11.魔王様の女性観 アーデルベルトside
いつまでも独り身のアーデルベルト・アルヴァノッサは、好みのタイプというものを探られることが多い。
あわよくば自分の娘を、との思惑を含んだ父親たちからの問いだ。「あなたなら選り取り見取りだろうに、きっと理想の奥方を見つけられるまで探されているんでしょう!」「いいえ、私が女性たちのお眼鏡に敵わないのです」「またまた」ある意味真実の返答なのだが理解されることはない。
しかし問われれば多少なりとも考えるが、好みのタイプなど、思いつくものがない。美しい女性は多いし、淑やかなのも嫋やかなのもそれぞれ美点だろうし、思えばどんな女性がいい、などと感じたこともない。どんな女性にもそれぞれの魅力を感じるものだ。
世の男性は、好みの女性像が明確にあるのだろうか。
手を重ね、マーラの心を読む振りをした。ただどのような反応を返すのか探っていただけだ。
彼女は、ただ手が触れただけで、真っ赤に頬を染め上げた。
恥ずかしそうに瞼を伏せて長いまつ毛を震わせていた。
「恥ずかしくて耐えれません……」
そう言う瞳には、今にもこぼれ落ちそうな涙を湛えていた。
「顔、赤いですよね。ごめんなさい。私……男性と手を繋いだこともないんです」
明らかに、耐えている。羞恥の心と私との約束を天秤にかけて、その手を放さずにいてくれたようだ。
「ごめんなさい。私……慣れていなくて……」
震える声で、必死に言葉を紡ぎ出し、そうして泣き出しそうな瞳で俺を見上げた。
「アーデルベルト様は恐ろしくはありません。けれど、恥ずかしくて、嬉しくて、私が私じゃなくなるようで、自分が怖いのです」
――――。
脳天から雷が落ちてくるような、衝動。
背筋がぞくぞくと震える。思えば、マーラと初めて出逢ったときにもそうだった。
これはなんだ?
何故俺は、こんなか弱い、初心な乙女に反応しているのだ。
だが見たことがない女性像なのだ。
男を知らず、手など繋げる奔放さを持たぬのに耐えているという。
しかも嫌ではないと、嬉しいという。……嬉しいのか?そう言えば記憶の中ではゲームとやらの俺への執着はまるで惚れているかのようだったが。
――惚れているのか?いや、まさか?
「……驚いた。想像以上の初心さだな。ああ……先入観だな。あんな記憶を見たあとだから」
そうだ、まさかあれほどの量の裸体を浴びるように見て喜んでいたという者が、こんな反応を示すなどとは思わないだろう。ギャップか?想像しない反応だからこそこれほどまでに、心を惹かれるのか?
駄目だ、顔に熱を持っている。これでは彼女と同じだ。
なんだこれは照れなのか?いやはや、異性に照れるというのはこういうものだったのか。
――面白いな。
生まれて初めて気付く、自分自身の中にある感覚を知るというのは、癖になりそうだ。
……好みのタイプなど考えたこともなかったが、彼女のようなタイプだったのかもしれない。
彼女の挙動の全てから目が離せず、心を掴まれていく。
この歳まで様々な誘惑を受けながらも、このようなタイプには出逢ったことがなかった。それはつまり今後も出逢う可能性は低いということ。この娘は、手放してはいけないのではないだろうか?
例え踊らされる駒にされているのだとしても、本人に悪意もなく、初心な様子からして男性経験もないのであろう。
そうして俺は、マーラ・ゼーベルクの生い立ちをより詳細に洗い出した。
同時にマーラとの交流を深めていく。
その中で、段々と疑惑が膨らんでいく。彼女は――知性的過ぎるのだ。いつもふいに、この世のどこにもない視点から、この世界を語る。
「昨夜は夜空が綺麗で、これは生まれ変わらなければきっと見られなかったんだろうな、と感謝してしまいました」
「星?」
「はい。夜空を見上げても、星が少ししか見えなかったんです。満天の星空とか、星が川のように見える夜空とか……全然見たことがありませんでした。昔の記憶を思い出したら、この美しさは当たり前のものじゃなかったんだなって気が付けたのです」
「それはなぜなんだい?」
「空気が汚れていたり、一番には人々の住む場所での光が多すぎるんです。この先、鉄道技術など生み出されて行ったとき、この世界も変わっていくのかなぁと気になります」
彼女の話は、どんな話も面白い。
だが内容だけではなく、語り方も笑顔も、全てが心地が良い。
けれど、その内容の違和感のない真実味が、俺自身にもう一つの可能性を示唆してくる。
いつまでも見つからない彼女に記憶を植え付けた者。整合性のある記憶。自然な知性と感性。
――彼女が、本物の記憶を持っていたのだとしたら。
そう考えるだけで、深くため息を漏らしてしまう。
「……大変なことになるな」
その時には、俺自身の秘密と、そうして彼女の秘密が暴かれていくことになるのだろう。
もしくは、墓まで持って行くかだが。
彼女の意志を確認してから事を進めたいが、彼女に語るにはまだ条件を満たしていない。
「どうしたものかな……」
