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第50話 独白 麗子目線

6年後 2021年9月


美亜が、壊れてしまった。


——すべて、私のせいだ。


昔から、美亜には裕福な男性と結婚してほしいと願ってきた。


だからこそ、それにふさわしいようにと育ててきたつもりだった。


けれど——あの子は、小学生の頃から黒野という男の子を好きになってしまった。


ピアノコンクールの際、彼の両親と挨拶を交わしたことがある。


だが、特別な印象はなかった。


ただの、どこにでもいる普通の家庭の、普通の子ども。


それ以上でも以下でもなかった。


私は、2人の関係に気づき、すぐにきっぱりと別れさせた。


しかし、その後も、私に気づかれないように、こっそり繋がっていたようだ。


正直、まったく気づかなかった。


あの子たちは、相当うまくやっていたのだろう。


すべてが明るみに出たのは、ある日YouTubeで見かけたピアノ連弾の動画だった。担任の先生から連絡がきたのだ。


画面の中で、美亜が、黒野って言う子と楽しそうにピアノを弾いていた。


それを見たとき、胸の奥に、怒りと同時に“裏切られた”という思いがこみ上げた。


許せなかった。


だから、黙って寝室に入り、美亜のノートパソコンのキーボード部分に水を大量にこぼした。


スマホは、暖房の前に置いて基盤を焼いた。


完全に壊れてしまえば、もう連絡もできない。


その後も、大学生になるまで新しいスマホを契約させることはなかった。


私が高校生だった頃、スマホやパソコンなんて持っていなかった。


家は貧しかったから、塾にすら通わせてもらえない。


それでも私は、すべて独学でやり抜いた。


だから思っていた――美亜も、きっとやれるはずだと。


彼女は私よりずっと恵まれていて、能力だってあるのだから。


美亜は、小さい頃から、本当に何もかも持っていた。


ハーフというだけで、小さな頃から皆に「かわいい」と言われ、注目されてきた。


私は、美亜にピアノもバレエもフランス語も習わせた。


インターナショナルスクールにも入れ、「お嬢様学校」と呼ばれる「聖英女学院」にも入学させた。


それらはすべて、本当は、私が子どもの頃に憧れていた事だ。


あの子の父親・ジェームズは、見た目も中身もスマートだった。


それに比べて、私の父親は、酒癖が悪くて、小汚くて、決して「かっこいい」なんて言える存在じゃなかった。


母親も同じ様な感じだった。趣味はパチンコとカラオケと晩酌。性格は悪くなかったが、知性のかけらもない人間だった。


両親が大嫌いで、家を出てからは葬式以外、殆ど帰らなかった。


美亜は、イギリス人の父親のおかげで、生まれた時から英語が身近にあった。


インターナショナルスクールでも全て英語。


物心ついた頃には、英語を当たり前のように話していた。


日本語は私が苦手にならない様に徹底的に教えた。


私は違った。


英語はすべて独学だった。


机にかじりつき、外国人の友人ばかりつくり、血のにじむような努力を続けた。


歯を食いしばって、自分の力で世界を広げてきた。


あの子は、苦労しなくても、すべてを手に入れていた。


美亜のことは本当に可愛かった。


けれど、それと同じくらい——いや、それ以上に、憎らしく思うこともが多かった。


その気持ちは、美亜がまだ幼い頃から確実に存在していた。


美亜は敏感な子で、私の気持ちに気づいていたと思う。


だからこそ、より一層、父親のジェームズに懐いていた。


それが、また憎らしさを倍増させた。


2人で仲良くしていると、ジェームズまで疎ましく思うようになった。


自分だけが分かってもらえないような気がして。


最初はほんの小さな亀裂だった。


けれど、それは次第に広がっていった。


ジェームズは、もう1人子どもが欲しいと言っていた。


私はあの子と同じような存在が、もう1人家に増える」と思っただけで、考えただけでも身震いした。


気づけば、彼との夜の営みもすべて拒むようになっていた。


その時点で、私たちは仮面夫婦だった。


そして、私はその原因を、全部美亜のせいだと思いこだ。


美亜が夫婦生活をめちゃくちゃにしていると。


ジェームズの稼ぎは申し分なかった。何不自由ない暮らしだったし、むしろ贅沢すぎるほどだった。


でも私は、そんな上質な暮らしに、いつの間にか慣れてしまっていた。


それに上には上がいる。


上流階級の中では私達は下の方に位置していると感じていた。


だからこそ美亜には絶対にお金持ちの男性と結婚してほしかった。


家では専業主婦で、家政婦もいた。


時間には余裕があったが、正直言って暇だった。


“小人閑居して不善をなす”とはよく言ったものだ。


