第43話 デート 黒野目線
2014年10月
今回は、手紙でも電話でもがっちりと繋がっている。よっぽどの事がない限り、もう離さない。
美亜ちゃんの家の裏手には、森が広がっているらしく、そこは愛犬のセリーヌと共によく散歩しているらしい。
今日は公衆電話から、その散歩に誘われていた。
「セリーヌが少し体調が悪いけど運動をさせてあげたいので、一緒に来て。ここは私とセリーヌが大好きな場所なんだ」
「うん、必ず行くよ」
「お弁当作っていくからね」
「うん、楽しみにしているよ」
なぜ、ここを指定されたのかと、言うと美亜ちゃんの母親はこの森には絶対に入ってこないらしい。しかも、今日は仕事で家にいないので絶対に安全との事だ。
* * *
指定された森の入り口で待っていると、膝丈の花柄の薄いピンクのワンピースに茶色のブーツを履き、背中にリュックを背負った美亜ちゃんが、セリーヌを連れてやって来た。
話では聞いていたけど、想像以上に大きくて優雅な犬だ。サラサラのクリーム色長い毛並みが美しく、凛としたその表情は貴族のお姫様の様だった。
しかし、聞いていた通り、歩き方に力がない。
「ヤッホー、黒野君。よくきたね!」
ニッコニッコだ。思わず僕も笑顔になる。
「美亜ちゃん!セリーヌちゃん…」
“セリーヌちゃん”って呼ぶのがどこか気恥ずかしい。僕はそう言う人間だ。
森に入ると視界いっぱいに、濃い緑が広がっていた。風の音、木々のざわめき、鳥の声、森の匂い。静かで、大きな世界。そこにいるだけで、心が洗われていく気がした。
ここは知る人ぞ知る原生林。あえて整備されすぎていない、自然そのままの森。
体調が悪いセリーヌもどこか嬉しそうだ。
「すごい、家の裏にこんな綺麗な森が広がっているんだね。羨ましい…」
「でしょ?ここは私のお気に入りの場所なの。ぜひ黒野君を連れてきたかったんだ」
小鳥達の鳴き声と森の香りに包まれながら、歩いていると、この上ない恍惚感を感じた。
暑くもなく、寒くもない秋の午前中。
森の奥から風が吹き抜ける。
美亜ちゃんとそっと手を繋ぎお互いに見つめ合うと、言葉はいらなかった。
足元には、苔に覆われた倒木と、ひっそりと佇むシダの群れ。
「この森、すごい落ち着く…」
「セリーヌもここが大好きなの。アフガンハウンドはもともと狩猟犬だからね」
「へ~」
「私たちも同じ、狩猟採取の民だったでしょう?
都市に住むようになったのなんて、人類の長い歴史の中ではほんの最近の事。森の中が落ち着くのは、太古の記憶がDNAに刻まれているからなの」
「なるほど」
僕はセリーヌの頭を撫でながら、つぶやいた。
小川にかかる小さな橋を渡ると、そこには古びた東屋があった。幸いな事に先客は誰もいない。
そこで美亜ちゃんが作ってきてくれたお弁当を広げて食べる事にした。
「黒野君、どうぞ」
「ありがとう…すごく綺麗な色合い。お母さん以外の人にお弁当作ってもらうの初めてだよ」
「ふふっ、私も男の人にお弁当作ったの初めてだよ。味わって食べてね」
「お弁当は色合いを重視して作ったから、味は自信ないけど……」
「これ、全部手作り?美味しそう」
「うん。朝から頑張ったの。卵焼きはちょっと甘めにしてみたの」
「いただきます」
「……うまい。優しい味がする」
「ほんと?よかった……」
心の奥が、ほっとあたたかくなる。
「唐揚げも、大きくて食べ応えがあるし、おにぎりの海苔の巻き方もきれい」
「そんな細かいとこまで褒めなくても……」
「いや、嬉しくてさ」
「ふふっ」
ひんやりとした木のベンチに並んで座って、森の中でのお昼ごはん。
「これ、あげて」
「うん」
