2.メイド生活
昨日は仕事で疲れていた気がするけれど、一晩寝たらだいぶすっきりしていた。
なんだろう。いい夢を見たあとのような、幸福感に包まれている。
「どんな夢見たんだろ」
ふふふ、と笑ってしまう。
窓を開けると天気が良い。朝日が眩しくて、空気は美味しくて。
何故だか心がわくわくとする。
「メイド生活最高……!」
実家を抜け出した開放感と言ったら。
「良い職場で良かったな」
本当は少し不安だった。虐げられていたとはいえ、市井の民と比べたら、守られて育っている貴族子女だったのだ。学校を卒業した程度で何が出来るんだろうって。
だけどきっと、みんなこんな風に生きているんだろう。
メイドの同僚たちは、私より若くてもとっくに親元を離れて働いている。日々自分の出来ることを懸命にやるしかない。そうして何とか生きて行く。今はきっと順調な方なのだ。
……うん。思っていたよりもなんとかなりそうな気がする。考える間もなく体を動かす肉体労働も、今の自分には合っている気がする。
「……今日も頑張ろう」
出来ることをやるだけだ。
働いて、お金を貯めて、一人で生きていけるようになりたいのだから。
「マーラは楽しそうに仕事をするわね」
同僚に、呆れられるようにそんなことを言われてしまう。
「皆さん良くしてくださいますから。働いていて楽しいです」
「ふふふ」
同僚たちが笑う。
メイドたちは色んな人がいた。私より若い子、お子さんの居る人、子育てがもう終わった年頃の方もいる。
「そんな嬉しそうにする仕事じゃないのよ」
「ねぇ、嫌々来てる子も多いのに」
「マーラはちょっと世間知らずだけど、ニコニコと聞いてくれるからやりやすい」
「綺麗なのに飾ってなくて……勿体ないけど、感じはいいわよね」
色んな方の話を聞けるのはとても面白い。
綺麗?そんなことは言われたこともなかった。
今までの貧乏な子爵家でも、こうして使用人のように働かされていたけれど、少ない使用人たちも私には話しかけてこなかった。だから仲間のようにおしゃべりに混ぜてくれるのは、本当に楽しい。
「皆さんの方がお綺麗ですよ。お手入れされていてとっても素敵ですよ!」
「そりゃあねぇ」
「だってこのお屋敷ですもの」
「皆美意識に目覚めさせられるのよねぇ」
同僚たちが目配せをし合って微笑んでいる。
はてな、と思っていると先輩が教えてくれた。
「美しい方がおられるのよ」
「美しい方ですか?」
「ええ」
「見たら分かるわ」
「美しいとしか言えない方よ」
なんだが皆さんの共通認識で「美しい」と思われている方がいるらしい。
「お姿をお目にするだけでいい、そう思えるような方よ……」
それはすごい……どんな方なんだろう。世間知らずな私には、まだまだ知らぬ世界が存在するようだ。
そう思っていたらメイド長が呼びに来た。
「マーラ、仕事は慣れた?」
「はい!皆さん親切に教えてくださいますから」
このお屋敷は、使用人たちがとても穏やかに働いていて、良い職場だ。
なんとなくだけど、きっと公爵様やそのご家族がお優しいんじゃないかと思っている。上に立つ者が良い人だと下の者も過ごしやすいものだから。出来るならこういった場所で長く務めさせてもらいたいものだけど。馴染めたらいいのにな。
「ご主人様が呼んでいるわよ。まだご挨拶していないでしょう?」
「はい」
すると同僚たちが瞳を輝かせて私を見つめた。なんだろう?小さく手も振っている。
もしかして、美しい方というのは公爵様なのだろうか?
ここは公爵様のお屋敷だ。貴族の出とはいえ平民と変わらない育ちの私には雲の上のご主人様。
少しだけ緊張して連れて行かれたご主人様の執務室の前で、メイド長が言った。
「ご挨拶してきてね。私は先に戻るから」
何故だか私だけ入るように言われて、メイド長は行ってしまう。
「……?」
そんなものかしらと少々疑問を覚えながらも入室し、私は、目の前にいるお方を視界に入れた。
高貴な雰囲気を漂わせる、若く美しい男性がソファに腰かけていた。
黒のスーツに身を包んだ彼は、長い足を気だるげに組み、優雅な笑みを浮かべて私を見つめていた。
端的に言うと、美、だった。彼は輝いていた。
絵画のようだった。神の筆で描かれた神の化身だった。
彼を形作る全てが完璧で、一つの紛い物も混じっていないように思えた。
まるで神々が作り給うた最高傑作。この世で一番尊い、人の形をした美。
『美しい方』
それが誰だか分かってしまった。
私は――。
この美しい人が、かつてとても『大好きだった』。
彼は間違いなく。
「アーデルベルト様……!?」
溢れかえる前世の記憶。どうして忘れていたのだろう。昨日、私は彼に会っていたのに!
