第57話 「嫌な風」
ハスラー=ペリウィンクルは、腕組みをしながら街壁に背を預けていた。
街唯一の出入り口、南の門から一番遠く離れた北側。平時は街の北側に来る者などルーイとハスラー以外には滅多におらず、討伐ギルド要員であったとしても精々が街の南から東、北東の結界付近で狩りを行っている。
理由は魔物たちが少なく、狩りの効率が悪いからだ。
街の北側とは南の門から一番遠い場所にあり、めぼしい物が何もないことから近付く者は基本的に誰も居ない。
獲物となる大陸人がいなければ、魔物たちにも旨味がない。
では、北側の開拓を進めてみてはどうかと思うだろうが島の地形上、北側は街壁と結界の境目、そして〝魔女の庭〟が最も密接になっている場所であり、少ないながらも徘徊する魔物たちはプイスの中でも凶悪な種が多い。
故に開拓も進められない。
土地不足に喘ぐ小さなプイスの島においても捨て置かれた土地。
それが島の北側一帯だった。
ハスラーの視界に映るのは鬱蒼とした森だ。
霧もなく晴れ渡り、そして街を護ってくれていた結界も今はない。
街壁の結界再構築は、カトレアが自警団の面々を率いて行ってくれている。
ハスラーの役目はそれが完了するまでの間、街に近付いてくる魔物たちの掃討だった。
「……嫌な風だ」
吹き付けた風に不吉な気配を感じる。
まるで身体に粘り付くような風だ。こういう風が吹く時は決まって良くないことが起きる。
――例えばルーイと喧嘩をして負ける日。
――例えばタリアに冷たくあしらわれる日。
――例えばルーイとタリアが仲睦まじく街を歩いているのを見かける日。
嫌な風が吹いている。
――気がする。
「一体何をやらかしやがった……ルーイ……」
「おかしらー!」
自分を呼ぶ声に顔を向ける。
こちらに向かってくるのは三人組の男たちだった。腹回りに脂肪をたっぷり蓄えた大男、面長で枯れ木のようにやせ細った細男、ちっこくて目つきがドギツい小男の三人だ。
男たちはハスラーの前に着くと揃いも揃って膝に手をつき、ぜーはーぜーはーと呼吸を整えている。
特に大男、アンスは汗で衣類がぐっしょりしていた。夜半はまだ肌寒い気温だったが、断熱材を腹一杯に蓄えた彼には暑すぎるようで、肩からは湯気まで出ている始末だった。
「アンス、ポーン、ジタン! 首尾はどうだ?」
「はーはー……じゅ、順調とは言えないでゲス」
「ふーふー……ふぅ、結界石を設置する作業は、ほとんど終わったけど」
「ぜーぜー……魔素込められるの……領主一人……時間かかる」
結界石とはただ置くだけでは効果を発揮しない。
魔素を込め、それが続く間だけ効果を発揮する充電池のようなものだ。魔素が切れれば道端の石ころと大差もない。
結界石に魔素を込める作業自体はそこまで難しいものではない。
難しいものではないが、角灯や冷蔵に使用される生活用の魔石に魔素を込めるのとは、やはり訳が違う。
例えば包丁を始めて持つ素人でも、トマトの輪切りならば最初からある程度は上手く出来るだろう。
だが、魚を三枚に下ろす、となればどうだろうか。
練習すれば上達するし、いずれは誰にでも出来ることだ。しかし、いきなりやれと言われて出来る者はほとんどいない。
そして、最初だから失敗しました、で済む悠長な事態でもない。
これはそういう話で、いま島でその緻密な作業が出来るのは三人しかいない。
一人は今まさにそれを行っているカトレアだ。
長年に渡り、符に魔素を込め直す重要な役割を担ってきた島随一の魔術師。
ルーイに魔術のいろはを教えたのもカトレアなのだから当然だ。
年齢を重ねることで魔素の総量も体力も落ちてしまってはいるが、積み重ね続けてきた技巧は衰えてはいない。
もう一人は言わずもがなルーイ。
カトレアの後継にして現在の結界の管理者だ。大雑把な性格だが、事の重要性を理解している彼はこれに関しては一切手を抜かず丁寧な仕事をする。
魔素の総量こそハスラーには及ばないが、意外にも緻密な魔素の操作技術は卓越しており、カトレアも一目置くほどである。
最後にハスラー。
ルーイほどではないが、彼も定期的に魔素を込め直す作業を行っている。
ルーイとは逆に緻密な作業は大の苦手であったが、それも慣れというもの。
最初は符を焼き切ってしまいかねない力加減の拙さに、カトレアも目くじらを立てていたが、今では符に魔素を込め直すだけなら、何とか出来るようになっていた。
もっとも気を抜けば符を焼き切ってしまいかねないので、ルーイとしてはハスラーに結界の見廻り作業は任せておけず、結局は自分一人でするようになったのだが。
それでもこの緊急事態においてなら、本来はハスラーも結界の再構築に廻るべきなのかもしれないが、同時に今は魔物たちがいつ襲い掛かってくるのかも分からない状況だ。
自警団、討伐ギルドの合同部隊が北東から南にかけての広範囲を警護してくれているが、それでも人手は圧倒的に足りない。
