4.公爵様付けメイド生活
爽やかな朝だ。
窓を拭きながら緑豊かな庭を眺めて清々しい気持ちになる。世界は決して薔薇色に染まってはいない。
あれから私は少しだけ、アーデルベルト様と出逢ってからのことを頭の中で整理していた。
(私、魅了魔法かけられているわよね……?)
初日に空き部屋でお会いした時、アーデルベルト様の宝石のような瞳がさらに美しく輝いた。
そうしてアーデルベルト様に何か言われて、出逢ったことそのものを忘れたような、そんな感じに思えた。
魅了魔法といえば、もっとこう好意を持ったりとか惚れたりとかを想像するけど、そう言えばゲームの中でもいつも何かを命令してたんだからそりゃそうか。
私はもともとアーデルベルト様に好意を持ってるけど、その気持ちは変わったんだろうか。自分では分からない。何も変わらず尊いと思う。いつでも目がハートになる自覚もある。それはたぶん元々だと思う……変化があるのか分からない。
やっぱり2日目に思い出したとき、もう命令は切れていたと思うのが妥当なのかも。
うーん、と考えているとメイド長に呼び出された。配置換えよ。と。
「あなた、何か特技などあるの?」
「特技ですか?」
「公爵様に気に入られるような、特別な技よ」
……なんだろう。私の腐った心のフィルターを通して考えてはいけないような台詞を聞いた気がする。
「んんっ、いいえ、私は働き出したばかりの身、経験不足で足りないものばかりでございます」
「そう?何もないの?おかしいわねぇ」
「はい?」
「公爵様はね、あまり若い女性を側に寄せ付けないようになされてるのよ。ほらあのご容姿だから、気を付けていらっしゃるの。初めてよ、誰かを自分付のメイドにしてくれなんて」
「はぁ……」
「まぁあなたは熱心だし、素直だし、真面目だし、何より話すと面白いところあるし……まぁたぶんそれよね。頑張ってみなさい。何かあったら言ってね」
「はい、ありがとうございます……」
話すと面白いところあるし、ってなんだろう。
その日から私はアーデルベルト様にお仕えした。
「失礼します」
執務室に入ると、真面目な表情で書類仕事をされているアーデルベルト様のお姿があった。
首元の緩められたシャツを着ているお姿は世界で1番美しく、真面目な顔つきと装いのゆるさの生み出すギャップは彼独特の耽美ささえも生み出している。この世の美……っ!!
紅茶をデスクでお入れするだけの簡単なお仕事。『お仕事中のご主人様は集中されているから、静かに入れて退出すること』そう言われていたから何も話しかけないつもりだったのに、アーデルベルト様は私を見つけると口角を上げた。
「待ちなさい」
「はい」
「さぁ、手を出してごらん。マーラ」
ん?
そう言いながら、形の良い指先を私に向けてくる。
「いつでも、心を読んでいいのだろう?」
目の前に向けられている美しすぎる御手。
ん、んんん?
まさかこれは。この手の上に私の手を重ねろということなのでは?
「触れ合わなければ、分からないだろう?」
「あ、はい、そうですね」
そう触れあいは心の触れあい。一方的に覗かれるだけだけど。
しかしなぜ、私はいきなり人生のご褒美にぶち当たっているのだ?
幸せ貯金をここで一気に失うということなのではないか?
ぐっ。触れ合うことが前提だということを忘れていた。これでは私は幸福に殺される。
「さぁ、マーラ。……それとももっと、深いところで触れ合いたいのかい?」
ふ、深い所って!?
いやいやいや、さすがに冗談か脅しだ。
だってアーデルベルト様の今の笑顔はあまりに楽しそうで、揶揄っているような、そんな表情だ。
とはいえ、手よりましなところも思いつかず、どこもかしこも、もっと心臓が止まってしまいそう。
ぐぎぎぎぎぎっと無理やり体を動かし、手を重ねる。気が逸れるようにと念仏を唱えだしたけれど覚えてないので途中で止まった。なんの意味もない。平常心!
