第71話 炎熱系最上位魔術〝紅蓮〟
クレハの左手から放たれた魔術は、炎熱系中位魔術、〝焔〟を改変したものだ。
「ギュゥウゥゥヴゥゥウヴ!」
ラーテルの群れが一斉に炎に襲われ、断末魔の悲鳴を上げる。
分厚く堅く――まるでゴムのような皮膚がドロドロと溶ける。溶けた灼熱のゴムを身体に浴びて発火する個体までいるほどだ。
クレハはそれらの光景を見もせず、腰のポーチをごそごそと漁る。
やがて、その手に何やら不吉な色の液体(泡立っている)が入った瓶を取り出した。
「飲んで」
「うげっ! これって!」
「カトレア様特製の霊薬よ。効果は……あんたの方が知ってるわね」
意識を失っていたクレハですらしかめっ面にさせ、涙目を浮かばせたカトレアお手製の霊薬だ。
その味は表現するのが難しい。とんでもない苦味とありえない渋味を中心に置き、酸味で包み込んだような味、とでも表現すべきだろうか。
そして臭い。
とにかく臭い。
〝魔女の庭〟の異臭を濃縮して煮詰めたような激臭にえずかない者はおらず、本来の用途とは別に気つけ薬として、その臭いだけを使用する島民もいるほどだった。
「マ、マジで勘弁してくれ! 今これ飲んだら不味さと臭さで本当に死んじまう! これ飲むくらいならもういっそ「飲むくらいならなに?(ボッ!)」いただきまーす!」
臨界突破した魔術方陣を向けられて逆らえるはずもなく、ルーイは風呂上がりの珈琲牛乳よろしく、ごくごくと一気に飲み干した。
――瞬間。
「!!?!!!!? うげぇっ! げぇっ、がはっ! うぐっ、無理吐「吐くの?」んんんんっ!」
何故かアダマスの大鎌が《《刃を上向きにして》》股間に通されていた。
誰が悪役なのか分からない構図の中、両手を口にあて、涙目になりながら必死に液体の逆流を防ぐ。
喉元まで来かかっていた刺激臭を放つ液体は、やがてルーイの身体を巡る。
程なくして、ルーイの身体にほんの少しの体力と魔素が補給された。
「おえっ……飲み込んだ後でもこんなに辛いもんがこの世にあるとは……だけど、助かった……ってわけにはいかないな」
「そうね。九死に一生を得るには、まだ敵が多いわ」
大多数を焼かれたラーテルの群れだったが、まだ相当の数がいる。
「どうする? 残念だがオレとラーテルの相性は最悪。いくらこの槍でもあいつらの皮膚には通らなかったしな」
「……少し時間を稼いでくれる?」
「相性最悪だって言ってんのに……どうする気だ? さっきのもう一発喰らわすか?」
「そんな生温いことで私が許すと思ってるの?」
クレハが鬼どころか悪魔も裸足で逃げ出すような冷酷な笑みを浮かべる。
ルーイは一瞬前まで憎しみしか持っていなかったラーテルに、ほんの少しだけだが同情した。
「あいつらは《《あんたを》》傷付けた。ただじゃおかない。生まれてきたことを後悔するような死に方をさせないと」
「イエス、マム」
ルーイは最敬礼し、槍を構えた。
クレハは身体能力強化の魔術を施した足でひとっ飛び。結界石を設置した岩に飛び乗った。
「いくわよ、ルーイ」
「アイアイ、マム」
詠唱を唱える。
中位魔術の詠唱破棄も即興改変も行えるクレハが《《詠唱を唱える》》。
「〝咲き乱れるは煉獄の花、舞い踊るは焔の花弁〟」
ルーイがラーテルの群れへ駆ける。
なけなしの魔素を駆使し、身体能力強化の魔術を全力でかけている。
力一杯に槍を振るう。
その刃はやはり通らないが、力任せに振るった槍は、衝撃を吸収するゴムの皮膚ですら弾き飛ばした。
「おおおおおおおぉぉぉぉぉおおっ!」
裂帛の気合で槍を振り回す。
ラーテルたちも負けじとルーイに迫る。鋭い牙を立て、爪を振るおうと飛び掛かってくる。
「〝幾千の花、幾万の花弁、数多の理を経て炎環と為し、万物の理を持て炎陣と為せ〟」
肩に噛み付いてきたラーテルの頭を掴み、引き剥がす。肩の肉ごと持っていかれたがルーイは気にせず、そのまま殴りつけてやった。
