第13話 動物病院 美亜目線
2009年11月15日 日曜日
今日は午後からのバレエとフランス語のレッスンを休んで、パパとセリーヌの為に動物病院に行く。
意固地になってしまって、今更ながらママに少し申し訳なく思う。
でも、セリーヌのことはどうしても譲れなかった。
パパのジャガーに、セリーヌと一緒に後部座席に乗り込む。
ブリティッシュグリーンのボンネットが、午後の空を柔らかく反射している。
パパはイギリスに誇りを持っている。だから、車もイギリス車だ。私もこの車が好き。特に、フロントに輝くジャガーのエンブレムが可愛くて、見るたびに少し嬉しくなる。
後部座席はちょっと狭いけれど、セリーヌはそんなことは気にしない。ドライブが大好きで、窓の外を楽しそうに眺めている。
私は窓を開けてあげた。
11月の少し冷たい風がセリーヌの長い毛をふわりとゆらす。
こうして外の景色を眺める時間は、セリーヌにとって至福のひとときなのだろう。
ただ、その先に待っている動物病院のことは、まだ気づいていないみたいだけど…。
「……くぅん?」
小さく鼻を鳴らし、ちらりと私を見上げる。
何かがおかしい。
そんな顔をして、もう一度窓の外を確認する。
でも、車は減速し、駐車場に入る。
「……クゥゥゥゥゥン……!!」
セリーヌの目がまん丸になった。
尻尾はピタリと止まる。
もう、言い逃れはできない。ここは間違いなく、セリーヌの嫌いな動物病院だ。
震えながら、後部座席の隅にじりじりと後ずさる。
「…大丈夫よ…」
そんな彼女を優しく撫でた。
すると、セリーヌは私の腕に顔をうずめてきた。
車から下りると、セリーヌはゆっくりと顔を上げた。長い毛が、ふわりと揺れた。
「……くぅん?」
「ほら、セリーヌ、行くよ!」
身体は大きく優雅なのに臆病なセリーヌが可愛くてしょうがない。いつまでも一緒にいたい。
だから、今日ここにきたのだ。私が優しく抱きしめると、セリーヌもようやく堪忍し、ゆっくりと立ち上がった。
病院の自動ドアが開くと、独特の消毒液の匂いが鼻をかすめた。
セリーヌは、一歩足を踏み入れた途端、ピタリと動きを止める。つややかな長毛をふわりと揺らしながら、じっと周囲を見回した。
待合室には、キャリーケースに入った猫、飼い主の膝の上で震える小型犬、そして、どっしりと床に伏せている大きなラブラドールがいる。
どの動物達も本当にかわいいなぁ。
「セリーヌ、座って」
「セリーヌちゃんですね。今日はどうされました?」
受付のお姉さんが笑顔で声をかける。名前を覚えてくれていて嬉しい。ここは私が答える。
「……ちょっと最近、疲れやすいみたいで……」
問診票を書いている間も、セリーヌはじっと動かない。まるで時間が止まったかのように、静かに丸まっている。
「診察室、どうぞ」
名前を呼ばれた瞬間…セリーヌのしっぽが、さらにギュッと縮こまる。
診察室に入ると、白衣を着た年配の男性の獣医さんが微笑んだ。
「セリーヌちゃん、こんにちは」
セリーヌは診察台の上で、石像のように固まっている。
「今日はどうしましたか?」
獣医さんが父に向かって話しかける。
私が騒いでここまで連れてきたのだ。
だから、ここも自分で答える。
「こんにちは……最近、疲れやすくて、散歩の途中で座り込むことが増えました」
「他に気になることはありますか?」
「食欲はあるんですけど、ちょっとずつ減ってる気がして。お腹も、なんか……少し硬いような……」
自分の言葉が正しいのか、不安になりながらも伝える。パパは、黙って横で聞いていた。
でも、ほんの一瞬、「補足しようか?」と迷ったような気配があった。それでも、私が最後まで話すのを待ってくれた。
「…なるほど…。しっかり観察していますね」
獣医さんが、私に向かって優しく頷いた。