「小さい手だな」
ちょっとー!!指先で撫でないでくださいよ!!無が遠ざかる!
「なぁマーラ、今はどう思っている?」
し、死ぬ……。
「俺が恐いか?逃げ出したいか?心と言葉があっているか確認させてくれるかい?」
これはなんのプレイなのだろうか。
薄目を開けると、アーデルベルト様は思いの外真面目な顔つきになっていた。少し不安そうな、探るような目線が私に向けられている。
ああ、そういうことですか。それならば。私は今は……。
「恥ずかしくて耐えれません……」
「……」
「顔、赤いですよね。ごめんなさい。私……男性と手を繋いだこともないんです」
厳密に言うと学園でダンスの授業の時に手を触れているけれど、あれは繋いだうちには入らないだろう。
「ごめんなさい。私……慣れていなくて……」
全く免疫がないというのに、この世で一番異性を意識してしまう人と手を繋いでいる。
心臓が爆発しそうだ。怖くて恐ろしいのは、自分の中の彼への熱量だ。アーデルベルト様が怖いんじゃない。
「アーデルベルト様は恐ろしくはありません。けれど、恥ずかしくて、嬉しくて、私が私じゃなくなるようで、自分が怖いのです」
もう泣き出しそうになっていると、そっとアーデルベルト様の手が放される。
そうして顔を上げると、アーデルベルト様の頬もほんのり朱に染まっている気がする。
「……驚いた。想像以上の初心さだな。ああ……先入観だな。あんな記憶を見たあとだから」
そうして照れたようにアーデルベルト様は片手で顔を隠す。沈黙が、私たちの間に落ちる。
照れ顔のアーデルベルト様なんてゲームの中でも見たこともないほどレアなお姿なのに、堪能している余裕もなく、私は両手で頬を押さえる。落ち着けー、落ち着け私。
「すまない。むやみに触れていいものではなかった……」
「いいえ、私がいいと言ったのですから。な、慣れますので、きっと、たぶん。触れなければ、記憶を見てもらえませんから」
「……」
お互いに落ち着くまで時間を取って、それからアーデルベルト様は言った。
「分かった。しばらく、言葉で教えてくれ。それで構わない」
優しく気遣う笑顔を向けてくれた。
「いいのですか?」
「まともに話せそうもないしな、お互いに」
これからはお茶の時間に私の記憶を話すことを約束した。
それにしても、魅了魔法は、今日はかけられていない気がした。たぶん前回も。……あれ?かけられなくてもいいものだっけ?
私は何かを忘れている気になって、首を傾げる。何を忘れているんだろう?
その日は夜までずっと、手をじっと見つめた。
この手の先に、アーデルベルト様を感じたのだ。
あれは、あの記憶はゲームのものだったのに。アーデルベルト様からは、体温を感じとれた。異性の、長い指の大きな手だった。
かつては実在しないことに絶望したこともあったというのに、今は実在することに打ちのめされそうな気持ちになる。
アーデルベルト様は魅力的過ぎる。
彼以外の人だったとしたら断るようなことでも、抗えずに、どうにもこうにもお力になりたくなってしまう。
これは推し活のうちに入るのだろうか。
そう言えば3次元にも2.5次元にも推しはいたこともない。私にはきっと2次元が丁度いい。
「だって無理だよおおおぉぉぉ……っこれからアーデルベルト様のめくるめく性生活が始まっていくなんて!!」
頭を抱える。
いくらメイドとは言え、お近くで見守ることなど不可能だ。3次元であらゆる経験のない私の許容範囲を超えている。
よし、逃げよう。
うん、それがいい、そう結論付けて、明日のメイド生活に向けて寝ることにした。アーデルベルト様はお優しい。ある程度記憶を読んでもらった後に紹介状を書いてもらおう!
だからそれまでだけ、悔いが残らないように、少しでもお役に立っておこう。
少しでも、心のフィルムに彼の姿を焼き付けておこう……。




