第25話 「〝変態っ〟!」
――随分と懐かしい夢を見た気がする。
クレハはゆっくりと瞼を上げた。
さすがにこの状況で熟睡出来るほど肝は座っていないので、微睡んでいた時間はそう長くないように思えた。
それでもこのままもう一度、夢の世界へ誘われたいという強い欲求に抗い、一息に立ち上がった。
「んーっ……」
両手を天へと向け仰け反るようにして身体全体をぐっと伸ばし、華奢な肢体に血を巡らせる。
肺に大きく空気を吸い込もうとして――やめた。
焚き火は中途半端な状態で消えていて、薄い煙が辺りを漂うだけだった。
ひとまず休息が取れたことに安堵し、洞窟の入口へ目を向ければ外は闇に覆われていた。
懐中時計を確認する。自分が寝ていたのは三時間ほどだった。
そう長く眠っていたつもりはなかったのだが、結果として随分と眠っていたようだ。
おかげで体力も魔素も少しは回復している。
思わぬ休息を取れたのは僥倖だったが、いかんせん中途半端な時間に目が覚めてしまった。
こんな時間から洞窟を出て探索、という選択肢は当然なかったのだが、少し外の様子は確認しておくべきだろう、と思い至る。
「さて、と。少し「ふぎゃっ!」きゃっ!」
ブーツの踵が何かを踏み付けた。
叫び声を上げてしまったことに一瞬恥じらいを覚えつつも、咄嗟に距離を取り大鎌を召喚する。
(まさか私の〝監獄結界〟を破ってくるなんて……!)
どうにも寝起きで気が緩んでいたようだ。
ここまで何者かの接近を許し、あまつさえ微睡んでいたなど。
クレハは目の前に転がる悶絶している生き物に大鎌の刃先を向け、
「へっ?」
素っ頓狂な声を上げた。
翡翠の瞳をパチクリさせ、事態の把握に努める。頭の中で徐々に目の前の光景に理解が追い付き、やがて声に出す。
「ルーイ様……?」
目の前で悶絶しているのは紛れもなくルーイだった。
「一体どうして此処に……」
「うぅ……」
だが、クレハの問い掛けにルーイは答えられない。
股間を両手で抑えぴくぴくと悶える様子は、まるで陸に打ち上げられた魚のようだった。
疑問符を頭に浮かべるクレハは、今のやり取りを思い出す。
自分が踏み出した一歩は一体何を踏み付けたか。
柔らかいそれは角張っておらず丸かった。伝わってきた感覚からどうやら二つある内の一つを思い切り踏み付けたように思えた。
そして今――ルーイはどこを抑えながら悶えている?
そこまで思い返してクレハの頬が自身が持つ深紅の髪に匹敵する程、紅潮する。
クレハは世間知らずのお嬢様でも、頭の中がお花畑の町娘ではない。
学業は既に博士号まで取得している才女で様々な分野、学問を日々学んでいる。
その中には当然、そういった知識も含まれており、経験こそないが知識だけは一丁前に持っている。
そこから導き出された答え。
自分が踏み付けたものは――。
左手を容赦なく向ける。
瞬時に展開された燃え上がらんばかりの紅の魔術方陣から、まるで焚き火が爆ぜるようにパチパチと魔素が零れ落ちる。
この現象は魔術方陣の臨界点を突破しても尚、魔素が注ぎ込まれた際に起きる臨界突破と呼ばれる。
未熟な魔術師見習いがまだ慣れていない魔術を唱えようとした際、魔術の方程式を把握し切れておらず無駄に魔素が込められ溢れてしまった時によく起こる現象だ。
そして、それとは別に魔術師の感情が昂った際にも起きる。
要するに、限界以上に魔素を込めて魔術を放とうとした時だ。
身悶えしているルーイがハッとした様子で左手を向ける。目は涙で潤み、額では脂汗が光っている。
「待て、クレ「〝変態っ!〟」
深紅の魔術方陣から炎熱系中位魔術――とは思えない、冗談のように圧倒的な炎の奔流が放たれる。
「ぎゃああぁぁあぁああぁぁあああああ!!」
炎はルーイを丸々と飲み込み、そのまま洞窟から派手に吹っ飛ばした。
後に残っていた焚き火の成れの果ての最後の一欠片が、ぼろりと崩れ去り風に流されていった。




