7.壁ドン
「どうして給金を送って来ないのよ!」
まさかの義妹本人がやってきた。しかもこっそりとだ。
実家から馬車が待っていると下男に告げられ慌てて外に出た。
すると馬車の中に引っ張り込まれ、義妹カーリンは私の服を掴んで怒鳴った。
「お姉さまのせいでパーティーに行けなくなってしまうじゃないの!」
ピンクブロンドに小柄な容姿。見た目だけなら可愛らしいのに、性格の可愛らしくない義妹は、きゃんきゃんと子犬のように吠えている。
「カーリン……私はお母様が残してくれたお金だけで生活して、学校を卒業したのよ。貴方たちの世話をしたけれど、世話にはなっていないのよ。分かる?お金を送る義理なんてないのよ」
「何を言っているのよ!住まわせてあげたでしょう?恩を返さないつもり!?追い出せば良かったわ!!」
「充分にもう返したでしょう?それこそ追い出せば良かったじゃない。貴族社会は虐待に厳しいわよ、カーリン」
「着飾らないと縁談が決まらないじゃない!!」
どうやら結婚相手が見つけられていないらしい。
父はどれだけお金のやりくりが下手なのだ。給金でドレスなど買えない。母が生きていたころはこうじゃなかった。子爵家は、もうここでおしまいなんじゃないかと思う。親族の男の子が継ぐはずだけど、負債が多ければ逃げられるかもしれない。
「カーリン、あなたは本当は賢いし、とても美しいわ。現実を見なさい。義理とは言え、私たちは姉妹、同じ家の子。私たちは二人とも、あの子爵家の子なのよ。貧乏な、ね。あの家の子が、そう簡単に結婚相手に望まれると思うの?」
「何を言っているのよ!お義姉さまはずるいわ!公爵様の専用メイドだっていうじゃない!専用……!?ってなによ!?いやらしいわ!どうやったの?体で落としたの……?」
!?
「カーリン……夢を見るのはおよしなさい。私たちはろくなものを食べて育たなかったから、男性を誘惑出来るような体付きをしていないわ……」
「酷いわ、お義姉さま……!」
メソメソと泣く義妹は、どこかオバカ可愛く思えてしまえて、突き放すことが出来ずに実家では世話をしてしまっていたのだ。
「現実を見なさい。いい、あなたは可愛いわ。そこそこ幸せになりたいのなら、もう貴族社会から離れなさい。あんな家に近付きたい人なんていないわよ」
「そんなー……」
「本当にいないの?プロポーズしてくれている人は?どんなあなたも可愛いって言ってくれる人は?」
「居るわ。学園で声を掛けてくる商人の家の子……でも……」
「まぁ、素晴らしいじゃない!いい?考えてみなさい?その人の隣で10年後、自分が笑えているかどうか。貧乏な子爵家でつつましい食事とつつましい身体をした自分が幸せかどうか」
「その子は裕福な家の子よ。その子の家なら、きっと美味しいものを食べて過ごしているわ。うん……考えてみる。帰るわ。お義姉さま……」
言いくるめて帰らせる。
アホだ。アホの子だ。だけどそれで良かったのかもしれない。
あの子もまた、子供の成育環境として悪い場所で育った、親の庇護が無ければ生きられない子供だったのだ。考えすぎたら病んでしまう。私のように。
ふぅ、とため息を吐いて、これからのことをまた考える。
実家には、もう帰らない。縁を切る。
幸せだったのはお母様が生きていたときだけ。お母様が亡くなったときに、全て終わったのだ。お母様のドレスも宝石も奪われて。私には何もなくなった。
ただ必死に生きて一人立ちして。今の私に大事なものは、たった二つだ。お母様の記憶と……そうして、アーデルベルト様の記憶。
心を温かくして支えてくれる、この宝物が亡くなったら、私はもう、私ではいられなくなるかもしれない。
裏庭を掃除中、実家のことを考えてぼんやりしていると、いつの間にかアーデルベルト様が後ろに立って居た。
「マーラ、どうかしたのかい?」
「アーデルベルト様……」
「二階の窓からね、見えたんだ。元気がなさそうに見えたのだけど」
「……」
そんなに心配されるほど、様子がおかしく見えたのだろうか。
「いいえ、なんでもありません。アーデルベルト様」
そう言って微笑むと、彼は困ったような表情をする。
「ねぇ、マーラ」
「はい」
「君はいつも俺の話を聞いてばかりだろう?俺の心配をしてくれて、身を案じてくれている。それを、疑ったことなどないよ」
「……」