思い悩んでいると、紅茶を持ってきたマーラが頬を赤く染めて立ち止まっていた。
息を呑むようにして食い入るように俺を見つめている。
彼女の反応に慣れて来た俺は、ここぞとばかりに飛び切りの笑顔を彼女に向けた。
「マーラ……どうかしたのかい?」
「は、はいぃ。……いえ、なんでもありません」
明らかに俺に見惚れていたのだろう彼女は、必死に取り繕い震える手を押さえながら紅茶をいれようとしている。思わず笑ってしまう。
日頃冷静な彼女は、何故か俺一人にだけ、狼狽え慌てふためくところがある。
女性の目を引くことは日常茶飯事ではあるけれど、彼女に関しての『俺にしか反応しない』と思わせられるところが実に良い。
もしあの記憶が真実なのだとしたら……長い人生で、彼女は俺という存在に関わり過ぎている。それでは他の異性など見えなくなることもあるのかもしれない。
彼女をじっと見つめていると、ますます顔を赤くしていく。そうしてチラチラとこちらを見つめて耐えられないように目を逸らす。
「紅茶です」
「ありがとう」
彼女は今はまだただのメイドで、俺は主人で、湯気の上がるカップを見つめるこの時間に幸福に感じる俺は、この先も側に居て欲しいと望んでしまうのだが。
……彼女は、どう思うのだろうか。
「マーラ、そろそろ、また手を繋いでくれるかい?」
「ひゃい?」
マーラは奇声を上げてからしまったという風に口を閉ざす。
「あ、えっと、は、はい。もちろんです!」
手のひらを向ければそっと手を重ねられる。それだけで更に顔を赤くさせる。実にそそる。柔らかな感触を指先でなぞれば「はぅ」と小さな呻き声が聞こえた。
「大丈夫かい?無理なら遠慮なく言ってくれ」
「だだ、大丈夫です。むしろご褒美のようなものですから…」
……本当か?
体が触れている時に彼女は嘘は吐かないと思うが。
「配置換えを考えているのだが。今後は俺付のメイドではない方がいいだろうか?」
「いいえ、私はどちらの仕事でも大丈夫です」
「このままでもいいのかい?」
「もちろんです。嫌なことなどありません」
どうやら雇用主が職権濫用状態にあることを認識していないらしい。
「俺のそばにいてくれるのかい?」
「はい」
問題は、思った以上に山積みなのだが。
一つずつ、解決していくしかない。
彼女の経歴自体に不審な点はなく、人柄も良好。生家と縁を切ると言っているが、後ろ盾はあった方が良い。
気になる女性についてレナウドに白状すると、彼は言った。「あのゼーベルク子爵の令嬢?」と。
学園在学中、レナウドの父、アドラー侯爵が彼女の様子を聞いて来たことがあったのだという。アドラー侯爵の学生時代の友人が彼女の母親であり、恩人なのだという。母親が亡くなったあと疎遠になっているが気にしている様子なのだと。
早速アドラー侯爵に会いにいくが、快く、彼女の後ろ盾になることを引き受けてくれた。
「養女にしたいと思う」「宜しいのですか?」「これで恩を返せる。……それに、君との縁も出来るのだろうしね」
これに関しては俺は曖昧に笑って返すしかない。
マーラをアドラー侯爵家に連れて行くが、養女になる話を通してあるレナウドもその妹のレギーナも彼女に好印象だった。
彼女自身が自由を望み、本当にメイドとして生きて行きたいというのであれば、どのような待遇でもお願い出来るように約束をしてもらう。
俺とアドラー家の壁があれば、今後、彼女の窮状を救う術になるだろう。
それになにより、あの家は『明るい』。
笑顔が絶えず、彼らの心の奥に闇を感じない。あの家族に守られるならば、何も心配はいらないだろう。
正直なところ、俺の側にいるより良いのかもしれないと思う。
だから、彼女が望むのなら、離れたところで生きてもらえればいいのだ。
そんな心境を吐露したところ、否定されてしまった。
「どうか、このまま働かせてくださいませ。貴方に大切な方が出来るまで、お仕えさせてください」
手を繋いだまま彼女は言った。
彼女はどうやら、手を繋いでいるだけで心を読んでいると思い込んでいる。そうして俺はそれを利用して、彼女に触れている。
「どうか……大事な方が出来るまで……見守らせてくださいませ……!」
ぎゅうっと、繋いだ手に力が込められる。気持ちが伝わるようにと、必死に訴えているように。
「ここにいたいのです。本当に、本当なのです。これは私の意志なのです」
俺に大事な人が出来たらどうするというのだ。きっと、黙って去る気なのだろう。そうしてどこかで仕えて生きて行く気なのだ。
無償の善意で、見守らせて欲しいという、俺という魔王に囚われてしまっている無垢な乙女マーラ。
まるで生贄のようではないかと思う。
けれど俺は、この幸運を、逃しはしない。
「そうか……俺も、心が決まったよ。マーラ」
彼女を手放さない。
彼女を守るためならば、俺は望んで、この世界の魔王にでもなってやろうじゃないか。
腹の底のどす黒い感情を笑みに乗せても、彼女は見惚れるように俺を見つめて頬を染めた。




