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第51話 謝罪 麗子目線

2021年10月


黒野君のマンションにつき、インターホンを鳴らすとドアが開いた。


「こんばんは…」


会うのは、誓約書を書かせた時以来だ。


今更ながら、なんて馬鹿な事をしたのだろう…。


身体が大きく、恐怖を感じる。


「こんばんは。突然の訪問、大変申し訳ございません。黒野様に今までにしてきた数々の非礼をお許しください」


私は平身低頭で謝罪した。


「はい、その事ならもう大丈夫です。立ち話もなんですから、こちらへ」


彼は柔らかい表情でその様に言った。


部屋の中へと案内される。


そこは男性の1人暮らしのとは思えぬほど、綺麗で洗礼されている空間だった。


アンティークの家具で統一され、天井から下がる美しいクリスタルのついたシャンデリアが空間を優しく照らしていた。


ソファに腰掛けると、ル・クルーゼの白いマグカップにコーヒーを注いでくれた。


私は美亜の現状と、そうなった経緯を詳細に説明した。


穏やかで優しい口調に安心したのか、いつのまにか私は、自分の心が歪んでしまった理由まで語っていた。


黒野君は終始頷きながら丁寧に聞いてくれて、気がついたら私の頬には涙が伝っていた。


美亜がこの人を好きな理由が初めてわかった気がした。


こうして、美亜に会ってくれる事になり、黒野君は私の車へと乗り込んだ。


ターコイズブルーのアウディTTは2シーターのオープン。


高そうに見えるが、値崩れが激しい為、70万円で購入した車だ。この車も私の見栄の残骸だ。


2シーターのため、セシルと美亜を同時に載せる事すらできないのだから…。


車中は会話もなく、沈黙に包まれていたが、黒野君にはそれを負担に感じさせない雰囲気を身にまとっていた。


その間にも美亜に“もしも”の事が頭にちらついたが、彼といると不思議と落ち着く事ができた。


黒野君なら美亜をなんとかしてくれるかも知れない…。


そんな、かすかな希望が、静かに胸の奥で花開いていくのを感じた。


自宅に着き、黒野君を連れて中へ入ると、セシルが駆け寄ってきた。皆で一緒に2階の奥にある美亜の部屋へと向かう。


ノックをしても返事がない。


最近はずっとこんな感じだ。


「美亜、入るわよ」


セシルも続けて入る。


私は静かにドアを開けた。


中は薄暗く、そっとベッドの照明をつける。


そこには白いパジャマワンピースを着た美亜が椅子に座っていた。


目はうつろで口は半開き、目には全く生気がない。


その姿は相変わらず“幽霊”の様だ。


ここまで重症の人間が果たして立ち直る事なんてできるのだろうか?


黒野君は、呆然と立ち尽くしやが、てうずくまってしまった。


泣いているのだろう。


まるでお通夜だ。


「美亜、黒野さんがきてくれたよ」


その言葉に、かすかにまぶたが動いた。


そして、黒野君がゆっくりと立ち上がった。


「えっ……」


一瞬にして、顔に色が戻ってくる。


「……どうして……ここに……」


「……美亜が喋った。誰とも口をきこうとしなかったのに……」


「……会えて……嬉しい……」


「…美亜…」


私は肩を揺する。


やはり私の事は見ようとしない。


「黒野さん、すいませんが、あとよろしくお願いします…私は下のリビングにいます」


美亜が大嫌いな私がここにいたら、色々と邪魔だろう。


そう思い、静かに部屋を出た。



         * * *



30分ほど時間が経っただろうか。


ギィ……と小さな音を立ててリビングのドアが開く。


そこには黒野君と美亜がしっかりとした足取りで立っていた。目には生気が宿り、まるで憑き物が取れたかの表情だ。


「美亜……降りて来たのね。……あきらかに表情が良くなった気がするわ」


私はしばらく見つめたあと、何も言わずに、そっとその体を抱きしめた。


「……ごめんね、美亜……」


美亜は、最初こそ驚いたように身体をこわばらせたが、やがてその力を抜き、ゆっくりと腕を回して私の背中に触れた。


「……ううん……私も……」


気がついたら涙腺は崩壊していた。


こんな風に抱き合うのは何年ぶりだろう?


小学生高学年の頃には、すでに美亜に嫌われていたので、ジェームズに抱きつく事はあっても、私にそうする事はなかったと記憶している。


……となると、おそらく10数年ぶりになるだろう。


この懐かしい感覚。


気がつくと、美亜が生まれてからすぐに、初めて抱っこした時の感覚を思い出していた。


生まれた直後から、すでにかわいい顔をしていた。


今までの人生で1番幸せだった日。


優しいジェームズもいた。


全てが光に包まれていた。


なんで忘れていたのだろう?



