第45話 三者面談 美亜目線
2015年1月
セリーヌが亡くなって1ヶ月が経った。
毎日お墓の前で1人語りかける日々。
もしかしたら、この喪失感は一生続くのかもしれない…。
だとしたら、本当に辛すぎる……。
今はスマホで気を紛らわせたい…。
セリーヌのお葬式の日、私に優しくしてくれて、言いやすい雰囲気だったので、スマホの事を頼んでみた。
「それとこれとは話が別よ」ときっぱりと言われた。
医大の道は6年と長い。
もし地元の大学に通うことになれば、当然、お母さんの支配は続くだろう。
それは、6年間――いや、もっと長くなるかもしれない。
そうしているうちに、私は何者にもなれないまま、ただ「お母さんの娘」として年を重ねていく気がして、ぞっとした。
そんな中、私は「防衛医科大学校」という存在を知った。
セリーヌが死んで、必ずしも家に縛られる必要性がなくなったから、学校で色々調べたのだ。
調べれば調べるほど、そこには私の求めていた“自由”と“自立”があった。
全寮制で、厳しい規律の中での生活にはなるけれど、学費は完全無料。
しかも学生でありながら国家公務員扱いとなり、お給料までもらえる。
これはもう、学ぶために、しかたなく家に残る、なんていう選択肢を超えた現実的な“脱出の道”だった。
たしかに、卒業後は自衛隊の医官として9年間の勤務義務がある。有事の際に戦地へ派遣される可能性もゼロではない。
だけどそれも――災害派遣や救命医療に関わることができるのなら、むしろ本望だ
命を守るために救命医として働くことは、私の中でずっと揺るがない目標だったから。
寮ではスマホも自由に使える。
お母さんの監視もない。
そして黒野君とも、自由に会える。
物理的な距離は遠くなるけれど、心の距離は、今よりきっとずっと近くなるはずだ。
そして私はもう、セリーヌのために、この家に留まる理由も、なくなっていた。
今の私の最善の選択肢は、この家を出て、防衛医大を受験して合格を勝ち取る事……。
それが、私自身の人生を取り戻す唯一の道だと思った。目標を定めると、セリーヌの事で沈んでいた心は炎の様に燃え上がった。
私は自衛隊の医官になり、この街を出ていくのだ。
2015年3月
今日は、三者面談の日。
この日のために、私は担任の高品先生に完璧に根回しをしておいた。
高品先生は50歳の落ち着いた男性教師で、私の家庭の事情も丁寧に聞いて理解してくれた。
ただ、事なかれ主義的なところがある先生で、お母さんと本気で向き合えるような強さは……たぶん、ない。
でも、私にとっては十分だった。たとえ形式的でも、味方が1人いるだけで全然違う。
いつもは1対1、お母さんと私。
でも、今日だけは、2対1だ。
数的に見れば、今日は私の方が有利。
私は絶対に負けない!
こんなところで負けている様では、医官なんか務まる訳がない。
お母さんとふたり、静かに教室のドアを開けた。
いつも通りの、完璧に整えられたメイクと落ち着いた服装。私と先生が結託しているのを事前に察知している様だった。
立ち姿には百戦錬磨の気配すら漂わせていた。
迫力が凄まじい。
「こんにちは」
お母さんが先に口を開く。
私もそれに続くように、少し遅れて小さく頭を下げた。
担任の高品先生は、にこやかに応じながらも、どこか緊張した面持ちで「こんにちは、どうぞ、お座りください」と促してきた。この空気に、先生もただ事ではないと察しているのだろう。
私は、お母さんの隣に静かに腰を下ろした。
よし、ついに言うぞ!
心臓の音が、自分でもはっきりと聞こえる気がした。
「お母さん、私、防衛医大に行きたい。家を出て、自立したいの。学費も全額免除で、在学中はお給料ももらえるんだ」
私は、息を整えてからそう告げた。告げるのはもちろん初めてだ。
「……あら、そう」
実にあっさりとした言い方で逆に恐ろしい。
「私も、事前に美亜さんからお話を伺っております」
高品先生が柔らかく言葉を繋ぐ。
「学力的にも、十分に合格圏内です。全寮制ではありますが、自衛隊附属の施設ということもあり、規律は厳しくても生活の安全は保障されています。むしろ、民間の1人暮らしよりもよほど安心です」
「はい」
お母さんはにこやかに微笑む。
「それに、防衛医大の卒業生は、災害派遣や救急医療の現場など、国民の命を守る最前線で活躍しています。志の高い進路ですし、医師としても非常に価値のある経験が積めます」
高品先生は、お母さんの表情をうかがいながら、慎重に、熱意を込めて言葉を重ねた。
きっと一生懸命練習してきてくれたのだろう。
目頭が熱くなる。
「もちろん任官義務はありますが、医師国家試験の合格率も高く、将来性も申し分ありません。…ご心配な点もあるかと思いますが、美亜さんの強い意志を感じますし、私としては応援したいと考えています」
私を、守ろうとしてくれている。
その気持ちが、痛いほど伝わってきた。
「はい、それは素晴らしいですね」
お母さんはニコニコしながら聞いている。
何を考えているのか全くわからない。
「お母さん、お願い。防衛医大を第1志望にしたいの」
そう言いながら、私は祈るようにお母さんを見つめた。
「もちろん、地元の夕霧大学医学部も併願できるよ。防衛医大は一次試験が早いから、どちらにも挑戦できる仕組みになってるんだって」
私は、あらかじめ調べておいたことを必死に伝えた。選択肢を狭めるつもりじゃない。
だけど、私はどうしても家から出たいのだ。
「先生、わかりましたわ。この件はもう1度美亜と話し合って結論を出したいと思います。本日はどうもありがとうございました」
お母さんはにこやかにそう言って、勝手に話を締めくくろうとした。
だけどその瞬間、高品先生が、あえて咳払いをしてから言葉を続けた。
「お母様、ひとつだけ補足させてください。これは、今すぐに結論を出すべき“進路希望”の話ではありません」
その声は、静かだけれどはっきりしていた。
「これは美亜さんが、時間をかけて、自分自身の将来と向き合って出した答えです。お母様としてご心配なお気持ちはよくわかります。
ただ、それでも…美亜さんがこれほどまでに真剣に道を選ぼうとしている、その姿勢を、どうか一度、受け止めてあげてください」
教室に、一瞬だけ静けさが降りた。
私は、高品先生の言葉が胸に沁みるのを感じていた。
「先生、本日はお忙しい中、貴重なお時間をいただきありがとうございました」
お母さんはそう言って、にこやかに一礼した。完璧な姿勢、完璧な笑顔。
その場には、一瞬のすきも、怒りも、苛立ちも感じられなかった。
けれど、私にはわかっていた。
その背中の奥に、笑顔の奥に――どれほどの「怒り」が潜んでいるかを。
先生は本当に頑張ってくれた。
本当にかっこよかった。
優しかった。
泣きそうになった。
でも、1ミリも効いていないな……。
そう思った瞬間、全身に冷たい汗がにじんだ。
この後、家で待ち受けている“復讐”を思うと、息が詰まりそうだった。
そう思った瞬間、全身に冷たい汗がにじんだ。
家に帰るのが、こんなにも怖いなんて。
冬の風が頬を刺す。
震えているのが寒さなのか、恐怖なのか、もうわからなかった。