故に彼は、その馬鹿力を買われて今この場にいるのだ。
「分かった。結界は婆さんたちに任せて俺っちは俺っちの役目を果たす。三人ともありがとな」
そう言ってハスラーは背負っていた大剣を抜く。
目の前の森。
そこから木々のざわめきに混じり、不気味な羽音が聞こえてくる。
現れたのはギガホーネットの群れだった。九、十――まだまだいる。
プイスに生息する魔物の中で唯一、翅を持つのがこのギガホーネットだ。
五米ほどの高さでプイスの街をぐるりと囲んで街を護っている街壁だが、それをものともせず飛び越えられる存在。
現状もっとも注意しなければならない魔物だ。
「プイス史に残る危機だとは思っちゃいるが、同時にこれはまたとないチャンスだ。俺っちの勇姿を見れば、タリアちゃんもきっと微笑みかけてくれるに違いない」
「お頭。そのタリアちゃんは観光客の誘導や住民への説明、その他雑務でてんてこ舞いでゲス。それどころじゃないでゲスよ」
「ある意味、誰よりも忙しくしてる、んじゃないかな」
「やかましい! 街へ魔物を一匹たりとも通さなければ、それだけでタリアちゃんは評価してくれるはずだ!」
「それくらいの、評価ならもう既にある、と思う」
「ゲスゲス」
「……おでも……そう思う」
「なら、どうしてタリアちゃんは振り向いてくれないんだ!?」
「「「ルーイ……」でゲス」だね」
三人が口を揃えて言った。
「くっ……! あ、あいつと、俺っちの……俺っちの何が……何がそんなに違うんだああぁぁぁぁ!!!」
ハスラーはギガホーネットの群れ目掛けて駆け出した。
涙が滂沱と流れ頬を伝う。視界が滲む中、大剣を横一文字に振るった。
――その一太刀でギガホーネットが三匹まとめて薙ぎ払われる。
「うおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!」
勢いそのままハスラーは袈裟斬り。逆袈裟。突きと、大剣を振るっているとは思えない早業で、ギガホーネットの群れを殲滅していく。
当然、魔蟲もただやられているわけではない。
気色の悪い複眼がハスラーの動きを捉え、お尻を突き出し針を向けたまま勢いよく突貫する。
刺されれば人体を侵す猛毒が、というよりもその硬質な針そのものが、胸から頭から貫通してしまうような一撃だった。
並のギルド要員なら真っ先に避ける、もしくは逃げ出すであろう必殺の一撃を、しかしハスラーはなんの躊躇いもなく針の先端を大剣で正確に突いた。
硬質な針が砕け散り、そのまま突き抜けた剣身がギガホーネットを串刺しにした。
「ルーイ……早く帰ってこい……!」
(八つ裂きにしてやる……!)
「うううおおおおおぉぉぉ!!!」
猛り狂う獅子と化したハスラーが、そのまま森に突っ込んでいく。
大剣を右手に持ち、左手をギガホーネットの群れに向け、詠唱する。
「〝旋風よ、烈風よ、嵐となりて薙ぎ払え〟」
ハスラーの左手に展開された緑色の魔術方陣からは、バケツから溢れた水の如く魔素が滴り落ちる。
「〝嵐舞〟!」
魔術方陣から放たれた風は、物理的な暴力となってギガホーネットの群れを襲う。
その威力は一言で言えば馬鹿らしい、だった。
ギガホーネットの群れが暴風に薙ぎ払われる。
薙ぎ払われた魔蟲は四肢が千切れ、翅は粉微塵となり無残な姿に成り果てた。
それだけでは飽き足らず、放たれた暴風は森の木々をも、根こそぎ薙ぎ倒してしまっていた。
ハスラーが唱えたのは疾風系の下位魔術〝嵐舞〟。
魔術の卓越した才能があるななく、そこまで制御の難しくない下位魔術ですら臨界突破を起こしてしまう。
それは偏に魔術の拙さが原因だったが、限界以上に込められた魔素がもたらす恩恵も確かにある。
――威力の底上げ。
ハスラーの放つ下位魔術はもはや中位魔術にも匹敵するような威力となっていた。それも威力だけでなく、範囲も相当に馬鹿馬鹿しい。
このような芸当をそこいらの魔術師が続けていれば、すぐさま魔素欠乏症に陥ってしまうだろう。
魔術の基礎を築いた偉大な先人たちは、魔術の方程式に最も効率的で最適な量の魔素を込める試行錯誤を永遠と繰り返し、現代の最上位から下位までの様々な魔術を創り上げてきた。
それを無視し、出鱈目に魔素を増やして出力を上げるなど非効率の極みであり、先人たちが知れば嘆き悲しむ所業だった。
だが、そんな馬鹿げた魔術を行使することが出来るのも、ハスラーの持つ魔素の総量が桁違いだからこそだ。
――小難しい詠唱と緻密な魔素の制御なんて覚えてられるか! 魔素を大量に込めてゴリ押せば強い!――。
ハスラーの行動理念であった。
「おおおおおおおぉぉぉぉ!」
無尽蔵とも言える魔素を大量に無駄遣いしながら、ハスラーは目に見える魔物も木々も何もかも全てを薙ぎ払っていった。
八つ当たりの気持ちの中に、今も独りで戦っている弟の心配を確かに抱きながら。