前世で大好きだった大人向けゲームのキャラクター。大好きで、恋していた、たった一人の人。記憶が混乱するけれど、だけどもう二日目。昨日よりは少し落ち着いている気がする。
私は昨日、彼に会って、思い出したのだ。私は恐らく生まれ変わっているんだって。
だけど……この世界はゲームじゃない。辛いことが多かった今の人生。生々しい現実だ。ゲームなんかじゃない。
だから私のあたまがおかしいのかも知れないけれど……。記憶が間違っていなかったら、彼はゲームの中のキャラクターにそっくりなだけの人のだ。そう……そっくりなだけ、なのかも。
すーはー。すーはー。
はい。落ち着いて思い出してみよう。
目の前にいらっしゃるのは、誰? アーデルベルト・アルヴァノッサ公爵様!
あーーーー!!
……だめだ、絶対にご本人様だ。だって、彼が攻略して落としていくメンツを知っているのだもの。学園にいらっしゃった王子含めた上位貴族が軒並み落とされるのだ。学園のヒエラルキートップの方々のお顔と、記憶に残るゲームの中の痴態は同じ顔をしている。
ひ~~~~~!! 待って~~~~~~~!! この現実世界の高貴な方々のお顔をしているゲームの痴態画像を思い出すと、顔から火が出るよおおおおおおおお。あの方もあの方も~~!
いやいやいやいや、なんでどうして!? ゲームの世界に!? いやゲームが現実に!?
「ああ、確かに、アーデルベルトだ。……マーラ、どうして俺を知っているんだい?」
混乱している私に美しいお声が響いてくる。
気だるげな笑みを浮かべて、面白そうな表情をしていらっしゃるアーデルベルト様からは、恐ろしいほどの色気が駄々洩れている。その存在感だけで息の根を止められそうだ。
「お、お仕えさせて頂くお屋敷のご主人様でいらっしゃられますのでぇぇ……」
声がどうしようもなく震える。
「そうだね。けれど初対面だよね。ご主人様でも、公爵様でもなく、『アーデルベルト様』?」
ひぃぃぃ。問い詰められた。同級生でも『名を呼ぶことなど許していない!』とか言い放たれるやつだ。不敬過ぎた。どうしたらいいの。あああ、このままでは許されないぃ……。
「もも、申し訳ありませんでした。学園で私は後輩でありました。お顔を遠くから存じ上げておりましたので……」
「ふむ」
首を繋げておきたい一心で頭を下げる。実際は学園では見ていない。見ていたらその時点で思い出していただろう。何がどうしてこうなった?新しいお屋敷に入ったばかりだったのに。どうも記憶も抜け落ちてるみたい。
ぐるぐると頭を混乱させていると、アーデルベルト様の声が響く。
「いいよ、顔を上げてごらん」
「は、い」
びくびくと顔を上げると、いつの間にかアーデルベルト様は私の前に立って居た。
体が震える。今度はあまりの美しさに。
端正なお顔立ちは神が降りてきたようなオーラを放っている。吸い込まれそうなほどの、美しいルビー色の瞳に心を奪われてしまう。
私を見下ろしていた。長いまつ毛が影を作る美しい瞳。その視線から、揺れ動く髪の隙間から、首筋の白すぎる肌から、その全部から漂い続ける、どうしようもない大人の色気――とても、息が吸えない。
精神が、耐えらない。
そう思っているとアーデルベルト様は私の頬に指先を触れた。
は?
……指?
確かな体温。男性の、硬い指先の皮膚。…………息が止まった。
「君は何かを知っているんだよね?」
昇天する。
「君の知ってる俺のことを、教えてくれるかな?」
どんどん近づいてくるアーデルベルト様のお顔を直視出来ず、私は瞳だけを彼の指先の方へ向ける。手が、指が、近過ぎる。いや触ってる。あばばばばば。
「あ、あ、あっ、あの、あのっ」
「君は俺の何を知っているの?」
吐息が。いや、これは、何。
脅し?セクハラ?それともご褒美?
「君の心の声を聞かせてもらったよ。昨日ね?」
あああああ、そうだったぁぁ。昨日お会いしていた時触れられていた気がする。そうだ、アーデルベルト様は触れた相手の心の声が分かってしまう能力を持っていたのだった。
つまり、私の考えていることなどお見通し……。
え、お見通し?
