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第60話 思い出す 黒野目線

2023年10月


麗子さんがジェームズさんと再び一緒になり、美亜ちゃんも研修医として忙しい毎日を送っている。


そのため、この広い洋館に僕とセシルだけでいる時間がぐっと増えた。


最初は少し寂しかったけれど、そんな時はセシルが隣にいてくれるだけで、静かに心が落ち着いた。


広いリビングに座って、外の風の音や鳥たちのさえずりを聞きながら、セシルを撫でる時間が、今の僕にとってかけがえのない癒しになっている。


美亜ちゃんは、麗子さんから譲り受けたターコイズブルーのアウディTTに乗って通勤している。近距離でもオープンにすることが多い。


「私、この車すごく好きになっちゃった」


そう言ってサングラスをかけて無邪気にアウディを走らせる美亜ちゃんの姿は、麗子さんを思い起こさせる。


そんな事を思っていたら、バックで車庫入れしているのが見えた。


時計を見ると21時を回っている。


「ただいま!」


「おかえり、疲れたでしょう?」


「全然平気だよ。毎日充実しているからね。全部想定内だし、身体も鍛えているからね」


いつもながら眩しい笑顔だ。


「逞しいね!」


「うん!でもこうして黒野君とセシルが家で待っていてくれると思うだけで心強いよ。この広い家に1人だったらと思うと、やっぱりちょっと怖いよね」


「男の僕でもちょっと怖い時があるよ。広くて静かすぎるからね。セシルがいて助かっているよ」


「そうでしょ。この子本当に可愛いでしょ?」


「うん。大きいくせに甘えん坊。抱っこされるのが大好きだね」


「ちょっと、甘やかして育てすぎたよ、ふふっ」


「かもね、ハハハ。今日のご飯は焼き魚とサラダと糠漬けと味噌汁だよ」


僕は先に食べていたけど、遅くてもできるだけ美亜ちゃんのご飯を作って待っている。


「ありがとう、いつもヘルシーなご飯作ってもらって助かるよ。お互い身体が資本だからね。病院で働いていると嫌でも実感するから…」


美亜ちゃんはそう言いながら、セシルの頭をくしゃくしゃと撫でた。セシルは嬉しそうに尻尾を振って、またすぐに僕の足元へ戻ってきた。


ダイニングに並べた夕食は、見た目は素朴だけど、どれも体に染みるものばかりだ。


「いただきます!」


静かに手を合わせる。


「今日も救急外来だったの?」


「うん。交通事故の人が運ばれてきたり、急な心筋梗塞の患者さんが来たりで、バタバタしてた。でも、現場にいると、時間が経つのがあっという間なの」


そう言いながら、美亜ちゃんは焼き魚に箸を伸ばした。激務の後でも、食べ物をきちんと味わおうとするところが、彼女らしい。


「すごいよね。心が強いと思う」


「そんなことないよ。たまに帰りの車の中で泣きそうになることもある。だけど……」


そこまで言って、美亜ちゃんはふっと微笑んだ。


「でも、絶対に忘れたくない。あの日、おばあちゃんを助けたときの気持ちを。全ての患者さんに同じ気持ちで向き合うんだ」


僕は黙ってうなずいた。この人は、本当に強い。

そして、優しい。


「お風呂湧いているからゆっくり入ってね」


「うん、ありがとう」


最近は、麗子さんが一緒にいた頃とは違って、一緒に寝ることも増えた。


麗子さんとジェームズさんが使っていた(途中から仲が悪くなり使わなくなったらしい)キングサイズのベッドが置かれた広い寝室があって、そこを僕たち2人の寝室にしている。


もちろん、麗子さんが「2人で使ってね」と笑って言ってくれたからだ。


美亜ちゃんはお風呂を済ませたあと、毎晩少しだけ勉強してから眠りについている。


自分の自由な時間なんて、ほとんどないはずなだ。それでも努力を惜しまない姿に、僕も自然と刺激を受けて、仕事に関する勉強をしている。


たぶん、もし1人だったら、こんなふうにはなれなかったと思う。


23時になり、ようやくベッドに入る


これから2人だけのラブラブの時間だ。


しかし———セシルは当然のように、僕と美亜ちゃんの間に割り込んで、どっしりと横になる。


まるで「ここは僕の場所だよ」とでも言うように、堂々としたものだった。


「またセシルが真ん中……中々2人きりにはなれないね…ふふっ」


美亜ちゃんが笑いながら、ふわふわの耳をくしゃくしゃと撫でる。


「まあ、セシルがいてくれたほうが、暖かいしね」


「夏はちょっと暑苦しいけどね…ハハハ…」


僕も苦笑しながら、セシルの背中をそっと撫でた。


柔らかい毛並み。あたたかい体温。

安心感がじんわりと胸に広がる。


静かな夜。

広い寝室に、かすかな寝息と、風の音だけが漂っていた。


「……黒野君、ありがとうね」


布団の向こうから、美亜ちゃんの小さな声が聞こえた。


「何が?」


「毎日こうして……一緒にいてくれて……支えてくれて……おやすみ…」


「こっちこそだよ。……一緒にいてくれて、ありがとう…おやすみ…」


やがて美亜ちゃんは、静かな寝息を立てはじめた。

セシルも、ぴくりと耳を動かしながら、安心しきった顔で眠っている。


僕は、天井を見上げた。


ああ、幸せだな…こんなふうに、毎日を重ねていきたいな…。


やがて僕も、まぶたが重くなり、セシルの温もりを感じながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。



        * * *



———霧深い金曜日の夜、洋館に帰ってきて黒いポストを見た瞬間、身体に電流が走った。


全てを思い出した。


魔法の鍵、洋館の夢、幽霊だった美亜ちゃん、セリーヌへの手紙…。


僕の魂は現代の2023年、美亜ちゃんの魂は、手紙を受け取った2009年の小学生の頃に戻っていったこと…。


彼女はコンクールの時に、僕の演奏する《ジムノペディ第1番》を聞いて全てを思い出したって言っていたな…。


過去が変わり、そんな事実はもうないはずなのに、確かに僕は幽霊の美亜ちゃんが眠れる様に《ジムノペディ》を弾いた記憶がよみがえってきた。


美亜ちゃんはあの時「よみがえったら絶対に僕以外を好きにならない」って言っていたな…。


「6日間の記憶」はなくなる、って思っていたけど、あの魔法の鍵のおかげなのだろう、しっかり残っていた。


コンクールのランチの時に、突然泣き出したのも、外に連れ出した理由も今はっきりとわかった。


鏡湖で語っていた美亜ちゃんの夢…。


職業はドクター兼ピアニスト


町中に花を植える


家庭円満


素敵なお嫁さん


すごい…。


最後の1つ以外、全部叶えているじゃん!!


総仕上げは、僕のプロポーズだ。


もう、すでに同棲生活が上手くいっているのでプロポーズを成功させる自信はあった。


しかし、100%ではないだろう。


美亜ちゃんは、心の内を明かしたがらなかったり、行動が読めない事が多々あるからだ。


確率としては90%としておこう。


野球で例えて申し訳ないけど確率10%…。


つまり、1割とはセ・リーグで言うところのピッチャーの打率だ。


見ていると、そこそこヒット打つよね?


そう考える少し不安になった。


女性側からしても、家で普通に「籍入れようか」なんて言ったら失礼だろう。


成功率と方法は関係ないと思うけど、やはりこだわりたい気持ちは強い。


う〜ん……どうしようかな?


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