第90話 忘れてはならない
「遅い、ってばぁ〜ん」
「あっ……!」
クレハが手にしていた大鎌が、大太刀の一撃で弾かれる。
乾いた音を立て、大鎌が東屋の床を叩いた。と、同時にクレハの喉元に切っ先が当てられる。
大太刀とは思えぬほど正確で、繊細な太刀捌きだ。
まるで教師が指揮棒で黒板を指し示すかのように、大太刀でクレハの袴を突きながら、ビオラは採点をくだす。
「クレハちゃ〜ん、全っ然駄目ねぇ〜ん」
「………………」
「身のこなし、咄嗟の判断、大鎌の扱い方、技量と駆け引きぃ。ぜーんぶ駄目ぇ〜ん。褒められるのはその綺麗なお、か、お、だ、けぇ〜ん♡」
大太刀の切っ先でクレハの顎をくいっと持ち上げ、うっとりとした表情を向ける。
頬は朱に染まり、目はとろけ、鼻息は荒く、口元はだらしない。
ビオラは、そのおっとりとした見た目と口調からは想像も出来ないほどに官能的な女性だ。
師として尊敬もしているし、親としての感謝も持ち合わせてはいるが、クレハはこの色気と劣情を無駄に撒き散らす師匠が、いつの頃からか癇に障って仕方がなくなった。
そもそも自分たちは揃って女だ。一体なにが彼女をそこまで欲情させているのか。
頭を振る。
師の性癖についてアレコレ考えるのは、全く建設的ではないし、心底どうでもいい。
なのでクレハは酷く真面目な顔で言った。
「……真面目にお願いします」
「あらぁ〜ん。真面目にやっていいのかしらぁ〜ん?」
「………………」
ビオラが口を開けば、ほとんど戯言ばかり出てくるのだが、稀にこうしてぐうの音も出ないほどの正論をぶつけてくることもある。
本当に色んな意味でクレハには腹立たしかった。
ビオラ=ローレルは強い。
それはクレハ個人の基準ではなく、王国マルスという基準においても、だ。
彼女は〝時守の巫女〟でありながら、ギルド本部の最高戦力五芒星にも名を連ねている。
会議や会合など公の場にはほとんど顔も出してはいない幽霊部員のような彼女だが、それでも王国の長い歴史を紐解いてみても、〝時守の巫女〟と五芒星を兼任するというのは、彼女が初めてだった。
加えてビオラは〝時守の巫女〟としても非常に優秀で、歴代最高の巫女とも評されるカトレア=カルミアに匹敵する、とすら言われている。
二代続く優秀な〝時守の巫女〟。
次代を担うであろう少女が気負わないはずもなかった。
実際に〝時守の巫女〟が戦闘をする場面は、過去から現在までほとんど存在してこなかった。
巫女の本分は結界の管理と維持であり、戦闘ではない。
にも関わらず〝時守の巫女〟になるためには高い戦闘能力が求められる。
少し考えればそれも当然の話で、もしいつの日か、最悪の災厄たる〝ウルティマ〟が復活するような日が来るのであれば、最前線に立たなければならないのは間違いなく彼女たち〝時守の巫女〟だからだ。
――勘違いをしてはいけない。
〝ウルティマ〟はあくまで封印されているだけで討滅されたわけではない。
かの災厄は、今尚その存在を保ち続けている。そして、大陸ダーナの民が油断や隙を見せれば、いつだってその姿を現し、災いを振りまくのだ。
――忘れてはならない。
〝ウルティマ〟は今も存在している。




