09 役名『友達』
メルメナの噂を聞きつけたレイドは翼棟の廊下を走っていた。魔力を使った脚は馬ほどに速い。
「くぅっ、この執事が不覚を取るとは! 今のタリア様にあの方は刺激が強すぎるというのに!」
そのままの勢いで、ドアが外れている戸口へ飛び込んだ。
「タリア様、ご無事ですか!?」
「あ……レイド」
声がしただけでもレイドは驚いたのに、リビングに出てきていて、しかも部屋着から着替えているので、ほとんど感涙するところだった。
タリアは大きすぎるワンピースにベルトを締めるなどの工夫をして、ドレス風の装いだった。細い脚に引っ掛けたようなショートブーツのぶかぶか感が、全体を統一している。
「なんと素敵なスタイルでしょうか! 御髪もきれいになさって……」
「自分でやったの。あの……レイド、ごめんね。私のために色々してくれたのに、返事もしなくて……」
「滅相もございません! タリア様にお仕えすることは私めの至上の喜びでございます。それに悪いのは奴であって――」
「遅かったな、執事」
レイドが渋面で振り返った先に、同じくらい眉間を狭めているフローリスがいた。ベランダから戻ってきた彼の手には、ほうきとちりとりがある。
「あぁ、まだいたんですか。メルメナ様に消し炭にされているかと考えていましたが。では、あなたがそれらの道具を剣と盾のように使ってタリア様の窮地を救ったというわけですか?」
「面白いな。僕は魔族どもが散らかした後始末をしていただけだ」
「あ――」
タリアがフローリスの背後に目を向けた、と同時に、開いていた窓から三人の魔人たちが突っ込んできた。
「うわぁ! 邪魔だぁぁ!」
フローリスは脇に飛び退いて間一髪で三人をかわす。魔人たちはほとんど部屋の床に衝突して折り重なった。
「皆ぁ……帰ってきてくれた」
翼や手足が絡まっているややこしい光景だが、タリアは目を潤ませる。魔人たちは主の元気そうな様子に気付くと、少々痩せこけた顔に笑みを浮かべた。
「当然です、死んでも帰ってきますよ!」
「実際。やばかった」
そこへフローリスが目ざとく指摘する。
「収穫無しのようだな?」
魔人たちは痛いところを突かれて押し黙った。タリアは半信半疑で皆を見回す。
「もしかして、また人間の城に行ったの?」
魔人たちは恐る恐る頷いた。するとレイドが彼らの前に割り込む。
「元はと言えば、私めがそれを提案したようなものなのです。勝手をして誠に申し訳ありません」
「レイド殿……」
頭を下げてまで庇ってくれた執事に魔人たちの敬意の眼差しが集まる。だがタリアはすぐにレイドに言った。
「頭を上げてよレイド。皆がしてくれることは私のためだって分かってるから大丈夫。ありがとう」
「そう思っていただけて光栄です」
「ライムとガルとセルタも、ありがとう。無事に帰ってきてくれて……」
魔人たちにとっては最大級の労いだったようだ。立ち上がって誇らしげに背筋を伸ばした。
しかしレイドが呟く。
「ですが、収穫はなし、と……」
「だって思ってたより警備が厳重になってたんですもぉん!」
途端に魔人たちは騒ぎ出した。
「鼻の効く動物も放たれていた。我々は罠に飛び込んだも同然であった」
「包囲された。攫う隙。なかった」
「ってことは、人間の貴族に近づけはしたの?」
魔人たちはタリアへ大きく頷いた。
「二人。見た」
「一人は『お母様』と呼ばわれていた」
「もう一人はこいつに似た偉そうなやつでした!」
フローリスがライムに指さされた。
「それが僕の兄のエメレンスだ。いつも母上と一緒にいるんだ……エメレンスが警備兵を指揮していたのか?」
「別にそうでもないけど」
「でも。オマエのこと。気にしてた」
「逃れなければ、我々は貴様の居場所を白状するまで責め苦を与えられていたであろう」
フローリスは形の良い鼻を鳴らす。
「そんな呑気なことが言えてるのも、城にいたのが兄の方だったからだ」
「……兄弟なのに辛辣なのですな?」
「魔族も同じだろう?」
レイドの探るような視線を、読めない顔つきが受け止める。
思いがけず、タリアが気まずくなった。
「えーと、もう人間はいいよ。マジカを手に入れる方法は他にもあるだろうし、それに、今は皆にそばにいてほしいし……皆が良ければ、だけど」
遠慮がちなことを不思議そうにしながらも、魔人たちと執事は諸手を挙げて歓迎した。
「家門は家族のようなもの! ですよね?」
「そう、支え合うために我々がいるのですぞ。家族が一番の絆です」
