第61話 プロポーズ 美亜目線
2023年11月
黒野君から、妙なお願いをされた。
「連休初日の真夜中、自分の部屋で電気を消して待っていて」だって。
しかも、「スマホも絶対に持ち込まないで。セシルは別の部屋で寝かしつけて」と、妙に細かく念押しされた。
そして今、真っ暗な部屋の中、ひとりぼっちで座っている。
けれど――いくら待っても、黒野君は現れない。
一体、何を考えているんだろう?
けれど、静寂の中で、私はふと思った。
こうして本当に「何もしない時間」を過ごすのは、いつ以来だろうって。
今の私は、暇さえあればスマホを開き、仕事の勉強をし、何かしら“生産的なこと”をしていないと落ち着かない人間になっていた。
けれど、ただ、こうして静かに時を待つのも悪くない。
窓の外では、かすかに木々のざわめきが聞こえる。
時間の流れが、ゆっくりと、やさしくなっていく。
……それにしても、遅い。
闇の中に座り続けていると、自然に、あの頃の記憶が浮かんでくる。
幽霊だった時の、記憶だ…。
朧げなその記憶を、静かに手繰り寄せる。
パパとママは、私よりも先に成仏してしまった。
誰もいないこの部屋に、ひとり取り残された私は、ただ、じっと待っていた。
1度だけ、親戚の人たちが解体業者を連れてこの家に来た事もあった。
けれど、もちろん彼らには私の存在は見えなかった。
その時、私は彼らの話をはっきりと聞いた。
この家は、壊される———
私が大切にしてきたものたち、この部屋に詰まった思い出のすべてが、瓦礫と一緒に捨てられてしまう。
特に私をモデルにして作ってもらった、フランス人形は自分の魂そのものに感じた。
そのとき、思い出した。
ママが、昔この家の古い元鍵をアンティークショップに間違って売ってしまった事を…。
きっと、その鍵は今でもどこかにある。
誰か、あの鍵を手にして、ここに来てくれるかもしれない。
私は、祈った。
心の底から、必死に、祈った———
どうか、誰かが鍵を手に取って、この家に来て、そして、私の大切なものたちを救い出してくれますように…。
それが、当時の私の、唯一の願いだった。
静かな闇の中で、私はそっと目を閉じた。
過去と現在が、少しずつ重なり合っていくような気がした。
その時だった。
外から、低いエンジン音が聞こえてきた。
独特な、空冷エンジンの音――黒野君だ。
窓越しにそっと外を覗くと、アイボリーのビートルが門の前に横付けしているのが見える。
車庫入れではなく横付け。
……あの時と同じ———
心臓が高鳴る。
足音が、玄関から、階段を上がって、近づいてくる。
「ガチャ」
ドアノブの回る音。
そして、ドアがゆっくりと開いた。
暗闇の中に、懐中電灯の小さな光が差し込んでくる。
黒野君が、そこに立っていた。
あの時と、同じように。
「黒野君」
「美亜ちゃん」
「明日休みだよね、午後県立公園に行こうか?」
「…うん…」
それだけ。
翌日
次の日、自宅からは少し遠いので、車で県立公園に向かった。
もちろんセシルも連れて。
黒野君はスーツを着ている。
なので私もお気に入りの小花柄の白いワンピースを着ていく。
そう言えば、幽霊の時に買い物に行くついでにここに一緒にきたな。
昨日からの流れの再現なのだろう。
こんな演出をするという事は、黒野君も完全に“6日間の記憶”を思い出したのだろう。
本当に長かった…。
しかも、スーツを着ている。
これは…もしかして…?
予想通りこの後にボートに乗った。
セシルも楽しそう。
黒野君がBluetoothのスピーカーで「白鳥の湖」を流す。
ボートの上では、嬉しくて終始笑って過ごした。
そのあとは、森の小道へ。
ここで幽霊の私は散歩している犬達に手を振っていたな。
今でも、セシルとじゃれ合う、犬と飼い主さんと別れる時に、笑顔で手を振る。
その後、芝生広場でレジャーシートを広げて色々な話をした。
でも、お互いに「あの日の再現」とはまだ言わない。
次は花壇に行った。あの時と同じ様に、まだペンタス、マリーゴールド、日々草、コスモスが咲いてくれていたのが嬉しかった。
傾きかけた陽に照らされた花畑は、夢の中に迷い込んだかのような光景だった。
明日の花ゲリラの事を思うと頬が緩む。
黒野君はその前で、私とセシルの写真を撮った。
見せてもらったら、バッチリ写っていた。
あの時は写っていなかったから…。
当たり前だけど、もう泣きそう…。
でも、涙はまだとっておく。
次に訪れたのは、カフェだ。
あの時座った、花畑の見えるテラス席が空くまで、少し待つ。
開いた席を私が座って確保した。
私が座り、黒野君がミルクティーを2つ持ってくる。
黒野君、ここで私をよみがえらせる計画を話してくれたよね?
そして今、私は今ちゃんと美味しい紅茶を飲んでいる。
もう、それだけで、涙が出そうだったけど必死で堪える。
その後、花屋さん「ル・フルール」へ。
セシルも一緒に中に入る。
店内は色とりどりの花であふれ、甘く濃密な香りが空間を満たしていた。
エプロン姿の女性店員がふたり。
ここで黒野君から花束のプレゼントだ。
「好きな花選んで」
花はあの時の様に私に選ばせてくれる。
選んだ花々は、ピンク、白、紫のコスモス、赤、オレンジ、黄色のダリア。さらに、淡いピンクとケイトウ、そして、白とピンクの秋明菊。黄色とクリーム色のスプレーマム。
記憶が鮮明に蘇ってくる。
一方で黒野君はレザーファンを2本付け足す。
阿吽の呼吸であの時の再現だ。
店員さんは慣れた手つきで花々を丁寧に束ね、見事なブーケに仕立て上げた。
その時、私の目の前で黒野くんがそっと膝をついた。
片手には、紺色のベルベットの小さな箱。
開いた箱の中から、繊細な指輪がきらりと光る。
「……美亜ちゃん。僕と、これからの人生を一緒に歩いてください」
黒野君は丁寧な手つきでそれを取り出すと、私の左の薬指にそっとはめた。
眠っている時に測ったのだろう、サイズはぴったりだ。
「……宜しくお願いします」
その瞬間、見守っていた女性店員が、盛大に拍手をしてくれた。
「おめでとうございます!」
「お幸せに!」
店員さんが花束を一旦黒野君に手渡し、それをまた私に手渡した。
まだ終わりではない様だ。
店員さんと黒野君が、店の奥からキーボードと椅子を持ってくる。
次の瞬間、奥からスーツを着て花束を抱えた背の高い男性が現れた。
龍星君だ!!
思わず言葉を失う。
微笑みながら私に花束を渡すと、そっとキーボードの前に座った。
流れてくるイントロはシューベルトの「アヴェマリア」だ。
更に奥から、歌声が聴こえてくる。
澄んでいるが、それでいて力強い。
ミラノで鍛え上げられた歌声。
声を聴くだけで誰かわかった。
歌いながら現れたのは花束を抱えたキリコ先生。
私にそっと花束を渡す。
もう、涙腺が大崩壊だ。
そんな私を黒野君がそっと抱き寄せる。
この2人がいなかったら、私達の恋は絶対に実らなかっただろう…。
プロポーズ、気がついていたけど、想像の遥か上をいっていたよ…。




