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第27話 帽子 黒野目線

2011年4月


春が来て、2年生になった。


クラス替えが行われ、担任も変わった。


安田先生は、30代の女性の先生だ。


すごく声が大きくて、かなり厳しいところもある。でも、時々見せる優しさには、嘘はないのだと思う。


ただ、どうも、とっつきにくい。


それが正直な印象だった。


1年生の頃のクラスは、比較的穏やかで、居心地のいい雰囲気だった。女子とも少しは話す機会があった。まあまあ楽しい1年間だったと言えるだろう。


しかし、新しい今のクラスには、地元でも有名な不良連中が何人もいた。


しかも、日が経つにつれてその輪がどんどん大きくなっていくのがわかる。


もしかしたら、学校側が“面倒な生徒”をまとめて、このクラスに押し込めたんじゃないか?


そんな疑念すら湧いてくる…。


教室の空気は、1年生の頃とはまるで違っていた。どこかギスギスしていて、気を抜くと飲み込まれそうな、そんな息苦しさがあった。


一部の人以外男女同士の会話もなくなった。自然とそういう空気ではなくなったのだ。女子は女子、男子は男子。それぞれのグループに分かれて、距離ができていく。


「おう、野球部、最近どうよ?」


昼休み、たまに声をかけられることはある。


だけどそれは、仲間としての言葉じゃない。


どこか壁の向こうから投げかけられるような、からかい半分の声。


1年生の時に仲が良かった数少ない友達は、みんな別のクラスだ。今のクラスには、本当に「話せる」相手が1人もいない。


それでも野球部の名札がついているから、誰も直接バカにしたりはしない。野球部やバスケ部は学校ではヒエラルキーが上で、タテやヨコの繋がりが深く舐められないのだ。


よくわからないけど、その辺は助かっている。


昼休みも、授業が終わった放課後も、僕はほとんど1人で過ごすようになった。


「こんなはずじゃなかったんだけどな……」


時々、ぼんやりと思う。だけど、どうすることもできない。


なんか自分も、周りも明らかにおかしくなってきているのがわかる。


僕は明らかに暗黒期に入ってしまった様だ。


これが俗に言う中二病というやつか…。


一方、野球部のほうは春になって新しい1年生が入ってきて、活気にあふれていた。


兄さんたちの代は県でも有名な強豪だったけれど、今の代になってから、確実に力は落ちた。


前が「90」だとしたら、今は「60」くらいの感覚だ。


それでも部活の空気は悪くない。先輩たちも悪くないし、後輩たちも素直そうな子が多い。


僕は相変わらずピッチャーとしての練習を中心にやらせてもらっている。球種はまだストレートとカーブだけ。球速は少しずつ出るようになってきたけど、問題はコントロールだ。


思ったところに投げられないから、まだ公式戦では1度もマウンドに立ったことがない。それでも、いつか実戦で投げられる日を夢見て、毎日黙々と練習を続けている。


一方、兄さんは春から「美波栄心学園高校」に進学した。地元でも有名な私立の野球名門校で、プロ野球選手を何人も輩出している強豪校だ。


兄さんは特待生として迎えられた。学費も寮費もすべて免除だと聞いた。家から通えなくはないけれど、育成環境が整った野球部専用の寮に入っている。


美波栄心は特にピッチャー育成に力を入れているらしく、県内外から才能のある投手が集まってくる。兄さんもそんな一人だ。


ただ、その一方で——悪い噂も耳にした。


「体罰があるらしい」「有望な投手を大勢獲得して他校の戦力を削いでいる」などだ。


実際のところはわからないけど、名門校ならではの厳しさは、きっとあるんだろうと思う。



         2011年6月 



最近クラスでは浮いているし、勉強が特別できるわけでもない。


部活だって、補欠のまま控えメンバー。


ピアノは得意だけれど、それを誰かに話せる雰囲気でもなく、ましてや自慢になるようなものでもなかった。


そんな僕の、今の唯一の心の支えは1年半も会えていない、美亜ちゃんの存在だけだった。


また会える。


絶対に、どこかで繋がっている。


そんな、根拠のない希望だけで、どうにか毎日を踏みとどまっていた。でも、その支えがいつまで続くのか、自信がなくなってきていた。


もし、この気持ちが崩れてしまったら僕は、どうなってしまうんだろう。


そんな不安が、胸の奥に渦巻く。


最近、どうしようもなく「一目でいいから、会いたい」と思うようになった。


話せなくてもいい。


遠くから、美亜ちゃんの姿をほんの一瞬でも見ることができたら、それだけで、また頑張れる気がした。


僕は、ついに計画を立てた。


中間テスト前、部活動がしばらく休みになる期間を狙って自転車で、聖英女学院の近くをうろついてみようと思ったのだ。


もちろん、帽子を目深に被り、マスクもする。  


誰にも顔は見られたくないし、絶対にバレたくない。


普通に考えれば、これがどれだけヤバい行動かはわかっている。


でも別に犯罪じゃない……。


でも、限りなく、アウト寄りだ。


もしバレたられたらどうするんだ?


