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第48話 星降る夜 黒野目線

2015年8月



応援していた龍星の夕霧椿高校は次の試合では勝ったが、3回戦では残念ながら敗退してしまった。スポーツなんて全く上手くいかないものだ。


その後は、美亜ちゃんと龍星君の2人の関係が気になって、どうにも落ち着かない夏休みを過ごしている。


スマホを持っていない美亜ちゃんとは連絡の取りようもなく、気にすれば気にするほど、焦燥感だけが募っていった。


そのせいか、受験勉強にもいまひとつ身が入らない。第一志望にしているのは、家から通える夕霧工業大学。就職にも強そうだし、学力的にも現実的なラインだ。模試ではB判定が出ているが、油断はできない。


本当は、もっと集中しなきゃいけないのに。


そんな風に部屋で悶々としていると、スマホが鳴った。


表示は「公衆電話」間違いなく美亜ちゃんだ。

 

「公衆電話の美亜で~す♡」


おどけた調子で話す。


何かいい事でもあったのだろうか?


「元気?」


「元気だけどすごく暑いね。あれから調子はどう?」


「大丈夫」


嬉しいけど、この前の事もあり、そっけなくなってしまう。


「この前、私が龍星君と仲良く話したり、一緒に帰った事、気にしているんでしょ?」


うっ…勘が鋭い…。


「そ、そ、そんな事ないよ…」


「……すぐにわかるのよ……バカ……」


「……ごめん……そうだったかも….」


「ふふっ…まあいいわ。それより聞いてよ…私のお母さんが友達とハワイにバカンスに行ったの!なぜか急に。お金がないっていつも言っているくせにね…。私だってバカンスしたいよ…夏休み中ずっと部屋で勉強ばかりしているんだもん」


「そうだよね…僕もリフレッシュしたいな…勉強がどうにもやる気にならなくて」


「で、いきなり本題なんだけど、電車とバス乗り継いで高原の湖まで星を見に行かない?」


「……は??」


一瞬、何を言われたのか分からなくて、間の抜けた声が漏れた。


「星?湖?」


「そう。今夜天気もいいの。お母さんもいないし、今しかないと思って」


「……いやいや、泊まる場所は?」


「小さいテントがあるよ。焚き火台もあるから!この前言った『秘密の場所』だよ」


「えっ⁉︎……ちょっと待って……テント?うちの親にはなんて言えば……友達と勉強会、で通るかな?」


「いいんじゃない? 嘘はダメだから、ちょっとだけ勉強もしようよ。英語教えてあげる」


「うん……それなら……」


「うん、それならいいよね?セシルには申し訳ないけど留守番してもらうからね。電車とバスを乗り継いで3時間近くかかるかもしれないけど、ルートは任せておいて」


「3時間?」


「特に何も持ってこなくていいけど、夜は冷えるかもしれないから、暖かい服も持ってきてね」


「うん」


「じゃあ決まりね。じゃあ15時半に平原駅北口改札に来てね」


なんだかわからないうちに高原の湖にキャンプに行く事になった……。


母親の急な不在や天気予報を聞いて急に判断したのだろうか?


