第3話 幽霊とお出かけ 黒野目線
2023年10月8日
「ありがとうね…黒野君」
「このフランス人形、美亜ちゃんにそっくりだね」
「そりゃそうだよ、私をモデルに作ってもらったんだから…」
「すごい…そんな事できるんだね…」
「パパがフランスで腕利きの職人さんに頼んで作ってもらったんだよ」
「すごい…」
「私は1人っ子だから、この子はイマジナリーシスターだよ」
「『想像上の妹』そう言われると、いかに大切なものかわかるね。このオルゴールも聴いてもいい?」
「うん、聴こう、聴こう!」
そっとオルゴールのフタを開けた。
柔らかな光がオルゴールを照らし、弁はキラキラと輝いている。
144弁のリュージュのオルゴールから流れ出したのは、「カノン」だった。
その音色は、繊細で複雑、どこまでも澄んでいて美しい。
何度もカノンを聴いたことがあったが、このリュージュのカノンは、これまでのどの演奏よりも心に響いた。
「私、自分では開けられないから……4年ぶりに聴いた…」
「このオルゴールは本当に素晴らしいよ…」
こんなに爽やかな朝を迎えたのは、生まれて初めてかもしれない。
音楽の力は偉大だ。
改めてそう感じた。
「このオルゴールね、私の10歳の誕生日にパパが買ってくれたの…」
美亜ちゃんはそう言いながら、オルゴールを優しく撫でた。
「すごいね。高かったんじゃない?」
「値段なんて知らないわ…」
美亜ちゃんの無邪気な言葉に、僕は興味本位でスマホを取り出し、こっそりとオルゴールの値段を調べてみた。
画面に表示された数字に思わず息を飲む。100万円を超えていたのだ。
改めて、美亜ちゃんが本当にお嬢様だったことを実感した。
僕が小学生の頃、誕生日プレゼントと言えば大抵ゲームソフトだったな…。
ふと思い出して、苦笑してしまった。
「私の12歳の誕生日プレゼントは、ケニア旅行だったわ。野生の動物を見にね」
僕は黙ってうなずく。
「その後、パパがピラミッドが見たいって言い出したの。それでエジプトに行く途中で飛行機が墜落したんだけど…知っているよね?」
「うん知ってたよ…キリコ先生から全部聞いたよ。ごめんね、辛いことを話させてしまって…」
「もういいの…それよりキリコ先生…元気?」
「小6でアルティスやめてから、接点がないんだけど元気だと思うよ。アルティス自体はまだあるからね。美亜ちゃんはご両親に本当に大切に育てられてきたんだね」
「1人娘だったからね…でもね、ママはうるさかったよ。私…幽霊になっても怒られていたから」
「えっ?なんで怒られるの?」
「さあ?こっちが聞きたいよ。とにかく私のことを嫌っているの」
「ご飯はどうしてるの?」
話題を変えようとして、ちょっと訳の分からない事を言ってしまった。
「食べるわけないでしょ、幽霊が」
「確かにね。じゃあ、睡眠は?」
「ちゃんと眠れるよ、幾らでも眠れるのよ…」
「幽霊でも眠るんだ…」
「そうよ。でもトイレは行かなくていいし、お風呂も入らなくていいし、勉強もしなくていいんだ。気楽なもんだよ」
「そうなんだ」
「ごめん……実はね、さっきからかなり眠いんだ…。ちょっとソファで寝てもいい?」
「どうぞ」
「ねえ、ピアノで何か弾いて。静かな曲がいいな…眠りにつけるような…」
僕はピアノの前に座った。
美亜ちゃんのために、何か特別なものを弾きたかった。
そこで選んだのは、エリック・サティの《ジムノペディ第1番》。
昔から僕の1番好きな曲。
鍵盤にそっと指を置き、ゆっくりと最初の音を奏でる。もともとゆったりとしたテンポのこの曲を、さらにゆっくりと弾く。
柔らかな旋律が、部屋の隅々まで静かに響き渡る。
サティの音楽は、どこか儚く、夢の中に漂っているような感覚を与える。
音が空間を包み込むたびに、美亜ちゃんの呼吸が少しずつ深くなり、安らかにベッドに横たわるその顔は、静かに微笑んでいるように見えた。