「みんな……」
落ちぶれた自分をも受け入れてくれる部下たちに感動して、タリアの目が潤む。だが、自分を取り囲む輪に一人足りない。
物置部屋へのドアが開いているから、フローリスは掃除道具を片付けに行ったのだろう。
それが惜しく、同時にほんの少しだけ寂しい。
タリアの頭は、フローリスを家門のために有効活用する方法を自然と考え始めていた。
次の日。リビングに復帰したタリアはフローリスと一緒に朝食のテーブルに付いた。レイドが厨房に掛け合ってくれた今朝のメニューは二段のパンケーキだ。タリアは甘いソースを、フローリスはベーコンやチーズなどのおかずを載せた。
「あのさ、フローリス?」
初めて名前を呼ばれた人間の王子は小さな魔族へ怪訝な視線を走らせた。タリアは単刀直入に言う。
「友達になってよ」
「……意味分かって言ってるのか?」
「もちろん。家門の一員として『友達』って役割になってもらいたいの」
フローリスは納得半分、呆れ半分といった表情だ。
「姉様から助けてあげたんだから、それくらいいいでしょ?」
「ようやく頭を使ってきたな」
それきりパンケーキを切ることに集中してしまうのでタリアは焦れた。
「いいの? 駄目なの?」
「聞いてくれるなんて親切だな。でも本当に意味分かってるのか?」
フローリスは思慮深く訊ねてくるが、タリアはその機微を気にしない。
「分かってるよ。友達っていうのは、ビーズで作ったブレスレットを交換し合ったり、愚痴を共感し合ったり、どこに行くにも二人一緒なことだよ」
「そういう話じゃなくて、僕が人間の王子だと自己紹介をしても構わないんだな?」
問いについて少し考えて、首を傾げる。
「……そうするとどうなるの?」
「おまえは評価されるし、僕の存在感が増す」
「じゃあいいよ」
「僕も構わない」
「やった! 私ね、考えたんだ。少しでもマジカを回収するなら良い意味で注目されないとでしょ? そのために新しいことをするのはどうかなって思ったの。で、『人間を友達にする』って斬新だと気付いたの!」
「そういうことか」
話が狙い通り進んでタリアはほくそ笑む。
フローリスは少し遅れて気付いた。
「……ブレスレットが、なんだって?」
ガラスや陶器、自然の素材で出来たビーズが種類ごとに仕切られている収納箱を前にして、フローリスは内心を隠しきれなかった。
「なんでこんなちまちました面倒なことを……」
「綺麗でしょ? 何年も掛けて集めたんだ。はい、好きな素材を選んでね」
紐やチェーン、糸などをテーブルに並べて、タリアは早速素材を吟味する。
「何が似合うかなぁ」
フローリスの手が太めの紐を取っていく。
「出来上がったら交換し合うって忘れてないよね?」
「ああ……そうだったか?」
「ねー、考えて作ってよ」
暗にその材料は気に入らないと伝えているのだ。フローリスとしては、太い紐ならビーズを通す作業がやりやすいだろうとだけ考えていた、渋々その紐を元の場所に戻した。
「……よし、決めた」
タリアは頭の中の簡単な設計図が出来上がったので、金色のチェーンと明るい青緑色の透明なビーズを取った。
工具を使って、ビーズにフック状の細かな金具を取り付けると、これもまた細かいチェーンの輪とフック部分を噛み合わせていく。他にも白い小さなビーズや、星型のチャームを適度に散りばめる。
その手際の良さにフローリスは思わず見入った。
「それを僕によこすのか?」
「可愛いでしょ。あなたの目の色と同じビーズがあったんだよ」
「なんか重いな」
減らず口を叩かれても、タリアは以前の姿以上に大人びた笑みを口元に浮かべた。
「意地悪言っても無駄だよ。もう分かるからね? 褒めてるってこと」
やり返されたフローリスは少々面食らったようだ。何か言うまでにかかった時間の長さが、タリアを満足させた。
「そう思っておけばいいんじゃないか」
フローリスは改めて紐を選んだ。先程よりも細い黒色の糸だ。それに黒色と朱色の大きめのビーズを交互に通していった。
「毒々しいよ」
「おまえの色だろ」
最後に紐の両端を結び合わせて完成させる。
「手を出してみろ」
タリアの差し出した左手首にブレスレットが掛けられた。直径が大きいので動くと抜けてしまいそうだ。
「大きさの調節できないの?」
「おまえが元の大きさに戻ればいいだろ」
驚いて顔を見ようとしたが、手を突き出されたせいで視界を塞がれた。
「仕方ないからつけてやるよ」
