第86話 「オレはオレの為に」
「ルーイ」
「ババア……」
「お主が今まで街のため、島のために頑張ってくれてきたことはここにいる皆が知っておる。じゃから、これからは自分のために時間を使え。これは儂だけの意見ではない。街の皆の総意じゃ」
「………………」
「島のことは気にせずとも良い。儂もまだまだ現役じゃし、ハスラーたちもおる」
当のハスラーはタリアの横に並び、何やら口説いているように見えた。タリアはいつもの通り、ハスラーの本気の好意を、友だちとしてのものと受け取っている様子だ。
「……信用ならないんだが?」
「……言うた儂も早速不安を覚えたわい……」
じゃがまぁ。
「お主も一七になった。自立した大人でもなければ、手のかかる子どもでもない、中途半端な歳じゃ。じゃからこそ、これからのお主自身のためにも、儂は大陸というものを見て来てほしい」
「………………」
「クレハと共に魔術師学園へと通え。そこで魔術だけではなく様々なことを学び、友を作り、島では出来ない色んな経験を積んでくるのじゃ。楽しいことや嬉しいことだけでなく、辛いことも泣くこともあるじゃろう。悔しくて笑い、嬉しくて歯噛みするかもしれん。その全てが、これからのお主の糧となる じゃろう」
カトレアは這いつくばった状態のルーイに視線を合わせるように屈む。
屈む際、一粒の水滴が砂浜に染みを作った。
空は紫から青に染まりつつあるが、雲はなく快晴だった。
「そして、いつの日か帰ってきたら……儂の冥土へ行く時の土産として、色んな話を聞かせてほしいのじゃ」
「………………」
「お主は儂の自慢の息子じゃ。こんなちっぽけな島に囚われいてはいかん。大陸をーー世界を見て来るのじゃ」
「母ちゃん……!」
カトレアの目には涙が浮かんでいた。そして、ルーイももう堪えられなかった。
ルーイがカトレアを優しく抱きしめる。
やせ細った枯れ木のような身体は、ルーイが少し力を込めれば、簡単に折れてしまいそうだった。
その枯れ木のような身体一つで、カトレアはルーイをここまで育て上げたのだ。
水を怖がるルーイをあやしながら風呂に入れ、嫌いな野菜をどうしたら食べられるようになるか料理に苦心し、魔術に興味があると言えば大陸から子ども向けの魔術書を取り寄せた。
ハスラーと喧嘩し、負けて帰ってきた日には眠るまで本を読み聞かせてあげた。勝って帰ってきた日は、その武勇伝に耳を傾けた。
ルーイは少しづつ風呂に入れるようになり、嫌いな野菜が食べられるようになり、カトレアが取り寄せてくれた本を朝から晩まで、ボロボロになるまで読み漁った。
ルーイ=カルミアとカトレア=カルミアは確かに親子だった。
船が汽笛を上げた。
さすがに、これ以上は待てないのだろう。
甲板には野次馬と化した観光客たちが、わらわらと詰め寄っている。
「もう時間じゃ。タリアに言うて荷物はまとめて船に積んである」
「……ったく、最初からこうする気だったのかよ」
「こうでもせんとお主は絶対に行かんじゃろ」
「……っ!」
「男の子が泣くでない」
「泣いてねぇよ。ババアの方こそ、もう血も涙も枯れたもんだと思ってたんだが」
「これは汗じゃ」
「……そっか」
ルーイは最後にもう一度、今度は力強くカトレアを抱き締め、歩き出した。
住民たちの反応は様々だった。
もらい泣きする者。行って来いと檄を飛ばす者。何が何やら分かってないが、皆が騒いでいるからとりあえず自分も騒ごう、酒だ酒だ! と、どこぞから酒を持ち出し飲んでいる者。
今や港はどんちゃん騒ぎの宴へと変化していた。
ルーイはタリアの元へと向かった。
可愛い可愛い大切な妹の目は、兎のように赤かった。
「クレハにお弁当渡してるから後で食べてね」
「あぁ」
「夜ふかしはせず朝ちゃんと起きる。洗濯物や洗い物は溜めずにこまめに洗う。面倒だからってご飯を抜くのも駄目、お肉もお魚もお野菜も、満遍なく三食ちゃんと食べるんだよ!」
「あぁ……!」
「……だけど、知らない場所で不安ならお風呂は入らなくていい……その代わりシャワーはちゃんと浴びるように。お兄ちゃん、汗掻きだから……すぐ臭くなっちゃうよ」
「うるせぇ……!」
「それからそれから……」
「タリア……!」
「元気でね! お兄ちゃん!」
力いっぱい抱き締める。
いつの間にか、ちんちくりんだった妹は随分と女らしくなっていることに、今更ながら気付いた。
タリアの目から大粒の涙が溢れ落ちるのを指で拭う。
「あーっ! てめぇ、ルー「空気を読むでゲス!」「さすがに、それはないよ、お頭」「……おでも……引く」
アンポンタンが、ハスラーを三人がかりで羽交い締めにするのを、二人して笑いながら見る。
そして、ハスラーにお願いをする。
「ハスラー、島のこと頼む」
「うるせぇ! てめぇ、やっぱりタリアちゃんと! 許さねぇぞ、ルーイ!」
「お頭、さすがにダサいよ」「もう行くでゲス!」「……」
ハスラーを引きずるようにして、四人は一足先に港から姿を消した。
二人はもう一度笑顔を向けあい、そして最後にルーイは事態を傍観していたクレハの元へと向かった。
クレハはどこか不安げな表情で見上げた。
「……本当にいいの? 私に付き合う必要はないのだけれど」
「お前に付き合うわけじゃねぇよ。オレはオレの為に、ババアとタリアにおもしろおかしく話す思い出作りのために行くんだ。大陸や王都を見てみたいし、もっと魔術の勉強して〝封印の祠〟の魔術方陣をもう一度敷かないといけない。それから、ヤロウさんたち漁師のおっちゃんの仕事道具も買ってこないとな。そこに……クレハがいるだけだ」
「……そう」
クレハが優しく微笑む。
ルーイも優しく笑いかける。
「あぁ」
ルーイは振り返る。
街の皆が手を大きく振っていた。
船の汽笛が二回鳴らされ、いい加減にしろ! 早く出せ! と乗客たちが喚いていて、それを宥める船員さんが気の毒に思えた。
最後にルーイは住民に向け手を大きく振り、隣のクレハに声を掛けた。
「行くか!」
「えぇ!」
二人はプイス発王都マルス行きの最終便に向けて歩き出す。
肩を寄せ歩く二人の思い描く未来予想図は全くの別物だが、向かう方角は同じ。
二人の物語はここから始まる。




