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第41話 剣の舞 黒野目線

         2014年6月


ついに今日は美亜ちゃんと会う日だ。


めちゃくちゃ緊張している。


中学生の頃、一瞬だけ見た事があるだけで、ちゃんと会うのは小学生以来…。


つまり、5年ぶりと言う事になる。2人とも人生で1番身体が成長した時期なので、お互いに驚く事になるだろうな。


僕は録音を送信したのだが、美亜ちゃんは弾いている姿を動画にして送ってくれた。ポニーテールも可愛かったが、はち切れそうなブラウスの胸に目がいってしまった。


今日の演奏は公式戦でマウンドに上がるより緊張してしまいそうだ。


待ち合わせ場所の地下のコンコースに着くと、

遠くから見てもすぐにわかった。


紺色の制服姿に身を包んだ長身の美亜ちゃんは凛としたオーラを纏っていた。栗色の髪は柔らかく輝き、白い肌はほんのりと発光している様にも見える。迫力さえ感じる雰囲気に思わず息を呑んでしまった。


それでも、僕に気づいて小さく手を振って微笑んだ


その笑顔は、やっぱり変わらない。


あの頃の美亜ちゃんだった。


……やっと、会えた……。


目頭が熱くなる。


「……久しぶり……」


上手く声が出ない。


「本当に久しぶりだね。黒野君。すごい背が高くなったね。何㎝あるの?」


「182㎝、あの頃から20㎝以上伸びたよ」


「へ〜すごい。身体も鍛えているのがわかるよ。かっこよくなったね」


「美亜ちゃんもすごく綺麗になったね…」


「えー!お世辞まで言える様になったんだ。ふふっ」


「それ…キリコ先生にも言われた…。今でも女子と喋るのは苦手だけどね…」


「緊張してる?」


「…うん…上手く話せなかったらごめんね…」


「リラックスしてね。弾き出していきなり失敗したら私もつられちゃうから…」


僕の背中を軽く叩きながら言った。


「どうする?ちょっと話してから弾こうか?」


「うん…そうしようか…。色々大変だったね?」


「全然大丈夫。手紙にも書いた通り、今はほとんど自分でやってるのよ。庭の手入れまでね」


「すごいな」


「わからない事は、前に来ていた家政婦さんやお父さんにLINEで聞いているんだ。結構楽しいよ。ちゃんと庭の薔薇も咲いたよ…ほら、写真見て…」


「…すごい綺麗…この建物が美亜ちゃんのお家?大きそうだね」


私の家を見てそう思うって事は、今も“6日間の記憶”はないんだな…。


「間取りは12LDKなんだよね…」


「えー!!動画の家の中もすごかったね。弾いていたピアノ、スタンウェイでしょ。リビングも30畳くらいありそうだったね」


「無駄に広いのよ…冷暖房代も高いし、掃除も自分でしてるんだから…まあ、テキトーだけどね」


「掃除しているだけで、すごく時間かかりそう」


「いや、そうでもないよ。運動だと思ってテキパキやれば、意外と早く終わるの」


「そうなんだ」


「うん、あと…家計は火の車なの。大学も私立は行かせられないって…。ご飯も全部私が作っているのよ」


「なんかギャップが凄すぎて…言葉が出ないよ…」


「面白いでしょ?家だけはすごいのよ…。築年数が古過ぎて改修工事にお金がかかり過ぎて…数千万とか…そのタイミングでお父さんが社長を解任されて離婚までしたからね。悪い事が全部重なった感じ」


「…何て言っていいかわからないよ…」


「って言うか、お金の使い方が下手すぎるんだよね、2人とも。ただの雇われ社長なのにね…」


「確かに、お金の使い方…豪快だね…」


「そうでしょ。この前待ち合わせした時に、伝言伝えた子覚えているよね?」


「うん、あの子インターの時からの親友なんだけど、信用出来ると思って、『言わないでねっ』て言って全部話したら、数日経ったら学校中の人が知ってるのよ。みんなに哀れみの言葉を投げかけられたわ…ふふっ…」


「それは辛かったね…」


「いや別に…それはいいの。それより離婚する時に『どちらについていくか、あなたが決めなさい』って言われた時が大変だったよ…」


「それも辛かったね…」


「めちゃくちゃ辛いよ。お父さん泣いちゃうし…」


「美亜ちゃん、情報量多すぎ…なんか知らない間に色々経験したんだね。そんな事も知らずに、勝手に文通やめちゃって」


「それはいいの。私は基本的に事後報告しかしないし…人に愚痴とか相談とかしないからね。

でも日本に残ってお母さんの監視の目も緩くなって、こうしてようやく会えたんだから」


「強くなったんだね」


「今まで巣の中にいたヒナが飛び立った感じだね。でも強くなんかないよ。私、今でもすぐに泣くもん…」


「そうなの?」


「そう…。どう?緊張解けてきた?」


「うん、もう大丈夫。でも…喋ると昔と変わってないね、いや、いい意味でね。雰囲気とか…」


「人間なんて、根本的なところは一生変わらないのよ。でも、黒野君はだいぶ変わったかも…。『一緒にストリートピアノで連弾しよう』なんて誘ってくれたし…。しかも、放課後制服でってね」