しかもテントって……さすが美亜ちゃん、相変わらず破天荒だ。


不安の方が大きいけれど、楽しそうでもある…。



         * * *



約束通り平原駅に着くと、美亜ちゃんは大きなバックパックを背負って待っていた。


上の部分が頭と同じくらいの高さだ…。


それと、今日はさすがにスボンだった。


でもその姿もなんかかっこいい。


なんでも似合ってしまうんだな。


「こんにちは。美亜ちゃん、やばいくらい暑いね」


「こんにちは!黒野君。今から涼しいところにバカンスに行くんだからね」


「野宿って言ってたけど……結構な荷物だね…?」


「テントとシェラフ、焚き火台にオイルランタン、あと簡単な調理道具も少しだけね」


「荷物、持とうか?」


「ううん、大丈夫。見た目より軽いのよ」


「えっ、でも……」


「だから、大丈夫だってば。さ、行きましょ」


そう言って歩き出した彼女の後ろ姿は、まるで遠足のリーダーみたいに頼もしくて――。


その背中を追いかけながら、僕の心もどこか軽くなっていった。


電車に乗り込むと、行き先を聞いてみた。


夕霧駅で特急に乗り換え、終点でさらにバスに乗るらしい。


そこは、昔お父さんと2人で行ったことがあるという、美亜ちゃんの“秘密の場所”だそうだ。


夏休み中で混雑を覚悟していたけれど、今の時間から山へ向かう人は少ないらしく、自由席にゆったりと座ることができた。


「約束通り、少し勉強しましょう」


「うん、英語教えてよ」


そう言って僕は、リュックから英語のテキストを取り出した。


勉強を教えてもらうのは新鮮だった。


以前、模試の結果を少し聞いたことがあるけれど、美亜ちゃんは全科目で僕よりずっと上だった。

教えてもらうのはありがたいけれど、僕のレベルが低くて気恥ずかしくもある。


英語は、リスニングを中心に教えてもらった。

美亜ちゃんの発音はとても綺麗で、電車の揺れと静かな声に耳を傾けていると、不思議と気持ちが落ち着いてきた。


終点の高草駅(たかくさ駅)で降りる。ここは高原リゾートの玄関口として知られ、駅周辺にはおしゃれな建物が立ち並び、どこか異国情緒を感じさせる。


バスの発車までは30分ほど時間があるので、今夜の夕食と明日の朝食用にパンを買うことにした。


「ムーンライト」という名のパン屋に入ると、ふわりと香ばしい小麦の香りが鼻をくすぐった。


ハード系のパンが並ぶこの店は少し値段が張るけれど、それ以上に美味しさを期待させる雰囲気があった。


美亜ちゃんはフランスパンを丸々1本買って、カットしてもらっている。


店を出ると、カットしてもらった一切れを僕に差し出した。


「食べなよ」


「えっ、何もつけないで?」


「うん、焼きたてみたいだから、全然いけるよ」


そう言われて、半信半疑のまま口に運ぶ。

指先に残る微かな温もり。


噛んだ瞬間、パリッとした音のあとに、香ばしい小麦の香りがふわっと広がった。


何も足していないはずなのに、ほんのり甘くて、驚くほど満たされる。


「ああ、これは確かに、そのままでいいかも」


「ふふっ…でしょ?」


「うん」


クリーム色の古いバスに乗り込むと、窓から差し込む光がゆっくりと傾きはじめていた。


エンジンは低く唸りながら、クネクネと曲がる山道を登っていく。


その頃には、車内は夕陽に包まれたような眩いオレンジ色に染まっていた。


美亜ちゃんは頬杖をつき、静かに窓の外を見つめている。


喋るときは本当に賑やかなのに、黙っているときは何も語らない。


本当に……不思議な人だ。


やがて、目的地の「黒森池入口」に到着した。


湖ではなく大きめの池らしい。


バスを降りると、あたりはすっかり夜の帳に包まれていた。


気温は高原らしく、ひんやりとした夜風が心地よい。


周囲には誰もいなくて、バスが去って行くと完全なる静寂が訪れた。


すると、美亜ちゃんはリュックから懐中電灯を取り出し、僕の方を振り返って、ふっと微笑んだ。


「——こっちよ」


まるで夜の森に僕を誘う、妖精の様だった。


目的地の場所について空を見上げると、たくさんの星が瞬いているのが見えた。


高原の夜は涼しいく、虫達のオーケストラが聞こえてくる。


美亜ちゃんは慣れた手つきでオイルランタンの火を灯すと辺りを優しく照らした。


「本物の火だからLEDより雰囲気出るでしょ?焚き火の準備をするからね。適当に燃えそうな薪拾って来て」


「うん」と小さく返事をすると、懐中電灯を照らし足元に落ちている細い枝や、乾いた松ぼっくりを見つけるたびに、しゃがみ込んでは集めていく。


どこからかフクロウの鳴き声がして雰囲気を盛り立てる。


ふと振り返ると、丘の上にぽつんと灯るオレンジ色の光。


ランタンの明かりに照らされて、美亜ちゃんがしゃがみこみ、火床の準備をしている姿が見えた。


やがて両腕いっぱいに薪を抱えて戻ってくると、美亜ちゃんは顔を上げて、「おかえり」と言った。


その一言が太古の昔の夫婦みたいで胸の奥にじんわり染みてくる。


「ありがとう。これだけあれば、じゅうぶん火が育つと思うよ」


そう言って、美亜ちゃんは手際よく薪を組み、マッチを手に取った。

 

シュッ!