そんなことを言われたのは初めてだった。それは当たり前のことだ。だって彼は私の大事な人なのだから。
「君と同じように、俺も君の話を聞きたいし、心配をさせてほしい。君が想ってくれているように、俺も同じ想いを返したい」
アーデルベルト様の台詞を聞いて、私はふふふ、と笑ってしまった。
「どうして笑うのだ」
「だって……そんな……そんなのは……」
ないない、絶対ない、としか言えない。私の想いは二つの人生分あるのだ。
どちらの人生でも、一番の宝物が彼の記憶。重すぎるのだ。
「お気持ちがとても嬉しいです。元気を貰えます」
「……」
笑ってそう言って話を終わらせようとすると、アーデルベルト様が急に私の腕を掴んだ。
え?と思って見上げると、真面目な表情で睨むように見下ろされている。なぜだか圧を感じる。
そうして腕を引っ張られて歩かされ、いつもの執務室に入ると、彼は私を壁に押し付けた。
反対側の手を、音を立ててアーデルベルト様が壁に付ける。
……これではまるで壁ドン。
「マーラ」
かすれるような低い声が私の名前を呼ぶ。
「マーラ」
どんどんと美しい顔が私に近付いてくる。
驚いて目を見開いている私の頬に彼の吐息があたる。ぞくりとして身動きが取れない。
「マーラ」
今度は、私の耳元で囁かれる。
ひっぐぐ。息が止まる。自分の。
「君の全てを、俺が暴いてもいいのだろう?どこまで。どこまでなら触れるのを許してくれるのだ?なぁ。マーラ」
そう言って彼は私の首筋に優しく指先を添わせていく。
あばばばば。
頭に血が上り過ぎて死んでしまう。
血管が切れてしまう。
死ぬ。
死ぬーー!!
ふぅ、と少し息を吐き、アーデルベルト様は体を放した。
「すまない。やり過ぎた……」
「はぃぃ……」
目が回る。刺激が強すぎる。やはり私には無理だ。アーデルベルト様のめくるめく成人指定付きの人生に付いて行くことは出来ない。
だけど、それにしても一体急になぜ。
「むきになった。……自覚している」
「え?」
「すまない……本心で案じているのに、笑って交わされて、伝わらないことに、焦れた。恐らくそういうことだ」
「……」
そうだ、私は何も答えずに、笑っていた気がする。
「男に押さえつけられ、恐ろしかったことだろう。もう二度とこのようなことはしない。レナウドの屋敷に行ってもいい。後日メイド長に返事をしておいてくれ」
なんだか想像以上にダメージを受けて項垂れていらっしゃる。
「あ、あの……アーデルベルト様、お顔を上げてください」
顔は真っ赤になっているだろうけれど、本当に嫌なわけではなかったのだ。
むきになるだなんて、そんな衝動的な一面があったのかと、私の中で新しい発見があって、ただただ嬉しいだけだ。
「私は、嫌な思いなどしていません。驚いただけです。それに、アーデルベルト様は私が本当に嫌がることなどされないでしょう?どんなことでも、いつも私の許可を取ってくださいます。いつでも触れていいと言ったのは私です。もちろん、許容範囲はありますが、謝ってくださいましたし、理由も理解出来ます。気になされなくていいですよ」
「無理をしているのではないか?」
「していません!あの……もう一度触れてくださっても構いませんので」
手を伸ばすと、そろり、と彼の手が重ねられる。
もう何度も触れ合ったアーデルベルト様の温かな手。彼はまっすぐに私を見つめている。
「マーラ、近付いても?」
「え、ええ」
もう一度、とても近くに彼が立ち、美しい瞳が私を見下ろしている。
「本当に触れるのは嫌ではないのか?」
「ええ、これくらいでしたら……」
「心を読まれるのは?」
「他の方でしたら無理ですが……アーデルベルト様なら、恥ずかしいだけです。構いません」
「……なぜ俺ならいいのだ?」
「ずっと私の心を満たしてくれた方、だからでしょうか。辛い人生でも、乗り越えられる力を貰えましたから」
「辛かったのか、マーラ」
「そうですね……楽ではありませんでした」
「俺以外に満たされるものはなかったか?」
「えぇ……見つけられてないだけかもしれませんが」
「……マーラ。君のことが知りたい」
え?と彼の瞳を覗き込むと、そこに含まれた甘さを見つけてしまう。
魅了にかけられたような瞳とはこういうことを言うんだろう。私しか見つめていない。キスを、されるんじゃないかと……そう思えてしまうような彼の瞳。
――どうして?
「君のことを知りたいんだ」