私は暇に任せてロクな事をしてこなかった。


ママ友とのランチなんて、話題も似たようなことばかりで特に面白くもない。


それでも、負けず嫌いの私は、見栄を張りたくて、美亜にいろいろなことを習わせた。


ピアノに、バレエに、フランス語に——小さい頃から、これでもかというくらい詰め込んだ。


少しは根を上げるだろうと思っていた。


弱音でも吐けば「子どもなんてそんなもの」と面白がる事もできた。


でも——あの子は、難なくやり遂げてしまった。


それが、また腹立たしかった。


この頃からすでに私は、人として完全に破綻していたのかもしれない。


そんな中、家の改修工事が始まった。


この広い洋館は美しいけれど、築年数が古く、あちこちに傷みが出ていた。


改修費用は——なんと6,000万。


凄まじい金額だ。


左右どちらか片方ずつを工事する形で進められたが、日中は騒音がひどく、とても家にいられるような環境ではなかった。


ストレスは日ごとに募っていき、私は毎日のように外へ出かけるようになった。


たださえお金がかかる時期に、私は外に出て浪費した。


どんな事をしたかと言えば、要は…男遊びだ。


ジェームズは——そんな私を、ひどく嫌った。


まるで、汚いものを見るような目で私を見る様になったのだ。


そんな中、ジェームズは早期退職を促された。


その退職金を改修費用に充て、彼は私から離れていった。


全部、美亜のせいだと思った。


いや、美亜のせいにしたかった。


私の不倫に対する慰謝料は発生せず、離婚は、家が残るだけでも十分だと思った。


けれど——美亜だけは、手放したくなかった。


確かに、憎らしいと思うことも多かった。


それでも、腹を痛めて産み、大金をかけて育ててきた子だったのだ。


それに、美亜を利用して私は再び金持ちになる野望を心に秘めていた。


この辺の心理は、千円札をパチンコ玉に変え、回した分を回収しようと躍起になっていた、母親の血を存分に受け継いでいるのかもしれない。


どちらを取るか、美亜に決めさせることになった。


私とジェームズ、どちらと暮らすのか。


話し合いの末、そういう結論に至ったのだ。


美亜は、最終的に彼女は私を選んでくれた。


これも、ある程度計算づくだった。


子供は母親に愛されたいと言う心理が根深くあるものだ。


私は美亜に怒ると、その後は頭を撫でたり、大好きなピザを注文してあげたりと必ず優しくした。


これは、DV男から逃げられない女の心理を利用したものだ。


離婚すれば、嫌でも働かなくてはならない。


けれど実際のところ、家にずっといる生活よりも、たとえ安月給でも外に出て働いている方が、私には性に合っていた。


勤め先は、高級ホテル内のブティック。


接客も、身なりを整えるのも、昔取った杵柄で苦にならなかった。


そんなある日——。


セリーヌが死んだ。


特に何も感じなかったが、美亜に恩を売る為に次の日仕事を休んだ。


美亜を利用して再び金持ちなる為に———


それから、美亜は三者面談で「防衛医大に行きたい」と言い出した。全寮制で、しかも学費も免除。彼女なりの“自立”のつもりなのだろう。


でも、出て行かれるわけにはいかなかった。


そんな事をされたら、美亜を金持ちに嫁がせる計画が台無しになってしまう。


阻止する方法は簡単だった。


また、大型犬を飼えばいい———


私がほとんど世話をしなくても、美亜は情が移ってしまえば放っておけないだろう。


ブリーダーから譲ってもらった仔犬の犬種は「サルーキ」。


チャンピオン犬の子供で120万円もした。


犬には特に好きではなかった。保健所から引き取れば無料だが、見た目が悪い犬だけは絶対に嫌だった。


案の定——美亜は防衛医大を早々に諦めた。


そんな中、私は——遊びでつきあっている年上の男性と、1週間ほどハワイに行っていた。お金は全て彼が出してくれた。


ほんの気晴らしのつもりだった。


その時、美亜は山でまさかの“野営”をしていたという。そのうえ——空き巣まで入られた。


私のお金で暮らしているくせに、またしても裏切られたのだ。———そう感じた。


家財補償のための警察の捜査で、美亜の不在と行動が明らかになった。


駅の監視カメラや聞き込みから、またもや黒野という子の存在もすぐに判明した。


彼の両親にも、警察にもきつく言ってもらい、最終的には弁護士の下「もう会わない」という誓約書まで書かせた。


違反したら多額の罰金だ。


これでさすがに、もう大丈夫だろうと思った。


それから美亜は、夕霧大学医学部に無事合格し、きちんと通った。


成績も問題なさそうで、真面目にやっていたのは分かる。


ただ——彼氏がいる様子は、まるでない。


もう23歳になるというのに。


まだ黒野という子に未練があるのだろうか?


