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第9話 幽霊との日常 黒野目線

    2023年10月11日 水曜日


朝起きると、すでに美亜ちゃんは起きていて、フランス人形やオルゴール、テーブルの上の花を愛でていた。


「おはよう、黒野君」


「おはよう」


朝はあまり時間がないので相手をしている時間はない。顔を洗い、簡単な朝食を作ると、テレビでニュースを見ようかと思ったけどやめた。残り少ない美亜ちゃんとの時間なのだ。


向かい合って座ると、何を話そうかと考えていると、彼女は唐突に言い出した。


「白鳥の湖の黒鳥のバリエーションをかけてよ。黒野君のために、踊ってあげるよ」


「ありがとう。そういえばバレエも習っていたんだよね」


「うん、別に上手くはないけどね。私のバレエを見ながら朝ごはんを食べなさいよ」


相変わらず言い方が面白い。


「ありがとう」


美亜ちゃんが、すっと立ち上がり、チャイコフスキーの旋律が、静かに部屋に広がる。


軽くスカートをつまみ、音に合わせてふわりと動き出した。


小学生用にアレンジされた簡単なバージョンのものだけど、朝日に照らされたその姿は優雅で美しかった。


ターンをひとつ、ポーズをひとつ――。


朝の光をまとって、彼女は小さな黒鳥になった。


音楽が終わると、美亜ちゃんはにっこりと微笑んだ。


「どうだった?」


「すごく、きれいだったよ。世界で一番、ね。

最高に贅沢な朝食の時間だったよ」


僕が言うと、彼女は少し照れたようにうつむき、またテーブルの花を見つめた。


静かでやさしい朝。


そんな時間が、流れていった。



         * * *



仕事が終わり、家のドアを開けると、「おかえりなさい」と美亜ちゃんが微笑んでくれる。


それが、どれほど心地よいかを実感する日々だ。


「ねえ、家にいるの飽きちゃったよ。明日仕事について行っていい?」


「それは絶対ダメ。仕事に集中できないよ」


「…ケチ…」


「…じゃあ…今からどこか散歩でもいく?」


「うん、行く!」


僕らは夜道を色々な話をしながら歩いた。


「今朝のバレエ良かったよ」


「そう?ピアノは好きだったけど。バレエはママに無理矢理習わされてたいたんだ。フランス語もね。でもやっていて良かった。今朝、喜んでもらえたんだもん。黒野君も他に何か習い事してた?」


