2.メイド生活
一晩寝たらだいぶすっきりしていた。
朝日は眩しく、空気は美味しく、何かいいことがあったような気がする。
「マーラは楽しそうに仕事をするわね」
同僚にそんなことを言われてしまう。いい夢でも見たのだろうか?だけど思い出せない
そう思っていたらメイド長が呼びに来た。
「マーラ、仕事は慣れた?」
「はい!皆さん親切に教えてくださいますから」
このお屋敷は、使用人たちがとても穏やかに働いている。働きやすい職場だ。
なんとなくだけど、きっと公爵様やそのご家族がお優しいんじゃないかと思っている。上に立つ者が良い人だと下の者も過ごしやすいものだから。出来るならこういった場所で長く務めさせてもらいたいものだけど。
「ご主人様が呼んでいるわよ。まだご挨拶していないでしょう?」
「はい」
ここは公爵様のお屋敷だ。貴族の出とはいえ平民と変わらない育ちの私には雲の上のご主人様。
そうして連れて行かれたご主人様の執務室。何故だか私だけ入るように言われて、メイド長は戻ってしまう。そんなものかしら?と少々疑問を覚えながらも入室し扉が閉まったところで、私は思い出してしまった。
長い足を気だるげに組み、優雅に椅子に腰かけられている高貴なお姿。
美、だった。
神々が作り給うた最高傑作。この世で一番尊い人の形。
間違いなく。
「アーデルベルト様……!」
溢れかえる前世の記憶。どうして忘れていたのだろう。昨日、私は彼に会っていたのに!
前世で大好きだった大人向けゲーム!
記憶が混乱するけれど、だけどもう二日目。昨日よりは少し落ち着いている気がする。
恐らく転生している私。この世界はゲームじゃない。目の前にいるのもそっくりなだけでアーデルベルト様ではないかもしれない。
すーはー。すーはー。はい。落ち着いて思い出してみよう。目の前にいらっしゃるのは、誰?アーデルベルト・アルヴァノッサ公爵様だ!
あーーーー……だめだ、絶対にご本人様だ。だって、彼が攻略して落としていくメンツを知っているもの。学園にいらっしゃった王子含めた上位貴族が軒並み落とされるのだ。学園のヒエラルキートップの方々と、記憶に残る痴態は同じ顔をしている。
なんでどうしてゲームの世界に!?
「ああ、確かに、アーデルベルトだ。……マーラ、どうして俺を知っているんだい?」
混乱している私に美しいお声が響いてくる。
気だるげな笑みを浮かべ、面白そうな表情をしていらっしゃるアーデルベルト様からは、恐ろしいほどの色気が駄々洩れている。その存在感だけで息の根を止められそうだ。
「お、お仕えさせて頂くお屋敷のご主人様でいらっしゃいますので……」
「そうだね。けれど初対面だよね。ご主人様でも、公爵様でもなく、『アーデルベルト様』?」
ひぃぃぃ。問い詰められた。同級生でも『名を呼ぶことなど許していない!』と言い放たれるやつだ。不敬過ぎる。どうしたら。あああ、このままでは許されない……。
「もも申し訳ありませんでした。学園で私は後輩でありました。お顔を遠くから存じ上げておりましたので……」
「ふむ」
首を繋げておきたい一心で頭を下げる。実際は見ていない。見ていたらその時点で思い出していただろう。何がどうしてこうなった?新しいお屋敷に入ったばかりだったのに。どうも記憶も抜け落ちてるみたい。
ぐるぐると頭を混乱させていると、アーデルベルト様の声が響く。
「いいよ、顔を上げてごらん」
「は、い」
びくびくと顔を上げると、いつの間にかアーデルベルト様は私の前に立って居た。
美しいお顔が目の前にあって、すぐ近くで私を見下ろしていた。長いまつ毛で覆われた宝石のような赤い瞳。視線から、髪の隙間から、首筋の色白の肌から、漂い続けるどうしようもない大人の色気。
ひぅ、耐えらない。
そう思っているとアーデルベルト様は私の頬に指先を触れた。
は?
……指?
確かな体温。男性の、硬い指先の皮膚。…………息が止まった。
「君は何かを知っているんだよね?」
昇天する。
「君の知ってる俺のことを、教えてくれるかな?」
どんどん近づいてくるアーデルベルト様のお顔を直視出来ず、私は瞳だけを彼の指先の方へ向ける。手が、指が、近過ぎる。いや触ってる。あばばばばば。
「あ、あ、あっ、あの、あのっ」
「君は俺の何を知っているの?」
吐息が。いや、これは、何。
脅し?セクハラ?それともご褒美?