そろそろ考えてほしい。私は27で結婚していたのだから。


夕霧大学医学部といえば、将来有望な医者や医者の卵が山ほど知り合えるはず。なのに、どうして誰とも付き合わないのか。あれだけの顔立ちと育ちがああると言うのに。


家柄のいいハイスペックの男には早めにツバをつけておいたほうがいい。


私もそうしてきた。中学生の頃、交換留学として日本にやってきたジェームズは貴族の末裔で家柄も見た目も申し分なかった。


私はこの人と絶対に結婚すると決めて、実際にその通りになった。


美亜にも私の生き方を見習ってほしかった。


もし、聞かれれば、お金持ちを落とすテクニックなど、手取り足取り教えてあげたかった。


私は、ブティックの仕事で知り合った“グループ企業の社長”に、美亜のことをさりげなく話してみた。


美亜の写真を見せプロフィールを全て話した。


すると興味を持ってくれて、「ぜひうちの息子に会わせたい」と言ってくださった。


さすがに最初は美亜も難色を示したけれど、時間をかけて丁寧に説得すると、ようやく「1度だけなら」と会うことを了承してくれた。


社長夫妻と息子、私、美亜の4人での会食という形で顔合わせは始まった。社長の息子は顔もスタイルも性格も申し分なかった。


最初は硬い雰囲気だったが、美亜は意外にもすぐに打ち解けたようで、食事のあとには2人きりでホテルのバーへ向かった。


美亜はお酒に強くない。だから、彼の住む高層マンションにそのまま“お持ち帰り”されたと聞いた時は本当に嬉しかった。


そのまま妊娠でもして、結婚という既成事実ができれば、それが1番だとさえ思っていた。


そうすれば美亜は一生安泰、私も再び裕福な暮らしが手に入る。そんな淡い希望を、心の奥に抱いていた。


しかし、物事は私の思い描いた通りには進まなかった。


帰宅後、美亜の様子は明らかに変わった。


心を閉ざし、笑わなくなり、何かを抱え込んでいることは明らかだった。


大学へは行かず、食事もほとんど口にしない。


部屋に引きこもり、“幽霊の様な表情”で日がな一日過ごす様になった。


問い詰めても美亜は何も言わなかった。


いや——言えなかったのだろう。


あの夜、彼のマンションで何があったのか、詳細を聞くことはできなかった。


おそらく、性的暴行を受けたのだろう。


引きこもる美亜に「しっかりして」を連発してしまった。


訴えてやりたかったが、彼らのような権力のある立場の人間にとって、すべては“なかったこと”にできる。


あまりにも強すぎる相手には、声を上げることすら許されないのだ。


悔しかった。


でも、どうすることもできなかった。


ある日、ふと美亜の部屋を覗くと、隅に見覚えのあるロープが置かれていた。


きっと倉庫から持ってきたのだろう。


理由は、考えずともわかってしまった。


背筋が凍るような感覚が、体の芯を貫いた。


私はその瞬間、ようやく事の重大さを理解したのだった。


美亜を壊したのは——間違いなく、私だ。


私が余計なことを何もしなければ、あの子はきっと、何の曇りもない、本当にいい子に育っていたはずだ。


そんなことは、最初からわかっていた。


悔やんでも、悔やみきれない。


どれだけ後悔しても、過去は戻らない。


———この状況を救えるのは、もう彼しかいないのだと思う。


黒野さんに、土下座をしてお願いするしかない。


娘の美亜を、私を助けてほしいと。


私のプライドが、どんなにズタズタに切り裂かれようとも、そんなものはどうでも良かった。


美亜が救われるなら、それでいいのだ。


私は黒野さんに連絡をとり、車を走らせていた。


その間にも美亜の事がずっと気がかりで頭がおかしくなりそうだった。

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