「ピアノの他はスイミングをやっていたよ。僕も無理矢理やらされていただけ。でもやっていなかったら泳げなかったかもしれないからね」


「うん、やっていてよかったと思うよ。明日の朝はね…シャンソンをフランス語で歌ってあげるよ。授業で習ったんだ」


「えっ、本当?朝起きるの楽しみだな」


美亜ちゃんが来てから、早いもので今日で4日目。


最初は不思議で特別だったこの生活も、少しずつ日常へと溶け込んでいく。僕はそれが怖くもあり、同時に心地よくも感じていた。


しかし、いずれにしろ、美亜ちゃんといられるのはあと3日だ。


1人でいるのは慣れているが、別れは寂しいだろうな。


そう思いながら眠りについた。



     2023年10月12日 木曜日



「おはよう黒野君」


美亜ちゃんは窓の外を見ていた。


「何を見ているの?」


「空だよ。いい天気で空が綺麗でしょ」


「本当だね。働く様になってから、慌ただしくて、見なくなったな。でも、こうして少しだけでも窓から空を見るのも悪くないね」


「うん、ご飯作ったら、約束通り、シャンソン歌ってあげるよ。『オーシャンゼリゼ』と『さくらんぼの実る頃』」


トーストとサラダとコーヒーを用意して小さなダイニングテーブルに座ると、美亜ちゃんは、正面に立ちマイクを持つふりをした。


「じゃあ、歌うね」


軽く咳払いをしてから、美亜ちゃんはしっとりとした声で『オー・シャンゼリゼ』を歌い始めた。


Je m’baladais sur l’avenue

Le cœur ouvert à l’inconnu

J’avais envie de dire bonjour

À n’importe qui


N’importe qui et ce fut toi

Je t’ai dit n’importe quoi

Il suffisait de te parler

Pour t’apprivoiser〜♫


高音も低音も美しい。


フランス語は全くわからないので発音が合っているか良くわからないが、かなり雰囲気が出ていると思う。


パリの街角で優雅に朝食をとっているイメージでごはんを食べ始めた。


それだけで、この朝が、特別なものに感じる。


歌い終えると、美亜ちゃんは嬉しそうに笑った。


「次は『さくらんぼの実る頃』だよ」


今度は少ししっとりとした調子で歌い始めた。


優しくて、どこか切ないメロディ。


美亜ちゃんの声は、朝の光に溶け込むみたいに静かに広がっていった。


Quand nous chanterons le temps des cerises

Et gai rossignol et merle moqueur

Seront tous en fête

Les belles auront la folie en tête

Et les amoureux du soleil au cœur

Quand nous chanterons le temps des cerises

Sifflera bien mieux le merle moqueur〜♫


僕はコーヒーを飲みながら、ただその歌声を聴いていた。


まるで時間が、この小さな部屋の中だけ、ゆっくり流れているみたいだった。


歌い終わると、美亜ちゃんはにっこり笑って、コーヒーに顔を近づけた。


「ねえねえ、どうだった?」


「最高だったよ。ここはパリのアパルトマン?」


「黒野君、面白いこと言うね?」


「いや、美亜ちゃんほどじゃないよ」


僕が答えると、美亜ちゃんは照れくさそうに笑った。


朝の空は、まだ青く、窓の向こうで白い雲が静かに流れていた。


今日もきっといい日になる。そんな気がしていた。



         * * *



会社に着いたら少し考えた。明日が美亜ちゃんと過ごす最後の日かもしれない。それを考えると、明日が何気なく過ぎることがもったいなく感じた。


なので、明日は午後に半休を取って美亜ちゃんとの時間を大切にしようと思った。


今日は遅くまで残業して仕事を片付け、明日の午後からは2人で過ごす最後の日に備えたい。



         * * *



残業が終わり、家に帰ると時刻はすでに夜の23時を回っていた。


朝は美亜ちゃんに残業のことを伝えていなかったし、半休を取ることも会社に着いてから急に決めたことだったので、遅くなる事は知らせていなかった。途中でメールや電話する事もできない。


玄関のドアを静かに開けて部屋に入ると、ソファ座った美亜ちゃんが僕を待っていた。


「…おかえりなさい…遅いよ〜」


「ごめんね、遅くなっちゃった。残業してたんだ」


「疲れたでしょう?」


美亜ちゃんは優しい笑顔を浮かべて言った。


「明日、予報では夜に霧が出る可能性が高いからね」


「よかった!でも、それなら明日で最後になるかもね…」


美亜ちゃんは少し寂しそうに言ったが、覚悟が決まっているようだった。


「明日の午後から半休取ったよ。だから今日遅くなっちゃったんだ」


「私のために?嬉しい!どこか行きたいよ」


美亜ちゃんの顔がパッと明るくなった。


「そのつもりだよ。海と山どちらがいい?今の季節、暑くも寒くもないからどちらもいいよね?」


「山に紅葉を見に行きたい!」


紅葉か……僕も紅葉を見に行くのは久しぶりだ。


美亜ちゃんと過ごす最後の思い出にふさわしい場所かもしれない。


家から比較的近くに、標高1500メートルほどの“びろうど山”という山がある。山肌がビロードの様に見えるからその名がつけられたらしい。


「明日、びろうど山に行こか?。紅葉も綺麗なはずだし、鏡湖でボートにも乗れるかもね」


「楽しみ!でも、もう遅いから今日は早く寝ようよ」


美亜ちゃんが嬉しそうに目を輝かせながらも、僕の疲れに気づいてくれているのが伝わる。


正直、今日はかなり疲れていた。


明日の午前中にもまだ仕事が残っていて、早めに片付けないといけない。それに、午後は2人の時間を大切にしたい。


「そうだね、ご飯食べてお風呂入ったらすぐ寝ることにしよう」


今日はこれ以上余裕がないけれど、午後はしっかり楽しむつもりだ。最後の特別な時間になるかもしれないのだから…。


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