待った待った待ったー!これはすごーく、まずくない?
「ゲーム?ってなにかな?」
ひいいいいいいいいいい。
「面白い絵面が見えたよ?あれは俺だよね?君は見たこともない世界に生きていた。それに……誰も知らない俺の秘密を知っていたね。これはどういうことなのかな?」
映像まで見えるのかよ!万能な能力だなぁ……じゃなくって!
「は、はぃ……?」
「さぁ、どうする?話してくれるかな?それとも、俺に、無理やりにでも暴かれたいの?」
すう、っとアーデルベルト様の指先が私の頬を滑りおり、顎を持ち上げたところで、背筋がぞわぞわと震える。
「そういう趣味があるのなら、付き合ってあげてもいいけれど」
趣味とは?
「あ、あ、あの」
「ねぇ、心の声を読む能力があるってなんだい?さぁ言ってごらんマーラ」
「あ、う、うー?」
これはもう完全に心を読まれている。
本当に彼はアーデルベルト様で、ゲームと同じ能力を持っているのかも。
だけど、読まれているならもう知っているだろうに、彼は私に語らせようとしている。
「俺の能力を知ってたね?」
「あううう」
「コウシキグッズってなんだい?答えられるかな?」
もはや奇声しか発していない私に執拗に語り掛けてくるアーデルベルト様。
「さぁ、言ってごらん。俺に嘘は通じないよ。知ってるよね。俺の能力はなんだい?」
意地悪そうに微笑んでから「嘘を言ったらおしおきだよ」と色気たっぷりに言われたのを最後に私は降参した。
おしおき。
おしおきとは。どんなことを。
生身のアーデルベルト様とおしおきの姿をもわもわ想像して、もう、精神の限界だった。
だっておしおきなんて見てみたい。どちらかというとされてみたい。
そんなことを一瞬でも思った自分が恥ずかしすぎて、精神が崩壊する。あばばばばば。
「心読と、魅了魔法でございます……」
「ふむ」
完敗です。ゲーム。公式グッズ。思い出したばかりのそれらは、私の頭の中を覗かれなければ出て来ない言葉。このお方は間違いなく私の心を読んでいる。
そうして読まれているのなら嘘を言ったら首が飛ぶんだろう。
慎重に……慎重に言葉を選ばなくては。死ぬ。
「あの……おっしゃる通りです。見た通りの記憶が私にあるのです。偽りは申し上げません。もう、心を読んでくださって構いません……」
そう言うと、アーデルベルト様は私から指先を放し、ふむ、と言った。
「いや……俺に分かるように、君の言葉で説明してくれるかな?君の記憶の中の情報は、俺には分からないことばかりなのだ」
「は、はい……」
確かにそうなのだろう。日本人の記憶なんて、そのまま見ても分かるわけはないよね。
そうして椅子に座るように促され、小一時間ほど、私はアーデルベルト様と語り合うことになったのだった。
けれど、その時間は、ただただ苦行だった。
嘘を言ったら胴体だけになる。恐ろしさに震えて、思いつく限りのことを答えて、それらをアーデルベルト様が聞き直してくれる。
「君はどこか知らない世界で育った記憶を持っている、と」
「はい」
「そうしてその世界には、ゲーム、という物語を楽しむ娯楽があり、それを楽しんでいた」
「はい」
「物語はいくつかに分岐し、未来は一つではなかった。さらに言うと内容は大人向けの卑猥なものだった」
「はい……」
「ふうん。思った以上に、面白い記憶を持っているんだね」
楽しそうに少しだけ頬を上気させて、一々色っぽく微笑まれるのを止めてもらいたい。
死んじゃう。
縮こまる私の前で、アーデルベルト様は腕を組み考えるようにして質問を繰り返す。
彼のなんでもない仕草は、一々私をどきりとときめかせる。何もかもが麗しくて、とても直視出来ない。
「そうしてそのゲームの主人公は、俺であった、と」
「はい……」
今は彼は私に触れていないけれど、いつ心の中が分かってしまうか分からないので出来るだけ嘘のないように語った。首はいつまでも繋げて置きたい。
「だが、俺にはどうしても分からないのだよ」
「はい?」
真面目な表情で、じっと私を見つめて言った。
「君のように若く美しい女性が、何故、俺のようなただの男が猥褻な行為をするだけの娯楽を楽しめるというのかい?」
もう、死にたい…………。
苦行の先に待ってるのは、極楽浄土ではなく、羞恥地獄だ。だがしかし、全ては今世に命あってのもの。本当のことを語らなければ彼には伝わってしまう。そうなると私には精神だけでなく本物の死が待っている。腹を括らねば。