マッチをする音が、夜の静けさを切り取るように響いた。


やがて、細く、頼りなげな炎が立ちのぼり、ゆっくりと夜の帳に揺れ始める.


「焚き火の音って……落ち着くよね?」


美亜ちゃんがつぶやくと、パチパチと薪が応えるように弾けた。


「うん…すごいね」


「お父さんに仕込まれたの」


「すごい…普通こんな事、教えてくれる?」


「くれないよね?うちのお父さんはアウトドアが好きでキャンプに連れて行ってくれたのだけど、なるべく私にやらせようとするの」


「へ~」


「今はイギリスで古い農場を譲り受けて、羊飼いの仕事をしているけどね。日本にも来れないし、私も受験やセシルの事もあるから1回も行けてないけど」


炎に照らされた横顔は、明るく笑っているようでいて、どこか少し遠くを見ているようにも感じた。


「羊飼いかぁ……かっこいいな」


ぽつりとそう呟くと、美亜ちゃんは笑った。


「でしょ?……けっこう似合ってると思うんだ」


そう言いながら、彼女はリュックをごそごそと漁り、ホーローのマグカップを2個取り出した。


火にかけると、静かな音を立ててやかんが温まりはじめる。ホーローのカップの中には乾燥野菜とスープの素。それが焚き火の香ばしさと混ざり合って、驚くほどいい匂いが漂ってきた。


「これね、お湯を入れるだけで意外と美味しいの。今日はコンソメスープよ」


スープを火にかけたあと、美亜ちゃんはフライパンを取り出し、カットしてもらったフランスパンを並べた。


火の加減を見ながら、片面ずつじっくり焼いていく。


パンの表面にこんがりと焦げ目がついたころ、小さな瓶からオリーブオイルを取り出した。


「これつけるとね、ちょっとだけ贅沢な味になるんだ」


そう言って差し出されたパンは、外がパリッとしていて、中はまだほんのり温かい。コンソメスープも乾燥野菜のダシが効いていてコクがある。


「すごく美味しい!」


「でしょ?荷物増やせないから、今日はこれが限界だけど、焚き火の前で食べるご飯って美味しいよね?」


「なんでだろうね?」


「…それは多分…」


美亜ちゃんは空を見上げるようにして、少し間をあけた。


「星空と森と焚き火は、きっとね…太古の昔からずっと人間のそばにあったからよ。DNAに刻み込まれているのだと思う。身体のどこかで“懐かしい”って反応するんじゃないかな…私達の祖先は何万年もそうやって暮らして来たんだから…」


星空の下で焚き火の音と、パンをかじる音と、スープをすする音。


やわらかな星の光。


そのすべてが、この夜だけの特別な食卓を、そっと形づくっていた。


「すごいロマンチックだよね」


「そうでしょ?気に入ってもらえてよかった…りんご、食べよっか」


「…うん」


美亜ちゃんはリュックから赤いりんごを取り出すと、何も言わずにそのまま、がぶりと齧った。


「シャク」と小さな音がして、香りがふわっと広がる。


僕も、差し出された食べかけのりんごに手を伸ばして、同じようにかじった。


食べ終わると美亜ちゃんは芯の部分を火の中に、取り出した種は木の枝で土を堀って埋めた。


「何年後かにまた来たら、林檎の木が生えているの」


ふと横顔を見ると恍惚感に満ちた表情をしていた。


数年後、春に花がほころび、秋にはたくさんの真っ赤なりんごが熟れて、鳥たちがついばむ姿を想像していたのだろう。


横顔を見つめると顔をこちらに向けて目を閉じている。


思い切って静かに唇を重ねる。


星降る夜、2人だけの時間は流れていった。


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