「ええ、しっかりしてるでしょう?」
パパが、誇らしげに笑った。
獣医さんはセリーヌの腹部を優しく押しながら、少し考え込んだ。
「硬さがありますね…。念のため、血液検査をしましょう」
セリーヌは、診察台の上でじっとしている。
「ちょっとチクッとしますよ」
獣医さんがそう言うと、セリーヌがピクリと動いた。
血液検査の結果が出るまで、しばらく待合室で待機することになった。
30分後
再び診察室に呼ばれ、獣医は検査結果を見ながらゆっくりと口を開いた。
「肝機能の数値が、だいぶ高めですね」
「……どういうことですか?」
私は思わず身を乗り出した。
「肝臓に炎症がある可能性が極めて高いです」
私はセリーヌを撫でながら、獣医さんの言葉を待った。
「超音波検査もしてみましょう」
「はい」
——エコー検査の結果。
「……やはり、肝臓の形が変わっていますね。慢性肝炎の可能性が極めて高いですが、確定診断のためには、もう少し詳しく調べる必要があります」
「…詳しくって…?」
「組織検査を行えば、より正確な診断ができます。ただ、慢性肝炎は早期に治療を始めることで、進行を遅らせることができます。治療を考えながら、追加検査を検討しましょう」
「はい、お願いします」
…やはりよくないみたいだ…。
でも、早期治療ができそうで、ひとまずほっとした。
「それにしても、よく気がつきましたね?発見が遅かったら命の危険がありましたよ」
獣医さんは今度はパパに向かって言った。
「はい、この子がどうしても病院に連れていくって、とても大騒ぎね」
パパが私の頭をポンポンと軽く叩く。
「へえ〜、君が気づいたのかい?」
「はい!」
獣医さんが、まじまじと私を見つめる。
「本当にすごいな!!」
「この子は、将来、医者になりたい」
パパが、ちょっと得意げに言う。
……微妙に日本語が変な事がある。
「じゃあ君が医者になったら、僕も診てもらおうかな?」
「はい!ふふっ」
「はははっ」
獣医さんの優しい微笑みで、みんな笑顔になる。セリーヌもどこか嬉しそうだ。
慢性肝炎の可能性は高いですが、確定診断のためには組織検査を行う必要があります。」
「組織検査……?」
「肝臓の細胞を少し採取し、詳しく調べます。鎮静剤を使うので痛みはほぼありませんが、結果が出るまで数日かかります」
…なんか色々と面倒なんだなぁ…。
セリーヌは何も知らず、穏やかな顔で私を見つめていた。
「お願いします」
30分後、処置を終えたセリーヌが戻ってきた。
少しぼんやりした表情で、しっぽの動きも鈍い。
「鎮静剤の影響ですね。今日1日は安静にさせてください」
私はセリーヌの頭をそっと撫でた。
「結果は数日後にお伝えします。その時に今後の治療方針を決めましょう」
「……はい……ありがとうございました」
私とパパは深々と頭を下げた。
病院を出ると、冷たい風が頬をかすめた。
結果を待つまでの時間が、すごく長く感じられそうだなぁ。そう思った。
1週間後
検査結果の連絡が来た。セリーヌはやはり 「慢性肝炎」だった。
詳細を聞くために、再びパパと動物病院へ行き、獣医さんから説明を受けた。
状態は良くはないらしいけど、適切な治療をすれば進行を抑えられるらしい。
「お薬を飲みながら、定期的に検査をしていきましょう」
そう言われて、少しだけほっとした。
病院を出ると、太陽が眩しく、空も青かった。
風もひんやりしていて心地よい。
セリーヌの頭を撫でながら、小さく息をつく。
「…ふぅ…もう、大丈夫だよ。一緒に頑張ろうね」
セリーヌは、何もわかっていないような顔で、ふわりとしっぽを振った。
…ああ…これでセリーヌだけでなく、家族全員が助かった……。
…えっ?
家族全員…?
な、何なんだろ…今…の?




