第59話 「どうか無事で」
タリア=デーリアは忙殺されていた。
角灯の明かりが煌々と焚かれる中、夜半のプイスはかつてないほどに騒がしかった。
「落ち着いてください! 今すぐ魔物たちが街を襲うようなことは絶対にありません!」
「そこ押さないで! 二列のまま、ゆっくりタラップを上ってください!」
「足元に気をつけて! 船内の奥から順番に詰めていってください!」
タリアがカトレアの家を出てまず向かったのは自分の家、すなわち観光ギルドだ。
非常識な時間にルーイがタリアを訪ねてきた時点で、胸騒ぎを覚えていたタリアの両親は既にギルド職員を緊急招集済で、周りには見知った顔の職員たちが何事かと寝ぼけ眼を擦っていた。
特に女性職員たちは「すっぴんなんだけど……」「お肌が荒れちゃうじゃない!」「残業代に深夜手当も割増で」などといった不満を隠しもしていなかった。
だが、それもタリアが事の顛末を報告するまでの僅かな時間の間だけだった。
その後の対応はさすが王国マルス随一の観光地プイス、そしてその地を任される観光ギルド職員と言わざるをえなかった。
皆が皆、島開拓以来の緊急事態にも関わらずキビキビと、焦ることなく各々の仕事に邁進し出した。
まずは観光客へ事態の説明。
今この島で何が起ころうとしているのか。これからどう対応していくのか。それらをギルド職員が順番に観光客を一組ずつ説明して回った。
夜半にいきなり叩き起こされた観光客たちは一体何事かと騒ぎ、職員から話を聞いた後は文句を言うものが大半だった。
だが、プイスの観光規約の中には緊急事態に対するものも当然含まれており、形式だけとはいえそれらに同意した上でこの島に来ている。
規約など斜めに流し見ただけの者がほとんどだったが、規約に同意している以上半ば強引にでも従ってもらった。
その間、ギルド所属の船員たちは現在港に停泊している船を急遽出航させる準備を整え、他の職員たちは住民たちへの事情説明へと向かう。
それらの陣頭指揮を取っている人物こそタリアの父であり、観光ギルドの長でもあるハマナス=デーリアである。
「ギルド長! 東地区の住民への説明と避難は完了したぞ!」
「ハマナスさん! 西地区に増員を回してくれ!」
「停泊中の船舶への観光客の避難誘導が、予定より遅れています!」
「東地区へ説明に行っている者が戻り次第、北地区に回してください!」
てんてこ舞いである。
収穫祭や定期的に訪れる季節的な繁忙期でも、ここまでの事態にはならない。
そして、タリアは両親に報告するやいなや、次は街を順番に駆け回り住民の家一軒一軒を回り、現在の状況を説明していた。
街壁を含めた結界が消え去ってしまったこと。
魔物たちが街まで襲い掛かってくるかもしれないこと。
現在、自警団と討伐ギルドの合同部隊とカトレアが、結界の再構築及び魔物たちの襲来に備えて街の外で警護していること。
避難場所がない観光客たちは港に停泊中の船舶に乗船、その後沖まで避難したこと。
そして、何より落ち着いて自宅で待機しておいてほしいこと。
そもそもプイスにはいざという時の避難所というものが存在しない。
危険と隣合わせの島で何故か、と問われれば土地がない、としか言えなかった。
住民の家屋、プイスの財源たる観光客の宿泊施設、商業施設。そして畑や港。
開拓当初はそもそも魔鉱石の探鉱地で、一時的な住居と最低限の結界しか張られていなかったのだから当然だ。
何より『結界に護られている』というのが頭にあった。こればかりは己が管理していることからルーイも、そしてカトレアだってそうだった。
だからこそ、まさか結界が丸ごと一度に、それもこんな短時間で消え去るなど誰もが想像もしていなかった。
住民たちなら尚更だ。
普段結界に触れることがない彼らは、それが当たり前に存在し、当たり前に自分たちを守ってくれているものだと認識している。
だからこそ、タリアは慎重に一軒づつ説明して回った。
落ち着いて、丁寧に。
目の前の住民がどう伝えれば落ち着いてこちらの話を聞いてくれるか、どう話せば不必要に慌てたり混乱したりしないか。
慎重に言葉を選び、伝えていった。
結果として住民たちは観光客とは違い、終始落ち着いてタリアの話を聞き、対応してくれた者が大半だった。
タリアの人望も大いに関係していた。自覚はこれっぽっちもないが、彼女は島の看板娘だ。
そんな彼女の言葉は、ある意味では領主のカトレアよりも効果的だった。
「タリア! 皆に説明は終わったか?」
「うん! 皆ちゃんと話を聞いてくれたし、暫くの間は家で大人しくしていてくれると思う!」
タリアは説明回りを終え、暫定的司令部とされている観光ギルドに戻り父ハマナスへと報告する。
住民たちへの説明は終わった。残るは観光客の船舶への避難誘導のみである。
こちらはハマナスの妻にして副長であるマチス=デーリアの担当だ。
「なら港でマチスの手伝いに回ってくれ!」
「分かった!」
そう言って、とんぼ帰りで観光ギルドを出て港に向かう。
角灯の火が暗い街を照らす中を駆けながら、タリアはもっとも危険な作業を担っている少年のことを頭に思い浮かべた。
(お兄ちゃん……どうか無事で……)
港は目と鼻の先で、着くやいなや少女はまた忙殺された。
少年のことを頭の片隅にずっと置いたまま。




