第33話 〝ウルティマ〟
水の跳ねる音が響く。
ピチョンピチョンと優しく鳴るそれは、洞窟内にびっしりと生え揃ったつらら石から垂れる水が、地面を叩く音だ。
薄暗い洞窟内は巨大な鍾乳洞となっていて、天井には無数のつらら石が垂れ下がっていた。
そこかしこにつらら石から垂れた水で出来た水たまりがあり、それ以外は硬い岩と地面が辺りを覆っている。
それらが視界に映る程度の薄暗さ、ということは真っ暗でないということ。
鍾乳洞内には、結界に用いられていた符とは別物の符が無数に貼られ、それらが淡い光を放っていた。
これも開拓当時に件の符術師が貼り巡らせたものらしいが、詳しいことはルーイも知らない。
そして、今後誰に聞くこともないだろう。
鍾乳洞内の符に魔素を込め直すのもルーイの仕事の一つだ。だが、その頻度は低い。
そもそもここまでの奥地に来るのはルーイ以外にはおらず、明かりを保つ意味があまりないからだ。
鍾乳洞内には霧は一切発生しておらず、視界は明瞭だった。
ずっと霧に遮られた視界で歩いてきたせいか、それが不自然に感じられる程度には、感覚が麻痺していた。
だが、クレハにとってそれより嬉しかったのは、ここにはあの饐えたような黴臭いような異臭がなかったことだ。
あるのは水と石灰岩の匂いだけ。
特徴的な匂いを好ましくは思わなかったが、少なくとも嫌悪感は感じない。
つまるところ、静謐な鍾乳洞内を二人は歩いていた。
コツコツ、と二人の足音が響く静寂を破り、話し出したのはクレハの方からだった。
「そういえば話の途中でしたね」
自然に言葉を投げ掛ける。
ルーイは「ん?」と視線を向けた。
「岩壁の前での話です」
「あぁ……そういえばそうだったな」
岩壁に辿り着く寸前まで話していた神話の時代の魔物が云々、という話。
ルーイとしては今更聞いても聞かなくても良い話だったが、せっかくクレハから話してくれようとしているのだ。
素直に聞くことにした。
「大陸ダーナを吹き飛ばし、内海を生み出した魔物。それに対抗しようと徒党を組んだ神々との闘いですが、結論から言えばその魔物が滅ぼされることはありませんでした」
「マジ!?」
「きゃっ!」
驚きの声が鍾乳洞に反響する。
一斉に蝙蝠の群れが独特の羽音を撒き散らしながら羽ばたき、洞窟内を飛び回り出した。
その様子は不気味の一言に尽きるが、やがて落ち着いて辺りは静寂を取り戻した。
「……ルーイ様」
「わ、わりぃ……」
睨むクレハに苦笑いでしか返せないルーイ。
「い、いや、けどさ。滅ぼされなかったって言うなら、その魔物は一体どうなったんだよ。そんな存在が仮にいたとしてオレが読んだどんな古文書、魔導書や文献にも書かれてなかったぞ」
これでもルーイは、それなりの書籍を読み漁ってきたと自負している。
魔術のいろはが書かれた入門用の本から、禁術が記されているとされる胡散臭い魔導書(勿論禁術など一切記載されていなかった)。
プイスのことを知るために島の開拓史を何冊も読んだし、それ以外にも王国の歴史や帝国の叙事詩、他にもアレやコレや。
学者のクレハには遠く及ばないだろうが、それにしたって自分が今まで読んできた書籍の中で、そのような存在のことなど、なに一つ匂わせるような記述すら目にしたことがなかったのだ。
「ルーイ様がご存知ないのも無理はないでしょう。かの存在に関する記述は禁忌中の禁忌。王立魔導図書館の禁書庫の最奥にすら、それについて記述されている書籍は数える程度しかありません」
「そんなにかよ……いやまぁ、確かに大陸に大穴開けちまうような奴ならそうもなるか。しかも、伝説や御伽噺じゃない……んだよな?」
「誇張も謙遜もしていない厳然たる事実です」
「……なら、事実としてそいつは今どこでどうしてるんだ? 神話の時代の話ってんなら、今から数千年も前だろ? もう死んでんのか?」
それならこんな話今更しないよなぁ――と、楽観的な考えを頭に思い浮かべる。
案の定、クレハは首を左右に振った。
「残念ながら今は封印された状態です」
「封印……って」
まさか、というルーイの言葉を読んでクレハは首を縦に振る。
「そうです。この〝封印の祠〟に祀られているのは御神体でもなければ、それに類するものでもありません。かの存在〝ウルティマ〟の肉体の一部です」
そして。
「〝ウルティマ〟が復活する兆しがあります」