         * * *



どのくらい抱き合っていたのだろう…。


ふと黒野君を見ると、私の様にセシルを抱きしめていた。


それがおかしくて、つい笑うと美亜もほほ笑みを浮かべた。


「黒野さん、本当にありがとうございました」


「いえいえ」


「黒野さん、まだ油断できないので……定期的に来ていただけると嬉しいのですが。無理のない範囲で構いませんので」


「はい、また伺います」


「本当にありがとうございます」


私は深く頭を下げた。


黒野君も、そろそろ帰らなくてはいけないだろう。


「また家までお送りいたします」


「大丈夫ですよ。電車でも帰れます」


「いや、送くらせてください」


「…送ってもらいなよ…」


「ほら、美亜もそう言っています」


「いあ、でも…」


「ワン!」


「セシルもそう言ってます」


「ハハハ、それなら」


玄関では、美亜とセシルが並んで黒野君をお見送りだ。


黒野君が再び助手席に乗り込み、エンジンをかけて、車を走らせる。


「黒野さん、明日は仕事ですか?」


「はい」


「お仕事は何を?」


「重機メーカーの工場勤務で品質管理の仕事をしています」


「そうなんですね、機械が好きなんですか?」


「はい。でも最近の機械はハイテク過ぎて……ほとんどコンピュータですからね」


「そうですよね」


「本当は古い機械が好きなんです」


「わかります。車も好きなのですか?」


「はい、好きです。このアウディ……色もセンスも、とても素敵です」


「まあ、ありがとうございます。お気に入りなんです。……オープンにしてみます?」


「はい」


車を停めて、ボタンに手を伸ばすと、ルーフが滑らかな動作音とともに後方へと収まっていく。


頭上に広がるのは、街の明かりと夏の夜空。


夜風がふわりと吹き抜ける。


「すごく気持ちいいですね」


「でしょう? 夜のオープンカーって、昼よりずっと好き。音も、匂いも、風の感じも、全部違うの」


信号で車が止まる。


久しぶりにオープンにした。


通行人が見ている。 こうして注目されるのも悪くない。思わず口角が上がる。


助手席を見ると黒野君もなぜか笑顔だ。


「どうしたの?楽しそうね」


「……ええ、まあ」


「ふふっ」


「やっぱり……親子ですね。いろいろ、似てます」


「…どこが…かしら?」


「ふとした時に見せる表情や笑い方とか…」


「そうかしら?自分では全くそうは思わないけど…でも悪い気はしないわね」


「ホント、そっくりですよ」


「ありがとう。車は何乗っているの?」


私は知らないうちに敬語を使う事をやめていた。


「古い空冷のビートルです。1975年式で色はアイボリーです」


「あら、お洒落!そういうの、私も昔欲しかったの。後で見せてよ?」


「はい、ぜひ」


「いつ買ったの?」


「1年くらい前です。買ってからも、メッキパーツや内装にもお金を使ってしまって…常に金欠ですよ…」


「あはは…金欠なのは私と一緒じゃない?

離婚してからもなかなか生活レベルが落とせなくてね…」


「ハハハ、そうなんですね?」


「そうそう、特にあの家、とにかく維持費がかかるのよ。この車もそう。10年落ちで格安で買って修理代がとにかくかさむのよ」


「あの洋館、本当に素敵ですよね。僕、インテリアとかも大好きで……」


「そういえば、黒野君の部屋にもアンティークのチェストやシャンデリアがあったわね」


「気づいてくれたんですね。すごく嬉しいです」


———そんな感じで、車やインテリアの話で自然と会話が弾んでいった。


黒野のマンションに戻ってからも、ビートルを見せてもらって、あれこれと質問した。


クラシックなメーターのこと、革張りのシートの手入れについてなど。


大学5年生の美亜にはさすがにスマホ与えていて、電話番号もLINEのアドレスも黒野君に教えた。


ついでに私のLINEも登録してもらった。


今日は黒野君に来てもらって、本当に良かった。


まさか、あそこまで、よくなるとは思わなかった。


プライドが人一倍高い私は頭を下げて謝る事にはかなり抵抗があったのだが、そんな事は全くの杞憂だった。全てを優しく包み込んでくれた黒野君には感謝してもしきれない。



         2021年10月



リビングには柔らかな朝の光。


窓から見える秋の空は澄みわたり、庭に薔薇が咲き誇っている。美亜が回復してから、世界の色が変わった。


階段の方から、足音がふたつ。


美亜とセシルが一緒に下りてくる気配がした。どうやら、昨夜もまた一緒に眠ったらしい。


「おはよう、ママ」


そう言って、美亜はふわりと私の胸に抱きついてきた。


私はそっと彼女の背中を撫でる。


——この感覚、どれほど待ち望んでいたことか。


中学生になる前、美亜は私のことを「お母さん」と呼ぶようになった。


それは自然な成長だったけれど、少し寂しかった。


けれど、ここ最近は再び「ママ」と呼んでくれる。


そして、まるで幼い頃のように、何かと甘えてハグをしてくる。


本当にかわいくて、仕方がない。


あの子は、私が離婚してから長い間ずっと孤独だったのだと思う。


ジェームズには甘えられず、私には嫌がらせをされてばかりで、恋人の黒野君とも引き離されて……。


どこにも寄りかかる場所がなかったのだ。


今はその反動で甘えたくて仕方がないのだろう。


本当に可哀想な事をしたと思う。


もう絶対に、絶対に…この子を悲しませない。


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