第83話 「はじめての」
本屋に寄ってから帰宅したルーイは部屋を掃除して、新しく購入した魔導書を広げていた。
今回の騒動を機に新たに覚えたい魔術が出来た。
今までは使えなかったが、霧が晴れた今なら真っ先に覚えるべき魔術。
「………………」
魔術の内容は頭に入った。
方程式も魔素の流れも、ルーン文字の解釈も間違いない。
上位魔術の中では、もっとも大衆的で汎用性が高いもので、今までに何度も様々な改編が成されてきたのだろう。
上位魔術とは思えないほど、簡単に覚えられた。
後は実践あるのみだ。
「……あ、いっけね」
そういえば漁師のヤロウさんに仕事を頼まれていたのを思い出した。もう何日も経ってしまったし、有耶無耶になっているだろうが。
「…………」
黄昏時よりも少し早い時刻。
もう少しすれば赤い空が紫へ、その後青く変わっていくのだろう。
そろそろ最終の船便の時間だろうか。
「…………」
そういえばクレハに別れの挨拶をしなかったことを今更思い出した。
いくらなんでも、このままでは必要以上に味気ない別れになるし、なんとなくそれは避けたい。
特に理由はないが、そう思った。
「……報酬ももらい損ねてるし、練習するにはちょうどいいや」
ルーイしかいない家で独り言を漏らす。
漏らしてから苦笑する。自分を動かす為の言い訳だと自覚していたからだ。
初めて唱える魔術だが、不思議と失敗する気は全くしなかった。
最近身近で見たばかりなのでイメージもバッチリ掴めている。
先ほど覚えたばかりの詠唱文を唱える。
「〝軌跡を辿りし足跡、数多の記憶と共に、今再び我を彼の地へ〟……」
足元に魔術方陣が広がる。
足元の魔術方陣は、他の魔術方陣と比べると複雑怪奇なようにも見えるが、むしろ小難しい方程式を魔術方陣に込めた分だけ詠唱文が、簡略化されて汎用性が高くなっている。
基本をちゃんと学び、基礎がしっかりしている者なら才能などなくとも誰でも唱えられる類のものだ。
もっとも、その基本と基礎をしっかり出来ている者が果たしてルーイの年齢でどの程度いるのか、と問われれば話は全く変わってくるのだが。
「〝転移〟」
家の屋根を透過し、空から光の支柱が降りてくる。支柱は魔術方陣をすっぽり包みこんだ後、一瞬だけ力強く輝きやがて足元の方から消えていく。
ふっと魔素の残滓が消え去った後、家の中には誰も居なかった。
ルーイははじめて唱えた転移魔術を問題なく起動させた。
――はずだった。




