第16話 コンクール 黒野目線
2009年11月28日 日曜日
小学生最後の秋「木漏れ日ピアノコンクール」で午前の部のラスト。僕はエリック・サティの《ジムノペディ第1番》を弾き終えた。
順位が出るとはいえ本戦には繋がらない、ホール主催の小学生向けのコンクール。
だからこそ、僕は1番好きな曲を好きなように弾いた。
しかし、会場の拍手はまばらで、皆すぐに席を立って行くのがわかった。
午前中の最後だったので、お昼休みが待ち遠しいかったのかもしれない…。
そうと思うと少し悲しくなった。
そんな中、そこだけスポットライトが当たったかの様に、最前列にいる美亜さんの姿が目に入った。
栗色の髪の毛に、白いドレスを身に纏ったその姿は、外国のお姫様の様だ。
1人いつまでも拍手をし続けてくれる彼女を横目に、僕は舞台袖へと向かった。
美亜さんは現在小6で同い歳、インターナショナルスクールに通っているお嬢様だ。
お父さんがイギリス人、お母さんが日本人のハーフで妖精の様に可愛らしい。
白亜の洋館に住んでいると言う噂だ。
性格もよく、ピアノも抜群に上手い。英語も堪能でバレエもフランス語も習っているらしい。
同じアルティス音楽院に通っているけど、教室は完全予約制の為、殆ど接点はなかった。せいぜいレッスンの前後にすれ違う程度だ。
しかし、去年の「木漏れ日ピアノコンクール」のお
昼休みの昼食会で、少しだけ話しかけてもらえたのだが、緊張して会話にならなかった事を思い出した。
実は僕…美亜さんに気がある。
でも、特に「話したい」とは思わなかった。
もともと女子と話す事が苦手なので、遠くから見ているだけの「憧れ」としての存在だった。
ランチは会場に併設されたイタリアンレストラン「ピッコリーナ」だ。
メニューの表紙を見るとイタリア語で「小さくてかわいい」と言う意味の説明が添えられていた。
その響きが既にかわいらしいよな…。
そう思った。
“両親と食べてもいつもと変わらない”という事で大人同士、子供同士で食べるのが毎年恒例。予約した段階で料理の注文も済ませてある。
6人席に5人座る。同級生の美亜さんと沙希さんと僕、5年生の凛さんと4年生の山田君が席に着いた。
「黒野君の『ジムノペディ』すごく素敵だったね」
美亜さんが僕に話しかけてくれた。
「……ありがとう……」
「黒野君、午後も聴いてくれるよね?」
プログラムでは、美亜さんは午後の部に「華麗なる大円舞曲」を弾く予定になっている。
「……うん、聴くよ……」
そう答えるのが精一杯だった。
去年と同じだ。きちんと返したいのに、緊張しまくりでどうしても言葉が見つからない。
皆が早々に席を立っていった中、僕の演奏に最後まで拍手をしてくれた美亜さんに、もっとちゃんとお礼を言いたかったが、それすら上手く言えない自分が情けなかった。
黒いエプロンをした、かっこいいウエイトレスさんがピザを運んできて、僕達は自然と食事にすることになった。
美亜さんが大きな瞳を輝かせながら、美味しそうに食べている。
今のシーンがCMに起用されたら「ピザの売り上げ爆上がりだろうな」…と思っていたら、がっつり目があってしまった。
……うわぁ、めちゃくちゃ気まずい……。
「な〜に、黒野君?」
大きな瞳でこちらを見つめてくる。
……時間が止まった……。
「……あ……いや、美味しそうに食べるな……そう思ってさ…」
「うん、ピザ大〜好き!でも、もう全部食べちゃったよ。ふふっ♡」
美亜さんは満面の笑みで答えた。
うぉ〜〜、めちゃくちゃかわいい…。
「…僕の一切れあげようか?お腹いっぱいなんだ」
「えっ…いいの?…食べたい!」
「…どうぞ…食べな…」
ピザはすごく美味しくて、本当は全部自分で食べたかったけど、それは僕なりのお礼だった。
演奏を聴いて、あんなに拍手してくれたことへの、ささやかな気持ち。
それに素直に「食べたい」と言ってくれたのが、本当に嬉しかった。
……でも、その一方で気にもなる。
周りの子たちに「黒野がピザで気を引こうとしてる」なんて思われてないだろうか?