「ごめん…強引だったよね?」


「いや…それがすっごくいいの」


肩をポンポンと叩かれる。


この様にボデイタッチされるだけで舞い上がってしまう。


「話の続きは後で…そろそろ弾きましょ。帰宅ラッシュが始まったのかしら。人が増えてきたね」


「うん」


くすんだピンクに美しくペイントされたグランドピアノ。


幸い弾いている人はいない。


ストリートピアノの椅子に美亜ちゃんが座る。


僕は立って弾く。


美亜ちゃんがスカートの裾をそっと整えてから、ピアノの前に腰かけると一気に目つきが変わった。


僕は横に立ち、鍵盤の上に両手を浮かせる。


「よし!じゃあ……始めるよ!」


「OK!」


深呼吸をひとつ。


周囲のざわめきも、通り抜けていく人の足音も、頭の奥で遠くに消えていく。


次の瞬間、美亜ちゃんの指が動き出す。


プリモの旋律。


華やかで軽やかで…でも芯のあるタッチ。


僕もそれに続いて、セコンドのパートを叩き始める。


剣が空を裂くようなスピード感のある旋律。


スリリングだけれど、決して乱れない。


右手と左手が、まるで追いかけっこのように響き合う。


音がぶつかる!


絡む!


跳ねる!


それぞれがひとつの世界を持ちながらも、奇跡のようにひとつになっていく感覚。


気づけば僕たちの演奏は、通りすがりの人たちの足を止めていた。


静かに、でも確かに人が集まり始めている。


まるで、言葉にできなかった想いが、音になって伝わっていくような気がした。


何度も練習したフレーズも、ぶっつけ本番のようなスリルも、今はただ、心地よい。


最後の和音が、ゆっくりと空気に溶けていく。


僕たちは同時に鍵盤から手を離し、美亜ちゃんと目を合わせた。


笑っていた。


僕も、笑っていた。


しばらくの沈黙の後、盛大な拍手が起こった。


まるで大きな波が押し寄せるように、駅の地下にその音が響いた。


ギャラリーの数がすごい。ざっと数えただけでも30人くらいる。スマホで撮影している人も数人いる。


多分美亜ちゃんのおかげだろう。


僕1人だったら多分2~3人くらいだ。


「きゃー!!」


「かっこいい!」


「おおー!!」


「聖英女学院だ!」


「もう1曲弾いてください!!」


様々な声がかかる。


嬉しいけど、僕ではなく、間違いなく美亜ちゃんに対する声だ。


決して自分に対する皮肉ではない。


美亜ちゃんのピアノは小学生の頃から誰からも本当に人気があったからだ。


「もう1曲お願いしまーす!」


また声が飛んだ。ギャラリーは決して帰ろうとしない。


「美亜ちゃん。弾いてよ?もう連弾のレパートリーはこれで終わりなんだから」


「うん…でも私が弾いちゃっていいの?」


「弾いてよ!このままの勢いで疾走感のある速い曲がいいね」


「いいね!OK!」


美亜ちゃんがニヤリと笑う。


「じゃあ、もう1曲弾いちゃいます!」


美亜ちゃんが大きな声で言うと大きな歓声が沸いた。


僕はギャラリーに混じる。


スマホで撮影しようとしたが、この勇姿を目に焼き付ける事にした。


指が鍵盤に触れた瞬間、空気が一変した。


「クシコスポスト」の軽快なリズムが、地下のコンコースに勢いよく広がっていく。


運動会でお馴染みの曲だ。


冒頭からテンポはだいぶ速く力強い。


「この曲は練習してないはずだけど、大丈夫か?」とかなり心配になる。


美亜ちゃんの指が鍵盤の上を駆けるように走る。


まるで跳ねる水滴のような、粒立ちのいい音が次々と響き、聴いている人たちの目が釘付けになる。


美亜ちゃんのピアノには、確かな技術と躍動感があった。


左右の手が絡み合うように忙しく動きながらも、その表情は余裕に満ちていて、口元には微笑みすら浮かべている。


難しいフレーズに入ると、ほんの一瞬だけ眉が寄るが、すぐに戻る。


まるで自分との勝負を楽しんでいるようだった。


ギャラリーの間から「速っ……!」という声が漏れた。


まるでスプリンターの全力疾走を目の前で見ているような、圧倒的なスピード感。


しかし、それは、ただの速弾きではない。


聴く人の心を浮き立たせる“音楽”になっていた。


そして、最後の音が終わるかと思った、その瞬間。


美亜ちゃんの手は止まらなかった。


唐突に響き出したのは――オッフェンバック「天国と地獄」


珠玉の運動会メドレーだ。


