第4話 公園 黒野目線
2023年10月8日
ボートから降りると、僕たちは森の小道を散歩することにした。木々の間を風が通り抜け、静かな空気が心地よい。
日差しが木漏れ日となって、道を柔らかく照らしている。
美亜ちゃんは、飼い主に連れられて散歩をしている犬にすっかり夢中になっていた。
屈んで犬に触れようと手を伸ばしたり、笑顔で呼んでみたりしていたが、もちろん犬は気づくことはない。
それでも、そんなことを気にする様子もなく、終始楽しそうだった。
そんな無邪気な姿を見ていると、まるで普通の少女が楽しく遊んでいるかのように思えて、僕も自然と笑顔になった。
風がそよぐ中、美亜ちゃんは犬たちに向かって何度も手を振り、楽しそうに歩き続けていた。
「美亜ちゃんは犬好きなんだね。飼ってたの?」
「飼ってたよ」
「犬種は?」
「アフガンハウンド、名前はセリーヌ…2歳の女の子。私の妹みたいな存在だったわ」
「そうなんだ」
アフガンハウンド。ロングヘアーが美しい大型犬だ。お金持ちが飼うのに相応しい犬だ。
思い出などを聞こうと思ったが、事故の事で生き別れていたらと思うとそれ聞けなかったし、美亜ちゃんも話そうとしなかった。
芝生の広場に着いたので、木の下にレジャーシートを敷いて座った。
美亜ちゃんと一緒にいると、僕も小学生の頃に戻ったような気分になる。
同級生の子とデートしているようでもあり、親戚の子を預かっているようでもある。なんとも不思議な感覚だ。
持ってきた缶コーヒーを取り出して開けた。
すると、美亜ちゃんは一気に話し始めた。
「この公園、来たことあるよ。休みの日、セリーヌを車に乗せてね」
「へ〜」
「セリーヌ、凄く目立つから色々な人に話しかけられるの『かっこいいね!』って。セリーヌも泊まれる高原のホテルに一緒にバカンスに行って、さっきみたいに一緒にボートにも乗ったわ…」
「ふーん、優雅だね」
「うん、学校やピアノの事で嫌な事があってもセリーヌを抱きしめるとすぐに元気になれたし、思い出がいっぱい…。でも肝臓の病気になって死んじゃったわ。もっと早く気がついてあげられたら…」
「…肝臓の病気!?…」
「うん、それで、私…すごい落ち込んでね…。
パパが『誕生日に動物が好きな美亜の為にアフリカに旅行に行こう』って、言ってくれたの」
「なるほど…」
「だから、その年に一家全員が死んだの」
そう言い終わると彼女は悲しそうな顔をした。
こういう時、なんて声をかければいいのか、全く見当がつかなかった。
言葉に詰まったその瞬間、ふと金木犀の甘く優しい香りが漂ってきた。
その香りは、まるで「何も言わなくていい」と囁いているようだった。
ただ、そばにいる。それだけで十分なんだ。
しばらくの沈黙の後、美亜ちゃんが口を開いた。
「黒野君、優しいね…」
「……今頃……気がついた?」
冗談っぽく返した。
「ハハハ、今頃気がついたよ」
その後、彼女は突然、思いもよらない質問を投げかけてきた。
「黒野君は彼女いるの?」
不意打ちの質問に、危うく飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。
「…今はいないよ…」
あくまでさらっと答えたつもりだ。
しかし、実は26年間、1度も彼女ができたことがなかった。恥ずかしいので、その事実は隠しておくことにした。
それに、付け加えておくと、僕の部屋に初めて入った記念すべき女性は、幽霊の美亜ちゃんだった…。
高校も大学も会社まで理系で、女性が少なかったのだ。しかも、常に“モテないグループ”に属していた為そもそも女性との接点がほとんどなかったのだ。
ファミレスでバイトしていた時も、女性はいたけれど、話すのが苦手で結局うまく関わることができなかった。
「ねえねえ、いつからいないの?」
美亜ちゃんが無邪気にさらに突っ込んでくる。
「…いつだっていいじゃん…」
できる限り平静を装ったが、これ以上聞かないでくれオーラを全力で出していた。
多分、こういう時に素直に『今まで彼女がいたことないんだよ』って開き直れる人の方が、まだモテるんだろうな…。
そしてふと、去年のバレンタインデーのことを思い出した。
もらったチョコは…1つだった。
……母親からの……。
あの時は、「これなら0個の方がよっぽどマシだ」と本気で思ったものだ。
もし、美亜ちゃんが生きていて今、26歳だったらどんな女性になっていただろうか?
きっとすごく素敵な大人の女性になっていたに違いない。そして、間違いなく僕には見向きもしなかっただろう…。
こんな風に卑屈なところも、モテない理由のひとつなんだろうな……と、自己分析しながらまた苦笑する。
幽霊の美亜ちゃんは無邪気でかなり話しやすい。
とりあえず練習相手にはちょうどいいな、と思った自分が本当に情けなかった。
「何考え事してるの?もしかして、私のせいで元カノのこと思い出しちゃった?」
…元カノ…自分には無縁の言葉だ。
1回試しに今、使ってみようかと思ったけど、さすがにやめた。
「……いや……」
「ごめんね、もう聞かないから…」
上手く誤魔化せたような気もしたけれど、彼女の純粋な瞳は全てを見透かしているかのように思えた。
しばらく沈黙が続く…。
何か話さなきゃ、と思っても、言葉が喉に引っかかって出てこない。
こんな時、僕はついつい場違いなことを口にしてしまい、周囲の空気を凍りつかせた経験が何度もある。
「美亜ちゃん、英語喋れるんだよね?」
またしても、訳のわからない質問をしてしまった。僕は英語のテストはそこそこできたが、英会話となるとさっぱりだ。
「うん、喋れるよ。パパとの会話は基本的に全部英語。そういう風に教育されてきたからね。黒野君は喋れるの?」
「僕?英語しか喋れないよ」
また冗談を言ってみた。
「フ…」
鼻で笑われた気がする。
さっきから卑屈な自分に気づく…。
「美亜ちゃん、英語なんか喋ってよ」
思わずそう言ってしまったが、さすがに困るだろうと思った。
「Sure, I can speak English. How about I say something like this? ‘The weather today is nice, and I’m having a lot of fun spending time with you. You should try speaking more English, though. It’s good practice! 」
流暢な英語が、軽やかに彼女の口から出てきた。
僕は、ぽかんとしてしまった。
「黒野君、英語しか話せないんでしょ?今の全部、わかったよね?」
美亜ちゃんは冗談っぽく目を細め、少しからかうような口調でくすっと笑った。
やば…自ら墓穴を掘ってしまった。
カッコ悪い。
彼女の英語は流暢過ぎて、ほとんど聞き取れなかった。
これでも中高大と10年間は英語を勉強してきたはずなのに……全く、日本の英語教育はどうなっているんだ?
そう考えながら、また黙ってしまった。
次に何を話そうか、頭の中でぐるぐると考えてみるが、言葉が思い浮かばない。
「…そろそろ次のところ、行こうか?どこがいい?」
そう言って、美亜ちゃんに次の行き先を尋ねた。
「お花が見たい! 花壇に行こうよ!」
美亜ちゃんが嬉しそうに提案した。
「いいね!」