胸の奥がザワザワする。美亜さんは、常にみんなの注目を集める人気者なのだから。
そんな事を考えていたら、美亜さんが泣きそうになるのを必死に堪えている様に見えた。
しかし、次の瞬間、本当にポロポロと涙がこぼれ落ちた。
さっきまで、あんなに楽しそうにしていたのに…。
何かすごく嫌な事を思い出してしまったのか、気がかりな事があるのか…。
その変化があまりにも突然で、戸惑いと共に心配になった。
それにしても泣いている顔もめちゃくちゃかわいいな…。
しかし、他の子の反応は違った。
「ハッハッハ〜!!」
山田君と沙希ちゃんがそれを見て、大爆笑し出したのだ。
凛さんだけは、真顔で笑ってはいない。
「ピザ恵んでもらって、そんなに嬉しいの?超金持ちなのに?」
山田君が言う。
「美亜ちゃん、超ウケる~アハハ!!」
沙希さんが馬鹿にする様に言う。
「………」
「僕のもあげるよ アハハ!!」
「私のも」
次々にピザが美亜さんのお皿の上に乗せられていく。
何かがあって泣いているのは、誰の目にも明らかなはずなのに…。
こんな時にからかうなんて、ひどい…。
それに……こんなにたくさん、食べられるわけがないじゃないか?
「ちょっと、やめなよ!!」
凛ちゃんだけはみんなをたしなめていた。
この子は偉いな。おとなしくて、あまり喋らないけど、人に流されず、自分の世界を持っている。
それに比べて、情けない僕は何も言えなかった。
さっきピザをあげ、更にかばったりしたら「黒野は美亜さんの事が好きだ」とか言われかねないと思ってしまったからだ。
「もういいよ…。…ゴメンネ…」
そう言って、美亜さんは静かに席を立った。
「…ねえっ…、ちょっと!…怒っちゃった…」
沙希さんが慌てて呼び止めたけど、美亜さんは振り向くこともなく、そのままレストランの出口へと歩いていってしまった。
食べ終わったあと、テーブルの空気が気まずくて、僕はひとりロビーへと足を向けた。
すると、ホールの片隅に置かれた「ご自由にお弾きください」と書かれたアップライトピアノに向かって、美亜さんが静かにピアノを弾いていた。
白いドレスを静かに揺らしながら、弾いていたのはチャイコフスキーの《白鳥の湖—情景》。
哀しみを帯びた旋律が、ロビーの静けさの中で柔らかく響いていた。
素晴らしいピアノアレンジだった。
弾き終わると周りに誰もいなかったので、思い切って声をかけることにした。
さっき、かばってあげられなかったことと、僕の演奏で拍手してくれたことの気持ちを伝えたかったからだ。
「……やっぱり、すごいね……」
口下手の為、案の定言葉が詰まってしまい上手く言えない。
「黒野君?」
驚いたように顔を上げた美亜ちゃんと目が合った瞬間、気がついたら手を握られていた。
女の子に手を握られたのは初めてだった。
もちろん自分から握った事もない。
男子の手とは全く違う。
すべすべで柔らかくて温かい手…。
自分でも赤面しているのがわかるほど、顔が熱くなっていた。
なぜ手を握られたのかもわからず、心臓の鼓動が耳まで響く。
「ねえ、2人でどこかに行こうか?昼休み、そんなに残ってないけど…」
唐突にかけられた言葉に、頭が真っ白になる。
まさか、こんな展開になるなんて——
「…うん…」
驚きとうろたえの中で、僕は何とか頷いた。
次の瞬間、美亜ちゃんはドレスの裾をふわりと持ち上げて、嬉しそうに走り出した。
「ちょ、ちょっと待って」
慌てて後を追う。
ホールの出口を抜けると、美亜ちゃんの栗色の髪と白いドレスがふわりと揺れた。
外の世界の正午の陽の光は、とてつもなく眩しく感じた。
いまだかつて、こんなにも眩しく感じたことなんてあったかな…。
「こっちよ!」
「…はぁ…はぁ…なんで…そんなに速いの…」
「ふふっ、ごめんね。つい…」
その後ろ姿を追いかけながら、物語の世界へと誘われ行くのを感じた…。