観客たちがざわつく。疾走感溢れる音が、息もつかせぬスピードで繰り出される。


鍵盤を舞うように滑る指。


リズムの加速。


息を呑むような迫力。


そして最後の音が響き、ピタリと静寂が訪れる。


ほんの数秒の沈黙のあと――大きな拍手と歓声が爆発した。


「すごすぎる!」


「天才じゃん!」


観客は更に増えていた、もはや数えきれない。


美亜ちゃんは立ち上がり、軽く一礼すると、恥ずかしそうに小さく笑った。


僕は、その場に立ち尽くしていた。


鼓動がまだ速い。


さっきまで隣にいた美亜ちゃんが、こんなにも遠く感じるなんて。


「行こうか?」


美亜ちゃんが呟いた。


先程のギャラリーがついてくる。


まるでスターだ。


でも、ちょっと困るよね?


その時美亜ちゃんは、僕の手を掴むと走り出した。


頭の中で「クシコスポスト」が流れる。


「黒野君!カフェでも行ってゆっくり話そうよ!」


「うん!」


「こっちこっち!」


美亜ちゃんは僕の手を引いたまま、人混みの中をすり抜けるように走り続けた。


あの時と同じだ!


制服のスカートが風にふわりと舞い、栗色の髪が陽に透けてなびく。


その横顔は、駆け抜ける風景の中でひときわ輝いて見えた。


地下から階段を駆け上がり、北口に出ると、ちょうどビルの隙間から夕陽が差し込んでいた。


オレンジ色の光が、美亜ちゃんの肌を淡く照らし、ほんのりと赤みを帯びた頬が妙に色っぽい。


「はぁっ、はぁっ……ここなら大丈夫かも。ついてくる人、いなさそうだね」


息を切らしながら振り返った美亜ちゃんが、柔らかく笑った。


「はぁっ…美亜ちゃん…走るの…速すぎ……!」


僕がそう言うと、美亜ちゃんはイタズラっぽく笑った。


「私、毎朝走ってるのよ。黒野君も走ってるんでしょ?」


「……うん、まあね……」


「ふふっ、今度、一緒に走りたいな」


栗色の髪を指先で整えながら、さらりと言う。その仕草が、まるでモデルのようで、僕は思わず目を逸らしてしまった。


「じゃあ、とりあえずあのカフェ入ろうか?」


美亜ちゃんが指をさした先には、駅前のチェーン店「スターライトカフェ」の看板が光っていた。


僕達は一番安いブレンドコーヒーのSサイズ注文した。もちろん僕がお金を払う。


カフェの店内はかなり混雑していたけれど、ちょうど2階の窓際の席が空いた。


街路樹の緑が、窓の向こうでそよいでいた。陽の傾きがちょうどよくて、その葉の影がテーブルに揺れている。


「黒野君、ストリートピアノ、楽しかったね。誘ってくれて本当にありがとう。

コンクールと違って反応がダイレクトだね!」


「本当にすごい人気だったね」


「ちょっとびっくりしたけどね。嬉しい気持ちもあるけど、さっきみたいに後をつけられたり、勝手に撮影されるのは……ちょっと、苦手かも…」


「ごめん……やっぱり迷惑だったよね?」


「ふふっ、またそうやって、すぐ自分を責めるんだから…私…困っちゃうなぁ」


「ごめん、ごめん」


「私、インターナショナルスクールに通っていたから思うんだけど……。日本って、“他人に迷惑をかけないこと”にこだわりすぎてる気がするの…」


「それって駄目なの?」


「もちろん、人に迷惑をかけないように努力するのは大事なこと。でも、それが行きすぎると、“迷惑をかけた人”を過剰に責めたり、許せなくなったりするでしょ?ちょっと選択を誤ったら、すごく叩かれたり、排除されたり……」


「……たしかに、そういうところあるかもね」


「人間なんて、普通に生きてるだけでも、どこかで誰かに迷惑をかけてしまう生き物だと思うの。

だからこそ、『お互いさま』って思える気持ちの余裕が、大事なんじゃないかなって」


「なるほど…」


「私も迷惑をかけてるかもしれない。でもね、それでも、ちゃんと感謝したり、謝ったり、分かち合ったりできるなら……人はもっと優しくなれると思うの」


「目からウロコだな…」


「ふふっ。自分の価値観から外れた人を見て、いちいちイライラしてたら、疲れちゃうよ。エネルギーは、できるだけ大事なことに使いたいなって思ってるの。黒野君とか夢のこととかにね」


「うん、美亜ちゃんって、今を生きてるって感じがする」


こうしてカフェで話している“今”は間違いなく人生史上最高の“今”だろう。


美亜ちゃんの笑顔を見てそう感じた。

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