第3話 フライングボディプレス
「……んむっ……んぅ」
ルーイが寝ぼけ眼を開くと、そこには見知った天井が広がっていた。
簡素な木造の天井。ところどころに板を貼り直してはいるものの、小さな穴も目立ち、部屋の中には雨漏り対策のバケツが二つ置かれていた。
この光景はほとんど毎日、起床時と就寝前と目にする。
自分の家だ。
街の外れにある、結界の境界ギリギリに建てられた木造のボロ屋。
以前の住民が誰だったのか、島の住民にさえ忘れ去られた廃墟だった。
そこを最初は秘密基地、それから溜まり場、最終的には我が家として勝手に住み着いた。
壁も天井も穴だらけで住むには難儀だった建物を、大工のゲンさん監修の元、改装に修繕、改築を繰り返して今の形になんとか落ち着けたのだった。
そこまで認識したところでゆっくりと上体を起こす。
腕や胸に包帯が巻かれ、頬や指先には絆創膏が貼られている。一見すれば満身創痍だが、実際は切り傷擦り傷かすり傷ばかりで至って軽傷。
そのどれもが、ガルムたちと盛大な鬼ごっこを繰り広げた結果だった。
とはいえ、ガルムたちから受けた傷は噛み傷一つなく、全て森の中を走っている時に擦れた木々や雑草によるものだ。
全身を倦怠感が包んでいるものの痛みはほぼなかった。
「……いや」
寝起きから徐々に覚醒していくと、倦怠感に混じって微かにひりつくような、むず痒いような感覚がある。
これには覚えがあった。焚き火で火傷を負った後も、確かこんな感じだった気がする。
だが、火傷を負った覚えなど――。
「おにーちゃーん、起きてるー? おにーちゃーん!」
ドアを乱暴に叩く音と幼い少女の声が聞こえる。
ノックにしては力強く、家主を叩き起こす役割も兼ねているようだった。
ルーイは寝台から降りて玄関に向かいつつ、声をかける。
「起きてるぞ。ドアが壊れるからその辺で」
――ミシッ。
今まさにドアノブに手をかけようとしていたルーイの耳が、如何にも木で出来たドアが壊れるような乾いた音を捉える。
ルーイが冷や汗をかく間もなくドアが、本来の動きとは全く違う動きでこちらに迫って――。
「あっ、やば」
「うおおおおあぁぁぁあああ!」
家全体を揺らすほど衝撃と轟音。
朝のゆったりとした時間を謳歌していた小鳥たちが空に飛び交い、静止していた虫たちが一斉に動き出した。
机の上に乱雑に置かれていた魔導書や辞典が床に散らばり、梁から埃が舞う。奇跡的に棚の中の食器たちは無事だった。
「あちゃー。ごめんね、お兄ちゃん。生きてる?」
「死ぬとこだったわ! ていうか、タリア! てめぇどこ乗ってやがる!」
押しつぶされていたルーイが、倒れたドアの下から這い出てくる。
視線の先にはルーイを下敷きにしていたドア、その上にいつの間にか乗っていた少女、タリアが全然全くこれっぽっちも悪気を感じさせない声で告げた。
快活な印象の少女で、どこか猫とも犬ともいえないような野性味を感じさせる。
クリクリとした栗色の瞳に藍色の髪は、お世辞にもルーイの灰色の髪と瞳とは似ても似つかない。
二人は血の繋がった兄妹ではなかった。
ルーイにとってタリアは可愛い妹分、タリアからすれば世話のかかるお兄ちゃん。あともう一人いるが、タリアはルーイの幼馴染だった。
「えへへ、ごめんねー、お兄ちゃん。おはよう!」
「ったく……こんな乱暴なおはよう、前代未聞だろ」
「あー! そんなことないんだよ! フライングボディプレスで叩き起こすっていう様式美は使い古されてる上に、危ないからやめとい「わーかった分かった」
「むー」
頬をぷりぷりむくれさす少女。タリアは不満気だったが、しぶしぶといった様子でドアから降りる。
パンパンとスカートから埃を叩き落とし、腰に左手を当て、眉を怒らせながらビシッとこちらを指差す。
「そーれーで! 昨日のアレはどういうことなの? ちゃんと説明してほしいんだけど!」
「昨日のアレ?」
身に覚えのないことを聞かれてルーイは首を傾げた。
「もー! ほんっとうにお兄ちゃんはお兄ちゃんだね! 何日も音沙汰がないと思ってたら昨日の夕方、街の門前で倒れてて……おばばは大丈夫だって笑ってたけど、あたしほんっとうに心配したんだからね!」
そこまで捲し立てられて、ルーイはようやく意識を失う寸前のことを思い出した。
「………………」
そうだ、自分は〝魔女の庭〟の見廻りに出ていて運悪くガルムの群れに遭遇、何頭かは討伐したが群れの数が余りに多くて逃げ回った挙句、泉に落ちたのだ。
物心ついた頃から水を大の苦手としているルーイは森中の池や湖、滝などそれがどんな小さな水場であれ脳内の島内地図に赤マーカーを引いている。
引いているのだが、どうやらガルムたちを撒こうと右往左往し、獣たちに擦り付けようとした結果、道を誤ってしまったようだ。
そして、泉に落ちて案の定パニック状態になったルーイは藁をも掴む気持ちで一頻り暴れた後、誰かがガルムたちを魔術で瞬時に殲滅。
――それから。
「………………」
思い出すのは深紅の髪に翡翠の瞳をもつ可憐な少女。
(あの子は……)
「おにーちゃーん!」
焦れた様子で、しかしその中に、確かな不安を感じさせながらタリアが言った。
床に這いつくばったままのルーイが慌てて答える。
「あ、あぁ、結界は問題なく機能してるし、ちゃんと魔素の補充もしてきたから」
「そんな心配してない」
「心配してないのかよ」
「だって、お兄ちゃんだもん」
ここまでハッキリ面と向かって言われると、肌に感じているむず痒さとは別の気恥ずかしさとでも呼ぶべき痒さが、背中を駆け巡る。
が、それをおくびに出さないルーイに対して、タリアは今度こそ不安げな表情を隠しもせず、床に這いつくばったルーイと視線を合わせるようにしゃがみ込んで口を開く。
「……だけど、お兄ちゃんのことはいつだって心配してる」
今度は顔に出た。
ルーイは目を見開くが、タリアの表情を見て相好を崩す。
「……心配かけたな。けど、こうしていつも無事に帰ってきてるだろ?」
「門前で倒れてたのは無事って言えないよ」
「んぐっ……ま、まぁ、そうかもしれないけど、結果良ければ全て良し、だ。そうだろ?」
不安がる妹分を安心させるように、ゆっくりだが敢えて力強くタリアの頭を撫でてやる。
綺麗な藍色の髪が乱れ、タリアの表情は不満気だ。一五歳にもなっていつまでも子ども扱いされていることに不満を感じているのだろう。
ただ、ルーイの手を払い除けるようなことはしなかった。