セリーヌには鹿肉ジャーキー、乾いたリンゴの輪切りを手であげる。
「セリーヌ最近食欲がなくってさ。でも黒野君があげると美味しそうに食べるね」
「そうなの?」
「…うん…」
風がそよぎ、葉っぱのざわめきに包まれて、鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。
「黒野君…なんか、これで十分な気がしてきちゃうね。何て贅沢なんだろう…」
「うん。わかる。静かで、落ち着いてて……ずっとここにいるのもいいよね。また作ってくれたら嬉しいな」
「……うん、また作るよ。何度でも」
「お菓子も食べようよ。これも作ってきたんだよ」
出てきたものは、まるで売り物の様にラッピングされた美しいマドレーヌだった。
「えっ、買ったのかと思った」
褒めたつもりだが、失言だった様だ…。
「ちょっと~、それ褒めてるようで全然褒めてないからね?」
美亜ちゃんは頬をぷくっとふくらませて、拗ねたような表情を見せた。
その顔がめちゃくちゃ可愛かった。
今すぐに抱きしめたい衝動に駆られてしまった。
本当どこか誰も通らない小道にでも入ったら、本当に我慢できなくなるかもしれない。
そんな自分を自分でなだめながら、マドレーヌを口に運んだ。
「美味しい、ほんのりとレモンの味がするよ」
「レモンの皮をすりおろしたものが入っているの。イギリスのおばあちゃん直伝のレシピよ」
「へー」
「このワンピースもね、若い頃のおばあちゃんが着てたドレスをリメイクしたの。生地だけはすごく上等だったから、もったいなくて捨てられなかったのよ」
美亜ちゃんは、そう言いながらスカートの裾を軽く摘んで見せた。
「すごく似合ってるよ……っていうか、そういう背景を聞くと、なんか余計に素敵に見える。どこかのお姫様みたいだね」
「嬉しい!……ねえ、立って。ダンスしよう?」
「は?僕は何も踊れないよ」
「私に合わせて。適当でいいの、雰囲気だけで…」
そう言いながら美亜ちゃんは、僕の手をそっと握った。
そしてそのまま、草の上でくるりと回る。
まるで物語の1幕のように。
そういえば美亜ちゃんはずっとバレエを習っていたんだったな…。
その動きには、やわらかく洗練された美しさがあった。
たまに散歩している人も通るので誰かに見られたらどうしよう……と思ったけど、もう、どうでもよくなっていた。
僕もぎこちなく足を動かし、彼女のリードに身を任せる。
顔と顔が、自然と近づいた。
美亜ちゃんの瞳が、まっすぐ僕を見つめてくる。
ふわりとスカートが風に舞い、柔らかな光が太ももを照らす。
その時……。
白いパンツが見えた……。
もう、我慢できなくなる寸前だった。
ダンスは終わった。
「楽しかったね」
「うん、さすがバレエやっていただけの事はあるね。すごく綺麗だった…」
「ありがとう。バレエはね…好きではなかったけど…今日の為にやってきたのかもね、ハハハ」
「あはは、昔から思ってたけど、美亜ちゃんって、いきなり何かやり出すよね?」
「調子に乗りやすいのよ、ふふっ」
「確かに。ははは……もう帰ろうか」
「うん」
しばし沈黙———。
これ以上この森の奥へ進んでしまったら、誰もいない場所に辿り着いてしまいそうだった。
その時「何かやり出す」のは自分の方になりそうだ。
「帰る」と言う選択は、きっと正解だったと思う。
ただ美亜ちゃんとセリーヌで森を歩いて、お弁当を食べただけ。
でも、それだけのことが、どうしてこんなにも心を満たしてくれるんだろう。
今日は本当に楽しかった。
また1つ、一生忘れられない思い出が、心のアルバムに静かに刻まれていった。