「君の心の声を聞かせてもらったよ。昨日ね?」
あああああ、そうだったぁぁ。昨日お会いしていた時触れられていた気がする。そうだ、アーデルベルト様は触れた相手の心の声が分かってしまう能力を持っているのだ。
つまり、私の考えていることなどお見通し……。
え、お見通し?
待った待った待ったー!まずくない?
「ゲーム?ってなにかな?」
ひいいいいいいいいいい。
「面白い絵面が見えたよ?あれは俺だよね?君は見たこともない世界に生きていた。それに……誰も知らない俺の秘密を知っていたね。これはどういうことなのかな?」
映像まで見えるのかよ!万能な能力だなぁ……じゃなくって!
「は、はぃ……っ」
「さぁ、どうする?話してくれるかな?それとも、俺に、無理やりにでも暴かれたいの?」
すう、っとアーデルベルト様の指先が私の頬を滑りおり、顎を持ち上げたところで背筋がぞわぞわと震える。
「そういう趣味があるのなら、付き合ってあげてもいいけれど」
趣味とは?
「あ、あ、あの」
「ねぇ、心の声を読む能力があるってなんだい?さぁ言ってごらんマーラ」
「あ、う、う?」
これはもう完全に心を読まれている。
本当に彼はアーデルベルト様で、ゲームと同じ能力を持っているのかも。
だけど、読まれているならもう知っているだろうに、彼は私に語らせようとしている。
「俺の能力を知ってたね?」
「あううう」
「コウシキグッズってなんだい?答えられるかな?」
もはや奇声しか発していない私に執拗に語り掛けてくるアーデルベルト様。
「さぁ、言ってごらん。俺に嘘は通じないよ。知ってるよね。俺の能力はなんだい?」
意地悪そうに微笑んでから「嘘を言ったらおしおきだよ」と色気たっぷりに言われたのを最後に私は降参した。
おしおき。
おしおきとは。どんなことを。
生身のアーデルベルト様とおしおきの姿をもわもわ想像して、もう、精神の限界だった。
「心読と、魅了魔法でございます……」
「ふむ」
完敗です。ゲーム。公式グッズ。思い出したばかりのそれらは、私の頭の中を覗かれなければ出て来ない言葉。このお方は間違いなく私の心を読んでいる。
そうして読まれているのなら嘘を言ったら首が飛ぶ。
「あの……おっしゃる通りです。見た通りの記憶が私にあるのです。偽りは申し上げません。もう、心を読んでくださって構いません……」
そう言うと、アーデルベルト様は私から指先を放し、ふむ、と言った。
「いや……俺に分かるように、君の言葉で説明してくれるかな?君の記憶の中の情報は、俺には分からないことばかりなのだ」
「は、はい……」
確かにそうなのだろう。日本人の記憶なんて、そのまま見ても分かるわけはないよね。
そうして椅子に座るように促され、小一時間ほど、私はアーデルベルト様と語り合うことになったのだった。
けれど、その時間は、ただただ苦行だった。
嘘を言ったら胴体だけになる。恐ろしさに震えて、思いつく限りのことを答えて、それらをアーデルベルト様が聞き直してくれる。
「君はどこか知らない世界で育った記憶を持っている、と」
「はい」
「そうしてその世界には、ゲーム、という物語を楽しむ娯楽があり、それを楽しんでいた」
「はい」
「物語はいくつかに分岐し、未来は一つではなかった。さらに言うと内容は大人向けの卑猥なものだった」
「はい……」
「ふうん。思った以上に、面白い記憶を持っているんだね」
楽しそうに少しだけ頬を上気させて、一々色っぽく微笑まれるのを止めてもらいたい。
死んじゃう。
縮こまる私の前で、アーデルベルト様は腕を組み考えるようにして質問を繰り返す。
「そうしてそのゲームの主人公は、俺であった、と」
「はい……」
今は彼は私に触れていないけれど、いつ心の中が分かってしまうか分からないので出来るだけ嘘のないように語った。首はいつまでも繋げて置きたい。
「だが、俺にはどうしても分からないのだよ」
「はい?」
真面目な表情で、じっと私を見つめて言った。
「君のように若く美しい女性が、何故、俺のようなただの男が猥褻な行為をするだけの娯楽を楽しめるというのかい?」
もう、死にたい…………。
苦行の先に待ってるのは、極楽浄土ではなく、羞恥地獄だ。だがしかし、全ては今世に命あってのもの。本当のことを語らなければ彼には伝わってしまう。そうなると私には精神だけでなく本物の死が待っている。腹を括らねば。




