せやから『ココノハ』はん。——あんさんを、プロデュースさせてください。……お願いします」
僕は目を丸くした。
——この人は、本気だ。本気で、僕に人生を賭けている。
「……なんて自分勝手な人だ」
驚きつつも口にした言葉に「ッ、それは」唇を噛むカシマ。
「もういいです。——僕に、選択肢なんてないでしょう?」
言いつつ、僕はマイクを取る。
半ばヤケクソだった。けれど——僕は、微笑んでいた。
「なら責任取って、僕らを最高のアーティストにしてくださいっ」
ひどいことをされたはずなのに。
なんだか、清々しくて。
「ね、プロデューサー!」
叫び——デンモクで入れた曲のイントロが鳴り出した。
バンドサウンド。嫌いだったはずの流行り物。——本当は、ちょっと好きだった。
BUMP OF CHICKENの『HAPPY』。
軽くリップロールをして、無声音を出し、少し声を出して——力を抜いて、歌い出す。
諦観したフリばかりがうまくなった自分へ贈るような歌だ。
抜いたはずの力が入ってしまって、何度か音が外れた気がする。けれど。
二人は、じっと僕の歌を、声を、聴いていた。
それを見て、また力がこもってしまって。
悪循環だ。けれど、それすら少し心地よかった。
歌い終わると、拍手が聞こえた。
ぱちぱち、と控えめな拍手だ。けど。
「……やっぱり、ココノハさんの歌すっごくよかった」
ミミが、放心したような声色でつぶやく。
僕は息を切らしながら、目を見開いて。
「あたしの見込んだ通りでしょっ! ——やっぱり、ココノハさんはサイコーの歌い手っ! だから」
彼女は、僕の手をぱしっと取った。
「あたしと一緒に歌って、ここはちゃん!」
僕はパチパチと目をしばたかせて……笑った。
*
——と、十年前のことを思い出して軽く体を伸ばす。
「ねぇねぇ、ここは!」
ミミが隣から微笑みかける。
ピンクと白のアイドル衣装だ。ミニスカートのフリルがひらっと舞って、僕は少し目を背ける。
「どうしたの、ミミ」
「ついに、ここまで来たね」
「…………そう、だね」
緊張。高鳴る心臓の鼓動を抑えようと、深呼吸。ふわり、衣装のミニスカートが揺れる。
ミミと色違いの水色。アシンメトリーになった衣装。肩にかかった白い髪の先を少しいじって、頭の上の猫耳がぴょこっと動いた。
歌い手ユニット『ねこみみはーと』、初の武道館ライブ。開演十分前。
舞台袖で、僕らは見つめ合った。
「まさか、ここまで来るなんてね。僕ら、もう二十四歳だよ」
「言わないでよぉ。恥ずかしいし」
「あはは」
自分で言っててなんだが、僕は二度目の二十四歳である。恥ずかしさもミミの二倍だ。たぶん。
けど。
「……それでも、諦めなくてよかった」
微笑する僕に、ミミも目を細めて。
「二人とも。準備せェよ。……時間や」
背後から話しかけてくる男。
「カシマさん! ……どーかな、この衣装」
「ミミ。よォ似合っとるで。ここはもな。……二人とも、輝いて見えるわ」
あの日よりシワの増えた彼の目尻に、光るものが見えた。
涙を噛み殺す彼に、僕は大きく息を吐いてから。
「……プロデューサー」
問いかけた。
「あの日、僕をスカウトして……『ねこみみはーと』を作って。それからいっぱい歌って、メジャーデビューして。アニメのオープニングまで歌わしてもらって……こうして、武道館にまで連れてってもらって。
……僕らは、きちんと期待に答えられていますか?」
声は、震えていた。喉が締まりそうだった。
口を閉じてギュッと結んだ僕。しかし、その頭に、カシマはそっと手を置いた。
「よォく耳すましてみ」
それを境に、舞台袖は静かになる。だからこそ、よく聞こえた。
ステージの向こう側。たくさんの観客の声。ざわめき。——熱。
見渡すと、たくさんのスタッフが僕らを見つめている。——いや、見守っている。
「わかるやろ。——この声が、熱が……答えてきた期待、そのものや」
唾を飲んで、僕は目を少し閉じて。
心音。ざわめき。応援の声。——期待。熱量。掌に、熱。
目を開いて隣を見ると、ミミが笑っていた。
「もう始まるよ、ここは。——今日は、サイコーのライブにしなきゃだねっ」
僕は深呼吸して——ニコッと口角を上げた。
「そうだね、ミミ。……スタッフの皆さんも、カシマさんも!」
いまいちど舞台袖を見て、スタッフさんたちが顔を見合わせ——僕と、目線を合わせた。
「ぜったいに、成功させましょう!」
その音頭に、スタッフさんたちが一斉に頷いた。
ステージに上がる寸前、僕はカシマさんにもう一度目を合わせた。
「——僕らは、最高のアーティストになれましたか?」
小さな問いかけに、彼は歯をむき出して笑った。
「当然や」
イントロが鳴り出す。爆音で流れる音楽。セットリストの一曲目。——作詞作曲、ココノハ。
自分自身が誰よりも知っている音楽に、自ずと呼吸が安定して。
いまいちど、ミミと目を合わせた。
彼女はウインクして。
僕は目を細めて。
軽く拳をぶつけてから、マイクを握りしめ——僕らはステージへ飛び出した。
Fin.
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