最後の音が消えゆく頃には、すっかり眠りについていた。
僕も軽く朝食を済ませ、歯を磨いてからソファに横になると、泥のように深く眠りに落ちてしまった。
* * *
目が覚めた時には、すでに昼の12時を過ぎていた。
美亜ちゃんは先に起きていて、椅子に片膝をついて座っていた。
「黒野君、おはよう!爆睡してたね、ふふっ」
白昼夢の中、状況をゆっくり思い出す。
そうだ……洋館に行き、幽霊の美亜ちゃんに取り憑かれたのだ…。
「…おはようって時間でもないけどね…」
苦笑しながら返事をした。
「これから何するの?」
「ちょっとスーパーに買い物に行ってくる…」
「私も行く!」
思わぬ言葉に少し驚いたが、ふと気になって尋ねた。
「美亜ちゃんの姿って、他の人からも見えるの?」
「霊感のある人なら、見えるかもしれないよ。でも、家を取り壊す業者の人や親戚も家に入ってきた事あったけど、今まで見えたのは黒野君だけだよ」
「僕は霊感ないけどね…」
「ふ〜ん」
外出するとなると、他の人に見えるかどうかは大きな問題だ。
「うーん、じゃあ一緒に行こうか?歩いてスーパーに行くだけだけど…」
「うん」
僕は健康の為、買い物は大きめの登山用リュックを背負い、車は使わずに徒歩でいくことを心がけていた。
「その前に県立公園に散歩に行こうか?」
日曜日、時間がある時は少し遠いけど、大きな公園を抜けた先にあるスーパーに行く事になっているのだ。
「うん!」
美亜ちゃんはすぐに元気よく頷いた。“外の世界を楽しみたい”という彼女の気持ちが伝わってくる。
「朝にも言ったと思うけど、幽霊は1人では少ししか移動できないの。今は黒野君に取り憑いているから一緒に行けるのよ?」
「うん、覚えているよ。それじゃ久しぶりの外の世界を楽しもうね」
「うん!」
外に出ると、晴れ渡った空の下、太陽の光がまぶしく照りつけていた。
県立公園は広大で、芝生広場、樹木が茂る森、池、花壇、テニスコート、ドッグラン、カフェ BBQエリアなど、多彩な要素が揃っている。
池には鯉が泳いでおり、鴨が優雅に水面を滑っているのが見えた。
ボート乗り場もあり、僕は一緒にボートに乗ることを密かに計画していた。
「ボート乗りたい?」
「乗りたい!」
「じゃあ、乗ろうか」
「やった!」
自動券売機で30分500円のボート券を購入し、係員に案内されながら、2人でボートに乗り込む。
オールを漕いで、池の中央へと進むと、美亜ちゃんは景色を眺めながら心から楽しんでいる様子だった。その無邪気な姿に、僕もつい微笑んでしまう。
「少し音楽でもかけようか」
Bluetoothのスピーカーの電源を入れ、チャイコフスキーの《白鳥の湖-情景》を流した。
小型Bluetoothのスピーカーはいつもリュックに忍ばせてある。芝生の上に寝転びながら、聴くことがあるからだ。
穏やかなメロディが池の上を優しく包み込む。
「これは……『鴨の湖-情景』だね!ふふっ」
「白鳥いるじゃん?ほら…スワンボート」
「確かにそうだわ」
その表情に僕も思わず笑いがこみ上げてきたけれど、周りは家族連れやカップルばかり。
僕が1人でボートに乗って、声を上げて笑い出したら、完全に狂人だと思われてしまうだろう。
でもそんな、自分の姿を想像したら、つい吹き出してしまった。
「くっくっくっ……」
気がつくと、笑いが止まらない。
笑うのをこらえると、余計笑いが込み上げてくる現象だ。
……やばい……完全なる狂人だ……。
僕は慌てて上着で顔を隠し、なんとか落ち着こうとした。
しかし、それを見た美亜ちゃんも指をさして爆笑している。
2人で笑い続けるうちに、どちらが先に笑い出したのかも忘れてしまった。
周りの視線を感じながらも、その瞬間があまりに楽しくて、気にならなくなっていた。




