第52話 正妻の座
「私達が使う魔素を駆使し行使する魔術とは双璧をなす、呪詛と呼ばれる媒介を駆使し行使するもう一つの魔術とでも呼ぶべき術です。絶滅したとされる種族、呪人だけが扱えたと文献には記されていました。生活にも応用出来るものが多い魔術に対し、呪術はより残虐で攻撃的なものが多く、純粋な火力だけを比べれば魔術とは比べ物にならない威力を誇っていたと」
「じゃあ、こいつはその呪人の生き残りか末裔か何かだって「急がなくてよかったの?」
リリーが疑問を投げかけた。
善意も悪意も、愉悦も嘲りも感じられない無機質な硝子玉のような瞳を見て、ルーイは問わずにはいられなかった。
「……どういうつもりだ?」
「何が?」
「どうしてオレ達に手を貸そうとする? どうしてオレたちの前に姿を現した? お前の目的は一体何だ」
「どういうことかって、ルーイはこうしてほしいんでしょ? それからお前じゃなくてリリー。それよりどうするの? 確かにまだ時間はあるけど、いつまでもこうしてお喋りしてる時間までは、私もちょっと保証出来ない」
「くっ!」
目の前の魔術方陣が全く信用出来ない。
転移魔術を使えないルーイには、この魔術方陣が本当に転移のものなのか判別がつかない。
ましてクレハが言うに、これは魔術ではなく呪術だそうだ。
尚更これがどういったものなのか全くわからない。
もしかしたら、自分たちが魔術方陣に足を乗せた途端爆発するような罠かもしれないし、本当に転移の呪術だったとしても、行先がプイスである保証などどこにもないのだ。
だが、もうルーイにはクレハに転移魔術を使わせるという選択肢はなくなっていた。
思えば隣に立つ少女はこれまでも過酷な状況だった。
たった一人でプイスを訪れ、初めて会った少年と一緒に見知らぬ土地を歩く。それも魔境を。
魔境では魔物たちとの幾度もの戦闘で体力を奪われ、霧や異臭、一晩とはいえ遭難していたことで心労も随分と溜まっているだろう。
なにより先のデビルゴートとの戦闘。
いくらポーションや治癒魔術で誤魔化しているとはいえ、肉体的にも精神的にも相当消耗していることは火を見るより明らかだった。
慣れ親しんだ街から日頃探索を続けている場所を歩き、さしたる肉体的損傷も負っていない自分とは状況が全く違っている。
「ルーイ様」
そして、クレハはルーイのそんな内心を全て見透かしたかのように言う。
「プイスに来たこと、〝魔女の庭〟そして、〝封印の祠〟へ行くことも私が自分で決めたことです。そこで何が起きようと、貴方が気にすることは何もありません」
「だけど!」
「貴方は私を助けてくれました。貴方がいなければ私は既に骸と化していたでしょう。貴方には感謝の思い、それしか持っていません」
「………………」
「貴方の思うように選択してください。貴方の意見を、意思を私は尊重します」
土気色の顔、紫色の唇でクレハが言った。
「……分かった」
そして、ルーイはクレハから目を離し再びリリーを見る。
一方、二人から目を向けられた三眼の少女は、
「……いっつもそう。私だってずっと思ってるのに。……もう殺しちゃう? 殺して北の島の永久凍土でずっと一緒に氷の中で暮らす? 未来永劫溶けない氷の中で愛し合う。……悪くない。……けど、まだ駄目。今そんなことしても壊されちゃう。悔しいけれど、私だけじゃ何も出来ないもの。だからって、このままただ一緒に行かせるのなんて耐えられない。……こうなったら島ごと消しちゃおうかな。それなら邪魔者は誰も居なくなる。一切誰にも邪魔されずに二人だけでずっと」
ぶつぶつと何やら詠唱なのか呪言なのか言っているようだった。
「リリー、って言ったな」
「ぶつぶつぶつぶつ」
「おい、リリー!」
「ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ」
「リリー!」
「ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ」
「おい! 聞いてんのか!?」
「……何?」
「!」
リリーがルーイを三眼でねめつける。
昏い緋色の三眼からは、初対面の相手には決して向けられるはずのない、ありとあらゆる負の感情が滲み出ているように感じられた。
だが、怯んでいるわけにはいかない。
「……お前を信じる。悪いが、プイスまで飛ばしてくれ」
ルーイは得体の知れない少女を信じることにした。
理由は自分でもよく分かっていない。
打算的に考えれば、自分たちに危害を加えるはずなら奇襲や不意打ちでもっと上手くやれただろうだとか、プイスに危機が迫っていることを教えないだろうだとか、色々言えるが付け焼き刃のそんな理由ではない。
もっと根本的で信じられる。
勘、だった。
そして、ルーイの発言を受けた三眼の少女は、
「ルーイの正妻は私なんだから当然」
よく分からないことを言った。
ルーイは当然取り合わず、クレハは何も言わずに頷いた。
完全にルーイを信頼しているクレハの様子を見て、三眼の少女はまたおもしろくない表情を浮かべるも、やがて諦めたかのように一息ついて口を開く。
「早く乗って。すぐに送る」
リリーはそう言って展開していた魔術方陣に呪素を込める。
漆黒の魔術方陣――呪術方陣から、天に昇るように闇が溢れ出す。
二人は隣り合って漆黒の呪術方陣に足を踏み入れ、その時を待つ。
「〝軌跡を辿りし足跡、数多の記憶と共に、今再び我を彼の地へ〟……〝転移〟」
溢れ出る闇はやがて天へと至る支柱となる。
分厚い闇のカーテンの中、もはや二人からは三眼の少女の姿は見えず、ただその声だけが聞こえた。
「……一体どういうつもりなのか、お前が何者なのか。分からないことだらけだけど今は礼を言っておく」
「気にしないで、なんて言わない。だけど、改めてこれだけは言っておく」
お互いの姿はもう見えていない。
だが、ルーイは確かに今、三眼の少女が自分を見ていると感じる。
闇の支柱が一層昏く輝く。
次の瞬間、闇の支柱は跡形もなく消え去り辺りには、呪素の残滓が黒い雪のように降り注ぐ。
「私は貴方の正妻」
その呟きをルーイの耳が拾えたかどうか定かではない。
闇を纏う三眼の少女は、転移が無事に成されたことを確認し、独りで森の中を歩き出した。