「うん……」
タリアが作ったフローリスのためのブレスレットは大きさがぴったりだった。だが、細く見えていたフローリスの手首が思っていたよりもしっかりしていたので、繊細なデザインはあまり似合わなかった。
「まあ、よく出来てるんじゃないか? 似合わないが」
「じゃあお互い様だね。これ、何かに似てると思ったら毒ぶどうだよ」
「そんなものは知らない。で、お楽しみ会は終わりか?」
「まだだよー。次は愚痴を聞き合うの! じゃあ私からね」
「否応なしか」
フローリスのぼやきを受け流し、タリアは軽くテーブルの上を片付けながら話した。
「私の愚痴はね、レイドのことなんだけど。そろそろ部屋の片付けしようかなーとか、今やってることが終わったら勉強しよう、とか思ってる時に限って、片付けなさい、本を読みなさい、って言ってくるの。ホント、やる気が無くなるんだよねー」
「やる気がなくなるのは、行動を強要されると『自由を侵害された』と感じて抵抗したくなるという心理のためだ」
タリアはじっとりと相手を見据える。
「共・感、してよっ」
「ああ、はいはい。よくあるよくある」
「くっ、全然なさそう……。次はそっちが話してよ、フローリス?」
フローリスは部屋の中をさっと見回しながら考えていた。
「ここには自分だけの空間がなくて、プライバシーが微塵もないので屈辱を感じている」
「分かるー。大変だよね~」
大げさに頷くタリアに非難の視線が突き刺さる。
そこへ、玄関ドアが開いて休憩に行っていたレイドが入ってきた。
「ただいま戻ってまいりました」
「おかえりー、ちょっと早かったね。それ、なに?」
レイドは百科事典ほども分厚い雑誌を抱えていた。タリアは手渡されたそれの表紙の飾り文字『ジュデッカ・コレクション』に目を瞠る。
「『ジュデコレ』!? どうしたの、これ?」
「昔のツテで手に入りましてございます」
執事は得意そうだ。タリアが早速めくったページにドレスの精緻な模写が載っているので、カタログか何かであることはフローリスも分かった。
「その本がそんなに良いものなのか?」
「魔王妃様認定のブランド店が一年間に作った一点物を全部紹介する本だよ。これを手に入れられる人はお店のお得意様とか有名人とかに限られてるの。私、初めて見た!」
まだ価値を測りかねている、という顔のフローリスへレイドが言う。
「この本には、最初にページを開いた者を登録する魔法がかかっています。人に見せてもらうか、自力で手に入れる他に読む方法はないのです」
「なるほど」
その時、誌面に食いついていたタリアが顔を上げた。
「レイド、もしかして……次のパーティに新しいドレスを着て行けってこと?」
「さすがお察しがお早い」
「うちってブランド物のドレスを作るほどのお金、あったっけ……?」
レイドは自信ありげに人差し指を立てた。
「そこが我らがタリア様のセンスの見せ所ですよ。仕立て屋と連携して、低価格を悟られないドレスを作るのです。不祥私め、大きさの合わない服でも着こなしてしまう、その発想力とセンスに感動したからこそのご提案です」
「……レイド……」
響いていないと見たレイドはさらに熱弁を振るう。
「そのカタログによりタリア様のセンスはより磨かれることでしょう。きっとできます! 華々しく登場して、皆をあっと驚かせてやりましょうぞ!」
「もちろん! その作戦、採用!」
反応が薄かったのは新しいアイデアに感動していたからだった。
「レイドすごいよ。おしゃれな人たちの肥えた目に勝負しようなんて普通は思わないもの」
「少々命知らずでしたか?」
「でもそれくらいが丁度いいよ。もう失うものなんてないんだから」
前向きというよりは、前に進む以外にやることがないのだ。焦ってはいないが、メルメナが予想した王族から除名される末路の実現を恐れてはいる。
そこへフローリスが口を開いた。
「僕も行こう。『友達』はどこへ行くにも二人一緒なんだろう?」
「……うん、いいよ!」
タリアが目を輝かせる。レイドは仰天した。
「な、なんですと? 友達? まさか、人間にエスコートをさせるのですか!?」
「エスコート? それ最高かも! 皆をあっと……それどころか、今のレイドみたいにぎょっとさせてやれるね!」
いたずらを思案するように笑うタリアと、なぜかほくそ笑んでいるフローリス。
レイドは知らない間に変化していたらしい二人の関係に目をぱちくりさせるばかりだった。