「どうだ、馬鹿め! いつまでもやられっぱなしだと思うな、このイタチ野郎!」
ルーイは笑顔だった。
頭はガンガン痛むし、自ら引き千切った肩からは血が止めどなく流れ続けている。
足は震えるし、霊薬を飲んだばかりだが、全力で戦っているのですぐ体力も魔素も底を尽きそうだ。
《《だが、それがどうした》》。
「〝我が愛しき鬼火の子よ、我が憎き忌火の子よ。等しく燃えよ、激しく燃えよ〟」
槍を振るう。
白藍色の輝きを取り戻した魔法銀の穂先が、《《皮膚を切り裂いて》》ラーテルを輪切りにした。
それだけではない。
突き刺せば、皮膚に覆われている眉間から尻まで一直線に貫いた。
叩き付ければ皮膚ごと魔獣の肉体が冗談のようにひしゃげた。
いつしかルーイが手に持つ槍は、何物の刃も通さなかったラーテルの皮膚をトマトのように切り裂き、豆腐のように穿っていた。
「どんなもんだ! この……クソイタチが!」
調子に乗ったルーイは、その勢いに任せて槍を投擲する。
狙った先には鶏冠を持つ群れのボス。
「〝さすれば万物、灰燼へと帰す。無限の荒野に何もなく、夢幻の大地に残るもの〟」
その眉間を真っ直ぐに槍が貫いた。
断末魔の悲鳴を挙げることすら叶わず、ボスラーテルはその生を終えた。
「……あっ」
同時にルーイは己の失態に気付いた。
カッコ付けて槍を投擲したはいいが、当然いま手元には何も残っていなかった。
たった一本しかない、それも強力な武器を投げてしまうなど、どんな阿呆でもやらない失態だった。
ボスを一撃で葬られたラーテルたちだったが、そんな隙を逃すほど馬鹿ではない。
「グゥウゥゥゥウウウアアアアアアア!」
一頭のラーテルが雄叫びを上げる。キュウキュウと可愛らしい鳴き声ではない。猛々しく雄々しいそれは魔獣の咆哮だった。
「〝其は紅の一輪、此は業火の番人。我が許諾を受け咲き誇れ、咲き誇れ、咲き誇れ――〟」
それを合図と、全頭が一斉にルーイに向けて駆け出す。怒涛の勢いで迫るラーテルの群れを、何とかする術を今のルーイは持っていない。
「……なんてな!」
言ってルーイは脇目も振らず後退し、岩の前まで来るとひとっ飛びでクレハの隣に降り立った。
見る見る内にラーテルが岩を囲み、這い登ろうと躍起になっている。目は血走り、ガリガリと爪で岩を掻きむしる。
「クレハ!」
ルーイの一声に呼応するように、クレハの《《最上位魔術》》が完成する。
「〝咲き誇れ――紅蓮〟!」
クレハが大鎌を天へとかざした瞬間。
二人が立つ岩を中心に魔術方陣が展開される。
――煉獄の花が咲いた。
岩を柱頭に見立てたそれは、やがて這い登ろうとしていたラーテルの群れ全てを一度に包み込むほど巨大な炎の花へと、魔術の花へと昇華した。
炎熱系最上位魔術〝紅蓮〟
その花の中では、いかなる存在も生存を許されない。生きとし生けるもの全てが燃え尽き、蒸発する。
地獄の業火すら生温く感じるほどの炎に身を焼かれた存在は、肉どころか骨も、影すらも現世に残せない。
「「「ギャアァアァアアァァアアアアアァァァァアァァァア!!!」」」
「はああぁぁぁああぁぁぁぁぁぁ!!!」
ラーテルたちの断末魔の合唱が木霊する。
その中心にいるクレハは、大鎌を天にかざしたまま更に魔素を込め、辺り一面がまるで溶岩に包まれたように赤く、朱く、紅く染まっていく。
花の色が赤から朱へ、朱から白へ徐々に徐々に変化していく。
その都度、色の移り変わる花弁が辺り一面に舞い踊る。
その光景を間近で見ているルーイが感嘆の声を漏らす。
「すっげぇ……これが最上位魔術……」
花が咲いていたのは僅かな時間だった。
しかし、己を中心に咲いた紅蓮の花。
その残酷で、儚くも美しい光景を、ルーイは生涯忘れることはないだろう。
やがて、紅蓮の花は何の名残もなくあっさりと消え失せた。
後に残ったのは焦土と化した大地と一本の槍のみ。
――それ以外の全てが蒸発した。