こんなことして、意味があるのか?


何度も自問自答した。


でも、それでもやめられなかった。


今の僕は、それだけ精神的に追い詰められていた。


もう、本当に一目でもいい。


美亜ちゃんの姿さえ見られたら、それだけでいい。


そんな想いだけが、僕を動かしていた。


15時に学校が終わると、急いで家に帰り、私服に着替えた。


帽子を目深に被り、マスクをつける。


どう見ても怪しい。


完全にストーカー気分だ。


ただでさえ自己肯定感が下がっている自分に、更なる追い打ちをかける行動だ…。


それに、聖英女学院だってテスト前かもしれない。


もしもう下校していたら、この計画は全くの無意味だ。そんな不安が頭をよぎったけど、それでもやめれなかった。


聖英女学院は、僕の住む街から自転車で40分ほど。行ったことはないけど、地図で場所は調べていたし、アルティス音楽院の近くだから、だいたいの土地勘はある。


ソワソワした気分のまま、ひたすらペダルを漕ぎ続ける。


無心で自転車を漕ぐってなんかいいな…。


ランニングほど、きつくもなく、ウォーキングほど遅くもなく風が心地いい…。


なんか、時空が消える様な…そんな感覚になる。


考えていたよりも早く着いた。


目の前に現れた聖英女学院は、まるで西洋の要塞のようだった。


レンガの壁にスレートの屋根、装飾の施された鉄柵の向こうには整えられた並木道と、手入れの行き届いた庭園が見える。


「…すごい…」


思わず呟いてしまうほど、別世界のような光景だった。


女学生たちが制服姿で校門から出てくる。


制服は、全体的にシックで落ち着いた雰囲気だった。


紺色を基調としたブレザーに、白いブラウス。胸元には控えめなエンブレムと、深いワインレッドのリボンが結ばれている。


スカートは膝丈のプリーツ。生地にはうっすらと光沢があり、質の良さが一目でわかる。


“本物の品”を感じさせる制服だった。着ている生徒たちも、どこか背筋が伸びて見える。


美亜ちゃんは、いるのだろうか?


胸がドクドクと鳴る。


会えるかもしれない。


いや、たとえ姿を見つけられなくても、この場所に来られただけで今日は十分だ。


さすがに止まって眺める訳にはいかないので学校の周りを3周ほどした。


……完全にやばい奴だ……。


周っている間にも校門がら生徒が続々と出てくる。


もう1回周ったら帰ろう、と思い校舎の横を通過する際ついに……美亜ちゃんは現れた。


背も高くなっていて、すらりとした長い手足が紺色の制服を完璧に着こなしている。


肌は白磁の様に白く、さらりと肩まで伸びた栗色の髪は、午後の日差しにふわりと揺れて輝いていた。


あまりの神々しさに、一瞬、息が止まった。


変装している僕には全く気がついていない。


もう十分だ。


ああ、よかった…。


帰ろう…。


そう思った、その瞬間だった。


———突風が吹いた。


慌てて帽子を押さえようとしたが、間に合わなかった。


帽子は風に舞い、ふわりと宙を描いた。


「あっ!」


次の瞬間、目の前で美亜ちゃんがその帽子を拾い上げていた。


……嘘だろ……。


心臓が止まりそうになる。


幸い、顔は見られていないが、僕はその場から一目散に逃げた。


…あの帽子は…。


プロ野球チーム「夕霧ブルーバーズ」のキャップ。


小学生の頃からずっと被っていた、お気に入りの帽子だ。


そして、母さんがツバの裏に書いた名前……。


『黒野 元一』


すべてが、終わった。


完全に終わった。


胸の奥が、ズキンと痛んだ。


なんて間が悪いんだ、僕は。


いつだって、こうだ。


小さい頃から、ずっと――。


逃げるようにペダルを漕ぎながら、僕はただ、泣きそうになっていた。

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